偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil. 作:加賀アスナ
第11話
博麗神社へ帰還した霊夢は妖夢が持っていた神札について紫から説明を受けた。そして魔理沙がおかしくなった悪意に関しても。
神札があれば悪意の中でも行動できるのは分かった。難しい顔をして霊夢は紫へ答える。
「私――――うちの神社の神様って知らないんだけど?」
一瞬の間。
「え?」
「いやほら。紫、アンタさ妖怪退治の修行はやらせるけど巫女業務の修行って全くやらないじゃない。退治用のお札や封魔針は作れるけど神様が宿った神札なんて作れるの?」
紫の頬を汗が一筋流れる。思い返せば確かに巫女業務に関しては教えた覚えがない。
博麗の巫女の役目と本来の神社に勤務する巫女の業務は当然違う。博麗神社を切り盛りしているのは霊夢一人なので本職巫女と神事巫女を兼ねている事になる。そして紫が鍛えるのは博麗の巫女としてなのだ。
「わははははッ。紫、お前の教育も見事なものだな」
腹を抱えて笑う隠岐奈に紫は神経を逆撫でされながらも表情には出さずに冷静に訊ねる。
「霊夢? 貴方、先代から巫女業務の仕方を教わっていた筈よね?」
「妖怪退治や異変解決を主に生業にしてきたのよ? アンタだって教えてくれないし。いちいち業務のやり方なんて覚えてるわけないでしょうが」
紫の冷汗が止まらない。そういえば守矢神社が越して来た時、東風谷早苗が博麗神社は信仰がどうのこうの、と言っていた覚えがある。
それに香霖堂の主人である森近霖之助もまともに仕事をしてないからと苦言を呈していたのを憶えている。
そもそも霊夢が神札や御守りを奉製している姿など見た事がない。自分の神社の祭神も知らないのだ。それはある意味必然と言える。
「そ、それでも巫女でしょう。やれることがあるでしょう!」
「妖怪退治のお札で良ければね? でもそれにうちの神様が宿るとは思えないけど」
「まあ待ちなよ、紫。霊夢、社殿や社務所に先代が作った神札を見た事はないかい?」
「そんなもの、見たような見ないような――――」
首を傾げて考える霊夢に思い当たる節があったのか、顔を上げるとちょっと待ってて、と言い残し奥の部屋へ消えていく。
「やれやれ。霊夢に拘り過ぎたな。博麗の巫女の役目ばかりに固執するからだぞ、紫」
「貴方だって口を出さなかったのだから同罪よ」
「これでは神社に参拝客が来ないのも頷けるというものだ」
うんうん、としたり顔で納得する隠岐奈にますます神経を逆撫でされるがここで顔に出すとそれまた隠岐奈の思う壺なのだ。
しばらくして霊夢が顔を出した。その手には色褪せた神札があった。
「これの事よね?」
差し出された紫はその神札を観察する。これは妖夢が持っていた物とほとんど同じ。手ずから奉製された正真正銘の博麗の神札。紫が持っても分かる神通力。つまり博麗神の分霊が宿っている、本物である。
「これなら奥にいくらかあるわよ。十枚くらいはあったかしら。ほらうちって参拝客ないしね。色褪せてるし、先代以前からあるやつじゃないの、それ。少なくとも私が作ったものじゃないわ」
紫の手にある神札を隣から伸びた手が取る。
「ほう。確かに作られて時間が経っているが本物だね。しかしよく残っていたな、こんなものが」
隠岐奈の手に渡った神札を霊夢が取り返す。
「神社のものだもの。大事にするに決まってるでしょうが。これだから隠れ賢者は。それにこれが欲しかったんじゃないの、アンタ達は。――――それで。妖夢は大丈夫なんでしょうね?」
「あうんが面倒をみているよ。では一体を紫に渡してやってくれ。足止めを食って機嫌が悪いのでね」
霊夢から神札を受け取った紫は礼を言って懐へそれをしまう。これで幻想郷を自由に動ける。
優先して行わなければならない事はいくつかある。藍の術式を掛け直す事、また術式を外した者への報復。それから冥界へ喧嘩を売った幽々子の事。
最優先するべきはやはり幽々子か。そもそも妖夢を送り出してくれたからこそ神札の効力を知れたのだ。
――――と。
鳥居を潜ってくる小さい萃香と魔理沙が近寄ってきた。魔理沙は気を失っているようだが問題は萃香の方だ。顔色が非常に悪い。魔理沙を縁側へ横たえると肩で息をする。
様子がおかしい萃香へ霊夢は声を掛ける。
「萃香、アンタどうしたの?」
「今、永遠亭のお姫さまと戦ってる。悔しいが……強い」
聞くや否や霊夢は立ち上がる。けれどそれに制止が掛けられた。隠岐奈だった。
「霊夢。萃香の事が心配なのはわかるが、君には友人の悪意を祓う仕事があるぞ」
「祈祷でいいならね。でもこの悪意を生み出してる大本は原初の悪神なんでしょ? うちの祭神も知らない私の祈祷で祓えるもんなの?」
「だったら神降ろしをすればいいさ。そうだな、神直毘神ではどうだろう。穢を払い、禍を直す神様だ。かの神の力を借りればいい」
「わかったけど。じゃあ萃香と輝夜はどうするのよ」
「さてね。どうするべきかな。紫、どう思う?」
話を振られた紫はすべき事柄に萃香と輝夜を追加する。しかし現状ではやはり最優先するべきは幽々子と判断を下した。その上で、萃香へ訊ねた。
「萃香。貴方、助けがいる状況かしら?」
返事がない――――と。
「……いや。たった今、輝夜を仕留めた。悪いが輝夜を連れてくる余力はねえ」
それだけ答えると小さい萃香は霧散した。おそらく本体へ合流しに行ったのだろう。
決着がついた事で戦闘の仲裁はしなくてよくなったわけだが萃香は大丈夫なのか、霊夢は紫へ萃香と輝夜の回収を頼もうとしたその時。
妖怪の山の麓上空に紅霧が広がった。あれは十中八九レミリアであろう。
「もうなんだってのよ。次から次へと面倒ごとばかり。紫、萃香と輝夜の回収をお願いするわ。取り敢えずうちの神社へいれば悪意は大丈夫なのよね?」
「ええ。隠岐奈が言うにはね。清浄な領域なのだそうよ」
「まあ待て。回収は構わないが萃香だけにしてもらおう」
隠岐奈の言葉に反射的に霊夢は言い返した。
「何言ってるのよ。あのとんでもお姫様を回収しないと被害は甚大になるわよ」
「わかってないな。永遠亭のお姫様をこの神社へ連れてくるということはな、従者である八意永琳を敵に回すという事を理解しているかい? 悪意が永琳にどう作用するのかは分からないがね。輝夜を博麗の巫女が連れ去ったと捉えられてしまったらどうする? 悪意に染まった彼女は是が非でも取り返しに来るに決まっている。霊夢、永琳と事を構えるつもりなら何も言わないがそうなるとここは戦場になる。避難場所には使えないぞ」
「そうなるとは限らないじゃない」
「では試してみればいいさ。君は親友が豹変した事をもう忘れているみたいだからね。永琳が変わらないという自信があるならやってみればいい。月の賢者だった彼女も今では神性を失っているからね。私のように清浄でいるとは思えないな」
魔理沙の豹変を間近で見ている霊夢としては隠岐奈の主張に反論できるだけの材料が見つからない。それは紫も同じだった。博麗神社へ輝夜を回収したとして永琳が取り返しに来ないとは断定できない。また秘神である隠岐奈がこれだけ警戒しているのだからこの悪意がいかに性質の悪いものであるか推して知るべしである。言葉を失った霊夢に代わり紫は隠岐奈の意見に賛同し境界を開き、神社へ戻り始めていた萃香を回収した。ついでに輝夜に仕留められた藤原妹紅も回収する。
萃香も妹紅も酷い有様だった。萃香は永遠と須臾を操る輝夜に一方的に痛めつけられ血だらけで身体中にガタがきていた。妹紅は心臓だけを丁寧に潰されていた。両方とも一目でスペルカードルールを超えた戦闘を行ったのだと分かる。
回収された萃香は妖夢の手当を終えたあうんと霊夢に手当てを受けた。妹紅は復活を待てば大丈夫だろうが、魔理沙と同じく祓をした方がいい。
安静にしろと言いつけて手当を行っているが萃香はいかにして輝夜に勝ったかを語った。
何度攻撃を仕掛けても一瞬だけ間に合わない、拳一つ分だけ届かない。なのに輝夜の振り被った拳は容赦なく萃香を襲った。強靭な鬼の肉体から出血するほどに。辺り一面は萃香が流した血飛沫が舞い、立ち込める霧と交じって妙に視界が赤い。
一方的な攻撃に終始圧倒され、鬼の萃香と言えど限界を迎えた。その時に萃香は反則の奥の手を使った。もう形振り構ってはいられない状況まで追い込まれていたのだから。萃香は血を流す度に能力で密度を下げて空気そのものと一体化した。それも電子レベルの気配を察知することは不可能な状態で。
すでに辺りは萃香の血臭が漂っており気配を探ったところで分かる筈もない状況になっていた。そこで萃香は反則の技を使ったのだ。そもそもは紅魔館で咲夜と戦った事で気付いたのだが、時間を操れる彼女は能力に含めるものを意識、無意識で決めている。ナイフがいい例だ。では輝夜はどうかというと概ねその点は同じであると萃香は判断した。もし能力が輝夜のみに限定されるなら時間の流れをほぼほぼ止められたものはそこから動く事はできなくなるからだ。動くという事は時間が流れる事だからだ。逆に時間が流れないのなら動く事はできない。零秒では動けないのだ。輝夜も咲夜もそうだが能力を使っている最中も例えば服なんかは着たままである。仮に服の時間も止まっていたり須臾の時間に含まれるなら零秒で固まっている服を着ているとなるとそこから一歩も動けない事になる。だから能力が本人の肉体のみに限定されるなら彼女達は素っ裸でなければ能力の発動中に動けないのだ。しかしそうではない事に気づいた萃香は能力が掛からない部分があると見抜いた。それは言うまでもなく輝夜の体内である。体内では須臾の時間は流れない。故に空気と一体化した萃香は口から体内へ侵入し能力が発動されていない時間を見計らって内側より心臓を破壊して輝夜を仕留めたのである。仮に須臾の時間に輝夜を仕留めたならば須臾の時間のまま絶命する為、能力が解除されない可能性があったからだ。蓬莱人は死んでも復活する。その復活する時間が須臾の時間内では困る。だから萃香は能力が発動していない時間を狙ったのだ。
あとは心臓を破壊した輝夜の体内から脱出して本体と合流し彼女が復活するまでにここからできるだけ離れなければならない。
痛めつけられた体を押して萃香は神社へと歩き出したのである。その道中を紫に回収してもらったのだ。
それが対輝夜戦の顛末だった。鬼である萃香が蓬莱人の輝夜を仕留めた事は大金星だ。輝夜にしてみれば突然心臓が壊れて何が何だかわからないままに死んだのだから。
今度勇儀に会ったら自慢してやるんだ、と萃香は手当をされながら誇らしげに言った。
萃香を介抱しながら隠岐奈と紫の話に耳を傾ける。輝夜と永琳の対処だ。この二人はほぼ同時に攻略し神社へ運んで禊祓をする必要がある。でなければ片方だけなら神社へ乗り込んでくる可能性がある。萃香の様子を見せつけられた霊夢は賢者たちの考えを採用せざるを得ないと思い始めていた。
萃香の手当を終えた所で霊夢は神降ろしを行った。神直毘神を降ろし魔理沙と妹紅に降りかかっている悪意を浄化する。目に見える青黒い邪気のような悪意が二人の体から染み出すように出ていき消滅する。流石は穢を払い禍を直す力を持つ神様である。
一通り手当てと祓を終えた霊夢に隠岐奈が口を開いた。
「さて。一先ずは落ち着いたね。それではこれからどのように動くべきか、話し合おうか。永遠亭の蓬莱山輝夜に八意永琳。紅魔館のレミリア・スカーレット。白玉楼の西行寺幽々子。確実に分かっている異常はこの三つ。我々の体は一つしかないからね。どれから対処するべきかな?」
眉を顰めたのは紫だ。もう一つの懸念、八雲藍を九尾から外した謎の術者。これの対処も入れると四つ。
紫の優先順位で言えば幽々子、術者が優先される。レミリアに至っては紅霧が紅魔館上空だけならそこまで脅威ではない。無論これが幻想郷を覆うほどのものなら最優先事項に引き上げられるが。輝夜と永琳に関しては妹紅や萃香のように戦闘を仕掛けられる可能性が高いが幻想郷そのものを揺るがすような脅威ではない。ただスペルカードルールを超えられると困る。ましてや死人を出してしまうと厄介な状態になる。今回は蓬莱人の妹紅と妖怪の中でも上位種族である鬼の萃香であったからこれで済んでいるのだ。輝夜の能力は厄介だが妹紅や萃香が仕留められる分まだ永琳よりマシ、といった所だろう。永琳と本格的に武力衝突を起こすとなるならそれは幻想郷、引いては月の勢力も巻き込む戦乱を巻き起こしかねない。そうして全てが焦土となった幻想の楽園に残るのは輝夜と永琳と妹紅だけになるだろう。蓬莱人は決して死なぬ不老不死なのだから。だが現状永琳が悪意に落ちたとしても彼女の行動理念を考えると輝夜に関した事になるはずだ。で、あるならば輝夜を拉致監禁でもしない限りは永琳との衝突はまだ起こらないと見るのが正しい。それも遅いか早いかの違いではあるのだが。
――――と。
神社の参道に強烈な光が現れる。空間に浮かんだのは魔法陣である。瞬時に臨戦態勢を取った霊夢たちの前に魔法陣から紫のゆったりとしたドレススカートが現れる。
パチュリー・ノーレッジだった。それに鈴仙・優曇華院・イナバの姿もある。
彼女は魔法陣から抜けると次々現れる紅魔館の面々を後ろにして霊夢へ頭を下げた。
「霊夢。突然の非礼をお詫びするわ。その上で厚かましいお願いなのだけれどしばらく神社に避難させてもらえないかしら?」
「パチュリー!? それにこの数……」
紅魔館に従事する者全てが博麗神社へ現れたのである。一気に大所帯だ。パチュリーはなぜこうなったのかの説明を丁寧に行い、現在紅魔館ではレミリアとフランドールの二人が残り紅霧の中で戦闘を行っていると締めくくった。悪意に関してもある程度の知識を持っていた事で神社へ避難してきたのだ。
素直に隠岐奈は感心し紫も被害という点では紅魔館は吸血鬼姉妹を除き出ていない手際を称賛した。だが根本的な解決になっていない事はパチュリーも弁えており協力は惜しまないという。
神社へ転移が完了した紅魔館の者達の動揺を鎮めて――――何より咲夜を宥めて現状がどうなっているのかをパチュリーと霊夢で説明した。咲夜が取り乱すのは主であるレミリアを一番に考えているからに他ならない。傍で守る事も出来ずにその主に体を張って助けてもらった事に忸怩たる思いがあるのだろう。
状況を飲み込めた咲夜の変わりようは早かった。ここで嘆いていても始まらないと思ったのだろう。しばらくは神社に迷惑をかける事になるのだから相応の手伝いをすると霊夢に伝えた。
神社の炊事、洗濯、掃除、鎮守の森の手入れ、建物の簡単な修繕、ありとあらゆる雑務を引き受けると宣言して妖精メイドとホフゴブリン達に指示を出していく。炊事場を借りて炊き出しも行うといい、持参した食料を霊夢の生活空間となっている社務所の奥へ運び込んでいく。咲夜が時間を止めて下準備をしたのか、すぐに香しい匂いが炊事場から漂ってくる。
「なんとまあ、賑やかになったね」
他人事のように呟く隠岐奈に霊夢は言った。
「落ち込んでいても良い事なんか何もないわ。こうやってできる事をしてる方がよっぽど健全ね」
「なるほど。確かにそのようだ」
ふっと笑みを溢す隠岐奈を横目に紫はにこやかな表情を扇子で隠しながら内心考え続けていた。
それは隠岐奈の月、地獄、幻想郷と悪化していくという言葉。
――――月。
月がもし。
月の都を放棄せざる得ない状態にまでなったら――――。
それは幻想郷への遷都、幻想郷への侵攻を意味してしまうのではないかという事。思うより時間は少ないのかもしれない、と紫は朗らかな表情の裏で深刻に考えていた。