偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil. 作:加賀アスナ
第20話
それが一種の空間跳躍であることを綿月依姫は瞬時に理解した。同時にそんな事が可能な人物として真っ先に八雲紫を思い浮かべた。
空間の境界を弄る事はできても、それ自体は依姫に対して被害を齎すものではない。跳躍した先で被害を受けるような事があったとしても跳躍している最中は身も蓋もない言い方をすれば移動をしているに過ぎない。
月の都が悪意に汚染され、師である八意永琳が敵意を向けてくる。それによって誰が得をするのかと考えれば二度も月への侵攻を企んだ幻想郷の賢者――八雲紫が首謀者である可能性はゼロではないと思っていたのだが。
しかし、明らかにいくら名のある大妖怪だとしても一人の仕業とは考えにくい。こんな事が可能であったならば二度の月侵攻で弄していた筈だ。そもそも幻想郷にも悪意は蔓延している訳で、そんな事をした所で賢者として何の得があるのか。
悪意の根本を断つべく永琳へ接触しようとしたがそれは失敗に終わった。
そこへ八雲紫が依姫に接近してきたという事は即、戦闘状態に突入することはないだろう。
意識的には一瞬だった切れ間の空間跳躍を経て見ている風景が変わる。
石畳の参道へ放り出された依姫はそれでも戦闘態勢を維持したまま周囲を確認、警戒する。
目の前には八雲紫の姿、その隣に仏頂面の博麗霊夢の姿がある。奥の境内の広い場所には陣を管理している魔法使いと霧雨魔理沙がいる。その外にも紅魔館から避難してきた妖精メイド、ホフゴブリン達を依姫は目撃する。
「ご機嫌は如何かしら? 月の使者」
扇子を広げ口元を隠す紫を一瞥して霊夢へ視線をうつす。こちらは紫に対して思う所があるらしい。
隣に立つ紫を肘で小突いてから依姫へ顔を向けてきた。
「あ~。ええと、久しぶりでいいのかしらね?」
申し訳なさそうに霊夢が言う。霊夢の姿を見るに月へ対する敵対意識はないようだった。紫への警戒はそのままに依姫は戦闘態勢を解いた。
「すまないけど。悠長に挨拶をしている暇はないわ、霊夢。何が起こっているのか、知っている事を答えてくれるかしら?」
「あら。月の使者ともあろうものが、えらく余裕のない態度ね?」
紫の皮肉めいた言葉を無視して視線を霊夢へ向けたまま催促する。依姫と紫。二人の間に剣呑な気配が漂うのを感じながら、その原因の一人である紫をもう一度小突いて大きな溜息を霊夢がつく。こんな状況で悪戯に相手を挑発するのはやめて欲しいとばかりに。
「紫、巫山戯てる場合じゃないでしょうが。何でいちいち癇に障る様な言い方するのよ。説明役だって自分で言ったじゃないの」
「んもう。霊夢ったら、こういうのは順序があるものなのよ。馬鹿丁寧に教えたらありがたみってものがないでしょう?」
「な~にが、ありがたみよ。大体アンタだって隠岐奈から聞くまで分かってなかったでしょうに。それにここで依姫を怒らせたところで良い事なんて何もないでしょうが」
八雲紫はともかく。
霊夢の方は状況を説明してくれる用意があるらしい。
「霊夢。教えてもらえる? 何が起きているのか」
「本当は紫が説明するはずだったんだけど、仕方ないわ」
肩を竦めた霊夢が何が起こってしまったか、その原因が何かを掻い摘んで語った。時折り八雲紫が足りない部分を補ったが大まかなところは十分に伝わった。
「そう。原初の悪神……ね。厄介なものを引き入れたものね。その余波が月にも届いた、そういう事」
全体像がようやく依姫にも理解できた。
――――アラディア・アーリマン。
それが月を覆った悪意の首魁。
「それで。その悪神はどこに?」
「それが、ね」
霊夢が眉根を寄せて紫を見る。それだけで芳しくない状況なのだと依姫は察した。
しかし。
月への悪意の蔓延が幻想郷の賢者たちの主導ではないと裏付けが取れた事は収穫と言えた。少なくとも月の上層部への最低限の報告はできる。
霊夢が言うにはアラディアは未だ姿を現していないらしい。
根本的な原因を排除するのはまだ難しいという。
その為に今は悪意に汚染された者達を回収し悪意を祓い、地道に悪意を消しているのだと語る。
けれど。
その悪意汚染の対象に蓬莱山輝夜と八意永琳が含まれている事が紫と霊夢の頭を悩ませていた。敵に回るのならトップクラスの危険人物達。
しかし蓬莱山輝夜の方はどうにか回収し悪意を祓う事が叶ったようだ。
だが。
依姫は竹林上空へ視線を向ける。先ほどまで自身がどうにか凌いでいた永琳を相手に八坂神奈子が戦っている。
「八意様相手に……」
「紫がアンタを神社へ移動させたら神奈子が矢面に立つ算段になってたのよ」
霊夢の言葉に依姫は目を瞠った。以前その名前は聞いた覚えがある。神様相手では勝手が違うだとかなんとかと言っていた筈だ。
――――では。
永琳相手に戦っているのが神奈子という人物であるならば。
「――――ヤサカ……カナコ? あれが?」
そう呟いた声が霊夢には聞こえたらしい。
「やっぱりアンタも神奈子の事知ってるわけ? アイツは知ってたわよ?」
神奈子は依姫を知っている、と霊夢は言った。
となるともう間違いではあるまい。
「――――そう。やはりヤサカ、なのね」
「アイツ、アンタのこと依姫様って呼んでたわよ? 今となっては知り合いだって」
「知り合い――――確かに、そうかもしれない」
忘れるはずもない。
以前、月へやってきた霊夢達だが霊夢は神降ろしの件で一人月へ残った期間がある。
その際に依姫が付き添っていたのだが霊夢の世話焼きもしていた。その振る舞いはまるでマイペースな妹を嗜めるような姉のようだった。依姫自身は豊姫の妹だというのに。
しかし。
実際に姉であったのだ。
国譲り以前の海神族の竜宮には三人の姫がいたのだから。
あの運命の日。それも海神族の神事である御船祭の当日にヤサカが姿を消すまでは。
永琳相手に一歩も退かず戦っている姿を目の当たりにして依姫は思う。出雲族、それもおそらくはオオクニヌシだろうが如何にしてヤサカを治したのか。
そう。治した――――。
信じられない事だがかつてのヤサカはとても体が弱かったのだ。だから竜宮城から出る事が叶わなかった。そんな彼女へ甲斐甲斐しく世話を焼いたものである。
父であるオオワタツミは末娘を特に可愛がった。体の弱さも相まって箱入りも箱入りで竜宮城外に出してもらったことがない事を憶えている。そんな妹を思って外の事、地上の事、多くの事を語ってあげたことを憶えている。地上に関しては豊姫の方がよく語っていたと思う。
だが。
ヤサカは姿を消した。何を思って姿を消したのか依姫には心当たりがあった。
――――いつか海の外の世界を見てみたい。
それがヤサカの口癖だった。体の弱さとは裏腹に胆の据わった性格でいつかは行動を起こすだろうと考えてはいた。きっと少し外を見る事ができたならすぐに戻ってくると思っていた。
けれど。ヤサカは戻っては来なかった。
国譲りが成った時、アマテラスの前に現れるまでは亡くなったものだと思っていた。それがタケミカヅチとフツヌシというアマツカミの中でも戦いを司る神を相手に戦い、そして生き残り、アマテラスへ上申し狩猟の許可を勝ち取るまでになっていたのだ。
オオクニヌシがどうやって体の弱さを治したのか、それはもう永遠の謎になってしまったが。オオクニヌシは医療の神でもある。その辺りの知識でヤサカを治した――――のだとは思うのだが。
依姫はオオワタツミに従いアマツカミへ恭順しツクヨミの要請でオモイカネこと永琳が月の都を創設した際にともに移住した。
月の使者へ昇進してからというもの訓練と稽古は欠かさず行っていた。尊敬する永琳から受け継いだ役目を全うするという気持ちもあったが同時に確かにいたはずの妹の存在をよりにもよって父に消されたという事実が依姫の心に強くならなければいけないと意識させたのだ。
まさか。
幻想郷に来ていたとは思わなかった。
神奈子と永琳の戦いを眺める中、紫から永琳の捕縛作戦の実行中であり、必ず神社へ永琳を連れてくる予定になっていると聞かされた。
その際に――協力とまでは言わないわ、手出しは控えてもらえるかしら、と釘を刺された。これは幻想郷の問題であって月とは何にも関係がない事だから、と念押しまで付け加えられて。
悪意に汚染されていたとしても永琳は既に幻想郷の住人であると紫は主張しているのだ。
依姫の任務は月の都を覆った悪意の原因を取り除く事だ。つまりアラディア・アーリマンをどうにかするまでは月への帰還は許されていない。
そしてアラディアは姿を現していないという。もしかすると月に隠れている可能性もあるということも考えられる。しかしそうなると月から悪意をばら撒いたとも言える。幻想郷側へ大きな借りを作ることにもなりかねない。下手な対応は付け入れられる隙を見せることになる。現在の月は姉である豊姫を残し全ての住人は夢の世界へ避難している。アラディアが何を目的に悪意をばら撒いているのかは定かではないが月を占領するのなら月人同士の衝突は絶好の機会であったのに依姫が豊姫の力で幻想郷へ送り込まれるまで何も起こらなかったのだ。
となると、アラディアの目的は別にあると考えた方がいいだろう。ならば幻想郷において悪意に汚染された者が減少すれば原初の悪神は何かしらの行動を起こす確率が高いはずだ。
自ら手を出せないのは歯がゆさもあるが今は、大人しく事態の推移を見守るのが妥当か。
そう考えた所で依姫はそれでも譲れない一線を口にした。
「貴方達の邪魔はしません。こちらは別に事態をややこしくするつもりはないわ。悪意の元凶を把握できただけでも十分です。けれど――――八意様に関してはこちらにも考えがあります。確かに幻想郷の住人かもしれませんが、あの方は月の内情を存じています。八意様に関してはこちらにも干渉する権利があるわ」
依姫の言葉に紫は嘆息し肩を竦めた。
「まあ。そこが落としどころでしょうね。神奈子が永琳を神社へ連れてくれば好きにしてもらって構わないわ」
「結構」
紫との交渉が終わったところで霊夢へ視線を向けた。
「霊夢。話はまとまったから休める場所に案内してくれるかしら?」
「休めるもなにもここが私の家だけどさ。今はちょっとゆっくりはできないかも」
霊夢が指示した場所は神社の居住スペース。幾人かが寝かされている。悪意を祓われた者だろうか。
依姫は縁側へ腰かけて竹林の上空で行われている戦いを複雑な思いで眺めて厳しい表情を浮かべる。
かつての師匠か、あるいはかつての妹か。
月人となり老いを失くした依姫より成長した妹――――ヤサカを思う。彼女は依姫を憶えていた。だが今となっては知り合いだと霊夢は言った。依姫本人ではなく第三者の霊夢に語っている事からそう思っているのは事実だろう。
だがそれは、依姫の方がもう姉妹の関係ではないと思われているのか、それともヤサカ自身が姉妹ではないとそう思っての知り合いという意味なのか。
意図せぬ実妹との邂逅に依姫の心は揺れていた。
◆
紅魔館の地下には巨大な空間があり、そこにパチュリー・ノーレッジが一日の大半を過ごす大図書館が造営されている。魔道に関わる書物が多く、古典魔法から現代魔道まで幅広く蒐集し所蔵している。さらに新たな魔法を開発する際の着想を得る為にあらゆるジャンルの書物も書架に並んでいた。娯楽小説を始め、漫画、画集、学問書、哲学書、思想書などなどなど。
大図書館の中は書物の保存に適した書庫環境に整えられており、地下にある為、日焼けは当然なく、温度、湿度も最適に設定されている。さらに不慮の事故を想定し本の最大の天敵である火事が起きたとしても防火の魔法障壁を展開済みである。それに足して防水、防弾等の備えは万全となっている。このお陰で館内での弾幕勝負が可能となった。
現在紅魔館全体はもぬけの殻であり、大図書館もまた誰一人としていない。
そこへ博麗神社から転移魔法を行使したパチュリーの魔法陣が
中空に展開され浮かび上がる。発光する魔法陣の中から、紅美鈴、小悪魔、藤原妹紅、アリス・マーガトロイドの四人が召喚された。
美鈴と小悪魔にとっては随分と懐かしく感じる我が家であった。アリスも偶に訪ねる事があるので久しぶりの大図書館だった。対して物珍しそうに周囲を眺めていたのは妹紅だ。紅魔館で行われるパーティや催し物では大体がホールを会場にしているので妹紅からすれば馴染みがない場所である。
蔵書の多さに感心するものの今はそれどころではない。意識を切り替えて勝手知ったるであろう美鈴と小悪魔にまずは地上へ出るルートを訊ねた。しかし美鈴は首を傾げ、小悪魔は表情が硬かった。
「おい、どうしたんだ。まずは外に――――」
そう口にした妹紅へ美鈴が言った。
「そうするべきなんでしょうが、少し面倒な事になっているかもしれません」
「面倒? それはどういう?」
美鈴の言葉にアリスが訊き返した。すると手のひらに小さな魔法陣を展開していた小悪魔が言った。
「何者かが紅魔館に侵入しているみたいです。おそらく外のテラスあたりですね。レミリア様とフラン様ではたぶん、ないですね
」
「やっぱりそんな気がしたんですよね」
美鈴は気を読む力がある。その能力で紅魔館の空気が違う事に気づいていたようだ。
侵入者――――という事になるのだろう。この状況でもぬけの殻の紅魔館にどういう用があるのかは見当もつかないが十中八九悪意に汚染された者であろうと美鈴達は結論付けた。
レミリアとフランを助ける前に侵入者の排除、というより捕縛を行う事になるとは。
一同は気を引き締め先導する美鈴の後に続いた。
目指すテラスへはすぐに辿り着いた。
壁際に身を寄せて気配を殺しテラスへ陣取る者達を窺う。するとテラスに設けられた席に座り上空を見上げているではないか。
剣呑な雰囲気ではないが接触するまではどう転ぶか分からない。それを見た妹紅は美鈴へ自分が交渉に当たるといい、顔を出した。
テラス席に座っているのは――――あれはお騒がせ天人のお目付け役の永江衣玖と貧乏神の依神紫苑の二人。
そして。
席のすぐ傍に神霊廟の物部布都と蘇我屠自古が羽衣によって拘束され転がっている。
屠自古の方は完全に簀巻き状態だったが布都は手足を縛られた状態で恨めしそうに衣玖を眺めていた。
――――どういう状況なんだ?
何とも理解しがたい光景だ。とはいえ交渉に当たると言い出したのは妹紅である。
意を決して彼女達の前に姿を見せた。
「寛いでいる最中に済まないが、ちょっといいか?」
やや距離を保ったまま衣玖へ声を掛ける。彼女は一瞬怪訝な表情を浮かべ妹紅を足元から顔まで見上げていきなり交戦するような相手ではないと判断したのか向かい合うように席を立った。
「これは。私に、というより私達にですね? 何か用でしょうか?」
「ここが紅魔館って事は流石に知ってるよな? アンタ達が招かれてここにいるようには見えなくてね。ま、言い分があるだろうから喋ってくれると助かるんだが」
「そういう事ですか。ですが貴方も招かれたようには見えませんが?」
「招かれた訳じゃないのは確かだな。だけど許可はあるんだ」
妹紅が振り返り美鈴達へ手招きをした。それを合図に美鈴、小悪魔、アリスが姿を見せた。
「美鈴と小悪魔の家族があそこにいる吸血鬼なんだが、そいつを助けに来たんだよ、私達は」
空に広がった紅霧を指差して妹紅が言う。さらに続けて。
「今はちょいと拙い事が起こっていてな、良くないものが出てきてるんだ。それに汚染されちまうと少し困った事になるんだよ。見た所、あんたは汚染されてないようには見えるけどな」
「汚染……? なるほど。大体状況は飲み込めました」
布都から事情を聞いていた衣玖は妹紅たちが悪意汚染の事を警戒しているのだと察する事ができた。
衣玖達を警戒しているという事は妹紅達もまた汚染されていないと言える。加護かなにかを得ているのだろう。
そう見当をつけた衣玖は自分たちがここにいる事を掻い摘んで説明した。
互いの情報が伝わったところで双方が悪意に汚染された状態ではない事――屠自古を除く――を確認できたところでようやく張り詰めていた気を緩める事ができた。
妹紅達――正確には美鈴と小悪魔だがレミリアとフランを助ける為に来た事も理解できた。同時にそんな状況とは知らずにレミリア達に剣を向けた天子に代わって衣玖は美鈴と小悪魔に謝罪をした。美鈴達には苦笑いを浮かべられてしまったが。
事情を知った妹紅は拘束されている布都の羽衣を外してあげた。彼女が衣玖と合流していなければ事情が通じなかったのだから。
「ようやく助かったのだ。妹紅殿、礼を言うぞ」
「ああ、気にするな」
「それにしても衣玖殿、この仕打ちは酷いのじゃ」
恨みがましい視線を衣玖へ向ける布都だったが衣玖はわかさぎ姫の一件を引き合いに出し仕方ない処置であったと言った。無論ごめんなさいね、と謝罪もあったけれど。
屠自古に関しては悪意を祓ったわけではない為、回収してもらうのがいいだろう、とアリスが提案した。このまま簀巻き状態では忍びないと思ったらしい。その意見には妹紅も賛成だった。早速幻通機で霊夢へチャンネルを開いたのだが、どうにも調子がおかしいのか通じなかった。不調か、それとも壊れたのか、一瞬嫌な想像が脳裏を過ぎったがたまたま霊夢へ通じなかった可能性もある。確かパチュリーも幻通機を持っていたはず、と思い返した妹紅はパチュリーへチャンネルを開いた。
――――と。
『パチュリーよ。どうかしたの?』
「妹紅だけど、聞こえてるな?」
『ええ。大丈夫よ』
「さっき霊夢へ話そうとしたんだがな、どうにも通じなくてな。あんたに切り替えたんだ。悪いんだが八雲紫に伝えてくれないか。神霊廟の蘇我屠自古が悪意汚染されてるんだ。回収を頼む。もう一人、物部布都もいるがこっちは大丈夫だ」
『神霊廟? ――――どうして神霊廟の彼女達がいるのかは後で聞くわ――――って。ちょっと待ってて』
パチュリーの声が遠くなる。同時に霊夢らしき声も幻通機を通して僅かに聞こえてくる。
布都と屠自古の事を喋っているらしい。
幻通機の仕組みはよく分からないが霊夢は霊夢で誰かと喋っていたから通じなかったようだ。
やや遠かったパチュリーの声が戻ってくる。
『悪いわね。ちょっと霊夢と話してたから。それで蘇我屠自古の回収ね。伝えておくわ。他にはなにかある?』
「いや取り敢えずはそれだけだ。何かあればまた幻通機を使うよ」
『分かったわ。では切るわね』
パチュリーとの連絡が終わり屠自古の回収の目途が付いた事を布都へ伝えると彼女は安堵して胸をなでおろしていた。神霊廟から飛び出して以来、屠自古は悪意汚染に晒されたままだったからだ。そして屠自古がいたからこそ布都は汚染を免れていたともいえる。
パチュリーに回収を頼んだものの、すぐに切れ間が現れなかったので神社の方でもなにやら取り込み中らしいと察した。輝夜を捕縛した事で次の作戦も始まっている筈だ。そうなると神社には月の使者がいる事になる。月と幻想郷はややこしい間柄ではあるが、こんな状況で一悶着起こすのはやめてもらいたい所だ。無論、博麗の巫女である霊夢がいる以上は衝突染みたことは起こらないと思うがパチュリーから八雲紫へこちらの事情が伝わったとしても――あるいはそれ以前に紫と月の使者とで揉めているのかもしれないが――もしくは建設的に互いの情報を交換し合っている可能性もあるかもしれない。何にせよ取り込み中である事には変わりない。
妹紅は美鈴達と衣玖達に神社で起こっているであろう推測を述べた。それから当初の目的であるレミリアとフランを助けるプランを立てようと提案する。見る限り天子が徐々にではあるが吸血鬼姉妹を相手取りながらも優勢に持って行っている。やはり相手の弱点の気質に変化する緋想の剣の効果は絶大だった。全人類の緋想天を繰り出しレミリアの紅霧を日光の力で大幅に削っていた。その都度に紅霧を再出現させているレミリアだがその負担は大きいだろう。徐々にではあるがその負担が彼女の動きを鈍化させていた。夜の中では無類の強さを誇る吸血鬼といえども夜を打ち払う太陽の力を持ってこられては厳しいと言わざるとえない。
どうしたものか、と妹紅は考える。戦力でいうのなら頭数はレミリアとフランを超える数ではある。しかし実情を分かっていない天子がいる。彼女の説得は衣玖に任せるにしても素直に従ってくれるのだろうか。
そして何より。
美鈴と小悪魔が主に手をあげられるのか、という点だ。助けるといっても悪意の汚染具合では力尽くで抑えるしかない。輝夜然り幽香然りだ。
念のために美鈴と小悪魔に確認を取る。しかし妹紅が気にしていた点は杞憂だった。
主の乱心を諫めるのも従者の役目ですから、とは美鈴の言だ。それに正当な理由があっての事だからこの程度でレミリアの怒りを買うことはまずないとまで言い切った。
この信頼の厚さに妹紅は考えを改めた。美鈴と小悪魔は十分な戦力になり得る、と。妹紅の視線は拘束されている屠自古へ向かい、さらに紫苑へと動いた。紫苑はある意味では強力な人材ではある。憑依異変でそれは妹紅自身が体験済みだ。だが、彼女が力を発揮した場合、彼女を含めて誰も幸せにならない結末しか訪れない。紫苑に力を借りるのは最終手段になるだろう。無論そうならない為に策を講ずる必要があるのは間違いない。
妹紅が考え込んでいると衣玖が言葉をはさんできた。
「よろしいですか?」
「なんだ?」
「そちらの事情は分かりましたし、あの吸血鬼のお嬢さん方を助けたいのは理解できました。しかし元来吸血鬼というのは力のある種族です。特に夜になれば無類の強さを発揮するとか」
「ああ、そうだな。だから困ってる。あの赤い霧の中では分が悪い」
「そうでしょうね。しかし総領娘様が持つ緋想の剣なら切り裂く事が可能なのは見ればわかりますね?」
「どういう原理かは分からないがな」
「そこでです。今しばらく様子を見てはいかがでしょう? 総領娘様も吸血鬼のお嬢さん方も大分消耗してきています。その内、どちらかが力尽きるのは目に見えています」
「それまでまて、って事か?」
「それがよろしいでしょう。総領娘様にしても事情を知らないまま異変解決だと意気込んで首を突っ込んでいるのです。説明をするにしても力が尽きて大人しくなった時の方が理解して下さるでしょう。それに吸血鬼のお嬢さん方が先に力尽きれば我々で総領娘様を止めればいいだけの話ですので」
衣玖の話も一理ある、と妹紅は思った。確かにレミリアは相当な消耗を強いられている。紅霧を幾度も出現させているのは彼女だ。フランはその恩恵を預かっているに過ぎない。そのフランも天子に切り裂かれた紅霧の切れ間から差す日光に何度も晒されている。しかし二対一というアドバンテージは天子を確実に追い詰めているのも確かだ。衣玖の言う通り今しばらく様子を見るのも悪くない選択だ。近い内に決着がつくだろう。
衣玖の提案をどう受け取るか、率直に美鈴へ訊ねると彼女はそれで構わないと答えた。ただし先にレミリアが力尽きた場合はすぐに介入し救助に当たることが大前提だと述べた。逆に天子が力尽きた場合は天子の代わりにレミリアの前に立つとも答えた。
美鈴が言うのであれば、と妹紅はそれに従うと言った。アリスはどうかと訊ねると彼女もそれでいいという。
衣玖の提案に乗り、妹紅たちもテラス席で天子とレミリア達の攻防を見守る。
互いに目の前の相手を下す事に専念しているが動きや技の切れは消耗した肉体では精彩を欠いている。衣玖の言う通り決着がつくのは思いのほかすぐかもしれない、と厳しい表情を浮かべている美鈴を横目で見ながら妹紅は思った。
◆
未刻半を回ったあたりで魂魄妖夢は白玉楼の庭へ降り立った。
パチュリーの転移魔法は正確に白玉楼へ運んでくれたようだ。
続いて鈴仙、成美、萃香が展開された魔法陣より現れた。幸いな事に白玉楼の敷地には亡者の群れの姿はなかったが同時に常駐している幽霊達の姿も見当たらなかった。
随分と懐かしく感じる我が家に妖夢は感慨深さを覚えたが彼女の主の姿がない。彼岸の春を奪うべく侵攻を開始した幽々子を止めなければならない。
主不在の白玉楼を眺めていた妖夢に敷地を囲う築地の瓦屋根に上っていた萃香が声を掛けてくる。
「感慨深いのもいいが、呆けている場合じゃあなさそうだぞ」
屋根に胡坐を掻いて伊吹瓢を呷る萃香の眼下には亡者の群れが彷徨っていた。白玉楼を目的としている訳ではなさそうだが迷い込んできた、という風でもない。
萃香達には知る由のない事だが白玉楼へ至る長い階段の踊り場には亡者でさえ突破不可能な悪意の壁が数刻ほど前まで満ちていた。緱婉姈が八雲藍――――九尾へ施していた式神の固着に悪意の壁を用意していたのである。質の悪い事に触れた亡者を取り込み悪意の源泉と化してしまう深さを持つ壁に対して亡者たちは恐れ戦き白玉楼にある冥界と顕性の結界の綻びから地上へ脱出を図る者は結果としていなくなっていたのだ。クラウンピースが飲み込まれなかったのは偏にヘカーティアの加護のお陰だったのである。しかし新しい式神をつけられた九尾は妖怪の山へ召喚され悪意の壁は徐々に消えつつあったのだ。
そこへ妖夢達が現れたのはまさに僥倖だった。もし亡者たちが悪意の壁の消失を知ってしまったら旧地獄の血の池地獄を経由して地底を滅茶苦茶にしているように白玉楼を経て地上へ侵攻を開始していたかもしれない。
屋根から飛び降りた萃香は着地と同時に亡者の一体を踏み潰し鬼の腕力に物を言わせて彷徨う亡者を薙ぎ倒していく。
「味気ないねぇ」
辛うじて萃香の一撃に晒されなかった亡者たちの周りに赤い光球が発生する。萃香が警告をした際に矢田寺成美も築地の瓦屋根へ上っていたのである。
赤い光球は彼女の業火救済である。既に閻魔の裁きを受けていながらも悪意に付け入れられ生を求めようと足掻く亡者を哀れに感じたからだ。業火の如く、赤い光球は亡者たちへ一斉に放たれる。せめてもの慈悲。地獄の炎にて浄化された方が救いになると思っての事だった。
萃香と成美によって白玉楼の外で彷徨う亡者たちは一掃された。
「やるじゃないか、地蔵のお嬢さん」
「何故かしらね。あの亡者たちが余りに哀れに見えたの」
「地蔵ってのは衆生の救済の為にいるんだろ? アレは地獄に落ちた輩共だ。業火で焼き尽くしたのはせめてもの慈悲って事かい? 心が広いねぇ」
からからと笑う萃香に嫌味はなく成美は消し炭になった亡者だった者へ手を合わせた。
白玉楼から妖夢と鈴仙も姿を現し、亡者の群れがここまで迫っている事を改めて認識した。妖夢が言うには幽々子は彼岸の春を奪う為に行動を起こしているという。おそらく三途の川あたりにいるのではないかと推測される。
萃香を先頭に遭遇する亡者を屠りながら一同は三途の川を目指して進んでいく。亡者の数は増えもせず減りもせず彷徨いながら白玉楼の方向へ向かっているようなそんな様相だった。
妖夢は怪訝に思う。
亡者がこんなに少ないわけがない、と。
博麗神社へ妖夢が辿り着く前に彼女は白玉楼を出て行った幽々子を追いかけている。幽々子には一度ぶちのめされて伸びていた妖夢だが立ち上がってそれでも追いかけたのだ。けれど幽々子は随分と先へ進んだらしく追いつく事はできなかった。かわりに亡者の群れと遭遇し、これを切り伏せた。正直に言えば幽々子は手加減をしていたのでは、と思うくらい亡者の数に圧倒された。せめて白玉楼が戦場にならないように、と向かってくる亡者は殲滅したのである。それから白玉楼へ帰還し博麗神社へ向かったのだ。妖夢が負傷していたのはこれが原因だったのである。
亡者が白玉楼を目指していないが故に数が少ないのなら納得もしよう。けれど何らかの原因があり一時的に数が減っているのだとしたらどうだろうか。
嫌な想像だが最悪の事態は考えておかねばならない。杞憂であればそれでいいのだが万が一を想定し妖夢は考えている事を萃香、鈴仙、成美へ伝えた。亡者の数がこの先増えるかもしれない。それを念頭に置きながら改めて三途の川へ足を進め始めた。
◆
三途の川では恐れていた事が起きていた。
四季映姫が出陣してから地獄の反乱軍の勢いは目に見えて減退していた。彼女が亡者の群れへ悔悟の棒を向けラストジャッジメントを下すだけで亡者は川底へ沈み河原へ倒れ伏していくのである。亡者には既に判決が出ており実刑を受けた者であるからだ。彼らに対して映姫は絶対的優位性を持っているのである。ただ数が多いという点だけが映姫の頭を悩ませる種だった。地獄に収容している亡者も裁判待ちの死者も叛乱に加わりあわよくば地上へ返り咲こうとしている。そんな事は断じて許されない。閻魔の裁きが覆るなど有り得ない。ましてや判決を下された亡者が地獄を脱出する事は前代未聞の出来事だ。十王の裁きが間に合わないほどの死者を抱える地獄がその数によって革命を起こされかけているのだ。
けれど映姫の出陣により三途の川へ押し寄せていた夥しい亡者の群れはその大半が川底へ沈められる事になった。さらに幽々子の活躍により彼女の支配下へ入った亡者は白玉楼の勢力として同じ亡者へ牙を剥いていた。三途の川の攻防に終わりが見え掛けていた矢先であった。
とうとう西行寺幽々子の負担が限界を迎えたのだ。それは唐突に起こった。幽々子が倒れるのと同時に彼女の支配下にあった亡者も糸が切れた人形のように悉く頽れていった。
それだけならばよかったのだが――――。
確かに多くの亡者を沈めた。無論それでも反乱軍の一部であるのは分かっていた。
こうもタイミングが重なるのは間が悪いとしか言いようがなかった。
幽々子が落ちてすぐに地獄から反乱軍の第二陣とも言える数が押し寄せてきていた。
幽々子を回収していた潤美が舌打ちをする。
「なあ閻魔様。アレも送り返さなきゃならないのか?」
「もちろんです。ですが、少々骨が折れそうですね」
様子を確認しに行っていた瓔花が戻ってくる。その顔は蒼白だった。
「どうするのよ……閻魔様、何か手はあるの?」
「ええ。抜かりはありません。直に来るはずです」
映姫の言葉に潤美と瓔花は顔を見合わせた。何か策があるのは間違いなさそうであるが。
「西行寺幽々子の回収は終わりましたね? 彼女は我々の保護下に置きます。悪意の処置を行ってきますので、しばしの間持ちこたえてください」
「持ちこたえろったってねぇ。無茶言ってくれる。最初の奴らの残党は潰しておくけど」
「それで充分です。あの亡者の数です。貴方の力がいくら強くとも無限に涌いてくる相手では不利なのは違いありません。三途の川を一人でも渡らせてしまっては我々の敗北なのです。獄卒達も死神部隊も流石に疲労が見えています」
「じゃあどうするってのよ?」
「その為に私がここにいるのですよ、瓔花。閻魔相手に亡者は逆らえませんからね。私が戻るまで戦線の維持をお願いしますよ」
映姫は幽々子を抱き上げて陣へ姿を消した。悪意汚染を受けている幽々子の処置を行うのだろう。
そう思った潤美だったがその映姫は僅かな時間で戻ってきた。それも何とも不思議な表情を浮かべていた。処置が思いのほか早く終わった、という感じではない。
嘆息して映姫は首を振った。
「原因は調べていませんが西行寺幽々子の汚染度は最低クラス、つまりほぼ汚染はなしでした。今は力の行使のし過ぎで倒れているだけです。正しく休養をとれば復帰は可能でしょう。本来なら彼女には尋問を行いたいところですが時間がありません。では、新しい亡者を迎えてあげましょうか」
迫る亡者の群れへ映姫が足を向けた。その後を潤美と瓔花がついていく。映姫のラストジャッジメントから逃れた亡者を屠る為だ。三途の川へ侵入したものは獄卒と死神部隊へ任せている。
三途の川防衛戦のステージは新たな局面へと移行した。
単騎で亡者の群れへ飛び込んだ映姫のラストジャッジメントが下る。避けられなかった亡者が河原に倒れ伏した。それでもそこから川へ向かって侵攻する反乱軍は止まらない。潤美と瓔花が抜け出した亡者を潰していく。それすらも躱した亡者が川へ入水する。だがそこへ待ち受けているのは獄卒と死神部隊。ただの一人も川を渡らせないと決死の覚悟で殲滅任務に当たっている。
映姫率いる是非曲直庁の精鋭部隊の戦闘は苛烈なものだ。
その光景をやや離れた場所から見ている者が二人。
小野塚小町と村紗水蜜だった。
「四季様も派手にやってるねぇ。ま、そうじゃなきゃ十王の方々に合わせる顔がないか」
地獄の反乱軍を殲滅していく映姫の姿とその反乱軍の多さに村紗は開いた口が塞がらなかった。
「なにこれ? ど、どうなってるの?」
「悪意汚染の結果さ。亡者共が叛乱を起こしているのさ。困ったもんだ、で片づけるには規模が大きすぎる。さて、それじゃ四季様の元へ向かいますか」
小町は大鎌を担いで亡者の群れの中を悠々と向かっていく。村紗もそれに続いた。気が進まないどころではなくもはや逃げられない状況下にある事を悟ったのだ。
小町に続きながら向かってくる亡者を錨で殴りつけ映姫の元へ辿り着く。
「四季様、只今帰還しましたよ」
「待ちくたびれました。小町、どこかで油を売っていたわけではありませんね?」
「や、まさか。この事態じゃあ流石に私もサボりませんよ。ちゃんと村紗水蜜を連れてきました」
映姫の視線が村紗へと移る。三途の川では散々死神の船にちょっかいを掛けている村紗である。罰を受ける心当たりがある分、流石に背筋が伸びる思いだった。
「御足労を掛けましたね、村紗水蜜。今、貴方は己の仕出かした事で罰を受けるのではと考えているのでしょうが、残念ながら今回の出頭要請はそれではありません」
「残念ながらって……」
「心当たりがありながら、それを悔悛しないというのは褒められた事ではない。そう、貴方は少し反省が無さすぎる」
「…………」
「そもそも貴方は聖白蓮の元で何を学んでいるのですか、これでは彼女が――――」
「四季様ッ!」
映姫の言葉を小町が遮った。こんな状況下で説教モードに入られたらたまらない。
咳払いを一つして映姫は村紗へ改めて出頭要請の内容を語った。それは三途の川を渡ろうとする地獄の反乱軍を村紗の持つ――水難事故を引き起こす力で根こそぎ沈めてもらいたい、という事であった。
死神の船を貸し出すのでただの一人も渡らせることなく亡者を川底へ沈めろという事であった。
「それはつまり、合法的に水難事故を起こしてもいいと?」
「そういう事になりますね。舟幽霊としての貴方の力をお借りしたいわけです。無論、只働きという訳ではありません。私からの要請ですから今回の事は善行としてカウントさせて頂きます。私が貴方を裁く時は有利になりますよ」
「罪が軽減するわけじゃないのか」
「罪は罪ですから。だからこそ罪が霞むほどの善行を積む事を奨励しているのですよ」
「そういう事なら、まあ協力しましょう。それに――――」
川へ侵入を試みる亡者を死神と獄卒達が死に物狂いで倒している。数で勝る亡者をまさに水際で押し留めている。それを見ていると歯がゆさが沸々と胸に込み上がってきた。村紗ならもっと効率よく沈められる自信がある。
「私ならもっとうまく沈めてやるよ。合法って事は遠慮しなくていいんでしょ?」
「亡者に限り私の責任に於いて水難事故を起こしても咎められる事はありません」
「よし乗った! じゃあ舟は?」
「小町、彼女へ舟の用意を」
「分かりました。――――じゃあついてきな」
川べりへ移動した小町が死神の渡し舟を召喚する。これを自由に使っていいという。村紗は早速乗り込み舟の特性を頭に叩き込んだ。耐久性もあり小回りも利く。多少なら無茶もできそうだ。
「四季様が言った通り、三途の川に侵入した亡者は容赦なく沈めて構わないよ。思いっきり暴れてきなよ」
「水難事故を起こしても咎められないってのはなんだか新鮮だなぁ。それじゃあ遠慮なくやらせてもらうよ!」
器用に操船し村紗の舟は死神部隊と獄卒達が陣取る水上に合流した。渡河を試みる亡者たちは数にあかせて沈められた亡者を踏み台に進軍を続ける。身構える死神部隊から飛び出して村紗は亡者の群れにアンカーを撃ち込んだ。
「まとめて沈めてやる!」
アンカーを中心にその周りをも巻き込み直撃した亡者だけでなく周囲の者達も道連れにし撃沈した。
水辺はいうまでもなく村紗の力が十全に発揮される環境である。いわばホームグラウンドなのだ。その村紗を相手にするには最低でも水を扱う事に長けていなければならない。悪意に染まり切った亡者達は本能で地上を目指しているような状態である。そんな亡者達が、例え水を扱う力があったとしても正しく行使できる状態であるとはとても言えなかった。
村紗を相手に水上での戦いの相性がどれだけ悪いのか。彼女へ出頭要請を出した映姫はそれを見越していたのである。そして懸念していた幽々子の脱落は的中した。映姫と映姫が率いる死神部隊に圧し掛かる負担が増える事は目に見えていたから保険を掛けたのだがこれが大正解だった訳だ。
村紗の活躍を目にして映姫は胸を撫で下ろした。彼女の様子ならば渡河を狙う亡者は一溜まりもない。ならば閻魔の己は入水する前の亡者を河原で可能な限り殲滅するだけだ。
「あの舟幽霊のお嬢さん、なかなかやりますねぇ。想像以上でした」
映姫の背中を守る小町が言った。
「水難事故を舐めてはいけませんよ。心得がある者でも水を吸った衣服で満足に泳げず溺れたり状況によっては水温の低さから低体温に陥る事もあり衰弱で死に至る事もあります。適切な救助が行われない場合、水難事故での死は免れないものと思ってください」
「人間からすれば天敵ですねぇ」
「人間だけではありませんがね。だからこそ亡者に対しても彼女の力は通用するのです。尤も力を持て余して多くの場所へちょっかいを掛けているのは褒められた事ではありませんけれどね」
「言ってましたねぇ。反省が無さすぎるって」
「いずれ彼女には説教をしなくてはならないでしょうが、それはこの状況が解決してからです。気を抜いてはいけませんよ、小町」
「わーかってますって。――――ところで四季様?」
「なんです?」
「山の神様からいいものもらってきたんですよ」
言いながら懐から幻通機を取り出して映姫へ見せる。
奇妙なものを見る映姫へその用途を伝える。
「幻通機……ですか」
「ええ。これで連絡が取れるみたいなんで、面白、じゃなかった便利かなと思って貰ってきたんですよ。はいこれ四季様の分」
小町の説明通りに映姫は耳へ装着する。
「これで連絡が取れるのですか。俄かには信じられませんが、貰っておきますよ」
「それで、ちょっと聞きたいんですけど」
「まだなにか?」
「この亡者の反乱は唐突に勃発したわけじゃないですか? それで私らは駆り出されてる。通常業務を放っぽって」
「そうなりますね」
「臨時ボーナスって出ないんですかね?」
「出る訳ないでしょう。何を言ってるんです?」
「ですよねぇ」
背中で大きく溜息をつく小町に流石に映姫も同情する。戦時体制になったとしても地獄勤めでは臨時のボーナスなど出るわけもない。
とはいえ、直属の部下としてなんだかんだと動いている小町を労いたい気持ちがないわけではない。
「仕方ないですね。この叛乱を鎮圧できた暁には奢ってあげますよ。好きなものを食べていいです」
「わぁお。言いましたね? 言質取りましたよ?」
「二言はありません」
「これだから四季様の事、好きなんですよ」
「馬鹿言っていないでさっさと殲滅なさい!」
「了解ッ!」
全く現金なものだ、と思いながらもいざという時は頼もしい部下の働きに自然と笑みが零れる。少なくとも今回の件の働きに関して説教をする必要はなさそうだ。となれば上司としてはそれに恥じない働きを見せておかねば立つ瀬がない。
地獄の反乱軍第二陣を前に映姫の戦意は最高潮であった。