通勤中に日本辞世の句振興委員会の手先に拉致される話   作:ユグドラシル尾芭蕉

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第一話 監禁

駅に着いたところでイヤホンが切れた。そういえば充電をしばらく忘れていた気がする。

どうにも最近こういううっかりが増えてきた。20も半ばだがもう歳なのだろうか。

本来、人類の寿命は30年程度であるという話を思い出す。縄文人の平均寿命らしい。どうでもいい話だ。

 

改札を抜け、ホームに向かう。あれを言っていたのは確か、高校の友達だっただろうか。どうでもいい話ばかりする奴だった。

高校を出た直後は連絡を取りあっていたが、2年もすれば疎遠になった。ホームはいつにも増して人が多く、いつもより鮮明に聞こえる喧騒に嫌になる。

 

あのころは騒がしさに腹が立つことはなかったし、そんな感情がこの世に存在するなど信じてもいなかった。

そういえば確かあいつは、過去ばかり振り返るようでは人間おしまいだ、とも言っていた気がする。

当時、そいつにしては珍しい、含蓄のありそうな言葉だ、と内心感動したのを覚えている。

 

おしまい、おしまいか。終わったからと言ってどうということもない。

人生の岐路にはっきりとした区切りなどなく、気がついたらなあなあで終わっている。

そういうものだろう。まったく、嫌になる。

 

電車に乗り込もうと歩きだしたその時、鞄が引っ張られた。

なにかに引っかかったのかと振り向くと、何者かが私の鞄をひったくろうとしているところではないか。

私は渡してなるものかと抵抗するが、鞄がちぎれるのも嫌だったので相手が本気で引っ張った時に手を離してしまった。

相手はそのまま鞄を持って走りさろうとする。

大したものは入っていないが、それでも鞄は貰い物の、自分で買おうとは思わないような値段のものだったから、私はできる限り怒りを感じている風な顔をして追いかけた。

 

後ろで電車が出発する音が聞こえる。

車掌が迷惑そうにこちらを見ていた。

 

ひったくりがホームの階段を駆け上がった。私も駆け上がる。

ひったくりは角を曲がり、どんどん人の少ない方へと駆けていく。私も駆けていく。

 

通勤ラッシュとはいえ田舎行きの路線などは閑散としていた。

 

ひったくりがホームの階段を駆け下り、手すりに体重を預けて芸術的なジャンプをした。

私はその頃には楽しくなって、いつか見た洋画を思い出しながらできる限り芸術的に追従した。

ひったくりは力も強かったし、おそらく私よりは体力があるようなのだが、不思議なことに私は見失うことなく追いかけ続けていられた。

 

しかし、ひったくりがついに逃げ場を無くす。

追い詰められたひったくりは私の鞄を抱えたままホームの端の小さなトイレに駆け込んだ。

男子トイレだったので私も遠慮せず駆け込んだ。

 

トイレの入口は1つしかないようで、私はじりじりとひったくりとの距離を詰めていった。ひったくりもじりじりと下がっていく。

 

距離をつめる。

 

下がる。

 

距離をつめる。

 

下がる。

 

ひったくりの背中が壁に当たった。

ひったくりが焦った顔で壁をちらりと見る。

 

私はなんとなく嬉しくなってニヤリと笑ってみたが、その瞬間に個室のドアが開き、大柄な男たちが出口を塞ぐように大量に出てきたために思わず笑みを消した。

 

男の一人がこちらにハンカチを差し出してくる。どこかで落としたのだろうか?

「ありがとう」と受け取ろうとしてみたが、ひったくりに後ろから羽交い締めにされてハンカチを顔に押し当てられた。

 

はいはい、知ってるよ。眠らされるんでしょ?

 

私は不満を表明するためわざとらしくため息を吐いた。

しかし人体というのは、吐いたら吸わねばならないものなのだ。

私は諦めと共に目を瞑り、息を吸う。

 

しかし意外と意識を失わなかったので目をパチリと開けた。屈強な男と目が合う。

 

屈強な男も困った様子で、パチリと目を瞬かせた。

 

まつ毛が長い男だった。

 

勝てる、と思った。

 

勝利のための第一手として私の手を固めているひったくりを振り払おうとしたが駄目だった。

強く締められて手が痛い。

私はそのまま意識を失った。格好がつかない。

 

 

目が覚めると、牢屋に入れられている。窓がなく、冗談のような鉄格子が嵌っていた。

鉄格子は顔が映るくらい銀色に輝いていて、新品であることを窺わせた。

鉄格子には匍匐前進すればギリギリ通れるくらいの大きさの扉が付いていて、ここから食事を差し入れるつもりであろう事も気がついた。

 

夢かなにかだろうか。夢など久しく見てない気もするが。

 

足音が聞こえた。カツン、カツン。硬い床を革靴で叩く音だ。

 

足音の主は、目出し帽で顔を隠した男。洋画みたいだ。この言葉をこんなに思い浮かべる日は初めてだ。

「目覚めたか」

男が顔を近づけてくる。そのくらい見たらわかるだろう。

しかし洋画みたいだ、と思った。

 

それならこっちも洋画みたいに、と唾を吐いてやったが、男は「うお、汚な」と飛び退いた。ちょっと申し訳なかった。

 

気を取り直した男が言う。

 

「辞世の句を詠め。」

 

そんなに怒らせてしまったのだろうか。

 

私はますます申し訳ない気持ちになったが、よく考えれば向こうは私を閉じ込めているのだ。

逆に怒りが込み上げてくる。

 

「…人生を区切り、総括する。だらだらと無意義な人生に、自分で意味を与える。辞世の句とは、なんと素晴らしい文化だと思わないか?」

 

二度目のその言葉に私は驚く。辞世の句だと?ほとんどの洋画には出てこない単語だ。

私がうっかり唾を吐いたせいで、この男は洋画が嫌いになってしまったのだろうか?

 

「昔の日本人は、素晴らしい辞世の句を詠むことこそを理想の死と考えていた。

しかし近頃の日本人はどうだ?

やれ長寿だの健康だの、ほとんどの人間は死ぬ間際まで生きることばかり考えていやがる!

潔さの欠片もありやしない!」

 

男は興奮のままに鉄格子を掴み、揺さぶった。

私はさすがに怖かったので現実逃避を辞めるが、自身の置かれた状況が不可思議すぎて混乱する。

 

つまりこの男は私に辞世の句を読ませることが目的なのか?

 

「お前もどうせ、辞世の句なんか考えたことないんだろ?」

 

目出し帽の奥に覗く彼の目は血走っていた。

 

私は「確かに、ないです」と敬語で返した。

 

「お前が辞世の句を考え次第、日本辞世の句振興委員会がお前の遺書を用意する手筈になっている。

もちろん、突然のことだ。遺された人々に伝えたいことも沢山あるだろう。」

 

男はそこで区切り、私の目を覗き込みながら言った。

 

「せいぜい自由律俳句でも考えるんだな」

 

私は何も言えなかった。しかしこういう時、何をいえばいいのだろうか?

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