偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil. 作:加賀アスナ
第15話
崩壊した永遠亭の中で八意永琳は一人気の抜けたように座り続けていた。長い時を生きてきただけに心の中を占めていた輝夜と鈴仙、てゐが抜け落ちた衝撃は非常に大きかった。
永遠の反動は永琳に重く圧し掛かっていた。輝夜の為に今まで生きてきた。全てを擲って捧げてきた。輝夜が許し、鈴仙とてゐという家族が増えた。永琳にとっても家族となった。二人は永琳に師事し手のかかる弟子になった。その成長を見るのが楽しかった。満月を隠した事で博麗の巫女と一悶着を起こした後は幻想郷の一員として隠れずとも暮らせるようになった。幻想郷の者にしてみればそんなことは些細な事だったかもしれないが永琳たちにとっては大きな事だった。隠れなくてもいいというのはどれだけ気が楽だったか。
そんなに他の住民と関わる事はないが、それでもほんの少しの変化でも大きな出来事だ。医者として里人やたまに妖怪の容態を診て、治ると感謝される。お礼を言われる事自体は悪い気はしない。そんな暮らしにも慣れて僅かな変化を喜べる、そういう環境になったというのに。
――――輝夜は本当に出て行ったのだろうか?
もう戻っては来ないのだろうか。それに、どこへ行くというのだろう。
――――まさか、月に帰る、なんてことはないだろう。
ぼんやりとそんなことを思っていると、再び例の気配が声を発した。
「どうだろう。案外月に帰るのは的外れではないように思える。君は天才だからな。持っている情報も常人とは違う。従って何気ない想像でもそのレベルは高いわけだ」
「私がずっと姫様を支えてきたんだ。他の誰にもそれはできない。できないのよ」
「果たしてそうかな? 既に迎えは来ているかもしれないぞ。取り戻すなら今しかないな?」
「何の、話だ……?」
「当たらずとも雖も遠からず、だ」
「何?」
それっきり気配は消えた。だが別の存在が永遠亭の敷地へ入ったのが分かった。この状況で何が訪れたというのだ。
永琳は何故か焦る心で外へ向かった。
永遠亭の庭先には本来幻想郷にいるはずのない人物が立っていた。
月の使者の指導者の一人、綿月依姫である。
依姫は姉の豊姫の能力で月の都から送り込まれたのだ。
月は悪意の蔓延により月の民同士の争いが起こってしまった。月の上層部の意向に従い綿月姉妹と稀神サグメはこの無益な争いを止める為に文字通り一人残らずフェムトファイバーで拘束し夢の世界へ隔離したのだ。月の都に豊姫が一人残ったのは管理も必要ではあるが責任を取る為でもあったのだ。上層部の連中は我先に夢の世界へ避難した。ドレミー・スイートが悪意汚染されないようにサグメも夢の世界へ向かい加護をしている。
月の都は豊姫に任せ、悪意の根本を断つべく依姫が幻想郷へ派遣されたのだ。派遣先として永遠亭を選択したのは依姫だがそれは月の事情を知っている永琳なら、悪意の根本の排除にあたって幻想郷と月の関係を拗らせることなく上手く落としどころを相談し合えると思っていたからだ。それは本来であるならば正しい選択だった。
だが。
この異変に至っては間違っていた。永琳ではなく八雲紫か摩多羅隠岐奈へ直接質せばよかったのだ。
そして何より、悪意は時すら悪い方へ導いていく。
今の永琳に月の使者である依姫が邂逅する事がどれだけ間が悪かったのか。
「良かった。八意様、急ぎ相談したい儀が――――ッ!」
依姫の足元へ突き刺さる矢。
「そう。そういうこと。よりにもよって、貴方が来るのね?」
「これは、一体――――?」
「依姫。私はもう月から降りた身。貴方達から見れば咎人でしょう。けれど姫様が望んだとしても貴方達に引き渡すわけにはいかないのよ」
依姫には永琳が何の話をしているのか皆目見当もつかなかった。ただ致命的な齟齬が生じている事はわかった。今の永琳にとって自身は対立、否、敵対している相手なのだと感じ取る。
腰を僅かに落として戦闘態勢に入る。月は月で大事が起きているが幻想郷は幻想郷で問題が起きているらしい。それはつまりこの異変は月だけを狙ったものではなく幻想郷も含めた世界に影響を及ぼしているものだと推察できる。
そして。
依姫には分かった。永琳は――――悪意に汚染されている。
月より去った永琳は神性を喪失している。その事実は依姫にとって改めて衝撃だった。かつての師のこのような姿を見る事になるとは。
矢を番えた弓を向けられる。こんな形で会いたくはなかった。
「八意様、御免!」
依姫は神降ろし行い、大直日神に永琳の悪意を祓って貰おうと動く。
――――が。
「遅いッ!」
神降ろしをする間を与えられず天網の閃光が縦横無尽に放たれる。神降ろしを中断せざるを得ない猛攻に依姫は後退する。
「誰が貴方に稽古をつけたと思っている? 依姫、例え貴方でも邪魔立てするのなら容赦しないわ」
「――――くッ」
息をつかさぬ永琳の連撃は依姫の神降ろしを確実に阻んでいる。ならば懐へ飛び込み、切り伏せるか、と数舜の間に思考する。しかし永琳もそれは織り込み済みのはずだ。
近距離、中距離、遠距離と隙が見えない。見える隙が罠なのは分かっている。
だが、この場合。
もっとも足枷になるのは意識の問題だった。永琳は依姫に対して殺意を含んだ攻撃を行っている。依姫は永琳が悪意に汚染されている事を踏まえて無力化する事を念頭に置いて攻勢に出ている。殺意の有無は大きい。
永琳の閃光を弾き剣を振るう。剣風は地面を抉りながら永琳に直撃する。土煙を撒き上げ姿が見えなくなる。
既にそこには永琳はいないと読んだ依姫は空を見上げる。空より放たれた矢を済んでの所で切り飛ばす。けれどそれは罠の一矢。その矢を防ぐ事で依姫を一瞬だけその場に留めたのだ。永琳は続いて中空から驟雨の如く無数の矢を放つ。
剣風で悉くを切り崩し依姫はさらに竹林の方へ撤退する。永遠亭の見晴らしがいい庭ではいい的だ。
せめて神降ろしが可能な時間を僅かでいい、確保しなければ。
しかし。
竹林へ退く事すら永琳には読まれていた。
「――――だから。遅いと言っている」
無数の矢を放った永琳は既に中空より竹林側へ降りていた。
「躊躇うな、そう貴方には教えたはずだけれど」
「――――ぐッ!」
依姫へ突き刺さる矢。
辛うじて体をひねり、左腕を盾に神核を撃ち抜かれるのを防ぐ。永琳は本気で殺しに来ている。
「私相手で動きが鈍るなんて、まだまだ甘かったわね」
「や、八意様、貴方は今、清浄ではないのです……! 一体、何があったというのです!?」
「所詮私は咎人でしかないのよ。姫様は渡さない」
「それは――――どういう!?」
「もういいでしょう」
水面下で悪意の根本を断とうと考えていた依姫はその考えを捨てた。もう幻想郷へ秘密裏に侵入した事は露見してもいい。このままでは本当に永琳に殺されてしまう。
歯噛みをして苦渋の表情を浮かべながら依姫は中空へ逃走した。
◆
レミリアの紅霧が広がった少し後。
守矢神社の上社本宮へ神奈子と華扇はてゐと文を連れてようやく帰陣した。下社春宮に運んだ河童たちはにとりに任せ、本宮から春宮へ移動してもらった秋姉妹に介抱してもらっている。
本宮には悪意から避難してきた鍵山雛が合流していた。厄を溜め込む彼女は悪意から来る災厄が尋常ではない事に気づき山を登ってきたのだ。この悪意を根源とした厄を溜め込むということは原初の悪神から生まれた悪意を飲み干す事になる。雛一人で溜め込める量ではなかった。
けれど雛の合流は河童の介抱に人手が足りなかったので助かった。事情を説明し雛にも春宮へ移動してもらい介抱を手伝ってもらう事になった。
慌ただしさが落ち着いて本宮の座敷へ上がった神奈子はてゐへ何の話があるのかを訊ねた。
座敷には神奈子、諏訪子、華扇、天魔、文、てゐが車座になって座っている。神奈子とてゐは向かい合う位置にいる。
てゐはいざ神奈子と向かい合うとどうにも神妙な表情で俯いた。どう話を切り出したものか、と迷っているようにも見える。
「追い掛け回していた私がいうのも、何なんですが。てゐさんは山の神、神奈子さんに会わなくちゃって必死だったと思うんですけど、わざわざ竹林から来るのはそれだけ大事だって事なんですか? それともこの、悪意に踊らされてなんでしょうか?」
押し黙るてゐに痺れを切らした文が言う。文とてゐも幻想郷へ広がる悪意については一通り説明を聞いている。
「私にそれもわざわざこの時期に竹林のてゐが会いにくるという事自体、悪意の影響を受けている部分は少なからずあるでしょう。現に悪意を祓ったのだし。それで、口にするのに憚られる事を訊きたいのかしら?」
「その~……」
促してようやくてゐはそれだけを口にする。それから一分は口を閉ざした。そしてやっと意を決したように顔を上げた。
「聞きたい事があります。山の神なら知ってるって……」
「言って御覧なさい。答えられることなら答えるわ」
「……ダイコク様って知ってます?」
ダイコク。
その名を神奈子が知らない訳がない。オオクニヌシの別名。
そしてタケミナカタの父である。
「ダイコク様……ね。当然知ってるわ」
「ダイコク様は昔、私を助けてくれた優しい神様なんです。ただ~…………」
ダイコクがてゐを助けた。
それはてゐこそがオオクニヌシの救った兎だったのだと神奈子は知った。
「ただ?」
「ダ、ダイコク様はその~……師匠に、師匠に……こ、殺されたって……ほ、本当なんですか?」
殺された、という穏やかではない単語が飛び出した事で神奈子以外は息を呑む。さらにてゐの師匠といえば八意永琳の事だ。
それはつまりてゐの恩人である神様を永琳が殺した、という話になる。
「――――どういえばいいかしらね? お隠れになった、という意味だと殺されたとも取れるかもしれないけれど」
「やっぱり、ころ、殺されたんですか?」
「正確には出雲の大社に封印されたの。アマツカミ達が叛乱を恐れてね。二度と出てこれないように」
そう語る神奈子の表情は硬かった。それにはてゐは気づかなかったが。
「そんな……じゃあ、ダイコク様にはもう、会えないんです?」
「そうね、あの方にはもう会えないわ。もう、二度とね」
「じゃあ、じゃあ師匠が……封印したのは、本当?」
「正確には永琳を含む当時のアマツカミ達、いえ、もっと正しくいうならアマテラスの伯母上ね」
アマテラスはスサノオの姉になるので代の離れている神奈子からすれば伯母というのは正しくはないのだが、ずっとそう呼んでいた。
神奈子の説明を受けた上でもてゐはそれを信じたくないのか、葛藤しているようだ。
「それが、本当だって……しょ、証拠はあるんですか?」
その言葉に神奈子は大きく溜息をついた。
「信じられないと?」
「だって……」
「幻想郷では山の神として信仰を集めているけれどね、私は当事者だから真実なの」
「……当事者?」
「かつてアマテラスの伯母上が地上の国を欲して禅譲を迫ったわ。貴方の言うダイコク様の国をね。ダイコク様はアマツカミの使者に承服の旨を示したし子の一人は恭順を示した。だけどもう一人の子はそれを突っぱねたの。無抵抗で国を明け渡すのなんてダイコク様を信じる民に申し訳がないから。せめて嘘でも抵抗して明け渡すべきだって言ってね。民の為に戦ったけれど負けたのなら仕方ない、とね。ダイコク様は争う事で民を戦乱に巻き込むくらいなら無血禅譲をする方がいい、と言ったんだけど。その子は飽く迄負け戦をすることを固持したの。勘違いしてほしくはないけどその子は国譲り自体には賛成してた。国を造ったダイコク様とその子の神たちを束ねる兄神が承服しているのだからね。ただ譲り方に異を唱えたのね。戦って譲るべきだ、と。もちろん大規模な戦争にならないように最初は力比べで決めようとしたのよ。無論、アマテラスの伯母上はそれも織り込み済みだったのでしょうね、使者として送ってきたのはアマツカミの雷神タケミカヅチだったから。負け戦の相手としては十分だったけどそれは甘すぎた考えだったとすぐに知る事になったの。今思えば負け戦をする事は一番良くなかった。ちょっとでも抵抗の姿勢を見せるなら叩き潰す算段で来たのでしょうね。まともに力比べができる相手じゃなかったのよ。戦うなら最初から全力で戦うべきだったし、戦わないのならさっさと恭順するべきだった。最終的にタケミカヅチの要求を呑んだその子は随分惨めな歴史を残したし半端に抵抗したものだから父であるダイコク様がその責任を取らされた。それが出雲の大社に封印される原因となったの」
「そんな……どうして、どうしてそれを知ってるんですか?」
「言ったでしょう? 当事者だって。タケミカヅチへ半端な負け戦をしたダイコク様のもう一人の子、それは当時、タケミナカタと名乗っていた私の事だからよ。私が父と兄に従っていればこんなことにはならなかった。タケミナカタの名は父の元の国では地に落ちたわ。無様に負けた軍神の名として、これでもかと貶められた。私はその名をそれ以上汚さない為に名乗るのを辞めた。その後は諏訪子も知っての通りね。アマツカミは父の国だけではなく地上の全てを平定する事にした。そこで諏訪子の国へ詰め腹を切らされて飛ばされたのが私。平定するまで帰ってくるなとね。裏切ったら父の国の民を滅ぼす。そう言われては平定できなかったとは口が裂けても言えない。だから本気で国盗りをした。もっとも諏訪子の国の民は外様の神である私を受け入れはしなかったけれどね。そこで名前だけの新しい神を立てた。父の元の国では地に落ちたタケミナカタという名前の神をね」
神奈子の語りに誰も声を発せなかった。てゐですらも。
その中でようやく華扇が口を開いた。
「それは、本当の事なのですか? それが本当なら八坂様、貴方は大事な名を建前だけの神の名にすり替えたのですよ」
「そうね。それでも。それでも建前だけでも父から授かった偉大なタケミナカタの名を祭神として残す事ができる。それに。その名をそれ以上汚す事はないの。だからその名を例え建前の神の名だとしても残るのならそれでいいと思ったのよ」
諏訪子だけが厳しい表情で神奈子を見ていた。神奈子の語る事は間違いではないが意図的に口にしていない事柄があったからだ。それはダイコク様の国、即ち葦原中つ国の平定において、神奈子は負け戦をして要求を呑んで譲ったと口にしている。葦原中つ国の中心地はダイコク様ことオオクニヌシが封じられた島根の出雲である。だが、国譲りが成った際にアマツカミのニニギが降臨した場所は宮崎の高千穂なのである。出雲ではない。
――――この矛盾。
神奈子が語る通りタケミナカタとしての彼女はなるほど確かに惨めな歴史を描かれている。二つ目の来歴ではその名前すら出ない有様だ。
しかし負け戦をして敗北したという割にはこの時点で出雲の地が支配下に置かれた事実はないのだ。大和のシンボル、前方後円墳が出雲に出現したのはさらに時代を下ってからになる。タケミカヅチは神奈子から勝利を得てから、オオクニヌシに国譲りの了解を取ったがニニギは天の浮橋を通ってなぜか高千穂に天下っている。
神奈子は偽りこそ言っていないが敢えて口にしていない事がある。それを語る気はないのは分かった。神奈子自身の二つ目の来歴の説明をしていないのだから。
神奈子が語ったのは誰もが知る一つ目の来歴だ。
だが各地に散らばった断片を繋ぎ合わせれば神奈子の話の抜けている部分が見えてくる。神奈子がタケミカヅチと戦ったこと自体は真実だろう。しかし戦いの場となった所が出雲とは限らない。
長野にはタケミナカタとタケミカヅチが対峙した伝説が残っている。また敗北を認めたものの彼の神と和睦した伝承もある。
そして諏訪子は実際に神奈子がタケミカヅチと戦った場所を知っている。諏訪郡に富士見という土地がある。そここそが国譲りを確定させる決戦の地だった。つまり交渉そのものは出雲で行われたが戦場となったのは長野であったということだ。
――――しかし。
なぜ出雲から諏訪まで神奈子はやってきたのかという疑問が残る。どうして出雲で戦わなかったのか。一つ目の来歴を知るならば鹿島の神に恐れをなして逃げ出し、諏訪の地で捕まったと考えるだろう。けれど恐れをなして逃げ出した輩をわざわざ追いかける必要があるだろうか。
葦原中つ国の王はオオクニヌシであり子の一人であるコトシロヌシは恭順し抵抗した神奈子が逃げたとなれば追いかける必要などなく、頼りにしたもう一人の子は逃げたぞ、さあ答えを訊こう、とオオクニヌシに迫ればよかったのだ。にも拘らず追いかけたとなればタケミカヅチには追いかけるに値する理由が存在したという訳だ。それは同時に神奈子が諏訪まで来る必要が生じてしまった事情もある事になる。
それが何かまでは諏訪子には分からないが当時の神奈子が諏訪まで訪れた後、すぐに越の国へ向かった事は憶えている。それから神奈子は引き返してきて富士見の地にてタケミカヅチと一戦を交えたのである。無論結果は決まっていた。神奈子自身が負け戦と口にした。これは計画された敗北だったのだ。そもそも神奈子は常に島根の出雲にいたわけではない。それこそ普段は越の国に居住していたはずだ。それは越州の統治を任されていた事の証左でありタケミナカタにオオクニヌシと同様国土開拓の神格があるのはその為だ。
タケミナカタと名乗っていた神奈子には同一神とされる神がいる。国譲りに最後まで抵抗した事で悪神とまで誹られた事を黙っている。それを推測するならば諏訪子の持ち得る情報から察するに神奈子にはしなければならないこと、守るべきものがあっただろうことは想像に難くない。それがタケミナカタという名に関する事であるのも。
そしてそのタケミナカタを祭神の名として残した理由がもう一つあった筈だ。それこそが古の諏訪大戦で諏訪子が敗北を認めた原因だからだ。それからタケミナカタの名を使わなくなった神奈子が何故八坂と名乗っているのかも。
諏訪子は話の腰を折らないように黙っていた。ただ神奈子がもし負け戦ではなく総力戦をタケミカヅチへ仕掛けていたならば違った結果があったかもしれないとやるせない気持ちが残った。
押し黙って聞いているてゐを神奈子は見据えた。
「てゐ。ダイコク様――父を封印したのは確かに永琳を含むアマツカミだけれど、その原因は私にある。恨むのなら私を恨んでくれていい。その代わり永琳を恨まないようにね」
「どうして、原因は貴方かもしれないけど師匠たちが封印したんですよ! どうして……!」
睨むようなてゐの表情を見て神奈子はふっと笑みを溢した。
それは決して相手を嘲笑するようなものではなく慈悲に近いものだった。
「だってそれは、永琳は貴方にとって家族だから。永琳はアマテラスの伯母上に仕え知恵を授けてきた。父の封印はなにも永琳一人で決まった事ではないし、彼女が封印に賛成だったとしてもそれはアマテラスの伯母上の意志を汲み取っての事よ。彼女はただ、自分にできる事をしていただけなの。その後の事は私も詳しくはないけれどアマテラスの伯母上から離れた後は月にいたようだしそれから、幻想郷へ来たわけでしょう。そこで、てゐ、貴方と会い共に生きてきた。もちろん永琳には永琳の思いがあるでしょう。打算だってあったかもしれない。だけど貴方と共に生きる事にした。そうして今日まで一緒に過ごしてきた。それは家族としてでしょう? 家族が家族を憎むのは辛い事だわ。憎む方も、憎まれる方も。てゐ、貴方が葛藤しているのはまだ永琳の事が好きだからでしょう? 家族だと思っているからでしょう? その思いを殺してしまっては駄目。一緒に生きてきた時間は嘘ではないの。永琳のいい所も悪い所も貴方は知ってるはず。しっかりと向き合えばまだ家族として生きていけるから。だから、大丈夫よ」
てゐは静かに泣いた。永琳を信じたい気持ちと大事な人を奪ったことへの思いがぶつかっているのだ。どうしようもなくて、それでも溢れる感情が涙となって流れている。
てゐの涙が止まるまで誰も声を発さなかった。しばらくして涙が止まったてゐはゆっくり頭を下げ礼を言った。
それに対して神奈子は、
「いえ。礼をいうのはむしろ私の方よ。てゐ。貴方がいたから父は国を造れたの。それこそアマテラスの伯母上が欲しがるくらいの豊かな国をね。それにてゐの家族にいるでしょう? 地上に憧れたお転婆なお姫様が。月にいる者ですら羨む素敵な国ができたのは間違いなく貴方がいたから。父に代わってお礼を言うわ」
と頭を下げた。
てゐは少し躊躇った後、口を開いた。
「あの…………」
「なあに?」
「竹林からは遠いけど、また来てもいいですか、タケミナカタ様」
そう、てゐはいった。
「神奈子でいいわ。てゐにそう呼ばれるのは嬉しいけれどね。父の仲人である貴方に言われるとくすぐったいから」
「仲人!?」
驚いたのは文だった。というより神奈子とてゐ以外が驚いていた。
「ちょっと待ってください。てゐさんが神奈子さんのお父さんの仲人。――――え? てゐさん、神奈子さんより年上?」
「神奈子より上ってなると私よりちょっと下くらいかな?」
ざっくりと推定した諏訪子が言う。
「我らは見かけには寄りませんが、ここまでとは」
「これは少し衝撃でした」
天魔と華扇も驚きを禁じ得なかった。
一つ咳ばらいをした神奈子が場を仕切り直す。
「とにかく。てゐ、私はいつでも歓迎するわ。竹林からは少し遠いけれど。それで。聞きたい事の答えはよかったかしら?」
「はい……ありがとうございます。師匠と、ちゃんと向き合ってみます」
ここにきてようやく表情に笑みが戻ったてゐに一同は安堵した。穏やかではない内容にどうにか答えが出せたのだから。
てゐは帰ります、と来た時よりも穏やかな顔でいった。
そのてゐに神奈子は御守りを渡す。その御守りをじっと見つめたてゐは改めてお礼を言った。
てゐに渡された御守りを見た文が躊躇いがちに神奈子へ訊ねた。
「あの……その御守りなんですが、私にも頂けないでしょうか? あややや、ちゃんとお金は払いますって」
「そうでした。射命丸にも与えて頂けないでしょうか。八坂様」
天魔からもお願いされる。元より神奈子は文にも渡すつもりだった。幻想郷最速の文を神社で休ませておくのは惜しい。
「この事態ですもの、お金はいいわ。文、貴方は天魔と協力して天狗たちの保護とてゐを追って入り込んだ兎たちの解放をお願いするわ」
「もちろん、協力しますよ」
文にも御守りを渡す。受け取った文は大事に懐へしまった。
ついでに幻通機も各自に渡しておく。これで離れていても連絡を取り合う事が出来る。文は素直に感心していた。
便利ですね、と物珍しそうにしていた。
帰ろうとするてゐを神奈子は引き留め、一旦博麗神社へ避難しておくように告げた。
永遠亭へ戻ったところで悪意はなくなっていないのだ。ならば守矢神社よりはまだ博麗神社の方が竹林には近い。帰るのならそこで避難していた方がいいだろう。その提案を受け入れたてゐを博麗神社へ送るわ、と神奈子は諏訪子へ言う。
「神社の方は私が見ておくよ。神社へ攻める奴がいたら返り討ちにしてやるから」
「頼もしいわ、本当に。じゃあ華扇、天魔、山の方はお願いするわ」
固く頷く両名を見て神奈子は安心する。
てゐをつれて博麗神社へ設置している分社へ転移をする前に念のため御守りと神札をいくつか持っていくからと告げて神奈子とてゐは陽炎のように消えた。
――――と。
間が悪い事に。神奈子とてゐが転移した直後、妖怪の山の反対側にある太陽の畑の方から空へ向けて巨大な極光が迸った。それは霧雨魔理沙が放つマスタースパークによく似た閃光。
太陽の畑周辺でそれを扱える者はただ一人。
――――風見幽香である。
数ある妖怪の中でも凶悪な強さを誇り幻想郷のパワーバランスの一角を占めている。
「あちゃあ。向こうでも派手にやってるねぇ」
極光を見た諏訪子が嘆息して言う。
「あれは幽香さんですね。悪意に汚染されてもあの方は変わらなさそうですが」
風見幽香には困った癖がある。普段は紳士的な彼女だが強い力を持つ者に興味を持ち、暇潰しと称して戦いを挑んでくる事がある。それがある為、太陽の畑は向日葵が咲く名所であるにも関わらず限られた妖怪しか踏み入れないのだ。
逆にいえば。
誰かが踏み入れたからこそ幽香の極光が放たれているともいえる。つまり幽香と誰かが交戦状態にあるというわけだ。
「人の心配より自分たちの心配をせよ、射命丸。まずは飯綱丸を正気に戻さねばならん。それにはたてや椛たちもだ。華扇様、厚かましいお願いではありますがご助力願えますか」
「天狗たちの問題へ私が今さら介入するのはどうかとは思うけれど、仕方ないわね。取り敢えずは竹林の兎の事は任せてもらっていいわ」
「感謝します。では諏訪子様、我らはこれより山の鎮圧に向かいます」
「うん、了解。負傷者は神社へ連れてきていいからね」
「お心遣い痛み入ります。では、行くぞ射命丸」
射命丸を促して天魔は本宮を後にする。
続いて華扇も兎の保護に向かい座敷を出て行った。
残された諏訪子は境内へゆっくりと出て眼下に広がる幻想郷の風景を俯瞰する。
そこで太陽の畑のすぐそばで本来幻想郷にいるはずのない存在を感じ取った。
「あそこは永遠亭の方かなぁ。あれが幻想郷にいるってなると、月は落ちたのかな?」
諏訪子は地面に手をつく。諏訪子の力であるならば大地に起こる全てを読み取れる。
「地底、地獄の方も混乱が続いているねぇ。さて、これからどうなるかな」
守矢神社は諏訪子の領域となっている。そこへ悪意に汚染されて飛来する天狗も少なくない。領空へ入った警邏の天狗を諏訪子は容赦なく撃ち落とした。
「私は神奈子より優しくないよ。神奈子の方が苛烈ではあるけど勝ち負けがつけばそれで終わりだからね。だけど私は違う。私は祟り神だからね。勝とうが負けようが私に仇為した者は報いを受けてもらう。うちに喧嘩を売るなら末代まで祟ってやるぞ」
守矢神社の古の祭神は幻想郷に蔓延する悪意に対してそう宣言した。
◆
風見幽香の閃光を目の当たりにしたのは博麗神社に集結する者も例外ではなかった。
さらに八雲紫と摩多羅隠岐奈は異分子が幻想郷へ侵入した事を察知していた。十中八九、月の使者だ。その使者は思ったより早く姿を現した。しかし同時に非常に厄介な状況をも引っ提げていた。
月の使者である綿月依姫は永遠亭の八意永琳と死闘を演じていたからだ。
これで解決すべき議題が増え、優先事項が変わった。
彼岸へ侵攻した西行寺幽々子。
紅霧の中、激戦を繰り広げるスカーレット姉妹。
悪意汚染されたまま闊歩する蓬莱山輝夜。
太陽の畑で暴れている風見幽香。
そして綿月依姫と八意永琳の死闘。
それから紫だけが把握している謎の術者。
最優先事項として依姫と永琳を止めなければ甚大な被害が齎される。
次から次へと悪い事態が目まぐるしく起きる中、新たな訪問者が博麗神社へ現れる。
それは守矢神社から転移してきた神奈子とてゐだった。
てゐの姿を認めた鈴仙がいち早く近寄ってくる。
「てゐ! 貴方無事だったのね?」
「……うん」
やや元気のないてゐを怪訝そうに見る鈴仙に神奈子が今はそっとしておいてあげて、と告げる。
神奈子は博麗神社の大所帯ぶりを見てこちらでも避難が始まっていた事を把握する。その神奈子に霊夢が声を掛けた。
「ったく。神奈子、アンタまでうちに避難? アンタはアンタの神社があるでしょうが」
悪意の蔓延る現状に悪態をつく霊夢へふっと笑みを溢した神奈子はさらに霊夢に睨まれる。
「何よ」
「いいえ。この状況でそれだけ悪態がつければそんな悪い状況ではなさそうと思ってね」
「他人事みたいに」
「我が事でしょう。この場合は私にとっても貴方にとってもね」
「そりゃあまあ、そうだけど」
霊夢と神奈子の会話に紫が割り込んだ。
「暢気にお喋りしている暇はないわ。神奈子、山では何が起きてたの?」
九尾の狐から藍という式神が離れた事でそのまた式神である橙の動向が紫には分からない事態にあった。紫には与り知れぬことだったがその橙は悪意を受けた天狗達に拘束されていた。
「そうね。情報共有と行きましょうか」
縁側へ移動して紫と神奈子を中心に情報の共有が行われた。
山で起きている事、博麗神社で知り得た、起きた事を話し合った。紫の話と隠岐奈の提言で最優先事項は綿月依姫と八意永琳の停戦、及び永琳の捕縛、同時に蓬莱山輝夜の捕縛が挙げられた。
そこへようやく復活した藤原妹紅と霧雨魔理沙、魂魄妖夢も加わる。伊吹萃香はまだ復活とまではいかないようだった。
悪意についても再度説明を聞かされた面々は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
最優先事項を永琳と輝夜とされた妖夢と咲夜は不満を述べた。魔理沙も悪意の所為であるならアリスを助けるべきだと主張する。各々が最優先としている事柄が違う以上、意見が食い違うのは仕方がないが紫は賢者として守らねばならない一線がある。それは隠岐奈も同じようで二人の意見はことこの一件に関しては一致していた。さらに霊夢も賢者の意見に賛同し神奈子も加わった。多数決を持って永琳と輝夜の捕縛が決定した。
だが誰がどちらを担当するのかが問題だった。
「輝夜は私が担当しよう。それが適任だろ?」
そういったのは妹紅だった。
「永遠亭のお姫様ね、となれば私もそっちに行くわ」
輝夜捕縛に咲夜も手を上げる。
「わ、私も輝夜様の方へ行きます!」
鈴仙も名乗り上げた。
「問題は永琳の方だね。さて、誰が適任かな?」
言いながら隠岐奈の視線は神奈子を見据えていた。肩を竦めて神奈子が頷いた。
「ま、そうなるでしょうね。ただ、正直に言うわよ。私一人で永琳の捕縛は無理ね。幻想郷の被害を度外視していいなら話は変わってくるけれど」
「それは困るな。なるべく被害は留めてもらわないと」
やれやれという隠岐奈に紫が笑顔で告げる。
「そういうなら貴方も協力してくれるわよね?」
「それは当然、私の力が必要ならやぶさかではないよ。だがどうやって永琳を無力化するかだ。軍神殿、いい手はあるかい?」
「そう、ね」
博麗神社に集まった面々を見据えて神奈子は考える。咲夜と妹紅、鈴仙は既に輝夜担当だから外す。また萃香とあうんも外れる。
あとは霊夢、魔理沙、妖夢、てゐ、美鈴、パチュリー、小悪魔、紫、隠岐奈だ。
やや思案して神奈子はパチュリーを指名した。
「……私?」
「少し相談があるんだけどいいかしら? それから紫、隠岐奈、貴方達もよ」
「やれやれ、人使いが荒いね軍神殿は」
「協力するって言ったでしょう、隠岐奈」
「紫、いちいち小言を言わなくても分かっているさ」
神奈子はパチュリーと紫と隠岐奈を一同から離した。
「おいおい、私らは除け者かよ」
魔理沙の抗議が飛んでくる。それに対してできるかどうかを確かめるだけよ、と神奈子が返す。
「なあんか、やな予感がするぜ」
「同感ね。紫に隠岐奈に神奈子が集まっているだけでも面倒ごとに見えるわ」
溜息をついた霊夢が相槌を打つ。
四人の動向を見ているといきなりパチュリーが声を上げた。
「そんな事したら大変な事になるわ!」
「だから紫と隠岐奈に聞いてもらっているの。で、できそう?」
見るからにパチュリーの顔色が悪くなる。反対に隠岐奈は楽しそうである。紫は難しい表情を浮かべ神奈子を見ている。
細々と神奈子とパチュリーが打ち合わせをして四人は霊夢たちと合流する。
「それで。決まったのかしら?」
胡散臭げに霊夢は四人を問い質す。それには紫が決まったわ、と答えた。そういった紫は険しい視線を神奈子と隠岐奈へ向けている。あまり気の乗らない作戦らしい。隠岐奈とは正反対だった。
永琳捕縛作戦で矢面に立つのは神奈子。紫と隠岐奈はその補佐に回り、パチュリーが博麗神社の境内で後衛を務める事になった。また永琳の捕縛作戦の決行は輝夜を捕縛した直後になった。それは先に永琳を捕縛した場合、万が一輝夜が取り返しに来る可能性を鑑みてである。
永琳と輝夜が現状決裂している事を知っていれば必要はなかった措置なのだが、霊夢たちに知る由もなく。唯一知り得る事が出来た立場にいたのは妹紅だが躁状態の輝夜の言からそれを読み取れというのは酷な話である。
現在永琳と交戦中である依姫に関しては戦闘に神奈子が乱入直後、紫が境界を操り博麗神社へ強制移動させる事に決まった。それは依姫の戦い方から見て紫が可能と言った。依姫は永琳と本腰を入れて戦うのを避けている。どう見ても消極的であることは見て取れたからだ。依姫の戦線離脱後は一旦事情を説明しパチュリーの後衛に加わってもらえるように交渉すると紫は言った。
あの堅物がいう事を聞くか、と霊夢と魔理沙は主張したが少なくとも利害は一致しているのだから最低でも邪魔はされないと霊夢たちの主張を却下した。それよりも問題がありそれはパチュリーが担当する後衛だった。パチュリーは後衛の仕事に関して無理だ、と告げた。それはパチュリーの力不足ではなく大魔法使いの視点から作戦を吟味した結果だ。だがそれには隠岐奈が助勢に入るから問題ないと答え、パチュリーの指摘した個所を退けている。そうして作戦に懐疑的だった紫を――無理矢理にではあるが――納得させている。どの道、神奈子の提示した作戦は決まれば一瞬で片が付く。それは紫も認めていた。
どっちつかずになっている霊夢、魔理沙、妖夢、てゐ、美鈴、小悪魔だが、霊夢と魔理沙はパチュリーの後衛に組み込まれた。
霊夢は神降ろしで永琳の悪意を祓う役目がある。依姫が好意的に協力してくれれば霊夢を輝夜へ回すのだが、それが不明瞭である以上、霊夢は永琳組に入る。もう一人禊祓のできる神奈子は戦闘担当なので霊夢が適任なのだ。
魔理沙に関してはパチュリーの補佐に入ってもらう為だ。
残った妖夢、てゐ、美鈴、小悪魔は神社の守護として待機となった。何もなければ輝夜組へ回る事に決定した。
紫は作戦準備として霊夢に神札を各自へ渡すように告げる。それに関しては神奈子も御守りを持参していたため各々が所持できる数があった。
博麗神社に残っていた神札は十一体、御守りは五体。
神奈子が持参した御守りは七体、神札は四体。
霊夢は巫女として博麗神の加護がある為、隠岐奈と神奈子は神である為、そして妖夢は元から神札を持っていたので必要ない。紫も既に神札を受け取っており、てゐも神奈子から御守りを渡されている。
妖夢の神札は萃香から返してもらっており、萃香には代わりの神札を渡している。
咲夜と妹紅は博麗の御守りを手にした。
美鈴、パチュリー、小悪魔は博麗の神札を取る。
鈴仙、魔理沙は守矢の御守りを取った。鈴仙はてゐとお揃いになるからで魔理沙は早苗が手ずから奉製した事に興味があったようだ。珍しそうに見ている。
神札と御守りを受け取った面々を見渡した神奈子がまず咲夜に幻通機を渡した。使用方法を説明し咲夜は耳に装着する。輝夜組の代表として持っていてもらう必要がある。
幻通機に関して鈴仙は事情を知っている為、完成したんですね、と少し嬉しそうに言う。元より彼女の協力なしでは完成しえなかった代物なのだ。
それを見ていた魔理沙が私にもくれよ、と迫るが何せ数が少ないのだ。単独で動かねばならない者以外は班ごとに持った方がいいと神奈子が言う。
輝夜組は代表で咲夜が持つ事になった。
永琳組は紫、隠岐奈は神奈子の補佐として単独で出張るので持つ必要があり、後衛の責任者としてパチュリーも持たねばならない。パチュリーが持つので補佐の魔理沙は現状は必要ないことになる。また禊祓専門として残っている霊夢も必要はない。
神社守護組はすでにてゐが持っている。
――――が。
「――――ん」
霊夢が手を神奈子へ出す。
「後衛はパチュリーが持っているから必要ないでしょう」
「――――んッ」
「あのね、霊夢。これは数が少ないの」
「まだ十個以上あるじゃないの。けちけちしないで寄越しなさいよ」
「霊夢に渡すんなら私にもくれよ。早苗の御守りを選んでやっただろ」
神奈子は頭を抱えて紫と隠岐奈を見た。紫が霊夢に拘っているのは周知の事実だが、隠岐奈は隠岐奈で魔理沙を気に入っているのだ。神奈子の心境としては保護者に助けを求めたつもりなのだが。
「神奈子、観念して渡してあげなさい」
「そうそう。神様足る者慈悲深くなくてはな」
保護者は甘かったようだ。
仕方なく霊夢と魔理沙にも幻通機を渡すと新しい玩具を手にしたように魔理沙はやったぜ、と声を上げる。折角だから誰かと話したいぜ、というので守矢神社にいる諏訪子も持っているからチャンネルを合わせれば諏訪子と通信会話ができるわ、と告げる。魔理沙はチャンネルを諏訪子へ合わせて呼び出す。
――――と。
『このチャンネルは魔理沙かな?』
「おわ~お。諏訪子の声が聞こえるぜ」
『魔理沙も貰ったんだねぇ。これ。それでどうかした?』
「うんにゃ、別に用はなかったんだけど折角貰ったんだ。ちょっと使ってみたくてな」
『なるほどねぇ。で、使ってみた感想はどう?』
「こいつは便利だな。いいもん貰ったぜ」
魔理沙の言い分に横から神奈子が口を挿む。
「本当は売り物なんだけれどね」
組織立って動く天狗へ主に販売するつもりだったのだ。にとり達河童も出来上がった代物を見て自家用に導入したいと言っていたので――――開発元だから格安でというあたりちゃっかりしている――――需要は大有りとみていた神奈子だったのだが、無償配布になるとは大赤字だ。にとりが代金をチャラにしてくれた事が唯一の救いだ。それでも赤字ではあるのだが。
『こんな状況なんだし使えるんだから、あげなよ。けちけちしない――――』
「お? 声が遠くなったぞ? おーい」
諏訪子へ呼びかける魔理沙に使用法の注意として動力源は魔理沙の場合は魔力なのでそれを込めなければ通信がなめらかにできないと教える。
「これで――――いいか。おーい、諏訪子?」
『聞こえるよー。今は魔理沙から私を呼びだしてるから魔理沙の魔力を消費して使用してるんだ。だから魔力の供給が途切れると今みたいに会話に支障がでるよ』
「なるほどな。だいたいわかったぜ。じゃあ切るぜ」
『わかったー』
二人の会話を見ていた霊夢たちもこの幻通機がちゃんと使える代物であると安堵していた。
幻通機の実演が終わったところで各々に作戦準備を促す。
まずは輝夜組が輝夜を捕縛しなければならない。その次が永琳だ。永琳の捕縛の場合、中核となるのはパチュリーになる。
パチュリーは博麗神社の境内に魔法陣を作成し中空に防御魔法壁をいくつも設置していく。その数六十四層。これが第一防壁となる。第二防壁の魔法結界が二十八層。そして本命となる第三防壁が七層。これはパチュリーの七曜を操る力を最大限に発揮した障壁だ。これに隠岐奈が助勢する事で秘神守護・七曜魔法陣が完成する。
それを見ていた紫はやはり一抹の不安を覚えたのかパチュリーに七曜魔法陣をもう一組展開するように指示を出す。
展開された七曜魔法陣に紫が手を加える。
これで第四防壁、結界守護・七曜魔法陣が姿を現す。合計百六層からなる防御魔法陣が敷設された。この百六層の魔法陣全てをパチュリーと魔理沙で運用する。当然魔理沙の魔力も動員される。
続けてパチュリーは紫と隠岐奈と神奈子の傍に寄って対永琳用の作戦準備を始めた。
紫が開いたどこでもない空間の中へ魔法陣を展開する。さらにその空間の中で隠岐奈が扉を創る。
展開された魔法陣へ神奈子が御柱を一柱、装填する。
そして紫がその空間を閉じた。
その光景を見ていた霊夢は一体を行っているのか全く分からなかったが嫌な予感だけは感じ取っていた。
何せパチュリーが作り上げた防御魔法陣は博麗神社の境内に百六層もあり紫と隠岐奈が念を入れて防壁を設置しているのだ。
しかし考えていても始まらない。輝夜組へ視線を向けると咲夜の姿が見当たらない。どうやら輝夜を探して奔走しているらしい。そこへ、その咲夜から霊夢へ連絡が来た。
「霊夢よ。どうかした?」
『ちょっと面倒な事になったわ。永遠亭のお姫様だけど太陽の畑で風見幽香と戦ってるのよ』
「あぁもう。どいつもこいつもやりたい放題ったらありゃしないわ」
『手筈通りに輝夜は私と妹紅、鈴仙で相手をするけど風見幽香までは手が回らないわ。どうする?』
「待機組を回すしかないでしょうね。相談するから戻ってきなさいよ」
『分かったわ。一瞬後に会いましょう』
そこで通信が切れて溜息を一つ霊夢がついたところで咲夜が傍に立っていた。
「お帰りなさい、咲夜さん」
帰還した咲夜に美鈴が労いの言葉を掛ける。
「ただいま、美鈴」
「幽香と輝夜が一緒にいるなんて聞いてないんだけど」
嫌そうな表情を浮かべて霊夢は頭を掻く。
「そうね。それでも何とかするしかないでしょう」
三人は先ほど咲夜が見てきた事を紫たちに説明する。わかったいた事だがいい顔はされなかった。結論として神社の守護を任されていた妖夢、てゐ、美鈴、小悪魔が幽香の相手として動員される事になった。こちらは飽く迄輝夜と引き離すことが目的なので倒さなくてもいい。残る懸念は博麗神社の守護だがこれは話を聞いていた萃香が引き受けるといった。まだ復調していない萃香ではあるが暢気に休んでいるつもりはないようだ。介抱していたあうんは心配そうであるが。
各自の準備が整った所で神奈子が萃香に伊吹瓢を使わせてくれないかと頼んだ。疑問に思った萃香がなぜと訊ね返すと神奈子は出陣する前に三献の儀を執り行うからと答えた。
本当は打ち鮑、勝ち栗、昆布と共に口にするもので戦いへ赴く者の勝利を願う儀式なのだが幻想郷には海がないので鮑と昆布は手に入らず、栗も時期が違う。多少の捻りは目を瞑るとして三献を飲み干す事が肝要なのだ。そもそも軍神の神奈子が武運長久を――――神奈子は祈られる側であるから――――約束するのだ。
出陣前に三献とは豪儀なことだ、と萃香は喜んで伊吹瓢を使わう事を許可してくれたが、中身は鬼が呑むきつい酒である。
持ち主の萃香、また神の神奈子や隠岐奈、大妖怪である紫はともかく人間である霊夢や魔理沙たちが原液で飲むと大変な事になる。ましてや戦いの前に。人間組と希望する者は咲夜が紅魔館から持ち出した酒になった。鬼の酒は萃香、神奈子、隠岐奈、紫、鈴仙、てゐ、美鈴、妹紅が希望した。
鈴仙とてゐは一度鬼の酒を飲んだことがあり、美鈴と妹紅は興味から選んだ。妹紅は人間だが蓬莱人でもある。酔って殺されても生き返るんだから鬼の酒を味わってみたい、と霊夢や魔理沙が呆れる理由で選んでいた。萃香は言わずもがなで神奈子、隠岐奈、紫は当然のように鬼の酒を選択した。
霊夢、魔理沙、咲夜は紅魔館の酒となり、妖夢は紅魔館のパーティで飲んだ事があるのでこちらを選んだ。パチュリー、小悪魔は飲み慣れているのが選んだ理由である。
霊夢に割ってもいい酒杯を用意してもらい、円陣に並び、先に紅魔館の酒を注ぐ。これを霊夢、魔理沙、咲夜、妖夢、パチュリー、小悪魔で順繰りに呷る。小悪魔でなくなった酒杯に次は鬼の酒が注がれる。萃香、隠岐奈、紫、鈴仙、てゐ、美鈴、妹紅、神奈子の順でこれを飲み干す。
この儀式を三度行う。最後に杯を飲み干した神奈子は酒杯を天高く掲げ、全員へ武運長久を約束し、神威の籠った結びの詞と共に酒杯を振り下ろし叩き割った。
「……おお、なんだかやれる気がしてくるぜ」
「なんかこう、勇気が湧いてくるね」
魔理沙は手を握ったり開いたりして力を得ている事を確認していた。それに妖夢も賛同する。
「悪くない。悪くないな、他の神の力を味わうというのも。これはなかなか」
不敵に笑う隠岐奈は加護を堪能しているようだ。
「へぇ~。ちゃんと神徳があんのねぇ」
感心したようにいうのは霊夢だった。流石は巫女でありながら自身が仕える神を知らぬ博麗の巫女である。だがそこに嫌味が入らないのは霊夢の人柄と言える。
「今からでも祭神にしてくれていいのよ?」
「それはほら、うちはうちの良さがあんだから。うちは今のままでいいの。大体勧請して分社を建てたんだからそれで満足しなさいよ。それより、うちの杯、割ったんだから弁償なさいよ」
「…………今度、早苗に持ってこさせるわ」
「アンタが割ったんだからアンタが持ってきなさいよ。それに分社もたまには見に来なさい。いつも山で踏ん反り返ってるんだから罰は当たらないわよ」
ここまでずけずけと言われてはむしろ清々しさすらある物言いである。
「本当に。霊夢、貴方気づいていないかもしれないけど」
「何よ?」
「紫に対してもそうだけど、気を許した相手には遠慮がないわね、貴方。ま、それが霊夢の良さなのかもね?」
思わぬ指摘を受けた霊夢は照れ隠しかそっぽを向いて、
「ほっときなさい!」
と言った。
「じゃあ私らは輝夜を捕まえに行ってくる」
妹紅と咲夜、鈴仙の輝夜組が出立する。
同時に妖夢、てゐ、美鈴、小悪魔の幽香組も太陽の畑へ向けて出発する。
二組が作戦を開始した所で永琳組も動き始める。
依姫と永琳の死闘を眺めている神奈子に霊夢が訊ねる。
「アンタ、もしかしてあいつのこと知ってるの?」
その声が聞こえたのか魔理沙も重ねて訊いた。
「アイツ、月人だけど神様呼んでたし、神様の親戚みたいなもんだろ? 神奈子も神様だし昔の知り合いだったりするのか?」
神奈子は少し悩んでから答えた。
「知り合い……なんでしょうね。今となっては」
「訳ありか?」
「……まあ、ね。もっとも依姫様からすれば複雑な関係になるかもしれないけれど」
「依姫様ぁ?」
神奈子が依姫を敬った言い方をした事に魔理沙も霊夢も驚く。
「……貴方達は人を敬う事をした方がいいわ」
「言われなくたって尊敬できる奴は尊敬してるぜ。どんな接し方でも要は気持ちの問題だろ?」
「丁寧な口調だからって腹では何考えてるかわかんないもんよ。だったら開けっぴろげに喋ってくれた方が気兼ねしなくていいわ」
二人を見ているとまさに類は友を呼ぶというべきだろうか。だからこそ人間も妖怪もこの二人にはある種信頼を置いているのだろう。霊夢は博麗の巫女の役割もあろうが、多くを惹きつけるのは彼女の人柄と呼べる。
多方に顔が利く魔理沙は同時に交友範囲が広い。それも素直に己の心をぶつけてくるからこそ、だろうか。
「全く。思ったことをそのまま口に出せばいいってものでもないのだけどね。――――でも、嫌いじゃないわ。素直にものを言ってくれるっていうのはね」
「そうだろ? だから私は直接言ってやるんだ。言わなきゃ何考えてるかわかんないからな。その為の口だろ? 喋らなくても伝わるのはさとりくらいだぜ」
からからと笑いながら答える魔理沙を見ていると邪念はひとかけらも感じない。
「それより。神奈子、アンタ。これから永琳とやり合うのに暢気にしてていいの? スペルカードルールじゃないわよ、これ」
依姫と永琳の戦いを目を眇めて眺める霊夢が言う。竹林のやや上空で防戦一方となっている依姫の動きは明らかに精彩を欠いている。
依姫の力に関して霊夢も魔理沙もよく知っている。その依姫が永琳に対して消極的に戦っている事は二人の関係を思えば仕方ない。月を去った永琳は咎人かもしれないが依姫にとっては今なお尊敬する師であるのだから。
「実際の所。神奈子、アンタどれぐらい強いわけ?」
「それはまた、難しい事を訊ねてくるわね」
肩を竦める神奈子に霊夢はさらに踏み込む。
「これでも心配して言ってるのよ? 永琳は――――強いわよ」
「それは――――知ってるわ。ただね、戦いというのは絶望的な戦力差があったとしても時と場合、天の運が全てをひっくり返す場合があるの。それに敵わないと分かっていても人事を尽くして天命を待つ所まで行けば戦いを五分五分まで持っていける可能性だってあるわ。今回私は永琳を引き摺り下ろす為に策を練った。これでも軍神よ、私。軍略に関しては永琳の叡智にだって届くわ。私は別に永琳に敗れてもいいのよ。私達の勝利目標は永琳の捕縛だからね。それが叶った時が私達の勝利であり、叶わなかった時が敗北という訳。そこに私の敗北があったとしても最後に勝ったのならそれは勝ちなのよ。この戦いは、要は作戦の成否が勝敗を分けると私は睨んでいるわ」
「それが大丈夫かって聞いてるのよ。アンタと紫と隠岐奈とパチュリーの作戦、本当に大丈夫なんでしょうね?」
「あれだけの魔法陣だもんな。相当何かを仕込んでるんだろうから勝算があるとは思うけど、どうなんだ、そこんところ?」
「まあ、そうね。決まれば一瞬でしょうね。問題は神社に被害が出ない為の魔法陣が持つかどうかに掛かってるのよ。それをパチュリーに確かめたの。彼女の見立てでは正直厳しいと言われたけれどね。隠岐奈が助勢に入ると言ってくれたからいけると踏んだ訳よ」
「それだけ言うなら見せてもらうわよ。でも、アンタも永琳も無事に帰ってきなさい」
「もちろん、そのつもりよ」
霊夢と魔理沙の心配は神奈子に負けられないな、と気持ちを新たにさせた。
しばらくすれば咲夜達が輝夜と、妖夢達が幽香と戦闘に入る筈だ。こちらもスペルカードルールを超えている為、生半可な戦いにはならないだろう。けれど武運長久を約束している。戦いにおいて天の運は咲夜達に向いている。
パチュリーの方へ視線を向けると紫と隠岐奈が防御魔法陣を念入りに確認している。そう、この魔法陣こそが要となる。
後は――――。
神奈子が乱入した後、依姫を紫が強制的に博麗神社へ移動させる訳だが。
依姫が協力してくれればもっと作戦の成功率はぐっと上がる。
かつての師匠と鎬を削る依姫を眺めながら、神奈子はその背後にいるであろう未だ姿を現さない悪意の首魁、アラディア・アーリマンを見据えていた。