偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil.   作:加賀アスナ

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◆◆第25話◆◆
第25話


 満月が浮かんでいる。

 夜は妖怪の時間だ。――――本来ならば。

 だが。今夜は違った。夜の闇を享受できている妖怪はいなかった。何故なら夜は既に悪意によって占領されていたからだ。

 世界は悪意に覆われ、さながらアラディア・アーリマンの胎内と化していた。

 悪意という一点に於いて世界は――――幻想郷も月も地底も天界も地獄も全て――――文字通り一つとなったのである。

 そして。

 七つの孔が穿たれた。

 一つは博麗神社の上空に。

 一つは妖怪の山の上空に。

 一つは地底、旧都に。

 一つは魔法の森に。

 一つは無名の丘に。

 一つは無縁塚に。

 一つは冥界、地獄に。

 それは緱婉姈が妲己を召喚した黒い孔と瓜二つ。しかしその大きさは倍以上の口径である。

 よくよく見て見れば何かが。何かが蠢いているのが分かる。

 強いて例えるならばそれは爬虫類――蜥蜴のような何か。竜というには歪で蛇にしてはいらない部位がある。

 悪神が世界に顕現する時――それは蜥蜴の姿であると言われている。黒い孔で蠢いている蜥蜴の群れは悪を為す為の尖兵という訳だ。

 ただし、純粋な蜥蜴という訳ではなく人間程の大きさで二足歩行である。まるで恐竜染みている。それが有象無象と黒い孔の中で今か今かと生み落とされる時を待っている。

 悪意によって世界を一つとしたアラディアは繋がってはいけない世界をも繋げてしまった。本来アラディアだけが住人として牙城としている深淵だ。

 深淵とは進化の終着点に存在する世界である。

 深淵の狭間から蜥蜴の黄色い瞳が幻想郷をねめつけている。

 大蜥蜴の群体は本能に従い食い散らかすことしかしない。

 そんな光景を至る所で幻想郷に住む者達が目の当たりにしている。

 ――――博麗神社では穿たれた孔もそうだが霧の湖の畔から帰還した妹紅達から顛末を聞き、妖怪の山で起こっている状況を聞いた影狼が霧の湖を住処としているわかさぎ姫の救出を霊夢へ申し出ていた。

 山の惨状を聞いた霊夢は即座に守矢二柱の仕業である事に思い至ったが天狗族や蜈蚣衆が悪意に駆られている事を踏まえると強制的に鎮圧する行動に出たのだと判断した。現在妖怪の山には賢者の一人である摩多羅隠岐奈がいる。もし不都合な事であったならば何かしらの手を打つだろうし霊夢へはなくとも紫へ連絡が来るはずだ。山の事は山の連中に任せておくとして影狼の要求を承諾し紫に切れ間を開いてもらいわかさぎ姫を神社の裏手にある神池に移動させ、念の為に悪意を祓っておく。

 何が何だかわからないまま強制移動させられたわかさぎ姫であったが地震の影響を感じ取っていた為にかなり怖い思いをしていたのだという。五体満足の彼女の様子に影狼は安堵し霊夢へ感謝を述べた。

 その爆心地である妖怪の山は諏訪子による突発的火山性地震の影響を色濃く残していた。噴煙は続き未だに微動が続いている。

 噴火の際の火砕流及び溶岩流は山の裏側、中有の道のすぐ隣の谷筋を流下し二次噴煙が輝針城まで届いた。しかし中有の道にある死者の出店通りは火砕流に飲まれこそしなかったが地震の被害をもろに受けていた。さらに谷筋の麓で冷えた溶岩流は死んだ土となって三途の川の此岸側へ大量に流入していた。その所為で三途の川で亡者軍との会戦を行っていた映姫率いる死神、獄卒部隊、協力参戦した萃香や村紗達は地形の変化という事態に対応を迫られていた。だが本来、三途の川という場所の都合上水上戦闘にならざるを得ない中で陸地が出来た事は映姫達、中でも百鬼夜行を率いる萃香にとってはこれ以上ない後押しとなっていた。

 さらに山の噴火は人里と地底にも影響を及ぼしていた。悪意に汚染された人間達であっても自然の脅威には敏感だ。何せ、自分たちに何らかの被害が齎されるかもしれない、という恐怖があるのだから。その為に橘迦玖能の崇拝者達や抗議を上げていた者達でさえ、鳴りを潜めて静かになっていた。

 里の中で真っ先に情報を得たのは魔理沙だった。彼女は幻通機で片っ端から何が起こっているのかを聞いて回ったのだ。誰が幻通機を所持しているかまでは分からなかった魔理沙の行動が功を奏し彼女は僥倖にもにとりと連絡を取る事ができたのである。

 妖怪の山の惨状を詳しく聞き取り最終的に守矢二柱の手によって強制的な鎮圧をされたとの事らしい。魔理沙はさらにこの知り得た情報を共有する為に寺子屋の早苗へ連絡を取った。これによって寺子屋でも事態を把握する事ができた。続けて他に情報を共有するところはあるのか、と訊ねるとマミゾウが命蓮寺はどうかと答えた。一旦早苗との通話を切った魔理沙は確かナズーリンが幻通機を持っていた筈だと思いだし連絡を入れたが不通だった。やや考えた後、ナズーリンから白蓮、あるいは寅丸に譲渡されたのではと思い、白蓮へ連絡を入れた。その白蓮は博麗神社に滞在していたので現状は命蓮寺には連絡を取る手段がない事が判明した。しかしこの段階で気付けたのは不幸中の幸いである。白蓮は急ぎ命蓮寺へ戻ると言ったが魔理沙が留めた。それは空に穿たれた孔の事があったからだ。博麗神社の上空には黒い孔があり、人里にはない。今は博麗神社に少しでも戦力が必要と考えたのである。代わりに魔理沙が持つ幻通機を寺子屋にいるマミゾウへ渡し命蓮寺に向かってもらうように提案をした。

 逡巡した白蓮だったが確かに黒い孔の大蜥蜴の群れはいつ降下してきてもおかしくない。なのに自分だけがこの場を離れる。それは彼女にはできなかった。魔理沙の案を承諾し人里と命蓮寺は任せる旨を伝えたのである。すぐに魔理沙は行動に出て寺子屋まで向かいマミゾウへ事の経緯を伝えると幻通機を託した。託された彼女は頷いて寺子屋を後にした。

 しばらくして早苗の幻通機に反応があり、寅丸星から現状について情報を共有できたことへ礼を述べられた。互いにまだ何が起こるのか分からない為に気を引き締めておこうと言い合って通話は終わった。

 鈴奈庵、寺子屋、命蓮寺と悪意汚染から免れている拠点の者達は里人より遥かに事態の推移を把握できていた。お陰で冷静に見守る事ができていたのである。

 同じく悪意汚染を免れている守矢神社本宮では先ほどの地震で話し合いどころではなくなった綿月依姫と蓬莱山輝夜、八意永琳は廊下で待機していたてゐを連れて境内へ現れた。

 相変わらず天狗達から警戒の目を向けられ何が起こっているのか聞くどころではない、と感じていた所に摩多羅隠岐奈がやってきた。手短ではあるが彼女は依姫たちが知りたかった情報を親切にも教えてくれたのである。それがまた不気味でもあったのだが。不信に感じた永琳が訊ねると隠岐奈は何食わぬ顔で言ったのである。月の使者に元月の賢者、元月の姫が幻想郷に対して多大な被害を出した事、どうけじめをつけるのかな、と。

 面白そうに笑みさえ浮かべて口を開く隠岐奈はまるで他人事のように語る。挙句に――――流石に紫も黙ってはいないんじゃないか――――と己ではなくもう一人の賢者の名を出した。もはや自分とは関係のない対岸の火事を見ているような言い方である。

 このわざとらしい言い方に明らかに裏があり、誘っているのだと見抜いた永琳はその言葉に敢えて乗った。すると隠岐奈は己に手を貸してくれたら全て不問とするとあっけらかんと言ったのである。それも難しい事ではなく時が来れば人里へ向かうので同行して欲しいとの事だった。たったそれだけの事で不問にすると言っているのである。話としては美味しい話だ。何らかの罠かもしれないと訝るのも当然だ。しかし続けて隠岐奈は言ったのだ。これは自身の沽券に関わる事であり、それは永琳とて他人事ではない。だからこそ同行してくれるだけで全てを不問にすると。

 つまり。

 永琳からみて隠岐奈は沽券に関わること、即ち彼女の威信にかけてもやらねばならない事があると言っているのも同然なのだ。それに永琳自身がどう関わるのかは分からないがともかく隠岐奈にとっては必要なカードという訳だ。

 嘆息して隠岐奈の要請を承諾した永琳だったが腑に落ちないことはまだある。

 それは上空に出現している黒い孔である。大蜥蜴の群れが蠢いているのだがあれは何かしらと問う。

 けれど今度は隠岐奈が肩を竦める番だった。

 私もそれが知りたいね、と答えたのである。ただ、友好的でないのは確かだがね、と付け加えて。

 やれやれと上空を見上げていると空から神奈子が降り立ち、地面から諏訪子が顔を出した。祟りは終わったらしい。というより黒い孔の出現で切り上げたようだ。祟りの終了とともに華扇と天魔によって祟りの被害を受けた天狗や蜈蚣たちの回収が行われた。

 そこへ小野塚小町までもが現れた。彼女は幻通機で誰かと会話をしつつ一人ずつ値踏みするように視線を向けていた。それから現在三途の川へ大量の溶岩流の死んだ土が流入している事、またそれを引き起こしたのは誰かを訊ねてきた。実行者として諏訪子が名乗り出ると意外な事に溶岩流の流入を続けて欲しいと言ってきた。小町が通話を続けている幻通機を諏訪子へ差し出すと相手は閻魔の四季映姫だった。聞けば現在三途の川では亡者軍との熾烈な戦闘状態にあり死神、獄卒部隊、と参戦要請に応じた村紗や萃香達がおり死神や村紗のような船上戦に慣れている者ばかりではなく、また陸上でこそ力を発揮できる者もおり流入によって出来上がった陸地を維持する為にも溶岩流を止めるな、と要請してきたのである。

 正直に言えば諏訪子は何らかのペナルティをもらうだろうと考えていたのだがまさか、溶岩流を止めるなと言ってくるとは思わなかった。現状噴火は小康状態にまで治まり溶岩は止まっている。戸惑う表情を浮かべて小町へ見るとその小町も両手を合わせてお願いしてきている。仕方なく地面に手を当てて再度噴火を促すとすぐに溶岩流が噴出し始めた。

 小町が確認を取り映姫に伝えると通話が終わった。踵を返し三途の川へ帰還しようとすると、幻通機に反応があった。けれどそれは幻通機を所持している全ての者に対してであった。

 ――――博麗神社から見える孔は旧都と冥界を除き五つ。

 その内の一つが太陽の畑周辺にある事に機嫌が悪くなっている風見幽香へ単独行動しないように釘を打っておく。

 しかし。その彼女からは鋭い視線を向けられた。

 

「暢気にしている場合ではないと思うのだけどね。アレ、確実に向かってくるわよ」

 

 幽香の言葉はおそらく的を射ている。あの蜥蜴は確実に幻想郷へ侵攻してくるだろう。

 黒い孔を凝視していた霊夢は決断した。

 幻通機の全てのチャンネルに対して連絡を入れた。

 

「あ、あ~。霊夢だけど幻通機持ってる奴と悪意対策が出来てる奴は、これ、聞こえてるのよね? 今から大事な事を言うからしっかり聞きなさいよ」

 

 方々から返答があり、一拍置いた霊夢は再び口を開く。

 それを見計らってか紫が機転を利かし幻想郷の至る所へ切れ間を僅かに開けた。それは誰一人幻通機を持っていない場合や幻通機を所持していない者へも霊夢の声が届く様にの配慮だった。

 場所は地底――地霊殿、旧都、冥界――白玉楼、彼岸、三途の川、人里では鈴奈庵と寺子屋、命蓮寺。霧の湖周辺から紅魔館、妖怪の山全域に加えて守矢神社二社四宮、迷いの竹林では永遠亭、近場の太陽の畑、無名の丘、魔法の森では入口にある香霖堂から玄武の沢、無縁塚、上空の輝針城までありとあらゆる所へ切れ間を開いた。これによって幻通機を持っていない者や未だ悪意汚染されて各地に彷徨っている妖怪たちまで霊夢の声が届く事になった。

 

「全員気付いていると思うけど空に黒い孔が現れたわ。そんで見ればわかるけど、まあ、よく分かんないモノがうじゃうじゃとうざったい程いるわよね。どう考えてもちょっと会いに来ましたって感じではないし友好的でもないのよねぇ」

 

 それはいつもの。

 まるで賽銭が少ないのよね、困ったものだとでも言うように霊夢はいう。

 

「でね。たぶんだけど。アレ下りてくるんだろうなって思うのよ。参っちゃうわよね。ただでさえ、悪意汚染ってのが解決できていない中で、それも黒幕はアラディアっていう奴らしいけど、そつもなんか地獄の辺境の地にいるみたいで打つ手がないのよね。――――やってらんないわよねぇ。ここは幻想郷よ、幻想郷。どこからやってきたのかは知んないけど人ん家に土足でやってきて好き放題されて黙ってるとでも思ってんのかしら。――――本当、巫山戯んじゃないわよ! あんな奴らに私達の幻想郷を滅茶苦茶にされてたまるかってのよ! 私は戦うわよ。博麗の巫女ってだからじゃない、この幻想郷に住む一人としてあんな奴らは認めない! 私は一緒に戦って欲しいなんて言わない。ただね、自分の大事な物を守るんだったら立ち上がるしかないのよ。だからこう言うわ。私はね、この幻想郷が大事よ。これが私の大事な物。アンタ達はどう? 幻想郷が大事じゃないっていうなら好きにすればいいわ。でもね、大事だと思うのなら立ち上がって戦いなさい。自分の大事な物の為に戦いなさい。私が言いたい事はそれだけよ。じゃあ切るわ」

 

 言い切った霊夢は大きく溜息を吐いた。慣れない事はするもんじゃないわね、と独りごちている。

 ――――と。

 隣で聞いていた幽香がまたも鋭い視線を向けてくる。

 

「貴方。さっきは私を止めたくせに今度は戦えっていうのね?」

「あぁ、まあね。勝手に戦いを始められても困るからね。こう言っておけば私が焚きつけた事にできるでしょ? 紫的に言うなら博麗の巫女の名の下にってやつね」

 

 それはつまり。

 これから起きる戦いは全て霊夢が責任を持つという事。

 これが――――博麗の巫女。

 

「とは言っても」

 

 黒い孔を見上げて霊夢は言う。

 

「神社から出れば悪意に汚染されるしね。対策してる奴らもそんなに多くない。どうしたもんかしらねぇ」

 

 結局は。

 悪意汚染が立ち塞がるのだ。

 蜥蜴の群れは黒い孔の奥でまだ蠢いているだけではあるが、いつ下りてきてもおかしくはない。博麗神社にある神札は残り二体。例え一体を幽香に、もう一体を別の者に渡したとしても黒い孔は地上に五つ。数の多さというものはそれだけで脅威となる。

 悪意汚染を止めるか、汚染対策をするか、どちらかの対応を取らなければ戦える者を増やす事はできない。

 霊夢の演説によって戦意が高まった者は少なくない。しかし悪意の蔓延によって戦場に立つ事が困難になっている。アラディアが大攻勢をかける中、霊夢達はじりじりと追い詰められていた。

 

 

 霊夢が危惧していた悪意汚染の対処は各拠点の者達も辿り着き頭を悩ませていた。

 最初に発生した悪意が最後まで立ち塞がる。

 そして。

 アラディア・アーリマンは姿を見せない。

 ヘカーティア・ラピスラズリが仕留めたのであれば何らかの変化がある筈だ。しかしそうはなっていないのだ。

 けれど。

 地獄の女神が倒される筈がない。誰もがそう思っている。

 しかし。

 四季映姫だけは彼女が撤退した事を知っている。

 ――――全てが断片でしかない。

 どれだけの情報を擦り合わせようとも悪意が邪魔をする。

 まるで堂々巡りだった。全ては悪意汚染をどうにかするしかない。そこへ帰結する。

 誰がどう考えてもそこへ辿り着く。

 ――――ならば。

 その埒の開かない事態を打開するには天才的な閃きが必要だ。そしてそれを可能にする人物はただ一人しかいなかった。

 守矢神社本宮で摩多羅隠岐奈が、蓬莱山輝夜が、綿月依姫が、因幡てゐが、八坂神奈子が、洩矢諏訪子が、茨城華扇が、星熊勇儀が、小野塚小町が、天魔が、保護された兎たちが、汚染を祓われた天狗たちが――――。

 たった一人を見ていた。

 月の頭脳、高天原の叡智と謳われた八意永琳を。

 

「手詰まりの現状、誰もが悪意をどうするべきかを考えている。さて、君の意見が聞きたいな。――――八意永琳」

 

 口火を切ったのは摩多羅隠岐奈だった。

 

「そういうことは賢者である貴方の仕事ではないのかしら?」

「私は幻想郷の賢者ではあるがね、紫のような調停者ではないよ。どちらかというと管理者に近いね。そういう意味だとこの悪意は、管理の範囲内と言わざるを得ないものだ。何故ならこれは我々からも発生しているものだからね。内側から生まれたのならそれはなるべくしてなったというべきだ。だがね、この悪意が齎す結果は革命、刷新に近い。別にそうなったとしても管理者としては悪くはない。悪くはないが、面白くはない。そうとも、面白くないんだよ。だから君に訊ねているわけだ」

「私は貴方達に酷い目に遭わされているのだけど?」

「人聞きの悪い言い方をするものではないよ。ちょっと変わった荒療治じゃないか。医者の不養生を治したのだから感謝こそされても文句を言われるとは心外だ。第一直接手を出したのは神奈子なのだから苦情は彼女に入れてくれ」

 

 隠岐奈の言い分は怒りを買うより呆れを押し付けられたようなものだった。隣に立つ神奈子にまで白い目を向けられる。

 

「隠岐奈、貴方ね。永琳を煽るのも、それに私を挑発するのも止めてちゃんと説得をして欲しいのだけど」

「もちろん協力を仰いでいるさ。そうは聞こえなかったかな?」

「そう聞こえなかったから口を出してるのよ」

「やれやれ。兵は神速を貴ぶというが、軍神殿は急いては事を仕損じるという事も知っていてほしかったな」

「それは急いでいる時こそ冷静に動けという意味でしょう」

「だから私は冷静に永琳を説得しているんじゃないか」

「どの口が言うのよ、全く」

 

 吐息をついた神奈子が永琳へ向いた。

 

「手を出したって意味では私が言えた義理ではないけれど、力を貸してくれないかしら、永琳」

「本当にそうね。――――けれど、貴方に言われて気づいた事もあったわ。だからそれに免じて協力しましょう。ただ――――けじめはさせてもらうから」

 

 永琳は一歩前へ出て神奈子へ近づく。と同時に右手が振り抜かれた。それは見事に頬を平手打ちしていた。

 

「文字通りこれで手打ちにしてあげるわ」

 

 誰もが呆気に取られていた中、輝夜だけが声を上げて笑っていた。ぶたれた神奈子もその気持ちは理解できた。本日二度目の平手打ちされた頬に手を当てながら神奈子は言った。

 

「永琳、貴方の教え子はしっかり、貴方の教えが身についているようよ」

 

 その言葉がどういう意味かを考える永琳に輝夜がくすくすと笑いを堪えながら既に一度手打ちにする為に平手打ちした事を明かした。全く同じ行動を、しかも同じ文言で、同じ人物へ行っていたのである。

 痛む頬を抑えながら神奈子は隣の隠岐奈を振り返るが、その隠岐奈はいつの間にか永琳とちゃっかり距離を取ってにこにこと笑みを浮かべていた。

 

「なんて……要領のいい」

 

 まるで――平手打ちされるのは貴方だけで充分――とでも思っているような表情である。

 

「それで。この悪意の対処、だったわね?」

 

 神奈子へけじめをつけた永琳は既に意識を切り替えていた。空に穿たれた黒い孔を見上げながら言う。

 

「大方の事情は聞き及んでいるし、手っ取り早いのは御守りや神札などの加護ね。それがあれば汚染されることはないけれど、加護を求める人妖の数だけ今すぐ用意することは困難。となれば悪意の除染、これしかない」

「そう。それができれば苦労はないのだがね。できるのかな?」

 

 やや離れた位置から隠岐奈が指摘する。と同時に隠岐奈は先ほどの紫が切れ間を開き霊夢の演説を多くの所へ伝えたように幻通機のチャンネルをフルオープンにした。今度は永琳の言葉をより多くの者へ伝える為に。

 

「私自身悪意に汚染されていたから分かるけれど、悪意によって汚染されるのは精神、いえ心と言った方が適切かしらね。つまりは内部を汚染されるわけね。これを正常にするには祓いを受けるのが覿面なのだけれど、軽度の汚染なら神域に入れば自力で浄化する事もできる。これらから分かるのは――――祓いは内側から、神域は外側から悪意の除染を行っているということ。なら――――幻想郷そのものを神域にしてしまえばいい」

 

 大胆な提案に誰もが眉を顰める。果たしてそんな事が可能であるのか。

 

「八意様、差し出がましいですが、そんなことができるのですか?」

「ええ。必要な人材を集めれば不可能ではない、と私は考えるわ」

「面白い発想だ。それで、具体的にはどうするのかな?」

 

 先を促す隠岐奈に永琳は頷いて見せる。

 

「悪意は陰陽でいえば陰気になる。これが今、幻想郷に満ちている訳ね。ならば陰気を陽気に変える事で清浄な空間を確保――いえ悪意を相殺する事ができるはず。無論神社でもない場所を神域化する事は厳しいわ。その為には疑似的に社の役割を担う楔を創り、楔を中心に相殺し続ける力を供給、維持する必要がある。まずは陰気を陽気に転換する事をしなければならないけれど、これをやってもらうのは――――」

 

 永琳が視線を向けているのは諏訪子だった。

 

「私かい?」

「ええ。洩矢諏訪子、まずは貴方。それから神霊廟の物部布都。あと天人の比那名居天子。この三人が中核となる」

「責任重大だなぁ」

 

 帽子を目深にかぶり、その諏訪子の表情は読み取れないがどことなく面白そうな口調である。

 

「まあ。私は構わないよ。でも後の二人はどうかなぁ」

 

 と諏訪子が口にすると幻通機に反応があった。それは早苗のチャンネルからフルオープンで掛かってきたが声は違った。

 

『こちらは豊聡耳神子です。今、早苗の幻通機から話しています。布都に関しては問題はありません。私が許可します。どなたか布都と連絡を取れる方はいますか?』

 

 寺子屋にいる神子から早苗の幻通機を通して話を聞いていたらしい。そしてそれは各地で幻通機を持つ者達も同様だった。

 

『お話の途中失礼します、聖白蓮です。布都さんなら博麗神社にいます。それと天子さんもこちらに。ちょっと布都さんに代わりますね』

『太子様、我は今博麗神社におりますぞ。永琳殿が仰ったことに我も力添え致しますぞ。あ、何をする、まだ我が喋っているというのに』

『うるさいわね。貸しなさいよ。ふふん、聞いたわよ。私の力が必要って事をね。まあ? 下々の者が私に力を借りたいっていうのならしょうがないけど貸してあげても――――痛たた、ちょっと衣玖ッ、ちょっ、待って、あ――――』

『えー、総領娘様が失礼しました。私は永江衣玖です。只今、白蓮さんの幻通機を通してお話させて頂いております。布都さんと総領娘様は協力できると仰っています』

 

 白蓮の幻通機から喋っているらしいが貸し借りに揉めているのか喋っている者がころころと変わった。最後に衣玖が要点を纏めてくれたお陰で永琳が指名した三人の協力を取り付ける事ができた。

 

「さて。君の挙げた三名は協力してくれるらしい。次はどうするのかな?」

 

 永琳へ次を促す隠岐奈にその永琳が怪訝な顔をしていた。どうやら幻通機で会話している彼女達にどことなく蚊帳の外にされている感を否めないでいるらしい。

 

「その前に。その連絡を取っている機械、それは何?」

「ああ、これは幻通機といって神奈子が用意したものだ。――――まだ余りはあるかい?」

 

 隠岐奈から幻通機に余分がないかを訊ねられた神奈子が残り四つの内の一つを永琳に渡した。――――が。それを見ていた輝夜も要求してきたので彼女にも渡す事になった。

 使用方法を掻い摘んで教えると永琳はすぐに理解して幻通機をフルオープンで開いた。

 

「八意永琳よ。悪意の対処について説明していたのだけど、幻通機を持っている者は聞いていたわね? では次に洩矢諏訪子、物部布都、比那名居天子の三名の役割を説明するわ。まず守矢の神には幻想郷の龍穴である博麗神社へ向かって貰う。そこで神力を注いで陰気を陽気に変える役割を担ってほしいのよ。次に天人ね。黒い孔の直下を始め、幻想郷の至る所へ要石を挿し込んでもらう。これが楔の役目になるから重要よ。最後に尸解仙の彼女には風水術を使って守矢の神が陽気に変えた気を要石まで届くように操作してもらう。地形に変化を持たせたい時は天人の力を借りればどうにかなるでしょう。これが幻想郷を神域化させる骨子になるわ。ただこれだけだと要石まで陽気が届いても大地から陽気が広がるまでは時間が掛かる。そこで大地、草木に関する力を持つ者についていてもらいたいの。最低でも黒い孔の直下に挿し込む要石の数、つまり五人、いえ博麗神社は守矢の神が直接陽気を龍穴に注ぐから四人は確実に確保したいわね」

 

 幻通機を介して永琳の悪意相殺作戦の内容を多くの者が吟味する。永琳は幻想郷の龍脈をまるで血管のように見立てて神力によって生成された陽気を送り込むという案を出したのだ。それも天子と布都の力を使い、龍脈そのものを整備し直し悪意の入り込む隙間を確実に消し去り、さらに送られた陽気を拡散させる為に大地、草木に関した能力を持つ者まで配備させるという徹底ぶりだ。最低でも四人と言った永琳へ幻通機の反応があった。やはりフルオープンで。

 

『こちら三途の川から連絡しています、四季映姫です。八意永琳の策、拝聴させて頂きました。私はその策に賛成致しますが、黒い孔は地上の五つだけではありません。冥界、というより地獄に一つ、それから旧都にも一つ、出現しているという情報を得ています。合わせて七つの黒い孔が出現しているので要石の傍で陽気を拡散させる人物は最低でも七人という事になりますが、地獄と旧都に関しては心当たりがありますので地底と地獄に人員を送り込む必要はありません』

 

 冥界と旧都にも黒い孔が現れている。その情報は地上にいる者には衝撃だったが映姫は永琳の策に賛成し、しかも要石を担当する者に心当たりがあるらしい。念の為に永琳が訊ねてみると。

 

『要石の傍にいてもらうのは埴安神袿姫と杖刀偶磨弓に要請するつもりです。埴安神は土の神でもあります。八意永琳の要求する人物に適うと思われます。また杖刀偶磨弓も埴安神袿姫に作られたという経歴から加護があります。土の力を有しているという意味では彼女達が適任でしょう』

「ええ。彼女達なら文句はないわ。旧都と地獄はその二人に任せていいでしょう。となると地上は誰を選出するか、ね」

 

 誰に対してという事はなかった永琳の言葉だが各地で四人を選ぶべく話し合う声を幻通機が拾っている。

 時間としては五分くらいのもので再び幻通機から声が届く。

 

『霊夢よ。今神社にいる連中でなんとか三人まで選出できたわ』

『こちらパチュリー・ノーレッジよ。霊夢の言った三人の一人になるわ。草木は属性で言えば木になる。木属性を扱えるから私が選出されたわ。それからもう一人が――――』

『私、アリス・マーガトロイドよ。今、パチュリーの幻通機から喋っているわ。私もパチュリーと同じ理由ね。それで最後の一人だけど』

『ほら、アンタなんだから一応名乗るだけ名乗りなさいよ』

 

 霊夢の急かすような声が届く。霊夢と話している者がその三人目なのだろう。

 

『三人目は私らしいわ』

 

 その声は風見幽香のもの。

 

『だーッもう。幽香よ幽香。幽香は花を操れるから永琳の要求に合うでしょ?』

「風見幽香ね。ええ、申し分ない力だわ。では後一人だけど」

『あー、それなんだけど、と。私は河城にとりだよ。最後の一人だけどたかねを推薦するよ。山城たかね。あいつは確か森の気を操れる力があった筈だからね』

「そう。では決まったわね。それでは誰がどの黒い孔の要石を担当するかだけれど」

 

 担当箇所はすんなり決まった。

 まずは博麗神社は諏訪子がそのまま担当する。次に妖怪の山は山城たかねに決まる。魔法の森はアリスが、無名の丘には幽香が赴く事になった。どこでも担当できるパチュリーが無縁塚に決まった。旧都と冥界には埴安神袿姫と杖刀偶磨弓が配されるので永琳の作戦を決行できるだけの人員が集まった事になる。

 悪意の除染作戦はすぐに実行に移された。諏訪子が博麗神社へ転移し神社の真下の地中奥深く、地底よりも下の層に陣取り龍穴を支配する。次に天子が各黒い孔へ要石を挿し込む為に博麗の神札と白蓮から幻通機を受け取って出立した。その天子の要石まで陽気を流れ込むようにする為に布都もまた博麗の神札と妹紅から幻通機を受け取り各地へ赴く。それぞれ連絡手段を持っていた方がいいと判断されたからだ。そして要石の傍で陽気を拡散させる役目を持つパチュリー、アリス、幽香もそれぞれの担当の地へ向かおうとするが、こちらも連絡を取る手段を持つ為にアリスへ紫の幻通機が、幽香には加護が無い為、橙が持ち出した守矢の神札と咲夜が使っていた幻通機を受け取り無名の丘へ向かった。

 悪意除染が始まって新たに全ての幻通機に反応があった。発信者はまたも八意永琳であった。彼女はフランドールがいないかと連絡を入れた。現在博麗神社で幻通機を所持しているのは霊夢だけだったので霊夢から神社にいると返答があった。

 永琳の要求はフランドールに黒い孔が破壊できるかどうかを試してほしいとの事だった。彼女の考えではおそらく高確率で破壊ができないと至ったらしいがその確信が欲しいようだ。霊夢から少し待ってと返事があり、フランに黒い孔が破壊できるかどうかを頼んでくれたらしい。

 フランの負傷はほぼほぼ完治しており霊夢の頼みとあって黒い孔の破壊を試みたフランだったが、手を翳してみるも何も起きないのだ。首を傾げるフランに霊夢が訊ねてみると不思議そうな表情で彼女は言ったのだ。

 ――――あれ、存在してないよ、と。

 ありとあらゆるものを破壊できるフランであっても破壊できないものはある。それは――ないものである。存在しないモノを破壊することはできない。

 となるとあの黒い孔は存在しないものになってしまうのだが、目には見えている。一体どういうことかと結果を永琳へ伝えると彼女は眉を顰めた。

 永琳は言った。

 あの黒い孔はアラディアの世界――深淵である可能性が高く、それは進化の終着点に存在する世界なのだと。進化の終着点という事はまだ訪れていない時間軸に存在する世界であり進化の終着とは死そのものでもある。つまり、アラディアは存在しないはずの世界を現在の幻想郷に繋げてしまったのだ。今はまだ肉眼で見えるだけの状態でしかないが霊夢が語った通り黒い孔で蠢く蜥蜴の群れは幻想郷に物質を伴って押し寄せてくるのは時間の問題らしい。それまでに悪意を除染し蜥蜴の群れを迎撃できるだけの戦力を整えなければならない。少なくとも七か所に迎撃部隊を配置しなければあの蜥蜴は幻想郷を進化の終着点へ導くだろうと永琳は締めくくった。

 すぐに動いたのはそれを聞いていた四季映姫だった。彼女は小町へ連絡を入れて地底へ向かうように命を下した。現在地底では連絡を取る手段がない。地底では既にさとり達が一枚岩となって亡者軍と戦っているのだ。また地底は地上に比べて龍穴が近い。その為、悪意の除染は一番早いと思われた。そして埴安神袿姫と杖刀偶磨弓を向かわせるので埴輪兵団がそのまま戦力になってくれる。さらに三途の川には萃香の百鬼夜行がいる。地底、地獄に関しては戦力を既に確保しているので地上は地上で対処をお願いします、と映姫から伝えられた。閻魔の仕事っぷりに感嘆を憶える永琳だが感心している場合ではないのだ。

 地上には黒い孔は五つ。戦力を五等分して配置しなければならない。

 急ぎ協議を行い、博麗神社には霊夢を中心に紫、藍、白蓮らが主に出撃し残った者は後衛に回り負傷者が出た際の救援、手当の担当となる。妖怪の山は隠岐奈と神奈子や華扇、勇儀、ネムノを始め永遠亭組や千亦や魅須丸、秋姉妹と言った神達、天魔率いる天狗勢、百々世ら蜈蚣衆、にとり達河童族にたかね達山童族もいる。山如達もいるので人員には事欠かない状態である為、山の蜥蜴を制圧後各地の状況を見て援軍へ向かう事になった。にとり達はアジトが魔法の森に近い為、初めから森へ向かうと主張した。これによって魔法の森へは魔理沙、にとり達河童勢、無名の丘にはメディスン、妹紅、無縁塚にはパチュリーが要石の担当という事もあってレミリア、フラン、咲夜、美鈴、小悪魔と紅魔勢が名乗りを上げた。

 人里にいる早苗や神子、慧音、霖之助たちはそのまま人里での待機となった。黒い孔は人里周辺にはないが万が一の事を考えそう話はまとまった。唯一魔理沙だけが魔法の森へ出撃する。また同様の理由から命蓮寺組も現状待機に落ち着いた。

 そこへ各地へ要石を挿し込み終え現在地底へ移動した天子から連絡が入った。既に布都のサポートに回っており気の循環を作り替える事に成功しているとの事だった。

 そんな中、妖怪の山では戦力を各部隊として纏めていた。天狗達、蜈蚣衆の持ち回りや命令系統の確認の調整に入っていたのである。速やかな意思疎通の為に飯綱丸龍と姫虫百々世へも幻通機と守矢の神札が渡してあり、既に悪意に関する情報を伝えてある。天狗族、蜈蚣衆、河童山童達の部隊編成、それを統率する将の抜擢、その指揮官の選出。

 全体指揮を執るのは当然というべきか八意永琳である。そして総大将は天魔に決まった。守矢神社二社四宮の本宮を本陣として前宮、春宮、秋宮に布陣する。

 黒い孔の状態を逐一報告してもらい永琳は時間との勝負の中、妖怪の山の種族の異なる者達を兵団として纏め上げた。しかし部隊として編制できても一枚岩となるにはあと一押しがいる。共通した意思の共有だ。それを隠岐奈と神奈子へ要求した。今度ばかりはのらりくらりとかわせないと見た隠岐奈は珍しく考え込む。隣に立つ神奈子もどうするべきか逡巡したが案が浮かんだらしく天魔に頼み幾人かの天狗を借り受け宝物殿へ向かった。蔵出ししたものは諏訪法性旗、諏訪明神旗、諏訪梵字旗の諏訪神号旗に――――さらに。日の丸の御旗。

 日本最古の日の丸の旗は武田勝頼が運んだ雲峰寺に保存されている。しかし、神奈子の持つ御旗はさらにそのオリジナルとでもいうべきものだった。

 何故ならこれは神奈子がアマテラスに従う証として持っているものだからだ。神奈子は二社四宮を回り、諏訪神号旗と日の丸の旗を立ててきた。それに驚いたのは永琳である。アマテラスの御旗を律儀にも最後まで抵抗し叛逆した神奈子が持っている事に。

 

「私がこれをもっていたらおかしいかしら? そもそもは貴方達から受け取ったものだけれど」

「それはそうだけど、すぐに従ったコトシロヌシならともかく叛逆神の貴方が律儀に持っているなんてね」

「――――これは約束の証なのよ。オオクニヌシ様とアマテラスの伯母上のね。最後まで歯向かった私だから持つ意味があるのよ。まあ、どんな因果かは分からないけれど今は同じ側に立っている。不思議なものね」

「――――不思議、ね。私も貴方も流されてここにいるわけじゃない。自ら選び辿り着いてここにいる。なるべくしてここにいる。だったらそれは不思議でも何でもない。この世界には不思議な事なんて何一つないのよ」

 

 ふっと笑みを溢した永琳に神奈子は二度と敵に回したくないなぁ、と思っていた。

 ――――と。

 神楽殿の方から雷鼓が叩く太鼓の力強い音が響いた。続けてルナサのヴァイオリンが、そこへメルランのトランペットが乗り、リリカのキーボードが旋律を奏で、弁々の琵琶と八橋の琴が音に厚みを持たせる。

 それは重厚感があり勇ましさを持つメロディーラインで聴くものを奮い立たせるような雰囲気がある。

 

「どうかな? せっかく彼女らがいるんだ。できる事をやってもらったんだがね。こういうのを音楽隊というんだろう? この状況だと軍楽隊になるのかな? いやそれだと余りにも無粋だな、いうなれば――――そう、幻樂団だな」

 

 うんうんと自己納得をしながら隠岐奈が言う。彼女は彼女で部隊が一枚岩となるひと押しを実行したらしい。

 

「これで意識の共有に役立てばいいんだがね」

「結構よ。音楽は精神を高揚させる効果もあるわ。彼女達の音楽を聴く事で一体感も湧いてくる」

「はっはっは。これでも能楽の神でもあるのさ、私は。謡曲や囃子には明るいのでね。本質的には音楽にも通ずるものがある。だから彼女達に演奏を頼んだのさ」

「――――なるほど。摩多羅神、だったものね、貴方」

「ふふ、摩多羅をぞんざいに扱えば後が怖いぞ」

 

 隠岐奈曰くの幻樂団こと雷鼓達の演奏は山に響く。これで永琳の求めた部隊を一枚岩にする為の一押しが押された。同じ軍旗の元、同じ幻樂団の演奏を聴く。

 これから始まるであろう戦の前に整えられる事は全て終わった。後は悪意の除染が何もなく完了すればいい。除染の様子は秋姉妹と玉造魅須丸に依神女苑が駆り出されて神社の神域外で確認している。

 ――――しかし。

 そう事はうまく運ばないものだ。

 それに気づいたのは天を創り気象を意のままにできる神奈子だったからと言えよう。

 

「――――何か、来る」

 

 そう呟くと彼女は永琳へ言った。

 

「ごめんなさい、永琳。部隊編成の変更をお願いするわ。将として選ばれていたけれど辞退する。それと後の事は任せたわ」

 

 最後の神札を永琳へ渡して返答を神奈子は空へ飛び立った。同時にメテオリックオンバシラを打ち上げる。天空の中に明らかな異物がある。これでもかと異彩を放っている。

 ほどなくして打ち上げた御柱は空中で爆散した。まるで何かに衝突したかのように。

 その何かを放った人物がゆっくりと降下してくる。

 それは――――修羅亡者の大反乱を起こし畜生界にいた仮面の女だった。どういう訳か彼女は妖怪の山の上空に転移していたのである。

 地上の者達には知る由もなかったが悪意除染が始まった事により彼女が赴かざるを得なかったのだ。

 人里の橘迦玖能と六天主はその役割から動く事ができない。緱婉姈は月におり、もう一人はコキュートスにいる。従って地上に向かう事ができたのは仮面の女だけだったのだ。

 天に佇む仮面の女の周囲に火球めいた石が三つ浮いている。

 対して神奈子も周りに御柱を出現させ迎撃の構えを取る。

 ――――と。

 神奈子を見た仮面の女がくつくつと喉の奥で笑う。

 

「なんだ?」

 

 警戒しつつ口にした言葉を耳聡く仮面の女は聞き咎めたらしい。

 

「嬉しいんだ。こんなにも早く会えるなんて。やはり幻想郷へ来たのは間違っていなかった」

 

 仮面の所為で表情は分からないが声音は確かに喜びが滲んでいる。

 

「何のことかしら?」

 

 返答は期待していないものだったが意外にも返事が来た。

 

「私の話だ。それよりも――――アラディアの悪意を浄化しようとしているんだろ? それは困る。とても。どんな手段を用いてるのかは知らないが困るんだ。この山だろ? こんなに人がいるんだから」

 

 どうやら仮面の女は悪意の除染を山で行っていると考えているらしい。確かに除染の案は永琳の発案であり指示も彼女が出している。そういう意味では間違ってはいないが除染そのものは各地で行っているのだ。仮面の女が山へ出現したのはその勘違いがあったからと神奈子は把握した。が、それはそれで好都合である。各地の現場で除染作業をしている中、最も人員が豊富な妖怪の山の上空に現れてくれたのだ。仮面の女が勘違いをしたままで神奈子が引き付けておけば幻想郷の除染は邪魔されずに済む。

 

「そうかもしれないわね? だとしたらどうするというの?」

 

 匂わせる言葉を投げかけ相手の出方を窺う。さて、どういう反応になるか。

 

「ああ、それなら仕方がないから――――消さなくっちゃな!」

 

 女の周りの火球が急加速をして山目掛けて落ちていく。瞬間に御柱で追撃をすると同時に自然では発生しえない強烈な上昇気流を生じさせ火球の落下を阻害する。

 しかし。

 仮面の女は反対にダウンバーストを形成し対抗してきた。

 ――――そんな馬鹿な。

 乾を創造する神奈子は地上以外の空間を把握することができる。仮面の女が起こしたダウンバーストは例えば天狗でも起こすことはできよう。それは風を操る文なら造作もない。けれど今のは起こしたのではない。紛れもなくを創ったのだ。つまりは――――神奈子と同じことをしたのである。

 落とされた火球の内、二つは迎撃できたが残りの一つが御柱を掻い潜った。

 本宮へ墜落していく火球が、しかし突然真っ二つになる。

 

「――――全く。見ていられない」

 

 切断された火球は爆散し爆風から飛び出してきたのは綿月依姫だった。

 

「悪いけれど加勢するわ。いいわね、ヤサカ?」

「依姫様、何故――――」

「何故も何もない。幻想郷が悪意に塗れようとそれは知った事ではないわ。ただ、八意様が悪意の除染を行い、アレが出てきた。ならばアラディアの可能性が高い」

 

 考えてみれば依姫の語った事は一理ある。悪意の除染を実行した所であの仮面の女が出てきたのだから。しかし神奈子はどうにも仮面の女がアラディアであるとは思えなかった。そもそも本人がアラディアの悪意、と口にしている。それは仮面の女とアラディアはイコールではないということ。

 

「勘違いもいいとこだよお嬢さん。私はアラディアとは違うぜ。それよりも、お前、月の奴だろ? 生きてる死体って奴だ」

「生きてる死体?」

 

 仮面の女の奇妙な言い回しに依姫は眉を歪めた。

 

「だってそうだろ? 穢れを嫌い寿命がないくせに動いてやがる。生きていないのに生きてる。浄化された月に住む浄土の住人。まさに生きてる死体だよお前さん達は。そんなに生きるのが怖いか」

「なんとでも言えばいい。貴方が貴方の価値観で私達を測るのは自由ですが――――先に仕掛けたのは貴方達であり私達は降りかかる火の粉を払うだけです」

「そう思うのなら思慮が足りないとしか言えないな。お前にとってはそうかもしれないが、私にとっては先に仕掛けたのはお前の方だよ。なあ綿月依姫」

「私の名を――――?」

「知っているさ。ああ、白状するとさ、私はお前達が嫌いだ。綿月依姫も八坂神奈子も。こんなことがあるんだな。アラディアを通じてお前達の事が分かった。まさかお前達が姉妹だったとは思わなかったよ」

 

 やけに恨みを買っているな、と神奈子は思った。しかしこんな仮面の女に恨まれるような心当たりは全くなかった。それは依姫も同感であり理不尽な逆恨みか、と脳裏を過ぎった。そんな二人の様子に仮面の女は察したらしい。

 

「なんだ。お前達まだ分かってないのか。だからアラディアに付け入れられるんだよ。そのお陰なのが癪だけどな。いいぜ、教えてやるよ。まずは綿月依姫、お前だよ。お前、勝手に私の力を使ったろ? さも当然のようにな。全く、太陽に照らされなければ自ら光り輝く事さえできない月の癖に。それに使い方がなっちゃあいない――――本当の闇に輝くっていうのを見せてあげる」

「何を言ってる?」

 

 依姫の問い返しを無視して仮面の女は神奈子を見据える。

 

「次に八坂神奈子、お前だ。お前の罪は重いぜ。お前がちゃんと戦っていればこんなことにはならなかったんだ。どうして服従したお前の国は最後まで独立して、どうして戦い抜いた私の国は平定されたんだ。おかしいじゃないか」

 

 その話は国譲りを指しているのだろう。確かに神奈子はオオクニヌシの言う通り最終的に服従をした。葦原中つ国の統治をアマテラスへ譲ったのだ。服従の証として諏訪大戦を引き起こし洩矢の王国を平定までしたのだ。そうして信濃国に鎮座し出雲から逃れた人々やアマテラスの統治に反発して信濃国に合流した者達から祀り上げられた。民は増えたが同時に食料問題が浮上した。アマツカミのやり方では民が餓える。だから海を求めて関東へ侵攻した。アマテラスの方針では魚は食べていいからだ。しかしまたもやフツヌシとタケミカヅチが立ち塞がった。けれど今回は民を飢えさせない為に勝たねばならなかった。食べるものがなくひもじい思いをして餓死していく様など見せられない。故に本気で戦った。それが荒船山の決戦、国譲りから端を発した最後の戦いである。神奈子は二神を退けアマテラスへ鹿食免の権利を押し通した。ニニギの仲裁もあり、これが国譲りの最終決戦の筈だ。

 

「確かにオオクニヌシは地上を開拓し地上の国の礎を創った。そいつには感謝もしよう。けれどその後を多くの場所でいろんな奴が継いでいったんだ。私もその一人だ。お前が服従した後、奴らがやってきた。もちろん追い返してやった。そうしたら今度は違う奴を連れてきた。私の天敵となり得る奴だった。戦ったけど勝てなかった。相性が悪かったんだよ。挙句の果てに砕かれて封印までされた。お前の荒船山での戦いを聞いて私は頭に来たよ。最初からちゃんとお前が戦っていれば、とね。だってそうだろ? 日ノ本第一の軍神はタケミナカタだ。タケミカヅチでもフツヌシでもない。そうじゃなかったら荒船山で二人を退けるなんて芸当ができるはずがない。お前が一番強かったんだ。だから私はお前を許せない」

 

 淡々と語る女の声音には怒りも憤りも感じられない。ただただ女にとっての真実を語っているのみだ。

 

「貴方は――――一体」

 

 この女は一体誰だ。

 国譲りの時の恨みを抱いてきたこの女は一体誰だ。

 女は声を上げて嗤った。

 そして――――仮面に手を掛けた。

 

「なッ――――」

 

 その声は依姫だった。思わず隣に立つ神奈子を見る。

 神奈子は目を見開いてその、よく見慣れている顔を凝視する。

 

「私は――――禍那(まがな)甕星(みかぼし)禍那」

 

 瞳、鼻筋、唇に輪郭――――禍那の顔立ちはまさに神奈子と瓜二つ。双子なのではと思うくらいにそっくりだった。

 

「タケミナカタには感謝しているよ。彼の肉体は私が貰った。あの力は本物だった。だけど神核だけがなかった。神核はお前が持ってたんだな、八坂神奈子」

 

 本来のタケミナカタは神奈子の為に神核を明け渡しその身体は諏訪湖へ弔われた。

 だが。

 彼の肉体がどうなったか。神奈子は憶えている。龍体となった彼の肉体は諏訪湖に映る星々へ吸い込まれていったのだ。

 もし。

 もしその龍体を回収したものがいたとしたら。それは湖面に映る星を操れるものに他ならない。そしてそれを目の前の人物は可能とするだろう。

 何故なら。

 甕星禍那――――彼女は国譲りで神奈子と同じく最後まで歯向かった事でタケミナカタと同一神とされる星の神、アマツミカボシであるからだ。

 これが饕餮尤魔の感じたものの正体だった。神奈子と禍那、共にタケミナカタ由来の力を持っている。石油騒動で神奈子と対峙した事がある饕餮は禍那の雰囲気が神奈子と似ている事を感じ取っていたのである。

 そして。

 アマツミカボシの力を綿月依姫は神霊を呼ぶ力で使ったことがある。それが禍那にとっては腹立たしい事だったようだ。

 

「甕星……禍那? ――――アメノカガセオか!」

「言葉を慎みなよ、綿月依姫。香香背男、二つの香に背を向けた益荒男の事だ。私がいつタケミカヅチとフツヌシに背を向けた? 背を向けたのは私じゃない。最後まで足掻いた私が背を向けるなんてそんな真似をするか。お前だろ? 八坂神奈子。荒船山で勝てたはずだ。だが背を向け、国に帰った。本来香香背男とはお前の事を指していたんだ。でもアマツカミは叛逆神を認めなかった。お前は情けなく服従した神として、私は砕かれ封印された神として名を刻まれた。ああ、奴らには都合がよかったんだろう。お前のした事も服従を拒み封じられた私の所為にされた。だってそうだろう? お前は――タケミナカタは星の欠片を管理していたんだから。そして私は星の神だ。お前の罪を私に被せるのなんてアマツカミには造作もなかったわけだ」

 

 長野県中部にある霧ケ峰高原に一度聞いたら忘れられない地名がある。

 その名も星糞峠。

 星の糞と名を冠するここは黒曜石の産地である。なぜこんな名がついたのか。それは古代において黒曜石とは空から落ちてきた星の欠片だと考えられていたからだ。そして星の欠片である黒曜石を管理していたのは国譲り前ではタケミナカタであり、国譲り後はタケミナカタの名を継いだ神奈子である。しかしタケミナカタも神奈子も星の神の神格はない。あくまで管理者なのだ。そこに目をつけたのがアマツカミである。荒船山の決戦で仲裁を受け入れた神奈子はタケミカヅチとフツヌシに背を向けて国へ帰った。だからこそ本来カガセオとは神奈子を指す言葉だ。

 二つの香、そしてカガとは古語で蛇を意味する言葉でもあり蛇は諏訪明神の神使とも言われている。つまりカガセオとは二つの香、鹿島――香島と香取を背にしたという意味とカガ――蛇を背負うという意味があったのだ。現に神奈子が背に負う注連縄は蛇が絡まっている姿を表している。

 アマツミカボシは茨城県――常陸国の支配者と呼ばれている。しかし茨城県日立市諏訪町にある諏訪神社の奥には諏訪湖と通じていると言われている諏訪の水穴がある。さらに日立市にはとある山が存在する。その名は風神山。その風神山の頂上には風神と雷神の石碑が建立されている。茨城県で雷神とはいうまでもなくタケミカヅチの事であり、ならば風神とは当然タケミナカタを指している。そして風神山周辺はかつては大甕山とも呼ばれていた。まさに神奈子の関東侵攻の名残は太平洋目前まで迫った事を今もなお示しているのだ。その所業から生まれたカガセオという呼び名は星の欠片の管理者であったタケミナカタから星の神へ擦り付けられた。

 禍那の言う通り都合がよかったからである。

 

「彼の力を手に入れたら、こうなっていた。以前がどうだったかなんて思い出せないし文字通り生まれ変わったんだ。だけど神核だけがないんだ。あの時、私が神核をもっていたら国譲りは止められたんだ。だからタケミナカタの神核を持ちながら服従したお前の罪は重い。ああ、分かってたよ。お前と私は同類だ。きっと気が合うだろうし同時に気に入らないってな。まるで自分を映す鏡みたいで腹が立つんだよ。いいぜ、お前は神核。私は龍体を手に入れた。力としては同等だろ? お前は地上の叛逆神かもしれないが私は天上の叛逆神だ。どちらかぶっ倒れるまでやろうぜ」

 

 再び火球を召喚した禍那は照準を依姫と神奈子へ合わせている。彼女にとって依姫と神奈子は許せない存在だという訳だ。

 元よりタケミカヅチ、フツヌシを撃退できる実力の持ち主である。そんなアマツミカボシを封じたのは織物の神シトリだ。

 依姫がシトリの神降ろしをすれば禍那に対して大きなアドバンテージを取れる。

 しかし。

 

「シトリ様が呼べない?」

 

 そんな依姫の態度に禍那は言う。

 

「お前の力は正しく発動しているよ。だがここはもうアラディアの腹の中だ。私が何の対策も打たずにお前と会うと思うか。シトリの神霊だけは通さないように言ってある。お前が呼べなかったんじゃない。シトリが来れないんだよ」

「くッ! これもアラディアの所為か」

 

 歯噛みしてシトリの神降ろしを断念する依姫に禍那はどこか楽しそうにしている。

 

「宴は始まったばかりだよ。そう急ぐ必要もないだろ」

「宴だと?」

「ああ。アラディアは言ってた。私達の宴――禍福宴を始めようってな。だからゆっくりしていってくれ」

 

 禍福宴。

 それがこの悪意汚染から始まった異変の名らしい。

 悪意の除染作戦が決行されている中、依姫と神奈子は因縁を持つ甕星禍那の相手を務める事になった。

 

 

 コキュートス撤退の報は驚くべき速さで地獄を駆け巡り多くの者を動揺させたがその本人であるヘカーティア・ラピスラズリは焦りもしなければ窮地にいるわけでもなかった。ただただ面倒ねぇ、と感じていた。 

 彼女は第六圏――異端者の地獄まで上がってきていた。第七圏――暴力者の地獄の第三の環――神と自然と技術に対する暴力――にてしばらくはソレを足止め出来るように策を施してきた。

 だが。

 ソレは悠々と第六圏まで上がってきた。

 

「中々に面白かったわ。次は何を見せてくれるのかしら?」

 

 二メートルはあろうかという巨躯に竜の鱗で創られた輝く鎧を着込み、腰には毛皮を巻いている。

 精悍な顔立ちの女だ。

 

「しつこい女は嫌われるわよん?」

「一途と言って欲しいわね。貴方に会いたくて会いたくて、心が燃え尽きそうだったのよ?」

「そのまま燃え尽きてしまえばよかったのよ」

「どうせ燃え尽きるならもう一度貴方に燃やしてもらおうかしら?」

 

 笑い交じりに語るが全く笑えなかった。

 ヘカーティアの目の前にいる巨躯の女。この女はかつてヘカーティア自身が倒しているからだ。それがこうしてここにいる。

 全く。笑えない。

 

「つまらないジョークね。本気なら尚更性質が悪い。ただ、『貴方は二度も私に歯向かった』それだけの理由で相手してあげるわ、クリュティア・コーラル」

 

 巨躯の女――――クリュティア・コーラル。

 かつてヘカーティアが属するゼウス率いるオリュンポスに対してティターン神族が起こした大戦争がある。

 ――――ティタノマキアである。

 敗北したティターン神族はタルタロスに幽閉された。しかしこの処遇に納得していない者がいた。地母神ガイアだ。

 ティターン神族はガイアの子供達である。ガイアの怒りは治まらず多くの怪物を生み落とした。

 その一つが巨人族ギガースだ。

 そしてギガースはオリュンポスに戦いを挑むのだ。宇宙の存亡をかけた大戦争が再び起こるのである。

 それが――――ギガントマキア。

 生まれながらギガースは神々には殺されない力を授かっていた。それ故に神々は苦戦を強いられることになる。

 目の前のクリュティア・コーラルこそギガントマキアに参戦しヘカーティアと直接戦ったギガースなのである。

 

「アラディアには感謝しないといけないわね。こうしてまた貴方と出会うことができたのですもの。でもね、今度は私が勝つ。だってそうでしょう? ここにはヘラクレスがいないんだもの」

 

 ギガントマキア最大の英雄ヘラクレス。

 彼がいたからこそ戦いは終結した。しかしクリュティアの言葉通りここにはヘラクレスはいない。ヘカーティアがどれだけ力で圧倒しようとも決して殺されない力をクリュティアは持っているのだ。

 

「それはどうかしらん? やって見なければ分からないわよん?」

「そうねぇ。結果が見えているものほどつまらないものね。宴は始まったばかりだもの。素敵にエスコートしてあげるわ」

 

 地獄の第六圏にて地獄の女神対巨人の戦士の戦いが人知れず勃発したのである。

 

 

 同時刻――月の都。

 大きく、大きく溜息を吐いたのは緱婉姈であった。

 

「ここまでですか」

 

 誰に対して言ったものではないが豊姫も純狐もそれが一つの区切りを意味するものだと感じ取った。

 緱婉姈は立ち上がると豊姫を見下ろして言った。

 

「どうやら我々は何も叶えることはできなかったようです」

 

 諦観を含む言葉だがそれ以外の何か、別の意味をも匂わせている彼女に警戒はそのままに訊ね返す。

 

「気が済んだのなら帰っていただける、そう解釈してよろしいかしら?」

 

 無論ただで帰ってくれるとは豊姫も思ってはいない。根競べと称して月の都に居座った蟠桃園の女主人である。必ず次の動きがある筈だ。それを裏付けるように緱婉姈は諦めの言葉とは反対に表情が楽し気である。

 

「おや? 言ったではありませんか。我々は何も叶えることができなかった、と。そう――――私も、玄妻も、豊姫様も、ここにいる我々は誰一人願いを叶える事ができなかったのですよ」

「それは。どういうつもりで言っているのです?」

「もう時間だということです。宴が始まってしまいましたからね。招待されてしまったのですよ」

「宴、とは?」

 

 鋭い視線で純狐が訊ねた。

 

「アラディアが開く宴ですよ。禍福宴と言いましたか。我々もその賓客という訳です。さあ送迎は待ってくれませんよ」

 

 見上げれば。

 悪意の門が広がっていた。

 

「世界はアラディアの下、一つに繋がれた。もはやどこにいてもアラディアの伽藍の中なのですよ。それでは行きましょうか、悪意のカテドラルと化した幻想郷へ」

 

 悪意の門が膨張し全てを飲み込んだ。

 緱婉姈も綿月豊姫も純狐もその姿は既になかった。彼女達は招待されたのである。

 

 

 意識の断絶は見られなかった。けれど気づいたらもう月ではなかった。瞬きをした刹那に世界が変わってしまったかのようなものだ。綿月豊姫は山と海を繋ぐ力によって世界を移動したわけではない事を悟った。緱婉姈が語った通り既に世界は一つに繋がれたらしい。

 辺りを確認すると瘴気が満ちているが人の手が入っていない原始の姿が残っているようだ。原生林があるのがその証拠だろう。

 これだけでここは月ではないと把握できる。つまりは場所としては幻想郷へ移動――緱婉姈が言うには招待されたらしい。

 その緱婉姈も何食わぬ顔で立っていた。さらには純狐までも。

 ――――と。

 

「だあ――――ッ! お前、純狐じゃないか! それに、誰だっけ? あれだ、依姫の姉ちゃん。あと――――なんだ青娥の親戚か?」

 

 そこにいたのは霧雨魔理沙である。隣でアリス・マーガトロイドが木属性の魔法を使って悪意の除染を行っていた。

 

「おいおいおいおい。この面倒な時になんだってんだ。勘弁してくれよ、おい」

 

 見るからに嫌そうな顔をした魔理沙にある意味顔なじみの純狐が近づいた。

 

「な、なんだよ。私は何もしてないぞ。むしろ今、幻想郷を救おうとしてるんだぜ」

「なるほど。ここは幻想郷のようですね」

「この忙しい時になんなんだよ。それで、そっちのは――依姫を追ってきたのか?」

 

 先ほどの魔理沙の言葉に反応した豊姫も近づいてきた。

 

「久しぶりというべきかは迷いますが。改めて私は豊姫。依姫の姉です。貴方とは月以来ですね?」

「ああ、そうだったそうだった。豊姫だ、豊姫。依姫の方が印象に残ってんだよな。それで依姫だけどアイツ今、幻想郷にいるぜ?」

「そんなことは知っています。私が送りこんだのですから」

 

 豊姫と話している最中、青娥の名を出した事で興味を持たれてしまったらしく緱婉姈までも魔理沙に近寄ってきた。

 

「青娥娘々を知っているのですか。彼女も有名な仙人になったものです。もう少し己を高める為に動いてくれるなら邪仙ではなくなるのですけどね」

「あんた、誰だよ。というか、もう何なんだよぉ」

「私は緱婉姈と言います。これでも神仙の女神です」

「神仙の女神ぃ? よくわからんが偉そうだなお前」

「ええ。偉いんですよ私。とはいえ――――私の勝負は終わってしまったのですけどね」

 

 改めて魔理沙は三人を見回した。

 月への復讐者である純狐。

 月の使者の片割れである綿月豊姫。

 神仙の女神と名乗る緱婉姈。

 ――――私、今やべえ奴らに囲まれてないか?

 純狐と豊姫の様子から緱婉姈と対立している事は感じ取れる。

 つまりはアラディア側の者であるということか。けれどその緱婉姈から闘気や魔理沙に対する警戒心のような気配は感じられなかった。対応次第では話し合いで決着がつけられる相手かもしれない、と魔理沙が思った瞬間である。

 

「確率三分の二」

 

 と、緱婉姈が口にしたすぐ後に切れ間が開き中から八雲紫が飛び出してきた。伸ばされた腕は緱婉姈の胸に突き刺さる手前で純狐と豊姫に止められていた。

 

「――――豊姫……それに……純狐……!」

 

 明らかに怒りを秘めた紫に豊姫と純狐は冷静な視線を向けていた。

 

「幻想郷の賢者ともあろうものが相手の確認もしないとは感心しませんね」

「ここがどうなろうと構いませんが地上に天厲五残が撒き散らされるのは看過できません」

 

 自らの胸元で止まる八雲紫の伸ばされた右手を眺めて緱婉姈が口を開ける。

 

「やはり止められてしまいましたか。殺してくれた方が手を下さずに済んだのですけど」

 

 その、死を望んだようないい様に魔理沙は思わず後ずさる。

 神仙の女神と言うだけあって常の者ではないのは分かっていたが自殺志願まで持っているとは。

 魔理沙の考えとは異なり緱婉姈は割と本気で殺してくれた方がよかったと思っていた。彼女が何らかの方法で他殺された場合、純狐が述べたように天厲五残をばら撒く事になる。悪病を撒き散らし災禍刑罰が降り注ぐ。その災いを癒す手段はない。だからこそその引き金は他人に引いてもらわねばならない。罰を与えるには罪が必要だからだ。緱婉姈を殺害するという罪が。そしてそれは豊姫や紫のような守るべきものがある者に引いてもらうのが一番なのだ。彼女らのような手合いにはその方が効果的であるからだ。自らの手で大事にしているモノを台無しにする。それがもっともダメージを与えられる事を緱婉姈は知っている。

 しかし――――確率三分の二。分は悪くなかったはずだが止められてしまった。視線を純狐へ向ける。月の都で豊姫を諫めた時も、今、八雲紫を止めたのも純狐だ。月に――正確には嫦娥に対してだが――同じ恨みを持つ身として声を掛けたのが間違いであったか、と緱婉姈は思わざるを得ない。

 月と幻想郷へ天厲五残をばら撒くのを二度も止められてしまった。期せずして純狐は二度も世界を救っているのだ。

 紫による緱婉姈の殺害未遂の光景を目の当たりにして頭で理解する前に魔理沙は本能的に止めに入った。

 理解もできないし、むしろしたくないのだが、ここで交戦状態にでもなったら悪意除染の作戦が台無しだ。それもどいつもこいつも一筋縄ではいかない連中だ。

 

「ストーップッ! 待て、待ってくれ! 何が何だかわからんがとにかく、手を出すな!」

 

 紫と緱婉姈の間に割って入り、距離を取らせる。

 

「いいか! 私はお前達に何があったかは知らん! 知らんし、アンタの事も知らん! 神仙だが温泉だかの女神らしいがここは幻想郷だ。それに紫も紫だ、急に現れたと思ったら有無を言わさずに殺し合いってなぁ、ちょっと頂けないぜ。ここにゃここのルールってもんがある。それはアンタも分かるだろ? 偉い奴だっていうんだから」

 

 振り向いて緱婉姈へ訊ねると意外にも彼女は気を悪くした様子は見られなかった。

 

「それはそうですね。ルールは大事でしょう。我が蟠桃園でもルールを破って暴れたサルは五行山へ封じましたからね」

「そうそう分かってるじゃないか。でだ、紫、それはお前もだぞ。ルールを作ったお前がそれを破るんじゃない。何があったかは知らんけどな」

 

 今だ豊姫と純狐に掴まっている紫が大きく息を吐いた。

 

「魔理沙。そいつは緱婉姈といって悪神アラディアの仲間であり、藍を乗っ取った妲己の飼い主でもあるのよ。その落とし前を着けにきただけの事よ。尤もまさか蟠桃園の女主人とは思わなかったけれど」

 

 豊姫を睨みながらも二人の拘束を解いた紫は扇を広げ口元を隠した。

 

「その体、天厲五残で出来ているとはね。全く――――巫山戯ている」

 

 肩を竦めて緱婉姈が嘆息する。

 

「好きでこうなったわけではありません。生い立ちを巫山戯ていると言われるのは心外ですねぇ」

「あんた、アラディアの仲間ってのは本当か?」

 

 魔理沙に問われた神仙は首を傾げた。

 

「仲間というと語弊がありますね。腐れ縁であるのは認めますが。これでも災禍悪病を司ってますからね。アラディアとは――まあ、そういう縁で知り合いではあるんですよ。今回は月への道を開いてくれるというので協力しただけの事。尤も、先ほども言いましたが私の勝負はもう終わってしまったので後は傍観者にでもなろうかと思っていたんですけどね。そこの面妖な妖怪が襲い掛かってこなければ」

「面妖って……あいつは八雲紫っていってここの、幻想郷の賢者なんだよ。なんていうかここの偉い奴ってわけだ」

「そのお偉いさんに私は殺されそうになったわけですね」

「それは紫も言ってたがアンタの、なんだ? 部下? が紫の式神を乗っ取ったからじゃないのか? そりゃあアンタが悪いだろう」

「そうなりますねぇ」

「……そうなるって」

 

 平然と告げる緱婉姈の表情は変わらない。報復される原因があると理解しているのだろうか。

 

「あんたが原因なんじゃないか!」

「ええ。とはいえ、別に取って食べたわけでもなければ命を摘んだ訳でもない。妲己を憑けるにはやはり九尾が適任でしたからね。少し体を借りただけですよ。こちらもアラディアに道を開いてもらうお代を支払う必要があったのでそれを妲己に担ってもらったわけです。それに九尾の体はもう元に戻っているはずです。何か問題でも?」

「借りただけって、体を乗っ取るのを借りるとは言わないだろ……」

「それは見解の相違というもの。それで、別に私にはそちらの――――八雲紫さんと言いましたか。貴方と争う理由はないんですけれどね」

 

 なんて言い草だよ、と魔理沙は思った。これだから偉い奴は態度もでかいのだ。緱婉姈の言い分を聞いても挑発しているようにしか聞こえないから困る。しかしそれでは紫の気は収まらないだろう。それどころか緱婉姈と共に現れた純狐と豊姫の事もある。どう見ても友好的ではない。紫の乱入で気が逸れてしまったがこの状況が悪化してもいい事は何一つないのだ。

 

「とにかくだ! 幻想郷には幻想郷のルールってのがあるんだ! やり合うってんならそのルールに従ってもらうぜ!」

 

 全員に対して言い切る。

 

「ほう。そのルールとは一体何なのです?」

 

 訊ね返してきた緱婉姈に魔理沙は口元に笑みを浮かべた。話に乗ってきたのならこっちのものだ。

 

「そりゃあお前――――弾幕勝負に決まってるだろ」

「弾幕勝負?」

「おうよ。この世で一番無駄に熱くなれるゲームだぜ。もちろん勝った奴が正義だ」

「勝った奴が正義。それは分かりやすくてよろしい」

「そうだろ。こいつはな、どれだけ本気で魅せられるかが重要なんだ。美しさってのが大事だ。つまりは見惚れるような弾幕が張れるくらいそいつの信念は大きいんだなって自分を魅せ付けるんだよ」

 

 魔理沙はそこで改めて弾幕勝負――――スペルカードルールを緱婉姈、そして豊姫に説明した。純狐は以前に月で弾幕勝負に付き合ったことがあったのですぐに理解を示してくれた。豊姫も依姫に聞いた事があるようだったので弾幕勝負の理念を察してくれた。従って緱婉姈だけが一から十までスペルカードルールを聞いた。そして聞き終えた彼女は実に面白いルールを制定したものです、と感想を漏らした。

 

「でだ。緱婉姈さんよ。こいつに則って戦うってのはどうだ? あんたが勝ちゃあ宣言通りアラディアの戦いの傍観者になればいい。紫も純狐も依姫の姉ちゃんにだって文句は言わせねえ」

「結構。郷に入っては郷に従えといいますし。それに何より面白そうなのがよろしい。ではやり方をご教授願えますか?」

「もちろんだぜ――――ということだ、紫。やり合うんなら弾幕勝負でケリを着けてくれよ」

 

 完全に場の空気を魔理沙が支配し戦う方法をスペルカードルールに持っていった。しかしこうなった以上、緱婉姈は幻想郷のルールに従ってくれるだろう。それならそれで好都合というものである。ルールの範囲内に入ってくれるなら後はどうとでもなる。

 既に魔理沙がスペルカードの作成を手伝っている。

 損得と己のプライドを秤に乗せて紫は思案する。個人的な報復か、賢者としての大きなリターンを得るか。無論それは後者だ。弾幕勝負に勝てば落とし前もつけられる。緱婉姈はそれでいい。だが、問題は。

 純狐はまだいい。こちらはスペルカードルールを分かっているし幻想郷に対しても敵対する意思はない。それに隠岐奈が独自に接触を図っていた筈だ。

 けれど綿月豊姫は。

 こちらをどうするべきか。もちろんこの状況下で敵対するというのはありえない。しかし手を結ぶというのも借りを作るようでありえない。月は月で何かが起こっているのは依姫の様子からも読み取れたが具体的な情報がない以上、下手に探りを入れればこちらが握っている情報がどの程度のものかを晒す事にもなる。となればさっさとイニシアチブを握るに限る。

 

「また貴方に会う事になるとは思わなかったわ。それも地上で」

 

 扇子で口元を隠しながら紫が言う。

 

「それはこちらも同じですわ。緱婉姈の殺害を阻止してあげたのですから感謝してほしいくらいです」

 

 豊姫もまた作り笑顔を浮かべて返答した。朗らかな表情なのになにも読み取れないポーカーフェイスっぷりは相変わらずである。

 

「ええ。感謝しましょう。危うく自らの手で破滅の引き金を引くところでしたわ。貴方達が嫌う穢れた地上がさらに誰も住めなくなるほど穢れるところでした。だから、あの神仙はこちらで手を打ちます。ここは月ではないのだから。よろしいですね?」

 

 ここは幻想郷であり月ではない、という事を強調して伝える。それは豊姫も本来は異物であるぞ、と仄めかしも入っている。そのニュアンスを正しく受け取った豊姫は表情を崩し嘆息する。

 

「いいでしょう。あの者の処遇はそちらで決めてもらって結構ですわ」

 

 その後に心の中で豊姫は続けた。

 ――――緱婉姈を害する事で天厲五残が撒き散らかされるリスクを考えるのなら幻想郷が引き取ってくれた方がいいですし、と。

 その緱婉姈も口ぶりからして当初の目的を果たすのは断念したようであるし幻想郷へ移動した今、月に対して何かを起こす事は不可能となったとみていいだろう。月の都は最後の責任者であった豊姫も姿を消した事で本当に無人の都となってしまったがそれはこれ以上悪意から齎された被害を受ける事はないということでもある。緱婉姈は招待と言っていた。つまり会場はここ、幻想郷であり月ではない。豊姫としてもどういう状況にあるのか、今現在知り得る情報を精査しながら紫と純狐に付け入れられる隙を見せることなく立ち回っている。少なくとも幻想郷にアラディアがいるのは間違いないはずだが知らない事が多すぎる。どうにか依姫と連絡を取りたい所なのが本音であるし、可能ならば永琳へ相談もしたいのだがこの場をすぐに離れるわけにもいかない。

 ややあって魔理沙と緱婉姈がこちらに向き直った。スペルカードの準備が整ったらしい。

 

「いいぜ紫。こっちはバッチリだ。とはいえ弾幕勝負では初心者だしベテランのお前じゃあ正直結果は見えてるもんな。だから三本勝負の二本先取ってのはどうだ?」

「それは構わないけれど三回も戦うのかしら?」

「いいや一回でいいぜ。残りは私が相手になる。練習相手みたいなもんだ。ちゃんと勝ち方負け方を知ってこそ対等な勝負になるからな。フェアプレイにはうるさいんだぜ魔理沙さんは」

 

 その言い分に驚いたのは緱婉姈である。

 

「魔理沙、といいましたね。貴方はなかなか面白い御仁のようです」

「弾幕勝負に於いては対等で戦うから面白いんだ。フェアで戦うから言い訳もできない。だからこそ遺恨も残らない。あんたは初心者だからな。こと弾幕勝負では私のが先輩だ。ルールの説明ってのは最初が肝心なんだよ。後だしでこうだったああだったって経験者だけが知ってるルールを持ち出されても、そりゃあないぜってなるからな。取り敢えずあんたには弾幕勝負のルールは全て教えた。後は実際にやってみて経験するだけって状態だ。紫はベテランだし経験の差は出るだろうからな。だから三本勝負にしたんだ」

「ほう。本当に面白い方ね。魔理沙、貴方は好意に値する人物のようです」

「そいつぁ、嬉しいね。で、準備の方はいいか?」

「できていますよ」

「じゃあ――――」

 

 緱婉姈と紫の様子を確認した魔理沙が弾幕勝負の開始を告げようとした瞬間である。

 

「待った」

 

 制止の声を掛けたのは黙っていた純狐だった。

 

「って、なんだよ。純狐もなんかあんのか?」

「三本勝負といいましたね? 内一回が八雲紫、残りが貴方だと」

「そうだぜ」

「最後の一回は私に譲ってください。緱婉姈とは一度やり合わなければ気がすみません」

「そりゃあいいけど、なんかあったのか?」

 

 振り向いて緱婉姈へ訊ねると彼女は肩を竦めた。

 

「おや、貴方とは同じ月への恨みを共有できていると思っていたのですがね、玄妻」

「それです」

「それとは?」

「私を玄妻と呼ぶな、と言っているのです。我が名は純狐。よく覚えておく事です」

 

 懐かしくも過去の名を口にする緱婉姈に純狐は不満を持っていたのである。既に怒りと憎しみだけの純化した存在へとなった。ならばもはや過去は不要なのだ。それをいつまでも過去の名で呼ばれては腹が立つというもの。魔理沙の提案した三本勝負は純狐にとって都合がよかったのだ。

 

「よくわからんが、一回目は紫、二回目は私、三回目は純狐、って事でいいか?」

 

 改めて緱婉姈に確認を取る魔理沙だが彼女はさして気にしている風ではなかった。

 

「ええ。よろしいですよ」

 

 紫にも確認を取り、了解を得た魔理沙は両者の間に入った。

 

「それじゃあ――――弾幕勝負、始めッ!」

 

 号令と共に八雲紫と緱婉姈が中空へと浮き上がり弾幕勝負が始まった。中天に浮かぶ月を背景を弾幕が鮮やかに彩っていく。

 アラディアの齎した異変の中、それも悪意の除染を行っている最中といえども、この弾幕勝負は紛れもなく一つの決戦だった。

 できる事なら観戦者として見ていたい魔理沙だったが不安の要素はまだ一つある。それが綿月豊姫だ。依姫も地上に降りてきていたし何らかの理由があるだろう。それは確認しておかなければならない。

 

「それで、依姫の姉ちゃんの豊姫さんよ? アンタはどうするんだ?」

「どう、とは?」

「さっきも言ったが私はお前達がどうしてここに現れたかもそれまで何してたかも知らん。そっちはそっちでなんかの事情があったんだろうとは思うがな。少なくとも依姫が下りてきてたんだし。純狐もいるってことは月でなんかあったってのは流石に分かる。ただくどいようだがここは幻想郷だ。それに今は取り込み中だしな。月には月のやり方ってのがあるのは分かるから、何があったかは聞かねえが、好き勝手やられるのも困るんだよ。だから込み入った事情があるんなら取り敢えず永琳んとこ行ってくれ。あいつ相手なら問題はないだろ」

 

 月のことは月の事が分かる者に任せればいいとばかりに魔理沙は言った。それは豊姫に取っても渡りに船であり永琳を通して事情を得られるならばそれに越したことはない。

 

「そうね。八意様に取り次いでもらえるかしら?」

「ちょっと待ってろ」

 

 アリスの元に向かった魔理沙は幻通機を借りて永琳へ連絡を取った。魔法の森で起こった事を掻い摘んで説明し豊姫を引き受けてもらえるように頼んだ。しかし純狐に関してはそちらで引き受けておくようにとも言われてしまったが。

 

「永琳からはオーケーをもらったぜ」

「では八意様は今どこに?」

「ああ、アレが見えるか? 暗いけど月明かりで薄っすら見えるだろ? あの山の頂上付近に神社があるんだ。守矢って神社がな。いろいろあって今はあそこにいる。依姫もいるはずだ」

「依姫も――それは好都合ですね。それでは失礼します」

 

 軽く会釈した豊姫が踵を返した瞬間に彼女の姿は消えていた。既に妖怪の山へ転移したらしい。

 

「はぁ~。相変わらず規格外な奴。で、だ」

 

 魔理沙は最後の問題へ近づいた。

 

「純狐、アンタも月で何かあったんだろ? 深くは聞かねえがこっちもこっちで問題を抱えてんだ。これ以上の問題事は頼むから勘弁してくれよ」

 

 緱婉姈と八雲紫の弾幕勝負を眺めていた純狐は横目で魔理沙を確認したのみで顔は空を向いたままだった。けれど話は聞いていたようで口を開いた。

 

「幻想郷に迷惑を掛けるつもりはありません。ただし――――」

「な、なんだよ」

 

 空を眺めていた純狐が視線を魔理沙へ向けた。

 

「緱婉姈といい、この悪意といい、一体何が起こっているのか、知り得ている全ての事を話してもらいます」

「え? ああそれはいいぜ」

 

 悪意の元凶であるアラディア・アーリマンの事から今まで幻想郷に起こった事を隣に立って弾幕勝負を見ながら語っていく。

 どうにか突然の来訪者三人が揉めて大惨事が起こることは阻止できたらしい。一人心の中で安堵した魔理沙は闇夜を彩る弾幕を眺めていた。

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