偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil.   作:加賀アスナ

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◆◆第1話◆◆
第1話


 曖昧な空間の狭間に八雲紫の屋敷はある。境界を操り作り出されたこの空間へは紫のみが出入りの権限を持つ。

 かつての事である。

 外の世界の打ち捨てられた無人の西洋館を境界の狭間へ引き摺り込み我が家としたのだ。内装は後でいくらでも調達できるし屋敷の管理は己の式神である八雲藍に行わせればいい。細々とした雑事はさらに藍の式神である橙が行う。

 屋敷での暮らしには何の不満もない。欲しいものは境界を操り拝借してくればいい。人間の魔法使いである霧雨魔理沙がいう所の一生借りているだけだ。そうした結果、西洋館に相応しい豪華絢爛で瀟洒な内装になったのである。見る者が見れば霧の湖の畔にある紅魔館に負けず劣らずの館であるというだろう。

 八雲紫は幻想郷を愛している。これほど面白く美しく悲しく残酷な世界などあろうはずがない。手ずから作り上げた究極の箱庭だ。この素敵な世界は二重の結界に守られている。一つは博麗大結界と呼ばれる比較的新しい結界。もう一つが紫が考案し展開した幻と実体の境界である。これらを超える事は通常では難しい。強力な大妖怪、神々が行き来するのがやっとのものだ。古くは吸血鬼異変で訪れたレミリア・スカーレット、比較的最近では妖怪の山へ越してきた外の世界の神、八坂神奈子、同じく外の世界の化け狸の頭領、二ツ岩マミゾウらが該当する。

 またこれは幻想郷の生命線でもある。

 結界を緩める事は非常に危険であり博麗の巫女には口酸っぱく言い含めてある。

 もしこれがなんらかの要因で結界の要所となっている博麗神社に異常が起きたとするなら、それは幻想郷に対しての重大な問題が生じる事に他ならない。

 それを引き起こした馬鹿が今でも腸が煮えくり返る比那名居天子である。退屈だ、という理由で神社を倒壊させた者は八雲紫の記憶には存在しない。幻想郷史上初ではなかったか。天界へ追い返したはいいが、今でも地上へ降りてきているらしい。その時は輝針城をねぐらにしているとか。どの道、碌な理由で地上に降りてきている訳ではあるまい。

 厳重な二重結界によって外の世界から守られた幻想郷ではあるが内部で問題がないわけではない。

 件の吸血鬼異変を機に導入された解決手段がスペルカードルールである。ありとあらゆる存在を対等に並べ、幻想郷を内部から破壊するような力を制御して対決する方法なのだ。対等であるがゆえに敗れた際は勝者の言い分が通る事になる。

 これにより妖怪は異変を起こしやすくなり人間から恐怖と畏怖を得られやすくなり、逆に人間は異変の解決に乗り出しやすい環境になった。このルールを弾幕勝負と呼び、異変解決手段とは別に遊技として扱う者がいるのが一つの問題点ではあるが。

 紫はゆったりとソファから身を起こしてほんの僅かな切れ目を目の前の何もない空間に作る。これこそが彼女の境界を操る力である。

 その切れ目は室内の景色とは違う世界が広がっていた。

 太陽の日差しが容赦なく照り付ける参道を箒で掃除している博麗霊夢の姿。拝殿の入口に腰を下ろしている霧雨魔理沙とアリス・マーガトロイドが見える。もくもくと掃除をする霊夢を尻目に魔理沙とアリスは魔法談義に熱中しているようだ。

 社務所の方では伊吹萃香と高麗野あうんが寝こけている。

 神社の地下にはクラウンピースが入居しており光の三妖精やチルノたちと交友関係を築いていると聞いた。地獄の女神ヘカーティア・ラピスラズリが何を考えて幻想郷にクラウンピースを寄越したのかは分かり兼ねるが何らかの思惑があるのは間違いないだろう。

 紫が切れ目を通して見ていると切れ目に視線を向けている霊夢と目が合う。仏頂面をさらに胡散臭いものでも見たような表情へ変える霊夢はそれでも黙って掃除を続けている。

 

「全く、可愛げのない事」

 

 ひとり呟いて紫は切れ目を閉じる。そして別の切れ目を作った。博麗神社とは趣の異なるそれは幻想郷のもう一つ神社。

 妖怪の山の噴火口の跡地に広がる湖、その湖を挟んで二社四宮が鎮座している。社殿の四隅に柱が建てられており――――確か御柱と言ったかしら――――独特の威容を醸し出している。

 二社四宮の内の一つ、上社本宮の拝殿前に祭神の一人、八坂神奈子と妖怪の山の天狗の長、天魔が何やら話している。天魔の背後には御付きの鴉天狗が控えている。

 

「この猛暑で沢の水が減るばかりで河童たちは困っており、また我々天狗も、暑さにやられて立ち枯れする草木の多くにどうしたものか、と頭を悩ませている次第なのですよ、八坂様。それで計画降雨を増やしてもらいたいのです」

「そうね。にとり達には私も世話になっているし、新しい発注もしてるからどうにかしてあげたいのだけどね。私としては構わないけれど、天魔。回数を増やすのなら博麗の、いえ八雲紫に頼んだ方が早いか……紫の許可が必要になるわ」

「確かにそうでしたね。紫様を探すとなると藍殿、いや橙を探しましょう。飯綱丸に命じて鴉天狗たちに橙を探してもらいます。大体この妖怪の山にいますから」

 

 天魔が御付きの鴉天狗へ命令を出そうとする。紫の式神である藍のそのまた式神が橙である。境界の狭間に居を構えており神出鬼没の紫に渡りをつけるなら式神である橙を探すのが近道というわけである。

 だが神奈子がそれを遮った。

 

「その必要はなさそうよ。紫、覗き見は貴方の十八番だけれどちょうどいい時だったわ」

 

 神奈子の視線が紫の切れ目に向けられる。いつから気付いていたのか、それとも最初から気取られていたのか。仕方なく紫は切れ目を大幅に開いた。そこには上半身程が覗ける大きさの切れ目が出来ていた。

 

「話は聞いていたのよね? この猛暑で山の水不足が深刻な状態でね、計画降雨の回数を増やしたいのだけど、どう?」

「そうねぇ」

 

 紫は持った扇子を開き口元を隠した。

 計画降雨とはその名の通り計画的に雨を降らせること、なのだが、それを行える人物というのが目の前の八坂神奈子である。

 外の世界からやってきた神様でありその力は幻想郷の中でも脅威と言えるものだ。そもそも自由自在に雨を降らせるという事は天候を左右できるという事でもある。天候を左右できるのなら万年冬にすることも可能である。そんな力を気の赴くままに使われては堪らない。外の世界の何処で幻想郷に関して知ったのかは知らないが地力で博麗大結界を超えてきた者でもあるのだ。故に八雲紫は幻想郷の結界を管理している者として八坂神奈子ともう一人の祭神、洩矢諏訪子にいくつかの制限を掛けている。無論制限の限度を超えれば処罰が下される。もっとも重い処罰は幻想郷からの永久追放である。

 神は生死の概念がない存在だ。在るか、無いかだけと言っていい。それは信仰を通して己の存在を確立している故だ。

 であるならば幻想郷からの永久追放とは信仰を無にするという意味になる。

 そこで紫は大がかりな神徳をもたらす力を使用する際には事前に申請するよう二柱の神と契約したのだ。いわば紫は幻想郷という社会の顔役であり移住者との手続きを行ったに過ぎない。

 その顔合わせの時から、紫は神奈子と呼び、神奈子は紫と呼ぶようになったのだ。

 この計画降雨もその神徳の一つにあたる。一日の間に強制的に雨を降らせる回数、時間を決めて降らしているのだ。八坂神奈子は山の神ではあるが風雨の神の側面もあり、また軍神でもあり、そして五穀豊穣まで司っている。齎される神徳も武運や子孫繁栄、狩猟の守護など多岐にわたる。

 計画降雨では風雨の神の力を十全に発揮していると言えよう。

 天魔のいう水不足は確かに深刻な状態になりつつある。妖怪の山から流れ出る川は霧の湖に流れ込む。湖は妖精や小妖怪たちの憩いの場でもあり、単純に生活用水としての機能もある。

 水不足はいずれ各地域での弊害を生み出すだろう。

 

「いいでしょう。神奈子、今より一日最大三回まで計画降雨を認めるわ。時間は一回の降雨で二時間までよ。あ、あと雷はやめてね。うるさいから。天魔、後で藍に契約変更の書類を届けさせるから。よろしくね」

「分かりました。計画降雨のこと、感謝します紫様」

「いいのよ。じゃあね」

 

 紫は切れ目を閉じた。

 なかなかに山の神様は信仰を集めているようだ。妖怪に頼られるまでになるとはうまく信頼関係を築いているらしい。

 それに比べて博麗の巫女はどうしたものか。尻を叩いて稽古をつけているものの積極性に欠ける。確か博麗神社にも守矢の分社があった筈だ。お陰で博麗神社にも多少なりとも参拝客が増えたらしいが。

 また新たに切れ目を作る。

 竹が風に揺れる音がする。その中で焦げた臭いが鼻をつく。

 そう思っているとやけに楽しそうな声が耳に届く。

 

「あはははははッ! 楽しいわ、楽しいわ、とってもとっても楽しいわ!」

「黙れよ。いちいち癇に障る奴だ」

 

 永遠亭の姫君こと、蓬莱山輝夜と竹林に住んでいる藤原妹紅が殺し合いをしていた。互いに蓬莱の薬を服用した不老不死。

 輝夜の胸は既に穿たれている。妹紅は左腕があらぬ方向へ螺子くれて真っ赤な血で染め上げている。それでもこの度の勝利は妹紅に軍配が上がったらしい。

 

「黙って寝てろ」

 

 輝夜が一時的な死を迎えた事で決着がついたようだ。もっとも寸刻すれば復活するだろうが。

 

「くそ。腕が痛ぇな」

 

 それだけ口にすると妹紅は去っていく。

 しばし骸と化していた輝夜を見ると既に穿たれていた胸は元通りになり心臓も動き始めていた。

 

「あーあ負けちゃった。妹紅のくせに、生意気ね」

 

 先ほどまで死んでいたとは思えない軽やかさで身を起こした輝夜は紫の切れ目を見つけて破顔した。

 

「次は貴方が私の相手をしてくれるの?」

「よく見つけたわね? 悟られるとは思わなかったけれど」

「ちょっと私だけの時間を使って探したのよ。だって誰かに負けた所を見られるなんて恥ずかしいじゃない」

 

 殺し合いの中で紫の視線に気づいていたらしい。侮れない姫だ。もっとも紫が警戒しているのは彼女の従者である八意永琳なのだが。

 

「それで、やるの、殺すの、どっちなの?」

「今は間に合ってるのよ。また今度ね」

「全く。つまらないわ」

 

 言いながら興味を失くした輝夜は永遠亭へ歩き出した。

 さてこのまま永遠亭まで覗きを続けるか、否か、逡巡したが今回は諦める事にした。ここで永琳の気を引いても痛くない腹を探られるだけだ。彼女は元月の住人であり神格を持つ。現在は幻想郷側へ引き込んではあるが、果たして幻想郷になんらかの大異変が生じた際に幻想郷の為に動くかどうか。

 不老不死を実現する蓬莱の薬を作る頭脳を持ち合わせ未だに月の民への影響もある。綿月姉妹と稀神サグメとは個人的な繋がりがある様子だ。敵に回すと恐ろしいが味方であると言えぬままでも不穏である。万が一敵として立ち塞がるなら対抗馬を誂えなければならない。

 不老不死の神格持ち。月から天下った際に神としての神性は失ったようだが――――そもそも永遠亭は永琳を祀る社ではない為に神性の喪失は了解済みだったのだろうが――――それでも月の都の建設した賢者としての地力は健在である。

 少なくとも最低限、上位の大妖怪あるいは社殿持ちの神クラスでなければ太刀打ちできまい。自らの力で幻想郷から追い出す事も出来なくはないがそれで月に行かれては厄介な事この上ない。何より力に訴えて排除など美しくない。力で解決したならば知恵が回らなかった証左であると思われるのも癪に障る。

 輝夜の事があるので月へ行く、という選択は限りなく低いとは思うが、現在の月の使者、綿月姉妹なら受け入れる可能性は大いにある。

 純狐とヘカーティアを唆せばちょっかいくらいは掛けてくれるだろうがそれでは紫は楽しくない。

 仮に対抗馬となり得るなら洩矢諏訪子だろうか。

 外の世界の神だが土着の神の頂点に君臨した存在であり信仰地であるなら最高神すらも凌駕する力を持つ。

 最高神という事はアマテラスをも超えうる力を持ち得ていた、という事になる。だがここは幻想郷だ。外の世界の諏訪子の信仰地ではない。妖怪の山を拠点に様々な場所へ分社を置いているがそれでも全盛期とは言えないだろう。

 となるともう一柱である八坂神奈子はどうだろうか。

 紫は神奈子の来歴を知っている。かつてはタケミナカタと呼ばれた事もだ。そして彼女は外の世界では大きく二つの来歴があった。大和の神として洩矢神と戦ったという事、またかつての永琳が属した天上の神々――――アマツカミ達から国を譲れと言われた際に最後まで抵抗した叛逆神であり洩矢の王国まで引き下がり敗北した事。

 もし大和の神として土着神である諏訪子の国を平定したのなら大和の神、すなわちアマツカミ側になる。だがアマツカミと戦い敗北したのなら対立していた地上の神々――――クニツカミ側となる。

 この二つはまるで違うように見えて実は矛盾しないと紫は考える。神奈子はアマツカミ達に敗北し彼女の父であるオオクニヌシが国を譲った際にアマツカミ達へ恭順し大和の神として洩矢の王国へ赴いたからだと推察すれば多少の無理はあろうが筋は通るはずだ。

 洩矢の王国の地でアマツカミ達に敗北したのではなく敗北してから王国へ赴き、その地へ留まる事になった――――アマツカミ達からすれば洩矢の地に縛り付けたのだろうが――――という訳である。

 アマツカミ達が神奈子を敗北に追い込んだ神はアマツカミ側の雷神タケミカヅチである。そしてそのタケミカヅチを送り込んだのがかつてオモイカネと名乗っていた八意永琳だ。

 タケミカヅチとタケミナカタこと神奈子の戦いに於いては一部引っかかる点が紫にはあった。無論敗北したのは事実だろうが、果たして来歴に残されるほどに一敗地に塗れたのか、という点だ。

 神奈子も戦の神だ。その力は洩矢の地であるなら最高神を凌駕する力を持つ諏訪子を下すほどだ。

 洩矢の地で洩矢神を下した事実、これは捨て置けない面白い事実だ。

 土着の神の頂点にしてアマテラスを凌駕する諏訪子を下す実力を持ちながらタケミカヅチに惨敗とは少し考えるだけで誇張表現が過ぎるのでは、と紫は思う。何か隠された事実があるのかもしれないがタケミカヅチ本人に聞く訳にもいかず神奈子もおそらく語らないだろう。となれば同じ賢者であり秘神でもある摩多羅隠岐奈に暴いてもらうか。

 惨敗という表現はおそらく国譲りが成った際にアマツカミ側が誇張し喧伝した、あるいはそれに近い事が行われたと考えるのが自然か。そうでなければ神奈子の父であるオオクニヌシが厳重に封印などされないだろう。あれは叛乱を恐れてのことだ。惨敗させるほどの力の差があれば恐るるに足らないはずだ。いつでも鎮圧できるのだから。そこから導き出される答えとしては神奈子はタケミカヅチとそこそこ戦えていた、のではないかという事だ。

 それを裏付ける理由として国譲りがなった出雲ではなく高千穂へ降臨していること、そしてイワレビコの代になるまで東征が行えなかった事だ。出雲の国譲り――――国譲りと言えば聞こえはいいが国土奉還戦を仕掛けたのはアマツカミでありクニツカミの軍勢を率いた神奈子と壮絶な戦闘があったのかもしれない。勝利を得たとしてもアマツカミの疲弊は相当であったからこそ東征まで時間が掛かったのだと見るのが自然か。

 戦いに絶対はない。時と場合によっては八坂神奈子は八意永琳に届く可能性は多いにある。

 ――――神に肩入れするのも悪くない。

 全てはパワーバランスが肝要なのだ。どこかに偏りが出るのならそれは必ず別の場所に弊害が起きる事を意味する。つまり異変が起こる可能性が高いという事だ。

 切れ目を閉じた紫はまた別の切れ目を作る。

 地霊殿の主である古明地さとりが見える。執務机で仕事をこなしている様子だ。部屋のソファには妹の古明地こいしが寝転がっている。

 旧地獄に位置する地霊殿は漂い蔓延っている怨霊が存在する。また灼熱地獄跡があり未だ管理が必要な状態なのだ。その管理業務を統括しているのが古明地さとりであり、地霊殿の住人が諸々の職務を果たしているのである。

 地上の者から忌み嫌われ、追放された地底においてもその先住民から嫌われているさとり妖怪の彼女だが他者の心を読み、あまつさえ残留思念まで読み取れる力は素晴らしい力であると紫は思う。無論、腹の内を探られるのが好ましくないのは分かる。己とて無断で心を読まれるのはいい気はしない。彼女と対峙する際は表層意識を解体する必要がある。一時的に精神をバラバラに分割し日常生活に最低限用いる意識のみを残すのだ。腹の中の一物を読み取らせない為に紫が自身へ施す精神治療の応用である。

 さとりであってもバラバラになってしまった一物を正しく読み取る事はできない。彼女はバラバラのまま意味不明、理解不能となった紫の思惑の破片を目の当たりにするだけだ。

 

「こんなところを盗み見ても面白くなんかないでしょう」

「――――お姉ちゃん?」

「相変わらず読めない小細工が上手いですね。ですが何度も申し上げますが意識を粉々にすることは負担が掛かりますよ。これは忠告です」

 

 紫の切れ目を見ることなくこの場に紫という第三者が現れた事を察するところ、その実力は侮れない。神霊廟の聖徳王こと、豊聡耳神子がその能力を注視していた筈だ。仙人たる彼女の力も似て非なるものである為、ある種の警戒をしているのだろう。

 

「忠告どうも。けれどさとり。貴方は地霊殿の主ですものね。ここは変わった事はあるかしら?」

「それはどういう?」

「今は幻想郷のあらゆるところを見て回っているのよ。異変の種が蒔かれていないか、それを確認していると言った所ね」

「――――それが本心かどうかは分かり兼ねますが、鵜呑みにしましょう。今のあなたの心を見ても何の意味もないですからね。で、変わった事、というと定期的に山の神がやってくることぐらいですね。お空に勝手な事をした謝罪と分社を置きたいとしつこいぐらいです。こんなところに置いたって効果などある筈もないのに」

「お姉ちゃん。嘘はダメだよ。神奈ちゃん来てちょっとは嬉しいくせに。お姉ちゃんに会いに来てくれるのなんて今は神奈ちゃんくらいじゃない」

「こいしは黙ってなさい。大事な話なの」

 

 小言を吐かれこいしは口を尖らせた。わざとらしく咳払いした

さとりは紫に言った。

 

「ともかく。ここは変わったことなどありません。大体異変とは地上から齎されるものです。こんなところよりもっと見るところがあるのではないですか?」

「そうね。貴方の言う通りだわ。じゃあ失礼するわ」

「ご勝手に」

 

 切れ目を閉じる。

 己の部屋へ戻った事を確認して解体した意識の修復を行う。それが終わったのはおよそ一時間後だった。さとりの言う通り確かにこの意識解体は負担が掛かる。特に脳へのダメージが大きい。一時的な片頭痛が残るのだ。これが治まるまでさらに一時間程かかった。

 

「さとりの相手は疲れるわね。食えない娘だわ」

 

 大きく溜息を吐く。

 そこへ己の式神がやってくる。

 

「紫様、お加減がよろしくないのですか?」

「藍。心配は無用よ。さとり相手ではいつもの事だから」

「ならばいいのですが」

 

 主を心配する八雲藍を尻目に紫は次の切れ目をどこへ作るかを考える。意識を解体していたとはいえ、さとりに答えたのは事実である。幻想郷のあらゆる場所を見て回っている、という事は。

 続けて紫は人間の里、魔法の森を観察した。人の営みは平穏なものでおかしなことは何もない。日々の暮らしを謳歌しているようだ。魔法の森には人影は見えず鬱蒼としている。化け物茸が放つ瘴気がそれに拍車をかけている。この森は住むには適さない環境ではあるが茸の瘴気が魔法使いの魔力を高める効果がある為、あえて森に住居を構える魔法使いもいる。アリス・マーガトロイドと霧雨魔理沙がそうだ。

 一通り見回った後、切れ目を閉じる。

 そろそろ就寝の時間が近くなってきた。紫は最後に友人の屋敷へ切れ目を開く。

 冥界にある妖怪桜、西行妖が聳えるそこに紫の友人、西行寺幽々子の屋敷、白玉楼はある。

 咲かずの桜を望める縁側へ腰かけ幽々子は茶を啜っていた。従者の魂魄妖夢の姿はないようだ。

 紫の姿を認めた幽々子はゆったりとした仕草で頭を下げる。

 

「あら、いらっしゃい紫」

「お邪魔するわよ。妖夢の姿が見えないようだけれど」

「妖夢ちゃんはねぇ、人里にお買い物に行ってもらっているの」

「貴方は変わらないわね」

「そうでしょう?」

 

 噛み合っているのかいないのか、幽々子の調子に合わせつつ、彼女の隣に腰を下ろした。

 

「何か、あったの?」

「いいえ。幻想郷は変わりないわ。ただ――――」

「ただ?」

「変わりがないと、不安になるのね。別に何かがあって欲しいとは思わないけれど」

 

 大きな異変など頻繁に起こっては貰いたくはない。だが変化なき日常はいずれ退化を齎す。不変を否と決めつけはしないが、是と肯定もしない。

 僅かな間を経て幽々子が茶を一啜りしてから口を開いた。

 

「時は流れるものよ。それは私のような存在でも感じるしきっと蓬莱人だって感じるでしょう。でも時は世界そのものにも流れているの。世界の流れのままに、全ては動いているのよ。小石を投げて少しの波紋を起こす事はできるでしょうけど、流れそのものを変える事はできないの。きっと神様だってできない。だから気にしては駄目なの。貴方は私では想像できないくらい考えすぎなのよ」

「――――そう。そうなのかしらね?」

「そうよ。私なんて考える事は妖夢ちゃんが作る今日のご飯はなんだろうって事くらいだもの」

 

 本当は妖夢ちゃんの仕事じゃないんだけど、と幽々子は続ける。魂魄妖夢の本来の役目は幽々子の剣術指南と白玉楼の庭師である。家事を担当する幽霊は別にいるのだが、しかし幽々子に言わせれば妖夢に作らせる食事はとてもおいしいのだという。また妖夢もなんだかんだといいながら作ってくれるからお願いしてしまうのよ、と嬉しそうに言う。

 ああそうだ。幽々子はこういう子だったな、と紫は思い返した。思わせぶりな事を言いつつも結論には落ちがついている。だがそんな幽々子は振り返ればいつも異変の真実へ辿り着くのが早い。己が異変を起こした者の全体図を把握するよりも早く。

 

「ねえ紫。なるようになるわ。そういうふうに世界ってできてるのよ」

 

 うふふ、と笑う彼女を見ていると不安など取るに足らないように思えてくる。なるようになる、確かにそうであろう。けれど少しばかり流れを変えてみたいと思う自分がいるのも確かだ。それはどちらかというと同じ賢者である摩多羅隠岐奈の方が強いが。

 

「貴方に言われればそんな気がしてくるわ、全く。じゃあそろそろ失礼するわよ」

 

 切れ目を閉じていく。

 ――――と。

 幽々子は切れ目に向かって口を開いた。

 

「そうそう。紫、これ貴方へあげるつもりだったの。大事にしてね」

 

 何の脈絡もなく幽々子は懐から小奇麗で花柄の刺繍が洒落ている小さな、巾着袋を紫へ押しつけた。

 

「それ、すごくいいものよ――――だから何が来てもなるようになるし大丈夫よ。それに私には妖夢ちゃんがいるからね。主を助けるのは従者の仕事でしょう?」

「――――え?」

 

 切れ目は閉じた。

 自身の屋敷の部屋へ戻って紫は幽々子の最後の言葉を反芻する。何が来ても、と彼女は言ったのだ。

 何故彼女は最後にそういったのか。何かを知っているのか。

 押しつけられた巾着に目をやる。幽々子らしく可愛らしい巾着だ。その軽さから中身は入ってはなさそうに思える。

 ――――くらり、と。紫を眠気が襲う。

 ソファへ横になりながら紫は言い知れぬ不安が的中した事を確信した。

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