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ティファニー・ラドナー
捕縛 5日目――
――バーリント総合病院
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曇天が続くバーリントン市内。
そんなとある日の昼下がり。院内はとある女性の話で持ち切りだった。
「…ラドナー先生。連絡が取れなくなったって。」
「小児科の先生たちも大騒ぎよ!心配だわ。」
姿を消した"バーリント総合病院のホープ"
「お前聞いたか!?医局長がついに捜索願いを出したらしいぞ。」
「確かにティファニーちゃん……親族は誰ひとり居ないんだもんな。」
「唯一関わりのあるフォージャーでさえ"分からない"の一点張りだ。」
「ならあの子は!ほら!あの事務の!先輩って慕ってた女の子居たよな?」
「フィオナさんだろ?やめとけやめとけ。聞いても睨まれるだけだ……」
元々独り身で有名だった彼女。
その安否を知る方法も勿論数少ない。唯一知っているであろうロイド・フォージャー、そしてフィオナ・フロストでさえも口を閉ざしていた。
「もしかして例の彼氏と駆け落ちしたのかしら?」
「何言ってんのよ!あのラドナー先生が患者を見捨てて男と逃げるなんて有り得ないでしょ?」
「でも、だとしたらなにかの事件に巻き込まれたとしか?」
「ストーカーも多かったし……もしかして殺されたりなんて…」
「やめてよ!そんな物騒な話!」
「だけど可能性としたらそれしか考えられないし……」
食堂では若い看護婦達が騒ぎ立てる。ティファニーは過去にストーカー被害にもあっていた。様々な業種のV.I.P.達がこぞって姿を現しては数日後には現れなくなるという不気味な現象もあった。しかし彼女には彼氏がいるでは無いか?"黒髪赤眼の外交官の彼"……まさかワケあって駆け落ち?いいやそんなわけが無い。彼女が仕事を投げ出して消えるなど誰も想像できなかった。
となれば……やはり危険な事件に巻き込まれたのか?
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――室内にノック音が響く。
その音から何者かと推測すると、ロイドは椅子から立ち上がり、その人物を待つ。
「入れ。」
「……失礼します。」
「"フィオナ君"か。どうした?」
ロイドの診療室に現れたのは事務員のフィオナ。手にはA4サイズの茶封筒が抱かれており小さく頷く。
「新たな情報です。」
「………」
手渡された封筒。
ロイドは中身を直ぐに確認すると怪しげな雰囲気を纏う車の写真と書類に目を通す。
「ティフィーが地下へ消えて数十分後。怪しい車両がバーリントン方面の抜け道に複数台移動。その目撃情報が入りました。写真は街の防犯カメラから切り取ったものです。」
「…………」
「車種は商用車。ナンバーは特定班が解析中です。」
「…見覚えがない車だな。この車種は目にしたことはあるが黒い車体のものは見たことがないぞ。」
「はい。オマケに窓には全面特殊なシートが。中が見えないように細工されているのかと。」
四方八方から、あらゆる角度から撮られた写真。しかしどれもこれも車内の様子は確認ができない。運転手もマスクに作業着姿と特徴もなく、何者かが特定できない。
怪訝な顔で書類を睨みつけるロイド。
するとその様子を見ていたフィオナが再び口を開いた。
「……先輩。少し話をしても良いですか?」
「ああ、勿論だ。」
車の写真を傍らのテーブルへと置くとロイドはフィオナを見据えた。
「西国国務大臣"メルビン・ラエネック"の急襲……それ自体が何らかのブラフだった可能性があるのではないかと。」
「何?ブラフ?」
「はい。今更ながら……そもそも大臣を狙うには大掛かりすぎたと思います。各地点に厳重な警備、一部区域には市民が立ち入らないようにと対策も練られていました。」
「……」
「彼を狩る理由は理解できます。ですが…まるで"一点に集中させて別の獲物を狩っていた"、そうとしか考えられないんです。」
確かに、それは誰しもが何となく察し始めていた。実際メルビンは無事会合を終え、再び西国へと帰国した。その際も国家保安局の追跡はあったものの全くと言っていいほど警備も何もかもがザルだった。まるで"用無し"と思ってしまうほどに。
「…………」
ロイドは口元に指を添え、何か考える仕草を見せる。脳裏で様々な憶測を練るもハッキリとした考えは浮かび上がらない。
しかしロイドは"別の"ある事を気掛かりにしていた。
「………お前はどう思う?」
「はい?何がでしょうか。」
「彼女が"組織を裏切って逃げた"。その可能性は?」
ロイドが放った台詞。微かにフィオナの表情が揺らぎ、 哀しみに近い瞳へと変わる。
「何故……そう思うのですか。」
「ここ数ヶ月。俺はアイツを観察してきた…いや、監視に近いかもしれん。実際フランキーや他の情報屋を使った事もある。」
「いつの間にそんなことを……ハンドラーはご存知なのですか?」
「いいや、知らないだろう。俺が単独で動いていたからな。」
"疑念"
組織の中で誰よりもティファニーの事を理解しているのはロイドだと――フィオナは今の今まで思っていた。
しかし今の台詞で全て分かった。"違う"と。
誰よりも"私の方があの子のことを理解していた"。
「……」
「ユーリ・ブライアとの妙な距離感。時たま見せる微細に隠された本音。――本当はあいつは組織から離れたかったのでは無いのか。」
その時、フィオナは脚を一歩踏み出すとロイドへとさらに近づき睨みつけるように男を見上げた。軽蔑に近い、トゲトゲとした表情……
「お言葉ですが先輩。私は先輩に対して初めて失望しました。」
「…え…」
「残念です。実に残念です。」
「いや待て…どういう事だ。」
否定的なフィオナの台詞に混乱するロイド。夜帷は声色も表情も変えないまま言葉を続ける。
「――"組織から離れたかった"……今更です。あの子がそう思ってないわけがないじゃないですか。」
「っ…」
「"組織のために私は命を落としても構わない"。確かにティフィーはそう口にしていました。そしてそれは本音です。だからここまで彼女は身を粉にして行動をしてきた……」
フィオナは両手に拳を作り無意識に強く握りしめた。そして微かに眉を顰め、更に強くロイドを見つめた。
「でもあの子は普通の女の子です。…戦争があの子の全てを変えた。私たちがあの子を変えた。そうじゃないですか?先輩。」
ロイドもフィオナもティファニーも……WISEの仲間たち全員、元は普通の人間だ。平和を望む人間だ。全員が本人の意思で諜報員として暗躍し、東西平和の為に日々駆け回っている。
憎むべきはこの世界。そして彼女を変えてしまった自分たちも憎い。本人が望んでいたとしても彼女は眩しすぎた。まだ子供で誰よりも素直で、明るい未来があの子には沢山託されていた。
フィオナもロイドもそれを勿論分かっていた。
……分かっていたのだ。
「それに……あの子が裏切るなんて有り得ません。」
「………」
「きっと彼女は何らかの事件に巻き込まれています。恐らくそれに秘密警察…ユーリ・ブライアが関わっています。」
刹那、フィオナはロイドに背を向け踵を返す。部屋の扉のノブに手をかけると変わらず背を向けたまま、凛とした口調で話し続ける。
「私は今夜ハンドラーの元へ向かいます。先輩はヨル・ブライアを通すなりしてユーリ・ブライアの様子を伺ってください。」
「…夜帷……お前…」
「らしくないですよ。"寝言は寝て言ってください"。先輩。」
扉が開く音。去り際に背後に目をやると惑うロイドの表情が伺えた。対しフィオナは無表情で立ち去りゆっくりと扉を閉め、廊下を歩き始める。
「((マズイ……マズイマズイマズイ!私としたことが!先輩になんて事を口走って!絶対嫌な奴って思われた……絶対…終わった………))」
廊下を早足で歩く中、今にでも泣き出してしまいそうなほど取り返しのつかない絶望に陥った、蒼ざめた顔を浮かべるフィオナ。すれ違う人全員が彼女に心配の色を浮かべていた。
そしてその足は職員専用の女性トイレへと向かう。
「……ッ……」
運良く誰の姿も気配もない。
フィオナは呼吸を落ち着かせようと洗面台へと近づくと両手を台に乗せ、目の前の鏡をじっと見据える。
「……はぁ……はぁ…………」
――姿を消した"あの子"
脳裏に浮かぶのは天真爛漫に笑みをこぼすあの子だ。
「((……先輩についてはさておき……ここで諦める訳にはいかない。…何があっても――"あの子の為なら"。))」
鏡に映る自分の姿。
そしてふと、耳元で艶を放つ黒いピアスへと視線を向ける。
……思い出される、過去の出来事――
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――オペレーション〈梟〉
フィオナ・フロスト "夜帷" 合流日前日――
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小さな地方都市。穏やかな昼下がり。
今夜この街を発つ"先輩"の姿と別任務遂行中の"後輩"の姿が人気の少ないカフェにあった。
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「先輩!これプレゼントです!」
差し出された白い小箱。
可愛らしい赤いリボンが結ばれており、突然の贈り物と思われるソレに不思議そうに視線を落とすフィオナ。
「……何故?」
箱を受け取るも疑問しかない。
何故この私がこの子からプレゼントなんて。
「明日からのオペレーション〈梟〉合流を祝して!」
「何故そんな理由で?」
「だって先輩言ってましたよ?"黄昏先輩とやっとご一緒できる"って。あの喜び方からして祝わずにはいられないですし!」
「………言ってない」
「言ってましたよ!1週間前に夜ごはん食べに行った時!」
「…………」
「先輩、あの時浴びるようにお酒飲まれてましたもん。そりゃ記憶もないですよね?」
念願の"黄昏先輩"との大きな任務。
やっと……やっとの思いでここまで来たのだと喜んでいたフィオナ。その喜びを感じていたのは本人だけでなく、後輩のティフィーも同じだった。
「先輩。開けてみてください。」
「行きの汽車で……」
「もー!釣れないこと言わないでくださいよ。今開けてください!今!」
仕方なくリボンに手をかけると器用に解いていく。まさに女の子らしいと言わんばかりの包装に普通の女の子ならば期待で表情が綻ぶのだろうがフィオナは違う。例え嬉しくてたまらなかったにせよ絶対に表情には感情を出さないフィオナ。
その様子をウキウキと楽しそうに見つめるティフィー。
「――ピアス?」
「はい。」
小箱の蓋を開けると黒い丸い形をしたピアスが2つ。デザインはとてもシンプルでまさに"フィオナらしい"。
キラキラとした石でもなく、形がハートという訳でもなく。ただの黒色の丸い石だった。
「この前、お気に入りのピアス片方失くしたって言ってましたよね?それから付けてるの見てないですし……」
以前もシンプルなシルバーピアスを付けていたが最近は目にしていない。任務中に片方落としてしまったらしい。
「…………」
「……もしかして微妙でした?」
「…え?……いや、……そういう訳じゃないわ」
元々フィオナの反応が薄いのは百も承知なのだがあまりにも反応が無さすぎて自信を無くしてしまったティフィー。少し残念そうに眉を下げる姿に、フィオナは首を振るう。
「何故ピアスにしたの?確かに片方失くしたのは事実だけど。」
率直な疑問だった。
贈り物ならいくらでも候補はあるだろう。しかし何故かピアスを選んだ。片方失くしてしまったから、という理由だけでは無いはずだ。
「物にもオシャレにも無頓着な先輩がアクセサリー付けるなんて意外だと思っていたので。それでもピアスを付けるのはやっぱりどこか拘りがあるからなんだろうなぁ……だからピアスにしたんです。」
「なんだか遠回しに小馬鹿にされてる気がするけど敢えてスルーするわね。」
「別にそんな事言ってないじゃないですか!」
"も〜!"と対面側の席で頬を膨らますティファニー。フィオナはそんな彼女に微かに口元を緩ませると再び小箱のピアスに視線を落とした。
そっと右手親指でピアスを撫でる。贈り物なんて貰ったのはいつぶりだろうか。しかも装飾品なんて初めてのこと。
確かに普通の女性に比べてオシャレというものには疎い。だがフィオナ本人が全く興味がないという訳では無い。仕事上、性格上、素直に自分の感情を周りに伝えることは苦手だった。クールで冷徹、いつも物静かで言葉数も少ない"夜帷"。
――"朝顔"
貴女のように、私も素直に明るい人になりたいと何度思ったことか。
「……ありがとう。大切にするわ、ティフィー。」
「ッ……」
優しい笑顔だった。
満面の笑みとまではいかないが、フィオナらしい頬の綻びにティファニーもつられるように笑顔をこぼした。
小箱の蓋を閉め、自身の鞄へ贈り物を収める。
その動作を静かに見守っていたティファニーが再び言葉を放つ。
「……フィオナ先輩はずっと組織に居るんです?」
「今度は何?質問責めね?」
「だって私たち年頃の女の子ですよ?好きな人とか、結婚とか…夢があるじゃないですか?」
「そんなもの遠に捨ててるわ。」
「え〜!でも先輩たまに乙女な時あるじゃないですか?」
「ギクッ…」
ティファニーの咄嗟の言葉に動揺を見せる。
「((…まさかこの子…私が先輩に抱いている気持ちに気づいている!?))」
"ドキドキ"と胸が大きく揺さぶられた。まさか年の離れた後輩にそこまで勘づかれるとは大恥だ。
「な……ソンナコトナイ……わ」
「ん?どうしたんです?」
「ワタシ別にセンパイノコトハ……」
「何言ってるんですか?フィオナ先輩……」
ティファニーはそこまで勘づいているわけではなかった。異様なフィオナの反応に首を傾げると"まあいいか"なんて心の中で呟くと軽く咳払いをし、再び言葉を続ける。
「私、組織のためなら何だってできます。…だって私はWISEに救われたんです。組織が無ければ私は既に死んでました。」
妙に生真面目な言葉だった。
ふとティファニーは外の景色を窓枠から眺めると紅茶を飲み喉を潤す。
いつもと違う真剣そうな、哀しそうな眼差しをフィオナは悟るとそっと彼女に問いかける。
「急にどうしたの?組織を抜けたくなった?」
「別にそういう意味じゃないです!……ほら、私も一応あと少ししたらオペレーション〈梟〉に合流しますし。何だか変な気分で…」
外から再びフィオナへと向けられる視線。困ったように眉を顰める姿はなんとなく珍しい。いつも天真爛漫な元気な笑みを見せる彼女とは全くの別人にも見える。
「たくさんの人と関わる度に…私という人間が浮き彫りになっていくというか…」
「………」
「不安なんです。"朝顔"…"ティファニー・ラドナー"を演じられるか。」
意外な台詞だった。
あまり弱音さえ普段から吐かない彼女から考えても本当に意外すぎるのだ。いつもは呑気に、あっけらかんとしたような、自由気ままにさえ感じるティファニー。だが今目の前で戸惑う姿は本当の彼女の姿かもしれない。黄昏にもハンドラーにも、WISE内の誰もが知らないような姿――
「いざと言う時、私は私を演じられるのでしょうか?」
「……ティフィー…」
「だって…もしフィオナ先輩が危険な目にあったとして、それが"自分の命と引き換えに助けられる"って状況になった時……多分私は組織の決まりを守ることはできません。」
ティーカップを受け皿に戻し、真っ直ぐとフィオナを見つめる。
「例え先輩が死んだ方が組織にとって利益を得るとしても……"私は先輩の命を優先します"。」
「ッ!」
「実はここだけの話。私は諜報員に向いてないって誰よりも自覚してます。…私は人を捨てられない。自己犠牲に走りやすいんです。――それに…私はフィオナ先輩の事が大好きですから尚更です。」
満面の笑顔が頬に戻る。
碧眼は真っ直ぐとフィオナを捉え、嬉しそうに声が響く。
「"先輩は私のお姉さんですから!"」
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「((…ティフィー…絶対にあなたを1人になんてしない。))」
鏡に映る自分の姿。
耳元で光る黒いピアス。
「待ってて…"ファニー"。」
目を尖らせ、体を震わせる。
顔には憤激の色が漲っていたのだった。
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――同日 20時過ぎ
国家公安局 地下――
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「……ッ……ハァ……」
トイレの洗面台の鏡前で青白く顔を染める男の姿。この数日で窶れた自分の姿に目を見開く。ぼんやりと混乱する頭を起こそうと蛇口を捻り水を顔に浴びせるも酷い目眩に襲われるだけだった。
酷い吐き気に苛まれ、洗面台の縁に両手を添え酷く苦しい声を上げた。
「ぅ……オエッ…」
胃液を吐き出す。しかし全くスッキリとしない。その理由は明白だ。
脳内で響く叫び声。
最愛のあの娘の変わり果てた姿――
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鎖に繋がれ男たちに押さえつけられ首や腕に突き刺される注射針。薬瓶が床に転がり、鼻につく嫌な臭い。
「ぁ……あ……」
まるで知能をなくした動物のように声にならない悲鳴を上げ、だらしなく口元からは涎を垂らすティファニー。碧眼は酷く散瞳し焦点は合わない。
もうまともに頭など働かないだろう。しかしどんな問い掛けにも"言わない"という台詞を頑なに吐き続けた。
「…黄昏は何者だ?」
「ッ…ぅう………い、わな…ぉ」
「黄昏は?」
「あああああっ……ない…ぃわ…な」
拘束具を使わずとも彼女はもう逃げる気力もないだろう。だらりと仰向けに倒れる姿に男たちは不気味な笑みを浮かべていた。
「…この女、例の
「見てみろよこの爛れた刻印。ずっと玩具のように扱われてきたんだろうな?」
「そりゃ男どもも騙されるって訳だよなー、カワイソ。」
同僚や部下たちがティファニーに対して様々な言葉を吐いた。その背後ではユーリは険しい顔つきで睨みをきかせるのみ。赤い瞳は弱っていく彼女をじっと見据えていたのだった。
するとひとりの部下がニヤリと笑みを見せ、ユーリの元へと近づくとコソッと耳元で呟く。
「ブライア少尉。……"イイコト"して貰ってたんですよね?」
「…は…」
「だって騙されてたんですよね?この女に。他にも騙されて機密書類抜かれた阿呆もいたみたいたいですけど……」
男は更に意味深に言葉を吐く。
「……よっぽど"床上手"だったんでしょ?この娘――」
刹那、ユーリの中で何かが切れる音がした。
恐ろしいほどの怒りの表情、額に青筋が浮かび上がると沸点を超えたらしい。
ユーリは容赦なくその男の首を掴むとその場に押し倒し、室内は大きな混乱に揺れたのだった。
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「ぅッ……ぐぅ……ゲホッゲホッ!!」
"もう限界だった"
自分にはもう打つ手がない。ティファニーを助ける方法……
もう……一人ではどうにもならない――
「"ダメだったみたいですね?せーんぱい?"」
胃液を吐き終わったその時、トイレに現れたのは憎い後輩の姿だった。
「…レノルド…」
「酷い顔ですよー?しっかりご自宅で休んでくださいね?」
「…………」
「顔色悪すぎますよ?こういう時は思い切って美味しいものを食べるのをオススメします!もしくは大好きなお姉様の所へ向かわれては?」
「……オマエ……いい加減に!」
やるせない感情を全てレノルドにぶつける。彼の襟を容赦なく掴みかかりトイレの壁へと追いやる。
蛇口から漏れる水音だけが暫く響き続けた。ふたりの間に流れる沈黙。呼吸を荒らげレノルドを睨み続けるユーリ。対してレノルドは余裕そうな笑顔を浮かべていたのだった。
「今夜からティファニーちゃんの面倒を見るのは僕です。安心してくださいね?先輩。」
「……っ…………」
「んー…どうしようかな。手始めに今夜は彼女を犯して……でも嫌だな〜お風呂入ってないし…薬漬けだし。」
「ッ…!」
「どんな辱めを受けさせてやろうかな。ワクワクしますよね本当に。あんな綺麗な子をぐっちゃぐちゃにできるなんて光栄ですよ。」
襟を掴む手に更に力が篭っていく。壁に押し付けられるレノルドは苦しそうに眉を顰めるも容赦なく挑発らしい台詞を吐き続けた。
「とりあえず目玉をくり抜いて…また暴れると困るし片足片腕は切っちゃおっかな?それで質問を投げて、返答がなければもう片方の脚も切り落として…」
「…やめ……ろ……」
「どんな泣き喚き方するんだろうな〜。それでも組織のことを吐かなかったらさすがに拍手喝采ですよ。尊敬に値します!素晴らしい忠誠心に完敗です!」
「……やめてくれ…」
「それと、ボクの部下で死姦願望がある子が居るんで最終的にはソイツに渡そうと思ってます。…息絶えた後に犯される可哀想な女のコ…ティファニーちゃ」
「止めろォォオオオ!!」
ユーリは悲痛な叫びと共に空いていた片方の手で拳を作り大きく振りかぶった。レノルドへと向けられた暴力、しかしそれを避けようとしない男。
「……ハハッ!そんなに怒らないでくださいよ?じょーだんじょーだん!」
「はぁ…はぁ…ッ……ハァ…」
拳はレノルドの顔の真横へとぶつけられていた。硬いタイルの壁は一部が割れてしまっており、かなりの力が加わっていたことが分かる。ユーリは激しく肩を上下させ、必死に呼吸を落ち着けようとしていたのだった。
「ちょっとした意地悪ですよ。マジになんないでください。」
「おまえ……」
「でも一向に情報を吐かないなら時間の無駄ですからね。彼女が使い物にならないと判断されれば容赦なく殺します。僕の手で。」
"そろそろ離してくれませんか?"とレノルドは呟くとユーリの手を容易く振り払った。洗面台に流れ続ける水を止めるために蛇口を捻り、静まるトイレ内。
レノルドは洗面台の鏡に映る自分をじっと見据え、しばらくすると背後に立ち尽くすユーリに再び語りかけるのだった。
「ねぇ先輩。僕は何でこんなに西国の諜報員を痛めつけるか知ってます?」
「……は?」
「今の今まで、
鏡に映る碧眼。光る茶髪。
まじまじと自身の容姿を見つめるレノルド。
呑気に笑う自分の姿。しかしそれは徐々に変化していく。笑みの名残を片づけかねているかのような、曖昧な表情へと――
「僕……"昔は"こんな人間じゃなかったんです。花を愛でて、歌を歌って……幸せだったんです。家族と笑いあって、助け合って……ひろーーい草原を走り回って…"兄妹たち"と遊んだり…」
天を仰ぐように天井を見上げた。
そして瞼を閉じ、脳内である日の再現をする。
「……ある日。"空から黒い鉄の塊が落ちてきた"んです。」
「…………」
「今でもその瞬間が忘れられません。可愛い妹がそれに手を伸ばした時、鮮やかだった世界が一瞬で灰色に変わって全てが壊れた。……僕もその瞬間に壊れました。頭のネジが外れたんですよ。」
弾ける可愛い妹の声。
気持ちのいい草原の風。
異変に気づいた兄が悲鳴をあげながら駆け抜ける瞬間。
覆い被さる母親の重さ。
「父は徴兵され安否不明。"母と兄妹"は死にました。」
轟音、火薬のにおい
「……そう全員……"死んだはずだった"。」
レノルドそ瞼を持ち上げ背後に立ちつくすユーリに視線を戻す。
「一体……何の話を……」
「先輩に面白い話をしてあげます。よく聞いてくださいね?」
浮かぶ微笑。
妖しげな雰囲気。
艷めく碧眼。
緩む口元。
――"酷く既視感があった"
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――2時間後
地下牢――
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薄暗い地下。
力なく転がる女の姿が目に入る。
「こんばんは。今夜からボクが君を見ることになってるからヨロシクね〜?」
牢屋の鍵を開け中へと入るレノルド。
そしてティファニーの側へとしゃがみこむと彼女の小さな顎を掴み、顔を覗き込んだ。
「………ぁ…」
「ってごめんごめん!上手く喋れないよね?」
「…………」
「今日は先輩手加減してるね?もう君から情報を吐かせるのは諦めた証拠かな?」
「…………」
「ていうか結果的に主導権は僕に移るし、意味ないんだけどね?ははははっ!」
生気のない顔だった。
それもそのはずだ。異常なほどの薬品接種。生きているのが奇跡な程に。
「…………」
「ねえ、いつもみたいに噛み付いてきてよ?生意気な青い目で睨みつけてよ?そんな状態じゃ面白くないし。」
「…………」
「ね〜ね〜……ねーったら!」
無理やり体を起こし、か細い体を壁に押さえつける。しかし何度肩をゆさぶろうとも反応は薄い。瞳は未だに散瞳しており薬が抜けきっていないことが分かる。
"面白くない"。いつもの様に刃向かって、何度も何度も食いついて来る彼女が好きだったのに。
「はあぁあ…………。……あ、そーだ!なら君に面白い話をしてあげるよ!」
閃いた!と言わんばかりの明るい表情。右手の人差し指を立て、力が抜けきっている彼女の瞳の前にその指を何度もチラつかせた。
「あのね?ティファニーちゃん……あー……違う違う……違う。"美しいレディの名前を間違えるなんて紳士失格だね?"」
刹那、レノルドはティファニーの耳元へと口を近づける。耳に唇が触れてしまいそうなほどの近距離。
「……"○○○○"」
優しい声。
呟かれたその"名前"にティファニーは大きく目を見開いた。
「…ッ!?」
「ホラ、目ぇ覚めたでしょ?」
全身の血が再び巡るような感覚だった。散瞳は元に戻り、彼女の碧眼はしっかりとレノルドを捉える。
それほどに衝撃だったのだ。
「なん、で……ッ……な、んっ……」
「何で……"私の本名を知ってるの"?、かな?」
鼻と鼻がぶつかりそうな位置で交わる碧眼と碧眼。
「ぁ…………あ……」
「ん?何かな?」
「……っ……"あな、た…………は"……」
「ねぇ、"○○○○"……
"思い出した"?」
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「ティファニー・ラドナー…
…アレは"僕の妹"です。」
「はっ…ぁ…!?」
衝撃の台詞だった。
ユーリは頭が追いつかない。
「何…言って…」
「もう先輩使い物にならなそうですし、こっそり教えてあげますよ。そもそも僕は東国出身じゃない。"西国出身"なんですよ。」
洗面台に腰をかけ、流暢に語り続ける。
「家に爆弾が投下されてから数日後、奇跡的に目を覚ましました。母親に守られたおかげで僕は一命を取り留めた。」
「兄と妹の死体を探した。兄は原型をとどめてなかった。内蔵が飛び出て、頭も失くなってました。」
荒廃した真っ黒な草原に広がる地獄絵図。
光を失った世界は現実世界だと受け入れるのに時間がかかった、
「……だけど……"妹だけは死体がなかった"。…とすれば"きっと妹は生きてる!"それが僕の唯一の光!生きる希望だった!」
見つからなかった死体。
それは自分の愛おしい妹。
「それから数年間、荒廃した街を彷徨い続けました。行く場所行く場所全てが朽ち果て、暴徒に殺人に飢餓。盗みを働きながら僕は自分を生かし続けた。…妹という光を探し続けました。」
街に溢れる様々な悪。
少年は独りで彷徨い続けた。妹を追いかけて。
「本当にあの日々は辛かった。僕は珍しい容姿だったし、危ない目にも何度も合ってるんです。」
「……容姿?」
「僕、実は地毛が金髪なんです。でも目立つからって染め粉でこまめに染めてるんです……ほら、ココとか!よく見たら金色でしょ?よく見ないと分からないだろうけど。」
グイッとユーリに近づくレノルド。
半ば興奮状態で語り続ける彼の姿は恐ろしいと感じる程だ。
「……まあそれは置いといて――"見つけたんです"。街中で男に媚びついてる金髪碧眼の娘を。」
欲に塗れた夜の街。
その辺に死体や飢餓に苦しむ人間が転がる中、無粋な汚い大人たちは少女を買い漁る。
「僕はその子を追いました。絶対あの子は僕の妹だって確信があった!…幼かった妹は成長していましたが兄である僕は直ぐに分かった!」
長い金髪を揺らし、薄汚れた服を纏い男に笑みを向ける姿。
「僕は妹の手を掴んだ。男に強引に連れられた妹の腕を掴んで…名前を呼んだ。」
「……だけど妹は振り払った。まるで僕の事を忘れ去って!汚いものを見るかのように見下して…男についていったんです。」
恐れるように振り払われた手。
全ての希望が遮断された瞬間だった。
「必死に食らいついて生きてきて……死ぬ思いで探し続けていたのに…アイツは僕の手を振り払った!」
再び広がる距離。
地面に膝をついて項垂れる自分の姿。
「後に……妹が黒い鎖でこき使われてたってことを知りましたけど。だけど許せないじゃないですか。唯一の肉親である僕を忘れて、男に体を擦り寄せて…」
「それは……彼女も生きるために仕方なく!」
「あー…あーーっ!うっるさいなぁ!!だからって何で僕の手を振り払った!?有り得ないでしょ!ねぇ!?」
「ッ……」
「あの瞬間、最後に唯一残っていたネジが遂に抜け落ちたんですよ。もうどうでも良くなった。」
そんな余裕さえ無いほどにあの頃の少年は疲弊し、狂っていた。探し求めていた光が手から全てこぼれ落ちた瞬間。自分を支えていた足元がガラガラと崩れ落ちていく瞬間。
「東国にボロボロにされた西国。……なのに今はどうです?みーーんな幸せを演じてる!東西の友好の為にお互いの顔色伺って!どうせまた戦争は起こるのに!」
「お前……何……」
「先輩も"そうだった"んでしょ?彼女が諜報員だって分かっておきながら!お互いを騙し合ってたんでしょ?ダメだと理解しても尚情報を抜き合いながら、危険だと分かってて!」
その通りだった。レノルドの言う通りだった。
「ぜーーーんぶお見通しなんですよ。……僕もティファニーちゃんと同じく勘が鋭いんです。だって兄妹ですから。」
興奮状態は次第に落ち着いていく。
レノルドとは逆に意外と冷静なユーリの姿。一通り一気に全て語り尽くした男は再び洗面台の一部に腰を下ろした。
「……"レノルド・カーウォーディン"。名前は偽名か。」
「はい偽名です。昔の名前は捨てました。」
「…………」
「ティファニーちゃんの本名、知りたい?」
「いいや。今の論点はそこじゃない。」
ユーリは脳内で情報を整理していく。
その中でひとつの疑問に行き着く。
「……レノルド。お前を雇ったのは誰だ。」
「え?」
「お前は西国の人間。東国の国家保安局に入れるわけが無い。」
常識的にどう考えてもありえない。
敵対している西国の人間を保安局に入れるなど有り得ない。
しかし国家保安局、秘密警察に入るために経歴を改ざんしたとしても絶対にバレるだろう。
となれば……問題は雇い主だ。
「僕に目をつけたのは"局長"ですよ。」
「……」
「経緯は長くなるんで割愛しますが……僕、めちゃくちゃ頭の回転早いし。犬みたいに従順だし。局長にとって僕は最高の駒になったんですよ。先輩も分かってるでしょ?局長の好み。犬みたいに従順なカワイイ子がお気に入りなんです。」
スカウトされた、しかしそんな事が有り得るのか?
いや、有り得るから彼はここにいる。しかもあの局長だ。確かにレノルドのような従順で賢い人間を欲しがるのも分かる。国家保安局の局長……秘密警察の長。多少狂っていて当たり前だ。
「よーーく考えてみてください。だから"あの時"局長室の書類を見ることも出来たんです。」
「……
「はい、昔局長は黒い鎖の調査を行っていた人物でした。だからちょうどいいと思った。この人に従えばまた妹に会えるかもしれないって、僕を裏切った妹をこの手で殺せるって。」
黒い鎖の情報は局長が握っている。
だからこそこの好条件に乗るためにもレノルドは必死に東国の青年を演じてきた。
「……先輩。これが僕の正体でした。」
「…………」
「自分を偽って騙し続ける……最高ですよね?せーんぱい?」
兄妹だと知れば知るほど納得がいく。
笑い方も話し方も、整った容姿も――
まるで彼女だった。
"ユーリさん!"
脳内に溢れる記憶たち。
光景がいつまでも残像のように目に焼きついて離れようとしない。
「さあ。楽しい楽しい時間の幕開けです。」
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