頑張りとは、報われるべき願いである   作:ババネロ

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今日から本話入れてまた3話(3日間)投下します。




Area-02「セーフハウス #モーニングティー #新しい朝 #新品」

「あのときは色々切羽詰まってたけど、今回はそんなことないなぁ」

 

 ベッドから出て思わずそんな独り言が出た。トリニティにやってきた翌日、私はナギサちゃんによって用意されたエデン条約締結まで使うことになるセーフハウスの一室で目を覚ましていた。

 

 部屋の中の調度品は全部明らかに年季の入っていそうな高級品ばかりで、正直こんなところにいていいのかと思ったけど、ナギサちゃん…というかトリニティの子達からすれば見慣れたものなのかもしれない。

 

 前に来た時はミレニアムからの支援要請に加えて、ナギサちゃんたちが敵対していた上に潜入捜査と慌ただしく、とてもゆっくりなんて出来なかった。毎晩しんどかったもんなぁ、一回先生に弱音吐いちゃったし。

 

「着替えよう」

 

 部屋の中にあるハンガーにかけてあるのはトリニティの、ティーパーティーの生徒が着る制服だ。いかにもお嬢様学校、といった雰囲気で制服の襟元にはティーパーティー所属を示すバッジがついていた。ナギサちゃんの護衛として一時的に私もそうなったようだけど、昨日のサンクトゥムタワーでの様子を見るに、他のティーパーティーの子達にやっかみ受けそう。

 

 ナギサちゃんも職権濫用になってるようだし、この支援要請も一筋縄じゃいかなさそうだなぁ。

 

 そして、制服の横には銃のラックも用意されている。当然ながら、いつもの拳銃を使っては私が草鞋野エリカってことが丸わかりなので、トリニティの武器を借りることになった。しかも、普段は全く縁がないもの。

 

「完全なライフル……使えるけど、慣れるまで精度は落ちるよねぇ」

 

 渡されたのは正義実現委員会でも採用されているもので、コハルちゃんが持っているものと同じものだ。違いがあるとすれば白色で仕上げられて、ストックの部分にトリニティの校章が入っているというところかな。

 

 ヴァルキューレの性質上、接近戦が多くて私は好んで拳銃やアサルトライフル、ライオットシールドとか使ってたのでライフルは本当に使ってないんだよね。全く使えないってわけじゃないけど。

 

 あと、困ったことにボルトアクションなのも慣れない。やれないことはないけど、咄嗟の速度も落ちそう。ボディーガードな以上は本来慣れたものがいいけど、あんまり大々的に私がトリニティに手を貸してるって言えないのでしょうがない。

 

 というわけで、あとは髪型も普段のそのままからポニテにした。この前はナギサちゃんが私の服で変装してたけど、まるきり立場逆転というわけだ。

 

 慣れない制服に少し格闘しつつ身だしなみを整える。一式装備すれば、目の前の姿見にはどこからどうみてもトリニティ生……に扮した百鬼夜行っぽい生徒が出来上がった。私の頭の耳とか尻尾がやっぱり天使が多いトリニティだと異質に見えてしょうがない。

 

 準備が出来たので、部屋を出た。……ここにいるのは私だけじゃないのだ。

 

 事前に言われていた部屋へと足を運ぶ。そこは屋敷の中でもたどり着きずらく、外からも狙いにくい方角にある。その部屋の前に立って私は扉をノックする。

 

「おはようございます。――ナギサ様」

 

『どうぞ』

 

「失礼します」

 

 扉を開け、中にいたのはナギサちゃんだ。既に制服姿で、モーニングティーといったところなのかテーブルに着いて紅茶のカップを持っていた。すごいなぁ、これだけで絵になる。ナギサちゃんは私を見ると、初めて会った時のように底知れない雰囲気を醸し出している。

 

「準備は出来たようですね」

 

「はい。お待たせしましたでしょうか」

 

「いいえ。モーニングティーを楽しむには十分でしたよ」

 

 ちょっとだけ待ったよ、って言ってるのかなこれ。寝坊はしてないから、そんなことはないかな。

 

「おかけになってください。改めて状況を整理しますので」

 

「失礼します」

 

 ナギサちゃんとは親しく接するのを極力しばらくはしないことになった。もちろん二人きりの時は問題ないけど、今日1日目だけは二人きりの時も様付けで呼ぶし、他人行儀にすることにした。

 

 うっかりティーパーティーの他の役員たちの前でナギサちゃん、なんて呼ぼうものならえらいことになる。

 

「エデン条約は目前、といってもまだしばらくは日があります。本日からは校内の最終調整や各地の視察が始まっていきます」

 

「はい」

 

 ナギサちゃんの言ったことは昨日も少し話してくれたものだった。ゲヘナ側との調整は既にある程度済んだらしく、条約の調印式の会場や警備の配置については実務者レベルでの調整を残すのみ。

 

 問題はナギサちゃんがこれからやっていく校内の各派閥の最終調整や、自治区内の状況を確認する視察で、エデン条約に反対する派閥の説得などを行う必要があるという。

 

「道のりで、私への襲撃等も0とは言い切れないのが現状です」

 

「そこまでの反感を買っているのですか?この条約は」

 

「いえ、エデン条約自体、一般の生徒には実のところ大きな影響はありません。エデン条約に伴って設置されるETOによって正義実現委員会は再編などの大きな動きがありますが、それも条約成立後なので」

 

「では、どういった生徒が実力的な反発を行うのでしょうか」

 

 この話だけだと、トリニティ内部の一部派閥が何かしてくるのかな。

 

「アリウス分校……既に工作員がトリニティ内部に展開しています」

 

「え…待ってください。以前の、聖園さんの件で内部の洗い出しは」

 

「できませんでした。お恥ずかしい話ですが、あの事件の時点で私…いえ、ミカさん、セイアさんを含めた現在のティーパーティーの影響力は地に堕ちたといっても過言ではないでしょう。そのため、調査もままならず、エデン条約を進めることで精一杯でした」

 

 どうして、私がここに呼ばれたのかわかった。ナギサちゃんはあの夏の日、阿慈谷さんが心配でD.U.まで単独行動していたわけじゃない。もう既に、私たちの前に姿を表した時には校内に味方が誰もいなかったんだ。

 

「セイアさんを襲撃…いえ、セイアさんと協力してアリウスの作戦を阻止しようとしていたアズサさんのお話では工作員はアズサさんとミカさんの二人だけでしたが、相手も失敗することは当然織り込み済みなのでしょう。補習授業部の事件以降、調印式で使用する遺物や、条約に協力的な生徒への嫌がらせ、不和を誘因するような噂が絶えません」

 

 ナギサちゃんがそれから言うにはこういった校内での不可解な事故・事件などの話が、聖園さんが捕らえられ、アズサちゃんが知っている全てを話してから急激に増えたという。

 

「失礼ですが、ナギサ様は生徒会長です。影響力が落ちたといえど、各委員会などへ協力の打診は」

 

「もちろんしています。しかし、私は罪の無い生徒へ執拗な嫌がらせをし、退学寸前まで追い込んだという前科があります。そして、対外的に見ればこの行為はミカさんを援護していたようにも見えます。……幼馴染同士ですから、共謀していたのだと」

 

 声が出せなかった。私は知っている。ナギサちゃんがどれだけ苦悩して阿慈谷さんたちを疑ってしまっていたのか、自身の死すら覚悟して聖園さんを救おうとしていたのか。その果てに裏切られ、努力が全て無に帰してしまったナギサちゃんがどれほど傷ついたのか。

 

「ですが、それでも、私は前に進まなくてはいけません」

 

 ナギサちゃんが私を真っ直ぐに見つめてきた。生徒会長としての言葉遣い、表情、それなのに私が初めてナギサちゃんと会った時とは全く違って見える。そこに裏なんてものはなくて、ナギサちゃんは本心からの言葉を私に隠さず伝えてくれているように思えた。

 

「あと少し、もう少しでエデン条約を実現できるのです。黒館さんという存在を私は知りました。彼女と話し、ふれあい、分かり合えるのだと知ってしまいました。あなたが、引き合わせてくれたのです。楽園は実現できると、可能性を見せてくれました」

 

 席からナギサちゃんから立ち上がった。手を前にして、彼女は私に……頭を下げた。

 

「ですから、どうか、お願いします。草鞋野エリカ。私を護り、エデン条約の成立を…楽園がそこにあると、見届けてくれませんか」

 

 彼女が顔を上げ、手を差し出してくる。この手を握ったら、引き返せない。そんな気がした。でも、何を迷うことがあるのだろうか。私がナギサちゃんの支援要請を受けたのはシャーレの生徒の役目だから…ではなく、友達が、頑張っているからそれを助けたいと思ったからだ。

 

 立場とか、役目とか、そういうものじゃない。なんとなくだけどわかってきた。

 

 ヴァルキューレであろうと、シャーレであろうと、何も変わらない。先生はきっと、“先生”じゃなくても私たちを助けようとしてくれる。

 

 私もそうありたい。そういう大人になりたい。私は私の正義を貫いて、ナギサちゃんの頑張りが報われるように助けたい。私が――そうしたいから。

 

「あ…」

 

 ナギサちゃんの手を取る。柔らかくて、温かい手。戦う人の手じゃ無いと、改めて思う。彼女は私なんかよりも、誰かを言葉で繋いでいくことができるはずだ。

 

「一緒に頑張ろう、ナギサちゃん。ナギサちゃんが頑張ってることを知ってる人は絶対にいる。普段一緒にいない私がそうなんだから」

 

「はい…!」

 

 不安であろう彼女に精一杯笑ってあげる。ナギサちゃんが照れたように頬を赤らめて、微笑み返してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

「コホン。すいません、なんだか誓いを立てるような形になってしまって…話がズレてしまったかもしれません」

 

「ううん、そんなことない…あ、口調」

 

「無理をしなくていいです。やはり、あなたに様付けで呼んでもらうのは外だけでいいです」

 

「そう?それなら遠慮なく」

 

 改めて支援要請を受けたような形になったけど、実際問題これからどうするかだね。私は考えつつ懐からいつも使ってる拳銃を取り出してテーブルの上においた。弾は装填されたまま。

 

「で、フィリウス派からのお願いで私の銃をナギサちゃんに預けるんだよね」

 

「はい。もし私を害せばこの銃を破壊する…というものですね」

 

「壊れることはまずないね」

 

「えぇ、本当に。しかし、無理を言ってこうしていますから、担保を取らなくてはならなかったので」

 

 人質ならぬ…ということで、私の銃はナギサちゃんにこの支援要請が終わるまで預かってもらうことになっていた。フィリウス派の人たち、つまりはナギサちゃんの配下の人たちが私を護衛につけるならナギサちゃんを害さないという担保を取れと言ったらしく、私が大切にしているものを、となったのでこの銃を差し出した。長年相棒を務めてくれてるからね。大事なもの、ってなるとこの銃がまず出てくる。

 

「……そんなに大事なものを何故この前は私に…?」

 

「ナギサちゃんなら預けてもよかったかな、って。ちゃんと私との約束もこの前守って簡単には発砲しなかったでしょ?」

 

 ね?と私が言えばナギサちゃんは何故か顔をそっぽに向けていた。なんで?

 

「と、ともかく、お預かりします」

 

「無いと思うけど、もし自分の銃がダメな時は使っていいよ。問題なく使えるだろうし」

 

「そんな状況が起こらないことを祈っています」

 

 ナギサちゃんが銃を抜くってことはまずないだろうね。私がいるし。

 

 あとは……これもかな。

 

 私はもう一つ、小物をテーブルの上に置いた。それはガラスの小瓶で、中には半透明の液体。銘柄とか何かが書いてあるものはない。非売品だからね。

 

「…?あの、これは」

 

「これは個人的にナギサちゃんにあげようかなって思ってたんだ」

 

「これは…なんでしょう。中身を確かめても?」

 

「もちろん」

 

 ナギサちゃんは蓋を取って匂いを確かめた。すると、驚いた表情になる。

 

「これは、エリカさんが使ってる」

 

「うん、そうだよ。私が普段使ってる金木犀の香水。いいでしょ?優しい匂いで」

 

「えぇ……ですが、何故これを私に?」

 

 特に深い意味はないんだけどね。

 

「まぁ、これって売ってないものなんだけどね、私が知り合いから前にもらったものでさ。結構な量があるから私だけじゃ使いきれなくて」

 

 これは本当で、私の家にはかなりの量が備蓄されてしまっている。証拠品横領もいいところなんだけど、鑑識に見られる前にキリノちゃんが持ち出しちゃったので、正式な記録には証拠品として残ってない。

 

 これ好きだし、“色々”と忘れないためにもこの香水は使い続けてるんだよね。この香水には罪はないし、金木犀自体の花言葉は私も好きなんだ。私が、それに相応しいとはちょっと思えないけど。

 

「金木犀の花言葉は知ってるかな?」

 

「ええと……謙虚、それに気高い人……私はとてもそんな」

 

「あははっ、ナギサちゃんはまさにそうだよ。私からすれば一生懸命で、友達のためにあんな治安がめちゃくちゃなリゾート地に飛び出してくんだから。もらってくれるかな?」

 

 ナギサちゃんはしばらく香水を眺めた後、蓋を閉めてポケットの中にしまってくれた。

 

「私には過ぎたものかもしれませんが、ありがたく頂戴します」

 

「ありがと!もらってくれて。なかなか貰ってくれる人いないからさ」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。そもそも香水好きな人があんまり私の周りでいなくて」

 

「警察だから、というのもあってですか?」

 

「それもあるけど、みんな単純に付けない子が多かったし、興味ないって」

 

「なるほど…黒館さんには渡していないのですか?」

 

「そうだね、ハルナには渡してないかな。……えっと、なんか忘れられてるかもだけど、一応私とハルナ、警察官と犯罪者だからね」

 

 今更かもしれないけど一応ね。あと、ハルナは少食で食べる時に風味もじっくり味わうから邪魔になっちゃうかな、って。ハルナとご飯食べる時は実は香水あんまり付けてないんだよね。

 

 ナギサちゃん以外だとチヒロちゃんが貰ってくれたかな。あんまり言うことじゃないけど、やっぱり修羅場で外に行った時に誤魔化せるから、とたまに使ってくれてる。

 

「あ、無理して使わないでいいよ。記念品、みたいなものとしてでもいいからさ」

 

「いえ、然るべき場で使わせてもらいます」

 

「?」

 

 どういう場?

 

「では、そろそろ学校に行きましょう」

 

「もうそんな時間?うん、わかった」

 

 登校の時間だ。私は席から立ち上がり、ナギサちゃんの傍へよる。そして、手を差し出した。

 

「――さぁ、参りましょう。ナギサ様」

 

「っ…!」

 

「なんちゃって!」

 

「…………自分で、立てますので」

 

「あれ」

 

 ちょっとふざけすぎちゃったかな?ナギサちゃんは立ってスタスタと私の横を通って先に行ってしまった。おっと、テーブルに私の銃忘れてるよ。危ない危ない。私は部屋を出てしまったナギサちゃんを追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 ティーパーティーのテラス。そこには長テーブルが設けられ、通常は3方に3人の生徒会長が座るものだが、今はそうではない。上座のホスト、つまりはナギサの席以外には別の人物が座っていた。

 

 百合園セイアが座る席にはシスターフッドの長である歌住サクラコが着き、彼女の背後には二人のシスターが控えていた。彼女はホストの到着まで瞳を閉じ、静かに座しておりティーパーティーの一般役員から出された紅茶には手すらつけていない。

 

「あ、あの、淹れ直しましょうか」

 

「いいえ、結構です。お気遣い感謝します」

 

 おずおずと紅茶の淹れ直しを提案した役員をサクラコは慈愛に満ちた微笑みと声音で断った。だが、サクラコ自身から発せられるのはとても慈愛に満ちたシスターの雰囲気ではなく、得体のしれない上位者のようなもので、それ以降一般役員はサクラコに声をかけなかった。

 

 そして、もう一つの席。聖園ミカが座るべき席に着いているのは救護騎士団の団長……ではなく、副団長ですらない一般団員であった。

 

「(私が代役でよかったのでしょうか)」

 

 務めて笑顔で、なんとか気を張って席にいるのは鷲見セリナであった。本来であれば救護騎士団の団長たる蒼森ミネがいなければならないが、彼女は現在どこにいるのか定かではない。セイアの看護をしていると、ミネから一方的に代理を任されたセリナは聞いていたが、それ以上は"need to know"として教えられなかった。

 

 騎士団という戦闘組織が前身であるが故に、セリナもミネの物言いに納得はしたものの、いささか乱暴すぎる配役ではないかと心の中で嘆息した。

 

「(それに、私は特にどこかの派閥に顔が利くわけでもないですし……座っているだけでいい、と言いましたが…先生に助けを求めたくなります。私が助けなくてはいけないのに)」

 

 セリナの後ろに控えているものは当然いない。救護騎士団の現在の本分はこのような政治の場から遠く離れたもので、現騎士団長のミネが何故セイアを隔離するという高度な政治的判断が取れたのか、セリナは失礼とわかりつつも理解不能だった。

 

「(サクラコ様は……時折、定期検診のカウンセリングにこられて知ってはいますが、この場ではそんなこと言えませんし………あとはナギサ様。紅茶の取り過ぎとこの前注意したばかりで顔をあわせづらいですね)」

 

 ただただセリナは自身に務まりそうにない大役にため息が出るばかりだ。

 

「――お待たせしました、皆さん」

 

 サクラコの前に置かれた紅茶が僅かに波打つ。テラスに続く扉が開かれ、この場の主人が到着した。サクラコは閉じていた目を開く。いつもと変わらない。腹の底の見えないナギサの整然とした姿と、その斜め右後ろに控える見たことがない生徒。

 

「(……あれは?)」

 

 ティーパーティーの制服を着ているが、顔つきはあどけなくも瞳は鋭くサクラコたちに向けられ、犬科の耳は周囲の音を何一つ聞き逃しまいとピンとしている。髪色の蒼と同じ毛並みの尻尾は僅かに揺れるのみで明らかに周囲を警戒している。

 

 白の手袋を嵌め、肩に紐でかけている銃はトリニティの制式採用銃だが、サクラコの目で見ても明らかに生徒会長などの上位者向けに徹底的に整備と仕上げを施されたものだとわかった。

 

「(何者でしょうか)」

 

 正体不明。サクラコはこの後に及んで何かを招いたナギサに厳しい目を向けた。

 

 一方で、セリナはサクラコとは違い、その生徒を知っているからこそ驚いた。

 

「(エリカ、さん!?)」

 

 ナギサに従う生徒、つまりはエリカの姿を見たセリナは絶句した。そして、今までシャーレで向けられたことがないエリカの敵対者を噛みちぎるような視線。セリナは冷や汗をかきつつも、彼女がヴァルキューレで幹部にまでなっていた実力者であることを思い出していた。

 

「(これが、本来のエリカさんなのですね……先生、シャーレと敵対した人たちにしか見せない、怖い、ところ)」

 

 ナギサが上座につき、エリカはその後方でブレなく止まり、気をつけの姿勢を取った。凄まじい威圧感であり、他のティーパーティーの役員が明らかに萎縮していた。

 

「サクラコさん……それと、セリナさん。お待たせしてしまいました。早速ですが、打ち合わせを始めましょう」

 

「は、はい」

 

「ええ」

 

 ナギサの口から名前を呼ばれセリナは声が上ずる。ナギサの目は一切セリナを侮っていないことがわかったからだ。

 

「それにしても……ミネ団長は少し意地が悪いですね。私やナギサ様は、主治医に強く出れないことを知っての代役でしょう。専門外のことを任され、荷が重いでしょうに」

 

「サクラコさん、ミネ団長は現在とても動ける状況ではありませんし、普段の彼女からすれば代役を立てただけでも良いと思いますよ」

 

 嫌味なのか本気で代理なんて大変ですね、と言われているのかセリナは全くわからない――ということもなく、時折サクラコのカウンセリングをしているセリナは「そちらも大変ですね」と受け取り、微笑んだ。

 

「いえ、団長の代わりとしては足りないですが、今日は頑張るつもりです」

 

「ふふ、期待していますよ。セリナさん」

 

 ナギサの笑顔はまるで笑っているように見えないもので、セリナはひくつきそうになる表情をなんとか取り繕う。助けを求めるようにセリナはエリカに目を向けるが、エリカの雰囲気は変わりようがない。

 

「話を始める前に、紹介をしなくてはならない方がいらっしゃいます」

 

「そちらの方ですね」

 

「えぇ。シャーレに出入りされているセリナさんはご存知かもしれませんが」

 

「……は、はい。まぁ、何度かお会いしていますので」

 

 まるで別人のようなエリカを見て、セリナは会っていたことに自信が持てなくなる。

 

「草鞋野エリカさん。連邦捜査部シャーレの補佐官であり、元ヴァルキューレ警察学校の生徒です。ヴァルキューレでは優秀な成績を修められた方でもあります。エリカさん、ご挨拶を」

 

 ナギサが挨拶を促すと、エリカは静かにナギサの横に立つ。開かれた口から出たのはセリナが知る可愛いらしい少女の声ではなく、もっと低く、鋭い声だった。

 

「ナギサ様から紹介を預かりました。草鞋野エリカと申します。本官は本日よりエデン条約締結までの間、ナギサ様の専属ボディーガードとして一時的にトリニティ総合学園へ留学となります。以後、よろしくお願いします」

 

 敬礼こそしなかったものの、その言葉は固く、セリナは言葉を返せずにいた。

 

「……なるほど、よろしくお願いします。ですが……ナギサ様?外部の生徒を、しかも中立であるというシャーレの生徒を引き込むとは、思い切りましたね」

 

「無茶なことをしているのは百も承知です。ですが本人合意の元でのものです」

 

「そうですか。…我々はそんなにも信用がないと?」

 

「いいえ。ですが、脅威は去らず、未だにこの学園に巣食っています」

 

 セリナは他言無用とされつつも、夏の前に起きた騒動の全容をミネに聞かされていた。こんなところに座らされているがセリナは一般の生徒である。脅威が去っていない、という事実に彼女は怖くなった。

 

「なるほど……そのための、草鞋野さんということですか」

 

「えぇ。狩りには猟犬が必要です」

 

「あまり良い言い方ではありません。人をそのように」

 

「私は気にしていませんので」

 

 サクラコは素直に注意したが、エリカからそのように言われてはこれ以上言うことはなかった。

 

「さて、前置きはここまでにしましょう。本日の議題は――」

 

 セリナはその後、ほとんど発言することはなかった。一生徒として理解の範疇を越えるような話ばかりだったからだ。

 

 ただ、一つ印象に残ったものがあった。それはナギサがエデン条約に納得のいかない派閥の意見を直接聞くというもの。セリナの伝え聞くナギサのイメージはそのようなことをせず、雲の上から盤面を指す姿。

 

 自ら出向き、話をするというアグレッシブさにセリナは伝聞など当てにならないと感じた。そして、だからエリカがいるのだと納得した。エデン条約締結までナギサは唯一のトリニティの生徒会長であり、倒れてはならない。そのための盾がエリカなのだと。

 

 何があってエリカがそんな役目を負ったのかセリナはわからない。それでもセリナは二人の距離が少し近いことを見て、察した。

 

「(心から信頼できる方を見つけられたのですね、ナギサ様)」

 

 これからしばらく、ナギサが秘密裏に救護騎士団へカウンセリングを受けにくることは少なくなるだろう、とセリナは患者の快方に嬉しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 先生の前には山海経の美しい夜景が広がっていた。自然と、人々の営みが創り出す暖かな光。彼女は山海経における支援要請を無事果たし、まさに無形の報酬ともいえるそれを眺めていた。

 

「……ふぅ。ちょっと頑張った甲斐あったかな」

 

 シャツの胸元を少し開け熱を持った体を夜風で冷やしていく。山海経の梅花園を発端とする密輸と、それをダシに山海経の生徒会である玄龍門、大きな影響力を持つ玄武商会を共倒れさせかねない騒動の決着は無事についた。先生にとっては久々の単独での支援要請であり、一つの自治区を脅かす重大事案であったが、彼女はその程度のことで弱音を吐かなかった。

 

「エリちゃんは上手くやってるかな」

 

 先生はエリカの心配をしていた。一時的とはいえシャーレから出ていってしまい、トリニティの生徒となったエリカが困難な立場にいるであろうと思っていたからだ。それをわかって行ったと先生は思っていても、心配なものは心配だった。

 

「あとはナギサがテンパって変なことにならなければいいけど」

 

 ナギサがエリカへ向けている感情がどういうものかは一眼で先生はわかり、微笑ましく、青春をしていると感じている。何か間違いがあってはいけない、と思いつつもエリカがお堅いことも先生は知っているので、そっちは心配していなかった。

 

「其方、そんなところにおったのか」

 

「ん?あぁ、キサキ。ご飯は食べたの?」

 

「妾は少食、とさっき言ったじゃろうて。もう満足じゃ」

 

「そっか」

 

 先生がいるテラスに現れたのはこの山海経の生徒会長である竜華キサキだった。彼女は先生の横に立つと、しばらく無言で先生と共に夜景を眺めていた。

 

「…………先生。其方に伝えなくてはならないことがある」

 

「何かな?」

 

 事が済んだ余韻を消すかのように、キサキの声音は重く、先生はいつもの調子で、しかし生徒が何かを切り出そうとしていると察して、気持ちを切り替えた。支援要請が終わったが、そこで先生の仕事は終わりではないのだ。

 

 キサキが着ているコートから何か小さな小瓶を取り出す。それは琥珀色の液体が入っておりアンプルになっていた。

 

「なにこれ…?」

 

「まぁ、匂いを嗅ぐだけならよいか」

 

 パキャ、とキサキはアンプルを割り、その割れた口を先生の顔の前へ持ってくる。先生は匂いを嗅ぐと、それは知っている匂いだった。

 

「え、これ金木犀の香水?」

 

「…!よもや、其方が知っているとは。どこでこれを嗅いだ?」

 

「え?私の担任してる生徒がいつも使ってる香水だけど」

 

 キサキの表情が訝しげに歪む。先生は困惑する。

 

「これ、なに?香水じゃないの?」

 

「……金木犀の香水は売っていないわけではない。じゃがな?“この匂いの金木犀の香水”はこの世に存在しないはずなのじゃ」

 

「どういうこと?」

 

 では一体、あのエリカが使っている香水はなんなのか。先生は目の前の琥珀色の液体を凝視した。

 

「匂いこそあるが、これは香水ではない。薬じゃ」

 

「薬…?」

 

「それこそ、違法薬物と言っていい代物」

 

 先生は衝撃を受け、声が出ない。では、同じ匂いがするエリカは一体。

 

「どういう薬効なの」

 

「一度飲めば感覚が鋭敏となり、一流の戦士のような反応ができるようになる。しかし、効果が切れれば離脱症状で一ヶ月は苦しむ」

 

「そんな危険なものなの!?けど、私の生徒、そんな状態にはなってないけど…」

 

 離脱症状がそこまで長引くのであれば劇薬であり、エリカがそうなっている姿を先生は見た事がなかった。キサキは「なるほど」と変化に乏しい表情を納得したものに変えた。

 

「其方の生徒は“草鞋野エリカ”じゃな」

 

「よくわかったね?話してないよね」

 

「なら、納得じゃ。あの者は本来の品物を引き継いだのだろう。大丈夫じゃ、彼女のそれは本物の香水じゃ」

 

 キサキの表情が憂いを帯びたものになる。先生は一体何を彼女が知っているのか気になった。

 

「だが、そうか……まだ、彼女は戦わねばならぬか」

 

「……キサキは、知ってるの?エリちゃんのこと」

 

「うむ。あの“事件”はただ単に、あの者の気をひくために起こされた事件ではない」

 

 キサキは瓶をテラスの手すりの上に置いた。

 

「実行犯は妾たちが処断した。当時の山海経生徒も噛んでおったからの。が、この薬の製法は残された。ゆえに厳重に封印しておった」

 

「でも、どうして封印していたならキサキが…?」

 

「今回の騒動、萬年参の密輸はこれの隠れ蓑だったようじゃな。関わった連中を詰めたら吐きおった」

 

「隠れ蓑?それじゃあ」

 

「防げなかった。この薬は既に、どこかへ流れておる」

 

 先生は今すぐにでも動き出したい衝動に駆られた。

 

「まぁ待て。妾たちも、草鞋野も、そして、あの連邦生徒会長も、当時真犯人には辿り着けなかった。迂闊に動けばまた尻尾も掴めんだろうて」

 

「もうキサキは何か掴んでるの?」

 

「いや、なにも。しかし、のう?これを欲しがるものは限られておる。具体的に言えば、数が少なく、それでいて技量も決して高くない。それでも事を成そうとする者たちだ」

 

「そんな集団がそんなポンポンといるわけないと思うけど」

 

「そこじゃな。まぁ、妾たちも引き続き調査は続けよう。……草鞋野には返しきれぬものがある。本来は山海経が負うべき汚名まで負わせてるのじゃ」

 

 先生はエリカの過去の事件の全容は知らない。だが、こんな違法薬物が関わった重大事件とは思っていなかった。このことはエリカに話すべきなのか。先生は迷い、携帯を取り出す。すると、タイミングがいいのか、エリカからモモトークで何か送られてきたのだ。

 

「エリちゃん?こんな時間にどうしたんだろう」

 

 トーク画面を開き、先生は送られてきたものを見た。すると、そこにあったのは意味不明な画像であった。

 

「なにこれ」

 

「どうしたのじゃ?……草鞋野ではないか。それに、これは遊園地?」

 

 明らかに廃墟のような遊園地の入り口でエリカの周りを先生の知る他の生徒、コハルやマリー、ノアが囲んで楽しげにしている写真。トリニティでナギサの護衛をしているのではなかったのか。先生はあまりに意味が不明で薬のことを伝える事を後回しにしてしまった。

 

 




ナギサと主人公は当初寝室も一緒にしようとしていましたがフィリウス派が許してくれませんでした。
香水渡されたナギちゃんは使うのを躊躇っています。下手に今の期間使うと”そういうこと”をしたと思われてしまうためです。

ちなみに今回から登場した草鞋野エリカ(トリニティ)の固有武器と愛用品は以下のようなものです。

固有武器「無銘の正義」
>トリニティの名工が用意した本来はティーパーティーのホスト向けのライフル(小銃)。見た目こそトリニティで流通している普通のライフルだが、細部に至るまで非常に精度の高い製造がされており、持ち主の神秘に呼応することもありうる。

愛用品「金木犀の香水」
>エリカが普段使いしている香水で非売品。製造元を聞いてもエリカははぐらかし教えてくれない。
エリカの家には使いきれない量がストックされている。

以上です。出したからにはつい解説したくなってしまう病。
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