目的のお店のある街まではそこまで遠くないのか、30分ほどで到着した。駐車場はなくて、当たり前のようにアヤネちゃんは路駐した。車の通りはほとんどない。ここまでにすれ違った車は数台だった。
「到着しました。あの屋台になります」
「屋台?」
車を降りて、アヤネちゃんが指差した先には屋台があった。ハルナが好きそうなわけだ。ただ、その割にはお客さんの姿はなかった。
でも、考えてみればアビドスに夕方以降に来る外部の人はすくないだろうし、地元の人がほとんどターゲットのお店なことに加えて、交通手段も限られているからしょうがないのかな。
「ん?ああ、いらっしゃ──ってアヤネちゃん!?と……」
「久しぶりだね、黒見さん」
「わ、草鞋野さん?なんでここに」
出迎えてくれたのはアルバイト中と思われる黒見さんだった。よく似合ってるね。
「おっ!お客さんかい。いらっしゃい!」
暖簾の奥から明るい男性の声。屋台の奥で待っていたのは隻眼の犬の獣人だった。彼がこのお店の店主らしい。屋台で渋い感じだけど思ったより若い人だね。
「アヤネちゃんじゃないか。そっちの獣人の子は?」
「初めまして。連邦捜査部シャーレ、補佐官の草鞋野エリカといいます」
「シャーレ、ってことは先生の直属の生徒さんって感じかな?」
「そうですね」
「ははっ、そうかい。俺はこのお店の店主をやってる。まぁ、好きなように呼んでくれ」
「大将って、みんなは呼んでますよ」
「じゃあ、大将さんで」
「よろしくな、草鞋野ちゃん」
アヤネちゃんの言う通りに呼んで、それでOKのようだった。黒見さんは慣れた様子で「じゃあお席にどうぞ」と案内してくれたので、私とアヤネちゃんは席に着いた。メニューを見れば結構シンプルで、数はそう多くない。うーん、このあたりもハルナが好きそうだね。
前にハルナが教えてくれたけど、こういうタイプのお店でメニューが少ないってことはそれだけそこに賭けていて迷走せずどれも信頼できる味の可能性が高いって。
「お冷でーす。それにしても草鞋野さん、どうしてアビドスに?」
「あぁ、黒見さんは聞いてないのかな。1週間、アビドスに留学することになったんだ」
「え、なんで?」
「まぁ、ちょっと色々あってね…」
流石に、ここで話すのちょっと…自業自得だし。黒見さんは私が微妙な顔をしたことを察して、流してくれたようだ。
「来た理由はなんでもいいとして……アヤネちゃん、どうするの?」
「あははは………それは明日、委員会で考えたいと思います」
「了解。じゃあ、明日ね。それはそれとして、何食べます?草鞋野先輩」
「せ、先輩?」
「短期留学、って言ってましたし」
「あぁそういう…」
なんだか黒見さんに先輩、って呼ばれた瞬間、クルミちゃんが過った。そういえば、エデン条約事件の時に二人とも喧嘩してたね…。
さて、何食べるか聞かれてしまったので、決めよう。ここはオーソドックスに醤油ラーメンで行こうかな?いや、塩も捨てがたい。どうしようか、と悩んでいると脳内で、なんでかハルナが喋った気がした。
塩。塩にしよう。脳内のハルナが言っている。シンプルに、かつ、嘘をつけないと。だから塩で行けと言う。
「じゃあ、塩ラーメン一つ」
「私は味噌ラーメンで」
「はーい!大将!塩1、味噌1!」
「あいよ!」
アヤネちゃんは味噌ラーメンのようだ。
出来上がりまでしばらく時間がかかるので、屋台の方を観察すれば、確かにあった。美食研究会のシールが。
「EAT or DIE……相変わらずひどいシールだな…」
「あぁ、そのシール?前に来た銀髪の綺麗な人が貼って行ったんだよね。なんかヤバい人らしいけど」
「黒見さん、ごめん。一応その子、私の知り合いというか、友達というか…」
「え、そうなんですか?なんかこっちこそ」
「ううん。ヤバいことやってるのは間違ってないから…うん」
「なんか、草鞋野先輩の周りの人、先生以外どうなってるんですか…?」
どうなってるんだろうね?ハルナは爆弾魔だし、清澄さんは連続窃盗犯、ミカさんはクーデター実行犯、チヒロちゃんも実は知り合った頃はだいぶグレーな活動してたし、ナギサちゃんはアンダーグラウンドの住人じゃないけど偉い人である。カヤちゃんにいたっては連邦生徒会の室長の一人だ。
半分以上はアンダーグラウンドな世界の住人なんだけど、なんだろう。私、警察官だった、はずだよね?
「…………まぁ、大事なのは今だからね!」
「セリカちゃん、聞かない方がよかったかも」
「そうね…」
気にしない。気にしないことが大事。みんないい子だからね。うん!
「ヘイお待ち!先に塩ラーメン!味噌はあと少し待ってな!」
「ありがとうございます」
塩ラーメンが出てきたので受け取る。そして、私は目を奪われた。綺麗だ。美しい、という感情をラーメンにこれまで向けたことがあっただろうか。透明感のあるスープは煌めき、その中で泳ぐ麺は絹のように艶やかで、乗せられた具も整っている。
これはあのハルナも魅了されるはずだ。失礼だけど、こんな見ただけで「絶対に美味い」とわかるラーメンが屋台から出てくるなんて思わない。
いけない。口の中でよだれが溢れ出てくる。
「割り箸とレンゲはそこからお願いします。お好みでトッピングも出来ますからご自由にー」
まずはそのまま頂こう。割り箸を手に取って割り、レンゲも。スープをまずは一口掬う。そのまま、ゆっくりと口元に運んで啜った。
……これはっ!?
「びゃぁっ…」
「どうした?熱かったか?」
「う、美味すぎる…っ!」
大将からの心配も回答できない。
舌が、脳が、全ての感覚がこのスープを美味しいと言っている。脳裏に何故か悪魔のはずのハルナが天使の羽で飛んでいた気がする。これは美味い。本当に美味い。こざかしい感想なんて浮かばない。
全てが、全てが何もかも、美味い。
「いただきます……!」
麺を箸で取る。細麺、よくスープと絡ませて…ぱくりと。
「────ッ!!!」
感覚が弾ける。こんな、こんな美味しいものがここにあるなんて。
塩味、パーフェクト。辛過ぎず薄過ぎず。麺。しこしこしてる。ちゅるりと。
これはハルナも100点満点だっただろう。これが……これこそが、ラーメン。
「ははっ、どうやら口にあったみてぇだ。まるで、前に食って行った銀髪の嬢ちゃんみたいな反応だな」
「大将、確かに。…というか、感動しすぎじゃない?草鞋野先輩大丈夫?」
「はっ!?ご、ごめんなさい。あまりのおいしさに、我を」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。じゃんじゃん食べてくれ」
「はい!」
ラーメンをもうそこから一心不乱に食べた。
「ごくっ…ごくっ……!ぷはぁ!ご馳走様でした!」
「スープまで全部…!?」
「お粗末さまでした。いい食べっぷりだったよ草鞋野ちゃん。嬉しいよ」
「いえ!最高でした!またきます!」
「ほんとにあの銀髪の嬢ちゃんを思い出すな。また来てくれよ!」
そんなにハルナみたいに喜んでた?ま、まぁ、食事に対して真剣なハルナの姿勢は好きなので、悪くはないか。ただ、私が勢いのままに食べていたので、アヤネちゃんはまだ食べていた。
「すいません、もう少しかかりそうです」
「いいよ、待ってるから。黒見さん、お冷もらっていいかな?」
「はい、かしこまりました。ちょっとお待ちを」
一旦、お水を飲んで落ち着こう。しょっぱいもの食べ過ぎたし。そういえば、そろそろ健康診断の時期だから行かないとな〜。カンナちゃん、前にカフェイン取りすぎで怒られてたけど、今年は大丈夫なんだろうか。
「そういえば、最近ここらへんでまた強盗が流行り出したらしいから、みんなも気をつけてな」
「大将、何言ってんの。私たちがそんな強盗如きにやられるわけないじゃない。むしろ、大将こそ気をつけないと。あ、お冷です」
「ありがとう。……んっ…ふぅ。それにしても強盗ですか」
「あぁ。カイザーの連中が最近は静かになったから、それまで潜んでたゴロつきが出てきたみたいなんだ。知り合いの店も売上持ってかれたって」
大将が言う限りではわかりやすい強盗のようだ。
「私たちの前に現れたらぎったんぎったんにしてやるんだから」
「セリカちゃん、無茶したらダメだよ?」
「無茶にもならないわよ」
黒見さんもアヤネちゃんも、そんじょそこらの生徒とは比較にならない実力者なので平気なんだろうけど、犯罪者となると、ただ力押しでどうにかならないこともある。なので、本当は専門家に任せたいけど、残念ながらアビドスはとっくにヴァルキューレから管轄外扱いだ。
ここには警察なんてこない。
「ただ、私がきちゃったからなぁ」
「はふっ…ごくんっ。え、どういうことですか?草鞋野さん」
「あぁ、アヤネちゃん。私の異名はどれを知ってるかな?」
「異名ですか?えぇっと……安全局の狛犬。あとは……」
「事件わらし。私がいるところで事件が起きるってね」
よく聞こえる耳が聞いてしまった。こっちにかけてくる複数人の足音。
席から立ち上がって暖簾をかきわけて屋台の前にある歩道に出れば、車を止めた方、つまりは屋台の左方向から5人かな、こっちに向かっている。ライフルを構える。取り出した時にストックに描かれたトリニティのマークが夕日に反射して煌めいた。
現れた5人組はなんともわかりやすい目出し帽を被っているおそらく不良生徒だ。
「なんだ?そこどけよ」
「どうしてですか?」
「私たちは泣く子も黙る覆面水着団!そこの屋台をめちゃくちゃにされたくなきゃ退くんだな!」
ぶふっ、と屋台の方から噴き出す音がした。アヤネちゃん大丈夫?というか、覆面水着団ってあのホシノちゃんたちがエデン条約事件の時に名乗ったやつ。先生からも聞いたけど色々あって本当に銀行を襲った時に扮した強盗団の名前だったはず。
つまり、目の前の5人は偽物。だって本物その屋台に二人いるし。
さぁてどうしよう。さっそくナギサちゃんとのお約束を守れそうに…いいや、無茶しなきゃいい。つまり、怪我をせず、服を汚さず、片付ければいいということ。
「覆面水着団って。水着姿じゃないですよね?」
「んなわけあるか」
「その銃のマーク、あのお嬢様学校のトリニティなんだろ、お嬢ちゃん」
なんか勘違いされてる。今は私服姿なのも大きいかな。それにしても私、トリニティの生徒に見えるのだろうか。全然、お淑やかさのカケラもないけど。
「悪いことは言わないからどきな。そんな綺麗な洋服を着てるのに台無しにしちまうぞ」
めちゃくちゃ舐められてると思う。覆面だけど見える口元ものすごーい、ニヤニヤしてる。なんだろう。なんでか逆に新鮮な気持ちになってしまう。この状況なら好都合かな。
「あなたたちはなんですか。強盗さんですか」
「そうだよ。怖い強盗だよ。嬢ちゃん、身包み全部くれれば見逃すぜ?」
じりじり一人が寄ってくる。ちらりと屋台の方見れば、アヤネちゃんと黒見さんが銃をいつでも抜けるようにこっそり屋台から見ている。銃撃戦になると屋台が傷つくかも。
「…………」
「なんでしょうか」
「いや、すげぇ……こんな綺麗な銃は見たことねぇ…!おい、これさえくれれば見逃してやるよ」
それはダメ。この銃はナギサちゃんからもらった大切なもの。ただ、この子はこのライフルの価値がわかるらしい。驚きの声につられて、残りの4人も近づいてこようとする。ここまで近づかれてしまえば、いいかな。
「この銃は絶対あげられません」
「じゃあ残念だな。痛い目にあってもらうしかないな」
「痛い目……?」
「オラァ──ッ!?」
殴られたので手で受けたのち、全力で相手を足払いして崩す。そのまま私の方へと倒れ込むところにアッパーカット。
さらに首筋に手刀を入れて相手は歩道の上に倒れた。
「なるほど、こういうことですか?」
手をはたくような仕草をしつつ、残りの4人に目を向ける。怒りの前に怖がってくれたようだ。うん、助かるね。
「な、な、なんだ、この女!?」
「この人を連れて帰ってもらえるなら見逃します」
「舐めやがって、見逃すだと!ふざけ──っがあ!」
また一人倒れる。古聖堂を爆破された時にできた早撃ち、出来てしまった。……どうにも数日前のエリドゥでの身体リセット後から明らかに身体能力がいつもより2割増しぐらいになってる気がする。
「まだ続けます?」
「ひ、ひぃ!?な、なんだよ今の、わかった、引き上げっから!」
「ち、ちくしょう!覚えてやがれ!」
ダウンした二人を連れて偽物の覆面水着団は去っていった。ふぅ。体への負担はほとんどなく済んだ。これならナギサちゃんとの約束も破ってないはず。無茶なんてしてないからね。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫だよ、アヤネちゃん」
慌てて駆け寄ってくるアヤネちゃんと黒見さん。
「いや、というかなんか意味わからないぐらい動き速くない?もしかして草鞋野先輩って、ホシノ先輩並に強いの…?」
「流石にホシノちゃんの方が強いんじゃないかな」
相打ち覚悟でようやくなんとかやり合える、ぐらいなんじゃないかなぁ、ホシノちゃんはたぶん。
「とりあえず、屋台が無事でよかったよ」
「それは確かに。ありがとうございました先輩」
「どういたしまして黒見さん」
「……それにしても、まさか覆面水着団を騙るなんて」
アヤネちゃんはまさか自分たちの偽物が現れるとは思ってもみなかったようだ。そういえば、先生曰く裏社会だと覆面水着団は伝説の存在となってるらしい。
「さっき大将も言ってたけど、カイザーが引っ込んだからあんなのも増えたみたい」
「わかってはいたけど、実際に見てしまうと」
二人は気落ちしていた。アビドスの子たちは学校を守るためにカイザーと戦い、結果的にカイザーの影響力を弱めることには成功した。
それが結果としてカイザーの弱体化が治安の悪化を招いてしまった。皮肉なものだけど、これはアンダーグラウンドな場所ではよくあることで、D.U.にあるスラムなどでも勢力の均衡が崩れればその場所なりの秩序が崩壊する。
もし私がヴァルキューレに今もいたらなら応援を呼んでローラー作戦をすることで、治安の引き締めを行なったけど、残念ながら今の私は違う。
シャーレの生徒としては支援要請を受けない限りは積極的に動けない。そして、今の私はナギサちゃんからホシノちゃんに預けられた身。あまり出しゃばるような真似は避けた方がいいとは思う。
それでも、それでも……何かできることがあるはずだ。
私の手の中にあるライフル。ストック部分にはトリニティのマークがあるけど、本体部分にも言葉が彫られている。
──
無名ではなく、無銘。正義は誰かに造られるものではない、という意味なのか。この銃を作ったトリニティの職人さんが何を思って彫ったのかはわからない。
「草鞋野さん。ひとまず今日は戻りましょう」
「そうだね」
どうあれ、私は今、先生のように目の前のアビドスの子に呼ばれたわけじゃない。おとなしく、素直に学校へと戻ろう。
「元SRT生徒が不登校になっている、ですか?」
『はい』
デカグラマトンに対するミレニアム・アビドス・シャーレ合同の会議も済んだ翌日、今日はもうゆっくりしようとカヤは執務室内で一人コーヒーを淹れくつろいでいたところ、穏やかな時間を邪魔するかのように電話が鳴り、その内容も穏やかなものではなかった。
電話を掛けてきたのはヴァルキューレ警察学校の生徒であり、公安局の局長を務めているカンナだった。
かつて、カヤが行おうとしていた企みに加担させようとカヤはカンナを利用していたが、現在はカヤ自身が目標は変わらずとも、方針を変えたため、しばらく連絡を取っていなかった。
一方で、カンナ自身も本来ならば電話を掛けることは避けたかったが、エリカからカヤの近況は雑談的な中で聞いているため、ならばと電話をしていた。
「ふむ。確かに、現在SRTの一時的な管理は防衛室ですが、ヴァルキューレに移籍した面々はそちらで見るべきではないでしょうか」
一般論をカヤは述べる。カンナもそれはわかっていた。
『おっしゃる通りかと。しかし、SRT生は過去にデモを行い、RABBIT小隊に関しては大きな被害も出しています』
「なるほど?では、ヴァルキューレとしてはこう考えているわけですね。──不登校になった生徒は何か企んでいると」
学園都市内で不登校の生徒がいるというのはおかしくない話であり、そのケアや対応は各学園に委ねられる。カヤは前提を頭に流しつつ、稀に生徒からシャーレに助けが求められれば、先生がそのケアを行うことも知っている。
「RABBIT小隊の件で学校に居づらくなったのですかね?そのあたり、把握されてます?」
『いいえ。不登校となった生徒たちは警備局に配属されましたが、勤務態度は良好だったそうです。配属先の警備局の同僚たちからは心配だと話があがったぐらいですから』
「……生徒たち?」
『不登校になった生徒たちは元SRT特殊学園、一年生の4人です。全員、同じ小隊所属で、小隊名はDINGO小隊』
「同じ小隊ですか」
カヤは座っていた応接用のソファから立ち上がると、執務用のデスクへと向かう。その手にはコーヒーカップを持ったままだ。
デスクに着くと、カヤはスリープモードとなっていたパソコンの画面を立ち上げ、SRTに関係したデータを確認する。デモを起こした生徒の名簿は当然、揃えていた。
「小隊長は狐狼ミエ。プロファイル上は生真面目な性格で、とても不登校になるように見えませんが?」
カヤは画面の中のカンナに負けないぐらい真面目そうなブロンドの少女を見て首を傾げる。狼耳が真面目そうな印象からエリカともカヤは被り、尚更学校を疎かにするようには見えない。
「(同僚たちからも心配されているような生徒が何かを企みますかね?むしろ、あのときRABBIT小隊に迷惑だと言っていたと聞いていますし)」
SRTからヴァルキューレに限らず転校した生徒たちからRABBIT小隊の評価は芳しいものではない。一年生の中で最優秀だったこともあって、却ってそれほどの力がありながら違法な行為を働いたRABBIT小隊を軽蔑すると言って憚らない生徒が少なくなかった。
カヤは結果的にSRTに居残るような形となったFOX小隊、そしてRABBIT小隊の監督をする羽目になったが、カヤ個人としては周囲に迎合せず、自らの価値を示そうとする両小隊のガッツは気に入っていた。
「カンナ。言いますが、防衛室にわざわざ連絡するということは相応の話でないと応えることもできません」
『──………あいつめ…まさか本当に誑し込んだのか………』
電話の向こうで、カンナは本当にエリカがカヤを誑かしたのだと悟り、友人の被害者がまた増えているとこめかみを抑えていた。
「カンナ?すいません、よく聞こえませんでしたが」
『失礼しました。電波が悪かったようで。仰る通りかと。ただし、元DINGO小隊の4名は寮からも姿を眩ましている状態です。携帯や学生証、装備すら置いていっています』
「なら、殊更こちらではなく、ヴァルキューレで行方不明事件として扱うのが筋ではないですか」
『……そうですね。申し訳ありませんでした、防衛室長。貴重なお時間を頂き』
「本当ですよ。では切りますが、まだ何かありますか?」
『いいえ。失礼しました』
「はい」
電話は切れ、カヤは携帯をデスクの上へ雑に置いた。
「はぁ。全く。防衛室がたかだか不登校程度の些事に介入するわけがないじゃないですか」
カヤはカンナもしばらく見ないうちにそんなこともわからなくなったのか、と落胆する。彼女はまだ湯気を立てているコーヒーを覗き込む。黒く底が見えないからこそ、表面は澄んだ漆黒で、カヤの見た目だけは人の良さそうな少女の顔をよく映していた。
草鞋野エリカ──そして、あのいけすかない大人はどう考えるのか。カヤは何故か、考えてもいなかったが、自然と二人の顔が過った。
「まぁ?聞いてしまったからには何かアクションを起こさないといけない、というのが行政の辛いところですね」
カンナからの電話は個人的なものであり、防衛室長として何かをする必要はなかったが、カヤは自らが目指す超人は凡人に問われれば応えねばならないと決めていた。
「エリカさんは……ダメです。彼女には休んで頂かないといけません。先生…は百鬼夜行の支援要請を受けていますね。ゲヘナとの交流会ですか。ミレニアム生1名が帯同?よくわかりませんがダメですかシャーレは」
連邦生徒会の室長に共有されているシャーレの予定表を確認し、カヤはシャーレが現在頼れないと判断する。
「そうなると……人探しならFOX小隊を動かすまでもないでしょう」
カヤが携帯電話の電話帳、た行からある生徒へと電話をかける。2コールほどで相手は応答した。
『SRT、月雪です』
「どうも、月雪さん。少々、お話したいことがありますので、そちらに伺っても?」
『問題ありません。しかし、室長お一人で?』
「はい。大した話ではありません。ちょっとした世間話ですよ」
『……?わかりました。お気をつけていらしてください』
「えぇ。差し入れぐらいは持っていきますよ。では」
通話を終え、カヤは立ち上がる。気分転換の散歩がてらにはいいだろうと、執務を放り出してカヤは執務室から出ていく。カヤが出ていったあとの執務室は自動的にロックがかかり、無音となった。
十数分後、再び防衛室長の執務室が開かれる。足を踏み入れたのはカヤではなかった。
「残念です。不知火カヤ」
現れたのは感情を表情に一欠片も乗せていない防衛次長だった。彼女はカヤから執務室の合鍵を渡されていた。カヤがいない間に重要な書類を置いておくことを任されていたからだ。最近はそのようなことはなく、カヤは可能な限り全て自身で決済を行なっていた。
「大人との約束を守らず、それどころか、さらにその約束を壊し、迷惑をかける。今更正しくいようなんて、反吐が出ますね」
笑いも怒りもなく、凍りついたように表情は哀楽さえ浮かばず、その言葉はあまりに淡々としたものだった。
防衛次長のポケットの中で携帯が震え、防衛次長はスッと携帯を取り出して応答する。
「私です」
『アビドスに草鞋野エリカが現れました』
「誰が会いましたか?」
『FANG3です』
「露見は」
『していません』
「よろしい。カイザーの監視は継続してください」
『承知しました』
「あぁ、それと、そのカイザーの違法採掘場へ、室長を連れていきます」
『………今、なんと』
「ジェネラルからは契約を反故にした彼女を連れてくるようにと頼まれていました。大人の言うことは聞くモノですよ」
『しかし、誰がするのですか』
「死人に口無し……それは”絵庭サロネ”が手間をかけましょう」
必要な言葉だけを交わし、防衛次長は携帯を仕舞う。
「ちょうどよかったですね。あの駄犬が現れたのは」
僅かな喜色の感情が声に乗り、防衛次長はカヤがつい先ほどまで座っていた執務用の椅子に腰掛ける。
「古来、同盟者の排除というものは困難を極めています」
防衛次長がデスクの上に残されたカップを指先で弾く。ピシリと、僅かなヒビが入った。
「私は約束を破りません。ですが、あの犬は誰彼構わず噛みつく駄犬です」
カップのヒビに、コーヒーが染み出し、墨入れのように筋を作っていく。
「今、カイザーに過ぎたる力を持たれるのは困るのです。彼らのセカンドサンクトゥム計画を雷帝の遺産のような圧倒的な武力で達成されてはいけません」
シミのようにコーヒーカップの底からコーヒーが溢れていく。その様を防衛次長は見ながら席から立つ。
「不知火カヤ、あなたにお灸を据えましょう。約束を破るような子供がどうなるか。そして、草鞋野エリカ。人殺しが正義の味方には絶対になれません。あなたの手は血で濡れていないといけません」
防衛次長が眺める外のキヴォトスの空は、混じり気のない澄んだ青空だった。
「あなたは必要ないのですよ。草鞋野エリカ。殺人犯という異物は、この世界に」
お読み頂きありがとうございました。
主人公の固有武器(ライフル)の名前は前にも後書きで書きましたが名前があったりします。
アズサのばにたすみたいに銃に書かれてます。
ちなみに作中内で現在先生(withトキ)は不忍ノ心をやってます。
キサキが実装されて引けたので筆が乗っての連続投稿でした。
次回はまた未定です。お待ちいただけますと幸いです。