morning glory   作:鈴夢

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黒い鎖

 

 

 

 

 

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――ミュンク地方 ライトロンゲン

バーリント総合病院 姉妹院――

 

 

 

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朝から患者で溢れ、忙しない院内。

大都市バーリントのように様々なクリニックが点在しているような都市では無いこの地域。普通の医者なら"こんなに忙しいのは御免だ"なんてボヤいていそうだが彼女は違った。寧ろ今は"気が紛れて丁度いい"だなんて思う程に珍しく余裕は無かったのだった。

 

 

 

 

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「――あと、これも良かったら使ってください。この前の心臓病の患者様に処方した抗不整脈薬の成分表です。」

 

「ありがとう、ラドナー先生。」

 

 

午前の診療を終え、休む間もなくひとつひとつの仕事をこなしていくティファニー。そんな彼女の働きぶりには姉妹院の誰もが関心していた。

 

 

「君は仕事も早いし、何より的確で丁寧だ。」

「医者として当然の事ですよ。」

 

姉妹院を任されているのは若い男性医師だった。男は優秀な若い研修医を目の前ににこやかに微笑み、頼んでいた仕事の書類を受け取る。

 

「本当に、できれば直ぐにでも異動して来てほしいくらいなんだけど。」

「嬉しいお言葉ですが…私はまだ研修医ですよ?」

「既に研修医の能力値を越えてるよ。」

 

相手の言葉対し、素直に嬉しいと感じていた。

だが褒め称えられるほどに胸が痛む。"ティファニー・ラドナー"という人物は有能な医者だとあらゆる人々に映っているかもしれない。だが全てはスパイ活動があっての事だ。医者というのは都合が良い。しかも有能であればあるほど信頼を得られ、個人情報も扱うことが出来る。"信頼を勝ち取るための手段"。

しかし彼女は生まれながらにして"医者"という仕事が向いている。そして本人も医者という"役"を心の底から気に入っていた。

 

…まあ、それも時間の問題だろう。あと少しで"ティファニー・ラドナー"という少女は消えてなくなる。

 

 

 

 

 

「――あ、そうだ。さっき扁桃炎で来院したこの患者様なんだけど…」

「あっ、はい!」

 

 

カルテを片手に男性医師はティファニーの側へと近寄る。患者の容態などを真剣に聞く傍ら、その集中力は徐々に薄れていく――

 

 

 

「((…ハンドラーや先生に連絡をしたいけど…"万が一"がある。))」

 

 

 

今朝、ユーリの姿はなかった。

荷物は無造作に置かれていたけど……戻ってくるとは考えにくい。きっと既に自分の情報を仲間たちに暴露しているに違いない。

 

 

 

「((既に秘密警察に情報が漏れていたとして、今日中に私を捕らえに来る可能性もある。もしかしたら私に仲間が居るって踏んでるとして…私の様子を伺っているのかも。だとしたら患者に扮して既に院内に潜り込んでいる可能性だってある。))」

 

様々な憶測がグルグルと脳内を駆け巡る。

 

「((だから"万が一"…下手には動けない。WISEの誰かに連絡をしたとして、通信を傍受されて皆が被害に遭う事も考えられる。どうにかして暗号を送ることも考えたけど…危険だ。))」

 

 

"自分の正体がバレてしまった"

今のところ自分が下手をしなければWISEの存在はバレることはまず無いだろう。単独犯として動いているとは秘密警察も考えないだろうが…自分が話さなければ絶対にバレない。

 

たとえ拷問で何をされようが折れなければいいのだ。勿論、死を覚悟しなければならないのだが――そんなものはとっくの昔から覚悟している事だ。その為に今の今まで何でも耐え忍んできたのだ。

 

平和のために、東西の平和のために……未来の子供たちの為に、命をかけると誓ったのは自分だ。

 

 

 

 

 

 

「((――オペレーション〈梟〉をここで終わらせる訳にはいかない。ここから先、何が起こっても私が全て担えばいい。))」

 

「…………」

 

 

彼女の意を決した様な険しい顔つき。その異様な雰囲気に気づいた男性医師は言葉を止め、困ったような微笑を滲ませる。

 

 

「…ラドナー先生?大丈夫?」

「あっ…ごめんなさい。…私ぼーっとして…」

 

ハッと我に返るティファニー。珍しく考えすぎていたらしい。カルテの内容を半ば聞き流していた事を見抜かれ慌ててその場で頭を下げた。"彼女らしくない"言動に男性医師も小さく息を漏らした。

 

「そういえば今日はもう退勤だったね?引き止めて悪かったよ。」

「大丈夫です!寧ろまだ私は残って仕事を…」

「今夜は年に一度のお祭りだ。天気が心配だけど……露店も出てるし楽しいと思うよ?」

「………えっと…」

 

今日は祭りだ、と話を転換させる男。それはティファニーを気遣っての言葉だった。

 

 

「暫く連勤だったんだ。医局長もバーリントに戻ってるんだし、せっかくだから明日も休みなさい。」

「でも、明日は往診も…」

「気づいていないようだがやけに顔色も悪い。ここでラドナー先生を倒れさせたら…"あの医局長"に何を言われることやら…もしくは私が刺されるかも。」

「えっ!?…あ…でも、……確かに有り得そう…」

「ハハハッ!だろう?」

 

カルテを挟んでいたファイルをティファニーの手からそっと奪い、傍のテーブルへと戻す。冗談じゃなさそうな冗談を面白半分で口にする男の表情は朗らかで優しかった。考え事で埋め尽くされているティファニーにとってその優しさは救いとなったのだ。

 

 

 

「それに。君を追ってご友人がわざわざここまで来てくれた、とか。」

「…えっ…?」

「大丈夫。医局長もここの先生達も知らないよ。知ってるのは私とマジョリーさんだけだよ。」

 

"しーっ"と人差し指を口元に当て、まるで秘密事を共有するかのような行為を見せた。

 

どうやら孤児院での出来事は一通り知っているみたいだ。そしてそれは孤児院の長でもあるマジョリーが話したのだろう。"あの人は彼氏でしょう?"なんて一コマもあったが、それがバレた理由らしい。

 

バレたと言っても別にもう構わないのだが。それにその事実は昨夜全て破綻したようなものなのだから。

 

 

 

「――はい。」

 

ティファニーは半ば申し訳なさそうに、消え入りそうな弱々しい声で返答した。複雑な思いがその声色に全て込められていた。

 

 

 

男はそんなティファニーの内実を知る由もなく笑顔を零す。そして少女の肩をポンポンと叩けばその場から踵を返した。

 

 

「――良い週末を!ラドナー先生。」

 

 

 

これ以上話し込むのも悪いだろうと足早に立ち去っていく。しかし背を向けたその瞬間に、男性医師の表情はなんとも言えない哀し気で虚ろな色を見せたのだった。

 

 

 

 

 

「((否定しないということはマジョリーさんの話は事実…。…彼氏いたのか…ティファニーちゃん……ぅぅう!!))」

 

 

 

そしてそんな男の気持ちも知るはずも無いまま、ティファニーは手際よく退勤準備へと移ると僅かに陽の光を覗かせる分厚い曇り空を眺めたのだった。

 

 

 

 

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――同日 午前5時過ぎ

ユーバーハウゼン市内 電話ボックス――

 

 

 

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情緒のあるオシャレな街並み。まだ辺りは薄暗く、早朝特有の涼しい空気が漂っていた。そんな静かな街中の赤い電話ボックスにユーリの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――お早う、"レノルド准尉"。」

『ゆっ、ユーリ先輩!』

「違うだろ?少尉だ!少尉!何度も言ってるだろう!」

『んッ……ゴホンッ……"ブライア少尉"お疲れ様です。』

 

 

この時間を見計らい、ユーリは国家保安局本部に電話連絡をしていたのだ。そして予想通りの電話相手にホッと安堵をするも若干頼りなさを感じる直属の部下の男に淀んだ呆れ顔を浮かべた。

 

電話の相手はレノルド・カーウォーディン。ユーリと同じく元外務省のエリートで歳は1つ下。実は国家保安局に異動してまだ僅か2ヶ月程しか経っていない"超"新米。ユーリを慕う人懐っこい性格と子犬のように少年らしい見た目――局長が"ユーリ君の次に可愛い犬みたいな子"…なんて言ってはお気に入りらしい。だが見た目とはうってかわり、頭の良さは別格だった。あと性格もそこそこに悪い。口も悪い。

 

 

 

 

『ていうか少尉ー。こんな朝早くにどうしたんです?彼女さんとバカンスの最中では?僕も行きたーい。』

「…あ、あぁ…それより聞きたいこと――」

『え?もしかして喧嘩とか!?せんぱ……少尉は女の子とすぐ喧嘩しそうですもんね、分かります。言葉足らずというか、職業上直ぐに追い込むような癖もあるし…嫌われ…』

「勝手に話を広げるな!それに何で嬉しそうなんだ!?失礼だぞお前!」

『すみません!少々口がスベリマシタ。』

「あー!もういい!本題だ!本題!――お前に調べて欲しいことがあるんだ。」

『調べて欲しいこと?』

「……近くに誰もいないよな?中尉とか……」

 

どうやらあまりほかの人間に知られたくない内容らしい。部下の男はそれを何となく察すると辺りを警戒するように視線を向け、誰もいないことを確認した。

 

 

『まだ誰もいませんよ?こんな朝早くに僕以外、誰もいる訳ないじゃないですか〜』

「まあ、それを見計らってなんだが。」

『さすが策士ですね、せんぱ……少尉♪ ――それで?調べて欲しいことって――――』

 

 

 

 

 

 

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「"ブラック・チェイン(黒い鎖)"――」

 

 

赤い電話ボックス内にぞっとするほど低い、押しこもった声が響く。外はまだ暗い。コソコソと内密そうな話をしていても誰の目にもつかないだろう。

 

 

『はい。少尉が知りたい情報は恐らくこの"ブラック・チェイン"の事かと。』

「過去の履歴、概要。お前がパッと目にして重要そうだと思った項目を簡潔に話してくれ。」

『了解です。……ちょっと待ってくださいねーー…』

 

 

微かに聞こえる書類を捲る紙の擦れる音。ユーリはボックスの扉部分に背を預け、レノルドの返答を待つ。

 

 

 

 

『改めて…組織の名前は"ブラック・チェイン"――通称"黒い鎖"。東国の汚点だと、今でも一部で言われ続けている人身売買組織です。――』

 

分厚い書類に目を通し、要点を素早く脳内でまとめてユーリに開示していく。

 

 

『――誘拐した少女達の"売春"。臓器の密売、斡旋。他国に奴隷として売られた少女のデータもあります。』

「………」

『少尉もご存知かと思いますが、有名なのは彼らの印です。鎖のような蛇のような悪趣味な焼印を少女たちに刻んでいた。…そしてその焼印は一生消えることはなく、今でも迫害の対象になっています。』

 

 

受話器を握るユーリの手が無意識に強くなる。脳裏に浮かぶのは昨夜のティファニーの身体にあった印。白い肌にハッキリと刻まれていたケロイド状になっている痛々しい焼印――

 

 

「((…ティフィーの左胸の下に間違いなくその焼印があった。そしてそれはあの孤児院の少女も同じ――))」

 

 

大火傷で皮膚をただらせたレイラの残酷な姿。それも脳裏に浮かぶとユーリの表情はさらに険しいものになった。

 

 

『そしてその少女達の殆どが西国(ウェスタリス)出身の戦争孤児。西国が意図的にスパイとして組織に売りつけた…なんて履歴も残ってますが事実かは不明。』

「…なるほどな。だからこそ今でもその焼印を持った少女達をボクたち秘密警察は捕縛対象者として扱っている…と。」

『そういう事です。さすが少尉、アタマノカイテンガハヤイデスネ。』

「小馬鹿にした口調で言うな、ムカつく。…ほら、さっさと他の情報も話せ。クソガキ。」

 

"えっ!酷!"と受話器の向こう側からふざけた声が響く。しかし男は愉しそうだった。

 

 

『…ちなみに、ブラック・チェインは約10年前に壊滅。その理由は詳しく書かれてませんが噂だと西の組織が潰したとか…なんかそんなメモも残されてますね。』

「だとしたら話の辻褄が合わないな。西国が意図して売りつけた癖に何故か西国の組織がそれを潰しに出た。」

『停戦のためにあえて自分たちが起こした汚点を消した、とも考えられますね?あとはただ単に善良な人達が救ったとも…。』

 

どうやら報告書の内容の様子だと組織についての全容はハッキリと把握していないのだろう。というより、"できない"のが事実。既に壊滅した組織、そして身分を隠し息を潜めながら生活している被害者である少女達。噂や憶測のみで纏めれていたのだった。

 

 

『あー、あとこんな履歴も。…被害者である"少女達"の一部が生存している"可能性"。西の組織にそのまま利用されてるとか、東国内でその過去の事実を隠しながら生活してるとか。色んな情報がありますよ。』

「…西の組織に利用…」

 

『因みに、ここ数年の間で何人か秘密警察に捕縛されてます。まだ少尉が国家保安局に入局する前の話みたいですけど。』

 

あるワードに引っ掛かりを見せるユーリ。そして考え込むのもつかの間、レノルドが他の情報も口にする。

 

 

『で、興味深いのがココ。捕縛されて尋問にかけられた子達の特徴です。―――"みんな美人で白い百合の花のような楚楚とした艶かさを持っている"…って、絶対この報告書作成した人変態ですよねー。詩人?』

「…他には?」

『えーっと…"人形のような小柄な少女"、"吸い込まれそうな青い瞳の美女"、"異国感漂うきらびやかな金髪を持った少女"――ま、要するに売春されて生き残っている子達は人間離れした圧倒的美少女ばかりだって事ですね?』

 

 

その話は辻褄が合っていた。

生き残っている孤児院のレイラも金髪碧眼の美少女だった。そしてティファニーも――人の目をひきつける異質な美しさを持っている。

 

美女は売春の道具として扱われ、欠陥品は単純に殺されて使えるところだけ奪われ金に変換される。悪徳すぎる売春組織の典型的な話だ。

 

 

 

『見た目に欠陥があった少女は早い段階で他国に売り飛ばされたか、体をバラバラにされて中身だけ奪われたか……典型的なクソみたいな組織ですよ。吐き気がします。……と、まあざっとですけどこんな感じですかね?』

 

「……助かった。」

『いえいえ、お役に立てたなら光栄です。先輩。』

「"少尉"だ、クソガキ。」

 

 

あまり長くは話せない。そろそろ本部にも人が集まってくるだろう。ユーリがわざわざ休暇中に部下を使って調べ物をさせるなんて――その事実が広まれば面倒だ。

 

 

『じゃ!お礼に彼女紹介してくださいね?噂によるとめちゃくちゃ美人さんなんですよね?』

「誰がお前に会わせるか!」

『えーー!じゃあ、今回のこと…ぜー〜んぶ中尉にチクって…』

「ぶっ飛ばすぞ。」

『チクられたくなければ紹介してくださいね?僕だって朝から少尉の為に頑張って働いたんですから、必ず恩は返してください。』

 

 

脅すような尊大な口ぶり。顔を見なくても分かる、きっと電話口の向こうの少年はわざとらしくゲラゲラと笑っているだろう。腹が立つ。

 

そんなこんなで苛立っている時、ユーリはふとその情報を記しているであろう書類の出処について問いかけた。

 

 

「――ところで、その機密書類はどこにあったんだ?」

『局長室のデスクですよ。鍵付きの引き出しの中にありました。』

「……は?」

『いや〜、もうハラハラドキドキですよ?バレたら一発退場でしょうね?僕。』

「お前…そんなハイリスクな…」

『ね?有能な後輩でしょ?めっちゃ前にブラック・チェインの事を局長が話してたのを思い出したんです。書類は通常の保管庫に置いてないだろうし、勘で見つけました。』

「………」

 

 

クルクルと得意気にデスクの鍵を振り回すレノルド。"やってやりましたよ?"なんて呟くと少年は打って変わって穏やかな口調で台詞を口にした。

 

 

 

 

『――"先輩"、久しぶりのバカンス、楽しんでくださいね。』

「……ああ。」

『じゃ、バレる前に書類も戻したいし失礼しまーーす。』

 

 

雑に切られる電話。

しかし思いのほか彼の働きぶりのおかげで欲しい情報が早くに手に入り、ユーリは満足気だった。

 

 

「((ムカつくやつだが…相変わらず有能だな。))」

 

 

"何故、こんなことを調べてるんですか?"なんて普通聞いてくると思ったが…あえて何も聞いてこなかった。

 

色んな意味で有能な後輩だ。彼を頼って正解だった。

しかし、ユーリの心境は複雑だった。

 

 

なんせ、ユーリは秘密警察の人間として有るまじき行動を起こしているのだから。

 

 

 

 

 

ユーリはティファニーを通報していなかったのだった。

 

 

 

 

 

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