偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil. 作:加賀アスナ
第30話
悪神が残した被害はしばらく尾を引いた。
各地の復興はそれなりに時間が掛かったが、それでも忙しくも充実した毎日を住人は送っていた。
その日。
博麗神社ではようやく異変解決を祝う宴会が行われる。しかし幻想郷全域、地底、地獄、月まで巻き込んだ異変の宴会だ。会場が博麗神社だけではとてもじゃないが足りなかった。
そこで紫が切れ間を繋ぎ、博麗神社、守矢神社、命蓮寺、寺子屋、白玉楼、地霊殿と六つの会場を行き来できるようにした。
博麗神社には現代から宇佐見菫子が訪れており、現代でも世界情勢が大変だったのよ、と悪神の及ぼした影響を語っていた。
アラディアとその仲間である、クリュティア・コーラル、甕星禍那、緱婉姈、六天主魔波、橘迦玖能も強制参加を強いられた。
あれからアラディアは主に博麗神社で、クリュティア・コーラルは白玉楼で、甕星禍那は守矢神社で、緱婉姈は神子の道場で、六天主魔波は命蓮寺で、橘迦玖能は摩多羅隠岐奈が後戸の国で、面倒という名の監視を行っていた。
それぞれ思う所はあるようだが、敗者として唯々諾々として従っていた。
もっとも一番従順だったのは橘迦玖能だった。生きて出て来れたら恩赦という言葉通り恩赦されたのだが、着ていた道衣は無残な様子で本人もしばらくまるで魂が抜けたかような有様だった。
今は隠岐奈に教育されているらしい。
宴会の準備を手伝わされるという雑務を押し付けられている彼女達だったがそれでも、徐々に受け入れられていく様子に少しは変わってきていた。
そんな中、博麗神社の主である博麗霊夢は人里への買い出しから神社へ帰る途中にいた。隣にはレミリア・スカーレットと十六夜咲夜が付き添っていた。
いつも通りの帰り道。
霊夢は手入れされていない雑草の生えた少し開けた場所を見るでもなく見た。
なぜか。
なぜか。いつも通りのはずなのにその場所がとても懐かしく思えた。
思わず足を止めてその場所を凝視した。
何もない。ただ雑草が生えているだけの場所。
なのに。
この場所には何かがあったような、そんな気がする。
突然止まってしまった霊夢に咲夜が怪訝そうに訊ねた。
「霊夢、そんな所に突っ立ってどうしたというの?」
「ねえ、二人とも。あんた達ってうちによく来るじゃない。ここね、何か家かなにか建ってなかった?」
「家?」
首を傾げて咲夜はレミリアを見た。
しかしレミリアも首を振る。
「廃洋館なら霧の湖の近くあるけれど、ここに家はなかったはずよ」
廃洋館はプリズムリバー三姉妹の住処である。かつてはレイラ・プリズムリバーという少女が住んでいたという。
「……廃洋館。分からないけれど、たぶん。そんな感じの屋敷があった気がする」
「あった気がするって……ここは何もなかったわよ?」
「そう、そうよね。――――私、なに言ってんのかしら? ごめん。なんか疲れてるみたい。もういいわ、行きましょう」
そう言って振り返った霊夢の顔を見て二人は目を瞠った。
「霊夢、貴方――――どうしちゃったのよ?」
思わずレミリアが駆け寄ってどうにも心ここに非ずの霊夢を揺さぶった。
何故なら霊夢は、自分でも分かっていないまま涙を流していたから。
「――――え?」
「ここで何があったの?」
咲夜にハンカチを差し出されてようやく、ようやく霊夢は自分が泣いているのだと気付いた。
止まらない涙を拭いて改めて何もない空き地を見る。
ここは――――そう。
かつて魅魔の屋敷があった場所。
けれど霊夢には分からない。微かに繋がっている記憶だけが違和感を覚えているだけだ。
でも。
ここに大事な何かがあったのだ。
「分からない。分からないけど、大事な何かがあった気がする」
そうとしか言えなかった。
だが。
「そう。じゃああったのよ。大事な何かが」
レミリアは肯定した。霊夢のあやふやな思いを。
「だって、泣く程のものがあったってことでしょ。霊夢、貴方が思い出せなくても忘れてはいけないものだって感じるから涙が溢れてきたのよ。だったら大事な何かがあった場所だって、憶えておけばいいの」
霊夢は振り返って何もない場所を眺めた。確かに何もない。ここはずっとこうだった。手入れなんてされた事がない少しだけ開けた場所。だけどレミリアの言う通り何かを感じるのだ。それは忘れてはいけないと、憶えておこうと、霊夢は思った。
涙を拭いて帰路へ付く――――と。
――――そんなんで巫女が務まるかしらね、ふふふッ。
風に紛れてふとそんな声が聞こえたような気がした。
◆
六つの会場で宴会が始まると誰も彼も陽気になる。まるで異変なんてなかったのではないかと思うほど馬鹿騒ぎが始まった。
一つ意外だったのは綿月姉妹が宴会に参加した事だ。
守矢神社の斎館でゆったり酒を楽しんでいるらしい。
もっとも地上へ降りた名目は異変のその後の実地調査という事になっているが。
月の使者すら参加している宴会でたった一人だけ会場に足を運んでいない者がいた。
血の池地獄に佇む饕餮尤魔だった。
彼女は今回の亡者の反乱で血の池地獄により怨嗟を溜める事ができた。振り返れば多くの事が起こったがしっかりと利を得ることが出来たのだ。彼女はそれで満足だった。
――――が。
おせっかいな秘神がわざわざ酒瓶を手にやってきた。
「顔を見せないと思ったらやはりここか」
「どこにいようが私の勝手だろ」
「なに、今回の異変は多くの者が巻き込まれた。それは饕餮、お前も例外ではない。だから、こうして労ってやろうと思ってな」
徳利を示し、一杯どうだと誘ってくる。
その為にわざわざやってくるこの秘神は相変わらずだ。
だが、労いを掛けてくれるのならそれを無為に扱うほど饕餮は礼を知らない訳ではない。
「クックック。モノ好きだ。だがタダでくれるのなら貰ってやる」
「もちろん金を払えとは言わないさ。純粋に勝利の美酒を味わおうではないか」
「最高に気持ち悪い誘い文句だ。さっさとその酒瓶を寄越しな」
隠岐奈から徳利を受け取ると一気に呷る。
何の変哲もない酒ではあるが、なぜか妙に酔いしれる美味さがある。
――――なるほど。これは勝利という味わいか。
秘神が持ってきた美酒とは勝利の味だったのだ。
この酒なら飲む価値があったな、と饕餮は満足した。
◆
白玉楼の縁側で西行寺幽々子と八雲紫はゆったりと酒を味わっていた。庭には野点めいた席が用意されている。
毛氈が敷かれ四季映姫、ヘカーティアを始め、伊吹萃香や庭渡久侘歌の姿もある。
地獄全域で戦った者達が主に集まっていた。
酒だけではなく宴に相応しい食事も提供されている。
賑やかな宴会の中、紫は悪神が異変を起こす前にいつかこうやって幽々子と並んで話をした事を思い返していた。
思えば。
幽々子はあの時に何かを感じ取っていたのだろうか。
何気なく訊ねてみると彼女は普段通りに答えた。
「別に感じた訳じゃないの。ただ、そうね。昔に妖忌がそんなことを言っていたのよ。悪を斬ることは善を斬る事でもあるって、そんな感じの事を言ってたわ。真実は斬って知る、それは本質を見る事だと私は思ってたのだけどね」
「――――そう」
幽々子の言葉からすると彼女は妖忌の教えを彼女なりに解釈して学んだらしい。
「ただ、清浄であろうとすることで斬れるものが見えると言っていたから私はこれをずっと持ってたのよ」
そう言って幽々子は天冠付きのフリルの帽子を脱ぐとそれを見せてきた。
中には博麗の神札が入っていた。
「貴方、これ――――」
「閻魔様には悪意汚染されてなかった事がバレちゃったけれどね」
てへ、と舌を出して笑う彼女は悪戯がバレてしまった少女みたいだった。
「ちょっと前から神札が効力を発揮しているなぁって思ってたから貴方にもあげたのよ」
「え?」
「ほら、花柄の刺繍の付いた巾着袋をあげたじゃない。あの中に博麗の神札が入ってたのよ」
「――――え?」
思わず懐から取り出す。
以前もらった時と同じ。何も入っていないように見える巾着袋。
そういえば中は一度も見ていない。そもそもあの時は眠たくてそのまま確認をすることなく寝てしまったのだ。
恐る恐る中身を見ると、確かに。博麗の神札が入っていた。
だからこそ。
だからこそ紫は自身が汚染されることがなかったのだと初めて気づいた。
隣で三色団子を頬張る親友へ顔を向ける。
幽々子は誰よりも先に汚染対策をしており、紫もその恩恵を受けていたのだと。
大きな、大きな溜息を吐いた。吐かざるをえなかった。
こののほほんとした親友は時に己の考えを軽々と超えていく。
心から友達でいてよかったと思った。
「ねえ。幽々子」
「ん、なあに?」
「――――ありがとう」
礼を言うと親友は少し驚いてから笑顔で言った。
「どういたしまして」
と。
宴会はまだ続く。
各会場を切れ間で覗くとどこも楽し気で賑やかだ。
紫は思う。
この光景がいつまでも続いてくれますように、と。
了。