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「――嘘……」
目をぱちくりと瞠目するティファニー
「泣いてます?」
ひょこっと顔を覗き込む彼女の顔。それはまるで小馬鹿にするような……"ボクを嘲笑うかのように"わざとらしく頬を綻ばせていた。
「――っっっうるさい!!見るな!チンチクリン!!」
「((……マジで泣いてる……))」
ユーリの大声がやまびこのように遠くまで響き渡る。
そんな彼の横を少女は愉しそうにスキップを踏みながら着いて回る――
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レーゲンボーゲン孤児院での2日間。どうやらユーリにとって忘れられない日々になったらしい。最初は子供を相手に憂鬱そうな顔をしていた癖に今はどうだ?遠く離れていく孤児院を背に目を潤ませているではないか。
余程楽しかったらしい。ティファニーの予想通り、ユーリは子供たち全員に好かれ、それはそれは素晴らしい"先生"を演じていたのだから。――いいや、演じていたのでは無い。あれが"素"なのかもしれない。悔しいが子供の相手は自分よりも彼がかなりの上手だった。
……まあ、数刻前は焼印の少女を目の前に絶望していたのだが……
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「ふーー……終わった……」
「今日は早いんだな?」
「だってグダグダやってると誰かさんが煩いんですもん。」
「ボクの優しさを"煩い"と一喝するキミを軽蔑するよ。」
椅子の背もたれに体の全体重を乗せ、ぐーーーーっと上半身を伸ばすティファニー。その向かいでは新聞を片手に寛ぐユーリの姿。今夜はサクッと仕事を終わらせ、テーブルに散らばった書類を直ぐに片付けると2人は"簡易的なお疲れ様会"を開く。
「それじゃ、一先ず……2日間お疲れ様でした。ユーリさん。」
「ちょっと待て、それノンアルだよな?」
「当たり前じゃないですか!私はお酒は飲みません。」
グラスとグラスがぶつかり、涼し気な乾いた音が室内に響く。帰りにテイクアウトしたピザとチーズの盛り合わせ。そして酒屋で購入したこの地方特有の"海ワイン"。そして子供向けの"なんちゃってワイン"的なノンアルドリンク。
ただティファニーは願っていた。"頼むから酔いすぎるな"と。
「――噂通り、いや……噂以上に美味いワインだな。」
「味、分かってるんですか?」
「お前な、一体どこまでボクをバカにするつもりなんだ?今更だがボクの方が歳上だからな!?敬え!」
「…………」
「おい!まただぞ!その小馬鹿にしたような目!チワワ娘と同じジト目だ!」
"相変わらず賑やかな人だ"なんて呑気にドリンクを口に含むティファニー。本当に百面相というか、この人は見ていて飽きない。だからこそ警戒すべき危険人物でもあるのだが何度も言うが"根は優しい"。
泣いたり笑ったり怒ったり、時に虚無感に襲われ魂の抜けたような顔もしているがこの男の大体の特性は理解したつもりだ。意外と扱いやすい。だがまだ未知数な部分もある。
「――そういえば、明日は何時まで仕事なんだ?」
「明日は12時までです。朝は早いので起こさずに出ますね?」
「分かった。……バーリントの姉妹病院って隣のライトロンゲンに出来た病院だよな?」
「はい。そうですよ?」
「なら時間に合わせて迎えに行く。明日はこの周辺は激混みだろうし、チンチクリンが人の波に潰されたら大変だからな。」
「生憎、そんなにヤワじゃないですよ?イーデン校に現れた危険なオジサン達を蹴り飛ばしたのを忘れてます?」
「おー、コワイコワイ。そうだったな?」
「そっちこそ年頃のレディに失礼ですよ?チンチクリンなんて。」
「何がレディだ、レディのレの字も無いな。」
"あー言えばこー言う"の攻防戦。尚、常に引き分けの模様。だがお互いに考えていることは同じだった。くだらない会話がここまで楽しく感じるような関係性になれた事は正直驚きだ。
「((……だからって、気を許す訳にはいかない。フリをするのよ、朝顔。))」
酒を口に運ぶユーリをじっと見据える。さすがにまだ酔いは回っていないらしいが顔が僅かに赤い。今日はセーブしているのだろうか?いつにも増して何となくだが酒の進みは遅い……気がする。多分。
「…………」
ふと、彼の瞳を見つめてみた。
綺麗な赤い瞳。ヨルさんと同じ、ガーネットのように艶やかで燃えるような赤。自分の碧眼もなかなか珍しいらしく、周りからこの蒼を褒められたことは何度もある。だけど、不意に見つめた彼の赤い瞳にやけに今夜は惹かれてしまう。理由は分からない。だけど……
「((……"綺麗"――))」
その時、ユーリの赤い瞳がティファニーを捉える。若干酒に充てられている様子でぼんやりとしていた。
「何だ?じっと見て。」
「え!?」
「ボクの顔に何か付いてるのか?」
「いやっ、別に……なんでもないです。」
慌てて視線を逸らし、手元のグラスに手を伸ばす。乾いた喉を潤すようにジュースを一気飲みすると、ユーリは分かりやすい彼女の行動に面白可笑しそうに笑顔を向けた。
「……まだまだ子供だな、ティフィーは。」
「はっ、はぁ!?」
「分かりやすいんだよ。隠してるつもりだろうが、お前は直ぐに顔に出る。」
「〜〜〜!」
不覚にも否定できない。
お前は顔に出やすいと散々ハンドラーをはじめ、ロイドやフィオナに言われてきた。
「こ……子供相手に……昨夜おっぱじめようとしたのは誰ですか?」
「は?」
「昨日!ベッドに押さえつけたじゃないですか!私のこと。」
「なんだ、根に持ってるのか?」
「私のことを子供って言うならユーリさんはれっきとしたシスコンですからね!変態!」
「…………」
「なっ……何か言い返したらどうなんです?」
男は面白がるような不敵な笑みを浮かべるのみ。グラスをそっと置くと、ユーリは両肘をテーブルに置き、顔の前で手を組み"試すような"艶のある表情を向ける。暫く続く沈黙――そして口を開いた。
「"――君は……本当に子供だよ"」
「……へ……」
見透かすような赤い瞳と持ち上がる口角。表情に映るのは微細な悪魔的微笑み。
そして同時に男の右手がティファニーの左腕を強引に掴むと容赦ない力で傍らのベッドに突き飛ばされる。
反動でテーブルからワインボトルが落下すると派手に音を立て床を赤く染めていく。下の階の客に迷惑になっていないだろうか――なんて考えている余地もない。
「((……待って、待って待って待って!!))」
薄闇の部屋に赤い瞳が浮かび上がる。それはこちらを見つめ、まるで悪魔に取って食われるような雰囲気だ。
「((――完全に酔っ払ってる!!!!))」
普段からは考えられないような不気味に細められた瞳が自分を見下ろしていた。ゆっくりとこちらに歩み寄る男は不気味で恐ろしい。とくに酔った彼は手に負えない――
「ユーリさん、落ち着きましょう。」
ベッドが軋む音――
「あのワイン、アルコール度数高すぎませんか?まだ少ししか飲んでませんよね?」
アルコールによって熱された大きな手がティファニーの首を撫でる――
「……ッ……ちょっと……ユーリ――」
刹那、首を撫でていた手がティファニーの口を塞ぐ。両手は既にもう片方の手で拘束されたも同然。至近距離には迫る赤い瞳に少女はゾクッと恐怖を覚えた。
「――ねぇ、"キミ"。ボクを"騙す"のは楽しかった?」
「!?」
反射的に男の体を強く押し退ける。力の差は圧倒的に相手の方が上手だが"それなりのテクニック"があれば容易に退くことは可能だ。少女はスパイだ。それくらいならなんとも――
「……さすが。いとも簡単にボクを退けたね?どこで訓練をしたの?」
「((……何を言ってるの、この人は――))」
余裕な笑顔。ヘラヘラと目の前で笑う男は何を言っているんだ?これは現実か?夢か?
「ホラ、キミの碧眼は純粋で嘘が付けない。"目は口ほどに物を言う"っていう言葉があるだろう?」
ユーリの人差し指がティファニーの碧眼を指す。僅かに揺れる彼女の瞳は明らかな動揺を見せていた。
「本当にキミは分かりやすかったよ。家に来た時も書斎でボクの書類を盗み見してたよね?」
「……ッ…」
「秘密警察の要注意人物の書類。キミはマークされていたけど、それが除外されたと知った日から動きが大胆になってた。気づいてる?」
わざとらしく顔をのぞき込む。
悔しそうに歯を食いしばる少女を目の前に男は愉しんでいた。
「……ッ……」
「…何?その目。」
「……………」
「ボクに騙されて悲しい?」
「何のこと……です?」
「まだ知らないフリを貫くつもり?諦めなよ。」
ベッドに力なく座り込むティファニーの目の前に再び腰を下ろす。そしてトンっと人差し指を少女の胸元に突当て、ニコニコと不気味な笑顔を溢れさせる。
「大胆な手に出たよね?あの施設で、まさかあの娘の焼印を見せるまでの行動に走るなんて。」
「……何が言いたいの…」
「君の体のどこかにもあるんだろう?消えない烙印が。」
「ッ……」
「今夜か明日か……ボクにそれを話そうとしていた。そしてボクの反応を伺うか……"合ってる?"」
「((……バレてた…。))」
ここまでの彼の言動は全てが"意味がわからない"。頭の回転がずば抜けて早いティファニーでさえついていけないのだ。
「良かれと思ってキミはボクを欺く為の種をばら蒔いたみたいだけど、残念ながらボクがわざと"蒔かせた"んだよ。」
ユーリの方が何枚も上手だった。自分を過信し過ぎた。
「ねぇ、キミはボクが何者か分かってるんでしょ?」
「…………」
「秘密警察に情報を売るなー…なんて、わざとらしい台詞。」
「…………」
「ボクを試したんだろう?」
「…………」
「ボクがその秘密警察の1人だって、分かってたんだろう?ん?」
「…………」
「一体どうやってそれを探り当てたのかは……まあいつか吐かせるし、今はいいや。」
無言を貫く少女を置いていくようにつらつらと男は語り続ける。
「((落ち着いて"朝顔"。彼の言葉を鵜呑みにしてはいけない。カマをかけられている可能性――いいや、この様子だと……))」
"完全に全てバレている"
「……全部、嘘だったんですか?」
「ん?」
「今までの……私に対して――」
「……フフっ……」
「何笑って……!」
「キミは何を言ってるの?」
全てを切り捨てるような吐き捨てるような口調。"何を冗談を――"とこちらを小馬鹿にするように口角を持ち上げ、微細な笑みを向ける。
「キミだって騙してただろう?寧ろ先に動き出したのはキミだった。」
「……ッ!」
「ハニートラップ。君にはその素質は……まああるっちゃある。幼いながらに頑張ってるなーって……」
「……」
「実際、ボクは本当にキミのことが好きだよ。」
ティファニーの顎を半ば強引に持ち上げる男。大きな男の手は今にでも少女の首をへし折ってしまうのでは?と思うほどに殺気に満ちていた。見下ろす赤い瞳も、余裕気に嗤う顔も……不甲斐ながら、恐ろしい程に美しいだなんて思ってしまった。
「((……どこまでが真実?どこまでが嘘……?))」
男に圧される。
不思議と声が出ない。迫り来る男から逃れるように後退するもベッドの端だ。もう逃れられない。
「だからこそ……残念だったよ。」
顎に添えられた手がゆっくりと肩に滑り落ちる。
「ねえ、教えて。……"ティフィー"。」
殺気に満ちていた真っ赤な瞳、それは徐々に欲に飢えるような弱い光を放つ。僅かに声も震えていた。
「――キミは、ボクのことが好きなのか?」
気が抜けるような台詞だった。
ここまでの状況でその台詞を普通口にするか?本当にこの男は……
「……好きですよ。とても。」
「…………」
隠せない本音、隠せない瞳――
「ユーリさんの事が、……私は……ッ……本当に好――」
刹那、まるで糸で引き寄せられるかのように縮まる距離。彼の体温が近い。そして呼吸は大きく乱れていた。余裕のない不規則な息遣いがティファニーの耳元にかかる。
アルコールのせいもあるのだろう。そのせいで心臓がやけに興奮しているのを感じる。
「……"ティフィー"…………ッ……"ティフィー"……」
「ッ……」
彼が名前を呼ぶ度、ティファニーは肩を跳ねさせ敏感に反応を見せる。
「君は何者なんだ……、教えてくれ――」
苦しいほどに喉に詰まらせたような霞んだ声で彼は呟いた。
少女は静かに彼の胸に顔を寄せた。悲しいような動悸を聞いた。悩ましい胸の哀れな響きの中に、ほんの少しだけうっとりしていた。同時に切ない悲しさも感じた。そして弱りきった小動物のように少女は小さく震える。
ユーリはその体の震えを鎮めようとするように、ティファニーを更に強く抱擁した――
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湧き上がる感情を抑えないまま、男は少女に吐き出した。
いっその事、このまま少女に"手をかけてしまおう"と行為中に何度も思った。そんな自分勝手な馬鹿げた考えに吐き気さえもおぼえる。弱
疲れきった体。
倦怠の色が全身を薄雲のように包む。
"ああ。ボクは何をやっているんだ"……と。
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傍らで力尽きて眠るティファニー。
ユーリはそっとタオルケットを彼女に掛けるとベッドから腰を持ち上げた。
日付も変わり、微かに朝の空気が漂い始める午前4時過ぎ。
部屋から見える街はまだ寝静まっていた。波の音静かに聴こえるだけ。浜辺に視線を落とすと仲睦まじく散歩をするカップルが目に入った。
……ボクは酷い奴だ。
隠しきれなかった本音を全て彼女にぶつけてしまった。本当なら、今頃あの恋人たちの様に浜辺を散歩していたかもしれないのに。
「((……あの反応から考えて、やっぱり彼女は"クロ"だ。本部が作った要注意人物のリストはやはり侮れない。))」
「((――そして彼女は…"あの"被害者だった。))」
どこかで歯車がズレていたらもしかしたら既に自分の手で尋問に掛けていたかもしれない。
だが、あのあどけない本当の笑顔を向けられると……
"出来なかった"
それはひとえに彼女の本気の姿を目の前にしていたからかもしれない。
医者として奮闘する姿。真摯に向き合うその姿は決して悪者には見えなかった。ふざける姿も、自分を小馬鹿にする言動も、徐々に徐々に惹かれていく。
だが放置できない事実。
彼女が東国を脅かす危険分子だとしたら――
「((目的は何だ?どこの組織の人間だ?仲間は?……アイツの経歴はどこまでが本物なんだ――))」
窓枠に肘を乗せ、気だるそうに空を見上げた。
「――明日はせっかく祭りなのに。……雨か……」
空に広がる鉛のような曇り空。
それはまるで、自分の心情をそのまま映し出しているような、今にでも泣き出しそうな色をしていた。