偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil.   作:加賀アスナ

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◆◆第27話◆◆
第27話


 夜も深まった丑三つ時。各地の戦いは激化の一途を辿っていた。無尽とも言える蜥蜴の数。

 現状唯一の白星は緱婉姈相手の弾幕三本勝負で八雲紫が勝った一勝だけ。二番勝負の中堅は魔理沙が務めている。

 弾幕勝負と言えども相手は神仙の女神――緱婉姈。彼女を押さえる為にもこの弾幕勝負は負けられないのだ。

 けれど流石は神仙と言った所か。一度の実戦を経てスペルカードを理解したようだ。ベテランの魔理沙でも舌を巻く学習力。

 現在の幻想郷に於いて戦っていないものは誰もいなかった。

 そして――――いつだって事態は唐突に訪れる。

 六大魔王が存在しない黒い孔。

 八意永琳は博麗神社にアラディアが現れる可能性が高いと推測したが、ある意味でそれは正しかった。

 八雲藍によって敷設された強力な結界で神社への侵入は完璧に防いでいたし神社周辺を埋め尽くす蜥蜴の群れは霊夢、白蓮、文、椛、青娥と芳香が主に殲滅に当たっていた。

 彼女達であれば深淵の化け物であっても所詮は数にものを言わせただけの存在に遅れは取らない。もっともその数が問題なのだが。ただ時間を掛ければ疲弊をするのは霊夢達なのは目に見えている。妖怪である文や椛、仙人である青娥、肉体強化の魔法が使える白蓮とて無限の体力がある訳ではない。対して蜥蜴は一体ずつは脅威になる身体能力ではない。確かに様々な環境における順応性、あらゆるものを食い散らかす雑食性、死の概念による即死させる種類の魔法や能力への耐久性は厄介ではある。だから肉体的に生存不可能になるまで叩き潰すしかない。そして潰すことはできるのだ。ただ――いつまで殲滅しなければならないのか、という限りがないだけで。

 ――――そこへ。

 赤い巫女装束が鳥居を潜って戻ってきた。

 

「霊夢、どうした、何か問題でも?」

 

 霊夢はゆっくりと神社を見渡している。その姿がどこか――――違和を纏っている。それは巫女服の意匠が微妙に異なるからだと気づいた。

 焦っている風でも何か用件があって戻ってきた様子でもない。

 ――――これは。

 

「お前、霊夢ではないなッ!」

 

 瞬間、その霊夢らしき人物を中心に拘束陣が展開された。もっとも拘束陣に閉じ込められた彼女は意にも介していない。

 藍は影狼、リグル、ラルバへ結界の外で交戦中の霊夢を呼び戻すよう言付けた。橙とあうんへは蜥蜴の侵入を見張らせ、藍自身は拘束した霊夢と対峙する。

 

「どういうつもりかは知らんが、博麗の巫女の姿、それも霊夢を騙るとはな。それで私を騙せると思っていたのなら随分と舐められたものだ」

「私が誰かを騙る必要なんてないでしょ。それよりも博麗の巫女の見分けも付かないなんて、アンタの主が嘆くわよ」

 

 嘆息して霊夢らしき人物は言う。その声、仕草は本物の霊夢と遜色がない。けれど藍の中で最初に感じた違和は霊夢ではないと訴えている。

 

「よく喋る口だ。それによく霊夢を演じられている。この状況でなかったなら一度は騙されたかもしれないがな」

「騙すも何も一応本人なんですけど、私」

「ああ、そういう所も霊夢らしいな。だが、違う」

「ま、いいわ。私は私のやり方でやるから」

 

 言いながら懐から出したのは博麗の退治符。

 

「もっとも。私にとっては二回目の出来事で、貴方達にとってはたぶん、初めての出来事でしょうけど」

「それは――――どういう?」

 

 不可思議な事を口にする霊夢へ怪訝そうに訊ね返すと彼女は大きく溜息をついた。

 

「巫女っていうのはね、夢と伝統を守るもんなのよ」

 

 瞬間、拘束陣をはねのける。藍を相手に退かぬ姿は紛れもなく博麗の巫女そのもの。

 

「それになに、見ればうちの神社によくもこんなに化け化け共を連れ込んだものね。ま、貴方達なんかすぐに調伏してあげるけど」

 

 霊夢らしき巫女の周りに光球を浮かび上がる。それが霊力の放出である事は一目で分かった。霊撃を行うつもりだ。

 

「霊夢もどきの割に力は本物か!」

「妖怪退治をするのが巫女の役目よ。覚悟は良いかしら!」

 

 連撃で放たれる霊撃を躱し瞬時に弾幕を構築する。前鬼後鬼の守護である。緑と黄に輝く光弾が浮遊し巫女へ向かって撃ち出す。一息に仕留められるとは思っていなかったが巫女は驚くべき動きを見せた。

 スペルカードルールでのグレイズの要領で全てを避けているのだ。

 ――――この躱し方……相当手慣れている……!

 藍が巫女を引き付けているといると、鳥居を潜って今度こそ博麗霊夢が神社へと戻ってきた。

 

「黒幕が現れたと思ったら――――あんた誰?」

「ようやくお出ましね、わたし」

 

 霊夢と巫女。

 二人は確かによく似ていた。

 

「わたし?」

 

 怪訝そうに眉を顰める霊夢に巫女は言う。

 

「そうよ。ま、貴方と私には致命的な乖離がある。――――そう。あの日、レミリア・スカーレットが現れてしまった時に」

「どうしてレミリアの名前が出てくるのよ?」

「彼女は運命を操る。彼女がここに現れた事でそれまでの私とそれからの私には埋められない隔たりが出来たわ。その所為で貴方はアリスの事が分からなかったのよ。だけど隔たれていても切れた訳じゃない。だから幽香の事は分かってた」

「はぁ? 何言ってんのアンタ?」

「まあ。貴方には分からないわよね。でもね、二度目ともなると嫌んなるじゃない。だから――――この世界は封印してあげるわ。博麗の巫女として、ね」

 

 巫女が印を切った刹那――――巫女自身と霊夢の姿が消えていた。

 

「れ、霊夢……!」

 

 藍の目が見開かれ、

 

「あややや、今のは一体――――」

「射命丸!」

「心配になって追ってきたんですよ。アラディア・アーリマンだったらと思いまして、けど――あれは」

 

 文が藍の傍へ降りて霊夢が消えた場所を見据える。

 

「博麗の巫女、そう言いましたよね?」

「ああ。だが、霊夢ではない」

「…………アラディア・アーリマン。もしかすると私達の想像を遥かに超えているのかもしれませんね」

「…………ああ」

 

 ここに至って藍と文は言い知れぬ不安を覚えざると得なかった。

 しかし。

 それは決して間違いではなかった。

 全ての世界を繋げた悪神アラディア・アーリマンが最後に用意した駒は――――まさに最強だった。

 原点にして頂点。

 進化の終着点へ至る足跡の世界から招いた博麗靈夢であった。

 

 

 博麗霊夢の消失の報はすぐに駆け巡った。

 多くの者がショックを受けたが、それをもっとも悪いタイミングで受け取ってしまった者がいた。

 緱婉姈との弾幕勝負を行っていた霧雨魔理沙だ。霊夢消失に魔理沙は一瞬の隙を見せてしまった。その一瞬に避けられたはずの弾幕を受けてしまった。

 ――――グレイズ……失敗……。

 一度の実戦を経て緱婉姈はスペルカードルールを高いレベルで理解していた。だからこそ魔理沙の動揺を見逃さなかった。

 決して油断はなかった魔理沙だがビギナーだと侮っていた所があったかもしれない。

 弾幕三本勝負第二戦は緱婉姈に軍配が上がった。残るは大将戦のみ。

 魔理沙は蜥蜴相手に終始圧倒している純狐へ声を掛けた。

 

「純狐! 出番だ!」

「ようやくですか」

「ああ、私はしくじっちまったからな。大将の責任は重大だぜ」

「如何に貴方が経験豊富としても、相手は神仙の女神。侮りましたね」

「それに関しちゃ言い訳できねえな。だがやっちまったもんは仕方ねえ。後はあんたに任せるしかないんだ。頼むぜ」

「緱婉姈を言い包めた貴方に免じて、この勝負、勝利を得てきてやろう」

「おう。蜥蜴は任せろ。あんたらはあんたらで因縁があるみたいだしな。思いっきりやっちまえ!」

 

 強く拳を突き出す魔理沙に。

 その裏表のない心意気がどうしてか小気味いい。

 こんな状況だというのに絶望はこれっぽっちもない。

 これだから人間は面白い。

 突き出された拳に純狐も拳を突き返した。まさか純狐から返されると思っていなかった魔理沙がきょとんと驚いた表情を浮かべている。

 

「約束しましょう。勝利はこの手にある」

 

 中空に浮かぶ緱婉姈に対峙するように純狐も浮いた。四丈ほどの距離を開け両者は互いの姿を認め合う。

 

「まさか、同じく月に恨みを持つ貴方と戦う事になるとは……思いもよりませんでした」

 

 ため息交じりに緱婉姈が肩を竦めた。

 

「これは幻想郷での戦いのルールです。ですが、そこには明確な勝ち負けが存在する。それだけで十分です。緱婉姈、貴方は策にもならない恫喝で都落としを行おうとした。不愉快なやり方です。だけど詰めが甘かった」

「残念ながらその通り。さっさと殺してくれれば今頃月は面白い事になっていたでしょうに。惜しい事をしました」

「そんなに悔しさを持つのなら私になど構わなければよかったのです。貴方は恨みを共有したいが為に私に声を掛けたのでしょうが……愚かな事をしました」

「それは私の科白でしょう。貴方は月へ地獄の妖精を送り込み都の機能を麻痺させて置きながら高々人間がやってきた程度で戦意を失った。手段を問わず殺しておけばよかったのですよ」

 

 緱婉姈の言い分はある意味では正しい。しかし怒りが原動力の純狐だ。怒りの晴らし方というものがある。憎しみだけが純化した彼女には彼女の決着の付け方がある。

 その点で言えば緱婉姈は同じ状況ならば全てを殺して達成するのだろう。

 ――――もっとも。

 その恐ろしさを知り尽くされていたからこそ嫦娥は先手を打って逃げおおせたのだろうが。

 ――――ああ。これは面白い。なんと面白い構図だろう。

 純狐と緱婉姈。

 共に嫦娥への恨みを抱いている。だが本懐を遂げられるのは一人だけなのだ。何せ嫦娥は一人しかいないのだから。

 

「きっとそれが目的を達成するには近道なのでしょう。ですが、殺し方というものがあります。ただ殺すだけでは恨みなど晴れるはずもない。貴方がその方法を取るように私には私のやり方がある。そうしなければ晴れるものも晴れないのです。ただ一つだけ貴方に感謝しましょう。共に奴への恨みを持つ者同士がこうして向き合っているのです。共通した目的がありながら果たせるのは一人だけ。――――意趣遺恨の敵、嫦娥よ、感じるか!? お前に向かう憎しみを! この果て無き怨讐を!」

 

 空へ叫んだ純狐は遥か彼方の月にいる嫦娥を見ているのだろう。そして緱婉姈へ視線を向けると決定的な言葉を口にした。

 

「とどのつまり、我らの戦いは。相手に勝つ事ではなく、如何に恨みが深いかを競う戦いという訳です」

 

 その意味が伝わった緱婉姈は今までのどこか余裕のある態度から冷めた表情を浮かべた。

 相手より自分の恨みが軽い訳はない――――そう思っている。だからこの弾幕勝負では恨みの形がそのまま弾幕に現れる。

 嫦娥に対する恨みは誰よりも深い。そう自負する者が二人。

 なれば弾幕勝負は純狐と緱婉姈にとって絶対に負けられない。

 弾幕三本勝負第三戦。

 緱婉姈の戦績は一勝一敗。

 大将戦である純狐に勝たなければ意味がない。

 また純狐にとってはこの一戦こそが全て。

 そして――――運命の第三戦の火蓋が切られた。

 

 

 各地の戦況は常に永琳へと伝えられていた。六大魔王、蜥蜴、アラディアの仲間である禍那や緱婉姈との攻防。

 その中で妙な情報が齎された。鈴奈庵にいる森近霖之助から伝えられたそれは人里の人間達が橘迦玖能に従い何やら儀式めいた事を行っている、との事だった。また迦玖能の信者と思われる者達の一部を扇動し六天主がどこかへ向かったというのだ。

 何をするつもりか、六天主が率いる集団には悟られないように鈴瑚が尾行役を買って出て鈴奈庵にいる清蘭がテレパシーで状況を聞いているという。

 何にせよ奴らが動き始めたのは間違いない。甕星禍那や緱婉姈のように直接戦うのなら戦力を十分に用意すれば対処は可能だ。だが儀式というからには何か呪いの類のものを発動させるつもりだろう。だが、人間達を巻き込んだ呪いの儀式とはどういうことだろうか。まさか生贄に捧げるような呪いではあるまいか。そうであるならば発動した呪いは強力だ。解呪には時間が掛かるだろう。どのような儀式であるのか分かるのなら解呪チームを編成することはできる。幸い人里――寺子屋には守矢の巫女である早苗がいるし道教に通じた神子もいる。博麗神社にいる白蓮に要請すればチームに加わってくれるだろう。神道、道教、仏教の立場から呪いを特定し解呪することは可能だろう。

 そう永琳が先を見越した手を考えていると新たに霖之助から情報が齎された。

 それは――――六天主と扇動された里人達による命蓮寺襲撃という報が。

 さらに同時刻。

 永琳はそれを感じた。

 幻想郷とは常識と非常識、現実と幻想によって隔てられ、幻想であるからこそその存在を確立できている。いわば幻想力ともいえるもので支えられている訳だ。幻想力が弱まるという事は外の世界の常識や科学が蔓延し反対の現実の力が強まることを意味している。

 今この瞬間である。

 幻想郷を支えている幻想力はとんでもない勢いで弱まっていた。その影響はすぐに訪れた。

 天狗達、蜈蚣衆が見て分かるほどに蜥蜴の群れに押されつつあった。大妖怪と呼ばれる者達にはまだ影響は少なかったが飯綱丸と百々世の指揮する部隊や勇儀、華扇に従う天狗達が力を発揮できずにいるのだ。従って部隊長を務める飯綱丸たちに大きな負担が圧し掛かった。

 この悪影響を齎したもの、それは十中八九――橘迦玖能の儀式だろう。里人を集めた――――。

 ――――やられた。

 蜥蜴の群れは直接的な脅威だが、橘迦玖能がやったことはもっと性質が悪かった。

 幻想郷はある意味で人間達がいるから存続できているとも言える。それは妖怪たちが力を持つ為に必要だからだ。

 それ故に豊聡耳神子が復活した際には彼女の為政者としての力を警戒していた有力者は少なくない。もし神子が本気で人間達の意識改革を進め文明開化を行えば幻想郷は内部から刷新されるだろう。主義主張の違いから別々の人間同士のコミュニティが確立し人間だけで完結する体制が創られていくだろう。そこは妖怪がメインの存在ではなく幻想郷という同じ名であるだけの妖怪のいない幻想郷になるだろう。人間同士で完結しているということは妖怪の存在意義が弱まるという事だからだ。もっとも神子にその気がなかったからこそ杞憂で終わった話なのだが。

 もしも。

 もしも人間達の意識をそういう風に制御されたらどうだろうか。もし妖怪たちは全て幻覚で被害を受けたとしても事故や病気の所為なのだ、と思い込まされたらどうだろうか。

 そういった精神状態を作られ特定の意思決定や行動を誘導できたらどうだろうか。

 それを里人達に施したらどうなるか。

 為政者が現れ文明開化を行う過程を素っ飛ばし幻想力が弱まるという結果だけを招くことに他ならない。

 つまりは。

 橘迦玖能が行った儀式というのはまさにそういう状態を作り出す儀式であったということ。

 三度永琳へ連絡が来た。幻通機ですらノイズが混じり聞き取りにくくなりつつある。

 里人達は橘迦玖能を中心に異様な熱気に包まれているという。

 これが黒い孔が里周辺に出現しなかった理由なのだと遅まきながらも――それでもこの事実に気づいたのは永琳が最初だったが――至り、橘迦玖能の脅威度が跳ね上がったと認識を改めざるを得なかった。

 

 

 里人達の異様な盛り上がりを感じていたのは寺子屋にいた者達も同じだった。

 人間の子供達は慧音にしがみ付き、連子窓の隙間から屠自古が外の様子を窺っていた。

 橘迦玖能の儀式の影響はすぐさまチルノたちに現れた。幻想力の低下によりその存在を脅かされたのだ。

 

「うわ! あたい……手が透けてる……」

 

 チルノが手を翳すと確かに手の平が透けて彼女の顔が見える。

 

「チルノちゃん……」

 

 心配そうに呟く大妖精もまた透けている。まるで存在が希薄になったかのよう。

 

「何が……起こっているんだ……」

 

 慧音の言葉は誰もが思っている事を代弁してくれていた。しかし誰もその答えはもっていなかった。

 子供達へ食事を振舞ったミスティアも病にかかったかのようにぐったりしていたしルーミアも寝転んだまま起き上がれない状態だ。亡霊の屠自古も気分が悪いのか顔色が優れない。

 現人神ではあるが人間の早苗、また仙人である前に名が知れている神子はまだ平気そうではあるが影響は感じているらしい。

 

「何かをやらかすとは思っていたがな。人間の心をこうも容易く掌握するとは思わなかったぜ。くそ、甘かった」

 

 己の考えの甘さに悪態をつく言い方で屠自古が言う。浮かべる表情には苦いものがあった。その彼女に同調するように神子が続ける。

 

「人の心は常に揺れ動くもの。不満である事や未練がある事など、それを解消する者が現れたのなら――そしてそれが目の前でやってみせたのなら信じてしまうのもまた人の心。全くやってくれます――――が。早苗、今こそ好機でしょう。彼女に連絡を」

 

 神子に促され早苗が頷く。幻通機で通話をする彼女に一目向けて神子は立ち上がった。

 

「早鬼にああ言った手前、私も手を拱いている場合ではありませんね。さて。盤面は大きく奴らに荒らされていますが、ここから反撃です。行きますよ」

 

 神子は寺子屋から出ていく。その後を屠自古と早苗、慧音と子供達。どうにか起き上がったチルノたちも続く。

 血を流さない真剣勝負の舞台の幕が上がったのだ。

 

 

 六天主が動いた事はすぐに寅丸へ伝えられ命蓮寺では境内で迎え撃つ準備が整っていた。灯篭に火が点され、篝火まで焚かれている。

 人間を率いているという点で荒事になったとしても鎮圧はできるだろうと寅丸達は考えていたが、それは甘かった。

 六天主は人間達を荒事に動員する為に連れて来たのではなかった。

 文字通り――――命蓮寺を落としにきたのだ。

 人間達を使い正面門を開けさせ法衣と袈裟を足したような服を着込んだ者が歩いてくる。

 ――――六天主だ。

 

「――――問おう。ここは一体いかなる場所か?」

 

 寅丸達の真正面に立った彼女はそんな言葉を宣った。思いもよらない台詞に寅丸達も二の句を告げずにいると、

 

「どうした、まさか己のいる場所がどのような場所であるか、知らないとは言うまいな?」

 

 続けて六天主が言う。その背後に松明を持った人間達がやけに怪訝そうな表情を浮かべている。それは不気味なくらいに。少なくとも友好的な雰囲気は一切ない。

 気を取り戻した寅丸は咳ばらいを一つして六天主を見据えた。

 

「失礼をしました。私はこの命蓮寺の本尊、毘沙門天の代理を務めている寅丸星と申します。静謐な寺へ物々しく入られた事は真に遺憾ですね」

 

 寅丸の言葉を聞いた六天主は辺りを見渡して改めて寅丸達へ視線を向ける。それから喉を鳴らした嗤いを発した。

 

「っくっくっくッ! 寺! 寺ときたか、よりにもよって、この場所が寺と! おいおいおいおい、皆の者よ、聞いたな? この毘沙門天の代理とかいう者はここを寺だと抜かしおったわ!」

 

 明らかに侮蔑を込めた哄笑を響かせる六天主とその背後の人間達の温度差は見て分かるほどだった。まるで失望、諦観、悲嘆――およそ歓迎されるような感情ではない。

 

「みればなんだ? 人間の比丘も比丘尼もおらぬではないか。毘沙門天を騙る者さえ人に非ず。揃いも揃って妖怪だらけだ。はっはッ! 人々の信仰の篤い寺と聞いていたのだがな、何だ、何から何まで偽物ではないかよ」

「……に、偽物?」

 

 馬鹿にされる事は過去にもあった。だが紛い物扱いをされた事は流石に初めてだった。

 思わず一輪が訊ね返すと六天主は続けた。

 

「そうとも。そこの自称毘沙門天は言ったな? 寺と。寺というのはな出家したものが修行をする場だ。それ以上でも以下でもない。仏道に帰依した者が世俗を捨てる場所だ。見ればどうだ? 里人の中には檀家になった者もいるという。聞けば法事、葬式もやっているそうではないか。ちゃんちゃらおかしいではないか」

「何がおかしい……!」

 

 あまりにも不遜な態度の六天主を睨むようにぬえが言った。

 

「おかしいと思わんのか? 里人が言うにはお前達は妖怪でありながら仏道に帰依したという。ならばこの寺が仏教ではない事は一目瞭然ではないか」

「何を根拠にいうのです? 貴方の言葉にはおよそ良心というものが欠けています」

「良心? 私はこの上なく親切だ。寺もどきに御布施という名で徴収される金子に喘ぐ里人に仏教とは何かを教えているのだから」

「なにを――――ッ」

「ご主人様、ちょっと黙って」

「ナズーリン!?」

 

 今まで黙って聞いていたナズーリンが初めて口を開いた。

 難しい顔をして六天主を見やる彼女は一つ心当たりがあった。

 ある意味では六天主が語っている事は正しい。だからこそ非常に厄介なのだが。

 

「君は六天主というんだろ? どうやら私は君に思い当たりがある」

「ほお? この私を知っているとは。真実を知る者もいたのか」

「私はこれでも毘沙門天の弟子だからね」

「なれば分かるだろう? ここが如何に歪であるか」

「そうだね――――でも。それが悪いとは思わないんだけどね」

「それはお前が真実を知っているからだ。知らぬ者からすれば騙されたと思う事もまた当然であろうよ」

 

 六天主とナズーリンの間でのみ通じている話に寅丸が焦れる。

 

「貴方は何を知っているのです?」

「在り方さ」

「在り方?」

「仏教の開祖、釈尊は葬式などしなくていいと言っている。人は死ねばそれで終わり、輪廻転生の環へ向かう。だから死んだ後の肉体に葬式などという措置は必要ない。しかし肉体というものは放置しておけば腐るから遺体の処置はするように、というのが釈尊の言葉だ。まして葬式というのは儒教や道教が本筋だ。仏教でそれも出家したものがやる事ではないのだ。在家の者が遺体だけ処置すればいい。墓地など不要。にも拘わらずここは仏教を謳いながらも墓地があり、人間の比丘はおらず、妖怪がたむろしている。全く訳が分からない。だから里人に教えてやっているのだ」

 

 そこでナズーリンは疑問に思っている事を訊ねた。

 

「君はそれをどこで知ったんだい? 普通は知らない事だし、知らなくてもいい事だ」

「知っているとも。この私が知らぬものかよ」

 

 陰惨な笑みを浮かべて六天主は言う。

 

「私は他化自在天の主――――六天主魔波(まなみ)だ。釈尊の事はよく知っているさ。釈尊が入滅するとき、私もそこにいたからな。神咒は受けてくれたが飲食供養は最期まで受けられなかった。素晴らしいお方だ」

 

 他化自在天の主。

 即ち六欲天の最高位に座す欲界の支配者。

 彼女が語る言葉はある意味では間違っていない。

 寅丸達の前に立ち塞がった六天主魔波の主張を退けなければ命蓮寺は人間の支持者を失う事になる。

 何故なら。

 他化自在天とは――他の者の教化を奪い取る天であるからだ。

 人里に続き、命蓮寺においても血を流さない真剣勝負の戦端が開かれた。

 

 

 ヘカーティアの領域である地獄界へ到達した映姫達は地獄の門を潜り、アケローン川の渡し守カロンへ事情を説明し第一圏辺獄へと降り立った。クラウンピースの同僚たちが現在の状況を説明してくれた。

 第六圏異端者の地獄にてヘカーティアが交戦中なのだという。

 しかも相手は因縁の相手である巨人族の戦士だ。第六圏の地獄は異端者が火焔の墓孔に葬送されている。しかしその墓孔は壊滅し異端者達は地獄の女神と巨人の戦士の戦闘の余波に巻き込まれコキュートスもかくやというほどの責め苦を受けていた。

 同僚の地獄の妖精たちは第六圏と第五圏の間にあるディーテの市と呼ばれる城塞へありったけの資材を運んで守りを徹底的に強化し堅固な作りへ変えていた。それでももしディーテの市へ戦場が移ったならば一溜まりもないだろう。

 地獄の使者、官吏たちも動員され、マレブランケや黒い天使も駆り出されている。第六圏までに潰された罪人たちの魂を一時回収し地獄界の裁判長であるミノスの下へ運んでいた。ヘカーティアとクリュティアの戦いから保護する為である。

 

「こちらの裁判長であるミノス様、ラダマンテュス様、アイアコス様と冥府神ハデス様、その奥方である女王ペルセポネー様には御迷惑をお掛けしますと伝えて頂けますか? この異変が収束した暁には改めて謝罪を」

 

 映姫は地獄の妖精の一人に地獄界へ侵入した事、その事情を説明し第六圏へ進む旨を伝えた。

 隣でクラウンピースが同僚の妖精たちにヘカーティアの命令である事も忘れずに付け加えた。

 

「流石にこんな場所まで来るのは初めてです」

 

 白玉楼とは違う地獄界の光景に妖夢は圧倒されている。

 

「あたい達は普段はここで働いてんだ。まあ、あたいは罰として博麗神社の地下に住んでるけど」

 

 クラウンピースからすればヘカーティアの命令が無ければ戻る機会がないのだが。もっともこんな事態で戻る事になるとは思わなかった。しかも相手はギガースときた。ギガントマキアは世界を揺るがした大戦争だった。もう二度とない筈だったのに。

 

「さあ、ヘカーティア様が待っています。クラウンピースが命を受けてから随分と遅れてしまいましたが、魂魄妖夢をお連れしなければ」

「あの~……ヘカーティア様はどうして私を指名したんでしょうか?」

「それはご主人様に訊かないとわかんないよ。でも万が一を考えてって事だったし……意味はある筈だよ」

「ともかくです。ヘカーティア様の下へ行きますよ。クラウンピース、最短で第六圏へ行きたいので案内をお願いしますよ」

「分かったぞ。すぐご主人様の所へ向かおう!」

 

 クラウンピースに先導されて第六圏へ出発した。

 第二圏愛欲者の地獄。

 第三圏貧食者の地獄。

 第四圏貪欲者の地獄。

 第五圏憤怒者の地獄。

 そしてディーテの市。次の地下圏、第六圏での凄まじい戦闘の余波が階層が異なる筈なのに届いてくる。

 ディーテに駐留している妖精たちの戦々恐々とした様子が伝わってくる。無論ヘカーティアが負けることはないだろうが戦場が変わることを恐れているのだ。

 ――地獄界が軋んでいる。あらゆる罪人もオリュンポスと世界の覇権を賭けて争ったギガースの戦いの前に恐れ慄いている。文字通り世界なのだから地獄界の範疇を超えているのは当たり前といえよう。

 近づくにつれてとんでもない所へ来てしまったと妖夢は思った。地獄違いにもほどがある。住人であるクラウンピースですら戦いの影響に足が竦む場面がある。立っている場所も地震の如き震撼を起こしている。それでも映姫だけは酷く冷静に歩を進めている。彼女にとっては地獄を破壊されるという事は己の管轄の地獄ではないにしろ許せる事柄ではないのだろう。

 ――――そうして。

 運命の第六圏、異端者の地獄へ足を踏み入れる。延々と燃え続ける火焔の墓には異端の亡者が葬られている筈だった。墓孔を崩壊させられた亡魂たちは行く当てもなく破壊の嵐に晒されている。

 エピクロスが。ファナリータが。カヴァルカンテが。アナスタシウスが。

 しかしこの戦いの被害を被っているのは彼らだけではない。

 第七圏へ向かう崖道で耐えているミノタウロス。

 獄卒の案内人ネッソス。

 理不尽なまでの巨人の戦士が振るう怪力と不条理を体現した地獄の女神の猛火が交わされる中、ヘカーティアが映姫達の存在に気付いた。

 

「クラウンピース! 待ちくたびれたわよんッ!」

「ご主人様、魂魄妖夢を連れてきました」

「御苦労様。っと、映姫もきたのね? これは好都合だわね」

「こちらの地獄にいくらヘカーティア様の命とはいえ妖夢だけを送るのは余りにも乱暴でしたので。ハデス様には後日正式に謝罪を申し入れます」

「相変わらずお堅いわねぇ」

 

 軽口を叩きながらもヘカーティアは巨人の女から目を離していない。

 対する巨人の女――――クリュティア・コーラルは首を押さえつつ映姫達の姿を認めた。異郷の地獄の者らしいことはここにいる時点で読み取れる。となればヘカーティアが呼び寄せたのだろう。

 

「これはまた骨のなさそうなギャラリーだこと。貴方が頼りにするには力量不足も甚だしいのではなくて?」

 

 馬鹿にした、というよりクリュティアから見ればほとんどの者は小さく見える所為でか弱そうに見えたのかもしれない。

 ――――が。

 地獄界から見れば異郷かもしれないが映姫は幻想郷の地獄の裁判長である。地位で見ればミノス、ラダマンテュス、アイアコスと同等なのだ。クラウンピースとてヘカーティアの部下だ。

 唯一場違いだと自認している妖夢だけがある意味で正しく力の差を読み取っていた。

 ヘカーティアの猛攻を受けてなお、死に瀕する事がない頑丈な肉体に単純に巨躯から繰り出される打撃がそれだけで脅威となる。

 しかし。

 

「いいえ。私の切り札が届いたのよん。さあて、妖夢ちゃん。やぁっておしまい!」

 

 振り下ろされた手は巨躯の女を指している。妖夢にしてみればとんでもない無理難題を押し付けられる事に変わりない。

 けれど。

 この場、この時、この相手に於いてヘカーティアの言葉はまさに正鵠を射ていた。

 ギガントマキアの大英雄はいうまでもなくヘラクレスである。神に殺されない能力を有しているギガースに止めを刺したのはヘラクレスだ。ゼウスですら止めを刺せないギガースに止めを刺す。なぜヘラクレスだけが可能であったのか。

 それは、彼は純血の神ではなかったから。

 ギガースを倒すには人間の力が必要だったから。

 ヘラクレスの体には人間の血が流れている。

 そう。

 彼は半神半人だったからこそギガースに勝てたのだ。

 そして。

 ――――魂魄妖夢こそは。

 ヘラクレスと同じく人間の血を有している。

 半人半霊という種族だからこそ。

 ギガース――クリュティア・コーラルに勝てる。

 地獄の女神は今ここに、巨人の戦士に対する最強の手札を手に入れた。

 

 

 巫女の印が発動した刹那、一瞬の光に飲み込まれた霊夢はよく分からない空間にいた。強いていうのなら八雲紫の作る切れ間に酷似してはいるが不気味な瞳はなく、星々が煌めく天の川のような光が上下左右に流れている。

 上もなく下もなく浮いているとしか形容できない状態で霊夢はその光景を見る。

 それは巫女が戦う光景。

 陰陽を象り魔女と陰陽師の姿をしているシンギョク。

 復讐の悪霊、魅魔。

 月を象ったような円に彫刻された者キクリ。

 星幽剣士と呼ばれるコンガラ。

 五つの眼が意思を持つユウゲンマガン。

 金髪の少女然とした悪魔、エリス。

 三対六枚の翼をもつ天使、サリエル。

 己ではない己が陰陽玉を駆使して戦っている。

 ――――なんだこれは。

 この光景、否。

 この記憶は、否否。

 これは記憶ではない。記録だ。

 どう思考を巡らせても今の己と繋がらない。実感が持てない。ハクレイレイムという者が戦っているというのに。まるで他人の記憶を見ているかのようだ。だから記録を鑑賞しているのと変わらない。

 その記録映像はまだまだ続く。

 修行から帰ってきた巫女は神社を妖怪たちに占領されていた。

 何故こんなことになったのか原因を探りながら空を飛ぶ力のある亀、玄爺に力を借りて妖怪退治へと立ち上がった。

 火の玉めいた霊魂で一丁前に天冠を付けている。あの巫女――靈夢――は化け化けと言っていた。

 妖怪退治の途中で出くわしたのは誰かが作り差し向けてきたと思しき絡繰りの車。

 ふらわ~戦車なる絡繰りの車から攻撃を仕掛けてくる者。

 呪という弾幕を放つ白布を纏った者。

 博麗の力を狙って現れた女武者の明羅。

 二体一組の赤い珠に蜘蛛の足めいた邪気を孕む者。

 幻夢界と呼ばれる魔界と現世の狭間の関所にある迎撃装置。

 青い被服に紫の長い髪を持ち背に翼をもつ天使。

 そして次に現れたのは。

 霊夢の覚えのある姿とは似ても似つかない、魔梨沙だった。

 心なしか名前も違うような気がする。髪の色も赤毛であり言葉遣いも異なる。

 その魔梨沙を下して辿り着いた先にいたのは。

 一度退治したはずの魅魔だった。

 魅魔との激闘を終えた後にはふらわ~戦車に乗っていた者――里香が待っていた。戦車というには前衛的なイビルアイΣという新たな飛行型戦車に乗って。

 神社を妖怪たちに占領されていた事も解決し事態は終わりを迎えた。

 だが。

 平穏はいつだって些細な変化で崩される。

 博麗神社の隣に突如として夢幻遺跡という遺跡が現れた。

 なんでも遺跡を訪れた者を幸せにする贈り物を授けてくれるという。けれど遺跡にはなんと定員が決まっていた。数は一名。

 つまり贈り物を受け取れるものは一人だということ。

 この贈り物をもらうために、遺跡へ集まった者達と戦う事になる。

 一人は、腐れ縁となりつつある魅魔。

 一人は、魅魔を慕う霧雨魔理沙。以前対峙した時と雰囲気が違う魔理沙だ。どことなくだがやっぱり名前も違う気がする。

 一人は、ふわふわとパチパチの魔女、エレン。

 一人は、警察官でありながら振袖姿の小兎姫。

 一人は、移住を考える騒霊のカナ・アナベラル。

 一人は、科学という邪教に明るい朝倉理香子。

 全ての者を下し遺跡に入ると待ち構えていたのは科学の進んだが世界から来たという教授の肩書を持つ岡崎夢実とその助手を務める北白河ちゆりだった。

 そして二人に勝った暁には確かに贈り物をくれた。

 境内を掃除してくれるロボットが欲しいと言ってみると本当にくれたのである。が、最初に用意したロボットはいろいろな駄目だった。家事専門のアンドロイドの名は『ま〇ち』という持っていてはいけないロボットであった。替わりにくれたのは『る~こと』というアンドロイドだった。

 もし靈夢以外が辿り着いたのなら、ICBMと呼ばれるミサイルのミミちゃんなど多種多様なものもあったらしい。

 夢幻遺跡を巡る騒動が収束すると、平穏で暇な時間が戻ってきた。しかし平穏は束の間だった。突然多くの悪霊、化け物が湧いて現れてきたのだ。神社の裏の山にある湖が原因では、と見当をつけ退治に向かった。

 山へ向かう道すがらそれは現れた。まるで行く手を妨害するように。地中を移動し地上に這い出たそれは花だ。意思を持ち花弁を広げ、触手めいた花糸から弾幕を放ってくる。

 妖怪花を退治するとバトンのようなものを持ち、黄と緑を基調した服に長い赤い毛が特徴の妖怪オレンジが立ち塞がる。

 オレンジを退け、先を急ぎ湖まで来ると湖の門番を名乗るくるみと出会う。通る為にはくるみを下すしかなく交戦が始まった。彼女を退治すると、黒い鏡に悪魔の羽を持ったくるくる回る怪物が攻撃を仕掛けてきた。

 怪物を倒した次は夢幻と現実の境目に建っている館の入口に死神の鎌を思わせる西洋のドレスめいた服を着た金髪の女性が立っていた。館の見張りをしている、エリーと名乗る彼女を倒さなければ神社に悪霊たちが湧いて出た原因の下へは辿り着けない。エリーを乗り越えて館へ侵入すると次は黄色を基調したワンピースめいた服を着た館の警備か何かを行っている少女と交戦する事になる。さらに館を進むと何故か魔理沙がおり、何やらよからぬことを画策している様子だ。しかし魔理沙も譲らず彼女と勝負する事になった。魔理沙に勝ち帰らせ、先へ進むと館は青いチェック柄のような雰囲気になった。どうやらそこに強い力の持ち主がいるようだ。出てきたのはパジャマにナイトキャップまで着てバッチリ寝ていた幽香だった。

 ――――え? 幽香?

 記録を見ていた霊夢はその幽香を知っている――と思った。

 だがこんな記録は知らない。自分の記憶にはない。なのに幽香を知っている。

 霊夢が考えている間も記録は続く。

 本人は寝ぼけていないというが明らかに寝ぼけている幽香を追撃するとスカートではないが見覚えのある服装に着替えた幽香と再戦していた。

 幽香を退治すると夢幻世界の主である双子の悪魔と邂逅している。夢月、幻月というらしい。メイド服めいた格好で青いドレスなのが夢月で妹、紅いドレスが幻月で姉のようだ。双子の邪悪な力を放置はできない。悪霊や化け物がこの力によってふたたび活性化する可能性もある。その芽を摘むために悪魔の調伏を行った。そうして今回の騒動は収まった。

 その後は大きな騒動こそ起きず、一定数の妖怪や魔物を退治していたが一向に減少する事のない魔物に、どこから現れているのか調査をすると神社の裏手の山にいつ頃からあるのかは分からないが魔界の扉があるといわれる洞窟が原因だと分かった。

 解決を図る為、魔界へと旅立つ事を決める。

 現実世界から魔界へ向かう中、早速洗礼を受ける事になる。魔界の妖精と似たような姿ながら赤いドレスを纏い四つの光球を操る者と戦う事になる。 

 魔界の扉まで到達すると守衛と事を構える事態になった。桃色の髪に赤のワンピースが特徴のサラだ。交戦的な性格ながらも無事にこれを撃破。

 続いて人間界と魔界の狭間に訪れると白い鏡に天使めいた翼を持つ魔界生物と戦う事になった。

 魔空間に入ると魔界の少女ルイズと出会う。紫のリボンのついた白い帽子まで被り外行きの格好で今まさに魔界から人間界へ出ようとしていたようだ。人間界進出を阻止する為にルイズを倒して次へ進むと、以前夢幻館で戦った警備の少女と瓜二つの少女と出会った。同一人物か双子かまでは分かり兼ねたが以前と違い転移まで行ってきた。もしかしたら夢幻館を首になったのかもしれない。

 彼女を突破すると次に現れたのは――――アリスだった。

 ――――アリス? また?

 幽香の時と同じだった。霊夢の知らないアリスがそこにいた。知らないが――――繋がっている。この記録は霊夢の記憶では知らないが繋がっているのだ。

 服装こそよく知る姿ではないが白いブラウスに淡い青の吊りスカート。やや幼さを感じる為、今のアリスはこのアリスの成長した姿なのだろう。

 ――――あいつはこのアリスを知っていた。でも私は知らなかった。

 しかしこの記録では繋がっている。

 アリスは二体の妖精あるいは人形めいた存在を補佐に付かせて戦っている。今のアリスに通じるものが確かにある。

 アリスを退けると魔界の中でも雪と氷で構成された極寒の大地へと辿り着く。そこには先ほど戦った魔界人のルイズとよく似た少女が立ち塞がった。白く見えるほどの魔力を帯びており行く手を阻むように攻撃を仕掛けてくる。

 魔界少女を倒すと極寒の世界から先へは進ませないと二人の魔女が現れた。黒い服装に金髪が特徴のユキと白い服装に天使の翼が生えているマイといった。二人組の魔女を倒し魔界の偉い人の下へ案内するように告げるとパンデモニウムと呼ばれる場所へ向かう事になった。

 そこで紅を基調として白い水玉模様があしらわれているドレスに髪を大きなリボンを結んだ少女が出てきた。パンデモニウムの番人めいた役目を追っているかもしれない。

 彼女を撃破するとようやく魔界の偉い人が出てきた。

 紅い豪奢なドレスに身を包んだ女性。

 その名は神綺。この魔界の神であるという。

 けれど彼女と交渉する前に神綺が創造した最強クラスの魔界人の少女、夢子が間に入った。神綺に仕える身だからかメイド服を着ている。夢子を倒さねば神綺と話ができない為、彼女と戦う事になった。 

 夢子との激闘を制してようやく魔界の神である神綺の御前に立つことが叶った。

 神綺曰く人間界へ魔界の者が出入りしているのは魔界の民間の業者が勝手に行っている事であり神とはいえ注意はできても命令を聞かせる事はできないらしい。良く分からないが行政的な問題が孕んでいるようだ。つまりはこの魔界からの魔物は神綺の差し金ではなく独自の都合でやってきているらしい。とはいえ魔界の神なら責任者であるわけだしこの騒動の責任をとってもらわねばならない。神綺にしても魔界まで乗り込んできた者を只で帰すつもりもないようだ。

 そうして魔界の神との神戦を経て騒動は収まった筈だった。

 が。

 落ち着いたはずの神社には魔物さんが来ていた。

 魔界人はなかなかにしぶとかったみたいで神綺の訓告を受けた後は独自に人間界へ行き来ができる門の作る方法を編み出した。その所為で神綺に断りなく自由に来る事ができるようになってしまった。もはや神綺にも手の付けようがないようだった。

 魔界人の逞しさは想像以上だった。原因は分かり解決の手も講じたが新たな問題も生まれてしまった。

 結局、靈夢の周りは賑やかなままであった。

 しかしこれで終わったわけではなかった。

 一度倒したアリスが乗り込んできたのだ。

 彼女と戦う前にトランプ兵が立ち塞がったが、難なく倒し再びアリスと対峙した。彼女は靈夢を倒す為に来たらしい。

 アリスとの最終勝負を制すると罰として神社で働いてもらった

 ――――そして記録はそこで終わった。

 気が付くと霊夢は博麗神社の境内に立っていた。

 よく分からない空間からは抜け出せたらしい。何故抜けたかは分かり兼ねたが五体満足であるし何かしらの被害を受けた様子はなかった。

 けれど。

 この博麗神社は見知った神社ではない事に気づいた。

 夜だったはずなのに陽光が射し、人の気配も妖怪の気配もない。おそらく何らかの力が働いて作られた世界なのだろう。

 まるで書割の世界みたいだ、と思った。

 ただ。

 霊夢とは違う巫女装束に身を包んだ少女が縁側に座っていた。

 ――――博麗、靈夢だ。

 己あり己ではないハクレイレイム。

 

「見たでしょ? それが私の記憶。そして貴方にとっては記録。実感なんてないでしょ」

「今のが記憶? 貴方の?」

「そう。私の記憶はアリスと戦った所でいつも止まるの。あれから世界はどうなったのか。今の私には分からない。人間界へレミリア・スカーレットが訪れた事で運命が変わったのよ」

 

 それは前にも言っていた。

 レミリアが来た事で運命が変わったと。

 

「この世界は幻想郷という世界になり、八雲紫や摩多羅隠岐奈なんて者達が作った歴史があり、私は貴方になった。貴方は私なのに私とは致命的な隔たりがある」

「私が貴方ですって?」

「アリスと幽香。彼女達だけはレミリアが来た事で刷新された運命でも強く記憶を残していたのよ。アリスが最終勝負で言っていたものすごい魔法が運命に抗ったのかもしれない。ま、真実はわからないけれど」

 

 靈夢が立ち上がり霊夢と向き合った。しかし霊夢は今の発言に引っかかりを覚えた。アリスと幽香は確かにそうかもしれないが、では魅魔は――――。

 

「ねえ、幻想郷は楽しい?」

 

 霊夢が考えていると唐突に話題を変えた靈夢が訊ねてきた。 

 

「は?」

「うちの神社はいつも騒動が絶えなかったわ。いろんな奴が馬鹿みたいな理由で騒動を起こして、でもそんな奴らは本気だった。でもね、それでうちに魔物や化け化け達が出たら困るから退治してさ。慌ただしくても楽しかったのよ。騒がしくて賑やかで。――――貴方はどう?」

 

 懐かしい風景を語るように、昔話を語るように、靈夢は言った。その声音は優しく本当に楽しい毎日だったのだ。

 では己はどうだろうか。

 レミリアを始め、多くの者が起こした異変を解決してきた。紫がいうように幻想郷で迎え入れた者も多い。話せば分かる者もいて友人となった者、友好を結べた者も多かった。

 それは――――たぶん。きっと楽しかったと呼べる日々だったと思う。

 

「そう、ね。きっと楽しい日々だったと思うわ。その時は辛くて苦しくても終わった時にはみんなで宴会して、馬鹿みたいで騒いで……ええ。そんな毎日がたぶん私は好きなのね」

 

 そういうと靈夢はくすくすと笑った。まるで友人にするみたいだ。

 

「そんなところは私と同じなのね。そう、そういう毎日が私も好き、だった。もう私では紡げないけれど」

 

 言いながら自然な仕草で退治符を取り出し陰陽玉を出現させた。

 

「あの悪神とかいう神様があらゆる世界を繋げた際に時空すら超えて繋がったからこそ私と貴方、同じ存在でありながらもこうして出会う事になったんでしょうね。あれはあれで退治しないといけないけれど、でも。その前に同じ人が二人もいるっていう異常事態を解決しないとね。そうじゃなきゃみんなが困るし」

 

 一拍置いて靈夢は言った。

 

「――――ハクレイレイムは一人でいい。そうでしょ?」

 

 符を構える靈夢を見るに退いてくれたり、譲ってくれる気は毛頭ないようだった。

 霊夢はかゆくもない頭を掻きながら大きな溜息を吐いた。

 相手は己。自分でありながら自分とは遠く離れた自分。

 おそらく彼女の言っている事は本当で先ほど見た光景はこの靈夢が実際に生き抜いてきた現実だ。

 どうしても今の自分には繋がらないが、きっとかつての自分が成し遂げた事なのだ。

 全ては悪神が招いた事でこうして己自身と向き合う事になったのももしかしたら想定されていたのかもしれない。

 だが。

 ――――博麗靈夢。

 かつての己自身。魔界の神すら相手にした己自身。

 けれど。霊夢だって数々の異変を解決してきた。

 相手は本物だ。退治符も陰陽玉も確かな力が宿っている。

 しかし自分だって本物だ。

 ――――ならば。

 

「なんでこうなるのかしらねぇ。本当面倒ばかりが私に圧し掛かってくるのよ。だけどあんたの言う事は、まあ、正しいわ。同じ人が二人もいたら困るものね。それにハクレイレイムが一人でいいってのも、まあ、そうよね」

 

 霊夢も自然な仕草で御幣を構えた。

 

「あんたは要はかつての、昔の私って事でしょ? あんたに負けるようじゃ全然成長してなかったって事になるじゃない。確かに修行は面倒だけど全くしてなかった訳でもないし、ちゃんと異変を解決してきたわ。その力はしっかり身についてるのよ。だから――――」

 

 霊夢は一拍置いて口を開いた。

 

「あんたに勝つ。今の自分が昔の自分に負けるなんて、そんなの認めない。あんただけには絶対に勝つ!」

 

 博麗神社の境内で二人のレイムが互いの存在を賭けて衝突した。

 

 

 現実世界の博麗神社で戦っていた聖白蓮の心中は複雑なものがあった。命蓮寺襲撃の報は彼女の耳にも入った。本当ならば今すぐにでも駆け付けたい。けれどこの持ち場をかなぐり捨てるほど白蓮は無責任ではなかった。白蓮が抜けるだけで博麗神社の守りは厳しいものになるだろう。

 そこへ霊夢を追って神社へ戻っていた文が帰ってきた。表情は芳しくない。神社で何かが起こったのだろう。

 文は白蓮の難しい立場を察したらしい。

 

「白蓮さん。ここは私や椛がどうにかするので命蓮寺へ向かってください」

「しかし……」

「本当はすぐにでも命蓮寺へ駆けつけたいはずです。ここまでよく留まって頂きました。ですから、行ってください」

 

 それを聞いていた青娥が隣から口を出してきた。

 

「すぐに行きたいのなら私の仙境を経由しますか? 陸路を行くより早く着きますわよ?」 

 

 やや考えた白蓮だが頷いた。

 

「青娥さん。お願いできますか? 文さん、ここを離れますが――――」

「ええ。お任せください。命蓮寺の方々は貴方を待っている筈です」

「では行きますわよ?」

 

 青娥が仙境を開く。その中へ白蓮が消えていく。

 

「これで、命蓮寺は大丈夫でしょう。さて、我々が頑張らなくてはなりませんね。ね、青娥さん。…………ん?」

 

 見れば青娥の姿もなかった。ついでに芳香の姿もなくなっている。

 

「あ……あの邪仙……このタイミングでいなくなりますか、普通!」

 

 当てにしていた戦力が消えたことで文は白蓮を行かせてしまったことに軽く後悔の念が過った。けれど命蓮寺は命蓮寺で白蓮を待っている筈だ。

 

「やるしかないって事ですか!」

 

 羽団扇を振るい蜥蜴を吹き飛ばす。送り出した以上四の五の言っても始まらない。青娥に関しては予想外だがいなくなってしまった事実は変わらない。負担は増すがやるしかないのだ。

 ――――と。

 それは突然起こった。

 博麗神社へ続く道の中程で星型の光弾が降り注いだ。

 道中に犇めいていた蜥蜴の群れは星型に削ぎ落されて倒れ伏していく。

 中空に佇んでいたのは悪霊の魅魔だった。

 

 

 屋敷の中で魅魔は考えていた。

 最初は気づかなかった。けれど普段通りに過ごせば過ごすほど違和感が膨れてきた。

 それは何故、自分がここにいるのだ、という違和感。

 以前の記憶と今の記憶が繋がらない。

 ――――私はいつからここにいる?

 答えは出なかったが、こうしてここにいる以上何かが起こった事は間違いない。

 そしてそれは唐突に分かってしまった。

 悪神が齎す悪意によって。

 自分はこの世界でのイレギュラーなのだ、と。

 しばらくすると霊夢がやってきた。霊夢は霊夢なのだがかつての靈夢とは姿が違った。悪意に関して伝えてはやったが魅魔自身は手を出すつもりはなかった。この騒動の顛末が分かってしまったからだ。

 かつて魔界の神すら相手にした靈夢だ。今の霊夢にその記憶と実感はないだろうがレイムである以上、悪神にだって挑み騒動を収束させるだろう。

 そうなった時、ここにいる己はきっとなかったことになる。

 運命に刷新された人間界、今は幻想郷と呼ぶここで魅魔が騒動を起こした事実はないし姿を現した事もないのだ。

 悪霊である魅魔は悪神と相性が悪かった。悪しき霊はある意味で悪意の塊とも言える。悪神が世界を繋げる為に悪意を世界に満たしていく中で魅魔だけがあらゆる世界が繋がる前にこの幻想郷に繋がってしまったのだ。繋がってしまった以上、魅魔がいる事に整合性が付く様に世界の在り様が塗り替えられた。

 だから霊夢も魔理沙も魅魔の事を当然覚えていた事になった。

 イレギュラーなのは分かっている。

 全てが終われば己はいなかった事になる。

 世界は運命に刷新された後の状態で続いていく。

 何もかもが片付いた世界で魅魔というイレギュラーを覚えている者はいないだろう。故に霊夢には助言だけしかしてやらなかった。今の霊夢と親しくはなれないと思ったからだ。

 けれど。

 霊夢はもう一度やってきた。

 永琳の悪意除染が成功する少し前だった。

 そう。

 あの時、霊夢が一旦神社を離れた時である。彼女は魅魔へ会いにいっていたのだ。

 霊夢は魅魔に協力を申し出ていた。この幻想郷を守る為に。

 必死な彼女にかつての靈夢が重なる。

 ああ、この霊夢もやはり靈夢なのだ。そう思わせるものがあった。

 ――――故に。

 その霊夢の姿が余りにも懸命で眩しかったから。

 かつてと変わらない姿を見出したから。

 イレギュラーとして存在している自分の意味を考えた。

 きっと悪神に塗りつぶされる世界を座したまま見続けるのか。

 あるいは霊夢に請われたように協力し騒動の収束を見るのか。

 こうしている己は胡蝶の夢のようなものだ。儚い幻であり目が覚めれば消えてしまう。

 これは世界の問題ではない。魅魔自身の問題。

 ――――私はどうしたいのかな?

 自問した時に彼女は可笑しくなった。そんなものとうの昔に決まっているではないか。

 ――――人間界は私のモノなんだから勝手な事をされたら困るのよね。

 霊夢はこの世界を悪神から守ろうとしている。だから魅魔にまで声を掛けてきた。形振り構わず使えるものは使ってやるというやり方は実に彼女らしい。そして魅魔からしても悪神に人間界を統べられるのは楽しいことではない。

 ならば、一度くらいは必死な霊夢に手を貸してやっても面白いかもしれない。そう考えるとなんだか愉快になってきた。

 我関せずを貫き通してきた魅魔が重い腰を上げた。もちろんやる事は一つだ。

 蜥蜴の群れの殲滅に乗り出したのである。

 白蓮に青娥と芳香がいなくなった所へ魅魔の加勢は渡りに船だった。新たな戦力を得て博麗神社を取り巻く蜥蜴は倒れ伏していく。

 

「ふふふッ。どうせ露と消える夢幻泡影の私だ。出し惜しみはしないわよ。これでも自称人間界の神様なもんでね。本気で戦ってあげるわ」

 

 月を象った意匠の飾りが先端についた杖を振り上げる。かつては全人類へ復讐を企んでいた魅魔だ。

 敵と見做した蜥蜴には一切の容赦がなかった。

 

 

 早苗からの連絡を受けた隠岐奈はタイミングを図っていた。全ての流れを変えるタイミングを。

 妖怪の山の黒い孔から現れる蜥蜴の数は留まる事を知らずまるで底なしだ。

 橘迦玖能の儀式の所為で幻想力が弱まる中、苦戦を強いられる妖怪たち。

 八意永琳の采配で戦力の均衡が保たれているが有能な指揮官がいなくなれば大軍というのは有象無象の集団と成り下がる。 

 けれどこのままではじりじりと悪化の一途を辿るだけだ。

 ――――あの時もそうだったな。社会問題にまで発展したものだ。

 蜥蜴の群れの殲滅を妖怪たちが懸命に行っている。力が弱まる中、戦力の低下した箇所を華扇や勇儀が補い、飯綱丸と百々世が部隊の配置換えを絶妙なタイミングで行い、遊撃隊としてネムノが加勢に入る。

 上空では星の神である甕星禍那と無秩序の魔王サルワ、巨竜アジ・ダハーカ相手に豊姫、依姫、神奈子が相対している。

 特にアジ・ダハーカの場合、豊姫が相手でなかったなら重度の穢れが浄化できず現世でありながら黄泉の国になってしまうだろう。

 

「我が幻想郷に住まう者は逞しいな。それに――――この時機に月の使者が来ているのも意図せぬ僥倖だ。それとも奇跡というべきか」

 

 一人ごちて隠岐奈は笑みを溢した。

 奇跡なら東風谷早苗が奇跡を起こす力があったな、と思い出したからだ。本来ならば自然に纏わる奇跡だった筈だが、そここそが奇跡なのだろう。奇跡に区切られた範囲などないのだ。

 偶然の頂点である奇跡はこの瞬間にもっとも好ましい状況を齎してくれたのかもしれない。

 踵を返した隠岐奈は陣幕へ向かう。きっとこの瞬間が流れを変えるタイミングなのだと確信して。

 

「やあ。首尾はどうかな?」

 

 陣幕へ入ってきた隠岐奈へ永琳、輝夜、てゐの視線が向いた。

 

「どうにか均衡を保たせているわ。けれど消耗戦を挑むのならこちらが不利ね」

「だろうね。向こうは無尽蔵、無制限だ」

 

 肩を竦める隠岐奈は相変わらず他人事のような雰囲気を纏わせている。だが彼女がここへ来たという事は。彼女が威信をかける事が来たという事。

 

「人里へ向かう、と言っていたわね? 今がその時ということ?」

「その通り。共に人里へ向かってもらえるかな?」

「――――いいでしょう。ただこの戦況で私が離れる、という意味を貴方は理解しているのかしら?」

「もちろん。分かっているさ。君の采配は信用しているよ。同時に戦っている彼女達の事も信頼しているのさ。彼女達はそんなにやわじゃないさ」

「そう。ならいいわ。――――てゐ、何かあったら連絡を頂戴」

 

 永琳が離席する間の事をてゐへ任せて隠岐奈と共に陣幕を出て行った。

 人里へ二人が向かったことを見計らってか、輝夜が席を立った。

 

「姫様……?」

「さあて。永琳だけ楽しんでるなんてズルいと思わない?」

「え? 姫様も戦うんです?」

「そうねぇ」

 

 顎に人差し指を当てて軽く考える仕草をして輝夜は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「荒事はあるかしらねぇ。だってこんなことでお茶会が延期になるなんて嫌じゃない」

「は? お茶会?」

「じゃあ行ってくるわね」

 

 と言った瞬間、輝夜の姿はなかった。

 陣幕に一人残されたてゐはふいに輝夜の行き先が分かってしまった。お茶会という事は。

 輝夜は無名の丘へ向かったに違いない。だって――――無名の丘には風見幽香がいたはずだから。

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