偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil. 作:加賀アスナ
第12話
幻想郷中に満ちる悪意は多くの者を汚染していたが、神と閻魔たちを除いても地力で耐える者もわずかではあるが存在した。地霊殿の古明地姉妹もそれに含まれる。姉のさとりは他者の心が見せる悪意に耐えて正常な意識を保っている。それでも己の心から沸き立つ悪意と壮絶な自問自答を繰り広げているのだが。
妹のこいしは善意と悪意を意識しない事で完全な中立を保っていた。しかし善意も悪意もない行動を人は起こさない。いかな行動であっても究極的に善意か悪意のどちらかの属性に分けられる。その為地霊殿のさとりの執務室で死んだように眠っていた。
そして。
古明地姉妹と違った状態で意識を保っていた人物がいた。
人里の手前で蹲るその人物はかつて幻想郷中で指名手配された鬼人正邪である。彼女は輝針城をねぐらにしているのだがその輝針城は現在天界から比那名居天子が訪れた事により好ましくない事になっていた。天子がいるとどこかから聞いた依神紫苑がやってきてしまったのだ。城主である少名針妙丸は歓迎していたが正邪としては貧乏神なんかと一緒になどいたくない。自分も相手も不幸になる誰も喜ばない不名誉な力は流石の正邪も御免被るところであった。それ故に。
――――貧乏神なんかと一緒にいられるか、私は城を出ていく! と、啖呵を切って出て行ったのだ。
生まれ持ってのアマノジャク。なかなかいい天邪鬼らしい台詞に満足して地上に降りたのだが。
なんでもひっくり返す彼女は悪意の蔓延る中、意識を保っているのにも関わらず苦しんでいた。
「おかしい。私はおかしくなっちまった。くそぅ」
正邪は真剣に悩んでいた。永遠亭の医者の所に行こうかと一日は悩んだほどである。
人が嫌がる事が好きで、漁夫の利を平然と行う彼女は弱者が強者に勝つ下剋上を狙っていた。かつて輝針城で異変を起こしたのもその為だ。その彼女は今、
「どうかしちまってる。くそ、くそ……この私が、善い事がしたい! なんて……」
そう。善い事がしたいのである。天邪鬼たる正邪はそんな事はしないのだ、普通なら。だが彼女は幻想郷に満ちている悪意の事を何も知らなかった。ただ妙な病気か何かに罹ってしまったと思っていたのだが、日が経つごと、時間が過ぎるごとに善い事がしたくてしたくてたまらなくなっていったのである。
何故そんな事が起きたのか。それは無論悪意の所為である。彼女の何でもひっくり返す能力は起きている事をひっくり返すのである。
そして悪意は心であり思いなのだから悪意があっても行動を起こさなければ悪行は為せないのである。即ちひっくり返すべき状況がないのだ。つまり悪意は善意にはならない訳だ。悪意は悪意であり、悪意を受けた上で起こす行動が悪行なのだからひっくり返るのは悪意ではなく悪行という事になる。
正邪の行動は嫌がらせが基本だ。それは悪行といっていい事である。悪意によってさらにエスカレートしたはずが彼女の能力がそれをひっくり返してしまったのだ。その結果、起こすべき悪行が善行になり自己嫌悪に陥りながらも体は善い事を求めてしまう、というあべこべな状況になってしまったのである。正邪の善い事がしたいという欲望は限界に達していた。我慢が出来ないのだ。善い事の代表と言えば人助けである。故に正邪は人里まで近寄っていた訳だ。
こうなってしまってはもうどうしようもない。正邪は半ばやけくそになり今はとにかく善い事をしまくって病気が治ったら全てを台無しにしてやるんだ、と決めて人里へ向かっていった。
◆
人里へ入った正邪はおかしな光景を目にする。里の者が家財を家の前に出しているのである。それも何とも嬉しそうに。
――――なんだ、こりゃあ。
近くの老婆へ何をしているのかと聞けば、これは喜捨したのだという。これで幸福になれるのだと。見れば隣の家もその隣の家も隣の隣の家も家財を出している。しかしみんなが嬉しそうにしているのである。
さらに話を聞くとそれは奇妙な二人組――――一人は
老婆は隣の家、その隣の家の家財を見てあれは新しい財なのだという。みんなの財でみんながみんなを施すから幸せになるのだと嬉しそうにいう。
橘迦玖能という祈祷師は喜捨した者にその証として蜜柑を与えてくれたらしい。何でも不老不死になる霊薬の原料は蜜柑だというのだ。
老婆と話している内に隣人もやってきて会話に花が咲く。これほど里人が嬉しそうにしているのだからさぞやいい教えに違いない。正邪は老婆たちにきっとその心があれば幸福になれますね、とにこやかに笑って喜捨したものが盗まれないようにと忠告をしてその場を離れた。そして離れてから。
「くっそ。アレを奪っちまえばいいのに……かぁぁ」
自己嫌悪に苛まれていた。家の前に財を放り出しているのだから貰ったって何も言われないはずだ。
善い事を探しながら自己嫌悪に陥りそれを繰り返しているとなにやら人だかりができているのを認めた。そこは確か、上白沢慧音とかいう獣人が教師を務める寺子屋だったはずだ。
見ればなにやら揉めているようだ。里の入口であった老婆たちとは違って気が立っているらしい。寺子屋の入口には慧音と守矢の巫女、そして神霊廟の神子が立っており里人たちと口論をしていた。慧音たちの後ろには人間の子供や妖精、小さい妖怪が固まっている。慧音の寺子屋は人間の子供相手だと思っていたがとうとう妖精や妖怪も学徒にしたらしい。チルノ、大妖精、ミスティア、ルーミアになぜか多々良小傘までいる。
どちらへ肩入れした方が善い事をする事になるのだろうか、と推移を見ていると人間達は人里に妖怪が出入りするのはおかしい、と幻想郷にあるまじき主張をしていた。かつては鬼の人攫い、紫の月面侵略戦争と、そして異変を起こすのはいつも妖怪だ、幻想郷の人間を脅かす妖怪は人里から出ていけ、と主張しているのである。
正邪がどうするべきかを考えていると人だかりの後ろの方の若い男が屈んでいるのに目がいった。鼻緒でも切れたか、と思っていると正邪は男が何かを拾ったのを確認した。
その男は人だかりの端の方――――早苗側へ移動する。男の行動が読めた正邪はその場から走り出した。男は腕を振り被り手に持った何か――――その時には石だとすでに分かった――――を投げつけた。
慧音は正面の人間達と問答をし、神子はその隣で同じく冷静に話し合うべきと宥めている。神子とは反対側の慧音の隣にいた早苗だけは男の不審な行動が目に入ったのだろう。正邪と同じく男の行動に気づいていた。男はあろうことかチルノたちへ向かって石を投げつけようとしていた。それを庇うべく早苗は一足先に立ち塞がったのである。男の投げた石はチルノたちには届かなかった。ただ早苗の額から流れ出る血が何処に当たったのかを明確にしていた。
「――――満足ですか? これで」
怒りを抑えた声で早苗が問う。一線を超えた男の行動に集まっていた群衆も静かになる。
しかし既に走り出していた正邪が背後から男を殴り倒した。
「くっそ野郎! 無抵抗の奴らにやっていい事じゃねえだろ!」
「あ、貴方は鬼人正邪……どうしてここに!?」
慧音の説明を求める声を無視して正邪は群衆に吠えた。
「何が妖怪は出ていけだ! この男がやったのは無抵抗の奴に暴力を振るっただけだ! 自分より強い妖怪には出ていけと言って弱い奴には暴力か! 反吐が出るぜ!」
正邪が吠え暴れた事で群衆は散り散りになっていく。気まずさを感じてこそこそと逃げる人間もいた。
胸糞の悪さだけが正邪に残った。
慧音たちは突然現れて怒鳴り散らした正邪にどうするべきか、考えたが助けてくれたことには変わりないのだし、と寺子屋へ案内した。
寺子屋の敷地には東風谷早苗が結界を張ったらしく外の不快な悪意が満ちた場所より心持は軽かった。
早苗の手当を行って人心地がついた時、慧音が大きく溜息をつく。随分疲れた顔を表情に滲ませている。
寺子屋の中は外より快適だったし正邪にしてみれば病気と思い込んでいる悪意が落ち着ていたのだが、何が起きているのか分からない内に慧音たちと対立するのも気が乗らなかった。ましてや人間達相手に喚き散らした訳で慧音たちの味方をした手前、乗りかかった船でもあるし一体何が起きているのかを訊ねた。
慧音や神子は顔を見合わせて早苗に視線を送った。どうやら早苗が答えてくれるらしい。
「実は…………」
早苗の説明に正邪は顔を顰めた。現在の幻想郷には悪意が涌いてきているという。それも自分自身の心から。悪意に飲まれる事を悪意汚染というらしい。そうなると先ほどの人間達のようになるという。普段なら口にすることのない心の中の不満や我慢できるはずの事柄を誰かにぶつけてしまう、そういった負の感情を発露させてしまうらしい。そしてそれが激化すると手が出て暴力へ発展し、最悪は殺し合いになるという。早苗は風祝の修行の一環で悪意汚染された空間を浄化した経験があった。
そのお陰で寺子屋に結界を張り清浄な空間を作ったのだ。
早苗が寺子屋に来ていたのは前々から守矢の信仰について子供たちに知ってもらいたいと考えていたからだ。早苗から相談を受けた慧音は寺子屋の手伝いをするのと引き換えに守矢の信仰の時間を設けたのである。そうは言っても難しい話をするわけではない。そもそも神奈子は神道の神様であり諏訪子は土着神である。森羅万象に神が宿る考えの神道にはいわゆる経典や正典はない。そして神道の本質は天地悠久の大道である。認め受け入れる事を是としている。大陸から仏教が入ってきたときも全て仏教の色に染まったわけではない。認めて受け入れ、いい所を習合する。そうしてよりよい形へ変化を遂げているのだ。それ以外にも道教の付録を受け入れている。それは変化して昔から魔除けとして勾玉を身に着けていた事などと習合し御守りとなっている。また儒学の視点を受け入れた神道もある。林羅山が代表格になるだろうか。
早苗はそういった事を簡単に子供たちへ説明し分かってもらおうと地道な信仰布教を行っていたのである。信じるかどうかは当然子供たち次第ではあるのだが早苗としては例えば新年に初詣で来てくれる、そんな程度でも十分なのだ。だが子供の頃の経験は大人になっても憶えている事が多い。年始の参拝は守矢神社で、とそういう慣習になってくれれば一番嬉しいのだが。
そういった心積もりで寺子屋へやってきた早苗だったが、慧音の手伝いをしている内にどうにも精神がささくれ立って落ち着かなくなってきた。そこで悪意が涌いている事を把握し慧音に事情を伝えて結界を張ったのだ。大事にしない為に子供たちやチルノたちには伝えていなかったのだが、気づけば寺子屋の前に人間達が集まっているではないか。慧音が何の用かと対応に向かってからすぐに口論が聞こえてきた。応援に向かった早苗にも心無い言葉が飛んできた。そこへ仙境から現れた豊聡耳神子が加勢に入ってくれたのだが、寺子屋の前での問答は正邪が現れるまで続いていた訳だ。
なんて面倒な。それが正邪が感じた事だった。そもそも天邪鬼の自分が善い事がしたいだなんておかしいと思ったのだ。図らずも病気ではない事が分かって安心できた。しかし悪意汚染が収まらなければ自己嫌悪に陥りながら善行をする羽目になってしまう。
「おい。どうやったらこの、なんだ? 悪意汚染を止められる?」
「それはおそらく…………原因となっている何かがあると思うんですけど、それが何かまではちょっと」
困ったように早苗は言う。
「くそ。どうすんだよこれ。――――てか。妖精は分かるがなんで鰻屋の店主とナス傘の妖怪がいるんだ?」
鰻屋はミスティアでナス傘は小傘の事である。
「ミスティアと小傘よ、正邪」
「ここ寺子屋だろうが」
「ミスティアはお店の為にいろいろと見聞を広げてるんだ。小傘は……命蓮寺の墓地から追い出されてしまってね。仕方なく人里で今はベビーシッターの真似事をしているんだがね。前向きなのはいい事だが妖怪としてはどうにもな。手先が器用だからそれを利用した何かが出来ればいいんだけど。たまたまではあるが、その相談に乗ってくれないかと寺子屋へ来ていたんだ」
「ふうん。不幸なんだか幸運なんだかわかんねぇ奴」
実際は不幸なのであるが。何せ、かつて小傘自身を腐した早苗と鉢合わせになってしまったのだから。しかも墓地を追い出される原因となった宮古芳香ともども倒されてしまった事もある。
そういった過去がある為、どうにも小傘は早苗に対して腰が引けている。しかし悪意が蔓延する現状の幻想郷に於いて清浄な空間にいる事ができるのは幸いと言えた。
「とにかくです。この悪意は非常に厄介極まりないものには違いないのです。早苗の言葉ですがこの悪意の中で清浄を保てるのは神と閻魔くらいだといいます。この悪意は、我々の心からも発生しているというではないですか。こんな手で私が煩わされるとは思いませんでしたね」
神子が話を戻す。そもそも彼女が人里へ現れたのは悪意を介して膨らんだ人の欲を読み取ったからである。明らかに悪行を為す水準での欲望だった。神子の信条からすれば悪は天道を妨げる不倶戴天の敵である。
無論、神子は聖人ではあるが一度死んでいる為、生前の功績や死後も崇められた経緯から神霊になっている。つまり神子もこの悪意に左右される事がないのである。
そんな彼女でも多くの人間の罵詈雑言染みた言葉を含む要求を耳にする事は堪えたようだ。
尚且つ。
神子自身は少々厄介な状態でもあった。純粋に太子信仰から神霊になった部分と道教の教えを学び尸解仙として蘇った経歴が相克しているのである。
神霊となった以上、神足り得る核が生じる。
その核――――古い神道で言えばマナである。
荒御魂、和御魂と呼ばれる神の霊魂。
道教なら仙丹。
体内で霊薬を生成させ、それによってタオとの一体を為す。
いうなれば神核が生まれ出でるのである。
人間の領分を超えて不老不死になる事は傲慢だ。
これは茨木華扇と同じ状態といえる。そして太子信仰から神霊となり神核を得た現在、こちらは経緯こそ違うが純狐と共通している部分である。
つまり神子は常人の数倍、あるいは数百倍以上の悪意を引き寄せ、あるいは生み出し、それを無理矢理に浄化しているのだ。
凄まじいエネルギー消費をさせられている状態にあった。それでもそれが表に出ない事は流石である。
「それで。結局、原因が分からねえわけか」
睨むように正邪は神子を見据えるが神子としても発生源については手がかりがなく打つ手がない状態だった。悪意に関しては後手に回るしかない訳だが神子は悪意が齎した影響の中で異分子が存在する事には気付いていた。
それは正邪が奇異に感じた家財を喜捨して喜んでいる里人たちを先導していた謎の祈祷師である。彼女の能力で祈祷師の言う通りにして喜んでいる者の欲を聞いたのである。そこから祈祷師の事を把握したわけだ。神子自身はその祈祷師に会ってはいない為、祈祷師がどのような思惑で喜捨した者達を唆しているのかは分からない。
だが。その祈祷師たちもまた悪意に左右されていない者であり何より悪意を利用している事を神子は捉えていた。そこから辿るのがいいだろう、と告げる。けれど、早苗の結界から出る事は悪意に汚染されるという事だ。またいつ人間達が理不尽な示威行為で要求を主張するか分かったものではない。
神子は悪意汚染されていない子供たちを守る方が重要であるという立場を表明している。その点では早苗も結界の維持という役目がある為、寺子屋から出る事ができない。慧音は子供たちやチルノらを見るお目付け役なので調査は論外である。従って悪意の中を闊歩できるのは正邪だけとなる。いかにも面倒臭そうな役回りだとうんざりする反面、これを行うことは善い事なのではと疼いている自分もいた。とはいえかつて幻想郷中を敵に回した正邪である。正邪一人で祈祷師たちを調査するには荷が重かった。
正邪もそれが分かっていたし慧音や神子も重々承知していた。となると調査に割けることができる人員としてあげられるのは多々良小傘となる。悪意の中を闊歩する事ができるのなら、と前提があるのだが。無論、小傘としてはそんな事をする為に寺子屋へ来たわけではないのだから御免被る。しかしそんな小傘の思いを打ち砕くのはやはり早苗であった。
早苗は仕方ないですね、と懐に手をやった。取り出したのは御守りである。
「これは神奈子様と諏訪子様の分霊が宿った御守りです。これを持てば悪意の中でも守ってくださいます。緊急事態ですから小傘さんにあげましょう。大事にしてくださいね?」
「そんな大事な物をあげてしまっていいのですか?」
神子が問うと早苗は私は風祝ですから、と答える。元より神の加護を受けているのである。
そうして笑顔で押し付けられる御守り。小傘の周りでは慧音と神子がこれからの事を話し合っている。
――――ああ。なんで私ばかりこんな目に。
正邪には三下妖怪とみられ、すでに調査の一員に加えられている。
小傘は精一杯の勇気を振り絞って抗議の声を上げた。もちろん却下された。分かっていた。だって目の前にいるのは人間からも妖怪からも頼りにされる上白沢慧音に、神霊廟の主である聖徳王こと豊聡耳神子、幻想郷を敵に回して下剋上を企む天邪鬼、鬼人正邪、そして小傘の天敵たる東風谷早苗である。そんな面子に自身の主張が通る筈がない。
人を驚かす事が彼女の能力である。その為、明るく騒がしい彼女ではあるが人間とは割と親しい立ち位置におりある意味見慣れた妖怪となっている所為であまり驚いてもらえないジレンマがある。
そんな彼女がしくしくめそめそしてしまうくらい小傘の主張は一蹴されてしまったのだ。
慧音は不憫に思ってくれているようだがそれでも現状を打開するには調査が必要だと考え、正邪だけでは厳しいだろう、と現実的な答えを出した。神子にしても早苗にしても概ね慧音の意見に賛成していたし正邪に至っては都合のいい舎弟ができたくらいにしか思っていなかった。
小傘はそれでも食い下がった。せめて何らかの助言をもらわないと寺子屋へ来た意味がない。もう調査をすることは受け入れた。だがタダで調査に協力すると思ったら大間違いだ、と口には出せない思いを込めて上目遣いに四人の顔を見る。
やはり慧音は気の毒に思ってくれているようだが、助言らしい助言はなかった。神子は何を考えているのか小傘では読み取れなかったし正邪は問題外だ。早苗に関しては何も期待していない。
だがしかし。
救いの手はあろうことかその早苗から飛び出した。
「みんなが慣れてしまって驚いてくれないからお墓にいたのよね? となれば答えは簡単です。驚いてもらえる環境を作ればいいんですよ」
「か、環境?」
「ええ。小傘さんはお化け屋敷を作るべきです!」
「お、お化け屋敷?」
小傘にしてみれば何のことか、である。しかし早苗の提案を聞いた慧音は感心していた。
「なるほど。お化け屋敷か。妖怪には通用しなさそうだが人間相手なら上手くいくかもしれないな。それは良い提案だよ」
慧音にお化け屋敷とは何か説明を受けると聞くだけなら割とよさそうな話だった。恐怖を楽しむ娯楽施設であり安全が保障された中で屋敷を訪れた人々を怖がらせる遊びの一種なのだという。
「里には空き家も何軒かはあるしお化け屋敷として改装すればなかなかの物にはなるんじゃないか? 小傘は手先が器用だから改修工事ほど大がかりなものでなければちょっとしたものにはできそうだな」
「街中でできる肝試しのようなものですからね。需要はあると思います。夏場なんかは結構人が来そうですね」
慧音と早苗を中心にお化け屋敷を作るならどういう雰囲気がいいか、どういう怖がらせ方をするのか小傘そっちのけで話が進んでいく。ちょっとした悪戯が入るのもありかもしれない、という話からチルノたちも加わり話が大きくなっていく。
空き家の改修はにとり達、河童に頼んだらどうでしょう、やら紅魔館に監修を頼んで西洋風にするのはどうだろう、など大事になっていく。確かに驚かす方法について相談に来たはずだったのだが、話の規模が小傘の予想を遥かに超えている。このままでは手に負えなくなる。どうにか話についていこうとする小傘だが具体的にどこそこの空き家の下見に行くか、借りられるか、と話が転がる。まさに現金の話である。そうなると現実的な問題が発生する。小傘はベビーシッターの真似事をしながらも生計は鍛冶をして立てている。技術は確かなもので針供養の日には非常に実入りがいい。が、余分な事にお金を使えるほどでもない。空き家を借りるなどもってのほかだ。
しかし話が大きくなった所為で既に早苗が――――自分で言い出した事もあろうが――――出資者に名乗り上げている。意外にも神子も出資してもいいと乗り気である。娯楽は人を豊かにさせるらしい。
――――なんでこんなことに。
もはや引き返す事が出来ないくらい話が進んでいく。だが話の中心に小傘がいないのだ。
これはとんでもない事になるのではないか、と後悔の二文字が脳裏に過る。
そうして話はまとまり、小傘はこの異変が終わったらお化け屋敷を開業することになった。
――――余談だが。
のちに開業した小傘のお化け屋敷は人里で夏の風物詩となるくらいに繁盛した。人を驚かしてお金まで稼げる天職になった。宴会や祭りがあれば仮設の小屋を設置して営業を行うほど需要があったのである。
小傘の命運を左右する話が決まった事で御守りを懐へしまった小傘は正邪と共に祈祷師の調査へ向かったのだった。
◆
実際の所。
妖怪へ反感と疑心を持った里人には話は聞けず、祈祷師の信者とはどうにも話が噛み合わなかった。ただ分かったのは信者となる者の数が加速度的に増えている事だ。信者となった者は皆、幸福そうにしており家財を喜捨し喜んでいる。
本人は幸せそうだが見ている正邪と小傘にしてみれば異常な光景である。既に正邪も奪ってしまえばいいという考えよりも薄気味悪さが勝っている。触らぬ神に祟りなしと言わんばかりだ。
聞き込みは主に小傘が担当し、横から正邪が悪態をついて聞き出していたが、信者は悪態にもにこやかに対応し会話が成り立っているようで中身は何にも通じなかった。疲労のみが溜まっていき、正邪は見るからに面倒そうな表情を浮かべている。小傘にしてもこれ以上信者に話を聞いたところで何の進展もないだろうと思っていた。
――――と。
「小傘さん、小傘さん」
何処からか小傘を呼ぶ声が聞こえた。辺りを見ているとそこはちょうど貸本屋の鈴奈庵がある通りだった。鈴奈庵は本居小鈴が店番をしているのだが、入り口で顔を出して小傘の事を呼んでいたのは魔法の森で道具屋を営んでいる森近霖之助だった。
実は霖之助には小傘もお世話になったことがある。小傘の特性上切っても切れない紫色の唐傘の修繕を頼んだ事があるのだ。普段は手先が器用な小傘が自前で直すのだが役に立つ道具としてどうしようか、と考え霖之助に頼んだのである。霖之助は唐傘には唐傘として生まれた経緯があり、勝手に改造するのは制作者に失礼だからと元通りに修繕した。小傘としては道具として使われるようになるのならそちらの方が良かったのだが霖之助は道具に対して深い造詣がある。修繕や修理はできても元の作者の意図を無視はできないと道具への思いを小傘へ語ったのである。魔理沙の八卦炉のように霖之助自身が作成した道具であるのなら改造もするのだが。
その霖之助が鈴奈庵から顔を出している。どうして、と首を傾げながらも調査には進展は望めないので正邪ともども鈴奈庵へ足を向けた。
鈴奈庵へ入店すると意外な事にそれなりに見知った顔が集まっていた。
幻想郷縁起を著している稗田阿求。
深夜に妖怪専門の居酒屋を開いている鯢呑亭の看板娘、奥野田美宵。
団子屋を営んでいる清蘭と鈴瑚。
正邪が起こした異変の際、里の近くで暴れた赤蛮奇。
人里へ化けて出入りする二ツ岩マミゾウ。
それから道具屋の主人がいた。確か魔理沙の父親だったと記憶している。
霖之助に通りで何をしていたんだ、と訊ねられると寺子屋であった事を掻い摘んで説明する。反対に鈴奈庵で何をしているのかと訊ねると霖之助は鈴奈庵の柱に貼られたお札を指差した。
「これは二代、いや三代前だったか。博麗の巫女からもらった神札だ。邪気を浄化するお札だよ」
霖之助は幻想郷に満ちる悪意――――香霖堂を出る時は邪気だと思っていた――――に気づいていたという。無論、博麗の巫女、霊夢が何とかするだろうと考えていたのだが、どうにもおかしい。香霖堂の柱に貼っている歴代の巫女からもらった三体の神札が効力を最大限に発揮しているのだ。そうなると人里が大変な事になっている事は想像がついた。人里には昔、霖之助が世話になった魔理沙の父親がいる。
邪気に気づき、それを未然に防ぐ手立ても知っている。滅多な事では腰を上げない霖之助だが師匠が邪気に蝕まれるのを座して見逃すのも忍びない。早めに店を閉める事を決めた霖之助は神札を一枚剥がし、たまたま香霖堂へ訪れていた本を読む事を好む妖怪の少女に今日は貸し切りにするので本は自由に読んで構わない、ただし自分が戻るまで店にいるようにと告げて人里へ向かったのだ。
そうして人里へ来たなら来たで顔見知りもいるわけで。
師匠に声を掛けたのち、小鈴に声を掛け、そこから阿求を始め現状に至ったという。既に悪意の影響を受け始めていた清蘭と鈴瑚も呼び止め避難してもらった。赤蛮奇らも軽度の影響はあったが神札によって清浄化している鈴奈庵に入ると元に戻ったのである。
小鈴は両親と暮らしているから鈴奈庵を避難場所と決めて悪意から身を隠していたのだ。
「気付いたらこんな大所帯になってしまったがね。君たちも大変だったようだね。寺子屋の一件。少しはこちらにも情報が入ってきてね、なかなか大事になったみたいじゃないか」
「私が乱入するまで押し問答が続いてただろうな」
三和土で座敷の端に腰かけた正邪がやれやれと答える。
「悪いがね。この異変に関する有益な情報を僕たちは持っていない。しばらくは待ちの時間になるだろう」
「まあ焦らん事じゃ」
煙管をふかしてマミゾウが言う。不安に思う者が少なくない中、余裕のある態度は流石の貫禄だった。
「この邪気、儂には毒気のように感じるがな、確かに脅威ではあろうて。場合によっては流血沙汰にもなろう。しかしてな、人間も妖怪も毒気に当てられて暴走した所でそれが長い事続く訳がない。考えてもみい? 動く以上、体力の欠乏は免れん。無論、度を超えた奴原もおるじゃろうがな。じゃが、結局は一過性に過ぎん」
紫煙を燻らせてマミゾウは和綴じ本を開く。真剣なのか適当な事を語っているのか小傘には判断がつかなかった。
「こんな唐突に始まったということはな、必ずどこかにその皺寄せが来るはずじゃ。人間達は特にのぉ。今は時を待つべきじゃ。果報は寝て待てというじゃろ? あの祈祷師と胡散臭い連れが尻尾を出すのを待つのが吉じゃわい」
「まあ、そういうことだ。僕たちに今できることは待つことだよ」
「そうかい。んじゃ私も休ませてもらうぜ」
言いながら正邪は座敷側へ倒れた。
気を利かせた小鈴が正邪と小傘に湯呑みを持ってきてくれた。
鈴奈庵の外を覗いてみると遠くで怒鳴る声が聞こえてくる。また信者らしき者の嬉しそうな笑い声。
小傘はマミゾウの言う通りに今は待つべきと思い始めていた。