偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil.   作:加賀アスナ

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◆◆第3話◆◆
第3話


 神社とは本来、神が宿る場所であり神域である。神域とは常世の事であり現世と隔たれている場所だ。また境内にある鎮守の森や神池、岩や大木などは現世との端境、つまり結界の役目も果たしている。正式な入口としては鳥居を潜るしかなく災いを防ぐための結界の唯一の門と言える。

 神の社である神社は常に清浄に保たれている。不浄である罪穢を許さない。そのような悪意邪念を持つ者はそもそも神社へ訪れることに抵抗感を持つ。また境内に足を踏み入れた際に浄化されるのだ。神域とはそれだけ隔絶された場所なのだ。

 それは相変わらず参拝客の少ない博麗神社にも言える。博麗霊夢の代になってから妖怪、妖精たちが寄り付くようになり人間の参拝客はますます減少したのだが、それでも博麗神社へ集まる妖怪たちに悪意邪念を抱いてくるものはいない。

 普段の博麗神社は友人たちの溜まり場になっている。それどころか光の三妖精は鎮守の森の大木に入居している。地下にはクラウンピースも居を構えており、伊吹萃香は居候と言えるほど入り浸っている。

 またチルノら妖精たちも集合する場になりつつあり、ことある事にレミリア・スカーレットなども訪れる。いよいよもって人外御用達の神社になりつつある。それに拍車をかけているのが神社の付近に屋敷を構えている悪霊の魅魔である。随分前に悪霊を引退し隠居している身だそうだが昔取ったなんとやら、彼女の影響力は健在であるようだ。そんな彼女は魔理沙に慕われており今でも交流がある。

 その魔理沙は非常に機嫌が悪かった。

 

「そりゃあ私も悪かったとは思うんだよ。ちょっと新作を試そうと思ってアリスに弾幕勝負を挑んだんだけど」

 

 聞けばアリスに激怒されて逃げるように博麗神社へ来たという。

 参拝客がおらず巫女仕事もなく、妖怪退治と異変解決の依頼のない博麗霊夢は本殿の縁側で魔理沙の愚痴を聞いていた。

 魔理沙の語る新作とは開発したスペルカードであったのだが、悉くが失敗だった。暴発、爆発、不発、挙句の果てに自爆を披露した。魔理沙にわざわざ時間を割いてまで付き合った結果がこれでは文句の一つも出よう。しかも最後の自爆は酷かった。魔理沙自身とアリスをも巻き込む大自爆。

 スペルカードルールは紛争や揉め事を解決する手段ではある。双方が事前に用意した正式なスペルカードを持ち合い対決するのだ。

 だが魔理沙が弾幕勝負と称してアリスと行ったそれは正式なスペルカードを用いていない。

 大自爆により双方の残りスペルカードの破棄を余儀なくされたのだ。これによってアリスが用意したスペルカードは使い物にならなくなり魔理沙も残りの新作は爆散した。

 大失敗だったと笑いながら立ち上がった魔理沙を見たアリスは開口一番に――――帰れ、この馬鹿、と叫んだらしい。

 悪びれない態度の魔理沙に流石の霊夢もアリスに同情を禁じえない。魔理沙がスペルカードの研究に熱心なのは分かるが巻き込まれたアリスは不憫極まりない。

 

「なかなか方向性はいいと思ったんだけどな」

「魔理沙、アンタ。アリスにはちゃんと謝ったんでしょうね?」

「あ、謝ったぜ、ちゃんと! なのにアリスの奴、帰れって。悪いと思ってるのに。ったく、やってられねえぜ。いつもはこんなに怒んないのによ」

 

 縁側へ大の字で寝そべる魔理沙は不貞腐れて口を尖らせている。謝ったとはいうが反省の色が見えない態度が悪いのでは、と思わなくもない。無論、口に出しはしないが。

 最近では魅魔に会いにいってもまともに相手をしてくれないらしい。隠居の身でありながら忙しいからと言われるのが魔理沙にとっては気に喰わないのだと。まるで避けられてるみたいだぜ、とさらに愚痴をこぼす。

 

「そういえばここに来る前に人里に寄ったんだけどさ、なぁんか雰囲気が悪かったんだよ。私がいうのもなんだけど、妙にぎすぎすしてるってか、空気が悪くてな。清蘭屋で団子を買ったんだけど、清蘭と鈴瑚が喧嘩っつーのかな、仲が良くない姿を見たのは久しぶりだぜ」

 

 やる気をなくしたように空を眺めながら魔理沙は言う。魔理沙の買ってきた団子は伊吹萃香と高麗野あうんに強奪されている。

 それにしても、と霊夢は考える。

 雰囲気が悪いと魔理沙は言った。その事は霊夢も気に掛かっていた。いくら参拝客が少ないといっても完全に途絶えた事はなかったのだ。人里からは神社までの道のりはいいとは言えない。ある程度の整備はされているが、もともと幻想郷の東端に位置する博麗神社までは単純に距離が長いのだ。それでも人里の者にとって馴染みの神社なのだ。

 霊夢が思うに神社へ人が寄り付かなくなる時は異変が起きる時だ。もしくは既に起こっているか。

 魔理沙には黙っていたが霊夢は神社までの道中で何かが起こっているかと考え、魅魔の屋敷へ一度訪れている。その際に助言をもらっていた。

 

『幻想郷に悪意が満ちてきているわ。私はね悪霊だから分かるのよ。災いが来るわ。生憎と相性が悪いから私は家に籠るわね。だからしばらく会いに来ないでね。ふふふっ、今回は手強いかもね』

 

 悪意が満ちていると魅魔は言った。強力な結界を敷いてまで屋敷に籠るとはよほど相性が悪いのだろう。

 人里で魔理沙が感じた事が悪意が広がっているという事なのだろうかと考える。

 悪意が満ちて――――何が起こる?

 厄介事が起こるのは分かる。

 例えば。

 紅霧異変はレミリアが起こした。太陽を遮る為に。

 春雪異変は幽々子が起こした。西行妖を咲かす為に。

 三日置きの百鬼夜行は萃香が起こした。鬼を幻想郷に戻す為に

 そう。必ず思惑があり異変になる。

 では悪意が満ちて、何になる? 

 誰の思惑で? 

 誰が得をする? 

 そういえば魔理沙は何と言った? 

 アリスはいつもなら怒らないと言ったのではなかったか。

 ならばアリスも悪意に飲まれているということか。

 そこまで考えを巡らせたところで霊夢は自分はどうだ、と思い至った。魔理沙に対してどう思っただろうか。苛立ちを感じたりしただろうか。

 否だ。

 では己は悪意には飲まれてはいないのだろうか。

 

「ねえ魔理沙」

「あん?」

「アンタ、今いらいらとかしてる?」

「は? なんでだ? むしろ霊夢の方がイライラしてるんじゃないか? 私の愚痴を聞きっぱなしだし」

「――――アンタは普通ね」

「普通ってなんだよ!?」

「それで私も普通。どういうことかしら?」

「――――霊夢、どうしたんだ? 大丈夫か?」

 

 怪訝な表情から心配な表情へころころ変わる魔理沙を見ていても楽しいが、そろそろ相談相手になってもらわねば困る。

 魅魔に聞かされた事を魔理沙へ伝えると彼女は呻くように考え始めた。何か思い当たる節があるのかもしれない。

 真剣な顔で口を開く――――と、

 

「魅魔様のやろう、なんで私には教えてくんねぇんだ!」

 

 拳を握って叫ぶほど悔しかったようだ。

 ブツブツと腹を立てる魔理沙にお構いなしに霊夢は言った。

 

「魅魔の言った悪意ってのが人里に広がっているとして、それが鈴瑚と清蘭の仲が悪い事に繋がった。魔理沙とアリスも普段なら言い合いになる事がない事で揉めた。どうして私たちは揉めてないのかしら?」

「それは――――ほら私らって仲いいし」

「アリスとだっていいでしょうが」

「じゃあなんだってんだぜ? 私と霊夢が特別なんじゃないのか?」

「特別ねぇ。けど萃香もあうんも仲違いはしてないし」

 

 魔理沙の言う通りに自らが特別とは思わないけれど何か原因があるのは確かだろう。

 ――――と。

 何もない空間に切れ目が走る。

 それが何かは霊夢はよく知っている。境界を操る妖怪、八雲紫の切れ目だ。

 

「霊夢。巫女の仕事よ。竹林の蓬莱人と永遠亭のお姫様がスペルカードルールを超える戦いを始めたわ」

「おいおいおいおい、紫。幻想郷のルールは弾幕勝負だろ? 輝夜だって妹紅だってそれは分かってるはずだぜ。そんな殺し合い染みた事は――――」

「あら魔理沙。貴方、今の幻想郷は異変に覆われているのよ。どんな異変かは私にもまだ把握はできていないけど――――」

 

 そこまで紫が口を開いたところで紫の切れ目の後ろに別の扉が出現した。

 

「――――久方ぶりかな」

 

 扉の先には秘神、摩多羅隠岐奈が立っていた。

 眉を歪めて紫は扇子で口元を覆う。

 

「隠岐奈。貴方が出てきたということは随分厄介な事が起きてるようね?」

「ああ。本人と喋ったからね。差し詰め悪意異変とでも言えばいいのかな。厄介だよ自分の影と戦うというのはね。だが影であるのならば逃げる事は許されないんだよ」

 

 肩をすくめる隠岐奈を前に霊夢は言った。

 

「賢者様が揃って狼狽えて一体何が起こってるのかしら? いい加減教えてくれてもいいんじゃない?」

「そうだぜ。もったいぶって手遅れになるんじゃ意味ないぜ」

 

 霊夢と魔理沙に加勢するように紫が口を開く。

 

「そうね。本人と喋ったというからには異変の首魁を知っているようだしね。隠岐奈、そいつは一体、何処の誰かしらね?」

「そうだな。彼奴はこう名乗った――――アラディア・アーリマン、と」

 

 ――――アラディア・アーリマン。

 それが幻想郷を襲っている者の名だという。だが隠岐奈はこうも言った。自分の影、と。それは一体どういうことなのか。

 

「彼奴はまだ体が出来ていないといっていたのでね、あらゆる場所へ扉を開いてやったさ。遅かれ早かれ奴は生まれ出でてくるからね」

「手を貸したというの? 隠岐奈」

「まあ急くなよ紫。それより、博麗の巫女、竹林の仲裁に向かった方がいい。兎共が炎から逃げ惑っていたぞ」

 

 言われて霊夢はお祓い棒を片手に飛び去って行く。その後を箒を手に魔理沙が追った。

 二人がいなくなった縁側へあうんと団子の串を咥えた萃香がやってくる。

 

「紫さん。隠岐奈さん。一体何が起こってるんでしょうか?」

「なんだかエライ事が起きてるようだな。あうんが神社の外は濁ってるなんて言うもんだから私だって出るに出られねえ。おう、紫。何が起こってるんだ?」

「私より隠岐奈の方が詳しいわ。そこの所、ちゃんと教えて欲しいのだけどね」

 

 三人から睨まれた隠岐奈は降参とばかりに両手を上げて扉から出てきた。

 

「あうんが神社の外が濁ってるというなら境内は大丈夫だという事か。なるほど不浄は清浄を嫌うか。私の憶測も入る、込み入った話になる。腰を据えて話そうじゃないか」

 

 隠岐奈の言葉に紫も渋々と切れ目を大きく開けて身を乗り出してきた。

 縁側へ腰かけて隠岐奈を見る。

 

「では――――アラディア・アーリマンについて。語ろうか」

 

 隠岐奈の話を聞いて紫は眉を顰め、萃香は渋い顔をする。あうんは不安な表情を浮かべて隠岐奈と紫を交互に見ている。

 アラディア・アーリマンとは言わば原初の悪性の神だという。

 あらゆるものの心の深淵に存在し悪意を司るという。

 それどころか悪の原理を創造した心の反対側でもあるという。

 罪、穢、不浄を始め、人々が持つ負の感情が存在を作るのだと。それは罪源と呼ばれる罪に繋がる感情すらも悪の一部になりえる非常に厄介な悪性の神。

 つまるところ、この世とあの世を含む全世界に意思あるものが存在する限りアラディア・アーリマンは決して消え去る事がないという事である。

 幻想郷も月も地獄も天界も魔界も外の世界も、人間も妖怪も亡霊も月人も神も生きていようが死んでいようが意思がある時点でアラディア・アーリマンを作り出しているのだ。それが隠岐奈の言う自分の影という訳だ。

 

「私が思うに――――」

 

 隠岐奈は言う。

 

「一番初めに崩壊するのは月だ。月の民は地上を見下している。自分たちこそが選ばれた穢れのない存在だと自負している。自尊が高いということはアラディア・アーリマンのいい苗床でしかない。何故なら――――罪源の一つに傲慢というものがある。傲り、思い上がり高ぶって他人を見下す。これが悪に属さない訳がない。他人を見下す事を善だというなら幻想郷はとうの昔に月に隷属している筈だからね」

 

 続けて、

 

「次に崩壊するのは地獄だろうね。罪を犯し落獄した連中だ。怨霊悪霊は悪を成した者どもだからね。閻魔に対して反乱が起きるかもしれない。流石にヘカーティアが動くだろうが悪意に飲まれた有象無象がわんさかといるんだ。鎮圧するのにそれなりの時間が掛かるのは想像に難くない」

 

 さらに、

 

「そして最後に崩壊するのが我らの幻想郷だな。あらゆるところに悪意の火種が燻ってはいるが月と地獄に比べれば多少はマシといったところか。だが、放っておけば小さな火種は大炎上を巻き起こす。既に蓬莱山輝夜と藤原妹紅がスペルカードルールを超えた戦いを始めた。これが個人間ではなく各勢力の図式に変われば大きな戦乱が巻き起こるぞ。例えば命蓮寺と霊廟が争うだけで人里には被害が出る。畜生界の連中が地上に侵攻すれば異変どころでは済まなくなる。地底の者どもが地獄と揉めれば怨霊亡者が幻想郷中に溢れるかもしれない。そうなる可能性が大いにあるのさ」

 

 やれやれとまるで他人事のように語る隠岐奈に紫は不満を貼り付けた顔で睨みつけた。確かに彼女の語る所は大いに賛同できる。アラディア・アーリマンがその実、悪性の神だというのならば月は今頃、大変な事になっている筈だ。穢を嫌い地上を厭う彼らであっても優劣というものは存在するからだ。

 例えば始めに月の都を築き住み始めた者たちは後から住み着いた者より長く過ごしている分、穢れがない証左である、と言い始めるかもしれない。

 ――――お前より私の方が穢れがない。

 ――――お前より私の方が優れている。

 ――――お前より私の方が偉いのだ。

 ――――お前は私に跪くべきなのだ。

 そんな程度の違いで穢れがない者たちが悪意に飲まれ相争う様は容易に想像できる。何故なら彼らは自尊の高い、傲慢な者だからだ。そして傲慢は罪であり悪なのだから。

 地獄も似たようなものであろう。そもそもが罪を犯した者ども達が犇めいているのだ。どのような事情で罪を犯し悪を成し得たかは知らないが一度でも悪に染まった者を悪意に飲み込むの容易いだろう。何せ相手は悪そのものだ。

 それがわかっていながら摩多羅隠岐奈は焦ってもいない。彼女が述べた事が起こるのなら幻想郷は内部から破滅へ向かう事になる。ならばすぐにでも対策を行う必要がある。

 

「それで。対策は考えているのかしら、隠岐奈。ここまで語っておいて考えなしでは貴方もそうとう耄碌したと見るわよ」

「わはははッ! 仮にも私は神だぞ。いくら大妖怪と言われようとたかが妖怪のお前と比べるなよ紫。確かに幻想郷を作る際に手を携えたのは事実だがお前とは存在の格が違うぞ。今回の異変ではそれが良く分かる。いいか、相手は原初の悪神、アラディア・アーリマンだ。相手は意志ある者の心から生まれる正真正銘の怪物だよ。蓬莱人とは違う意味で決して滅びぬ存在なのは分かるだろう。だがね、そんな相手でも私は対抗できる。これでも神の端くれだからね。神というのはな、アラディア・アーリマンのような例外中の例外を除き、基本的には清浄である事が当たり前なのだよ。不浄を許さない。だから私から生まれた悪意であっても私は悪意には飲まれない。我ら神以外では地獄の閻魔や死神くらいだろうな悪意に左右されないのは。奴らは裁判を受け持つからな。生前の悪と善を測る奴らは中立でなければならない性質がある。だから奴らもこの悪意には飲まれない。だけれど、お前は違う。いやお前だけじゃないね。伊吹萃香、あうん、お前達もよく聞いておけ。清浄である事は神の特権といっていい。所謂神性というやつだな。何故か? 神はあまねく平等だからだよ。信仰し敬えば恩恵を、軽侮し杜撰に扱えば災いを受ける。祟り神なんかがいい例だな。私もそうでね。摩多羅は死すべき者を正しく死なせる事ができる。私を杜撰に扱う者は正しくは死ねない。正しく死ねないという事は往生の際に無念を残す事でもある。正しく死ねず悪霊亡霊となるのを見ると気の毒でならないね。分かるか、紫、私は悪意には惑わされない。だが、お前は違う。どれだけの能力を持ち得ていようが、賢者と讃えられようが、お前は妖怪だ。境界を操る力、確かに我ら神に匹敵すべき力である事は認めよう。しかしそれでもお前は妖怪なのだ。先に言っておくがその力で心の境界を弄ろうとは思わない事だ。心に境界などない。あるのは感情だけだ。境界で心を分けるなら、もはや別物が出来上がるぞ。この異変の根本について、お前の境界は効果的ではない」

 

 隠岐奈の反論を許さない弁舌に紫は理解した。隠岐奈が影と言った本当の意味を。これは明確に異変を起こしている相手がいるわけではない。アラディア・アーリマンはあくまで自分たちが生み出した怪物に過ぎない。言うなれば今回の異変、隠岐奈のいう所の悪意異変の犯人は自分たち自身だという事を。

 

「しかしだよ。手がないわけじゃない。少なくとも安全地帯はあるんだ。この博麗神社の境内は神域だからね。だからお前もお前達も悪意に飲まれていない。ああ、神社はもう一つあったね。守矢の神社も大丈夫だろうね。今、私達がやるべきことは有力な妖怪たちを神社へ避難させることだ。もっとも一番の懸念だった紫がここにいるわけだから私が骨を折らずに済みそうだ」

 

 初めから隠岐奈は紫を念頭に考えていたらしい。紫自身悪意に飲まれた自分がどうなるか想像するだに恐ろしい事に気づいた。紫とて気に入らない相手はいる。もし悪意に飲まれて境界を使っていたら、そう思うとぞっとする。隠岐奈は紫に悟られないように神社へ縛り付けたということだろう。

 蓬莱山輝夜と藤原妹紅の衝突で紫が霊夢へ通告することは分かっていただろうから。だからその時を狙ってわざわざ後戸の国から出てきたというわけだ。

 そこまで読まれていた事に紫は内心舌打ちをした。隠岐奈の手のひらの上だったことは。しかも対処の仕方まで用意していては己の出る幕がない。

 

「するとなんだ。私らはここで守られていろってことか」

 

 口を尖らせた萃香が不機嫌そうに口にする。

 

「そうなるね。鬼の頭領がここにいるってことは織り込み済みだったからね。君が敵に回らないだけで戦乱の拡大がかなり減ったはずだ」

「まあ、そうだろうな。私が敵に回らなくてよかったな」

「そうさ。だから大人しく博麗神社にいてもらうよ」

「仕方ないか」

 

 嘆息して萃香は縁側に横になる。

 

「そうそう。それでいいのさ。だから紫。君も大人しくしてもらうぞ」

「――――いいわ。今は貴方に従ってあげる」

「聞き分けのいい子は好きだよ」

「あら気持ち悪い」

「口の減らない奴だ」

「さて、隠岐奈。お手並み拝見といくわよ」

 

 不敵な笑みを浮かべる隠岐奈に勝算があるのかはなはだ疑問ではあるが隠岐奈より後手に回った今は大人しくしておくべきか。

 扇子で口元を隠し隠岐奈を出し抜く一手を思案し始めようとした瞬間だった。

 紫の視界に入ってきたのはちょうど石段を上り終えて鳥居を潜ろうとする西行寺幽々子の従者、魂魄妖夢だった。けれどその姿は酷く痛めつけられており、何より泣きべそをかいていたのである。

 その妖夢は紫たちの姿を認めると負傷した体を押して近づいてきた。

 

「ゆ、紫様……霊夢は、霊夢はいますか!?」

「妖夢、一体どうしたの? まずは傷の手当を――」

「紫様……ゆ、幽々子さまを、幽々子さまを助けてくださいッ!」

「白玉楼の亡霊姫の従者か。何があった?」

 

 隠岐奈に訊ねられた妖夢は懐から一枚の紙を取り出した。かなり古いもので色褪せてはいるがそれが何かは一目で分かった。

 博麗の巫女が記したと思われる年季の入った神札だった。

 その古さから明らかに霊夢の代ではない代物であるのは間違いない。

 妖夢は自身の傷にも目もくれず幽々子の身に起こった事を語った。

 十日ほど前の事だという。幽々子から持っているようにと一枚の神札を手渡されたのだと。その際に幽々子は気になる言葉を口にしたらしい。

 ――――近い内に私が楽しい事を始めたら博麗の巫女にその神札を見せるように。

 初めはまたいたずらでも考えているのだと思ったようだ。だが、白玉楼の幽霊たちがざわざわとし始めた頃から様子がおかしくなり妖夢の諫言も聞かずに幽霊たちを束ねて再び西行妖を咲かせる為、冥界と彼岸から春を奪う為に行動を始めたという。

 何故、という疑問よりもまるで人が変わってしまったかのような幽々子に妖夢は十日前の事を思い出しこうなる事を見越して神札を自分に預けたのだと判断した。そしてこれを博麗の巫女である霊夢に見せる事でおかしくなった幽々子自身を元に戻せるように手を打ったと思ったのだ。

 冥界の四季は豊かで春になると様々な花が咲いている。彼岸は常に花が咲き乱れている穏やかな場所だ。そんな場所から春を奪うとなれば対立相手は地獄、畜生界、場合によっては旧地獄、地霊殿まで巻き込む可能性がある。しかしそうなれば相手となって立ち塞がるのは四季映姫・ヤマザナドゥだろう。そして映姫が要請すればヘカーティアが出てくる。そうなれば亡霊である幽々子に勝ち目は全くない。ヘカーティアは容赦しない。映姫は迷わない。必要と断じれば幽々子を切り捨てる事を即座に行うはずだ。

 白黒はっきりつける能力。全く厄介な事この上ない。

 そして今。紫は動く事が――――できない。

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