morning glory   作:鈴夢

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omen

 

 

 

 

 

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午前5時30分―――

 

 

暗号名(コードネーム)"朝顔"

―――彼女の朝は早い

 

 

 

 

 

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ふわふわとした出来たてのシフォンケーキのような心地の良いベッド。スプリングの音、リネンの香り……"まだ眠っていたい、しかし起きなければ"。

 

未だ空は起きておらず、部屋には薄暗い光がカーテンの隙間から差し込むのみ。

 

目を擦りながら上半身を気怠そうに起こし、少女は欠伸を漏らした。

 

 

 

「((……今日の大仕事は"人民陸軍司令部"のVIPの診察。))」

 

 

"ゆっくりしている場合では無い、朝顔。"

碧眼は一気に目を覚ましたように大きく開き、傍らのカーテンに勢いよく手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

毛羽立ったシャギー素材のルームシューズを履き、寝癖で四方八方に散らばった髪の毛を抑えるように指を通す。向かう先はまず浴室――

 

 

熱いシャワーを浴び体全身を覚ます。そして脳内では今日のスケジュールを全通し、標的の性別、名前、嗜好……全ての情報を叩き込み、覚めていない頭を叩き起す。

 

 

 

 

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「―――いただきます。」

 

 

丁寧に合掌し、バランスの良い朝食を摂る。傍らの窓から見える早朝の美しい街の景色を眺め、お気に入りの温かいフレーバーティーで乾いた喉を潤す。

 

片手には昨日の"デイリーオスト"。羅列する文字という文字を再度熟読し、東国(オスタニア)の情勢を隅から隅までインプットしていく。相変わらず西国(ウェスタリス)とは未だに不安定な関係。外交問題はいつまで経っても変化せず、何時何があってもおかしくない状況だ。

 

「……ふー…」

 

一向に好転しない状況に堪らずため息を漏らしてしまいそうに。だが、いつか訪れるであろう平和の為、ここで泣き言もため息も漏らすわけにはいかない。

 

デイリーオストをテーブルに置くと、ふと目の前に置かれた花瓶に視線を移動させた。一輪挿しのシンプルな花瓶に生けられた一輪のピンク色の薔薇。一輪挿しにはなんとなく不向きな花ではあるが見ているだけでも幸せになる。

何の気なしに人差し指で触れてみる。艶と肉感のある薔薇の花弁は今日も元気で美しい。

 

 

「……ふふっ…」

 

 

――"贈り主の顔"をふと思い出すと憂鬱な気分も晴れるのだった。

 

 

 

 

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午前6時30分―――

 

 

 

 

 

 

「((今回のVIPの嗜好…、フィオナ先輩の前情報によると"知的"、"派手過ぎない"相手を好いている……だとか。髪の毛はシンプルに結って伊達眼鏡―――))」

 

 

最近購入したお気に入りのドレッサーを前に化粧を施していく。綺麗で長い金髪に櫛を通すたびに甘い香りがふわっと漂う。

 

 

――標的の嗜好に合ったもの……"好"印象に残るように。しかし過度に目立つようなことは逆にリスクを伴う。

 

"ふと"、自分という存在が好印象に映る、残る事が大事なのだ。

 

 

 

 

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午前7時15分―――

 

 

 

 

「((―――さて、と。準備は万全……))」

 

 

玄関の全身鏡で自分の姿の最終チェックを行う。

顔色は?化粧は?髪型は?香りは?

笑顔は?頬は引き攣っていない?

 

 

「うんうん。今日も完璧。」

 

 

鏡に映った自分の頬に手を伸ばし、今日という始まりを楽しむかのように笑みを零した。

 

"ティファニー・ラドナー"と"朝顔"

 

 

彼女は今日も平和の為――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平和の――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッティフィーーー!!」

 

「ッ!!!!」

 

 

少女がドアノブに手をかけ、扉を開くその瞬間。

いつも通りの男の声と"いい加減にやめて欲しい"挙動がティファニーに襲いかかった。

 

しかし彼女は凄腕のスパイ。あの黄昏も認めたスパイだ。そんな簡単に男の策に落ちることは無い。

 

 

 

 

「――ゴフッ!!!!」

 

「これで回避成功通算8日目……。日に日に腕が落ちてますよ?"ユーリさん"」

 

 

抱きつかれる前に咄嗟に扉を半分ほど閉めたティファニー。その扉に体全身を強打させた男は間抜けな声を上げると鼻から吐血。(もう見慣れたため何も思わない。)

 

…しかし、本当にやめて欲しい。

 

以前はこの光景をよくフォージャー家で見ていたのだ。しかも相手は実姉のヨル。姉が現れる度に"姉さーーーーーん☆"なんて声を上げていたのだが。まさかそれを自分にも"やられる"なんて。

 

 

 

「……くっ………腕を上げたな…」

「ユーリさんが落ちたんですよ。人の話聞いてます?」

「それは無いな!ボクは毎日……ズビッ……」

「鼻血出てますよ?ハンカチどうぞ。」

「ハハッ……、ティフィー…………ズビッ……」

「最初の頃は四方八方から襲われましたし。今は家中のありとあらゆる鍵を掛けてますから。玄関1箇所だけの対処なら余裕です。」

「その余裕も今のうちだ。明日こそは必ず――ッ」

 

その時、ティファニーの手がユーリの腕を強引に掴む。

 

 

 

「ほら、早く行きますよ。」

「………手…」

「手?」

「手を貸せ!手を!」

「…………」

 

左手でハンカチを持ち、鼻に押さえつける間抜けな男。右手が伸びてくるとティファニーは呆れ顔で左手を差し出した。

 

そして無言で歩く2人。

少女は顔には出さないものの、その胸中は混乱という文字だらけだった。

 

 

"何故、こんなことになったんだ"

そもそもこの男は私の敵だ、勿論向こうも私の正体を分かってのこと。最初の頃なんて私のことを目の敵にしていた癖に。ツンデレという概念もなく常に"ツンツン"。しかし今となっては"ツンデレデレデレ"……と言うように例えれば良いのだろうか?明らかな好意の塊。本当に演技では無いのか?と疑うほどに彼の変わりようが異常すぎる。

 

 

「んっ、何で今日眼鏡なんだ?」

「伊達眼鏡ですよ、伊達眼鏡。テーマは知的です。」

「知的?チンチクリンが知的?」

「お言葉ですが。ユーリさんより偏差値高いですよ。」

「知的は置いておいて、何故今日眼鏡なのかと聞いてるんだ!ボクは!」

「別にいーじゃないですか!たまには眼鏡くらい!」

「ははーん、分かったぞ。お前それでお色気作戦でもする気か?」

「はぁ?」

「万年童顔チンチクリンにそれは無理だ!諦めろ!」

「お色気関係ないですし!本当に人の話聞いてない……」

 

 

通勤する人々で溢れる街中。その真ん中で言い合う2人組に通りすがりの人々は思わず笑みを零してしまうほどに滑稽らしい。

朝から街のど真ん中で言い合いをするなんて、一体どんな仲が良い男女なのかと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい!そこのアツアツラブラブカップルさんよー!デイリーオストはいかがですか〜〜??」

 

その時、売店から手を振るう男が2人の視界に入る。

通称"モジャモジャ"男。ヒラヒラとデイリーオストの朝刊を振るうとティファニーとユーリへと声をかけたのだった。

 

 

ティファニーはパッと笑顔を浮かべ、ユーリの手を握ったままフランキーの元へと駆け寄る。

 

 

「おはようございます!フランキーさん!」

「おはようございます。いつも騒がしくてすみません。((憎きロッティの友人、モジャモジャ頭め。今日も馴れ馴れしいぞ!))」

 

 

 

 

 

「朝からアツいねー。鬱陶しいぞーオマエらー。」

「そうですよね?本当に。この人が毎日ストーカーしてくるんです。」

「はははっ、何を言ってるの?ティフィー……」

 

隣の男を指さすティファニーの表情は至って真面目だ。男は困惑気味な偽の笑顔を浮かべると胸中で文句を漏らす。

 

 

「((ボクはストーカーじゃない!変なことを言うなといつも……))」

 

「((取り繕ったって、もうユーリさんがいろんな意味でヤバい奴ってバレてますけど。フランキーさんにも。))」

 

 

ニコニコと人の良い穏やかな偽りの笑顔を浮かべる2人組。その手はしっかりと握られており、そんな光景を目の前にフランキーはカウンターに肘をつきながら小さくため息を漏らした。その瞳はほんの少しだけ"気がかり"なものが映る。

 

 

 

「――ほいっ。ファニーちゃんはいつものデイリーオストな?」

「ありがとうございます。」

 

「たまにはお前も何か買ってけよ〜?稼いでんだろ?"外交官殿"」

「…じゃあボクはチョコレートを。そっちのピンクの袋の……」

 

ユーリは傍らに置かれている可愛らしいピンクの包装紙に包まれたチョコレートを指さす。片手間で口に放り込めそうな手軽なチョコレート。しかし見た目があまりにも乙女なもので……

 

 

「お前、見た目の割に案外乙女なのな?」

「違いますよ。コレはボクにじゃなくて――」

 

 

ポンッと手渡されたチョコレートが入った小袋を受け取るとどこか誇らしげに口角を持ち上げたユーリ。そして隣のティファニーを見下ろすと――

 

 

 

「"彼女に"。…疲れてるみたいだったので、こういう時は糖分摂取が1番ですから。」

「わっ……私?」

「ほら受け取れ。仕事の合間にでも食べればいい。」

「…………」

「なんだその顔は!!」

「えっと……アリガトウゴザイマス。」

 

 

"何か……企んでいる?"なんて怪しそうに男を見上げる。ここまでされる事に最近慣れてはいるものの……いや、やっぱり慣れない。

 

根本はまだまだ子供っぽいところが多いのだが実にスマートな男だ。その様子を見守っていたフランキーでさえ嫉妬するほどに。

 

 

 

「あーーー!もう見てらんねぇよ!お前ら見てると虚しくなるっての!」

「では失礼しますね?」

「ユッ、ユーリさん!」

 

 

ユーリに手を引かれ足早に去っていく2人。

その後ろ姿をジト目で見据え、2人が見えなくなった瞬間にフランキーはガラッと顔つきを変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――な?どーよ?"先生"。」

「…………」

 

売店の傍の物陰から現れたのはいつものスリーピーススーツを纏ったロイドの姿だった。帽子を深く被り若干憂わしげな様子。

 

フランキーの佇むカウンター前へと移動すると、デイリーオストを片手に彼の見解に耳を傾ける。

 

 

「さすがにあれはヤバすぎねぇ?ファニーちゃんの事だから演技だってのは間違いねぇだろうけど。」

「………………」

「明らかに数ヶ月前と様子が違いすぎる。ユーリ・ブライアはマジで惚れてるっぽいし、厄介なことにならん事を祈ってるぜ?俺は。」

「………………」

 

「――んで?お前はどう思うよ?"黄昏"さん。」

 

 

手にしていたデイリーオストを小脇に挟み、ペント硬貨をフランキーに無言で手渡す。何も口にすることなくロイドは踵を返したのだった。

 

 

 

 

「暫く観察しておいてくれ。異変があれば直ぐに連絡を。」

「えぇえ〜!俺これからも毎日アイツらのイチャラブ見せつけられんのかよ!」

「その分の報酬は上乗せしてやるよ。不憫だからな。」

「な!おまッ!!不憫ってなんだよ!!こんにゃろー!!」

 

 

フランキーには悪いがこのまま2人の様子を監視……監視は言い過ぎか。一先ず、様子を見てもらえればそれで良い。

 

 

 

「((……少し…俺の杞憂が過ぎるか……))」

 

 

"黄昏"の勘。

当たっていようが外れていようが正直どちらでも構わない――だが。

 

 

「(("引っ掛かるんだ――"))」

 

 

 

 

 

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――バーリント総合病院 エントランス

 

 

 

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「今日もわざわざありがとうございます。」

「別に、通り道だ。」

 

向かい合う2人。

背丈の高いユーリを見上げるティファニー。朗らかに微笑む彼女の表情にユーリの頬が火照り胸が弾む。

 

 

 

 

「今日も遅いのか?」

「んー、予定だと。」

「………………」

「……?何かありましたか?ユーリさん。」

 

 

ふいっと視線を泳がせるとバツが悪そうに眉を引き寄せるユーリ。

 

 

 

「……いや。最近なかなかゆっくり時間が取れてないからな。」

「確かにそうですね?もし早く帰れる日があったら、また遊びに行かせてください。」

「別に遅くても何時でも来ればいい。鍵は渡してあるだろう?」

「そうですけど悪い気がして。"外交官"もお仕事大変でしょ?お休みの邪魔もできませんから。」

 

 

医者と外交官――諜報員と秘密警察。

暇な日などない。毎日が命懸けで忙しないのは当たり前だ。

 

もし……お互いが"普通"の人間だったならば。どんな日々になっていたのだろうか。

 

そんなことを考えたこともある。

 

「無理だけはするなよ。」

「ユーリさんこそ。」

「フッ……お互いに、だな?」

「そうですよ?……では、行ってきます。」

「ああ。」

 

 

お互いに手を振り、背を向け脚を踏み出した。ティファニーは少しだけ背後に視線を向けると真っ直ぐと歩くユーリが目に入った。コチラを再び振り向く様子もない。……なんだか寂しい……なーんて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お早う。ティフィー。」

 

 

刹那、トンっと肩に添えられる手。平坦で冷淡な声が背後から飛び込むとティファニーは大きく肩を揺らし、現れた人物へと視線を向けた。

 

 

「うわっ!ビックリした……。フィオナ先輩!おはようございます!」

「………あれは……((ユーリ・ブライア……))」

 

 

 

 

「懲りないわね。わざわざ貴女をここまで送るなんて。」

「変な虫がつかないようにだとか。」

「………………」

「なんです?私の顔に何かついてますか?」

「……何で貴女みたいな小娘が好きなのか理解できないわ。」

「フィオナ先輩ー。悪口ですよそれー。」

 

 

 

 

 

 

「お早う、2人とも。」

「あっ!先生!お早うございます。」

「お早うございます。((……はぁあっ先輩!今日も素敵。好き……好き好き好き好っきいいいい!!))」

 

 

"朝顔、黄昏、夜帷"

3人は横並びでエントランスを歩く。やけに目を引く3人。しかも周りから見てみれば異質すぎる組み合わせ。まさかこの3人が"西国(ウェスタリス)の1、2を争う諜報員(スパイ)"だなんて誰も予想だにしていないだろう。

 

 

「フィオナ君。この書類を医局長に――」

→訳(夜帷、一昨日の潜入捜査の件なんだが――)

 

「はい。了解しました。そういえばこの前の学会――」

→訳(滞りなく完璧です。相手組織の機密情報は――)

 

「先生、先輩。今日のランチは近くにできたパン屋さん――」

→訳(相手組織の残党は私がねじ伏せときましたよ?――)

 

 

3人の得意技、口元の動きでの会話。

院内でのそれぞれのポジションに向かうこの隙間時間で簡易的なミーティングをしているのだ。

 

ロイドを真ん中に挟む美女2人組。院内ですれ違う医者たちの視線。誰もが精神科医 ロイド・フォージャーを羨んでいた。

 

 

 

 

 

 

「では……私はここで。((ぐっ……私もこの先の棟で仕事をしていれば、もう少し先輩と会話ができたのに!一先ず、今朝"フィオナ"と呼ばれた回数は2回……悪くない滑り出しよ、夜帷。))」

 

事務職員として身を置くフィオナは途中で離脱。相変わらず感情が読めない冷酷にも感じる無表情であるが、その胸中はロイドの事で頭がいっぱい……そして微かにそれを読み取っていたのはティファニーだけなのだが……絶対誰にも言えない。

 

 

「またランチの時に!フィオナ先輩。」

「よろしく頼んだよ、フィオナ君。」

 

「はい。((……さんっ……3回目!!!))」

 

 

馳せる気持ちを必死に押え、手を振るロイドとティファニーをじっと見据えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それじゃあ、僕達もここで。―――」

「先生待ってください。」

「ん?何だ?」

 

ロイドを呼び止めるティファニー。微かに声色はキレのある真面目なものに変化していた。そして瞬時に周辺を確認し人影がないことを把握。

 

 

 

「どうしたんだい?ファニー……ッ!?」

 

 

 

すると次の瞬間、咄嗟にロイドの腕を掴むと傍らの空き部屋に連れ込む。突然のことに目を丸くするロイド。そして"どこか納得いかない"と言わんばかりの不機嫌そうな顔で男を見上げたのだった。

 

 

 

「――何故、隠れていたんです?」

「何の事だ?」

「とぼけないでください。ワケが知りたいんです。」

「…………」

 

まさか、十分に気配は消していたはずだが……バレていたとは。やはりこの少女は侮れない。1番敵に回したくないと思うほどに賢く、勘もいい。

 

 

「私の勘ですが、もしかしてユーリ・ブライアとの関係性を疑ってますか?」

「…………」

「顔に書いてますよ。"黄昏"先生?」

「…………はぁ――」

 

 

目元を手で覆うと、天を仰ぐロイド。まさか彼女にここまで詰め寄られるとは……酔っ払ったヨルとつい重ねてしまい既視感さえ覚えていた。

 

 

 

「……お前の任務はオペレーション梟において重要すぎるポジションだ。国家保安局、秘密警察の情報を得る事。他重要人物との接触――」

 

「――ッうっ!」

 

 

刹那、ロイドの大きな手がティファニーの両肩を掴むと形勢逆転。今度は自分が壁に押さえつけられると真剣な目付きをしたロイドが目の前に現れる。

 

一瞬たりとも相手の本性を逃さまいと、ロイドの切れ長の瞳がティファニーを離さない。互いの息がかかる程の近距離。

 

見たことがある。同じ状況。……こういう時の先生は――

 

 

 

"本気"の時だ。

 

 

 

「いいか"朝顔"。お前一人の勝手な行動で全てが狂うことも有り得る。例え、お前が頭脳明晰でも、どんなに強靭でも――」

 

「んう……ッ……」

 

強引に覆われる口元。殺気さえ感じる。

 

常人であれば身体を震わせ、呼吸をも乱れ汗が背中を伝っているだろう。寧ろこれが尋問であれば真実を話してしまうほどの恐怖。

 

しかしティファニーは動揺するどころか呼吸ひとつ乱さない。恐ろしい黄昏の姿にも一切揺るがない。

 

 

 

「お前、"何か隠してるな"。」

「………………」

「俺を騙せると思うな。」

「………………」

「ユーリ・ブライアと何があった。」

「………………」

 

 

自分を真っ直ぐと見据える碧眼。

嘘偽りない、綺麗な蒼。

ロイドは暫く彼女を観察した。威嚇するように、ワザと恐怖を与えるかのように。

 

しかし、彼女に効いている様子は無い。

どうやら本当に自分の杞憂、勘違いだった様だ。

 

"きっと……そうだ。俺の考えすぎだ――"

 

 

「って……少しカマを掛けてみただけだ。試して悪い。」

「ッぷは…………それは私もです。すみません、過ぎた真似を――」

 

 

ロイドがティファニーの口元から手を離したその時。突如傍らの扉が開く。

 

 

 

 

 

「……カルテ……((午前の予約患者のものを用意しないと――))」

 

 

何の気なしに、仕事のために部屋に入ってきたのはフィオナだった。運悪くこの部屋はカルテの保管庫。まさか"こんな時"に彼女が入ってくるなんて……

 

 

 

 

「「あっ……」」

「…………」

 

交わる視線。

傍から見ればロイドがティファニーを相手に襲っているような――

 

 

「ちっ、違うんだフィオナ君!」

「先輩!これには訳――」

 

「失礼しました。」

 

 

大きな音を立て雑に閉じられる扉。その力加減からかなりの動揺と誤解を招いてしまったのは間違いないだろう。

 

 

「……マズイです……これはマズイです先生」

「…………はぁ……」

 

 

頭を抱える両名。

そして扉の外では足早に部屋の前から立ち去る足音と、今にでも泣き出しそうなフィオナの形相……

 

 

「〜〜〜〜〜ッ!!!!((私だって……私だって"壁ドン"されたことないのにぃぃいいぃ!!!))」

 

 

「待って!フィオナせんぱーーーーい!!!!!!」

 

部屋から飛び出し、彼女を追いかけるティファニー。そして部屋に取り残されたロイドはぐったりと肩を落とし、盛大なため息を吐き出した。

 

 

 

「…………((最近……何故こうも"ついてない"のか。俺は……))」

 

 

 

アーニャの赤点学校生活。ヨルに振り回される日々。ユーリには会う度会う度に罵られる頻度が多くなり、フィオナには変な誤解をされる。

 

唯一の可愛い"娘"とも言えるティファニーにも壁に押し付けられ迫られる始末――

 

 

 

凄腕エージェント"黄昏"

彼もまた波乱の1日が始まったのであった。

 

 

 

 

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同日 午後16時過ぎ――

 

――バーリント市内 地下

西国情報局対東課〈WISE〉支部

 

 

 

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「相変わらず仕事が早くて助かる…"朝顔"」

「当たり前ですよ"管理官(ハンドラー)"」

 

 

今日の大仕事。"人民陸軍司令部"のVIPの情報を手に現れたティファニー。書類を受け取ったハンドラーは口元に笑みを浮かべ、彼女の迅速かつ正確な仕事ぶりに満足しているようだった。

 

 

彼女が合流してからというもの、様々な東国要人の情報が順調すぎる程にWISEに流れ込んでくる。それは一重に朝顔の活躍ぶりだろう。今まで他の任務で何度も危険な目に合ってきたが、朝顔も黄昏も夜帷も難なく全てをこなしてきた。上司であるハンドラーも鼻が高い。

 

 

「で、どうだ?最近のお前のオペレーション(ストリクス)の進行は。」

「順調ですよ。何もかも滞りなく。」

「フフっ……さすがだな。朝顔。」

 

 

何もかも了解しているといった、余裕のある目つき。ハンドラーも彼女を心底信頼していた。

 

 

「そういえば、今日は久しぶりに黄昏との合同任務だな。」

「はい。"先生"と一緒の任務なんて久しぶり過ぎて緊張します。」

「黄昏も同じような事を言ってたな。相手がお前だと色々と緊張するとか。」

「先生は私を子供扱いし過ぎです。任務中も心配ばっかり。」

「それほどにお前の事を按じている証拠だ。そう言わず、分かってやれ。」

「…………はい。」

 

 

朝の出来事の事もあり、何だか妙な気分だ。あれは按じているのか?ただの警戒なのか、本当にカマを掛けただけなのか……

 

やはり黄昏の事は侮れない。全てを見透かされているような気分だ。

 

 

 

「そうだ。ひとつお前に共有しておきたい事が……」

「共有?何でしょう?」

 

改まった様子でティファニーに視線を向けるハンドラー。テーブルの引き出しからゴソゴソと何かを取り出すと"1枚の写真"を手渡す。

 

鮮明に写っている1人の青年の姿。

画角からして盗撮だと思うのだが、驚くことに"こちらを見ている"。碧眼がこちらの存在に気づき、ハッキリと――

 

 

 

「国家保安局・秘密警察――…"レノルド・カーウォーディン"。」

「…………」

「この男は要注意だ。やけに鼻が利く。」

「何かあったんです?」

 

手元の写真からハンドラーへと視線を写す。ハンドラーの表情からは余裕がなく、珍しいほどに警戒しているような顔だった。

 

 

ウチ(WISE)が潜ませていた2人の諜報員。あくまで推測に過ぎないが"消された"んだ、"この男"に。」

「…消された……ですか?」

「ああ。対象の諜報員2人と3日前から連絡が取れていない。情報も何も無くてな。…あるのは秘密警察の目撃情報――」

 

 

ティファニーは再び写真に視線を落とす。

自分程では無いが傍から見ればまだまだ幼さが残る"少年"とも言える。秘密警察の制服、スーツを着ていても違和感があるほどに。だが、写真に写る男は狩人のように鋭く、恐ろしい目付きをしていた。

飄々と、余裕に満ち溢れた少年の顔。……"あの時"もそうだった。

 

自分の手に触れる彼の手が恐ろしかった。

 

 

「しかし、何故この男が危険だと?」

「2人の消息が途絶えた市内のバー。確かにこの場所に2人を送ったのだが………何やら怪しい男達に連れていかれたらしい。その中心に居たのが茶髪童顔、碧眼の男――」

「……碧眼…」

 

間違いない、絶対に"この男"。

 

 

「こいつ、お前の標的のユーリ・ブライアの部下らしいな。」

「……実は私、以前この人物と会ってます。」

「会った?直接?」

「はい。ヨル・フォージャーと外にいた時……"ユーリさんの彼女"という認識で。」

「………………」

 

 

ハンドラーの表情がさらに険しいものに。眉に深い皺を寄せ、口元に考え込むような指を這わせる。

 

その男の奇妙な行動。ないとは思うがティファニーを警戒しての接近なのか……いや、たまたまなのか。単なる興味範囲なのか……

 

脳内でグルグルと様々な憶測が駆け巡る。

 

そんなハンドラーの様子を見据えるティファニーも同じように眉を顰めた。

 

 

「十分に気をつけろ。情報によるとかなりの頭脳派らしい。それと勘の良さは国家公安局一と言われているようだからな。」

「大丈夫です。会ったといってもそれきりですから。」

「…………あぁ。」

 

ティファニーは男の写真をテーブルへと戻す。

そして強い眼光を向け、言葉を放った。

 

 

「何があっても……私はこのオペレーション(ストリクス)を成功させます。」

 

 

断崖から突き落とされても構わない、というような強い覚悟。滲み出る強い決心を含んだ彼女の声はハンドラーの心を強く掴む。

 

 

 

「((……例え、自分が犠牲になろうとも。))」

 

 

脳裏に自分を取り巻く人物達の顔が思い浮かばれる。

 

ここまで助けてくれた仲間たちの顔。

 

 

「((私は朝顔。……この名に恥じないスパイとして――))」

 

 

彼女の碧眼が炯々と光を放っていた。

 

 

 

 

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初秋の黄昏は幕の下りるように早く夜に変わっていく。

 

吹き抜ける冷たい風も、移りゆく空の色も、帰路につく人々の姿も――

 

全てが早く、目まぐるしい程に。

 

 

 

 

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「((まずい……ハンドラーと話し込んでたらこんな時間。……1度病院に戻って、それから先生と合流して――))」

 

 

帰路につく人々の波に逆らうように駆け抜けるティファニー。腕時計の針先が指す数字に落胆していた。

 

自分としたことが…珍しく時間がギリギリになってしまった。この後は黄昏と共に武器密猟の組織を叩きに行くというのに。

 

どうした朝顔。らしくない。

早く――早く――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ!?もしかしてティファニーさんじゃないですか!」

 

 

人混みに埋もれる自分を呼ぶ誰かの声。反射的にティファニーはその場に立ち止まった。

 

聞きなれない声だが、確かに聞いたことのある声。キョロキョロと辺りを見回すも声の主らしき人物は見当たらない。

 

 

……若々しく、明るく、好印象な声色――

 

 

気づいた時には自分の目の前に立ち塞がるように佇む男の姿があった。

 

 

 

「わっ!!」

「やっぱり!ティファニーさんですよね?直ぐ分かりました。」

「……あなたは確か……ユーリさんの……ごめんなさいお名前を失念してしまいまして……」

 

 

 

――"レノルド・カーウォーディン"

 

突如現れた気配に心臓がバクバクと激しく脈打つ。普段滅多に動揺しない自分がここまで動揺するなんて。さっきハンドラーとこの人物について話し合ったからだろうか?

 

「レノルド!"レノルド・カーウォーディン"です。以後お見知り置きを……」

 

胸に手を当て、わざとらしい紳士らしい立ち振る舞いをする軽薄そうな青年。ニコニコと笑っているが"あの写真"のような恐ろしい顔もするような人物だ。

 

警戒しろ。隙を見せるな、朝顔。

 

 

 

「まさかこんな所で会えるなんて!帰りですか?」

「……まあ、そんなところです。」

「でも病院の方向……ん?まだお仕事の最中?」

「往診に出ていたんです。今から病院に戻るところで。」

「あ〜!成程!だから逆方向だったんだ……へぇ〜。凄腕のお医者様はすごいなぁ。」

 

指で病院の方向を指さす男。油断も隙もないとはこのことだろう。まさか変える方向まで突っ込まれるなんて……変に勘がいいこの男。曖昧な受け答えはやめた方がいい。常に気を張っておかなければ。

 

 

「よかったら今夜、仕事の後でも良いのでご飯でもどうです?」

「えっ……と……今夜は先約があって……」

「もしかしてユーリ先輩ですか?」

「いえ、ユーリさんではないです。」

「なんだー、残念。たまたま見かけたご縁だし、ユーリ先輩なら参加しようと思ったんですけど……さすがに無理か〜」

 

やけに馴れ馴れしい。2回しか会っていないと言うのにこの距離感。喋り方や仕草、全てにおいて余裕さを感じる。そして軽い。

 

 

 

安直、穿鑿、曲者、奸佞――

この男の性格が分かった気がした。

 

常に愍笑を浮かべているようないい意味でも悪い意味でも"したたか"な人物像が見える。

 

 

じっと男を観察するティファニー。

するとその時、レノルドの手が何の躊躇もなくティファニーの手を掴んだ。

 

 

 

 

「ねえ……先輩なんかやめて僕にしません?」

「……はい?」

「先輩って子供っぽいじゃないですか?振り回されて大変でしょう?」

「…………」

 

 

突然何を言ってるんだ、この男は。

 

 

「ねーえ。聞いてる?」

「…………」

「僕たち、なんか同じ匂いがするんだよね。絶対合うよ、何もかも。」

「…………」

「ね?どう?それに僕、見た目も悪くないでしょ?」

 

 

"ね?"と首を傾げる仕草はまるで人を小馬鹿にしているようにも見えた。小動物でも愛でるかのように、甘ったるい声で囁く。

 

気味が悪い、人を馬鹿にしすぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……失礼ですが、私はあなたのような軽薄そうな人は嫌いです。」

「うわ〜…キツい事言いますね。」

「事実を言った迄です。」

 

手を振り払い正々堂々と男を見上げた。

碧眼と碧眼がぶつかる数秒間。レノルドは相変わらず嘲笑っていた。

 

 

「僕はティファニーさんみたいに"裏の顔"がありそうな人好きなんですよね。」

「……裏?」

「あの先輩と付き合うなんてどうかしてるでしょ、有り得ない。わけアリに決まってる。"あの先輩"が実の姉以外に興味を持つなんて……異常ですよ。」

 

「"お互い好きだから付き合う"―――それだけの理由ですが?」

「いやー違う違う。先輩に近づくなんて相当な変わり者ですよ。」

「……私が異常だと?」

 

裏があるだの、異常だの、さっきから腹立たしい台詞ばかりを吐く男。挑発のつもりか?試しているのか?それとも本当にそう思ってるのか?

 

レノルドの表情が薄気味悪く変化していく。ニタッと意地の悪い口元は寒気さえ覚える程に。

 

 

 

「……はい。僕はそう思ってます。だってあの先輩と交際していい事なんてないじゃないですか?」

「さっきから何なんです?もしかしてユーリさんのことが好きなんですか?嫉妬?」

「それは無いです。僕は女の子が好きです。……だから言ったじゃないですか?僕にしませんか?……って!」

 

「ッ……!」

 

男は道のど真ん中でティファニーの腰に腕を回し強く引き寄せる。

 

しかしティファニーもやられっぱなしなわけが無い。さすがに"怒り"とう感情が湧き上がってきた。好き放題言われ、自分の本当の感情さえもバカにするこの男……今すぐ殺してやりたい。

 

 

「――ッ!!」

 

街中に乾いた音が響き渡った。

ティファニーは容赦なくこの失礼極まりない男の頬を平手打ちしたのだった。しかし男の手は離れない、腰に回された大きな腕は未だに力が込められていた。

 

 

「……"虫唾が走る"というのはこういう事なんですね。」

「…うわっ……強烈。痛ッ……」

「離してください。不愉快です。」

「ははっ……酷いなあ〜……」

 

"いった〜ッ!"と頬を押えながら漸く離れる男。まさか殴られるなんて思っていなかっただろう。こんな少女がそんなことをするなんて、と。

 

 

「キミさあ、白衣を纏った天使の癖に言う事もやる事も意外と"怖い人"なんだね?」

「あなたこそ人の気持ちを考えず、ズケズケと土足で踏み込んで掻き乱して…"つまらない"人ですね。」

「…………」

 

 

少女の顔は恐ろしかった。

冷酷極まりない、軍隊の司令官の様な顔。白衣の天使から想像できない恐ろしい"キレた"顔。

少女を見下ろしているはずなのに自分が見下ろされているような感覚。

 

"弄び甲斐のある女が現れた"――

 

レノルドの胸の内は悦びで溢れていた。

 

 

 

 

「まっ、気が向いたら一緒にご飯でも行きましょ?」

「二度と近づかないでください。」

「えー、それは無理。どっちみちユーリ先輩の彼女さんだし必ずどこかで会いますよ?」

 

 

レノルドは真っ赤に腫れた頬を押さえつつ、相変わらず嗤っていた。そして持っていた鞄を持ち変えるとティファニーの横を通り過ぎ、去っていく。

 

 

 

 

 

「それじゃあ"また今度"。先輩によろしくお願いしまーす……"ティファニー・ラドナー"さん。」

 

 

レノルドは振り返ることなく最後に言葉を述べて立ち去っていく。ティファニーは立ち止まったまま、振り向くことなく怒りの顔を浮かべ立ち尽くしていた。

 

 

まるで全てを見ている雰囲気。

キミのことは全部、隅から隅まで知っているよ?……とまでは言われていないがそれに近いものを感じていた。

 

"アレ"は危険だ。

初めて会った時から嫌な感じはしていたがまさかここで再会するなんて。

 

適当にあしらっておけるような人物でも無い。万が一、次彼から何かしらのアクションがあった時はこちらもそれ相応の対処が必要だろう。

 

 

 

「……とにかく先生の所に行かないと……、」

 

 

 

「((……しっかりしないと、翻弄されてはダメ。……朝顔――))」

 

 

ティファニーは再び足を動かす。

その歩幅はいつにも増して広く、焦りさえも感じる――

 

 

 

 

 

 

┈┈┈┈┈┈

 

 

 

 

 

「……ブロンドの髪の毛に青い瞳。整った顔立ちに可愛い声……利口で隙のない、強い女の子――」

 

 

 

 

青年の顔。それはまるでうつくしい夢のように、うっとりした目で夜空を見上げる。

 

 

 






――2023.09.27

ティファニーの新たな画像更新してます。
目次に有り。
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