偽書 第18.8弾 東方禍福宴~The world of justice and evil. 作:加賀アスナ
第5話
因幡てゐが妖怪の山の麓へ辿り着いた時、竹林から黒煙がもうもうと上がっていた。しかし今のてゐはそれどころではなかった。あの気配が語ったダイコク様の真実を山の神に確かめねばならない。
てゐの後には妹紅の炎から逃げてきた兎たちがついて来ていた。てゐとしては牽引してきたわけではなかった。炎に巻かれる前に竹林から脱出できたことは不幸中の幸いでたまたま自分の後を追ってきただけに過ぎない。けれどその数は少ないというには多く妖怪の山の天狗たちがてゐ達を警戒しているのが読み取れた。それでもてゐは危害を加える為に来たわけではない。ただ山の神に会いに来たのだ。索道を使えば目立ってしまう。となれば獣道を通るしかない。意を決しててゐは山を登り始めた。
◆
竹林の兎が山に入った。人里を挟んで反対側にある妖怪の山へわざわざ何用か、と天狗たちは考えていた。
飯綱丸龍もその一人だった。山の中空から山へ入る兎を眺めている。
彼女は天狗社会を維持する役割を受け持っており、山での平和維持も担っている。比較的最近では山頂へ守矢の神が越してきたが聞けば穏便に協力できる相手だった為、大天狗である天魔の元、山で受け入れる事がすんなりと決まった。神と天魔の間でどういうやり取りがあったかは知らされていないが、かつての上司である鬼より強力な神々といえど交渉ができる分やりやすい。鬼の時代は思い出したくない。
そもそも山を実質運営してきたのは天狗なのだ、という自負がある。確かに守矢の神には降雨であるとか土壌改良であるとか五穀豊穣のお陰で秋の実入りは非常に良かったし狩猟や商売も上がったのは事実で飯綱丸の部下が結婚した際も無事安産に恵まれたという実に妬ましい神徳を受けている。
とかく、上手くやってきたのは我々天狗であり山に仇名すものは全力をもって排除しなければならない。
そんな彼女の周りに不穏な気配が集まりつつある。目には見えないものの確実の近くに何かが存在する、そんな気配だ。
振り返ってみるものの何もいない。
「――――なんだ?」
「飯綱丸龍だな?」
「誰だ? 姿を見せないとは失礼な奴め」
「そんな事はどうでもいいのだ。それより竹林の兎がこの山へ侵入してきているぞ。いいのか?」
「兎など恐れるに足らぬ存在よ」
「それが山の調査だとしてもか?」
「――――は?」
この気配は一体なにを言い出すのだ。兎が山を調査など一体何のために。
「それでも大天狗か。そんなだから鳥頭と言われるのだよ。全く虹龍洞での一件といい、君は肝心なところでしくじるのだ。君ではなく射命丸文に言うべきだったな。アレの方がまだ優秀だ」
「な、な、な……」
射命丸文は天狗の社会階級では彼女の部下に当たる。確かに交友の範囲なら文は多方面に顔が聞く。それは飯綱丸も認めるところではある。
しかし。天狗社会における飯綱丸は中間管理職のようなもので長である天魔の元、いかに山の運営を行うかが主な仕事である。その中には部下への指示や調整も入っている。そもそも文が比較的自由が利くのは飯綱丸が調整や指示の為に時間を割いているのに対し文が属している報道部門は取材の時間が設けられている為だ。天狗の新聞発行業務には締切があるが裁量は個人に任されている部分が多い。それは発行部数より発行紙数が重要視されているためだ。文や姫海棠はたてなど記者の役割を与えられている者は独自の分野で新聞を発行している。内容が偏っているのはその為だ。
個人で文々。新聞まで発行している文や花果子念報を発行しているはたてにしては非常に趣味と実益を兼ねた素晴らしい職場でもある。
天狗の上層部、そして長の天魔との交渉、連絡、それから部下への指示と上下からの橋渡しを行わなければならない飯綱丸からすればいくら身分が上とはいえやるべき事は圧倒的に多い。それをどこの誰だか分からない、姿さえ見せないものから部下の方がいいなどと言われる筋合いはない。にも拘わらずこの図々しい気配は続ける。
「そもそも虹龍洞の一件も君は本当に天狗の為に行ったことなのか甚だ疑問である。君は友人である姫虫百々世に龍珠を掘らせ、あまつさえ市場の神である天弓千亦を利用し暴利を貪っていたではないか。天狗の為ではなく君自身が私腹を肥やす為だったのでないのか」
「お、お、お前……! どこの誰だか知らないが私が大天狗だと知った上で……」
「ふん。山が竹林の兎に調査されているというのに暢気にしているからだ。鬼ならばこうはいかなかっただろうに。やはり天狗では駄目か。伊吹童子か星熊童子に伝えるべきか。妖怪の総本山であるこの山の惨状を見ればさぞ嘆くに違いない」
「ちょ、ちょっと待って、どうして萃香様と勇儀様に…………」
「君では話にならないな。竹林を見てみろ」
「へ?」
竹林からもうもうと黒煙が上がっている。竹林には案内人と呼ばれる火を使う者がいたはずだ。名前は確か藤原妹紅とかいったか。
「どうして兎共が人里を挟んだこの山までわざわざ出向いていると思う? 竹林にはあの通り火を扱う者がいる。あの案内人は永遠亭の姫と敵対しているようだ。今もこうして衝突している。そもそも永遠亭はこの幻想郷においてさらに結界を張り自らを隠そうとしていた者どもだ。だが居場所が割れた今、ああして案内人から命を狙われている訳だ。隠れる事が難しいのであればもとより寄り付く事が難しい場所へ居を移せばいい。この妖怪の山の高所辺りは常人では登る事は厳しい場所だ。兎共を使い新たな住居となる場所を探っているのだ」
「なんだと?」
「山を割譲しろと迫るだろうな。そうなる前に兎を捕らえるように言いに来たのだがな。大天狗がこれではな。山は永遠亭へ譲った方がいいのかもしれない」
「そんな馬鹿な。我らに挑むというのか? ここは天狗の領域だぞ?」
「ならばそう思っておくがいい。言っただろう、割譲を迫ると。永遠亭の者どもは元は月の民。今は兎だからいいが姫と従者が乗り込んでくれば戦いになる事無く降伏を迫られるだろう。拒めば天狗の半数は見せしめに殺されるはずだ。何せ八意永琳は同じ月の使者を姫の為に皆殺しにした過去があるからな。今の内に釘を刺しておくべきだと思ったのだが。君がその体たらくでは鬼の築いた妖怪の山は天狗の代で終わりか。嘆かわしい事だ」
「ま、待て。分かった、分かったから萃香様と勇儀様にはくれぐれもこの失態は伏せておいてくれ。それと天魔様にもだ。あの方は守矢の神との交渉でお疲れなんだ。ここは私が責任をもって永遠亭と話をつける。分かったな?」
「お手並み拝見といこう。飯綱丸龍。虹龍洞の一件を挽回するいい機会だ」
「言っていろ! 私は大天狗の飯綱丸龍だぞ。山を守るのは我々の役目だ!」
気配を振り切って飯綱丸はさらに上昇した場所に陣取る。
「全鴉天狗に告ぐ! 山への侵入者である兎共を全て捕らえろ! 急げ!」
飯綱丸は姿なき気配へ視線を向ける。
「どこの誰だか知らないが、我々を侮ってもらっては困る。そこで見ていろ。ここは我々の山だ!」
そう言い切り飯綱丸は飛び立っていく。残された姿なき気配は嗤っていた。悍ましい嗤いを。
「愉しみだ。実に実に愉しみだ! 混沌とする世界こそ悪の体現に相応しい!」
誰にも聞こえる事のない嗤いが消えていく。気配はもういなかった。
そして。天狗による兎狩りが始まった。だがその連絡が長である天魔へ届くことはなかった。
◆
鴉天狗が慌ただしく飛び出していくのを守矢神社の境内で天魔は見ていた。少しばかり不審に思ったが重大な事であれば自分へ連絡が来るはずだ。ないのであればまた何か催し物でも始めるつもりだろう。
天魔がそう考えている時に八坂神奈子は上社本宮にいる守矢神社のもう一柱である洩矢諏訪子と顔を突き合わせていた。
「諏訪子。外の様子、私より先に気づいていたんじゃない?」
諏訪子を見る神奈子の表情は硬い。相対する諏訪子はばつが悪そうにかゆくもない頬をかく。
「まあ、ねぇ。私は祟り神でもあるからさ。比較的早く気づいていたんだけど私は相性が悪いから」
「じゃあ外に充満しているのはやはり悪意で間違いないのね?」
「断定してもいいよ。どうしてこうなったかまでは分からないけどね。だけど悪意に汚染されちゃったら――――」
「善意と悪意。人は悪意に靡く事が多い。耳障りのいい言葉は時に人を迷わせる」
「そして悪意に心を掴まれた者は罪を犯す」
「――――拙いわね」
「そう拙いんだ」
二人の間に沈黙が流れる。理由は分からないし原因が何かも不明ではあるが幻想郷には今、悪意が広がっている。神である二人は神性により不浄に属する悪意を祓い清浄に意識を保っていた。
悪意を祓う事はできる。厳密には悪意は悪意であり邪気は邪気であるので異なるが長じて不浄にも通じる。それ故に祓える。
祝詞に祓詞がある。罪、穢を浄化するものだ。中には大祓と呼ばれるアマツツミとクニツツミと呼ばれる神々の罪さえ消滅させる非常に強力な禊祓もある。
試した事はないが不老不死を実現した蓬莱人にも通用するのでは、と神奈子は一時考えていた。だが仮に蓬莱人へ使用した際に通用した場合、とんでもない事が起きると推測した。蓬莱人の不老不死は魂に附随している。人としての規格で見た場合、明らかな規格外となっている蓬莱人はその魂に罪を背負っている事になる。つまり罪である故に不老不死なのだ。そうであるならば罪を消滅させた場合、どうなるか。その場で不老不死のみが消え去るか、あるいは本来の寿命を超えている為、その場で肉体ごと昇天するか。それらならまだいいのだ。
一番の問題は要するに祓とは、罪に対してここは貴方の居場所ではない、あるべき所へ行け、という事なのだ。それは世界の方が罪を抱える魂を拒絶することに他ならない。言うなれば生きている世界そのものが貴方の存在を認めないので地獄へ行ってくださいというようなことなのだ。
ならば不老不死という罪を犯した者を祓えたとしたらとんでもない事になるのだ。
罪の重さから落獄するのは間違いないだろう。だがこの場合祓によって強制的に罪を浄化するわけだから閻魔である四季映姫の裁定を素っ飛ばし問答無用で地獄へ落とすわけだ。生きながら地獄に落とす荒業だ。だが不老不死である事とその罪の魂を祓う事と結果として地獄へ落ちる事は矛盾しないのだ。生きる世界が存在を拒絶するだけ、こちらは満員なので地獄という新たな環境に強制移住となるようなものだ。
が、問題は四季映姫の職務に抵触する事である。幻想郷において閻魔の裁定を無視した落獄など認められるはずがない。そして映姫がそんな事を仕出かした者にペナルティを与えないはずがない。
彼女の言葉を借りるなら圧倒的な黒。真っ黒どころか暗黒だ。
四季映姫のペナルティなど考えたくもない。いやそれどころかヘカーティアが出てくる可能性もある。
紆余曲折あってスサノオを祖に持つ神奈子だが祖であるスサノオはやりたい放題した挙句、天を追放されるという罰を受けている。
幻想郷からの追放など考える限り最悪の末路だ。互いの領分を犯すべきではない、と神奈子は結論付けたのだが。
今回の悪意に対して直接神奈子が出張っていいものか、やや躊躇う部分はある。彼女の巫女である風祝の東風谷早苗がいれば早苗に動いてもらったものの、その巫女は人里に出向いている。上白沢慧音が教師を務める寺子屋の手伝いをしていたはずだ。
神奈子は立ち上がると外へと向かう。その背に諏訪子は言葉を掛ける。
「どうするつもり?」
「どうもこうもないでしょう。悪意は不浄。不浄は浄化し清浄にしなくてはならない。清浄が保たれている場所で開かれているのはうちか博麗神社くらいだわ。事情を説明して避難してもらうしかない」
「信じてくれると思う?」
「――――だとしてもやらないよりはマシよ、違う?」
「まあ、そうだねぇ」
「四の五の言ってられる状況じゃないのは分かってるはずよ。私達が出張るしかない」
「仕方ないねぇ」
言いながら諏訪子も気だるげに腰を上げる。
「避難もいいけど。祟り神からありがたい助言があるんだけど聞く?」
「――――もったいぶって。何よ?」
「うちに避難するまでに悪意に汚染されちゃったら後々面倒だからね。祓をしないといけないし。だ、か、ら――――」
喋りながら諏訪子は奥の和室へ消えていく。それから、何やらぶつぶつと呟きながら箪笥を開け閉めしたり戸棚を探っているようだ。ここでもない、どこに閉まったかな、などと聞こえてくる。全く何をやっているのか。嘆息して神奈子は諏訪子の元へ向かう。祭事に使う諸々の道具類や服が散らかっており、既に酷い有様だった。
「諏訪子。一体何を探してるのよ? これ誰が片づけると思ってるの?」
「まあまあ。絶対良いものだからさ。大体こういうのは私の領分じゃないんだし。元は神奈子が作らせたものだったはずだけど幻想郷だと需要がないから片付けたんだよね確か。みんな幸福開運とか商売繁盛とか金運上昇とかさ、そんなのばっかりだし……と。あったあった」
箪笥の奥から取り出したのは年季の入った桐箱で樟脳の匂いが鼻孔を掠める。やや埃を被ってはいるが中は大丈夫だろう。
はて、これは何を入れたのだったか。神奈子は心当たりがなかった。となると早苗が片づけたものだろう。
諏訪子が箱を開けると、
「ほいっと。これは良い物だよねぇ。ちゃんと覚えてた諏訪子様を褒めて欲しいねぇ」
中に納まっていたのは除災安全、魔除けの御守りと神札だった。丁寧に拵えた守袋は神奈子と諏訪子の霊威を表しており分霊してある内符が入っている。非常に貴重なものだった。霊威の刺繍は早苗が一つ一つ手作業で行った唯一無二の逸品たちである。また神札の達筆な文字も早苗が全て手書きで記したものであり守矢の図像が描かれ霊威を表している。
「神札も御守りも分霊が宿ってるから持ってるだけでも効果覿面だよ。神の御加護ってやつだね」
守矢神社の授与品の中で一番人気がなかったのがこの魔除けの御守りと神札であった。意外ではあるものの幻想郷での生活に馴染むにつれて魔除けがあまり必要ではない事も次第に分かったのである。そもそもが妖怪と人間の共存の世界であるので人気がなかったのは必然とも言える。それに人里で何かあれば博麗の巫女に頼めばいい、そういった風潮が後押ししていた。その結果、授与品の種別からこの魔除けの御守りと神札だけが箪笥で眠る事になったのだ。一番手の掛かっている御守りにして一番貴重な分霊してある御守りと神札でもあったこれは悲しくも需要がなかった。
この貴重な御守りは幻想郷で実に四人しかもっていない。
一人目は巫女の東風谷早苗。
二人目は河童の河城にとり。
三人目は地霊殿の霊烏路空。
四人目は意外にも博麗霊夢。
早苗は持っていて当然ではあるが、にとりと空は授けた経緯を辿るなら強引に渡した部類に入る。
にとりは山の技術屋として協力関係にある。その際に何かあったときの為にと渡したのだ。もっともにとりの方はタダならもらっておくという感じではあったのだが。
空に関しては八咫烏を宿した際に監視と空の安全を兼ねて無理矢理持たせたものだ。興味のない事には致命的に記憶力がない空にいいものだから絶対に持っておくように、とどうにか言い含めて所持してもらっている。今の空はいいものという印象しかおそらく記憶になく、いいものだからという理由で主であるさとりへ何度か渡ったことがある。さとりには事情を説明し必ず空が持つようにしてくれ、と伝えてある。お陰で現在は空が持っている。
霊夢が御守りを持っているのは分社を博麗神社へ置いた際に早苗が渡したからだ。神奈子としては霊夢には主神の博麗神の加護があるため一歩引いて補佐する程度に留めている。もっとも万が一霊夢の生命を脅かす事態になった際には博麗神と協力し全力をもって対応すると決めてあるのだが。
御守りはその手間暇からそもそも十五体、神札は十体しか奉製しておらず御守りの四体は既に渡してあるので残りは神札と合わせて二十一体しかない。つまり二十一人までしか悪意から守る事ができない。
一体は天魔に渡しておく必要がある。天狗の長が悪意に汚染されては困る。では残りはどうするべきか。誰に渡しておくのが最善であろうか。
神札は神棚のある家に置けば家自体を守る事になるので個人で持つよりはるかに多くの者を汚染から防げはするのだが。
天狗たちの動きを見るに半数は汚染されていると見ていい。この様子では人里も似たようなものだろう。
諏訪子と神奈子はどうするべきかと即断を迫られていた。
――――と。
二人の思考に閃光のような信号が走る。
二社四宮の内、下社秋宮に不浄が持ち込まれた。既に浄化が始まっているが凄まじい邪気である。
「私が行く。諏訪子は天魔に説明をお願い」
「分かった。そっちは任せるよ」
瞬間、神奈子の姿が空間へ溶けるように消える。上社本宮から下社秋宮へ移動したのである。
神奈子が消えたのと同じく諏訪子は天魔に状況を説明するべく境内へ向かった。