ナギサの、調印式の朝は今までの嵐のような日々を抜けたかのように穏やかで、エリカとの二人三脚も今日までなのだと感傷に浸るほどだった。それでも残された数少ない時間を過ごそうとナギサはエリカと短いながらモーニングティーを楽しんだ。
そうしてから、調印式の前にナギサはミカへの面会を希望し、とりとめのないの話をした。最近のトリニティのこと、羽を渡してしまったことをからかわれたり、条約が終わればミカの今後についてようやく話ができること。エリカはその場に同席しなかったが、ナギサはきっとこれからもエリカがいれば上手くいく、と希望を持っていた。
調印式の会場へとやってきたナギサはトリニティ側の最後の調整をサクラコやツルギ、トリニティの他の首脳陣で行い、ゲヘナの要人たちの到着を待っていた。マコトの到着が遅れるということで、先にゲヘナ風紀委員の面々が到着していたのをナギサは見た。恐ろしい噂が絶えない風紀委員の空崎ヒナを見た時は先生と楽しげに会話する様子を見て、やはり噂は噂なのだと感じた。ハルナと変わらず、彼女ともわかりあえるとナギサは思った。
未来は、希望に溢れている、とナギサは復旧された古聖堂のステンドグラスに差し込む暖かな光を見て、思わず祈った。隣にいるエリカはその様子を見守ってくれていた。
どうか、誰もが楽園に辿り着けますように、とナギサが祈ったのと同時に、ナギサの世界は轟音と共に暗転した。
「っ……なにが……」
焦げ臭さと、甘い金木犀の香りと、鉄のような臭いがナギサの鼻をつつく。視界は真っ暗で、何がどうなっているのかわからず、全身がずっしりとした何かに覆いかぶさられていた。
「(動けない、それに、この、キツイ臭いは、なにが、どうなって)」
混乱する頭をどうにか冷静にナギサは動かし状況を整理する。ひとまず、襲撃を受けたというのはナギサもわかった。では、なぜこんなにも真っ暗なのか、なぜ体が動かないのか。少なくとも、何か怪我をしている感覚はナギサにはなかった。ただ、何かにのしかかられ、それを避けることができないでいる。
「……っ…!え、エリカさんは、それに、先生は」
ナギサはエリカはどうしたのだと焦る。すぐ横にエリカはいた。先生も離れた席にいたが、真っ暗で何も見えない。
「ぐっ、お腹のあたりも何か、生暖かい、液体…?これは、なんですか」
そんな中で、ナギサの聞きたい声が、すぐ近くで聞こえた。
「うっ……」
「え、エリカさん!?どちらに!?」
「な、ナギサちゃんの、うえ、かな」
「じゃ、じゃあ、この被さってるのは」
「あぁ、ごめん、すぐ、退くからさ」
ひとまず、エリカは無事だとナギサは安堵する。エリカが体を起こそうとしているのか、ナギサの体の上から重たさが消えて、代わりに光が差し込んでくる。そうして、ナギサの目に映ったエリカの姿に、ナギサは強いショックを受けた。
「え、エリカ、さん?」
エリカはナギサに覆いかぶさって、大きな瓦礫の崩落から庇ってくれていたことがわかった。
「血、が」
「あ、ごめん。服、汚しちゃったね」
ナギサの制服のお腹のあたりは赤黒く染まっていた。だが、ナギサの体には裂傷などはない。せいぜい打撲程度。ならこの血は誰のものか。
エリカの体はひどく傷ついていた。脇腹の制服は破け真っ赤に染まり、額からも血がしとどを作っている。他にも細かい擦り傷が見える。それなのにエリカはいつものように、ナギサに笑みを浮かべていた。
「エリカさん!体が…!こんな」
「大丈夫、大丈夫。見た目が派手なだけだからさ」
「で、ですが」
「平気だって、これぐらいの傷」
平然としているエリカにナギサは本当に平気なのか、と信じられずにいる。
「それよりも、今は状況を確認しないと」
「…ッ……は、はい」
血を制服の袖で拭いながら、エリカは近くの瓦礫に埋まっていたと思われる今使っているトリニティ製のライフルを取り出す。ナギサが周囲を見渡せば、そこはまさに地獄と言っていい状況だった。古聖堂など見る影もなく、あたりに立ち込める煙と炎。崩落に巻き込まれた生徒は多数いる。
「うっ……」
「大丈夫。生きてると思う」
当然、瓦礫の下敷きになり足だけしか見えていない生徒もいた。エリカが気やすめなのか生きているというが、ナギサは最悪の想像をしてしまう。そして、連想してしまう。自分達よりも脆い、先生のことを。
「え、エリカさん、先生は…」
「……………」
エリカは押し黙った。何かを堪えるような表情。しばらくエリカと過ごしたナギサにはわかった。それが怒りをなんとか鎮めているものだと。
「探すよ」
「はい」
静かな言葉は命令にも聞こえ、ナギサはまるでいつもそうしていたかのようにエリカに了解し、自身の銃ではなくエリカから預かった拳銃を抜いた。エリカが駆け出し、ナギサは後に続く。
瓦礫の下からうめく声が聞こえるたびに、ナギサはどうしてこんなことに、と心をナイフで何度も刺されているかのような痛みを感じずにいられない。それでも、彼女は目の前にいるエリカの気丈さを見倣い、なんとか動いている。
「古聖堂が崩れる直前、風切り音が聞こえたんだ」
「…では」
「うん。白石さんたちの警告通りだった。ミサイルだよ」
数日前にナギサはミレニアムから以前の廃遊園地調査で発見した何らかの制御装置の解析結果を受け取っていた。制御装置の正体はミサイルの発射装置のものであり、拠点攻撃も可能なサイズを運用可能なものだということ。
もちろん、報告を受け取るだけではなくナギサは別にミサイルがないかの調査をさせていた。しかし、見つけることはできなかったのだ。
「わかっていながら…!」
「悔やむのは後だよ」
「わかって、います」
ナギサは攻撃されるとわかっていながら迎撃策も碌に立てられなかったことを悔やむしかなかった。迎撃の装備をミレニアムから採算度外視にでも導入しようとしたが、調整がつかなかったのだ。低下した影響力がどこまでもナギサの足を引っ張っていた。
「(身から出た錆…これが、愛する者を潰すような真似をした私への、罰とでも)」
お前の望みは叶わない、と神に見放されたような感覚にナギサは陥る。そして、今想っている相手も深く傷ついた。天罰が下ったのだとナギサは思った。
「……これは」
しばらく瓦礫の山を歩いたところで、エリカが立ち止まった。エリカの目の前には明らかに瓦礫を退けた様子が見られ、不可思議なことに瓦礫がないそこには古聖堂の椅子が綺麗に残っていたのだ。まるで、何かにそこだけバリアが貼られたかのように。
「エリカさん、この椅子は」
「距離感からして、このあたりに先生がいたはずなんだ」
「では」
「もしかしたら、先生は無事なのかも……うん、この足跡見て」
エリカが椅子の近くに残った靴の跡を指差す。ナギサはわからなかったが、先生と一緒にいるエリカはその足跡が先生の履いている靴だとわかった。どういうわけだがわからないが、先生は無事のようだ。先生の足跡に寄り添うように別の足跡もあり、おそらく誰かが先生を救ったのだろうとエリカは判断した。
「なら、あとはナギサちゃん。君を逃さなくちゃ」
「逃す?いえ、私はここに残って救助と状況を」
「ダメだよ。いい?これはテロ攻撃なんだ。そして、私たちはミサイルの一発じゃ簡単には死なない」
エリカが真剣な表情でナギサに告げる。ナギサはエリカの言わんとしていることはわかった。わかったが、そこまでするのかと息を呑んだ。
「後詰めがくる。こんな首脳陣が集まる場所を攻撃したんだ。君を狙ってくる」
「そ、そんな」
「大丈夫」
ナギサはエリカの頭の上が強く光ったのがわかった。通常、ヘイローはそこまで強く光を放たない。だというのに、エリカの頭上で彼女のヘイローは燦然と輝いていた。風のような炎のような、揺らめく蒼いヘイロー。ナギサは聞いたことがある。複雑な形をとるヘイローを持つものは強大な力を持つと。
「約束したでしょ?私がナギサちゃんを守るから」
満身創痍にも見える傷だらけの姿で、エリカはナギサに笑って見せた。安心させようとしているのか、エリカの笑顔に、ナギサは余計に不安になる。まるで、何かを覚悟してしまっているようにも見えて。
「……エリカさん、あの」
「来たよ」
エリカにナギサが無理をしないでほしいと告げようとしたところで、エリカがその言葉を遮る。複数の足音がナギサたちの方へと近づいてきていた。同時に、遠くで激しい銃撃音……機関砲を放つような音が響く。戦闘が始まったのだ。
「………チーム9、トリニティ、桐藤ナギサと草鞋野エリカを確認した」
「優先排除対象だ……消えてもらおう」
4人組の白のコートにガスマスクを身につけた生徒がエリカとナギサの前に現れる。
「アリウス…!」
「やっぱり、君たちなんだね、この攻撃をやったのは」
アリウス分校の生徒たちが、二人に銃口を向ける。数では明らかに劣勢であるにもかかわらず、エリカはナギサの前に出た。
「わざわざこうやって後詰めを出すぐらいなんだ。私たちの捕縛が目的かな?」
エリカの気安い様子にアリウスの生徒たちは銃を構えることで応える。明らかな拒絶にエリカは苦笑いするしかなかった。ナギサはどうするべきかと考えを巡らすが、自身の戦闘能力は大したものではないとわかっているが故に、迂闊に動けない。
「捕縛目的じゃないなら、君たちは何をするのかな?」
「………冥土の土産にはしてやろう。お前たちのヘイローを破壊する」
アリウスの生徒の一人が告げた言葉に、ピタリとエリカの動きが止まった。
ナギサは明らかに目の前の生徒たちが自身の殺害にきているとわかり、恐怖するがその恐怖すら打ち消すほどに――凄まじい気配が目の前のエリカから漂っていた。
「ヘイローを破壊する。つまり、殺害予告、ってことかな」
「そうだ」
「そうなんだ。そっか」
変化は劇的、しかして、あまりにも静かで一瞬だった。
バキャリと、ヘイローを破壊すると言ったアリウスの生徒のガスマスクが粉々に砕け、そのまま背中から倒れ込む。何が起きたのか、その場にいるエリカ以外の生徒はわからなかった。
エリカは右手でライフルを倒した生徒がいた方向へ向けていた。だが、いつ撃ったかわからず、銃口から上がる煙だけが発砲後であることを証明していた。
「こ、こいつ!?」
攻撃されたことにようやく気がついた残りのアリウス生たちがエリカに銃を向けるが、構えた時には視界にナギサしかいなかった。
「どこにっ…ガッ!?」
また一人、アリウス生が顎に強い衝撃を受け意識を失う。いつの間にか、エリカが二人目の犠牲者の前に立っていた。そこでやっとエリカの表情をアリウスの生徒は見た。強い憎悪と殺意を持ち、覚悟を持ってここに攻め込んだはずのアリウス生はそれがなんでもない、その気になっていただけだと思いしらされた。
「な、なんなんだ、おまえは」
エリカの顔は無表情だった。まるで何も感じていないかのような、波ひとつない、凪いだもの。アリウス生を見る目はまるで路傍の石を見ているようで、エリカの本来はあどけない容姿と相まって、無邪気な子供が見せる残虐さのように見えた。
「君たちは人を殺したことがあるのかな」
「な、なにを…!?我々はこの日のために訓練して…!」
「私はあるよ」
その告白に、ナギサは言葉を失った。
「エリカさん、なにを、言って」
「ごめんね、ナギサちゃん。今まで黙ってて…ううん、ナギサちゃんだけじゃない、みんなに、だね」
声音は優しく、いつも通りに、だが表情がついていこない。その様を見せつけられたアリウス生は恐怖する。
「みんな、あれは事故だって、仕方がないって言うけど、そうじゃない。私が撃って、私が殺した。あの人を、私のことを好きだった人を。犯人となってしまった、先輩を」
「お、お前の事情など知ったことか!今ここで、お前たちを」
「人ってね、一度とってしまった選択は消えなくなるの。脅す、暴行する、銃を撃つ、そして、ヘイローを壊してしまうことも」
エリカが銃口を向けながら一歩、アリウスの残った生徒二人に近寄る。アリウス生たちは後ずさる。
「だから私はいつも、“警告”して“選択”する」
なにを、とはその場にいる生徒たちは聞けなかった。
「――警告します。今すぐ銃を置き、その場に伏せなさい。さもなくば」
ようやくエリカの顔に表情が宿る。決意を持った強い意志を感じせる表情。アリウス生はまた一歩下がる。
「さもなくば………身の安全は保証できません」
間違いなく最後通牒だとアリウスの生徒たちは悟った。先ほど撃たれた生徒たちは生きている。だが、自分達はどうなるかわからない。エリカの気迫が、本当に自分達のヘイローを破壊してしまうのではないかと思わずにいられない。それでも退くことはできない。アリウス生は追い込まれ、叫んだ。
「ミメシスを……!増援を!」
「なっ…!」
通信機を通し、それはアリウスの指揮官へと届く。そうすれば、まるで陽炎の中から出てきたかのように、青白く光るガスマスクをつけたシスターたちが現れる。エリカはアリウスの増援だとわかったが、感じた気配は初めてのものではなかった。
「これ…遊園地のときの!」
「退くぞ!」
「あぁ!」
「しまっ…う!?」
アリウス生が逃げ出し、エリカは追おうとするも突如現れたシスターの集団に容赦無く銃撃された。エリカの肉体は決して万全などではなく、限界ギリギリの状態だった。ダメージはダイレクトにエリカへと伝わり、傷に響く。
「ぎっ、ぁ、な、ナギサ、ちゃん、逃げてっ!」
「ですが!」
「私が、ここを押さえる、からっ!」
ナギサはエリカがやせ我慢をしていたと確信する。銃弾が命中するたびに、エリカの脇腹からの出血が明らかに増えている。このままではエリカはヘイローが壊れる。ナギサは銃を構えた。
「ナギサ、ちゃんっ、だめっ」
「警告します。ユスティナ聖徒会。あなたたちはトリニティの守護者のはずです」
シスターたち…かつてトリニティの元となり、シスターフッドの前進組織であったユスティナ聖徒会の亡霊たちはナギサからの言葉が届くと反応し、銃撃を中断した。それはナギサの言葉を聞いて、配慮したからではない。
明らかにナギサを新たなターゲットとしたからだ。
「我々に敵対するのであれば、発砲します」
「ナギサっ、逃げてっ!私なんか、放って!」
「嫌です!」
エリカの必死の説得を、ナギサは全力で拒否した。エリカはここまで大きく強い否定の言葉をナギサに初めてかけられて動揺する。
「もう、もうっ、たくさんです!みんな、みんな私に何も言わず、勝手に!」
「え」
「セイアさんも、ミカさんも、ミネ団長も、サクラコさんも、先生も、そして、エリカさんあなたも!」
間違いなくナギサの叫びは怒りに満ちたものだった。エリカは突然のことに呆けてしまった。
「勝手に悩んで勝手に覚悟して、勝手に私の前から消えていって!えぇ、私だってそうです!勝手に悩んで勝手に覚悟して、人を傷つけましたよ!」
ヤケになったかのような告白にエリカは敵を前にしている状況なのに動けなかった。
ナギサは涙を流していた。
「でも、もう嫌なんです!そういうのは!だから、だから約束したんです!あなたと!エリカっ!」
ナギサがエリカの銃のトリガーを引き、一発の銃弾がユスティナ信徒の頭に直撃する。ミメシスという濃い神秘の存在がこの場にいるせいか、銃弾にはナギサの持つ強大な神秘が乗っていた。
「勝手にいなくならないでください!でないとこの銃、一生返しませんよ!?」
本音をぶつけあう。学生同士であれば当たり前のこと。それができなかったからナギサはエリカに焦がれた。部下のように扱われ、本音だけの会話をして、当たり前のように友達として接してくれた。一夏の思い出はナギサを大きく変えてしまった。
エリカはナギサの言葉に少しの間固まってから、ようやく力抜けた笑みを浮かべた。
「……それは困るかな」
そして、自然体でライフルに銃弾を装填し、ユスティナ信徒の頭を貫いた。撃たれた信徒は幽霊のように霞んで消えていく。倒せない相手ではないとエリカは確信し、安堵する。
「わかった。一緒に逃げよう。約束だもんね」
「えぇ、そうです。約束しました」
「……その前にさ」
また一人、エリカがユスティナ信徒を撃ち抜く。その様子に躊躇いはなかった。
「私は、人殺し。その事実は消えない。それでもいいの?」
「その話は全部終わったら聞きます!」
まるでナギサはエリカだけに背負わせない、と言わんばかりに同じようにユスティナ信徒を撃った。
「だから今は、私を護ってください!」
「ふふっ、そうだね。そうだ。よしっ!」
エリカはいつもの調子を取り戻し、痛みに悲鳴を上げる体に鞭を打つ。
「いくよっ!」
「はい!」
合図し、エリカとナギサは駆け出す。ユスティナ信徒も攻撃を再開し、これまでとは逆方向へと逃げ出した二人を追う。時折振り向きつつ、エリカとナギサはユスティナ信徒を一人、また一人と倒していく。
「なんか数多くない!?」
「エリカさんが前に遊園地で戦ったものと同じものなのでしょう!」
「だとしたら、厄介!」
エリカは廃遊園地で戦った熊などと同じだとわかりはしたが、今回現れたユスティナ信徒の動きは明らかに訓練された人間の動きであり、着ぐるみたちとは練度がまるきり違った。
それでいて無限に湧き出すという勢いの相手に、エリカはどうやって逃げ切ったものかと考える。遊園地の場合は敷地外に出れば追ってこなかった。ならこの古聖堂から抜ければとエリカは考えた。
「ナギサちゃん!とにかく古聖堂の敷地外に!」
「報告は覚えています!敷地の外には出られないというものですね!」
「そう!」
エリカはこのまま逃げればと判断し真っ直ぐに敷地外を目指す。瓦礫の山は少しづつ減り、明らかに古聖堂の裏庭らしき場所に出たのか芝生が見え始める。そこを超えればトリニティの市街地が見えたが、市街地の方向からも黒煙が見えた。
「襲撃されてる…!?」
「そんな!?古聖堂以外も攻撃されているのですか!?」
二人は信じられない、といった様子で駆け続け、崩れていた壁をそのまま通り抜けてトリニティの市街地へと抜けることに成功する。しかし、そこで待っていたのはところどころでユスティナ信徒に応戦する住民や生徒たちだった。
「敷地外に出てもいる…!?まさか、こいつら!」
エリカは「トリニティから出ないと追ってくる」とまで思ったが、流石にそこまで逃げ切れる自信がなかった。遠くで救急車のサイレンが聞こえたと思えば、凄まじい速度でエリカたちの前を通り過ぎていく。
「ゲヘナの救急車……やっぱり重症の人もいるんだ…!」
「エリカさん!すぐにトリニティに戻ります!このままではより混乱が!」
「わかった!なんとかそこまでは――」
エリカの声が途絶える。ナギサがどうしたのかと振り返れば、エリカはまるで糸が切れたかのようにその場に倒れ込み…脇腹からより多くの血を流し始めた。
「あ、あぁ、ああっ、え、エリカさんっ!」
ナギサが駆け寄り、必死にエリカを揺らすがエリカは虚な目をして、全く動かなかった。
「……ぁ……ごめ……ね………ごめん、ね………」
「いや、いやです、やだっ、血が、血が止まらない、どうして、なんで!」
うわごとのように謝るエリカに、ナギサは持っていたハンカチを脇腹に当てるが血が止まらない。間違いなく致命傷。このままではエリカのヘイローが壊れる。誰が、とエリカが周囲を見渡せば追ってきているユスティナ信徒の中から悠然と歩いてくる生徒が見えた。
キャップを被り、右手にアサルトライフル。すらりとした、顔半分をマスクで覆ったロングへアの生徒。これまでのアリウス生とは明らかに違う空気感に、ナギサはあれが相手の指揮官だと悟った。
「……先生といい、草鞋野エリカといい、手こずらせてくれた」
「あなた、は」
「桐藤ナギサ。会えて光栄だ。だが、さようならだ」
「どうして、エリカさんを」
「どうして?それは貴様がよく知っているはずだ」
「だとしても、人の命を奪っていいなんてっ!」
「貴様らは第一回公会議のあと何をした?お前たちトリニティに私たちを止める資格などない」
アリウスの指揮官――サオリはナギサに銃口を向ける。
「この距離だ。お前が避ければ草鞋野エリカは死ぬ。避けなければお前のヘイローが砕けるまでは草鞋野エリカと一緒にいられる。選べ、裁いてやる」
ナギサは動かずに、サオリを睨んだ。それが答えだった。サオリはくだらないと引き金に指をかけた。
「愛などと、実に虚しいな。全ては無意味だ。桐藤ナギサ」
ナギサはエリカにかぶさった。さっきはエリカにそうしてもらい、命を助けられた。なら今度はナギサ自身の番だと思った。サオリの銃弾は放たれた。ナギサに降り注ぐ……ことはなく、それは何かに阻まれた。
「ッ!?」
「FOX3、現着っ!」
サオリとエリカたちの間に現れたのはクルミだった。ナギサは見たことがない制服の生徒に驚き、何故自分達を庇っているのかわからなかった。
「副局長っ!」
「草鞋野せんぱっ……あっ…!」
次に現れたのはユキノとニコだった。ニコはすぐにエリカの惨状を把握し、口を一瞬押さえたあとにすぐ駆け寄ってくる。
「あ、あなたは」
「どなたかはわかりませんがこのまま抑えてください!FOX各位!草鞋野先輩が重症です!」
ニコがこの場にいない面々も含め、エリカの状況を伝えるとサオリと接敵していたクルミの態度が明らかに変わった。
「あんた…っ!先輩に何をしたぁっ!」
「SRTだと!?あの距離をどうやって…!」
「答えろぉ!」
クルミがシールドバッシュを敢行し、サオリはミメシスを盾に後退し回避する。単独でFOX小隊を相手にするなど無謀もいいところだからだ。
「まぁいい。もう間に合わんさ……!」
「逃すもんかっ!」
「FOX3!待て!」
サオリがその場から退き、クルミが追いかけるがユキノが止める。クルミはどうして、と言わんばかりに睨んだ。
「深追いするな。まずは副局長を助けるんだ」
「……チッ!わかってるわよ!」
ナギサは状況が飲み込めないが、ユキノたちは少なくとも味方であることはわかった。それでも問題は解決しない。瀕死のエリカをどうすればいいのか。
「このままではエリカさんがっ」
「わかっています!こちらFOX2!RABBIT3!応答してください!こちらに着陸を!要救助者1!」
『イエス・マム!』
ナギサはヘリの音が気がつけば頭上にあることに気がついた。よく見ればロープが少し離れたところに垂れており、ユキノやニコが上空から降りたのだと気がついた。ヘリでどこかに行こうというのか、ナギサはニコに問いかけた。
「ど、どこにエリカさんを連れて行こうと言うのですか!?」
「ミレニアムです!あなたも一緒に来てもらいますよ!」
「い、いえ、私は学校に戻って指揮を…!」
「この混乱の中、今は無理です!一度退きます!」
ニコの強い言葉にナギサは反論できず黙るしかなかった。
「FOX1七度より、RABBIT1月雪小隊長へ。担架を用意しろ。それと応急処置の準備」
『RABBIT1、了解しました。そんなにひどいのですか』
「……気をしっかり持て。だが、諦めるな」
『…わかりました』
ヘリが降りてくる。ナギサは助かったと思いつつも、今は何もできない自らの不甲斐なさにただ嘆くことしかできない。こうして、ナギサとエリカは灰となって燃え尽きた楽園から今は逃げることとなった。
ついにエデン条約後半です。
ナギちゃんついにキレる。主人公をあそこで説得できないと先生を撃ったサオリがあの場に現れてどうやってもゲームオーバーでした。
なお主人公これまでの怪我と違って瓦礫で脇腹切られてるし重い瓦礫で身体の裏側ボロボロです。サオリは一番ダメージ受けてる脇腹に当ててダメージ許容値超えたことで主人公はぶっ倒れました。
次回はまた明日になります。