morning glory   作:鈴夢

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生きて、愛して

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黄昏、及び夜帷による単独任務

"朝顔奪還作戦"から五日後――

 

 

 

 

――バーリント市内 地下

西国情報局対東課〈WISE〉支部

 

 

 

 

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「――管理官(ハンドラー)。」

「…………」

 

 

 

広々とした隠された地下のオフィス。

会議室のような一室に集まるのは黒スーツの男たち。そして男たちの視線の先に佇むのは鋼鉄の淑女(フルメタルレディ)こと"シルヴィア・シャーウッド"。

特徴的な長い鍔の帽子を被りいつもと変わらない姿。しかし、いつにも増してその瞳は鋭く尖っていた。

 

 

「"朝顔"の居所を吐け。でないと分かっているな?」

「…………」

「黄昏に夜帷。奴らが今回の件に噛んでいるのは分かっている。偽装しようが無駄だ。」

「偽装など……我々がそのような事をするとでも?」

 

両腕を組み、堂々とした口調で男たちに物申す。その威厳ある姿に黒スーツのひとり、髭を生やした老人はゴクリと息を飲んだ。

 

 

「分かっているだろうが……シルヴィア。」

「…………」

「それなりの対価がなければ 奴らの関係者は全員裏切り者とみなし抹消する。それは例外なく貴様もだ、分かっているな?」

「勿論。」

「……では、また二日後に。」

 

 

朝顔の居場所と消息。そして関与しているであろうハンドラー直属の部下"黄昏と夜帷"。

WISEの上層部も焦りを見せていた。組織の重大なポジションを担っている三人を同時に失う訳にも、はたまたたった一人の諜報員の為に全てを失う訳にもいかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……老耄共め…」

 

スーツの集団が部屋から出ていくと同時に気抜けたようなため息を漏らすハンドラー。椅子に腰掛けたその時、その一部始終を見守っていた部下たちが慌てた様子でハンドラーへと近づく。

 

 

「ハッ、ハンドラー!」

「何だ。煩いぞ。」

「マズイですよ……このままだと僕達も消されます!」

 

若い男が縋るようにハンドラーの傍に座り込む。それに続くように若い諜報員達も声を上げ始めた。

 

「本当に彼らの居所は分からないのですか!?」

「オペレーション〈梟〉に関する重要案件、機密情報を引き換えにしなければバーリントン支部は消されます!」

「どうか直ぐに朝顔さんの身柄を!」

 

 

 

「ハンドラー!」

「ハンドラー!」

 

 

彼らの言動にさらに頭を抱え込む。

部下の言葉の通り、このままでは自分たちが組織に消されてしまう。

 

――オペレーション〈梟〉は遂行不可能になってしまう。

 

 

 

「((……頼んだぞ……朝顔、黄昏、夜帷。もうさすがに限界が近い――))」

 

 

 

 

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――同日

午後13時過ぎ――

 

 

 

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無機質な室内に差し込む陽の光。

それとは対照的に二人の男の様子を見る限り、まるで氷の詰まった部屋のように冷ややかに静まり返っていた。

 

 

「……は……?」

 

 

ユーリの抜けた声。顔は人形のように表情は無く、正面に座る黄昏へと向けられていた。呆然と口を開いたままのユーリに対し、黄昏は眉ひとつ動かすことなく落ち着いた様子で言葉を続ける。

 

 

「心配するな。彼女は必ず助ける。」

「ちょ……ちょっと待ってくれ…………」

「…………」

 

机に両肘を立て、両手で頭を抱え込む。

"黄昏の発言"に思い悩むように唇を噛み締め、頭の中で何度も整理をするがうまくまとまらない。寧ろ彼らに対し疑いや怒りが込み上げる。

 

「"心配するな"って……そんなの信じられるわけない!結局お前たちは組織の上に圧っされ容赦なく仲間を消す!そうだろう!?」

 

ユーリは酷く声を荒あげた。それもそのはずだ。

 

ティファニーを救うために黄昏はとある提案を口にしたのだ。しかしそれに納得のいかない様子。それは彼らが諜報員であるからこそ真っ向から信じられない内容だったからだ。

 

「お前の話は信じられない。その提案には乗れな…」

「なら、このまま二人で此処で隠れて過ごすのか?」

「あ、ああ!そうだ!」

「いずれ追っ手が来る。顔もバレている以上逃げ切ることは出来ない。彼女はこの先東国では生きていけない。」

「それは…それなら!…ボクが彼女を守れば――」

 

刹那、冷静だった黄昏が椅子から立ち上がった。そして目の前のユーリの襟元に掴みかかると鋭い目付きで見下ろす。

 

その表情はゾッとするほど恐ろしく、冷ややかなものだった。

 

「"甘ったれるなよ、クソガキ"」

「くっ……」

 

不機嫌さを凝縮して、すごみさえ感じる低音。恐ろしいオーラは紛れもなく"黄昏"だからこそ纏えるものなのだろう。

 

「よく考えろ。そもそもあの時俺たちが助けに入らなければお前たちは死んでいた。いい加減自分たちの状況を理解するんだ。」

「っ……」

 

その通りだった。

あの時 黄昏と夜帷が現れなければユーリもティファニーも助からなかった可能性が高い。火に飲まれ、焼け死んでいただろう。認めたくないが"彼らに救われた"のだ。

 

 

「それに……"この件"について既に彼女に同意を得た。」

「……そんな訳……」

「いいか?彼女は死ぬという選択肢を遠に棄てている。だからここまで生きてきた。どんなに酷い尋問を受けようが、彼女は生きるという事を諦めなかった。その意思を糧にここまで生きてきた――」

 

 

ユーリの襟元を掴む黄昏の手の力が微かに弱まる。そして真剣な眼差しで真っ直ぐと前を見すえた。

 

 

「ユーリ・ブライア。……その気持ちをお前が壊すんじゃない。」

「ぁ……くっ……」

 

何も言い返せなかった。

弱々しくも感じ取れる男の声に余計に翻弄されるかのようにユーリは眉を顰め困惑する。

 

 

「お前が彼女の心を変えたんだろう。生きるという意志を……お前が与えた。違うか?」

「……っ……」

 

襟元から離れる黄昏の手。

そして力なく椅子に座り ユーリは頭をだらりと垂らした。

 

 

――彼女のために自分が成すべきこと。それは自分がいちばん理解しているはずなのだ。"死にたくない、生きたい"と望む彼女に……喜ぶべき事なのに心から喜べない自分が垣間見える。

 

現実問題"離れ離れにならなければならない"。

 

分かってる……分かっているさ。一緒に過ごす事など出来やしない。何れ近い将来"こうなる"と分かっていたはずだ。だがあまりにも早すぎた。急すぎた。

 

諜報員と秘密警察。そんな二人が共に手を取り、共に歩むことなど出来るはずがない。

 

――分かってる。

分かってる、分かってる……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"夜明け前、彼女を迎えに来る"」

「………」

「いいな?ここでお前が拒むと言うなら……お前たちは間違いなく死ぬ。」

「………」

「国家保安局員……秘密警察のお前なら分かるはずだ。」

「…………」

「簡単にこの先の段取りを話そう。一度しか言わないからよく聞け。」

 

 

再び対面側の椅子に腰掛ける黄昏。

ユーリはゆっくりと頭を上げると再び彼に向き直った。その表情は無に近い。

 

 

「お前は"WISEの諜報員に拉致された"。その後、俺たちの隙をついて逃げることに成功。……後はこれを使え。」

「……何だ……?」

「元々朝顔と繋がりがあったことによってお前も疑われるのは間違いない。となれば……こういった小細工も必要だ。」

 

テーブルに置かれたA4サイズの茶封筒。

中身は恐らくWISEに関するものだろう。

 

 

「そして今後、お前には別の指示を出す。それに従うか従わないかで朝顔の運命も東国と西国の関係も大きく変わるだろう。」

「……」

「それだけじゃない。お前の実姉"ヨル・ブライア"。そしてその家族にも危害が及ぶと思え。」

「なっ!」

「ここまで譲歩してやってるんだ。本来であればお前自身も、その周りの人間たちも消すのが普通だ。」

「……く……」

「今決断しろ。イエスかノーか。」

 

半ば強引で無茶な話だ。しかし黄昏、元いWISE側も高リスクを背負ってここまでの行動を起こしている。

 

今回の一件で西国と東国の関係も傾くかもしれない。WISE――ハンドラー達も含め危険な状況になっている事実。そして万が一、ユーリも消えたとすればヨルが黙っていないだろう。

 

となればオペレーション〈梟〉は完全に終わってしまう。それは絶対に避けなければならない。

 

東西平和のためにここまで駆け抜けてきた。

そして一人の仲間を、朝顔を、ティファニーを――絶対に救いたいという黄昏の我儘。

 

その全てを成すためには"ユーリ・ブライア"の存在は必要不可欠。今後も手を組む必要がある事実。

 

 

「((……さあどうする。ユーリ・ブライア。))」

 

黄昏は右胸の内ポケットに潜ませている小銃に意識を集中させる。

 

「((お前の返答次第で未来は大きく変わる。ここで首を縦に振らなければ……お前はここで終わる。))」

 

虚ろな表情で自分を見据えるユーリ。

暫くふたりの間に沈黙が続く。

 

黄昏はかた時も集中を途切らせることは無かった。何を考えているか読み取れないユーリの表情に無意識に息を飲む。

 

 

 

 

 

 

「――ひとつ、教えてくれ。」

「……何だ。」

「何故ボクに対してそこまでするんだ。」

「……」

「ボクとお前は初対面。そしてボクはWISEの天敵。この先ボクを利用しなければならないとしてもボク自身が裏切る可能性だってあるだろう。」

「……」

「ボクだって馬鹿じゃない。お前から貰うだけ情報を抜き取って、上に全てを打ち明けて……姉さんも、その家族たちも手の届かないところで保護してしまえばいい話だ。」

「……」

「黄昏。お前は何故そこまで……」

 

戸惑いの色を見せるユーリ。どこまで本当でどこまでが嘘なのか、ごちゃごちゃになって全てのものが疑わしく見えてしまう。それもそのはずだ。だってあまりにも無茶苦茶すぎる内容なのだから。

 

渦巻くような不信感と不思議な気持ちに埋もれていくユーリ。そんな相手に相変わらず冷静な表情を浮かべたままの黄昏。足を組み直し、小さく息を漏らすと真っ直ぐと言葉を呟く。

 

 

「勘違いするな。お前のためじゃない。」

「……」

「朝顔……あの娘のためだ。」

 

"東西平和の為"……なんて、それは建前かもしれない。黄昏にとって彼女は光そのものだった。失いたくない、彼女を闇から拾い上げたその瞬間からそう思っていたのかもしれない。

 

"その本心を 黄昏は金輪際誰にも打ち明ける事は無い"

 

 

 

「お前が朝顔を想っているのと同じように、俺達も彼女が大切なんだ。」

「……」

「お前が"裏切る可能性"。それはゼロに近い。少なくとも俺はそう分析している。」

 

「……"たかが"諜報員が何言って」

「俺達も同じように……"朝顔と同じように"平和を願っている"たかが"諜報員に過ぎない。」

「ッ!」

 

 

 

彼の台詞にハッとした視線を向けるユーリ。

 

そして黄昏は一瞬頬にに寂しい自嘲のような笑いを見せる。

 

 

 

「……俺はお前を信じる。ユーリ・ブライア。」

 

 

 

その弱々しい口調と表情に

何故か既視感を覚えたユーリだった。

 

 

 

 

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――二時間後

 

 

 

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隠れ家近くの寂れた港。

その港は、海の匂いというより無機質のさびた鉄の匂いが漂う。

 

 

 

 

使われていない古い船着き場。ロングコートを纏い、黒髪短髪の変装を施した黄昏の姿が現れた。

その姿を目視するのは"茶髪タレ目の男"。黄昏と同じく整った顔立ち、しかしどこかチャラチャラとした風貌の男はニヤッと妖し気に笑みをこぼした。

 

 

 

「オーーっす。黄昏先生よォ。」

 

茶髪の男――変装姿の情報屋"フランキー・フランクリン"。

何やら船着き場の近くの小屋から物品を持ち出しているようだった。

 

 

「……やっぱりムカつくな"その顔"。」

 

いつものふざけたアフロヘアーの男とはほど遠い風貌。自分が彼に施した顔なのだが気に食わない。所謂"イケメン"に成り代わった友人の姿に苛立ちを見せると黄昏は容赦なく掴みかかった。

 

「ちょ!やめろっての!この変装(ガワ)気に入ってんだよ!」

 

"こんにゃろ〜!"と腑抜けた声。

喋ると残念なのは変わりない。何となくその事実に満足した黄昏は彼から手を離すと薄く笑みを浮かべていた。

 

「で?どうなった?」

「"作戦通り"だ。問題ない。」

「ん〜……お前がそんな腑抜けた面してるもんだから失敗したのかと……イテテテテテテテ!」

「ナメるな。」

「じょ!冗談だっつーーの!マジで離せ!」

 

メリメリと音を立てて変装が取れてしまうところだった。フランキーは微かに痛む頬を手で抑えながらじっと黄昏を睨みつける。

 

「んな事より!"こっち"もある程度準備は進んでる。向こうでの手配も出来た。予定通り夜明け前に出発だからな?」

「ああ。」

「海の警備も厳しくなってる。俺の仲間曰く今回を逃せば次はない。」

「東国は動きが早いな。」

「ったりメェだろ!今回の騒動がデカすぎたんだよ!俺の情報力に感謝して欲しいぜ!」

 

得意げに顎に手を添え瞳を光らせるフランキー。相変わらず整った顔にはムカつくが今回の件で彼がいなければこの先の話は進まなかったのだ。彼の情報力と行動力に拍手喝采だった。

 

 

「フランキー。助かった、礼を言う。」

「礼には及ばねーよ。後は俺たち情報屋に任せろ。"向こう"に着いたら暫くは俺がファニーちゃんの面倒を見る。アテも有るし心配すんな。」

「報酬は…」

「バカヤロウ!ンなもん要らねーよ! 代わりに俺が戻ってきたら女紹介しろ!」

 

力強く背を叩かれると反射的に笑みをこぼしてしまった。頼りになる仲間の存在は大きい。

 

彼にならティファニーを任せられる、と。

その考えは間違いではなかったようだ。

 

 

「……ん……おっ!!あれは!」

 

刹那、コロコロと表情を変えるフランキー。わざとらしく遠くを見るようなジェスチャーをしたと思えばこちらに向かってくる茶髪ボブカットの女性の姿が目に入る。

 

 

「どうも。」

「フィオナちゃーん!その髪色も似合うねぇ〜」

「…………」

 

フランキーとは"腐れ縁"とも言える関係性を持つ夜帷。何度か共に任務をこなしたこともあれば情報提供には欠かせない人物である。いつもの野暮ったいアフロヘアー姿はともかく……今回のチャラチャラとした風貌に対してもなんとも言えない感情がふつふつと沸き立つ。

 

 

「……彼女に手を出したら貴方をぶっ飛ばす。」

「アホか!んな事する訳ねぇだろ!……まあこのイケてる姿でファニーちゃんが俺に惚れたら仕方ないけどな?」

「………メリメリ…」

「やめろ!剥がそうとするな!ユーリ・ブライアに素顔見られたらマズイだろーが!!」

 

黄昏よりも遠慮なく変装を剥がそうとする夜帷。さすがにマズいと察した黄昏が彼女の手を止めると泣きそうになりながら再び顔の変装を押さえるフランキー。和やかに見える風景だが三人の心情はそんなものでは無かった。

 

用意されていく"積み荷の箱"。

黄昏と夜帷はそれを横目に、表情は一切変えないものの感じているものはある様子だった。

 

そんな彼らの心情。

それを察すのは長い付き合いがあるからこそのフランキーだった。

 

 

 

「今更だけどよ。オマエら……こんな事して大丈夫なのか?」

「「……」」

「WISEの人間……一部には伝えてるってのは知ってっけど、組織の上の連中に黙ったまま逃がすなんてご法度だろ?」

 

黄昏と夜帷はほんの一瞬だけ視線を合わせる。すると真っ直ぐと立ち尽くしたまま、二人は真剣な眼差しでフランキーに口を開く。

 

 

「国家公安局にファニーの顔は既に割ている。WISEもその人間を手元に置く事は100%無い。何れファニーは任務失敗を理由に消される。それがベターだ。」

「相変わらずおっそろしいヤツらだな。」

 

「それが当たり前なのよ。組織にとって不利益なことは抹殺する。諜報員らしいでしょう?それが普通なの。」

「……まあ、そうだな。普通は。」

 

二人の台詞は間違いなかった。

諜報員というものはそういうものだ。実際に黄昏も夜帷も任務を失敗した仲間たちが消されているのは知っていた。

 

そうするしかないのだ。情があるとて守るわけにはいかない。その行動でWISE全てに危害が及ぶ。

 

――それを真っ向から反発し、犯している自分達が滑稽だ。たかが一人の仲間のために……あの娘のために。黄昏と夜帷は罪を犯す。

 

 

「俺も夜帷もハンドラーも…彼女を知る仲間たちはそれを望んでいない。」

「だから私たちは共に罪を犯す。彼女を逃がすために……彼女が生きるために。」

「…………」

 

ブレない二人の声色と表情。

それは情報屋のフランキーにとって理解できないことだった。

 

 

「((偽りの関係……いらん感情は抱かない方が良いってのはそーいうことだっての馬鹿野郎。))」

 

"偽りの家族にいらん感情は抱かない方が良い"

 

かつてフランキーは"ロイド"にそのように忠告した。

 

この場にいる人間で誰よりもれいこくなのはまさか自分だったとは――フランキーは盛大なため息を漏らすと呆れ顔で二人を見据える。

 

 

「ったくよォ。手に負えねぇヤツらばっかりだぜ……馬鹿野郎。」

 

 

 

 

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――翌日 深夜一時過ぎ

 

 

 

 

 

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古びた時計を見上げるユーリ。

傍らにはベッドで眠りにつくティファニーの姿があった。黄昏とのあの話しからかなり時間が経っていた。夜明けまで数時間。しかしティファニーとはきちんと話が出来ていないままだった。彼女は眠り続けていた。薬を投与し、その副作用があるのかもしれない。

 

焦る気持ちがユーリに襲いかかっていた。しかしどうにもならないのだ。時計の針が進む度に胸が締め付けられる気分だった。いっそのこと、彼女と逃げ出してしまおうなんて思ってしまうほどに。

 

だが現実的に、どう考えてもそれはもう出来ない。

 

大人しく時間が来るのを待つのみ――

 

 

 

 

「…………」

「スー…………スー……」

 

 

 

気持ちよさそうに寝息を立てる愛おしい彼女。

しかし時たま痛みに表情を歪め、声を上げる姿を見る度にユーリは優しく額に触れた。

 

癒えない傷に苦しむ彼女。

そんな状態でも生きることを諦めることは無い。

 

前向きな彼女に対し……迫り来る現実、別れを受け止めきらないユーリは酷く心を締め付けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………う…」

「ティフィー?今度はどこが痛い?」

「……」

「寒くないか?」

 

毛布を優しく掛け直す。

しかし彼女の表情は歪むばかり、額からは冷や汗が滑り落ちていた。

 

 

「……少し……さむいです。…ッ…傷も痛い。」

「ボクの上着も使うんだ。痛みは?どこだ?脚か?脇?」

「……脇……」

「ちょっと待ってろ。すぐに痛み止め……」

 

傍らのテーブルから痛み止めを出そうとしたその時。冷たい彼女の細い手がユーリの手を掴んだ。

 

 

「……ティフィー?」

「…そばに……居てください。」

「でも痛み止め」

「いいから。離れないで……」

「……」

「どこにも行かないで……」

「……ッ……」

「いか、……ないで、……」

 

悲痛な彼女の叫びだった。

弱々しい声、本当なら大声で叫び散らしたいだろう。

 

震える彼女の手は頑なにユーリの手を離さない。それを包み込むように片方の手で抑え、ユーリは再び傍らの椅子に腰掛けた。

 

 

「……うん。分かった。」

 

その言葉を聞いたティファニーはどこか安心した様子だった。薄暗闇の部屋。傍に置かれているちいさなストーブ画唯一の灯りだった。柔い光がティファニーの顔を微かに灯らせると穏やかな表情が目につく。

 

 

「…………ユーリさん。」

「ん?」

「今まで……本当にごめん、なさい。」

 

慎ましやかな細い声。

しかしはっきりと聞き取れた言葉。

 

未だに謝罪し続ける彼女。ユーリはその度に眉を顰める。

 

 

「何でキミが謝るんだ。」

「……"騙し合う"なんて、私があんな提案をしなければ……こんな事にはならなかった。ユーリさんを傷つけることも無かった。」

 

夕日に包まれたあの時。

騙しあおうと誓ったあの時。

 

"共に罪を犯す"――互いの本心のために、二人は騙しあってきた。

 

 

 

「ユーリさんと過ごした毎日は……本当にとても幸せでした。」

「…それはボクもだ。」

 

時計の針の音が嫌に聞こえてきた。

時間が止まって欲しい、永遠に……彼女の声を聞いていたいのに。

 

「一緒にご飯を食べたり……手を繋いで……街を歩いたり。……アーニャちゃんの家庭教師をしたり、」

「ああ。」

「こうやって……ユーリさんに包まれて眠る夜が何よりも大好きでした。」

 

ティファニーの手を握るユーリの手が無意識に強まった。脳裏に浮かぶ幸せなひととき。彼女を腕の中に閉じ込めて眠った日のことを思い出す。

 

サラサラと美しく光る髪の毛に指を通し、甘く漂う匂いにうっとりと目を細めた自分。暖かくて柔らかい体からは彼女の体温が伝染するように自身の体に溶け込む。寝息も、心音も、匂いも、体温も――全てが愛おしかった。

 

そしてそれはティファニーも同じだった。

 

いつもは尖った赤い瞳。だが自分を見つめる時、それは丸く柔らかなものだった。子供のような言動もはじめは呆れ返っていた。"ああ言えばこう言う"、心にも思っていないような、裏返しの言葉を吐く彼の姿は面白い。今思えばそれさえも全てが愛おしい。

 

本当は、彼は誰よりも大人で誰よりも優しい人なのだ。

 

 

 

ああ、どうしよう

離れたくない

そばにいて欲しい

どうすればいい?

どうしたら一緒にいられる?

離れ離れは嫌だ

でも離れなければ

死んでしまう

生きていけない

 

ああ、いっそのこと

やっぱりころしてしまおうか

わたしのてで

ぼくのてで

ころして

一生夢の中ですごしたい

 

それはだめ

生きる

生きるんだ

そう決めたじゃないか

同じ時を刻めなくても

生きている

それだけでいいじゃないか

 

生きている

――生きている

 

 

 

 

 

一緒に生きるという選択肢は――もう存在しない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅ……ッ……」

 

頬に生暖かい涙が滑り落ちていく。

声にならないティファニーの嗚咽は次第に強くなっていく。

 

「ティフィー……」

「本当は……ッ……ぁ……離れたくないです……でも生きるためには……私はッ……東国から、ッ……離れなければいけません。」

 

ユーリの指が涙を拭う。

碧眼は彼を見上げ、苦しそうに呟いた。

 

「そして……"もう二度と戻ってこられない"。」

「ッ……」

 

彼に会うことはもう無いだろう。

 

 

「どうか……お元気で。」

「…………」

「私のことは……忘れてください。」

「……」

 

ティファニーの言葉に返答は無い。

するとユーリは懐から何かを取り出すと寝転んだままの彼女の首元に手を回した。

 

何かが取り付けられた感触。それには覚えがあった。

 

 

「……"これ"――」

 

鎖骨あたりにひんやりとした感触。それは姿を見ずとも覚えている。右手を動かし、それを指でなぞってみた。

 

指先で転がるもの――それは彼から贈られたネックレスだった。

 

 

「……とっくにあの場所で捨てられたかと。ユーリさんが持っていてくれたんですか?」

「ああ。」

「…………」

 

尋問の時に外されていたネックレス。気づいた時には胸元になかった。あの瞬間、酷く失望したのを覚えている。

 

 

「ボクが一緒に居られない分、せめてそれは持って行ってくれ。」

「ッ……」

「辛くてたまらなくなったら捨てても構わない。……でもボクは忘れて欲しくない。」

「ユー……」

「ボクはキミのことを忘れない。……絶対に……忘れるもんか。」

 

彼女の左手を両手で強く包み込む。

祈るように、彼女の幸せを願うように力を込める。

 

 

「"生きて"……君は生きるんだ。」

 

 

百の言葉を煮詰めたような重さのある声。

 

 

「どうか幸せになってほしい。」

 

 

キミがボクのことを忘れようとも、ボクはキミを忘れない。

 

 

 

「……ボクは……キミの幸せを願い続ける。」

 

 

――キミは幸せになるんだ。

 

 

 

 

 

 

「――ティフィー。」

 

 

 

どうかキミの行く先が明るいものでありますように。

 

 

 

 

 

「"愛してる"」

 

 

泣き出しそうに切実な声。遠い星の瞬きのような、寂しげに震える声。

 

 

しかし彼の表情は穏やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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