頑張りとは、報われるべき願いである   作:ババネロ

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かわいそうはかわいい


Area-25「幕間 #残された者 #悪者 #凡人」

「委員長。その百鬼夜行の巻物が先ほど先生からお話のあった」

 

「大予言者クズノハ、百鬼夜行の伝説上の人物からもたらされた巻物ですよ、シミコ」

 

「………古文書……ではないですよね」

 

「信じられないことにこの子は本当に、つい最近生まれたみたいです」

 

 ミレニアムのエリドゥで宇宙船出航準備が進む中、トリニティ総合学園内の古書館内では百鬼夜行の大予言者クズノハから“数時間前”に入手したという巻物を手にしていたのは、図書委員会の委員長、古関ウイだった。彼女の傍には補佐としてシミコも控えている。

 

 古書館内は通常整頓されているところ、色彩の襲来によって情報をかき集め、ミレニアムへ提供などを行っていたため、多数の本が未だ広げられていた。

 

 ある程度色彩に対しての情報収集が落ち着きを見せ、敵の本拠地への最終攻撃をかけることが決まった以上、ウイの役目はほとんど終わったも同然であり、休憩を取ろうとしていた。

 

 が、目の前の巻物が突如現れた忍者によって先生のメッセージと共に渡されたのだ。

 

「百鬼夜行、本当に忍者いたんですねー…」

 

 シミコは音もなくいきなり現れた忍者というにはあまりにも明るく愛らしかったイズナもはや乾いた笑いを浮かべるしかなかった。一体どういう速度で移動してきたのかわけもわからず、本人は「避雷針の術です!」などと言っていたが、シミコは意味がわからなかった。

 

 ウイも突如として部外者に侵入されたことに怒りを覚えたものの、そんなことは渡された巻物と、伝説──歴史上の人物直筆の、それも“ついさっき”書かれたものとなればどうでもよかった。

 

「シミコ。歴史上、百鬼夜行に忍者は実在してます。なんでか数十年前に表舞台から姿を消してますけど」

 

「そうなんですか?」

 

「禁書棚にどういうわけか百鬼夜行の内部文書があるんですが、それに記載がありました」

 

「……委員長、ほんとにそんなものあるんですか」

 

「本当にヤバいのは禁書棚の奥の奥にありますよ。シミコにはいずれ教えようと思ってましたけど」

 

 他校の、それも恐らくは生徒会相当の組織が持っているはずの内部文書が何故トリニティにあるのかシミコは理解できなかったが、歴史のある自治区では諜報に特化した組織の一つや二つあるのが当たり前であり、そういった組織が非合法の手段で入手したことはシミコでも容易に想像がついた。

 

「まぁ、あそこの歴史のことは一旦置いておきましょう。今は先生からのお願いへの対応が先です」

 

「そうですね。でも、先生から頼まれたのって」

 

「“反転”した生徒を戻す方法です」

 

 ウイは今一度巻物の内容に目を落とす。事前に先生から伝えられた内容の通り、そこに書かれていたのは“反転”した生徒を戻す方法ない。それでもなお、どうにかしたいのならクズノハの下へ来いというもの。

 

「(先生には悪いですが……過去に見た資料からこのテのは不可逆が多い……おそらく、この古書館だけでは知見が足りない)」

 

 調べても無駄になる可能性が高いとウイはわかりながらも、先生からの依頼を無下にはできないと手を止めようとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

『委員長。自治区内でも“色彩”に感化されたものは消えました』

 

「そう。チナツ、悪いわね。任せてしまって」

 

『いいえ。アコ行政官も行かれましたし』

 

「そうね」

 

『……よろしかったのですか?』

 

「なにが?」

 

『委員長の方が──』

 

「あの子はきっと耐えられないから」

 

 ヒナは静けさを取り戻した廃遊園地から空を見上げる。赤から青に戻り、その先はもっと深い蒼がある。その向こうに先生は行くという話を聞いた時は何かの冗談かとヒナは思ったが、事実、敵は空の向こうにいるという。

 

 先生の身の安全を考えれば、一度守りきれなかったこともありヒナは宇宙行きに志願しようとも考えたが、ホシノなどの強者も同行し、先生の警護としてRABBIT小隊も参加すると聞いてヒナは地上に残ることを選択した。

 

 それに何より……先生の身を強く案じている身近な生徒に今回は譲っていた。

 

「アコは心配性だから。きっと傍にいた方が全力を発揮できると思う」

 

『それは委員長に対しても同じではないでしょうか』

 

「春先はそうだったかもしれない。でも今は」

 

『それでお譲りに?』

 

「チナツ」

 

『すいません。つい、明け透けに』

 

「心配?」

 

『……はい。私も心配です』

 

「私もよ。けれど、今は信じて待つこと。それが私たちにできること。アコはきっとそれができないから。だから行かせた。それだけ」

 

 顔を合わせれば皮肉に暴言、そのうえ素直でない。しかし、実態は誰よりも愛に飢えて愛が深い少女のことをヒナはよく見ていた。この難局で天雨アコという少女の力を持て余すことなどできず、最大限に発揮させるのであれば先生と共に宇宙へ向かわせる。

 

 一人の恋する少女ではなく、ゲヘナ風紀委員委員長として感情を抜きにした判断と、後輩のことを想う先輩としての心遣いが合致した結果が、アコの宇宙行きだった。

 

「引き続き風紀委員会の指揮はお願い」

 

『了解しました。委員長もお気をつけて』

 

「えぇ」

 

 通信が切れ、ヒナは視線を空から戻す。戻せば少し離れたところからユキノが歩いてヒナのもとへと向かっている姿が見えた。

 

「お疲れ様です。空崎委員長」

 

「そちらこそ。SRTの力、噂以上だったわ」

 

「ありがとうございます。少しはお役に立てたようであれば嬉しいです」

 

 廃遊園地での虚妄のサンクトゥム攻略戦は簡単ではなかった。ヒナは対峙した幾つもの着ぐるみを元にした敵を思い返す。ネズミとカラスを模した着ぐるみもいれば、クマやウサギを模した兵隊のように凄まじい数の着ぐるみの軍団。それらを押し除けて最後に待っていたのはマジシャンのような格好をした猫の着ぐるみ。

 

 アトラクションのように倒すにはギミックの理解が必要であり、ヒナ一人では効率的に対処できなかったところをゲーム開発部の生徒たちによる柔軟な発想、それらを即座に理解し実行したSRTの生徒たちの行動力。

 

 お世辞ではなく本気でヒナは彼女たちに感心していた。

 

「七度隊長。あなたは、草鞋野さんの手解きを受けたことがあるのよね」

 

「……?はい。我々も草鞋野会長の戦技を一部会得しています」

 

「そう。………なら、よければだけれど、彼女はどんな人なのか教えて欲しい」

 

「それはどういう」

 

「純粋な興味よ。ゲヘナの治安を預かるものとして、自治区外の暴れるゲヘナ生を抑えた彼女に感謝しているけれど、知らないから」

 

 火の七日間と呼ばれる無法なゲヘナ生を震え上がらせたD.U.での熾烈な取り締まり。当時諜報部だったヒナは例外なく、容赦無く、全てを取り除いて見せたその強さを知り、草鞋野エリカという生徒に警戒ではなくまずは敬意を持った。

 

 ユキノはヒナに問われ、答えるべきか内心迷った。虚妄のサンクトゥム攻略戦を通し、ユキノは強大な力を持ちながらこのキヴォトスでは類稀なる理性と道徳を持ち合わせたヒナという存在が、逆に信じ切れていなかった。

 

 ゲヘナに対してのイメージはユキノであってもいいものではない。だが、作戦前に気を落とすニコやミヤコを気遣った言葉に嘘は感じられず、よりそれが空崎ヒナという存在が虚像なのではないかと思わせる。

 

 それでもユキノは作戦前に感じたヒナへの印象を覆すことにはならず、迷いはしたものの、話すことを決めた。

 

「一言で言えば、草鞋野会長は正義の道理を知る方……でしょうか」

 

「正義の道理?」

 

「正義とは、正当なる権限のもとに行使されるべき権利である……草鞋野会長から私たちに頂いた言葉です」

 

「なるほど。自分たちが悪であっても、そういうことかしら」

 

 ユキノは一瞬で言葉の本質を捉えたヒナに目を見開き、頷く。

 

「分かるのですね……流石です」

 

 合っていた。ヒナはそう思った。世辞ではなく素直なユキノからの賞賛にヒナは少し照れを感じつつも、草鞋野エリカという人物がユキノから語られた言葉だけである程度、わかったような気がした。

 

「熾烈な人なのね」

 

「はい」

 

「………正しいことをすると、人は酔うもの。倒すべき相手を悪として、その正義を踏み躙ることはどんなものよりも甘く感じる」

 

 表情は変わらず、幼なげな声とは裏腹に鉛のように重く圧されるような感覚にユキノは体を強張らせた。ヒナが威圧などをしたわけでもなく、ユキノが感じたのは空崎ヒナという目の前の少女が持つ、誰かと似た強さだった。

 

「その甘過ぎる毒に浸からない。力を持つ者として、誰かの信じる正義のために自ら悪とわかりながら力を振るえる人。そういう人なのね、きっと」

 

 ヒナは、らしくなく多弁になる自身を抑えることができなかった。ゲヘナというキヴォトスでも屈指の制御不能な自治区の中で絶対に等しい力を振るう者として、ユキノの語る心構えは確かに心の中にまで届いていた。

 

「(そう……だから、あの人が……先生が、心配になるのね)」

 

 最近は目の離せない生徒がいるんだ、ずっとね──そんな言葉をヒナは先生から聞いたことがある。そうしたくても、その生徒が責任感もあって、大人のように振る舞うこともできる。頼ってはいけないのに、頼りにしてしまう。守ってあげなくてはいけない子なのに。

 

 苦悩にも似た、先生の数々の言葉を、ヒナは憶えている。

 

 それが、草鞋野エリカということはとっくにヒナも気が付いている。

 

「……ごめんなさい。心配をしている理由がわかったわ。彼女は誰かが隣にいなくてはならないのね」

 

「はい。ですが、今回はその隣にいてくれる方がいます。どこまでも行ってしまう会長を、先輩を引き留めてくれる方が」

 

 それが誰なのかをヒナは聞かない。聞く気もない。もう十二分に、草鞋野エリカのことは聞けたのだから。

 

「ありがとう、七度さん。教えてくれて」

 

「いえ、お気になさらず。私も、空崎委員長が草鞋野会長を理解してくださり、嬉しいです」

 

 一度、会って話をしてみよう。ヒナは草鞋野エリカとも、笑顔を交わせると直感した。

 

 

 

 

 

 

 

「スケールが大きすぎて話についていけないですね」

 

 ミカが仮眠中で、誰もいないシャーレのオフィスの中、先生やエリカに加えてリンなども宇宙へ行くため、結果的に防衛室長という立場からシャーレの執務室で待機となったカヤはモモトークで好きに飲んでいいと言われた備え付けのコーヒーカップを片手に、執務室で現在唯一誰の席でもないデスクに着いた。

 

 背に差し込む陽の光はとてもこれから世界の命運を賭けた戦いが始まるとは思えないほど暖かく、連れ攫われ更に夜通しの行軍、救援の手配など防衛室長としてカヤが初めて行った様々な仕事の疲れに沁みていた。

 

 口にしたコーヒーはカヤの好みに合うもので、眠気を覚ましつつも、同じく安らぎを与え、彼女は椅子に深く背を預ける。

 

「………………クーデターですか」

 

 今現在の危機の発端とも言えるカイザーPMCの一部によるクーデター。カヤはそのクーデターのやり口が──本来はカヤが計画をしていたはずのものであったことに気がついていた。

 

 リンを罷免し、権限を奪取し、サンクトゥムタワーを掌握することで連邦生徒会長として君臨する。超人であるカヤが本来座るべき席に座る。今回立ったのはカイザーであったが、そこに至るまでの過程はカヤが考えていた計画であり、外部には除けないはずのカヤのPC内部に仔細は隠されていた。

 

 しかし、事実として計画はカヤを置き去りに、否、カヤをも排除する形で実行に移された。その手引きをしたもの。本来であればカヤがいるはずの場所に立っていたのは、カヤの指示には従っていたはずの防衛次長。

 

「何故彼女があんな真似を……仕事以外には興味がないと言わんばかりに静かな方だったのですが」

 

 カヤから見た防衛次長はカヤからの指示に異を唱えることもなく、指示を忠実に、素早くこなす前防衛室長時代からの古株だ。残された引き継ぎ書からして、カヤの前の防衛室長は防衛次長とはウマが合っていたのだろうとは考えていたが、まさかカヤ自身を追放するなど思ってもみなかった。

 

 ここまできて、カヤの中に小さくとも確かなヒビが心の中に出来始めていた。

 

 それは今まで信じて疑わなかったカヤ自らが失踪した連邦生徒会長に代わる超人であること。

 

「私は、何をできたのでしょうか」

 

 エデン条約事件から始まったとも言える本格的なキヴォトス内での様々な事件。それらの中で、カヤのおかげで収束したものはなかった。以前のカヤであれば、シャーレを逆恨みし、より先鋭化していたがそうはならなかった。

 

 脇腹を貫かれミレニアムへと担ぎ込まれ、意識を失い、青白い顔で血に濡れた草鞋野エリカの姿を見た時、カヤはどこかで自身は超人と言うには力があまりにもないと、考えないようにしていたが何かある度に頭を過っていた。

 

 防衛室の生徒たちは業務に対して真摯で、カヤを前にしても全員顔色を窺うこともなかった。それがただ、カヤを信用も信頼も、敬うこともなくただ仕事だと割り切られていたことに彼女は嫌でも今、気が付かされている。

 

「私は………私は…………防衛室長、そのはず、なのに」

 

 カヤには何も、なかった。ただ、自身が超人であると、優秀で、何もかも、自分の手の内にあるべきで、リンよりも優れた指導者になれると信じて疑わず、時が来ればサンクトゥムタワーの頂点からキヴォトス全てを見下ろせるのだと思っていた。

 

 それが全て、ただの妄想であり、自身がそうなろうと行き着いた先がどうなるか、カヤは“勝者側”から見ることができた。

 

「………私は、何もできない。だから、ここにいる」

 

 リンのように責任を以て非情を成せるか?否。

 

 アユムのように公平かつ明朗に判断を下せるか?否。

 

 モモカのように臨機応変に対応させ、結果全てを背負えるか?否。

 

 アオイのように私情なく追求をできるか?否。

 

「できない。私には、できない。私は、私は………」

 

 胃の奥から迫り上がるような気持ち悪さと共に、カヤの中にあった本音がどろりと出てくる。

 

「私は………私は………超人では、ないから」

 

 粘度の高い水音が執務室内に響く。同時に、嗚咽が静かに奏でられる。

 

「はぁっ、はっ、はっ……うぅ、うう……ぁぁぁ…………」

 

 カヤの出番は終わった。それが引き金となり、確実に彼女の中にあったはずの柱はそれが虚妄だったかのように消え去った。不知火カヤは──超人ではない。それが現実であり、カヤが理解してしまった自身だった。

 

「嫌だ、嫌だぁ………私は、ちょうじん、そうじゃないと……私は、なにもの、でも」

 

「うわゲロくさ………って、誰?」

 

「ぇ?」

 

 執務室に併設された仮眠室も兼ねている休憩所から寝ていたはずのミカが出てきた。カヤは固まった。こんな無様な姿を、誰かに見られてしまったことに。

 

「………大丈夫?」

 

 呆然とするカヤに、ミカは声をかける。先生とエリカが地上からいなくなるからこそ、今シャーレにいるのはミカだけであり、二人から預けられたものを感情に任せて放棄などしない。

 

 シャーレに加入する事を決めた日からミカの中に息づく言葉が、そうさせていた。

 

 

 

──私たちは、生徒の味方だよ。もちろん、ミカの味方でもあるよ、って。

 

──ねぇ、ミカさん。

 

──なに?

 

──その私たちに、今はあなたも入っているんだよ。

 

 

 

 ミカがカヤに歩み寄り、優しく屈む。先生や、エリカなら泣いている生徒を前に何をできるのか考えながら。

 

「確か、連邦生徒会の防衛室長さんだよね?大丈夫?」

 

「…………………」

 

 カヤはミカから目を逸らす。ミカのことをカヤは一方的に知っている。トリニティの生徒会長の一人でありながら、体制転覆を狙った末に敗北した生徒──ミカがそこまで行き着くまでの過程をよく知らずにカヤはそのように憶えていた。

 

 そんな相手から受ける印象はとてもそのような反骨的なものではなく、抜群に愛らしい容姿と背にある純白の羽根が演出する天が遣わせた天使のような柔らかさだった。

 

 それをまともに受け入れれば最後、カヤはもうこの場にいられないとも思い、直視ができなかった。

 

 沈黙するカヤに、ミカはカヤと彼女の周囲を見る。本当に急な嘔吐だったのか、カヤの口元にも汚れはつき、慌てて吐瀉先に選んだ誰のものでもないゴミ箱の惨状はよく見なくても明らかだった。

 

 ミカはカヤのことをよくは知らない。だが、直感的にカヤは今の姿を誰にも見られたくなく、ミカと同じ空間にいることを耐えられないとわかっていた。

 

「シャワールーム貸してあげるから、行ってきていいよ」

 

「………っ………」

 

「ここの片付けはしてあげるから」

 

 カヤはハッとしてミカを見上げる。ミカの顔は嫌だともカケラも感じさせない優しげなもので、カヤは目頭が熱くなる。何も聞かれない。それが今のカヤにとってはどんな慰めよりも嬉しかった。

 

「……そんな、トリニティの方に、こんな」

 

「別に気にしないよ。それに、私はシャーレの生徒だからね」

 

「…………ありがとう、ございます。シャワー室、お借りします」

 

「どういたしまして。それと、シャワールームの入って左すぐ、非常用に新品の下着もあるから使っていいよ」

 

「いいのですか?」

 

「うん。こういう緊急事態で使うものだって、先生とエリカちゃんが言ってたから」

 

 カヤは席を立ち、よろよろと部屋を出ていく。その最中、彼女はようやく理解した。連邦捜査部シャーレ。そこに属する者が何者なのかを。

 

「(……あぁ、そうですか。先生も、エリカさんも、そして聖園ミカも。ただの、お人よし。それだけで、いいえ、それだから………このキヴォトスで特異に、そして、目を背けたくなるぐらいに、眩しい)」

 

 真っ白なまでの光にカヤはまだ耐えきれず背に浴びるだけで精一杯だった。しかし、確かなことはその暖かさをじんわりと心の中に沁み渡らせても、感じるものは屈辱ではなく、大切な誰かが飲んでいいと言ってくれたコーヒーのような安らぎだった。

 

 

 

 

 

 

 

「世界を救うために方舟が飛ぶか……ふふっ。捩れ狂ってさらに歪んで、結末は誰にもわからなくなった」

 

 黄昏時の空の下に無限に広がる桜の園。その中に佇む寺院の中、座敷の上で、黄昏の向こうに広がっている蒼穹を童女が見上げていた。

 

 白磁のような肌に、澄んでいると形容するしかない白髪。狐の獣人であることを示すツンとした耳。その手には香のような甘い薫りを漂わすキセルがあり、その体躯では明らかにそれを嗜むには幼すぎる姿だと、誰もが思うであろう。

 

 だが、彼女の背後にいる少女はそう思わない。童女のように見える狐耳を持つ相手が放つ、超常的なまでの強烈な存在感が、目の前の童女がヒトならざるものであると感覚的に理解させられる。

 

「………どうして」

 

「資格もない童をここに招き入れたと?」

 

「………っ……」

 

 本来ならば、敬うべき存在であるはずの童女を、四肢を縄で縛られ囚われた少女──七稜アヤメは人を化かす妖狐のように苦々しく見る。

 

「そうじゃな。其方を招き入れたところで、変わらぬ。望んだ答えは得られない。七稜アヤメ、其方には資格がない」

 

「……………」

 

「しかし、其方からは懐かしい匂いがしたからの。少し、燻らせたくなった」

 

 その言葉を受け、アヤメは自身がただ愉しむだけの、童女が持つキセルと同じ程度の扱いしか受けていないことに、言葉も出なかった。

 

「そう落ち込むでない。妾とてそこまで後輩を苛めようとは思わぬ」

 

「………はっ。どの口が。だったら、なんで私を縛っているんですか」

 

「狐が獅子に敵うと思うてか?」

 

 からからと笑みを見せながら言う相手に、アヤメはふざけるなと怒りを覚えた。縛り上げなくとも、そもそも敵う相手ではない。相手はアヤメが率いた、百鬼夜行連合学園の百花繚乱……その初代委員長。伝説の存在だ。

 

「其方は生まれてくる時代を間違えたかもしれぬ。さもなければ、そのように苦しむこともなかったやもしれん」

 

「は?」

 

 アヤメは困惑する。生まれてくる時代を間違えたなど、アヤメは考えたこともない。

 

「頑張れば報われる…とはこの世は限らぬ。其方を理解しようとしたものはおらなんだ。其方が愛したといってもいい者も」

 

 アヤメは今すぐに縄を千切って目の前の狐に飛びかかりたかった。何も知らないくせに、何を語るのかと。願ったのに姿をすぐには見せず、黄昏に呑まれていくなか、まるで釣り針に引っかかった魚を気紛れに遊ばせ、そうしてから引き上げたかのようにする。

 

「愛しさ余って憎さ千倍……」

 

「その口を閉じないなら喉笛を食いちぎってやるっ」

 

「それだけの元気があるのならまだ其方は逢魔時に堕ちるのは早いの」

 

「なにを」

 

 童女がごそごそと巫女服の意匠を持ち合わせた衣服の中から手鏡を出し、それをアヤメに向ける。アヤメの姿は彼女自身が嫌でも毎朝見るものと何ら変わっていなかった。身に纏った白のセーラーと、その上にある浅葱色に近い羽織も、何もかもが、そのままだった。

 

 大嫌い(大好き)だった少女の前で呑まれて消えたはずの存在は、変わらずそこにあった。

 

「………どうして?私は、黄昏に堕ちたのに」

 

「其方の中にはまだ小さくとも“それ”が残っている。黄昏時こそ人は化かされ惑う。しかして、その中でも黄昏に混ざらぬ導があれば人は迷わぬ」

 

「……意味がわからない」

 

「七稜アヤメ。其方はまだ、どこかで、まだ諦めきれておらんのじゃろ?いつかは、やがてはいつかはと………あの狛犬の子孫のように、絶望を以ってなお、いつかは報われるからと世界を憎めきれんのだろう」

 

 狛犬。それが誰を意味するか、アヤメは知っている。もう霞んできている記憶。何も知らなかった純粋な七稜アヤメ。誰かのためになりたいと、七稜アヤメの生き方を決定づけた、不器用で何をしても上手くいかなくて、それでもめげずにいつも笑っていた少女。

 

 アヤメが手を伸ばす前に、届かぬ世界へと追いやられ、その先で絶望へと堕とされた少女。

 

 それでも、まだ諦めていないという少女のことだ。

 

「一体どういう」

 

「時がうつろえば人はどこかで道を違う。狛犬が目指したものはあのようなものではなかった。其方のような資格を持たぬものでも百鬼夜行の世を平定する。煌めく華がごとく光と、光の落ちた影に底を与える閻。御庭番はその闇の部分」

 

「………え?」

 

「妖だけが世を乱すのではない。人もまた時として乱世を生み出す。百蓮一丁で全て片が付くことなどなし。ゆえに、妾は其方の中にあるそれを燻らせたくなったのじゃ」

 

「それが、私が生まれてくる時代を間違えたと」

 

「世が世なら、其方のそのような苦悩もなかった。其方ほどの才をただの銃一丁持てぬことで認めぬなどということもなかった。……妾がこうも親身にしてやることはもうないぞ?其方の中にその火種を残した者に感謝をするべきじゃな」

 

 気がつけばアヤメの体を縛る縄は消えていた。

 

「しかして、其方は一度道を違えた。このまま還るとはいかんのう」

 

「………そんなことはわかってる」

 

 アヤメが“全て”を憎んだことに嘘はなく、望んで彼女は堕ちた。堕ちたはずが、心の奥底、闇の中で揺らいでいた灯火がまるで崖に生えた細枝のように彼女を引っ掛け、道楽者が気紛れに彼女を釣り上げた。

 

 まるで今のアヤメ自身が昼にも夜にもいない、曖昧な黄昏模様の中にいる。

 

「迷え、若人よ。報われるかどうかはわからぬ。それでも妾の知るその灯を遺した狛犬は妾が惑えばやかましく言う。労は報われ諦めぬものが利を得る、とな。其方は……どこへ往くのじゃろうな」

 

 けたけたと、最後にまたアヤメの目の前で童女は笑う。

 

 童女──目の前の大予言者クズノハ。ある意味で救いを求めたはずの相手は所詮、アヤメの通う学園の遠い先輩にしか過ぎず、アヤメを追い詰めた銃も、ただの銃にしか過ぎず。

 

 昏き憎しみは、激しく燃え盛る怒りへと明るさを取り戻し、七稜アヤメの姿は寺院を囲む桜の花が攫われるがごとく掻き消えた。

 

「少しは先輩らしいことができたか。のう……草鞋野」

 

 黄昏時。哀愁を漂わせずにはいられない常世の景色を前に、一人遺されたクズノハはキセルをふかした。

 

 

 

 

 

 

 

──アビドス砂漠。

 

 

 

 赤い空が晴れ、青空へと戻ったアビドス砂漠の中を走る道路を、柴大将は屋台を引いていた。

 

 彼はアビドス高校の生徒たちが留守にすると聞き、帰ってきたら一番に腹ごしらえをしてもらおうと向かっていた。

 

「空が赤くなったと思ったらみんなバタついて。今度は全員で出ていくなんてなぁ」

 

 現在のアビドス高校の生徒全員がアビドス自治区を留守にすることは今までほとんどなく、柴大将にとっては初めてのことであり、よほどのことが起きているのだろうと考えていた。バイトとして雇っているセリカのことも当然のように彼は心配しており、ご馳走をしようと決めたのは彼女の存在が決め手だった。

 

 そんな彼の進む先、砂が堆積した道路の上にドシャっ、と大きな音を立てて人ほどの大きさの塊が落ちてきた。

 

「なんだぁ!?」

 

 全く前触れなく、空には何もなく、それなのに物が降ってきた。彼は屋台を一度置いてその落ちてきたものに駆け寄る。

 

「……こいつは……」

 

 砂の上にあったのは浅葱色に近い羽織だった。否、彼がその羽織をめくれば、見たこともない白いセーラー型の学生服を着た女生徒が倒れていた。

 

 行き倒れにしては砂にまかれた様子もなく、汗がひどく滲んでもいない。そして、呼吸は安定していて、医療の心得がない柴大将から見ても少女が寝ているだけであることは明らかだった。

 

「とにかく、運んでやるか……」

 

 こんな場所に倒れている生徒を放置することなどとても彼にはできず、小柄ながらも日々の過酷な環境下での仕事で鍛えた肉体で柴大将は軽々と少女を抱き上げ、畳んでいるとはいえ残っている屋台のスペース内に荷物を寄せて座らせる。

 

「ちょいと狭いけど我慢してくれよ。学校まではもうちょいだからな」

 

 少女の返事は期待せずに柴大将は言うと、再び屋台を引く。今度は気持ち足を早めながら。少女──七稜アヤメが目を醒すにはまだ、世界は明日を迎える権利を得られていなかった。

 

 




お読みいただきありがとうございました。

続きはまた明日です。

カヤちゃんのことは好きですが好きなのでかわいそうはかわいいとなりがち。
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