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――幸せだったあの時の記憶
空を見上げれば一面に広がる青色。
まるで空が笑っているように太陽は高く昇り、気持ちのいい日差しが体を覆う。
平屋の自宅の周りは夥しい菜の花に囲まれ、黄色い波間に浮んでいるよう。柔らかな暖かい風が吹くと同時に花々の甘い香りが花を掠めていた。
「"○○○"!そろそろお昼にしましょう!戻ってらっしゃい!」
遠くから優しい母の声がする。
兄弟たちは今か今かと待ちくたびれた様子で花畑に埋もれた私が戻ってくるのを待っていた。
「まって!ちょうちょさんがいるの!」
花畑をヒラヒラと舞飛ぶ色鮮やかな蝶を追いかける。しかし、なかなか捕まえることが出来ず頬を膨らませ意地になっていた。
「○○○!お前の分も先に食べるからな!」
「後で泣いても知らないぞー」
2人の兄が意地悪そうな笑みを浮かべこちらを見ていた。年の離れた2人の兄。自分と同じく綺麗な金髪に青い瞳。そしてどこか優しい父の顔に似ていたのだ。
だけど父の顔と記憶は徐々に薄れていく。既に声は忘れてしまっていた。
大好きな父が徴兵されてどれくらい経っただろう。
そういえば大好きな果物も最近口にしていない。服も十分に買えず、母が兄のお下がりを使って可愛いツギハギのワンピースを作ってくれた。
自分たちの幸せだった日常に少しずつ陰が忍び寄っているその現実の中でも、私たち家族は希望を捨てることなく毎日を必死に生きていた。
「○○○!早く来なさい!」
「まってよ!あと少しだけ!――――あっ!!」
少女は空を見上げると何かがこちらに向かっていることに気づく。
「ねえねえ!こっちにトリさんがきてる!」
"それ"はこちらに向かっていた。
そして徐々に大きくなっていた。
「くろいトリさん――」
轟々と妙な音が鼓膜を叩く。
――違う。あれは鳥なんかじゃない。
「ッ!!○○○!!!」
最後に聞こえたのは母の叫び声だった。
幼い私は空から降ってくる"何か"に手を伸ばし呑気に笑っていた。
1番上の兄がこちらに向かって駆け出す光景が、ほんの一瞬だけ目に入った。
「――――ッ!!!!!」
刹那、地軸もろとも引き裂くような爆発音と暴風が辺りを一変させる。
穏やかだったあの瞬間が、美しかったあの景色が一瞬でも破壊されたのだ。
「っ ……ぁ……うわあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
荒れ果てた目の前の光景に少女は悲鳴に近い叫び声を上げた。
家は破壊され、火薬混じりの埃が漂い、微かに肉の焼けた臭いが鼻に突き刺さる。
真っ赤に染った衣服。
妹を守ろうと覆い被さった変わり果てた兄の死体。
酷い火傷、衝撃で片脚が吹っ飛んでいた。
正にそこは地獄絵図――――
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「――ファニー…………ファニー!」
「ッ!?」
体を大きく跳ねさせると同時に目を見開くティファニー。じっとりと酷く汗をかいているのか衣服がまとわりつく不快感に苦痛の表情を浮かべゆっくりと体を起こす。
そして傍らには――
「……先生?……どうしてここに……」
「待ち合わせの時間になってもお前が現れなかったから、……何かあったのかと。」
いつものスリーピーススーツ姿のロイド。
どうやら彼女の身を案じ、念の為自宅を訪れたのだろう。
「お前、家の鍵が開けっ放しだったぞ。」
「……すみません。……というか私すっかり寝入ってしまって……」
ふと部屋の壁掛け時計に視線を向ける。
いつものカフェに15時に待ち合わせと決まっていたのに、既に時刻は16時を回っていた。
今の今まで、このような失態は起こしたことがないティファニーにとって絶望的な瞬間だった。
「それに酷く魘されてた。……大丈夫か?」
「本当に申し訳ありませんでした。……ごめんなさい、先生。」
恐怖に満ちて、酷く強ばったその表情。
血の気が引いたような蒼ざめた顔には血管が膨れ上がり、いつもの天真爛漫な表情とは正反対だった。
「すぐに報告書類を出します。フォージャー家の生活もありますし、直ぐにこの場で簡潔にお話し……」
「……"ティファニー"。」
慌ててソファから身を乗り出すティファニーを制止するロイド。微かに震えるその手を優しく掴み、そんな彼女の表情を見逃す訳もなく、彼女の心を何もかも見透して、優しく理解するような目を向けていた。
「報告書類は後でいい。……たまにはゆっくり…"お喋り"でもするか?」
ロイドらしくない発言。
しかしそれは先輩として、はたまた親のような気持ちで。彼女に対しての精一杯の優しさだった。
彼の言葉に呆然とした様子。すると力なく再びソファに腰を下ろすとティファニーは小さく頷き、ロイドの手を握り返す。
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ロイドとの出会い。
まだあの時自分はまだ幼くて無力で。
ただ"女"として生まれてきた利点を必死に使って生き長らえてきた。
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家族を失いアテもなくら絶望の淵に立たされた"戦争孤児"を使う悪い大人たち。東国内でも有名な人身売買組織。
西国で少女たちを拉致し東国で売り捌く。正に"悪人"達そのものだった。
さ迷い続けた挙句に、私はその組織に捕まってしまったのだった。
汚い部屋。というより"牢屋"という名前が相応しいだろうか。狭いその空間に自分と同じくらいの年齢の女の子が"飼われていた"。泣き喚く子、空腹や病で命を失う子、大人たちに逆らって酷い拷問で命を落とした子を目の前で何度も目にしてきた。
……でも正直、悲しくもなければ何も感じなかった。
とにかく生き抜くために、空腹を満たすカビだらけのパンの欠片の為に、私は都合よく大人たちに使われることを選んだ。逆らうことなく、機械のように従順な飼い犬として。
どんな時も狂ったように笑顔を浮かべ、大人たちに媚を売る少女を演じていた。
運良く容姿も悪くない。ブロンドヘアに青い瞳。大人たちにとって、私は色々と都合が良かったらしい。
私はそれに"あやかって"、どんなに汚れたとしても構わなかった。
――兄が身を呈して"この命"を生かした。
だからこそ、私は死ぬ訳にはいかないのだ。
"生"だけに全てを捧げると決めた。――
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そんな生活を続けていたある日の夜。
いつものように部屋の片隅で鉄格子の隙間から月を眺めていたその時。
外からバタバタと忙しない無数の足音と、男達の苦しげな声が耳に飛び込んできた。
何やら外部から襲撃があった様子。銃声や怒鳴り声、その音たちは暫くすると完全に消滅し、気味が悪いほど静まり返った外の様子に部屋に残された少女たちは怯えた様子で震えていた。
そして開かれた鉄格子の扉。
1人の黒ずくめの長身の男が現れる。
すぐさま部屋から飛び出すように逃げる少女たち。
でも、私はその部屋から出なかった。部屋の隅で静かに月を見上げていた。
「おい。早く逃げろ!」
その男は私に近寄って強く腕を引き上げる。
「聞こえないのか?早くここから――」
その時、私は瞬時に男の腰のガンホルスターから拳銃を奪い取ると銃口を相手に向けた。
突然の事に呆気を取られた様子の男。少女は怯むことなく、トリガーに指を添える。
「……この場所は私が生きるために必要な場所。私には何も残ってない。」
「………………」
目の前の男は両手を上げ、降参するかのような態度を見せる。
少女は銃口を向けたままゆっくりと立ち上がり、男の胸元に銃口を突きつける。
「引き金を引くだけで世界が平和になるのなら、それは本当の平和なの?」
「………………君は――」
月明かりに照らされる金色の髪の毛。
真っ青に澄んだ美しい瞳。
身なりは酷く汚れ酷いものだったが、その少女そのものの美しさに男は息を呑む。
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ふと、ロイドと出会ったその時を思い出したティファニー。
ダイニングテーブルに両肘を立て、傍らの小窓に視線を向ける。ぼーっと外の景色を眺めていると美しいバーリントの街並みが瞳に映っていた。
戦争という言葉が消え去ったような穏やかなその光景は、まるで夢物語を見ているような錯覚に陥る。
「――少しは落ち着いたか?」
"コトン"とテーブルに置かれたティーカップ。ふわふわと漂う湯気からはお気に入りの紅茶の香りが漂い、荒れた心情を抑え込んでくれているようだった。
「はい。ありがとうございます。」
ロイドは微かに笑みを浮かべ対面側へと腰を下ろし、同じく外の美しい景観を眺めていた。そしてそのまま視線を変えないまま言葉を放つ。
「良い景観だな。」
「…はい。この景色が決め手でこの部屋を選びましたから。」
生い茂る木々。美しい街並み。所々に咲き誇る花々。柔らかな気持ちのいい風。
――そして子供達の声。
目を閉じると昔の幸せな光景が脳裏に浮かぶようだった。
「……私。先生に救われて良かったって心の底から思ってます。」
「急にどうした?」
「久しぶりに昔の夢を見たんです。幸せだった時の夢と、それが壊れる夢。」
魘されていたのはそれが原因か、とロイドは心のなかで呟けば視線を彼女に移す。
ゆらゆらと風に靡く金髪にどこか儚げな青い瞳。ロイド自身も、彼女と初めて出会った時のことを思い出す。
「…スパイの"朝顔"として。医者の"ティファニー・ラドナー"として。名前も棄て、何者でもなかった私がこうして生きているのは先生のお陰です。」
「大袈裟だな。」
「そんな事ないです。……兄が身を呈して私の命を救ってくれて、そのバトンを繋いでくれた先生は命の恩人ですから。」
青い瞳がロイドの視線と交わる。
可憐で天真爛漫なその容姿に嘘偽りは感じなかった。
「……だからこそ……
今日のような失態を犯すなんて……悔しいです。私。」
テーブルに上半身を擦り付けるように項垂れるティファニー。大切な任務の報告の待ち合わせ時間を過ぎて、自宅で呑気に眠っていたなんて……と。有り得ない事態を犯した自分を心底恨んでいた。
「別にそこまで気に病むことは無いだろ?……そもそも、まともに休めてないのにも関わらず、報告書は全部揃ってるし……」
テーブルに並べられた書類。
先日の外務省の定期検診時に盗み出した個人情報など、十分すぎる情報がきちんと揃えられていた。
完璧な彼女の働きにロイドは文句などあるはずが無かった。
「ところで。ユーリ・ブライアと上手く接近できてるとか。」
「はい。来週の土曜日、早速彼と食事に。」
「……展開が早すぎる。一体どうやって……」
「特に何もしてないんですけど……何なんでしょう。」
ティファニーは体を起こし、再び背筋を伸ばして姿勢を正せば悩ましげに表情を顰める。
本人には全く自覚はないらしいが、まあとにかく上手くいっているならば万々歳だ。
「まあしかし。ないとは思うが、あの弟は酒が入ると手がつけられん。襲われないように気をつけろ?」
「そんなことある訳ないじゃないですか?……なんせ姉のヨルさんを溺愛しまくってますし。そんなに"コト"は進まないですよ?」
"やだな〜"なんて冗談じみた言葉を放つティファニー。そしてその直後、どこか哀しげに表情を曇らせると、じっとロイドを見据えるティファニー。
「それに。先生なら分かりますよね。……きっと私の体を見たら、…吃驚して逃げ出すと思いますよ。」
そっと左胸に手を当てるティファニー。
"そこ"にはロイドとハンドラーしか知らない秘密があった。
「……まだ残ってるのか?"焼印"。」
「一生消えないと思います。……かといって、この傷を治すために東国の病院に掛かる訳にもいかないですし。でも特に私自身気にしていないので。」
人身売買組織に押された烙印。一生消えない"奴隷"としての証。
それは今も尚、消えることなく左胸上部にしっかりと刻まれていた。
「東国の人がこれを見たら1発で分かりますよ?私が西側の人間だということも、元奴隷、売春婦だったという事実に。」
「…………」
「そんな汚れた人間に、誰も好意を抱くはずが無いですから。」
"ね?"と無邪気に笑うティファニー。
幼い彼女の口からは残酷すぎる発言だった。
「自分を卑下するな。お前は汚れてなんていない。」
「…………へへ」
「それと、せめて俺の前の時くらい無理して笑うな。」
「……」
「俺はお前をただの部下として見ているわけじゃない。……血の繋がりはないが、それと同様の関係性だと思ってる。」
ロイドの顔に喜色が浮かぶ。
そして彼の大きな手が、ティファニーの頭を優しく撫でた。
「そうだろう?"ファニー"」
記憶から消えかかりそうな兄の優しい顔が浮かびそうだった。ロイドの容姿はどことなく兄に似ている気がする。
優しく撫でるその手も、その声色も。
例えその笑顔も声もロイドが作った嘘だったとしても、ティファニーは嬉しかった。
あくまでもお互い"スパイ"という事実。
偽りを作り出すことは得意分野なのだから。
だけど今は、そんな彼の言葉を心の底から信じていた。
1度壊れた自分の世界。
そこに現れたロイドの存在、そして仲間たち。
ティファニーの表情が自然と和らいでいく。
そして窓の外からは
子供たちの愉しげな声が響き渡っていた。
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