頑張りとは、報われるべき願いである   作:ババネロ

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Area-03「トリニティ古書館 #物語 #原初の花 #道化」

 桜井さんから受けた支援要請に応えるべく、要請を受けた翌日、私はトリニティにやってきていた。満月の夜にしか咲かない金木犀……花のことなんてよくわからないのでまずは調べるしかないと思ってのことである。もちろんネットで調べたけど情報は全くなかった。

 

 で、やってきたのはトリニティの中央図書館──ではなく、その図書館を管理する図書委員会の部室だという古書館である。本を探すにあたり、忙しいけど申し訳ないと思いつつナギサちゃんにモモトークをしたところ「では、図書委員会のウイさん……古関委員長にお話されてみても良いかもしれません」とアドバイスをもらったのだ。古関委員長は一度も会ったことがない。

 

 エデン条約事件の時はそういった人がいる程度のことは聞いていた。この前の箱舟の事件の時は、先生が何かを古関委員長に依頼していたことは知っている。

 

 勝手に会いにいけるものなのかと思ったので、念の為そのあたりもナギサちゃんに聞いたところ、先生を頼ったほうがいいとのことで、先生を通して古関委員長へのアポイントを取った。……あの先生が大苦戦しながら取ってくれていた。

 

 なんかそのために色々古関委員長から先生に見返りを求められていたようで申し訳ない。

 

 というわけで古書館の前に立っているが、先生であれだけ苦戦する相手ということは少々気難しい人なのかな。大丈夫だろうか。

 

 目の前には重厚なドア。ドアノッカーは付いている。とりあえずノックはしないと。そういう人なら礼儀正しくだ。私はドアノッカーに手を伸ばす。どうしてか恐る恐る。

 

「あの」

 

「わひっ!?」

 

 突然声をかけられた。私はその場で飛び上がった。幸い、そのまま入り口の庇…?には頭をぶつけずに済んだ。

 

「す、すいません!驚かせてしまって」

 

「い、いえ、こちらもこんなところで止まっていたので」

 

 振り返れば、そこにいたのは明るい髪色のツインテールにメガネが特徴的な子。トリニティの標準制服…とは若干違いがあるけど、トリニティの生徒さんであることは間違いない。

 

「……って、エリカ様、ですよね?」

 

「ええっと、もう様は付けなくて大丈夫ですよ」

 

 あまり面識がないトリニティ生には毎度言われてる気がする様付け。いつ言われなくなるのだろう。

 

「それもそうですね。では、草鞋野さん。こうしてお会いするのは初めてですね。私は図書委員会の司書を務めています円堂シミコです。よろしくお願いします」

 

「どうも。シャーレ補佐官の草鞋野エリカです」

 

 彼女は円堂さんと言うらしい。……あ、彼女の名前は聞き覚えがある。晄輪大祭でニコちゃんを走りで圧倒したという子。ナギサちゃん曰くかなりフィジカルがすごいはず。全然そうは見えない。彼女自身の言うとおり、司書さんという雰囲気があって、争いとは無縁そう。

 

 なんだろう、不思議と昨日の桜井さんといい、いつもなら一悶着ありそうな子との遭遇がないというか。いやいや、ものすごく失礼なことを考えてるな私。よくない。

 

「委員長とのアポイントですよね」

 

「はい。ご存じでしたか」

 

「先生から一応私も聞きまして。委員長はティーパーティーの方と少し折り合いが悪いので、念の為同席させてもらいます」

 

「…?私はティーパーティーではなくなったのですが」

 

「そうなのですが……委員長はその、色々と」

 

 やっぱり気難しい人なのかな。円堂さんは苦笑いだ。ナギサちゃんが頼ってみてはというぐらいだから、いきなり出会い頭にズドン!という人ではないと思いたい。

 

 円堂さんが「じゃあ、入りましょう」と扉の手をかけて開けてくれる。ノックはしないらしい。円堂さんに続き中へと失礼すると、私は目の前の光景に圧倒される。仄かな間接照明だけで照らされた本棚の威容。収められた本の数々はまるで宝の山のようにも見える。

 

 図書館特有の紙の匂いと、そこに混じる僅かな珈琲の香り。トリニティにほんの少しの間とはいえ所属していた時に感じた、この学園の歴史的な重さ──それがこの古書館には明らかにあって、三大校と呼ばれる意味を理解させられる。

 

「草鞋野さん?」

 

「あ、いえ……すごいな、と」

 

「と言いますと?」

 

「なんと言いますか、ほんの僅かとはいえ私はトリニティに籍を置かせて頂きましたが、改めてこの場所に来て、この学園の重みと言えばよいのでしょうか。そういったものを感じてしまいまして」

 

「なるほど……」

 

「それに、この本棚に圧倒されてしまって。私はよくわからないのですが、それでもこの場所の本はまるで宝のように大切にされているのかと」

 

「それは……ふふっ。草鞋野さんはいい感性をお持ちですね」

 

 嬉しそうに円堂さんは微笑んでいた。この場所の主人は円堂さんの先輩、つまりは古関委員長。素直な感想を述べたけど、これだけ巨大な図書委員会を纏める古関委員長は本当に本を大切にされているのだろうね。

 

「委員長、そろそろ出て来ても大丈夫ですよ」

 

 と、円堂さんが突然どこかへと呼びかける。すると、ある本棚の影からゆらりと大きな影が現れた。……本当に、大きい。

 

「………………………」

 

 無言。8mぐらい先の本棚の影から現れたのが、おそらく古関委員長なのだろう。長い黒髪を後ろで二房に分けて、トリニティの標準制服を改造せずにちゃんとした丈のスカートで着こなし、カーディガンをその上に重ねている。やや猫背気味みたい。

 

 左手で本を抱えつつ、右手には相当に使い込まれたやや古風なスナイパーライフル。消音性の高そうなもの。

 

 姿勢は悪いけど、一目でなんとなくわかる。この人、かなり身のこなしがしっかりしている。だるそうな動きは「そうする必要がない」からしてないだけだ。

 

「……………」

 

 なんだろう、下手な声を出せばまるで即座にあの銃で声も上げられずやられるような窮屈な威圧感を向けられている。自意識過剰なのかもしれないと思ったけど、伸びた前髪から覗く古関委員長の目は深く私を覗こうとしているのがわかる。目を逸らすのは絶対にダメだ。

 

「………………………ようこそ、古書館へ」

 

 ほんの数十秒だったはずなのに、何時間も経ったような視線の交差は古関委員長が私を迎え入れたことで終わった。強者と何度も弾丸をやり取りしたような疲れがある。

 

 古関委員長がもう少しこちらによる。5mぐらいだろうか。そこで彼女は止まった。それ以上踏み込むなと言わんばかりの表情。いつもであれば挨拶にと近づくところを私は獣人の本能的なもので止まる。

 

「お忙しいところ、失礼します。私は草鞋野エリカ。連邦捜査部シャーレの補佐官です」

 

 その場で名乗れば、古関委員長はこちらをまるで興味がないと言わんばかりに「そうですか」と応えるだけだった。

 

「……彼女……先生の頼みでなければあなたをここに踏み入らせる気はありませんでした。殊更、あなたはかつてティーパーティーに所属をしていた。それも桐藤ナギサの懐刀として」

 

 明らかな敵意だった。一体彼女とティーパーティーの間で何があったのだろうか。

 

「わかっているようですが、それ以上こちらに近づけばここから出ていってもらいます。そして、この子たちを傷つけるようなことがあれば、二度とあなたは朝日を拝めなくなりますので」

 

 思わず一歩下がりそうになる。この人は本気だ。もしここで私が過剰に反応して銃に指でも伸ばそうものなら、次の瞬間にはあのライフルで額を撃たれている。それほどまでの気迫。

 

 理解した。この場所は本当に簡単には踏み込めない場所なんだ。相応の資格や、何かがない限り。それを先生という特別があって私は入れている。さらに、円堂さんがこちらにいるから。もし私一人でここへ踏み込めば、どうなっていたことやら。

 

「ではこれで──」

 

「ウイ先輩」

 

「うぎゃ」

 

「せん、せいっ、から、紹介されたお客さんになんて態度をしてるんですか!」

 

「ちょっ、なんでっ、シミコ、やめ、あんた、ガァ──!?」

 

 何が起きたのか理解できなかった。私の隣にいた円堂さんが久田さんみたいな超スピード?で消え、次の瞬間には古関委員長に関節技を決めていた。かなり見事なアームロック。警備局でもなかなか見ない暴徒制圧に慣れた動きに見える。

 

 なるほど。確かにこれはニコちゃんでは荷が重いかもしれない。単純な力比べだと。

 

「さっきの話聞いてましたよね!?草鞋野さん初見でここの本がどれだけ大切にされてるか見抜かれたんですよ!?」

 

「いや、それは関係な」

 

「あとシャーレの生徒さんですよ!」

 

「でも過去に一度でもあの陰険連中に所属して」

 

「先生がウイ先輩に無理言ってでもお願いさせてくる人に、あの威圧は先生にも失礼ですよ!!」

 

「うっ」

 

「あ」

 

 ごキャ、と鳴っちゃいけないような音が聞こえた気がした。古関委員長が気絶し、円堂さんにもたれかかった。円堂さんはしょうがないという表情で古関委員長を俵のように抱えていた。

 

 えっと、私は何を見せられていたのか。

 

「すいません。お見苦しいところを。向こうに話せるスペースがあるので、そちらでまずはお話を伺いますね」

 

「あ、はい」

 

 たぶん、この場所で逆らってはいけないのは古関委員長もそうだが、円堂さんもだ。

 

 腕力だけで私は軽く捻られる。怖くて耳が頭にめり込みそうなぐらい下がりながら私は円堂さんについていった。

 

 

 

 

 

 

 

 古関委員長が自席と思われる執務用の机の椅子に座らされ、伸びている間に円堂さんが珈琲を淹れてくれた。紅茶党が多いトリニティではあまりかがないとてもいい匂いだ。古関委員長の趣味らしいが、相当好きだなこの人。

 

「んが……うぐ、シミコ、あんた何を」

 

「先輩」

 

「……っ……はぁ…わかったよ。まったく」

 

 目覚めたようだ。古関委員長にはなんだか無理をさせるようで申し訳ないけど、その知恵を貸して頂きたいので話をできる状態にしてくれた円堂さんには感謝だ。私は改めて挨拶をすべきだと思い、年季の入っているソファから静かに立ち上がる。

 

 声は図書館の中らしく、できるだけ響かないように気遣いながら。

 

「改めまして、連邦捜査部シャーレより参りました。補佐官の草鞋野エリカです。この度は無理なお願いを聞き入れて頂き、ありがとうございます」

 

「全くですよ。さっきも言いましたが先生の頼みでなければシャーレの生徒であってもここには簡単に踏み入れさせません。……ただまぁ、あなたがここにいる子たちの価値を理解しているようなので、特別に赦します」

 

 古関委員長が立ち上がり、こちらを見る。先ほどの攻撃的なものではなく、穏やかだけど私を見定める目。私の姿勢に合わせてくれたのか、古関委員長もスッと背を伸ばしている。そうすると彼女は本当に高身長であることがわかる。

 

 漂わせる雰囲気は間違いなく組織の長としてのもの。敬意を以って接するべき権威を感じる。

 

「古関ウイです。図書委員会の委員長をしています。よろしく」

 

 話を聞いてくれる。これはそういう挨拶の返しだ。私は頭を下げた。

 

「座ってください」

 

「ありがとうございます」

 

 促されてソファにかけ直す。古関委員長も席につき、円堂さんは彼女の後ろ影に控えている。

 

「先生からは特に聞きたい内容は伺っていません。ただあなたが私に聞きたいことがあるとだけ聞いています」

 

「はい。経緯からお話します」

 

 私は桜井さんのことは伏せて、生徒からの支援要請を受け「満月の夜にしか咲かない金木犀」を探していることを古関委員長に伝えた。彼女は私の話を聞いて、一呼吸のあとハッキリと言った。

 

「そんな植物が存在しているのは聞いたことがありません」

 

 予想はしていた回答だった。依頼者である桜井さん自身もないだろうと思っていたものだ。時間を取らせてすいません、と口を開きかけた。

 

「ただ、モクセイということであれば月に絡んだ伝承や物語は存在しています」

 

「物語、ですか?」

 

 古関委員長が机の上のメガネをかけると、円堂さんに目配せする。円堂さんは慣れた様子で本棚の奥へと消えていった。

 

「………草鞋野さん。あなたは文字を書き、それを遺すという行為はどういうものと捉えていますか?」

 

「それは、日記とか、そういう」

 

「なんでも構いません」

 

 問いの意味はなんなのだろう。日記、と上げたけどそれで考えてみよう。日記はその日起こったことを書き記し、後で見返す。もっと言えば、私は警察官として捜査の際に警察手帳に聞き取ったことを残していた。

 

「あとで見返し……思い出すため、でしょうか」

 

「……当たり前の回答です。では、本にして遺す。本には著者がいて、読者がいる。これはどうですか」

 

 本……私が読む本といえば、物語やそういったものではなく、技術などを紹介するハウツー本。そのような本が作られる意味……うーん、読む人にそれを紹介したい?学んでほしい?

 

「えっと………著者が、読者に伝えいたいことがある、から?」

 

 私の答えに古関委員長は特に大きな反応はなかった。ただ頷いた。

 

「伝えたい“こと”、ではなく、“伝える”そのものを答えたことは評価します」

 

 正解なのだろうか。この問答は一体なんなのだろう。

 

「この世に存在する本には必ず著者がいるものです。……紡がれる言葉全てに意味があるとは言えませんが、少なくとも、無から紙面に言葉は載りません」

 

 円堂さんが本棚の影から戻って来た。その手にはいくつかの分厚い本があった。本、というには一部作りが簡素で透明なケースに入っているものもある。そういう装丁のものは私も見たことがある。あれは百鬼夜行の古い本だ。

 

「先ほど、私はそんな植物は存在しないと言いました。事実、数多の植物に関する図鑑、学術書や誌、論文……それらに満月の夜にしかない咲かない金木犀なるものは記されたことがありません」

 

 静かに円堂さんが古関委員長の机の上に本たちを置いていく。

 

「ですが……物語、こと擦り切れるほどに語り継がれたものや、伝承として遺されるような警句。それらは人に、様々な規範や在り方を教えようとします」

 

 絵本とか、そういうものだろうか?ヴァルキューレでもそういった教育的な図書というのは扱ったことがある。幼い子でもわかるように内容を噛み砕いた、社会的な規範の基礎の基礎を染み込ませるもの。いわば常識の醸成の方法、その一つ。

 

 あぁ、なんとなく、ようやくだけど古関委員長が話している内容がわかった。

 

「重ねて言いますが、本は著者がいます。無から生まれません。そしてその著者により遺された文字はどうあっても時を超えて私たちに語りかけます。草鞋野さん。あなたの探す植物、金木犀、その由来……伝説上のものをご存知ですか」

 

 知るわけがないので私は首を横に振った。

 

「金木犀に纏わる物語は、百鬼夜行と山海経に伝わっているものがあります。この子達です」

 

 古関委員長が本を見せてくれる。確かに片方、ケースに入れられているものは百鬼夜行の古い言葉で書かれている。キヴォトス共通語ではない書物は無くはないけど、もう古文書、なんて揶揄されちゃうこともある。

 

「双方とも、金木犀の花は月より齎されたものとしています。そして月に咲くそのモクセイの花は月の輝きの如き色に花弁を染め、輝く」

 

「それって」

 

「言い換えれば月の上ならそもそも月も丸いですから、あなたが探し求める花の元となった話の可能性もあります」

 

 思わず天井を見上げる。宇宙……その先にある月。手が届くかといえば、ミレニアムの力を借りれば不可能ではないのが恐ろしいところだ。ただ、宇宙に行ける船はつい先週、箱舟の中で大破、轟沈してしまっている。

 

「………月、先週のうちに行けたかな……」

 

「例の船ですか?……まぁ、実際に月にそのようなものがあるとは思えませんが」

 

「え、ですが今」

 

「話は最後まで聞いてください。記された物語を総合すると、揃って語るのはその月に生える花の木から溢れたものが地上に根付き、同じ木を根付かせ、それが広がってこの地上に存在する金木犀になったというものです」

 

「つまり、私が頼まれた花というのは……?」

 

「その原初の花ではないですかね………話は逸れますが月というものは何かと魔力を持っていると言われます。月の魔力は狂気を帯び、人を狂わせることもあります。……狼の獣人の生徒さんが満月の夜に乱れる、という艶美物語もあったりしますね」

 

「委員長。下品では……?」

 

「存在はしているのですから下品も何もありません」

 

 つ、つまりその、え、えっちな本ってことだろうけど……これはうん、実際オオカミの獣人の生徒は満月の夜に軽度の興奮状態となる子もいる。軽度、なのでいわゆる単にハイテンションになるだけ。それを拡大解釈した話っていうのはあったりする。

 

 本は読んだことないけど、そういう、うん。

 

「ですから、その原初の金木犀は満月の夜にあてられて、月にあった頃と同じ花を咲かせ、伝承通りに月色に輝くものなのでしょう」

 

 古関委員長が語った“原初の金木犀”。こんなに語られれば本当にあるように思えてくる。彼女の話を反芻して、考えれば、ここまで話してくれた意味はわかる。

 

「……先ほど、古関委員長は繰り返すようですが、存在しないと言いました。でも、そのように物語があるということは、少なくとも、それに似たものはあった、という解釈ができるということですね」

 

 私の答えに、古関委員長は──初めてはにかんだ。

 

「えぇ、その通りです。……元になった何かは“絶対に”存在します。それがおそらく、草鞋野さんが探しているものなのかもしれません」

 

 まぁ、保証はしませんが──と最後に古関委員長は付け加えて話を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

「本当にありがとうございました。生徒さんのお願いに応えられるかもしれません」

 

「どうも」

 

 草鞋野エリカ。先生の生徒。先生が取り次いでくるほどであるから、マシな部類と思いこの場所に招くことを許した。

 

 彼女は一礼して、この古書館から出て行った。

 

「……シミコ、その目は何?」

 

「いえ、随分と途中から機嫌がよかったなぁ、って」

 

「あんたはそうやって明け透けも無く」

 

 事実だから何も言えない。……なるほど、先生と、癪だがあの桐藤ナギサが真っ先に私を頼るように言えたのも納得だ。

 

 礼儀は弁えている。先生と共にいるからだろう、こちらを察しようと、努力する姿勢もある。だけど、そこじゃない。少なくとも先生はそういう理由だけで、お世辞にも外の人との触れ合いを拒絶する私を紹介するはずがない。

 

「………彼女は確か、三年生でしたか」

 

「ヴァルキューレではそうだったみたいです」

 

 違う。アレは、違う。

 

 

 

──この場所の本はまるで宝のように大切にされているのかと。

 

 

 

 本棚を見上げたその瞳は、曇りがない、まるで小さな子供のような純真さだった。子供は好きではない。やかましく、踏み躙ることの酷さを知らないから。だが、その純粋さを否定することはできない。記された言葉を正しく、真に理解できるのは子供だ。

 

 その純粋さを持って、こちらに敬意を払う相手を邪険にできるほど、私は歪んではいない。

 

「まぁ、力になれたかはわかりませんが」

 

「そうですね。産地って点でも確かに山海経と百鬼夜行は有名ですけど、そんな花は少なくとも今ないですもんね」

 

「そういうことです。シミコ、あんたも出て行って」

 

「ダメです。ウイ先輩、最近洗濯物出してないですよね」

 

「うっ。それは、まぁ」

 

「…………」

 

「ヘァっ…!?わ、わかったから、その顔しないで」

 

 少なくとも、私にとって、草鞋野エリカという少女の印象は、ひどく幼いものだった。

 

 

 

 

 

 

 

『──では、もう少し頑張ってみますね』

 

「あ、あはは、すいません…」

 

 桜井ミヨは耳を疑った。シャーレに持ち込んだ支援要請、満月の夜にだけ咲く金木犀の捜索。頼んだ翌日にはそれらしき伝承が見つかったという報告があったのだ。

 

 この無茶な依頼が持ち込まれた時、ミヨはそんなものは存在しないと依頼を受けてしまった部員……ルームメイトに彼女の語彙力の許す限りの罵詈雑言を叩きつけたが、それでもそのルームメイトは「でも依頼料見てよこれ」と無茶苦茶な依頼を受けた理由を明かした。

 

 依頼料がそこそこいい金額だったのだ。ちょうど、ミヨの欲しいタイプライターを買ってお釣りが出るぐらいの。

 

「(………ありえないですよね。だってそんな花存在しないですよね)」

 

 ミヨはそもそも、じゃあこの花を欲しがった人物は一体何者なのだと思った。ワイルドハント生であれば、おかしな依頼の一つや二つ、ミヨも受けたことはある。金額に目が眩んでついワイルドハント生だと思って部員から話を受けてしまったが、ミヨは確認していなかった。

 

 存在しない花。物語に出てくる架空の物品を望む相手とは何者なのかを。

 

「(……考えてみれば、おかしいです。ワイルドハント生からの依頼はこれまで、ほとんど実用的な物品です。変な依頼でも使い道は想像できました。こんな抽象的な依頼、受けたことありません)」

 

 ミヨはかけている椅子に背中を預け、思考の海にひたる。ワイルドハント生以外からの依頼は無いわけでもない。そういった依頼でも極力アシが付くような危ないものには触れないように、ルームメイトへは徹底させている。

 

 数ヶ月前に、妙な金木犀の匂いがする香水を運ぶように依頼されかけたことがあったが、依頼主自体が何者かを代理で立たせていたため、ミヨは危険と判断し、依頼を紹介されかけた時点で即断った。

 

「(そもそも、なぜあの金額を?)」

 

 まるで、振って湧いたようにその依頼金額はミヨが今欲しいものだった。

 

「(………相手は私を知っている?)」

 

 桜井ミヨが何者であるかを知るのは、彼女の住まう寮のルームメイトのみ。学内で仲の良い生徒は、自治区の治安維持を預かる組織の人物だが、その彼女から疑われることはこれまでもない。依頼をこなしその直後に顔を合わせても。

 

「(フユが教えた?それともリツちゃん?ううん、二人がそんなことはしない。そこの損得は弁えてる。じゃあ、第三者)」

 

 ミヨは体がぐらりとする感覚に襲われる。足元は細い、張り巡らされた蜘蛛の糸。

 

「(誰かが見ている。私たちを)」

 

 それはその巣の主人か、それとも、その中でも動けるものか。

 

 閉じていた目をミヨは開ける。変わらず目の前にはお気に入りのタイプライターがあった。彼女は机の上に置かれた携帯を手に取り、電話帳から無茶苦茶な依頼を受けた張本人を呼び出す。

 

 相手はすぐに出た。

 

『ミヨ?どうしたの?』

 

「フユ。例の依頼、依頼主はどんな人だったんですか?」

 

『え、今更』

 

「いいから答えて」

 

 焦りもなく、急かすわけでもない声音は、桜井ミヨという少女の外見から発せられるにはあまりにも温度がないものだった。

 

『コワ〜……なんかあった?』

 

「何も」

 

『……あ〜、ごめん。えっと、依頼してきた人はお医者さんだったかな。大人っぽい人で、山海経で漢方とかやってるんだって』

 

「どうやって声をかけられたんですか?」

 

『いつもどおりかなぁ。なんか、探しても本当に見つからないから藁にも縋る思いで、って。あと、別に私らだけに声をかけてるわけじゃないとも言ってたよ』

 

「………わかりました。もういいです」

 

『いいの?あ、それならさ、さっき新しい依頼を』

 

「戻ってから聞かせてください」

 

 ミヨは言うだけ言って電話を切った。そのまま携帯を少し雑に机の上に置く。

 

「……………嫌な予感がする」

 

 自分たちにだけしている話ではない。それがミヨには決定的だった。

 

「警戒心を解き、相手も無茶なことは承知、それでも見つかれば儲け物。後払いなのもわかってる」

 

 あまりにも依頼の仕方が“綺麗”すぎるとミヨは感じていた。他にも声をかけているというのは本当のことでもあるのだろうが、だとしてもだった。

 

「…………私たちはいい。たぶん、この依頼は……成功しない」

 

 ミヨは依頼を達成できないと理解する。少なくとも、特殊交易部は。

 

「私たちは、ただのキッカケ。……どこでもなんでも、フリーパスなシャーレを動かすための」

 

 手に負えない。本当にそういう内容でもミヨを動かすには適切すぎる金額。それを前にして慎重なミヨは部内だけで処理をせず、シャーレを使うことを選んだ。

 

「違う。私がシャーレに行くように仕向けられた」

 

 相手はミヨのことは知らない。しかし、フィクサーたるミヨがどういうパーソナリティか明らかに分析している。相手を見ず知らずに分析しきったとすれば、その手腕は恐るべきものであり、ミヨはこの依頼のために動いた時点で、ミヨの正体が相手にバレたと判断する。

 

「……シャーレに行きやすいのは偶然。でも、それも利用された」

 

 ワイルドハント内の外出、外泊理由にシャーレへの相談や面談が緩くなったのは晄輪大祭以降だ。寮監隊内で方針が変わったと聞いたのはミヨの友人からだった。ただ、そうはいっても芸術と向き合うワイルドハント生がシャーレにする相談はあまりなく、ミヨがその理由で外出しようとした時は友人たちから大層心配されていた。

 

「……このまま、貝のように口を閉ざし、記憶の隅に追いやれば、私たちは何の危険もない」

 

 おそらく、このままシャーレに投げておけば、ミヨたちには何も降りかからない。そうするべきだとミヨの思考は合理的かつ、冷徹に判断する。ルームメイトたちが危険な目に遭うことも間違いなくない。

 

「(…………でも、このまま、あの人を危険に晒すのは……)」

 

 もし、ミヨを利用したものにとっての誤算が一つあるとすれば、桜井ミヨという少女は確かに決して善とは言えない思考をすることができる者であるが、同時にその思考を時には唾棄すべきものとして考えることもできる者だった。

 

 満月の夜にしか咲かない金木犀。それが本当にあったとして、手にいれるなら相手はどうするだろうかとミヨは思考をトレースする。

 

「(……仮に本当に依頼者が医療に長けた人物だとする。その素材を使って生み出されるものがなんであるかはわからない。でも、それを広めたいのなら、そもそも私たちを使うような真似はしない。自治区の実力者をまずは尋ねて動かそうとするはず)」

 

 依頼の仕方がそもそも裏社会に慣れた者がすることで、ミヨはこの時点で依頼主が碌でもない相手だと判断する。

 

「(そうしなかった。どこの自治区にも縛られないシャーレを使った。逆を言えば──どこの自治区も知らないうちに捜索できるシャーレを使いたかった)」

 

 シャーレへの信頼度がワイルドハントでさえも高くなっている以上、シャーレを制限する自治区は少ない。まるで、世界を救った英雄のようにさえも、ミヨはここ数日のシャーレに対する世間の印象を思い返す。

 

 事実、ミヨは数日前の空が赤く染まる異変でシャーレが何らかの役割を果たしたことは自身のネットワークで知ることができた。よって、本当にそこまでの事を成し遂げたからこそ、シャーレは自由になったのだろうと彼女は考える。

 

「(草鞋野さんが、危ないかもしれない)」

 

 ミヨからしても、草鞋野エリカという少女はあまりにも人が好さそうに見えていた。ミヨ自身が本来であればエリカに摘発されてもおかしくない立場であるから。

 

 あのような無茶な依頼も受けてくれたことから、危ういとさえ感じていた。

 

「(でも、下手に動けばおそらく相手はアクションを起こしてくる。ううん、気がつけばいい方。私が相手なら、そのことさえも気が付かせない)」

 

 盗聴器の類を毎日ミヨは確認している。部室内は不可侵領域だ。それでも、ミヨは安心はできないと考えた。

 

「(なら、望み通り……人形になってあげましょう)」

 

 桜井ミヨは非公式な部活である特殊交易部の部長であり、ワイルドハントの規則に背きあらゆる禁制品を校内に持ち込む、不良生徒そのものの顔を持つ。

 

 だが同時に、桜井ミヨは多くの友人たちから可愛がられる、タイプライターが好きで、文学を専攻する穏やかな少女である。

 

「(人を定義づけるのは結構です。ですが不愉快です。そのようなやり方は)」

 

 ミヨは席を立つ。

 

「(シャーレの構成員。草鞋野さんと聖園さん。警察官とお嬢様。……ならあと、物語に足りないのは、探偵)」

 

 タイプライターには書きかけの物語が残されている。そこには、このように書かれていた。

 

 

 

 

 

 道化はたくさん仮面を持っている。たとえば、害なき隣人のような仮面を。

 

 




お読みいただきありがとうございました。次回はまた明日です。

漢方を山海経でやってる医者……一体誰なんだ。
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