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――マルメザンホテル
1505号室――
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研修医1人に貸し出されたホテルの一室。
ウッド調の壁紙や床、そして家具。老舗のホテルということもあり新しさは無いがレトロ感を纏った暖かい雰囲気に不思議と懐かしささえ感じる。
ダイニングの窓は広く、大通りに面していたが、騒音はまったく聞こえない。朝になれば気持ちのいい朝日が照りつけ、夕方には美しいサンセットを見ることが出来る。窓から吹き抜ける潮風と波の音は最高に心地よく、ここに永住したいと思う観光客は後を絶たないとか――
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「研修医1人に随分といい部屋を与えるんだな。」
「最初は院内の仮眠室を借りるって話だったんですけど…先方がそれはさすがに申し訳ないからと、この一室を1ヶ月間無償で提供してくださってるんですよ。」
ユーリは窓辺の椅子に腰掛けると月明かりに照らされたビーチに視線を落とす。肩肘を窓枠に乗せ、ぼんやりと静かに眺めている背後ではティファニーが手際よく仕事の書類を片付けていく。もちろん任務に関わる書類は全て隠しているが念には念が必要だ。クローゼットにジャケットを掛けたと同時に金庫に視線を向け、気づかれないようにと上からほかの衣類で覆ったのだった。
「ところでユーリさん。滞在期間は何日――」
窓辺で黄昏れるユーリの後ろ姿に視線を移す。すると彼はこちらに視線を向けることなく口を開いた。
「その前に
「……連絡をしなかったのは謝ります。ごめんなさい。」
「別に謝って欲しいわけじゃない。今回の長期の研修も…そもそも、何故ボクを避けるような行動をとったんだ?」
ユーリの視線が遂にこちらに向けられた。窓枠から体を離すと、彼は椅子から立ち上がり、じっとティファニーを見つめる。怒ってるわけでも無ければ、悲しんでいる様子もない。ただただティファニーの行動が不思議だったのだ。
「仕事が忙しかったんです。今回の研修も急遽決まって……睡眠時間もまともに取れなくて…正直手一杯でした。」
「………」
「…避けているつもりは…無くて……」
この状況で"避けていた"なんて言えるはずもその勇気もなかった。言ってしまえば後に大問題にも繋がりかねない。相手が"あの時のこと"を覚えていないのならば何も掘り返す必要も無い。
"ならば偽り続ければいい――"
気まずそうに足元に視線を落とし、弱々しくなっていく声。まるでそれは糸をゆるめられた操り人形のようにも見えた。ユーリはその姿を目にし、これ以上何も彼女を咎める気も、聞き出そうという考えも失くしていたのだった。
「全く…。姉さんも心配してたんだ。」
「…ヨルさんが?」
「ああ。」
ティファニーの表情に若干の色が戻った。ため息混じりのユーリの声色はいつも通りのものへと変化していく。外からこちらに向けられた視線も、いつもと何ら変わらない彼そのものだった。
「ところで明日からどういう予定なんだ?」
「えっと…明日から2日間。"ある施設"に向かいます。医局長が1週間ほどバーリントンに戻るので私単体でできる仕事をと…」
「休みは?」
「休みっていう休みは無くて…あるとするなら3日後のお昼からなら…」
「ならちょうど良かった。ボクも休暇は明日から3日間しか取れなかったんだけど――」
ユーリの手がティファニーの手に添えられる。驚くほどひんやりとした彼の体温に驚きの色を見せると反射するようにティファニーは彼を見上げた。
「明明後日、花火大会があるだろう?良かったら一緒に行かないか?」
「でもそれじゃあ仕事に間に合わないんじゃ…」
「その次の日の始発で戻れば間に合う。」
"デートの誘い"。
よく見るとユーリの頬が若干赤い…気がする。ムッとした彼らしい表情で見下ろされると何となく癪なのだが……それでも彼からの誘いは嬉しかった。
「―――外交官って暇なんですか?」
「なッ!そんな訳ないだろう!ボクが日々頑張ってるからって上司が休暇をくれたんだ!国家公務員を舐めるんじゃない!チンチクリン!」
「チンチクリンって失礼な!」
「別にそのままだろう?チンチクリン。」
手を離そうとも何故かユーリは自分の手を強く握りしめたままだ。口を尖らせて"チンチクリン"なんて口にするのは照れ隠しだろう。
「…じゃあ、とりあえずこの部屋をお貸しする代わりに明日から2日間働いてもらっていいですか?」
「はぁ?何でボクが――」
「ホテルの方にはバーリント病院の関係者って嘘を伝えてるんです。部屋は貸せないけど、代わりにリネン一式を用意してくださったり――もし手伝ってくれないのであれば今すぐ野宿でもいいんですよ?…ユーリさん?」
まるでティファニーは相手の照れ隠しを面白がるようにわざとらしくツンケンとした態度を見せる。離さない手を逆に握り返してやれば、微かに彼の肩が揺れるのを目視できるほど動揺していた。
「きっ、貴様!汚いぞ!」
「知ってます?今のシーズン、このホテルの宿泊料めちゃくちゃ高いんですよ?しかもこの部屋は通常より景観もいいので通常の部屋よりいいお値段で…」
「幾らだ?」
「1泊、1人350ダルクです。」
「さっ、さんびゃくごじゅう!?」
「どうします?残りの滞在期間、払います?」
「……くっ…」
「私のお仕事の手伝いをしてくだされば無料ですよ?無料。」
得意げに勝ち誇ったような小悪魔的な笑みを見せるティファニー。ニッと白い歯を見せるほどに子供らしい笑顔を向けられるとユーリも何故か気分が狂わされてしまう。
久しぶりに見た彼女は変わらず愛らしい。自身の顔を手で覆い隠したいほど恥ずかしい表情をしているかもしれないとユーリは必死に取り繕っていた。
「――わっ、分かった。だが許容範囲の事しかしないからな!」
「勿論です。ユーリさんに決してメスなんて握らさないし、薬も触らせる訳ないじゃないですか?」
「何かムカつく言い方だな。」
完全に形勢逆転されてしまったユーリ。先程まで、彼女を手中で転がしていたはずなのに気づけば今度はこちらが彼女に転がされていた。
そしてパッと手を離されると天真爛漫な少女は何かを思い出したかのように台詞を口にした。
「あ!ちなみにソファで寝てくださいね?」
「言われなくても分かってるさ!変態かお前は!」
「変態?別に私それ以外何も言ってないじゃないですか。」
「なっ…なっ!!」
「まさか、一緒にベッドで寝ましょう。なんて言うとでも?」
芝居っ気たっぷりのわざとらしい生意気な言い方にユーリは完全に振り回されるのであった。
「〜〜〜!!!((このチンチクリン!!!))」
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――翌日
午前8時過ぎ――
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朝から強く照り付ける日光。
空は雲ひとつない快晴。同時に茹だるような暑さに慣れていないユーリはダラダラと汗を流しながら快活に動くティファニーの後ろを歩き続ける。
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「……おい。…一体あとどれ位歩くんだ。」
「あと少しですから。」
「タクシーを使えば良かったじゃないか!荷物もあるし、要領悪いぞ!」
「もう!煩いですよ!体力無さすぎじゃないですか?"オジサン"。」
「その台詞をもう一度口にしたらぶっ飛ばすからな?"チンチクリン"。」
ティファニーは文句をグダグダと口走るユーリを背に、道端に生い茂る花々や野生の木苺を詰むと傍らの袋に手際よく入れていく。そんな子供っぽい行動にユーリはイライラとするも半ば雇われの身である事でそれ以上文句もいえず悶々としていたのだった。
「ていうか、ずっと気になってたんだが…今日は白衣を置いてきただろう?着なくていいのか?医者だろう?」
「今日行く先では必要無いんです。白衣なんて着てたら"変な距離"が出来ちゃうので…」
「…距離?」
今日のティファニーの服装はほぼ私服に近かった。というよりか、普段よりも動きやすく、珍しくショートパンツを履いていたのだった。上も麻素材のラフなシャツ。近くの露店で買ったという麦わら帽子はどこかボロボロで、だけどそれがやけに似合っていた――なんてユーリがそれを口にすることは無いが"彼女らしい、医者らしくない"姿に惹かれるものがあったのだった。
「ほら、見えてきましたよ。今日の職場はあそこです。」
「……ん?」
「ミュンク地方で1番大きい"施設"。レーゲンボーゲン"孤児院"です。」
丘の上に聳え立つ白い建造物。
ぽつんと街中から離れた場所に置かれた孤児院はまるで意図的に街から遮断されているようにも見て取れる。不気味さはない。しかし孤児院特有の独特な暗い雰囲気を纏う光景は、青空と海に対し妙なコントラストを放っていた。
「孤児院…?病院だけじゃないんだな?」
「孤児院は特殊ですから。こうやって医者が直接出向くことが多いんです。――1週間前に医局長と2人で3日かけて健康診断を行って、今日はその経過観察と、気になっている子達の対応をするのが私の仕事です。」
「ボクは?」
「心配しなくても良い仕事を用意してますから。楽しみにしていてください。」
荷物を片手にニッコリと満面の笑みを零すティファニー。まさかここまでの仕事をこなしているのは予想外だった。彼女の言うとおり、本当に休む間もなく働いているようだ。だが不思議だった、彼女は決して医者という仕事に対し文句を口走ったことは無い。寧ろ嬉しそうだったのだ。
「おはようございます。バーリント総合病院のティファニー・ラドナーです。」
年季の入った門構え。その傍に設置されたベルを鳴らすと大きな木製の扉が豪快に開かれると一人の女性が満面の笑みを浮かべながら門へと近づく。
そして錆び付いた独特な金属音とともに鉄門が開かれる―――
「ラドナー先生!早かったわね?」
「"マジョリー"さん。ご無沙汰しております。」
現れたのは50代半ばの女性。ハツラツとした活気のある女性で体格もがっしりとしており、まさにこの街の孤児院の長が相応しい。
マジョリーはティファニーの手を強く握り締め、これでもかという程に何度も強く振るった。
「先生…その汗…まさかここまで歩いてきたの?」
「体力づくりの為と皆に"手土産"を手に入れる為に――あ!あと今日は強力な助っ人を連れて来たんです。」
ティファニーはゆっくりと手を離すと背後に佇んでいたユーリの腕に手を伸ばす。グイッと強く引くと自分の真横に連れ出し、自己紹介の場を設けたのだった。
「初めまして、ユーリ・ブライアです。」
「…えっと……この方は?」
「
「外交官の方!?そんなすごい方に来て頂けるなんて!――あっ、いけないいけない。私の名前はマジョリー・マスランド。この孤児院の管理を任されているの。」
ふくよかな大きな手がユーリの手を覆い込む。ユーリも相手の元気な人柄に惹かれたのか自然と笑顔を向けると力強い握手を交わしたのだった。
「って…入口で立ってても何も始まらないわね??"皆"、朝ごはんも食べ終えて先生が来るのを待ってたのよ!ほら!入って入って!」
マジョリーは2人の背中をグイグイと押し込む。そして建物が近づくにつれ、元気な子供たちの声が鼓膜を叩く――
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建物の内部に通される2人。
子供たちはホールで朝の恒例の行事を行っているのか歌声が微かに聞こえる。
「―――ここの孤児院は主に戦争によって両親を失っていたり…所謂"戦争孤児"が多く在籍しています。」
「戦争孤児…、なら平均年齢は高いんじゃないのか?戦争経験のある子供の年齢は一定のはずだ。」
「施設にいる子供たちの年齢は下は2歳から、上は20歳を越えた子も。」
「……どういう事だ?」
東西戦争は何年も前の話だ。となれば、幼いと言えど戦争孤児というのはティファニー辺りの年齢まで成長しているはず。既に自立している者が殆どだとユーリは考えていたがティファニーの様子からしてそれは違うらしい。
「戦争を経験した子供達。そして"その子供達"も戦争孤児に括られます。戦争を経験した両親は心に傷を負った人達が多い―――その先は言わなくても分かりますよね?」
戦争で傷ついた心は"連鎖する"。戦争という直接的なものを経験していなくても、それによって孤児となった子供たちは少なくない。
「―――なるほどな。」
「勿論、一般的に言う虐待などでこの施設で暮らしている子も多くいます。両親が病気で亡くなったり、暴力やネグレクトで行き場を失った子供たちも。……理由は様々です。」
孤児院に来るのは初めてのユーリ。幸いにもユーリは年の離れた姉のヨルがいたおかげで両親は居なくとも孤児院に入ることは無かった。まさかこの歳になって孤児院に来るなんて…予想外すぎる出来事だか貴重な体験だ。
「で!ユーリさん。今日と明日は子供たちの遊び相手をして欲しいんです。あと出来れば勉強も。」
「ん?その言い方だとまさかボク1人でやれと?」
「勿論。私は医者としての仕事があるので……まあ、手が空いたら私もそちらに伺いますが。」
「子供の数は?10人くらいか?」
「なわけないじゃないですか?ここの施設はミュンク地方で"1番大きい"ってさっき―――」
刹那、廊下からドタドタと元気な無数の足音が響くのと同時に子供たちの元気な声が近づいてくるのが分かる。ニコニコと笑顔を零すティファニーの傍ら、ユーリの表情は徐々に焦りの色を見せていた。
「おい……ボクは1人だぞ。」
「大丈夫ですよ。他にもこの施設の先生はいますし―――」
さらに近づく子供たちの声。
そして2人が待機していた部屋の扉が開かれると、たくさんの子供たちが目を輝かせながらこちらに視線を向けたのだった。
「先生!!ティファニー先生!!」
「今日は!?何しに来たの!?」
「…この人だぁれ?」
「この前教えてくれた本の事なんだけど―――」
ティファニーの周りを囲うように子供たちが騒ぎ立てる。全員がそれぞれ何を言っているのか理解するにはかなりの時間がかかりそうだ。にしても耳が痛くなるほどに黄色い声が鼓膜を叩くとユーリは目眩をも起こしそうだった。
「((おいおい…待て待て……この人数をボクが!?))」
男女比も年齢もパッと見ただけで様々だ。まだぬいぐるみを抱えて離さないような小さな子供からユーリと同じ背丈の青年の姿さえ確認できる。
「今日は特別ゲストも連れてきました。"ユーリ先生"って呼んであげてね?」
ティファニーの言葉を皮切りに一斉に向けられるユーリへの視線。慣れない子供たちの環境にユーリはたじろぐ姿を一瞬見せるも子供たちはまだまだ純粋だ。
ユーリは"あんなだが"容姿は悪くないし子供受けは良い。傍から見れば良いお兄さんで好青年。子供たちの興味は一気に彼に向けられた。
「ねえ!お兄さんは何が得意!?」
「抱っこ!!抱っこ!!」
「ユーリ先生!」
「お庭で鬼ごっこしようよ!」
「ユーリ先生!」
「―――先生!」
「ユーリ―――」
容赦なくユーリに群がる子供たち。
そしてついに、ユーリの長い2日間の激務が始まることに―――
「((…ボクの休暇は一体何処へ―――))」
「………」
その光景を静かに部屋の外から覗く少女の姿があった。
美しい金髪に、碧眼。まるで女神のように美しいその少女は無表情のまま騒ぎ立てる子供たちを見つめていた。
歳はティファニーと同じくらいだろうか?目鼻立ちの矯正された雰囲気もどことなく似ている。
妙に影を含んだ彼女の表情。着古した長袖ロングスカートのワンピースからはどこからも肌を見せることなく不気味だった。
「………」
ティファニーはそんな彼女の視線に気づくと穏やかに微笑んだのだった。
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