偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil.   作:加賀アスナ

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◆◆第22話◆◆
第22話


 八意永琳は回収された。汚染されていた悪意も驚くべき事に自力で浄化していた。だからこれから先の事を考えなくてはならない。

 綿月依姫は輝夜と永琳、輝夜に臣下の礼を取っている神奈子の傍へ近づいた。

 

「ご無沙汰しております。輝夜様」

 

 依姫の姿に輝夜が怪訝な表情を見せる。輝夜達にとっては月の都の使者である依姫とは微妙な状態になる。立場だけでいうのなら敵対に等しい。だが関係でいうのなら依姫は永琳の弟子で決して悪くない。その依姫が幻想郷にいる。

 

「貴方は確か」

「綿月依姫。現職の月の使者になります」

 

 やや剣呑な視線を交わす中、依姫が先に口を開き原初の悪神が齎している甚大なる被害を食い止める為にここにいるのだという事を掻い摘んで語り、月の都の具体的な情報は伏せていた。

 依姫が意図的に月の都に関する事を伏せていることは輝夜も分かったし依姫が本来ならば永琳に相談しに来た事も言葉の端々から読み取れた。

 ただし。ここではこれ以上深いやり取りをするつもりはないようだった。

 幻想郷の賢者が二人もいる上に、ギャラリーも多い。さらに博麗神社という幻想郷の要の場所にいる事も依姫の立場からすれば本来ならば良くないのだ。

 しかし。

 内密な話をするにしても永遠亭は現在使えない。

 てゐから聞かされたので輝夜も悪意については十分理解している。今の幻想郷に於いて安全と言える場所は博麗神社と守矢神社くらいしかない。

 それについても依姫は分かっているようで輝夜へ臣下の礼を取っている神奈子へ視線を向けた。

 

「こんな再会になるとは思わなかったけれど。ヤサカ、貴方、神社くらい構えているのよね?」

「今は妖怪の山と呼ばれる場所に鎮座しております」

「結構」

 

 依姫は再び輝夜へ視線を戻す。

 

「このヤサカの神社を使いましょう。一部屋くらい貸してくれるはずです。そうよね、ヤサカ?」

「――――仰せのままに」

 

 神奈子へ確認をとった依姫は振り返り紫へ見据えた。

 

「そういうことです。八意様はこちらで看させてもらう。異存はありませんね?」

 

 嘆息して紫が同意を示すとすっと隠岐奈へ視線を送った。紫の意図を汲み取った隠岐奈は無言で肩を竦めて溜息をついた。

 

「ああ、私が行こう。君が同行するより角は立ちまいよ」

 

 紫は偏に依姫の監視を隠岐奈へするようにアイコンタクトを取ったのだ。隠岐奈にしても妖怪である紫より秘神である隠岐奈自身の方がまだある種の信頼を勝ち取れると思ったのである。

 

「ヤサカ。早速案内して頂戴」

「しばし、猶予を」

「ん?」

 

 神奈子は立ち上がると霊夢へ近づいていく。

 持参した幻通機を四機、守矢の御守り五体、神札一体を霊夢に渡した。

 

「博麗神社へ来た者で霊夢が必要と判断したら渡してあげて」

「神奈子……いいの?」

「ええ。任せるわ」

 

 霊夢への託し事を終えて依姫の元へ戻り――――神奈子はぽつんと立っているてゐを手招きした。

 

「またうちの神社へ逆戻りね」

 

 小声でてゐに呟く。

 

「貴方も永琳の家族なんだから一緒に向かうわ」

 

 神奈子の言葉にこくりと頷いたてゐを見て神奈子が依姫、輝夜、永琳、そしててゐを連れて転移した。それを確認した隠岐奈が合わせて扉から守矢神社へ向かった。

 地上でもっとも脅威となり得た永琳を取り戻したことで紫は内心安堵していた。永琳との知恵比べでは幾度となく一杯食わされてきたのだ。もしかすると最悪の場合は永琳が暴力的な手段に訴えてきた可能性だって捨てきれなかったのだ。

 永琳は片が付いた。幽々子は妖夢達が出立し残りはレミリア達となる。紅魔館の方角へ目を向けてみると上空の紅霧は無残にも散っていた。直にこちらも片がつく、あるいはもうついているのかもしれない。そうなれば目立った地上の被害は妖怪の山だけになる。そう思えば依姫たちが守矢神社へ向かったのは僥倖だったかもしれない。

 と思っていると――――。

 社務所から勢いよく飛び出してきた人物が。

 紅魔館で回収した蘇我屠自古だ。

 何だか切羽詰まってる様子である。その屠自古を追ってあうんが飛び出してきた。

 

「まだ治療が終わってないんですよ!」

「私の事なんかどうでもいいんだ! それよりも神子様だ!」

 

 屠自古にしがみ付いて治療に戻るように説得するあうんとそのあうんを引き剥がそうとする屠自古。

 

「なんだどうしたんだ?」

「揉めてるわね、どう見ても」

「なあ霊夢。お前の祓いが失敗したんじゃないのか?」

「失礼ね。ちゃんと成功しているわよ」

 

 あらぬ疑いを魔理沙に向けられた霊夢は揉め事の二人へ近寄った。

 

「アンタ達。少し静かにしてくれない? 今、大変な事が起こってるんだから余計な揉め事を起こしてほしくないんだけど」

「そんなことは言われなくても分かってる。だから神子様を支える為に私は行くんだ」

 

 どうにも会話が噛み合ってない。霊夢はゆっくりと順を追って現在の状況を屠自古へ聞かせた。

 原初の悪神。

 悪意汚染。

 その被害を受けていた者達の回収。屠自古もその一人であり悪意を祓い、汚染されていた際に受けた負傷を治療していたのだと語る。

 霊夢のゆっくりとした説明に最初屠自古はまごまごとした話に苛立ちを覚えたが内容は聞けば聞く程に豊聡耳神子が感知し人間の里へ向かったことと符合する。

 冷静になった屠自古はあうんとの格闘を止めて素直に縁側に座らされた。

 

「――――悪意汚染か」

「そ。ようやく分かってくれたかしら?」

 

 霊夢の話では幻想郷どころかありとあらゆる場所に悪意が発生し生まれ汚染しているという。屠自古自身がそれを経験している。記憶もあるし布都へ迫った事も憶えている。何故そう思ってしまったか、その切っ掛けこそが悪意汚染の影響なのだろう。

 最後は冷静さを失って永江衣玖と布都と戦ってわかさぎ姫の奇襲を受けた。

 しかしそれは悪意汚染の一幕でしかなく竹林を始め、太陽の畑、妖怪の山、紅魔館、命蓮寺、地底、地獄、月すらもその影響を受けているという。

 だが。

 霊夢の話に一つだけ出てきていない場所がある。

 

「なあ、博麗の巫女」

「なによ」

 

 口元に手を当てながら屠自古は言った。

 

「神子様は人里に悪意を感じて出て行ったんだ。なのにお前が話してくれた中で被害を受けた場所に人里がなかったのはなんでなんだ?」

「……え?」

「さっき。命蓮寺でも被害があったって言ったよな? まあそんなに酷いものじゃなかったみたいだが。でもそれだとおかしいだろ。命蓮寺でさえ被害があるのに人里の話が全くないってのは。それに神子様は人里の悪意を感じて向かわれたんだ。だから人間だけが汚染されないってことはない筈だ。もしかしたら一番まずい事がおきてるのは人里なんじゃないのか?」

「……それは」

 

 屠自古の指摘に霊夢は振り向いて紫へ視線を向けた。その紫は厳しい表情を浮かべている。

 

「――――紫。人里はどうなってるの?」

「妖怪が暴れている、なんてことはないけれど……」

 

 歯切れが悪い。

 紫もこの非常時となってから幻想郷の見回りに時間を割く事ができていない。無論、レミリアの紅霧や幽々子の事などもありざっと目を光らせてはいた。その中で人里は妖怪の目立った暴動はなかった筈だ。

 ――――と。

 

「妖怪よりもっと性質が悪いもんだ、ありゃあ」

「目に見える暴力よりも手に負えんものもあるじゃろうて」

 

 鳥居を潜ってきたのは鬼人正邪と二ツ岩マミゾウの二人だった。

 

「正邪! と、マミゾウ。アンタ達どうして」

「悪意に関してはそこそこ知っておるさ。儂はこの守袋のお陰で守られとる。しかし、この跳ねっ返りはどうにも面妖な事が起こっておって加護もなしにここまでついてきおった」

 

 マミゾウが言うには彼女の持っている御守りは早苗が持っていた守矢の御守りだという。一度多々良小傘へ渡され、それを今、借りているのだという。悪意の情報に関してもその早苗から齎されたものであるといった。早苗自身は寺子屋で上白沢慧音、豊聡耳神子と共に立て籠もっているらしい。そこに里の子供らとチルノら妖精たちも匿っているようだ。

 マミゾウ自身は鈴奈庵に避難していたらしく本居小鈴を始め、他にも稗田阿求、奥野田美宵、清蘭と鈴瑚、赤蛮奇、森近霖之助

そして道具屋の主人――――魔理沙の父親も避難していた。そこへ小傘と正邪という珍しい組み合わせが通りかかり声を掛けたのだ。寺子屋から出て人里の珍妙な光景の原因を探っていたのだという。

 正邪に関しては彼女のひっくり返す能力によって現在は善い事をしたくて仕方がない状態になっており悪意汚染はされているが無害どころか善玉菌になっているとマミゾウは言った。だからこそ加護もなく出歩けているのだ。

 その彼女らが博麗神社へ訪れたのは永琳を捕縛する際に竹林を大破壊した御柱の起こした地震とその御柱が打ち上がり博麗神社へ落下してきた事を人里で目撃したからだという。

 何もなければ時が過ぎるのを待っていたというのだが、御柱の落下を見ては流石に他で何が起こっているのかを知った方がいいと考えたらしい。そうして悪意の中を闊歩できる御守りをマミゾウが持ち、ついでに正邪を連れて博麗神社へ向かったわけだ。

 人里で起こっている珍妙な光景についてマミゾウは知り得ている事を語ってくれた。

 紫の言う通り妖怪が暴れて家屋や人的に被害が出た、という事はなかった。ただ人里は今、二つのグループに割れているのだという。

 一つは妖怪に疑心と反感を持ち、排斥を叫ぶ者達。かなり剣呑な雰囲気があるが暴動とまではいかない程度に抑えられている。だが、一線を超えた里人がおり早苗が怪我を負ったらしい。

 けれどこちらはまだマシだとマミゾウは言った。

 神社の縁側に座り煙管を吹かすと眼鏡のブリッジを押さえる。

 もう一つのグループの方こそが人里では脅威だというのだ。

 原因そのものは人里に現れた二人の異邦人で十中八九間違いないらしい。

 一人は橘迦玖能といった。まるでカルト宗教の祈祷師のような者。

 もう一人は六天主という仏僧だが修験者だか判らない者。

 この二人が起こしているのは里人へよく分からない教えを伝授しておりそれによって里人が崇拝者となっている、ある意味では伝道活動めいたもの。

 しかし問題は教えを受けた里人は家財を途端に喜捨し救われたと満足している事だ。家財を喜捨して喜ぶというよく分からない状態ではあるが果たして被害といっていいものかもはや意味不明だ、と正邪は肩を竦める。

 橘迦玖能と六天主がその家財を奪うわけでもなく、ただただ伝道し広めているだけだという。その二人が何か得をしているようにも見えず不気味以外の何ものでもない。

 現在人里はその二つのグループへ別れ、もう大半の里人がどちらかのグループへ属している状況であり怪しい二人組は里人全員へ本気で伝道活動を行う勢いなのだ。

 実際に光景を見た訳ではない霊夢達が聞いても素直に理解ができない内容であった。人間が妖怪の排斥を叫ぶのはまだ分かる。正邪が言うには居酒屋や賭博の会場に何食わぬ顔で紛れる妖怪もいるようで安心できないんだ、と言っていたという。その割を食ったのか上白沢慧音の開く寺子屋へ押し寄せ抗議をしていたらしい。運が悪いというか間が悪いというかチルノら妖精たちがいた事もあって寺子屋前の押し問答は酷いものだったというが正邪が乱入し当たり散らしたのが効いたようで暴動まではいかず飽く迄抗議活動で今のところは落ち着いているとの事。

 伝道活動で崇拝者になっている者はともかく抗議活動に回っている者の方が実害という意味では警戒するべきじゃないの、と霊夢が口を開くが紫は扇子で口元を隠し黙考のみで表情が読み取れない。続いて魔理沙へ顔を向けると彼女もどうも神妙な表情を浮かべて考え込んでいる。

 そこへ話を聞いていた屠自古が言った。

 

「聞いた通りだ。博麗の巫女。私は神子様の元へ向かうぞ」

 

 今にも飛び出しそうな彼女の肩を掴んで霊夢が引き留める。

 

「なんだ、止めるなよ」

「待ちなさいって。丸腰で出てった所でまた汚染されるだけよ」

「ま、そうじゃろうな。所で――――」

 

 マミゾウの視線が魔理沙へ向く。

 

「魔理沙どのはよいのかのぉ?」

「――――え?」

「道具屋の主人……お前さんの親父じゃろう?」

「あ……う……」

「それに――――香霖堂の店主もおったし、心配じゃと顔に書いておるわい」

「そ、そうだ。香霖が心配なんだぜ」

 

 焦って答える魔理沙に冷静な霊夢が続けた。

 

「鈴奈庵だっけ? 隠れてるのは。小鈴ちゃんたちもいるんだし確かに事情を知る人が最低でも一人は欲しいわね。それに連絡を取れる奴がいれば人里は……まあ、今のところは大丈夫でしょう。紫も妖怪が暴れている訳じゃないっていうし、その抗議してる連中がトチ狂った真似をしなければ」

「そうであればよいがな。じゃが祈祷師たちの方はどうするつもりじゃ?」

「喜捨したっていっても奪い取ってるわけでもないんでしょ? 誰がどんな教えを信じようとそれは自由よ。もしその家財をネコババするっていうなら成敗するけど。聞いた限りだと目的がいまいち分かんないのよねぇ。紫はこれだし」

 

 今だ何かを熟考している紫を尻目に霊夢としては現状で回せる人員を人里へ送りこむ事が現実的な対処と考えていた。

 霊夢自身は博麗神社を守らなければならない為、明確に異変の元凶といえる存在でなければ出撃できない。人里に出没している祈祷師らの行動は黒だと判断できなかった。限りなく黒に近いグレーではあるだろうが、人間への被害という意味では明確な被害は出ていない。

 人里へ人員を送るなら最低でも二人には向かって貰わねばならない。鈴奈庵と寺子屋だ。先ほど神奈子から幻通機を受け取っているので二つを渡しておけば人里の動向は掴める。

 最悪、マミゾウと正邪にはとんぼ返りしてもらう羽目になるがこの二人に幻通機といくつか御守りか神札を持たせて人里へ行ってもらえばなんとかなる。

 見る限りでは屠自古は人里へ向かえる一人と考えてよさそうではあるが、あうんの言葉ではまだ負傷があるらしい。

 咲夜はまだ安静が必要であるしパチュリーも流石に疲れが見える。影狼、メディスン、ラルバ、リグルでは里人のチルノらに対する抗議活動を見るに火に油を注ぐ結果になる可能性もある。となると残るは人間の魔理沙と里人が手を出せない風見幽香なのだが。

 幽香も先ほどの御柱を受け止める為に力を貸してくれたお陰で妖力が底をついている状態だ。とはいえ人間では相手にならないだろうし人里へ送るには余りにも危険すぎる。

 そうなれば必然と向かって貰うのは魔理沙になる。

 

「魔理沙。悪いんだけど人里に向かって頂戴。神社は私がなんとかするから」

「……え? あ、ああ。分かったぜ。――――おい、屠自古も行くんだろ?」

「もちろんだ。神子様を一人にしておけないからな」

「神子の奴は寺子屋にいるんだったな? じゃあ私が鈴奈庵でいいな?」

「それでいい。――――で。天邪鬼と化け狸のアンタ達はどうする?」

「大方の事情は聞かせてもらったしの。戻ろうかの」

「元より事情を知ったら戻るって言って出てきてるんだよ、私らは」

 

 正邪の言葉にマミゾウが善玉菌になっていると言ったことが納得できた霊夢はやや不思議な気分だった。

 

「今のアンタを見ると不気味ね。言っとくけど褒め言葉よ? アンタは今のままでもいいんじゃない?」

「あ? 何言ってんだ。異変を解決するのが巫女の仕事だろ? 天邪鬼が善い事をしたいだなんてやってらんねえよ」

 

 肩を落として溜息を吐くあたりに正邪の気苦労が窺い知れた。思っている事とやっている事があべこべになっていて大変なのだろう。

 この悪意汚染では確かに正邪も被害者ではあるのだが、このまま汚染されていた方が世の中の為なのではと思わなくもない。

 ――――が。

 悪意は祓わなければならない。

 元凶であるアラディア・アーリマンは止めなければならない。

 人里へ向かうのは屠自古と魔理沙。それからマミゾウと正邪が戻る。

 情報を共有出来た所で屠自古とマミゾウには寺子屋へ向かってもらい、鈴奈庵には正邪と魔理沙に向かってもらう。

 最後にマミゾウへ幻通機一つと守矢の御守り五体と神札一体を渡す。神札は寺子屋の大黒柱へ貼るように告げて。幻通機は早苗に見せればおそらく適切に使ってくれるだろう。

 霊夢から御守りを受け取ったマミゾウは一体を懐に仕舞い自身が持っていた御守りを魔理沙へ預けた。元は小傘の御守りなので返しておいて欲しいらしい。

 続いて魔理沙へ幻通機一つと博麗の御守り三体と神札一体を預ける。聞けば鈴奈庵を神域とさせているのは森近霖之助が持ってきた神札というではないか。霖之助の神札は彼に返す必要があるので代わりの神札を用意したわけだ。幻通機に関しても魔理沙自身も所持しているが小鈴か霖之助か、もう一人くらい持っていた方がいいと霊夢は判断したのだ。

 それから話が終わり次第すぐにでも博麗神社を飛び出そうとしている屠自古へ博麗の神札を渡す。

 それを見た正邪が私の悪意を祓えよ、と抗議をするものの霊夢はじっと彼女を見据えた後、貴方はこの異変が終わるまで善玉菌で居なさいと、敢えて悪意を祓わなかった。無論、この悪意汚染を逆手にとって正邪が良からぬことを仕出かさない為の牽制でもある。

 説明をし終えると四人は人里へと出発した。マミゾウと正邪に至ってはもう一度同じ道を通る苦労があるが、この際我慢してもらうほかない。

 すべき指示を終えた霊夢はまだ考えている紫に声を掛ける。今度は顔を霊夢へ向けた彼女だったが一言、人里は面倒な事になっているかも、とだけ口にした。

 それは聞いた限り面倒ごとではあるだろうが、紫の言う面倒というのとはやや意味合いが違う事は流石に分かった。妖怪の関わらない人間同士の暴動となるならそれはそれで厄介だからだ。

 

「――――で。話は済んだのかしら?」

 

 話の輪に入らず黙っていた幽香が霊夢へ口を開く。けれど話そのものは聞いていたらしい。

 

「私が人里へ向かってもよかったのよ?」

 

 本気か冗談か判断し兼ねる幽香の言に霊夢は胡乱気に応えた。

 

「冗談でもアンタを送り込む訳にはいかないでしょうが。それに本気ならもっと性質が悪いわよ。アンタはここで私の目に付く場所にいてもらうから」

「博麗の巫女に釘を刺されては仕方ないわね。だったらさっきの柱の墜落阻止を手伝ったのだから労わって欲しいのだけど?」

「出がらしのお茶で良いなら淹れてあげる。上等品が飲みたいなら紅魔館の連中に頼みなさい」

「出がらしで結構。その紅魔の館の者はそれどころじゃなさそうだから」

「え?」

 

 幽香に言われてパチュリーの姿がない事に気づく。座敷の方へ周るとあうんと協力して魔力供給に応じた妖精メイドとホフゴブリン達を休ませていた。根こそぎ魔力を奪われた所為で貧血染みた症状が出ているようだ。

 

「アンタ達……」

 

 霊夢に気づいたパチュリーが疲れを滲ませた顔で首を振った。

 

「流石に休みが必要よ。みんなよく頑張ってくれたわ。私も少し休むわ」

「パチュリーさんのお陰で神社が守られたのです!」

 

 疲労困憊のパチュリーを労うかのようにあうんが言った。

 

「ええ。どうにかなってよかったわ」

「はい!」

「私は咲夜の所でいいわ」

「はい、こっちです」

 

 あうんに続いてパチュリーが座敷へ上がった。

 

「私達も一旦休憩ね。幽香、お茶を淹れてあげるからまってなさい。紫もいる?」

「もちろん頂くわ」

 

 大きく息を吐いた霊夢が炊事場へ消えていく。

 

「優しいじゃない。私なら、そのなに? 祈祷師? を縊り殺すけれど」

 

 霊夢がいなくなったのを見計らってか幽香が紫へ口を開く。

 

「それで済めばそうするわ。けれどね? 祈祷師を殺した所でその伝道した教えが活きていたらどうする?」

「――――よく分からないわね。元を断てば終わりでしょう?」

「それで終わらない可能性があるから面倒だと言ったのよ。伝道された教えや教義、流布した宣託は伝道者がいなくなった後でも残るわ。むしろ暴力によって伝道者が悲劇的にいなくなった場合、伝説化や英雄化することが多々あるわ。そうなればその教えを信じる者に教えはただの虚言であったと言った所で覆らなくなる。そうなるのが最悪の事態なのよ」

「そう。まあ、私には関係のないことだわ」

「そうであれば、良いけれどね?」

「含みがある言い方ね?」

「だってそうでしょう? 貴方が御用達にしている花屋もこのままよ?」

「……う」

 

 返す言葉に幽香が窮した所で霊夢がお茶を載せた盆を持って戻ってきた。それぞれに手渡し霊夢自身も一口呷った。

 ――――そこへ。

 神社の裏からサニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアの三妖精が現れた。

 ルナとスターはともかくサニーの表情がぶすっとしている。

 

「もう! 霊夢さん、ちょっと騒がしいわ!」

 

 どうやら御柱の落下の余波を感じて住居にしている博麗神社の裏手にある鎮守の森の大木から出てきたようだ。

 光の三妖精の様子はいつも通りではあるが、この状況下で現れて欲しくはなかったと霊夢の顔が語っていた。やれやれと肩を落とすのも無理からぬことだった。

 

「ピースもいないし、私達に黙ってお祭り騒ぎなんてズルいわ!」

 

 サニー達は致命的に何かを勘違いしているらしく、先ほどの御柱落下阻止の騒動をお祭りの催しの何かだと思っているようだ。クラウンピースがいないのもそれに参加しているものだと考えているらしい。

 この悪意が蔓延している状況でさえなければ微笑ましい光景なのだが。

 女三人寄れば姦しいとはこのことで、お祭りなら自分たちも出し物するわよ、と語り合っている。

 しかし。

 悲しい事にお祭りではないのだ。

 

「貴方達。楽しい話は結構だけれど――――ちょっと黙っててもらえるかしら?」

 

 サニー達に非はないのだが場違いな話に堪えきれなかった幽香が静かに言った。温かみの欠片もない笑顔にはむしろ恐怖の方が滲んでいる。

 泣く子も黙る幽香様、という訳ではないだろうが姦しい三妖精と言えども起きている事がお祭り騒ぎではない事に気づいた。

 

「……な、なによ……」

 

 たじろぐ彼女達のフォローに霊夢が回る。幽香を窘めてから座敷の方へ連れて行く。座敷ではあうんが負傷者を看て回っていた。紅魔館の妖精メイドやホフゴブリン達も雑魚寝状態で休んでいる。せかせかと働くあうんを呼び止めてサニー達へ事情を説明しあうんの手伝いをするように頼む。

 ――――と。

 

「あーッ! ラルバじゃない」

 

 負傷して休養しているラルバを見つけたルナが声を上げた。

 どこか霊夢の説明を信じ切れていなかった三妖精たちだったがラルバの様子で納得したらしい。

 ようやく大事な異変が起きていることを感じたようだ。

 

「こういう事よ。人手が足りないからアンタ達も手伝いなさい。もちろんタダ働きってわけじゃないわ。全部片付いたら美味しいものでも食べさせてあげるわ」

「美味しいもの!?」

 

 と、サニー。

 

「お酒もあるの!?」

 

 と、ルナ。

 

「料理もたくさん!?」

 

 と、スター。

 

「え、ええ。そうね?」

「やるわよ、ルナ、スター!」

 

 サニーの言葉にルナとスターもやる気のある返事をする。

 

「じ、じゃあ、あうん。後は頼んだわ」

 

 あうんへ後の事を頼み霊夢は表の方へ戻る。

 しかし三妖精に約束した美味しいものはどうしたものか。

 ――――ま、なるようになるわよね。

 と考え直す。異変が解決できたならば毎度の如く勝手に人が集まり勝手に宴が始まるだろう。そうなれば食事も酒もみんなが持ち寄って豪勢になる。

 ――――蔵の酒を出す事になるかしらね。

 どうせ会場として場所を提供することになるのだ。酒の一つや二つは出さねば格好がつくまい。

 縁側へ戻るとやけに紫が静かなのが気になった。熟考していた時もそうだと感じたが御柱の落下阻止した後から大人しいのである。それもそのはずで紫は第四防壁を担当していた為にそれを破壊された際の反動があったからだ。しかも追加強化をしていた分のフィードバックもある。涼しい顔をしていながらもかなり堪えていたのである。それが紫の大人しい理由ではあったのだが、それを表情に出さないのは口にはしないものの霊夢に対して余計な心配をさせまいという心遣いであったのだ。

 本来ならば紫は一日の大半を睡眠に費やすのだが、この悪意がばら撒かれてからはそうもいかず式神である藍も九尾の狐から外されてしまっている今、暢気に眠る訳にもいかなかった。

 また悪意汚染をされた者の回収を効率よく行うには自身が最も適している事も理解している。

 悪意汚染の元凶であるアラディアがヘカーティアに制圧されるか、あるいは地上の悪意が浄化された事で姿を現すか、何にしても事態が動くまでは地道に悪意を祓うしかないのだ。

 ――――と。

 霊夢の幻通機に反応があった。

 

「霊夢よ。このチャンネルは―――妹紅ね?」

 

 レミリアの元へ赴いている藤原妹紅からであった。連絡は非常に簡素で紫に回収を頼みたい、という事だった。分かったと伝えて通信会話を切る。

 内容を紫へ説明し切れ間を開いてもらう。

 開かれた切れ間からは小悪魔と、彼女に背負われたレミリアに続き、天子と衣玖に捕縛されたフラン、そのフランを警戒する布都と紫苑が出てきた。

 レミリアとフランはいい。布都も紅魔館にいたと言っていたからまだ分かる。だが天子と衣玖に紫苑がいるとは思わなかった。

 

「霊夢さん、悪意の処置をお願いします」

 

 心配そうな表情で小悪魔が言う。

 レミリアの状態は酷いものだった。何がどうなればそうなるのかは分からないが肌は炭化し黒焦げ状態で気を失っている。黒焦げなのはフランも同じだったがこちらは辛うじて意識がある。が、衣玖の羽衣に捕縛されていることと、後ろから天子が緋想の剣を向けている為に大人しくしているようだ。

 見れば天子と布都も負傷が見え、彼女達の姿から何らかの衝突があったことが読み取れる。

 しかし先ずは小悪魔の言う通りに悪意の処置をしてからだ。説明は後でいい。

 霊夢は有無を言わさずに全員を神社の裏手の比較的状態がいい場所に移動させ祓いを行った。西日が当たらない場所を選んだのだ。

 レミリアとフランから濃度の高い悪意が霧散していく。意識のあったフランの狂気に陥る一歩手前のような目付きが目に見えて変わる。

 

「説明はしてあげるから、まずはみんな治療を受けなさい。話はそれからよ」

 

 霊夢の視線が天子と衣玖、それから紫苑へ向いた。

 

「アンタ達がいる理由も後で聞くわ。でもそれは治療が終わってからよ。――――小悪魔はあうんの所へレミリアを運んで頂戴。フランも行くわよ」

 

 悪意の抜けたフランの手を取りあうんと三妖精が治療と看病を行っている座敷へ上がり吸血鬼姉妹を預けた。

 衣玖と紫苑はともかく天子と布都も負傷している為、サニーとルナが手当てに当たってくれていた。

 霊夢としても聞きたいことはいくつかあったのだが、先ほど言った通りまずは治療が終わってからだ。でなければ落ち着いて話もできない。

 しかし。

 アリスと美鈴と妹紅の姿がない所を見るにまだ何かが残っているのだろうか。紅魔館に何らかの被害があって美鈴が残る――――いや、それは考えられない。主であるレミリアを置いてそれはあり得ない。となるとレミリアの紅霧とは別の何かが起こった可能性があるということ。

 

「そう簡単には片付かないってことか」

 

 一人ごちて表に戻ってくれば、戻って来たで妙に大人しい人物がいるわけで。涼しい顔をしていながらも、それがかえって心配してください、という風に見えなくもない。

 

「ねえ、紫。アンタ、結構無理してない?」

「――――え?」

「黙ったままだし、アンタもさっきのでかなり力を使ったんじゃないの?」

 

 霊夢の指摘に驚く紫を尻目に声を殺して幽香が口元へ手を当てて笑っていた。紫が思っているより霊夢の方が鋭かったらしい。

 

「紫に引っ込まれたら困るんだから、ちゃんと休みを取りなさいよ? 今みたいに悪意に汚染された連中を回収してもらわなくちゃならないんだから」

 

 ぶっきらぼうな言い方ではあったがしっかり心配されている。霊夢の成長に感慨深く思う反面、それを気取られた事に余裕のなさを実感する。

 

「そうね。頼もしい博麗の巫女がいるから少し休ませてもらいましょうか」

「何よそれ」

 

 口を尖らせる霊夢を見るとそういった所は変わらないと感じる。

 巫女としては強くなったと思う。紫以外にも華扇がよく霊夢の尻を叩いて修行をさせている事も影響はあるだろう。

 そして、こういう幻想郷を脅かす異変が起きた際にはその真価を発揮する。

 それは腕力的な強さというより精神的支柱のような折れてはならないものに近い。博麗の巫女――――霊夢の存在がある限り、なんとかなる、そう思わせてくれる。

 頼もしい巫女の言葉に甘えて紫はしばし休みを取る事にした。動きがあればすぐに教えるように伝えて。

 切れ間を開き自身の屋敷の自室から大きなクッションを取り出し縁側へ放り、もたれるようにして寝そべった。

 束の間の休息ではあろうが瞼を閉じると意識はすぐに微睡みの中へ落ちていく。

 そんな紫を見て、ほう、と息を漏らした霊夢は手ずから淹れたお茶に口をつけた。この安らぎは恐らく一瞬の事であろうと思ったからだ。だが無駄にはしない。休める時に休むのも重要な事だからだ。

 各地で起こっている悪意汚染の影響はまだまだ収まらない。ならばどこかで必ず何らかの変化が出るはずだ。その時に最善の動きを取れるかどうか、それによって異変解決への道が近くなるか遠くなるかが決まる。

 そして。

 最善の道を辿っても、最悪の道を通っても必ず元凶であるアラディアは現れるだろうと霊夢の巫女としての第六感が告げていた。その時こそ、霊夢が自ら出撃する時だ。

 紫に窘められた事が霊夢へ冷静な判断を下させていた。

 博麗が健在であるという事がどれだけ悪意汚染の最前線にいる者達にとって勇気を与えているのかしっかり霊夢は分かっていたのである。

 

 

 御柱の落下は紅魔館からもはっきりと確認できた。

 おそらくは対永琳用の手段として用いられたものだろう事は妹紅たちは理解していた。

 竹林を大破壊した地響きは霧の湖まで届いていたし大掛かりな何かが起こっている事は分かっていたが、こちらはこちらで手一杯だったのだ。

 そして今も手が離せない。

 ――――事態はほんの寸刻前に遡る。

 紅魔館には命蓮寺から物部布都と蘇我屠自古を探しに来た霍青娥と宮古芳香、そして聖白蓮が合流していた。事情を説明し天子とレミリア、フランの消耗を待っていた。

 天子の緋想の剣の効果はレミリアとフランに無慈悲なダメージを与え続けている。レミリアの紅霧を切り裂き続けた結果、とうとうレミリアに限界が訪れた。紅霧の隙間からは西日が容赦なく照らし吸血鬼の肌を焼き尽くす。紅霧が消滅した余波でフランにも日光が降り注いだ。しかしそれで大人しく引き下がる吸血鬼姉妹ではなかった。肌が炭化していく中、フランが手を翳すと比那名居一族しか扱う事ができない要石を悉く破壊した。これには流石の天子も目を瞠り踏み込む足場を失った事で態勢を崩した。その一瞬を見逃さなかったレミリアがグングニルを手に突撃を敢行したのである。

 天子もろとも地面への激突は免れないかと思われた。しかし激突間近で天子の動きがレミリアに押されている以上に速く落下する。まるで地上から引っ張られたかのような動きだった。

 それは人形を操る力を持つアリスがその力を無理矢理に応用し天子を人形に見なして操った結果であった。強引に肉体を操作されて引っ張られた天子には凄まじい圧が掛かったが天人としての肉体のお陰で耐えられていた。

 天子とレミリアの間に僅かな隙間が出来た刹那、その間に入り込んだ美鈴がレミリアを抱き留める。突撃の勢いを殺しレミリアのグングニルを捌いて一番の脅威を排除する。けれど緋想の剣と日光を浴び続けた彼女は美鈴に受け止められた事で気を失っていた。

 アリスによって強制移動させられた天子は衣玖の羽衣に絡め捕られている。

 レミリアに遅れて天子へと突撃したフランは妹紅が抱き留めた。同時に白蓮がレーヴァテインを押さえる。吸血鬼であるフランも相当な怪力の持ち主である事は妹紅も白蓮も承知していたので妹紅は輝夜との殺し合いで培った我流の言わば喧嘩殺法と美鈴の中国拳法を見様見真似で使い、白蓮も超人化しフランが力を振るえないように拘束した。妹紅と白蓮の二人に拘束された上にフランの消耗も重なりどうにか捕縛に成功したのである。

 天子は紫苑の加護が憑いている為、悪意汚染はされていないがレミリアとフランはそうはいかない。レミリアは気を失っているので脅威はないが、フランにはまだ意識がある。妹紅と白蓮が押さえている間にどうにかする必要があった。小悪魔と紫苑、布都は警戒をしていたが芳香はともかく青娥は心内が分からない笑顔を貼り付けて成り行きを見守っている。

 衣玖の羽衣に捕縛された天子が抗議の声を上げていたが、衣玖に無視されていた。

 

「妹紅さん。霊夢さんか紫さんへ連絡を!」

 

 美鈴がレミリア達の回収を伝えるように叫んだ。頷いて妹紅は霊夢へ連絡を入れた。話終えるとすぐに切れ間が開いた。

 

「これは……?」

 

 切れ間に疑問を持った白蓮に小悪魔からこれの行き先は博麗神社なのです、と伝えられると納得したように頷いた。

 レミリアの紅霧は止められた。

 天子達は想定外だったがこの際、全員で博麗神社へ帰投すればいい。

 紅魔館そのものには変化はないが、その前に広がる草原には天子の落とした要石のクレーターや布都と屠自古、衣玖が戦った痕跡が残っていた。悪意汚染された者達の被害とも言える。

 だが。

 これで片が付いた――――かのように思われた。

 

「これはこれは、なかなかどうして面白そうな連中よのう」

 

 麓の方から現れたその人物は星熊勇儀に投げ捨てられた九尾の狐――――妲己だった。

 勇儀に下されて投げられた妲己は山肌へ強かに打ち付けられて気を失っていた。しかし意識を取り戻した際に吸血鬼姉妹と天人の戦いを目撃しじっくりと観察していたのである。勇儀に打ち据えられたダメージは残っているものの気を失っていた間に少し回復していたらしい。

 その妲己の姿は色合いこそ違うが美鈴達には良く知る八雲藍にしか見えないのだ。まさか式神を付け替えられているとは思いもよらなかった。

 

「藍さんではないですか」

 

 警戒しつつも美鈴が声を掛ける。しかし相手は藍ではない。けれど声を掛けたのが美鈴だった事が思わぬ方向へ事態を動かした。

 

「藍? またそれか。どうやらその藍という者、さぞかし働き者だったと見えるな。九尾が小間使いとは嘆かわしい限りよ。そうは思わぬか? のぉ、同郷の妖よ」

「――――同郷?」

 

 首を傾げる美鈴に妲己の陰惨な嗤いが届く。

 

「よもやこの妲己を知らぬと?」

「――――妲己! ということは貴方は藍さんではないと?」

「妾の前にこの体を使っていた者がそんな名前だったかのぉ。しかして、今は妾が肉の体よ」

 

 愉快に嗤う妲己を前に誰もが――――敵である、と確信する。少なくとも八雲藍ではない。

 切れ間の前で成り行きを不安そうに見つめる小悪魔に博麗神社へ行くように美鈴から指示が飛ぶ。さらにアリスから天子と衣玖、紫苑もついていくように促される。負傷していた布都には妹紅から神社へ向かえと声が掛かった。

 だが。

 美鈴達と同じく留まる者もいる。

 

「私は留まらせて頂きます。この者――――尋常なものではありません」

 

 聖白蓮である。

 妲己を目にしてその邪悪さを感じ取っていたからだ。

 そしてもう一人、正確には二人だが残る者がいた。

 

「私も残りましょう。面白そうではありませんか。――――妲己。貴方があの方の式神でしたとは」

 

 霍青娥と宮古芳香だ。

 邪仙とはいえ青娥は道教の修行を極めて仙術を会得した仙人である。妲己が緱婉姈の憑けた式神である事を一目で見抜いていた。

 

「ほお。なれは邪仙か。主に釘を刺されていた筈よな?」

 

 霍青娥に関して妲己には緱婉姈からある程度の情報を与えられていた。仙人は同じ仙人の怖さを良く知っている。それが蟠桃園の女主人であればなおさらだ。

 

「ですが。殷を滅ぼした蘇妲己と会えるとは思いませんでしたから。手合わせしたいと思うのも無理からぬことでしょう?」

「ほほう。これは面白い物言いよの。よいよい、許す。まだまだ祭りは楽しめそうよな!」

 

 双剣を手にした妲己が構える。

 どう見ても話し合いでは済まない。

 霧の湖の前の戦いは新たな敵を迎えていた。

 

◆ 

 

 その戦いを目の当たりにしていた全ての天狗は固唾を呑み、じりじりと絶望に蝕まれていた。

 妖怪の山の旧支配者であった星熊勇儀と現職の支配者である天魔の衝突は徐々に天魔の劣勢が顕著になっていく。

 勇儀も天魔も日ノ本三大妖怪に名を刻む鬼族と天狗族である。

 片や星熊童子と恐れられ、片や天狗族を纏める長。

 ともに人間から畏怖された存在だ。

 ――――かつて。

 妖怪の山がまだ妖怪の山と呼ばれる以前。

 気の遠くなるほどの昔の話。

 山がまだ誰のものでもなかった頃。

 住処にしている妖怪もいたが人間の入山を止めるような事もなかった頃。

 人間の生活領域にも含まれていた為、山菜を採ったり山の裾から木を斬り出したりしていた時期があったのだ。

 しかしある時、鬼を筆頭に天狗、河童、覚、山姥、蜈蚣と多くの妖怪が人間から山を切り取った。

 その頃の人間達にはまだ退魔師と呼ばれる者もいたし退治屋を生業にしている専門職の者もいた。

 ――――何より博麗の巫女がいた。

 当代の巫女である博麗霊夢は歴代の巫女と比べてもトップクラスの資質が備わっている。

 しかし。

 スペルカードルールなど存在しない過去に於いて妖怪との対立は文字通り生きる上での障害となり得た。命のやり取りである。

 当代と過去の時代では生まれた時点でその時代に生きる意識が身につく。

 かつての博麗の巫女は苛烈にして無慈悲だった。

 巫女と呼ばれながらその姿は武者に近い出で立ちで巫具である梓弓を持ち、謂れのある剣をいくつも所有していた。

 一つは十束剣。

 その剣はイザナギがカグツチを切り殺した際の剣だという神剣でかつての博麗の巫女が最も握っていた剣である。

 時代が下れば源平合戦の最後の戦いである壇ノ浦の戦いで安徳天皇と入水し失われたとされる天叢雲剣も携えていた。

 十束剣では厳しい相手に抜刀したのがこの天叢雲剣という。

 この天叢雲剣は後に紛失し霧雨魔理沙に拾われ現在は香霖堂に所蔵されている。

 さらに時代が下ると南北朝時代に紛失してしまった王権の象徴でもあった三公闘戦剣と日月護身之剣を腰に差していた。

 霊剣である二振りは邪気を寄せ付けない守り刀として常に持っていたという。

 妖怪と対峙する際には誰よりも先頭に立ち先陣を切って人間に仇為す妖怪たちを切り伏せていた。だからこそ博麗の巫女という存在は妖怪たちにとって特別なのだ。

 そんな武闘派の博麗の巫女や退治屋、退魔師が全盛期だった頃に集った妖怪衆たちは戦いを挑み、夥しい犠牲を出しながらも山を人間達から切り取ったのである。

 その立役者こそが鬼族だ。

 誰よりも熾烈に人間達と死闘を演じ同族の犠牲も確かにあった。だが常に排斥されてきた鬼達の、妖怪の確固たる居場所を作るというその一念は実現したのである。双方に甚大な被害を齎した山を巡る戦いは妖怪たちが山を勢力圏に置く代わりに山からは出ないという約定を博麗の巫女と結び決着したのだ。それから山は妖怪の山と呼ばれるようになったのだ。

 だが月日が流れ、その約定も時代にそぐわなくなり少しずつ形骸化していった。当時の博麗の巫女が結んだ約定を忘れた人間達は細々と受け継がれていた神便鬼毒酒の紛い物を醸造し鬼達を騙し討ちしていった。律儀にもかつての約定を守った鬼達は地底へと姿を消した。そして天狗が新たな山の主となったのだ。

 それから鬼が地上にいた事さえ御伽噺になるほどの年月が経った。その間は天狗族が妖怪の山を治めてきたのだ。

 地上の妖怪たちの畏怖の象徴として君臨してきたのだ。

 それが。

 鬼が戻れば――――。

 これでは――――。

 天魔が敗れるという事は全天狗達の敗北を意味するのである。

 鬼がいなくなってからの支配などまるで無意味であったと思い知らされているようで。

 ――――と。

 守矢神社本宮へ八坂神奈子、蓬莱山輝夜、八意永琳を抱える綿月依姫、そして因幡てゐが転移してきた。

 輝夜と永琳の姿を認めた天狗達が一斉に臨戦態勢を取る。

 飯綱丸を始めとして天狗達は例の気配から兎達の入山は永遠亭による山の割譲の為の偵察だと吹き込まれていたのだから。

 

「か、神奈子さん、これは一体どういうことです?」

 

 自身も羽団扇を構えながら文が訊ねる。しかし転移してきた神奈子の表情は硬い。

 

「退け、文。姫の御前である。武器を収めよ」

「しかし……」

 

 文の視線は輝夜と永琳に向いている。それだけ警戒しているのだ。

 

「手荒な真似はしたくない。――――諏訪子。奥の座敷は空いているかしら?」

 

 天狗達とは違い、面白そうに事態の成り行きを見ていた諏訪子へ問いかける。

 

「――――空いてるよ」

「そう。助かるわ」

「面白い面子だねぇ。派手にやったみたいじゃない。一度死んだ気分はどう?」

「酷いものよ」

 

 神奈子を先頭に社務所の奥にある斎館へ向かっていく。斎館は心身を清める際に使われる館であり神事の前に早苗が籠る為の館である。

 警戒の視線を一身に浴びながら神奈子達は奥へ消えていく。

 

「どういうことでしょう……?」

 

 文の視線が諏訪子へ移される。その諏訪子は肩を竦める。

 

「さあてねぇ。文も見たでしょ? 御柱が落ちる所をさ」

「ええ。打ち上がった時の所為で竹林が大変な事になっていますけどね――――って! そうか、輝夜さん達は山が目的ではなくて神奈子さんに用があってきた――――そういうことですか」

「って事もあるだろうねぇ。実際はわからないけど」

「こんな時に面倒事は勘弁してもらいたいですね」

「まあ。悪意汚染されている感じじゃなかったしね。流石にこの状況で揉め事は起こさないと思うけどねぇ」

「だといいんですが」

 

 不安な表情を隠しもせずに文を始めとした天狗達が神奈子達が籠る斎館を眺める。

 その斎館へ足を踏み入れていた神奈子は戸を開き、奥の座敷へ輝夜達を案内する。座敷といっても生活感はない和室だ。本来は心身を清める為に使っている部屋なのだから当然なのだが。

 床の間に掛け軸が掛かっており花が花瓶に挿してある。違い棚に細々とした調度品が飾ってはあるが、やはり生活感はない。

 障子戸を開けて通路で控え輝夜達を招き入れる。

 

「どうぞ。――――差し出がましいですが、内側から結界を張られるのがよろしいかと」

「ふうん。安全ではないってことかしら?」

「念のためとお思い下さい。では私はこれで」

 

 頭を上げて神奈子が離れようとすると輝夜が引き留める。じっと神奈子を見詰める視線に訊ねた。

 

「何か?」

 

 対する輝夜はふっと息をつくと目を伏せた。一拍おいて顔を上げると鋭い眼光で射貫いてきた。

 

「忘れ物があったことを思い出したわ」

 

 言いながら一歩近づいた彼女の右手が神奈子の頬を振り抜いた。平手打ちの音が廊下に響く。

 

「これは永琳の分よ。文字通りこれで手打ちにしてあげる」

 

 踵を返して彼女は座敷へ入った。依姫も続き障子戸が閉じられる。

 痛む頬へ手を当てて戻ろうとすると部屋へ入らず佇んでいるてゐの姿があった。

 月に縁のある彼女達だけで話せるように気を使っているらしい。

 

「貴方はここに残るの?」

「姫様達が話すのは月に関することですから、私はいない方がいいと思いまして~」

「そう…………ちょっと、待ってて」

 

 その場を離れた神奈子は社務所の座敷から座布団を持ってきた。

 

「使って頂戴」

「いいんです?」

「ええ。じゃあ私は行くわ」

「それなら~……ありがたく使わせてもらいます。それと……姫様の事、悪く思わないでください」

 

 一部始終を見ていた彼女から輝夜を庇う言葉が控えめに出てきた。

 

「もちろんよ。アレは、輝夜も言ったけれど手打ちに必要な事だったの。私のけじめみたいなものね。だから彼女を悪く思う事なんてないから安心していいわ」

 

 むしろ平手打ちで済んで良かったくらいだ。下手をするとこの一件は永遠亭と確執が生じた可能性もあったのだ。それがこの頬の痛みで済むのなら安いものだ。

 神奈子が何とも思っていない事に安堵の表情を浮かべるてゐを認めて境内へ足を向けた。

 誰もいなくなった廊下で座布団に座り柱に背を預けるてゐには座敷の声は聞こえない。中で結界を張ったのだろう。この悪意が蔓延る中、月でも異常事態が発生している事は想像できる。だからこそ月の使者である綿月依姫が幻想郷にいるのだ。

 ふと転移してきた際に手当てを受けていた天狗達の姿が過った。包帯を巻かれていた彼女らを見るとかつての己を思い出す。

 隠岐の島から因幡の国へ渡ろうとしてワニを騙して岸を渡ったこと。

 ワニに報復されて皮を剥かれてしまったこと。

 通りがかった八十神達に騙されて傷はもっと痛んだ事。

 そして。

 最後に通りがかったオオナムチこと、後のオオクニヌシ――――ダイコクさまに助けてもらったこと。

 あれから随分と時間が経ったがそのダイコクさまの娘に助けてもらう事になるとは思わなかった。

 てゐは神奈子の真の素性を知らない。本当はオオクニヌシの義娘、タケミナカタの妻神にして、二代目のタケミナカタになったという複雑な経緯だから仕方がないのだが。それでもオオクニヌシの娘である事には違いない。

 幻想郷とはかくも不思議な事が起こる場所だと、てゐは思わずにはいられなかった。

 社務所を後にした神奈子は境内へ足を踏み入れる。未だ警戒を解かない天狗達を一瞥して諏訪子の隣へ立った。

 

「ようやく一段落ついたって顔だねぇ」

 

 言葉とは裏腹に顔も見ずに諏訪子が口を開く。

 

「まあね。霊夢には悪い事をしたわ。しばらくは博麗神社通いになるわね」

 

 溜息をつく神奈子に諏訪子はくっくと笑う。

 

「そりゃあ、あんなに派手に御柱を落としちゃあね。社がいかに神にとって大事な物であるかなんて一番分かってないといけない人が社を危険に晒すのはねぇ? 博麗の神も気の毒だよ」

「分かってるから小言はやめて。それで――――こっちはどうなってるの?」

 

 ようやく顔を向けた諏訪子が神奈子がいなくなってから山に起こった事を掻い摘んで語った。山の実力者たち、飯綱丸龍、姫虫百々世、坂田ネムノが交戦し八雲藍ではない九尾――――妲己が出現し、旧地獄から星熊勇儀が現れ、その全てを下した勇儀が山を治めている天魔を呼び出し新旧の支配者同士の戦いへと変わった。

 そして――――その決着が近いという事も。

 周りを見れば天狗達は永遠亭の姫たちを連れてきた神奈子に警戒を向けると同時に勇儀に追い詰められている天魔の動向を気にしている様子である。

 天魔の敗北が近づくにつれて天狗らの表情に焦りが滲んでくる。

 経緯を把握した神奈子は目を眇めて天魔と勇儀の戦いを睥睨する。

 

「山の覇権争いとか、命運を握るとか。今の私達には関係のない事ではあるけどさ。――――山に受け入れてくれたのは天魔だったよねぇ? わざわざ角が立たないように他の天狗達を説得してくれたし?」

 

 やけに大きな声でどこか挑発染みた声音で問いかける諏訪子に神奈子は苦虫を噛み潰したような表情で見返す。

 

「……私はただ筋を通しただけよ」

「そうだよねぇ。私達は筋を通しただけ。でもさ――――今、住んでいる者達にとっては異物だったわけだし? 下手すると天狗達と対立してた可能性だってあったんだよ? それを穏便に事を運んでくれたのは天魔だったよね?」

 

 諏訪子の声は負傷している天狗達や文、華扇たちにも聞こえている。まるで態と聞こえるように喋っているような。

 

「その天魔があんな事になってるのに山の神は眺めるだけってのは余りにも慈悲がないんじゃないかなぁ?」

 

 だんだんと楽しそうな声音になりつつある諏訪子に神奈子は大きな溜息をつく。もはや彼女が何を言いたいのか明白だったからだ。無論、その言葉の裏にはいよいよとなったら何とかするよ、と天魔へ語ったという理由があるとは神奈子は知る由もなく。

 そんな下心込みの言葉は聞く者が聞けばどう聞いても諏訪子が神奈子を焚きつけているようにしか聞こえない訳で。天魔への加勢を促しているようにしか思えない。

 

「神奈子さん……天魔様に加勢をお願いできますか?」

 

 話を聞いていた、正確には諏訪子に聞かされた文が一歩前に出る。

 

「天魔様が出陣された以上、私達にできる事はないんですよ。ですが……天狗ではない貴方なら加勢ができる」

 

 諏訪子の意図を察した文が助力を頼んだ。彼女の満足そうな顔を見るに文の行動は間違っていない筈だ。

 

「だってさ。どうする神奈子?」

「そういうなら諏訪子が出ればよかったじゃないの」

「ほら、山の神は神奈子だし?」

 

 悪びれない諏訪子を前に、神奈子は目元を押さえた。

 

「ほんと、良い性格してるわ貴方。貴方のそういう所は早苗には反面教師として見て貰わないといけないわね」

「それはそれとして。どうする?」

 

 じっと天魔と勇儀を見据えた神奈子が踵を返し文へ視線を向けた。

 

「天魔の加勢、それは天狗からの要請と受け取っていいのね?」

「え? ええ! もちろんです!」

「分かったわ。加勢しましょう。ただし――――」

 

 言葉を切った神奈子が文へ言い放つ。

 

「選手は交代ね」

 

 それに今まで黙って聞いていた華扇が反応する。選手交代ということはそれは――――一対一で戦うということ。

 

「ちょっと、待ってください。八坂様、一人で勇儀と戦うつもりですか? 私がいうのも何ですが……勇儀の力は相当なものです。一人では流石に!」

「でしょうね。――――だけれどね?」

 

 体を逸らして勇儀を一瞥する。

 

「鬼が相手なら正々堂々と同じ土俵でなければ話ができないでしょう?」

「――――それは」

「何、勝算がないわけじゃないわ」

 

 言いながら背後に円状の注連縄を顕現させる。

 

「じゃあ諏訪子。後は頼んだわよ?」

「分かってるよ」

 

 諏訪子へ後を託し、境内から神奈子が上空へと躍り出る。

 空中で静止した彼女は御柱を一柱召喚しまさに天魔と勇儀が鎬を削るその間へ撃ち込んだ。

 その光景を眺めていた諏訪子と文、華扇の背後から声が掛かった。

 

「己の神社へ帰投した早々、新しい戦へ駆り出されるとは気の毒と言わざるを得ないな」

 

 神奈子達の転移を追って守矢神社へ現れた摩多羅隠岐奈だった。どうやら神奈子が駆り出された経緯はしっかりと聞いていたらしい。

 

「山の混乱はこれで片が付けばいいんだがね」

 

 他人事のように語りながらその実、誰よりも悪意の収拾、及び悪神アラディアの起こした異変の解決の道筋を考え続けている隠岐奈は天魔に代わり勇儀の相手を務める事になった神奈子を見据えていた。

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