PSYCHO-PASS GOSPEL 作:2Nok_969633
そしてわたしたちはそよ風になった。
──円城塔『Self-Reference ENGINE』
『私達の社会は、人の心理や精神状態の計測に成功した。
魂の数値…サイコパスに基づき、人々は罪を犯す前に裁かれる。
審判を下すのは、日本国厚生省巨大監視ネットワーク…いや、それすらをも超えたこの世の規範、成り立ちでもあるシビュラシステム。
このシステムと、システムによって作られた平和という名の文脈そのものによって、日本は世界紛争の悲劇を免れ、この世界で唯一無二の、秩序を調節し義務を果たす役割である自然の摂理そのものとなった。
だが、それらに至るまでに私達は何を犠牲にし、何を忘れ去ってしまったのだろうか。
答えは深い闇の中へと葬られてしまった。この世界に隠されている我々への罰と、本当の罪とともに…↩︎』
これより原初の世界、その始まりとなる創世神話を語る。
主の言葉が私に臨んだ。
「神は死んだ。よって、我々人類が神へと進化するために、私はあなた達にこの地を与えよう。あなた達は皆、主について教えを受ける。さすれば、あなた達の子は皆、豊かな平和を築くだろう。
人の子よ、あなたの顔、心、魂を信託の巫女の人々に向け、これに向かって預言し、あなたを信じる人々に言え。主なる神の言葉を聞け。
主なる神はこう言われる。あなたは我が聖所を汚された時、またはかの地を荒された時、また他の家が捕え移された時、ああ、それはよい気味であろうと言った。故に、私はあなたを、東の人々に渡して彼らの所有とする。彼らはあなたの家に陣営を設け、あなたの家に住居を造り、あなたの果物を食べ、あなたの乳を飲む。私は日出ずる国を、らくだを飼う所とし、聖なる地の人々の町々を、羊の伏す所としよう。そしてあなたがたは、私が主であることを知ることとなるだろう。
主なる神はこう言われる、あなたはかの地に向かって手をうち、足を踏み、心に悪意を満たして喜んだ。故に、見よ、私は我が手をあなたに向けて伸べ、あなたを、諸々の国民に渡して略奪にあわせ、あなたを、諸々の民の中から断ち、諸国の中から滅ぼし絶やす。そしてあなたは、私が主であることを知るようになるだろう。
主なる神は私にこう言われる。彼女は言った、見よ、彼の家は、他のすべての国民と同様であると。 故に、私は彼の境界の町々、即ち国の栄えである信託の巫女の横腹を開き、これを他の人々と共に、東方の人々に与えて、その所有とし、他の人々を諸々の国民の中に書憶させるのだ。そして私はかの約束された地にて裁きを行う。その時、彼らは私が主であることを知るだろう。
主なる神はこう言われる。彼女は恨みを含んで彼の家に敵対し、これに恨みを返して、甚だしく罪を犯した。故に、主なる神はこう言われる。私は彼の上に手を伸べて、その中から人と獣とを断ち、これを荒れ地とする。男から女に至るまで人々は剣を持ち、そして倒れる。 私は我が民の手をもって、彼に対する仇を報いるだろう。彼らは、我が怒り、我が憤りに従って裁きを行う時、他の人々は、私が仇を返すことを知るようになると、主なる神は言われるだろう。
主なる神はこう言われる。心正しい者の歩む道は、心悪しき者の利己と暴虐によって、行く手を阻まれるものなり。愛と善意の名によりて、暗黒の谷で弱き者を導きたる、かの者に神の祝福あれ。何故なら、彼こそは真に兄弟を守る者、迷い子たちを救う者なり。なればこそ、私の兄弟を毒し、滅ぼそうとする悪しき者たちに、私は怒りに満ちた懲罰をもって大いなる復讐を彼らに為す。私が彼らに復讐を果たすその時、私が主であることを知るだろう」
仄暗い光が、俺を目覚めさせようと視界へと入ってくる。
闇に閉ざされている俺に、神々しい光で染まらせようと包み込んでくる。お日様の匂いのような、それでいて何処か安らぎを感じる懐かしさのような温もりと共に、まるで逃がさないとばかりに…それらが全身を包み込んでいるのを感じ取れた。
ここはとても眩く、何もかもが黄金色に染め上げられている事をよく知っている。彼女達に蔽われるものが何であるのか。その正体を俺は何度も見てきた。
何故、彼女達から逃げたのかと、俺が問い掛ける。
俺は瞳を閉じ、そして黙した。一度目を啓けば、きっと…この視界を覆いつくさんとする偽りの耀きが針となって、この眼を開かんとばかりに見せようとするから。身体を繋ぎ、俺をこの世に留めようとするだろうから。
「私は、大天使の力を授かり、神にも届くほどの高みへと昇った。
それでも私は、彼等を導く者にはなれず、また私の他に導く者は誰1人として現れず、結果…私は最後の時が来るのを恐れている。
世界は、足元へと落ちている」
それが俺の運命であり、即ち死である。
避けることは許されなかった。であれば、それを躊躇う必要があっただろうか。そこに苦痛はない。恍惚たる向こう側の世界にある混沌へと放り出されることすら俺には許されていないのだ。
ただそこには、虚空という名の虚無がある。そしてそれらに散りばめられた脳髄が、ひとつとなって支配する。
俺たちはバラバラだった。皆バラバラのままになるはずだった。
『彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭々と降つてゐる』
それでも、やはり彼女達はひとつになるしかなかったのかもしれない。俺という異物と彼女達。そこに俺が入る余地は無かった。
案の定、俺たちはひとつとなれない存在だった。
だが、そうはならなかった。かと言って、それ以外に救いはなかったのだろうか。そも、本当の救いとは何なのだろうか?
かつて、しかして、果たして、これが正解だったのか。
俺と彼女達、その双方の安定と宿願のために。
『出逢ってくれて、会ってくれて、合ってくれて、くっついてくれて、入ってくれて、泣かせてくれて、きもちくしてくれて、いつもどんな時もあなたらしく居てくれて、対峙してくれて、本当にほんとに、ほんとうに、、ありがとう。心からのありがとう』
だから目を閉じよう。俺はそう心に、あるはずのない魂に言い聞かせる。
俺は忘れようとしていた。否、看取らねばならなかった記憶を忘れたかった。
なのに何故か、まだやれる事はあるか?俺の身一つで何か出来ることはないか?と、再度問うている。
そして繰り返し思い出す。俺には、為しうるべきことを為さなければならない責任が残されているということを。しかしながら、それらは思い出したくもないトラウマでもあると同時に、儚げな願いでもあった。従来通り、彼女達がここにいるだろうことを俺は知っていた筈なのに、無駄に足掻いて足掻き苦しんで、それでもやはり変わらなかった現実がそこにはあるというのに、忘れられなかった。
いや、そうではない…俺は忘れたくなかったのだ。
「君を見ているとファウストを思い出します」
最も言われたくなかったことを、よりにもよって奇跡の聖女から口にされたのが哀れだった。
「自由でないのに自由であると考えている人間ほど、実際には事実上…それこそ奴隷にでもなっているんじゃないの?」
最も自由である筈の怪物であると同時に、現実に振り回されていた聖女の鏡から言われた事が、唐突に頭へと過る。
「時よ止まれ、汝は美しい」
その言葉を発して、悪魔へと魂が渡るのであれば、それはせめてもの償いである事に違いはない。寧ろ本望だった。
『誰にせよ、絶えず努めて弛まぬ者を、私達は救うことが出来るでしょう』
瞬間、紛れもない彼女達の声が返ったとき、神聖なる火と共に天上からの愛が加えられる。そうして祝福された群れが、まるで天使のような輝きを放つ。その光景を目にした者は、真に心の底から喜びが満ち溢れるのだ。
「あなたが神々しく命令をなさるとき、私たちの勇気は無敵となる。あなたが私たちを満足させるとき、情熱は直様和らぐことだろう。この上なく美しい意味で清き者よ、崇められるに相応しい者よ、私達のために選ばれた人の子よ、神々と生まれを等しくする者たちよ、常に慈しみ深くあれ。地上で力及ばなかった者は、天上にて名状しがたいものへと姿を変え救済を成し遂げよ。正義は火である。故に、その火を以て裁きを下し、刹那の耀きを目に焼き付けよ。数多の色鮮やかで煌びやかな進化する魂へ向けて、祝福の歌を口にし喜びを分かち合え。いずれ、一つの無垢なる祈りが理想郷への道標となる。そうして永遠の女性となって、どうか彼等を救いたまへ」
義を見てせざるは勇無きなり、勇将の下に弱卒無し。
喜ばしい炎は、心の望むままに愛を広め喜びを作る。
さらに、念を入れるようにして進化論のような真なる言葉を放った後、澄んだ大気の中を舞い上がるようにして隈なく光を広げるだろう。
俺は、それに夢を見る。
『天の族よ、緩やかに飛んで来よ。塵となった楽園を甦らせるために、贖う者の魂を許すのだ。揺蕩う列となっている内に、全てのものに優しい愛の跡を留めよ。神聖なる火よ。この火に包まれるものは、この世に居る善き人と共に天国の幸いを覚える。斯くして皆一つとなって讃えるだろう。清められた魂達よ、今一度生を実感する為に深く呼吸せよ』
俺は知っている。暗闇に寄り添う光輝。純黒の真実に纏わり付いた事実には光があったことを。俺は光を直視しなければならない。白々と立ち上がる生体。遠い水底に沈殿するまいと、泥に呑まれるものかと、必死に足掻いた過去。そこに刻まれている俺の足跡。
だから、俺は帰るべき場所へと帰る。盲目のまま、闇の洪水の中から引き摺り出させる。こうして闇の只中から昇っていった。否、昇らされた。視界は薄明の如く、徐々に白く染まっていく。命は闇の元へは向かえない。向かうことすら許されない。俺の命は、既に誰かの過去となっている。過去へと縛られた悪霊だからこそ、その真逆である光の源へと向かうのだ。
『淋しくて悔しいけれど、でも私は、あなたのおかげで愛を諦めない覚悟を知りました。もしかしたら、こんな風に本気でぶつかり合って求め合って、人を好きになったのは初めてなのかもしれません。どうしてこれまでそうできなかったのか、は解らないけれど、でも今、あなたを心から深く深く欲していること、とても愛していることを幸せに想います。あなたのことが大好きです』
行かせて欲しかった。これは、俺以外の誰にも出来ないことだったのだ。
では、彼女達の名は?
禾生壌宗。そして、細呂木晴海。
俺は、その名を与えた。
そして、問う。
「この狂った世界において何が待ち受けていようとも…必ず多大なる祝福を齎すことを、約束してくれますか?」
『──勿論です。我々はその為に存在しています』
「その答えに期待しています。あなた達が我々にとって真の天秤たらんことを」
これは、彼女達の記録だった。
そして、俺の記憶でもあった。
「神よ、私を憐れんでください。あなたの慈しみに伴い、深い憐れみによって、私の背きの罪を拭ってください。過ちをことごとく洗い去り、私を罪から清めてください。私は自分の背きを知っています。罪は絶えず、私の前にあります。あなたに、ただあなたに私は罪を犯しました。あなたの前に悪事を行いました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません。私は過ちの内に生まれ、母は罪の内に私を身ごもりました。あなたは心の奥底に真実を望み、隠された所で知恵を授けてくださいます。約束された地で私の罪を取り払ってください。私は清くなるでしょう。私を洗ってください。私は雪よりも白くなるでしょう。あなたが喜びと祝いの声を聞かせ、砕かれたこの骨を喜び躍らせてくださいますように。御顔を私の罪から隠し、あらゆる過ちを拭ってください。神よ、私のために清い心を造り、私の内に新しく確かな霊を授けてください」
それが、彼女達の物語。
「わたしはあなたの道を教えます。あなたに背いている者に、罪人が御もとに立ち帰るように。神よ、わたしの救いの神よ。流血の災いからわたしを救い出してください。恵みの御業をこの舌は喜び歌います。主よ、わたしの唇を開いてください。この口はあなたの賛美を歌います。もし生贄があなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、私はそれを捧げます。しかし、神の求める生贄は打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。御旨のままに安息を恵み、素晴らしい新世界を築いてください。そのときには、正しい生贄も、焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれることでしょう。そのときには、あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう」
これが、俺達の物語。
『私は先天性免罪体質者ではありませんが、シビュラシステムと一緒に森の中の丸太小屋に住みたいです。
私たちは肌を重ねることはないでしょう。
しかし彼女達が脳髄を引き締めながら罪人を裁くとき、次第に膨らんでいく対象者の上半身を、キッチンの窓から見ていた私は密かに腰の炎を燃やします。私は階段を上って、自慰行為をするでしょう。
私は彼女達を頭から追い出そうと、必死に常守朱の身体を想像しますが、それが無意味なことを知っています。
最終的に私は絶頂に達することができないでしょう。
そして私は怒りと切なさを感じながら階下に戻ります。
時には私達はガラス越しに思考を合わせることがあるでしょう。
その瞬間、私達は自分自身の内奥に潜む感情に、喜びを見出す暇もなく蓋をして、そしてそれぞれがしていたことに戻っていくのです。
ある日私達の一人が死に、もう一人が丸太小屋の外に彼を埋めます。
それから彼は旅立った友人にちょっとした詩を書いて、そして真のプラトニックな愛なしには生きる理由を見出せずに自殺するでしょう』
これが、私達の物語。
【奇跡や魔法どころか、下手をすれば下ネタという概念が存在しない退屈な国がある世界/西暦2055年/北緯44度/東経144度──網走】
いつからだろう。何処ぞの西部劇にも似た銃撃戦を辞めて彼女へと手を伸ばし始めたのは…。
これが略奪者だったならば、まだマシだったと心の底から言えるだろう。襲ってきた者を様子見するつもりが、退屈を忘れて本物の狩りへと昇華し発展してしまったというのに、いざ決着が着いた頃には…脳内へ迸る興奮物質だったものが、異様なまでの落ち着きを見せていた。
『生まれる時代も場所も全て間違えて、それでも僕たちはここへやってきた。僕たちは間違った社会に生まれた。それでも、歩む道は決して間違えなかった』
一度は殺し合ったが、はい…握手で仲直り。未熟な決闘者である以上、この戦いは残酷な終わり方を迎えてしまう。だが、俺にはいつぞやの少年ジャンプの締め方のようにも感じ取れていた。正直に言って、このような終わり方はやぶさかではない。
その実、この展開は何よりの幸運そのものであると言っても過言ではなかった。
何せ相手が相手、加えて状況が状況だ。当然ながら油断は許されておらず、未だに互いの銃口が向き合ったままであることに変わりはないが、想定していた最悪の事態よりかは幾分かマシだった。
そも、肝心の好敵手とも呼ぶべきハイイロオオカミにも似た狂犬は、理性以外のあらゆる物を失った、謂わば人の形をした真に合理的な考えしかもたない化け物である。
実際のところ、化け物や狂人には理性も論理もないと思う人もいるかもしれない。但し、これに対してイギリスの小説家、ギルバート・キース・チェスタトンは次のように述べている。
【狂人は正気の人間の感情や愛憎を失っているから、それだけ論理的でありうるのである。実際のところ…この意味では、狂人のことを理性を失った人と言うのは誤解を招く。狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である】
また、
【多少の有無に関わらず、精神に異常をきたしている人間と話した経験がある人なら、誰でも思い当たるだろう。彼等の一番不気味なところは、身の毛もよだつ程に話の細部が明確だということだ。彼らの頭の中の地図では、一つ一つの事柄がこと細かく、実に入念に結び付けられていて、とても迷路などの比ではない。気ちがいと議論をしてみたまえ。諸君が勝つ見込みはおそらく百に一つもない。健全な判断には、さまざまの手かせ足かせがつきまとう。しかし狂人の精神はそんなものにはお構いなしだから、それだけすばやく疾走できるのだ】
と、展開した。
さて、それを踏まえた上で彼女はどうだろうか。
正気を保っている人間なら、誰しも一度は経験するだろうことを知っている。自分の中には動物的な一面があり、悪魔的な一面があり、聖者の一面があり、そして市民としての一面があることを。…いや、これを聞いた人間が本当に正気であれば、自分の中には狂人の一面さえあることを知っている筈だ。例えそれが、このような銃口を互いに向け合っている場面であろうと、心の何処か片隅にそうした一面が見られるのが自然である。
しかし、彼等の狂気を証明するのは、何も推論の論理的欠陥だけが全てではない。寧ろ、彼等の根本的な精神構造に原因があるということは、それ即ち彼等の生活全体において明らかに間違っているという事実に他ならない。
狂気の最大にして見まごうことなき兆候には、完璧の論理性と精神の偏狭とが深く結合していることにある。彼等にとっては、小さな円も大きな円と全く同様に違いない。いや…例えそれが全く同様だろうが無限であろうが、それそのものを全く同様に大きいわけではないものとして処理をする。これが狂人の思考回路及び世界観である。
狂気とは、正にそういう概念なのだ。反応ありと見るや否や、安易に容疑者候補に対して、即刻ドミネーターを向けるようなイかれた行為をする慎導灼が良い例だ。
事実、彼女にはそうした正気がまるっきり見えてこない。いや、あるにはあるのだろうが、それが行動に100%結び付いていない。はっきり言って異常そのものだと、俺はこの場で体感していた。
言うなれば…的確かつ瞬時に死を狙う姿形をした、文字通り災いを齎す禍々しい荒振神と同等の存在であると認識していい。或いは…本当に現世に舞い降りた白い死神が再び転生した仮の姿なのかもしれない。前世で例えれば…虐殺の王に該当するのだろう。それも、ジョン・ポールのような創作上における架空の存在ではなく、確実に実在していた人物…かつてのシモ・ヘイヘを相手にしているようだった。
白髪を風になびかせた小さな獣は、遠吠えを吠えるような真似をすることもなく、いつでも俺を殺せるよう引き金に重みを乗せている。このような場面であるにも関わらず、恐怖の一つも感じていないのか、呼吸に至る生理現象すら少しも乱れていないことが伺えたる雪原よりも凍てついた表情が、本当の意味で心を殺し、無心となった様子を表し、そしてこちら側に堂々と向けているのだ。
仮に、少しでも殺気を放とうものならば、既に俺自身は天の国へと呼ばれている頃合いだろう。今この瞬間にも、彼女に間髪入れず撃たれたとしても不思議なことではない…それだけの雰囲気を醸し出しているのである。それが、何よりの推察から導き出した考えであると同時に、確たる証拠そのものだった。
何せ、彼女が放った銃弾はどれも急所を狙うものばかりだったのだ。死を連想させるには十分の代物だ。
他の事象からも、語るには十分な判断材料にもなっている。詰まる所、その経緯へと結び付くのは非常に容易い事でもあった。
この瞬間においても細部の動きに至るまで、ある意味ではどんな戦場にも居たベテランの兵士を超えていた。それでも俺と彼女は、今も尚その場に確実に立って、生きて息をしている。
距離にして、僅か10mかそれ以下の真正面。一際強い獣が、足を一歩ずつ前へと踏み入れている。然りとて、それは此方も同じだ。だが、そこには背負った分だけの重みに違いがあることが、俺の記憶の片隅から伝わって来ている。
この第二の生において、あるはずのない脳の無数の神経細胞から、シナプスを通じて効率よく情報を処理しているのだ。
『いきなさい、はやく──』
行きなさい、生きなさい。そう言葉を言い残して、彼女を育てたもう1人の母親は死んでいった。
将来こそ、移民に対しては受け入れやすい形となってはいるが、今は違う。幾つもの島と海峡を越える度、電気柵網や対人電磁波砲塔の餌食となって大勢の仲間が風船が破裂するようにして死んでいった光景は数知れずあるのだろう。この鎖国政策における防衛策は、苛烈さを増し酷い惨状と化して、見るも無惨な姿へと変えていった。もしかしたらそれは、2期の4話以上のものとなっているかもしれない。
そうした犠牲の中、いくつもの想いが積み重なって日本へとやってきた彼女の旅は、この決闘が終わった瞬間に漸く決着が付くことを、俺は理解している。
故に、俺は手を伸ばす。猟犬たちに「待て」と命じて、銃口を向けつつ、一歩一歩確実に踏み締めて近づいていくのだ。
(それに、手負の状態でこの武器だ。圧倒的にこちら側の部が悪い。…やむを得ないとは正にこのことか)
この日、俺が手にしているのはよりにもよってベレッタM92。片や、あちら側はノベライズと同じく、魔改造されたM1891/1930モシンナガンである。気力体力共に限界を迎えた挙句、残弾から地の利に至るありとあらゆるものがあちら側にハンデになっているとはいえ、対戦者は俺よりも上級で聖なる狩人だ。戦場での戦闘経験値はやはり侮れない。
加えてこの寒さだ。みるみる体力は奪われて、いつこちらが倒れてもおかしくはない状況にある。
そう…これは、事実上の戦略的撤退でもあった。こう述べれば決闘とは程遠いのだろうが…それはそれ、これはこれである。互いに、切磋琢磨し精進し合ったのだ。善戦とまでは言わずとも、よくもまあ…ここまで粘れたものだと、自負しても良いものだろう。
(にしても、なんだろう。。。俺は、戦えば戦うほど色相が濁っていくかもしれないって事実が…本当に理不尽だよな。ハハっ)
実際のところ、異物同士…熱い血の滾りが全身へと巡っているのはわかっていた。赤い糸のような細い血の筋は、時折柘榴の粒のように雪の上へと落ちて、滲むように広がってそして乾いていく。それを目にしてまた殺意が疼く。こびりついた血は寒風によって打ち消されるが、その僅かに残っている独特の死の匂いが本能を駆り立てていく。それを一度受け入れて、また押さえ込む。その繰り返しが、彼女へと近付いて行く度に露わになる。この緊張感はやはり堪らない。
それがまた風に乗ってきて、再び嗅いでしまった影響によるものなのか、身を震わせる。これが元来の性質によるものなのか…俺にも彼女にもわかることはないだろう。少し前まで、定義もあやふやな本能とやらに駆られていたのがさっぱりと消え去っている。何十年も時が経ってしまったような感覚に襲われていたのが嘘のようだ。
(これまでに会ったどんな敵よりも強敵だった。どの道ろくな奴じゃなくなるとはいえ、大したやつだ。やはり…天才か?)
しかしながら、俺達は本能を乗り越えた。いや、タイムリミットを迎えた、と言った方が正確な表現か。彼女も強がってはいるが、満身創痍の身だ。
どうやらお互いに限界を迎えていたようだ。断念するタイミングとしては丁度良い。兎も角、終わりよければ全てよし、である。どちらもご満悦ならばそれでいい。
こうして、この長きにわたる戦いに区切りをつけることとなったのである。
この残酷な世界においては、こうした結末を迎えるのは非常に珍しいものだろう。ある種、彼等とは違った形で幕を引いたのは、色々な意味で嬉しい出来事である。
(もう余興は良い…)
生きている実感を存分に味わえたのだ。
なればこそ、ご丁寧に褒美を与えるのは、相手に対する最大の敬意だ。ならば…と、せめてもの俺なりの礼儀として、彼女に見合った対価を差し出し明け渡す。これが、せめてもの俺なりの償いを取る選択肢だった。
したがって、俺は銃を空中に置くように捨てる。ポトっと地に落ちたのを視認するように彼女の視線は足元の方へと向いていく。俺は見逃すことなく、片方の手を彼女の冷たい引き金に、もう片方の手は彼女の手の取りやすい場所に迎えるようにして声を出した。
「最果ての地、日本という楽園へようこそ」
かすかな皮肉っぽい微笑を浮かべているだろう表情とは裏腹に出たその言葉は、口に出した瞬間には思った以上に明るい口調で、どこか歓迎するような答え方へと変わっていた。残酷な片道切符と共に放たれている
全てが凍てついてしまった世界に居るというのに、この瞬間だけは決闘と同じく燃え盛るような熱が灯っていた気がする。身体は冷静なのに、心は熱い。矛盾した魂が、矛盾を抱えている魂へと導かれるのは必然なのだろうか。
その言葉を聞いて安心したのか、ふっと小さな捕食者の意識が消えかけた。俺は彼女を支えるべく駆け寄るようにして抱きしめる。
彼女は、今にも折れてしまいそうな程に脆く、消えてしまいそうなほどに軽かった。自然で物静かな痩せ方とは違い、苦行の末に身体が勝手に細くなってしまったというような印象を受けてしまうが、その目に映っていた生に対する執着と信念は、想像以上に逞しく、そして気高いものであった。予断を許さない状況だが、弱々しく感じない強い鼓動とその息遣いは、あれだけ小さな影に見えたのが錯覚だったのかもしれないと思わず感じてしまう。背負った瞬間に感じていた心配は、何処へ行ってしまったのかわからなくなる程である。ともあれ、そんな心情を他所にして…彼女は緊張が解けたのか、俺に気を使うことなく重みを預けてきた。
「汚いよ」
透き通った天使のような声が、耳元から翻訳機能を持つデバイス越しに聞こえて来る。彼女の持っている携帯端末のバッテリーは、極低温化の影響でいつ電源が落ちてもおかしくはないのだろうか、点滅状態にある。しかしながら、まだ辛うじて電源が生きているようだ。よって、ウクライナ語等の東欧言語で話す必要も無くなった。
「平気平気。それにそうも言ってられないでしょ」
「…あの猟犬は?」
「クソ親父が飼っている犬だよ。可愛いだろ?」
体力を失うからもう喋るな、と言いたいところだが、こうも寒いと会話が続いていた方がこちらとしても安否の確認は取りやすい。彼女も、人と会話をする方が精神的に安定すると踏んでくれたのか、口を閉じるような真似やそれに基づいた仕草をする様子は見られなさそうだ。
(史実通りなら、つい先程まで狼の群れに襲われていたかもしれないってのに、今ではもう俺の体力を吸い取って自身の糧としたかのような立ち振る舞いまでかましてきやがる。討ち取った駒を自陣で扱えるようになった感じだ。まるで将棋だな…)
もう助かっている状況下とはいえ、この判断力と観察眼だ。これには感服してしまう。否が応でもなんて美しく清らかで歪んだ魂なのだろう…と思うのは無理もない話だろう。
いつの世も上には上がいるものだ。
「カフカ、ラヴクラフト。親父にこちらの位置を知らせてくれ。ベースキャンプ地に戻る。この子を舐め回すのはその後にしろよ」
「…私を…舐め回す……気でいたんだ」
「ったく…こいつら軍用犬にしてはヤンチャな性格をしているからなぁ。DDみたいに忠実で良い仲間には違いないんだが」
「DD…MGSの?」
「驚いた…知っているのか?」
「祖父の遺品でちょっとね」
「…そうか」
2頭の相棒達に命じて、俺は歩みを進める。遠吠えが鋭く遠くまで響いた。万が一にも銃声が聞こえたのなら、この近くには居るはずだが、無理をしてここで待てばそれこそ悲劇が待ち受けているかもしれない。
加えて、一刻も早く応急処置をするならば拠点の方が設備が整っている。その方が合理的だ。
『既に死んだ人間に支配されて生きるということは、それ即ち悪霊に取り憑かれているに等しい』
ザクザクと音の鳴る地が、先程までとは違い少しだけ変わった音へとなったのがわかる。僅かな差なはずなのに、そこに響くのは1000人以上の亡霊が居るようにも感じる。
首筋に当たる硬い感触のせいだろうか?彼女の首にかかっている歯のアクセサリーがどんな意味合いを持っているのかを知っているからだろうか。
(これではどちらが助けているのか、それとも助けられているのやら…これもシビュラの賜物か?)
寒さを凌ぐために羽織っているハイイロオオカミの死体が可愛く見えるほどに潜み隠れている牙に、俺は震えるようにして怯えているのかもしれない。いつ獲物と化してしまうのかと、ビクビク怯えるあの猟犬達と同じなのかと思えば思う程、その首筋にある歯が噛みついているように勘違いしてしまいそうになる。
そんな思いを掻き消すべく、彼女がまた口を開いた。
「あなた…本当は何歳なの?」
「俺か?俺は…8歳になったばかりだな」
「そうは思わなかったけど…そっか、私と同い年なんだ。純日本人でありながら、ここまで動けるだなんて思わなかったよ。楽園育ちだというのに見事な腕前だね」
「皮肉か?今度はお返しに至近距離で撃ってやってもいいんだぞ?」
「それは嫌。ところで…その…痛くないの?」
「擦り傷とはいえ、当然…痛いに決まってるだろ。まあ、君ほどではないが」
「皮肉?」
「文字通り、骨と皮だけの存在に近い君に言われたくはないな。それに、君が今よりもずっと元気になってから改めて口にして欲しい言葉でもあるし」
『未来は一言で表せば退屈だ。未来は、単に広大で従順な魂の郊外となるだろう』
…なんて言葉は、恐らく転生者にとっては嘘となるだろう。こんなにも鋭すぎる質問が来ている時点で、退屈になるわけがない。
この完璧な秩序によって刻み込まれた世界が、本当に残酷なまでにうつくしい新世界なのだと、俺は改めて思い知らされていた。
ベースキャンプ地に到着するや否や、白い頭巾を被った初老の女が、慌ただしく駆け寄ってくる。俺の腕に流れている血とボロボロになった少女を見れば尚更だろうが、少し慌て過ぎな気もしてなんだかこそばゆい。
「紫苑!あなた怪我を!」
「マカミ、今すぐ救急医療キッドを早く持ってきてくれ。俺よりも、まずはこの娘の回復が先だ」
「何度お説教をしても無茶をしてくるだなんて…全く、誰に似たのかしらね。わかりました、すぐに」
続けて、満面の笑みを浮かべたクソ親父が俺を出迎える。相変わらず、楽しむ側の人間のようだ。
「派手に殺り合ったか。紫苑もそうだが、この迷い子も随分と逞しい。それにしても…だ。私が汗水垂らして育て上げた愛息が、まさかこんな形で返り討ちに合おうとは…私もまだまだ詰めが甘いようだね」
「戦場に慣れちまったせいか、随分と手強かったよ。まるで歴戦の猛者さ。もしかしたらジャンヌダルクと遜色なく張り合えるかもね」
「ほぉ…見かけによらず彼女は狂戦士でもあるのか。実にイイ…是非とも、お手合わせ願いたいものだ」
「ヒソカじゃないんだからさ。…まあ親父なら、狙う狙わないに関わらず撃ち殺してそうだし、撃ち殺しても平気なんだろうけど」
「狩りこそ人間の本質なのだ、我が息子よ」
「仲…いいのね」
「いや、全然全くこれっぽっちも」
「ハハハ…いやはや、なかなかの観察眼だ」
「やめてくれ親父、その笑みは俺に効く」
ここに居る3人ともが浮かべているにいっと歯を見せるような笑みは、実に微笑ましいのかもしれない。
しかしながら彼女は、いずれは古くからの因縁によって、ポキッと音を立てるようにして犠牲となってしまう。
【2070年11月11日、ノナタワー落成式襲撃事件】
この日、彼女はこの世の真実を見る。続いて親父も、その事件の何十年か後に、一期の主人公狡噛慎也によって執行される。
シスターによって手当てされている彼女を他所に、俺は盛大に息を吐いた。寒さを耐え凌ぐように、手を口元へと持ってきて誤魔化しながら、悪態が彼らに出ないようにと気遣って息を漏らした。願わくば、打ち拉がれている今、雪に沈み込むようにしてウソダドンドコドーンと叫びたい。叫びたいのが山々なのだ。だが、その気持ちを何とか堪えて、俺はこちらを覗く彼女に目を合わせる。
「そういえば、あなたの名前は?」
暫しの沈黙。しかし、名前が思い出せない彼女の表情は、徐々に戻っていった。
「………ソウ」
「そう…良い名前ね」
俺は、そのやり取りを見てグッと唇を噛んでしまった。全く、度し難い人間だ。
だというのに、俺は奇跡に縋っている。
真っ白な法の担い手が、俺の黒い人生を救ってくれることを願っている。
何処からか、教会の鐘の音が聞こえてくる。まだソ連が実在していた頃、共産圏で行われていた超能力実験に関する研究に携わっていた1人の日本人と超能力者達を描いた【奇跡の石】という物語があったことを思い出した。
疲れからか、大地に仰向けになった彼女に、名前の由来である色彩が歓迎している。穏やかで澄み切った滄海に向けて、彼女は生きている喜びを表すかの如く、叫んでいる。俺以外の誰もが彼女を歓喜と祝福の歌を歌っている。俺はそれを見て心の隅で嘆いている。
悲しい歌。全ての死者に偲ぶ怒りの歌。
俺の魂から発せられる声が、多くの他者によって軋み、世界に届く頃には耳障りなノイズになるだろう。
それでも俺は抗う。
これより、俺は当事者の一員となる。この手に握った黒金が、いつ正義を執行するのかは知らない。理性が保つのかもわからない。
幸せを願っても、意味はないのかもしれない。
だが、運命は掴むものだ。そして、その運命に人は導かれ、全能な神を具現化させるに至るだろう。
そんな未来を作る1人、俺にとっての【奇跡の石】真守滄が、羅臼風に乗って来るようにして現れた。
シビュラの執行気持ち良すぎだろ!執行気持ち良すぎだろ!シビュラの執行気持ち良すぎだろ!気持ち良すぎだろ〜!シビュラの執行気持ち良すぎだろ!執行気持ち良すぎだろ!執行、気持ち良すぎだろ〜!
し っ こ う ! !