あたしが目を通したインタビューやドキュメンタリーは種々あるし、一生続きそうな猛暑がひとまず落ち着くまで箱に通い詰める中で出会ったバンドマンも雑多にいたけれど、音楽に対しておねーちゃんより真摯で、おねーちゃんより純粋で、おねーちゃんより熱烈な人は見つけられなかった。ついでに、ギター歴6ヶ月のあたしより上手い人も。
最近通うようになったライブハウスのロビーで、あたしはギターを爪弾きながら予約の時間まで管を巻いていた。
「はぁー……ちゃんと練習しない人ばっかだなぁ」
サポートで入ったどこのバンドも休養日を作りたがる。じゃあ練習日はちゃんとしてるのかと思ったら日に三時間もやってなくて、あとはカラオケだのショッピングだので時間を浪費していた。エンジョイ勢とか名乗ってたけどそんなだから下手なんじゃないの、って言葉はなんとか飲み込みながら、今日までそこそこ円満に渡り鳥している。あたしの人間関係を自由って呼ぶか孤独って呼ぶかは人の勝手に任せてるけど。
所詮はこんなもんかって失望する半年間だった。同時に、弾いてるだけで幸せ満面なおねーちゃんの凄さが身に沁みる。
好きこそものの上手なれって言うけど、神様の生贄になっちゃったおねーちゃんの「好き」の度合いは常軌を逸してるんだと確信した。どんな相手とも楽しく弾いて、少しでも良いところがあればすべて噛み砕いて吸収する。暇さえあればあらゆるジャンルの音楽を、鳴っているトラックひとつひとつに注目して素晴らしさのすべてに感動して頬を赤らめる。
おねーちゃんは音楽にのめり込むと目を閉じるクセがついた。幸せをいっぱいに詰めこんだ瞳があたしに向けられたことは一度だってない。
お夕飯のときしか顔を合わせなくなった。友達は随分増えたらしくて、お母さんたちがいなければ外で食べることも増えた。おねーちゃんの部屋を夜に覗くと勉強中以外は常にギターを触っていて、あたしはそれを両目の中に掠め取って逃げるんだ。なんとか捕まえた光を瞼の裏に見つめながら、ひとりで練習していた。
「日菜ちゃん暇してる?」
「んぇ? あー、まりなさん。おはよー」
どっかの部屋で清掃してた馴染みの店員さんが、次のお客さんと入れ替わりでカウンターに戻ってきた。手癖になってきたクロマチックスケールの練習を止めてギターをしまおうとすると「あーごめん、別にキャンセルとか出てないからまだやってていいよ」って言われちゃった。じゃあいっか。好きにしてていいって言うならそうさせてもらおう。スマホに繋いだイヤホンを左耳に入れてメトロノームを起動しながら構え直す。
「で、なんか用?」
弾きながら喋りかけると驚いた顔をした。別にあたし、練習以外なんにも認めませんみたいな融通の利かないスタンスやってるつもりないんだけどな。「そんな意外ー?」とニヤニヤ表情を作って身を乗り出すと露骨に気まずそうな顔をされた。取り繕うのへたっぴすぎない?
「や、だって……日菜ちゃんめちゃくちゃストイックじゃん。どこのバンド行っても完璧に仕事こなすし、すっごい真面目なのかなって」
「てこずるようなバンドの案件持ってこないからそう見えるだけだよ。あたしが練習してるのはおねーちゃんより上手くなりたいってだけで、音楽に対する高尚な夢とか目標はないし」
言いながら笑っちゃった。そう、夢とかないよあたし。ギターからおねーちゃんを取り戻したいだけなんだもん。アロマ作りもお休み、学校での面白いこと探しも開店休業、音楽聞いて頭と指に染み込ませる作業に終始してるくせに。どうしたらおねーちゃんがもう一度あたしを見てくれるかってこと以外、考えてらんない。
「……でも日菜ちゃん、今も練習の手を止めないし」
「喋っててもこれくらいできるよ。練習したんだから」
「……ほんと、頑張ってるよ日菜ちゃんは。頑張りすぎなくらい」
心配そうな顔。お母さんに似てるって言ったら怒られたっけ。でもお姉さんだとは思えないしなぁ。
……メン募や臨時の助っ人募集にあちこち顔を出してたあたしは一時期、ちょっと煙たがられてた。
事実として一年もやってない初心者なんだけど、同じ初心者バンドに混ざるとまず疑われる。その場でキックされるならマシな方で、ひどいときはあたしをフロントマンとして置いて寄生しようとしてくるのもいた。だから経験不問のところにいくんだけど、不問って言ったって最低限のラインはあるわけで。すると今度は流石に短すぎるギター歴が足を引っ張って音を聞いてすらもらえない。
仕方なく個人練ばかりしていたあたしを見かねて声をかけてくれたのがこの店員さんだった。
あたしがひとりぼっちで同情したのかなと思ったけど、「バンドを組もうとしてるのに上手いからって追い出されるのは可哀想以外に言い様ないでしょ」ってはっきり言われて、涙がぼろぼろ出るくらい笑っちゃったんだよね。それ以来、なんとなくこの箱に居ついた。
主なお仕事はバックレたバンドが出たときの場繋ぎとギターの穴埋め。結構好評で、ギターがひとりだったりそもそもいなかったりするバンドからもよく声がかかる。丸暗記と再出力は特に得意だから良い収入源になっていた。
「サポート回すの、やっぱりちょっと減らす?」
「いーの。ライブの補欠待機だけで練習代もらうのは釣り合ってないでしょ。それに他人と合わせる経験はなるべくたくさん積みたいし、むしろもっと欲しいかな。まりなさんの紹介ってだけでナメられなくなるから助かるんだよねー」
結構本気で感謝してるのはホント。初心者応援としてのたくさんのライブ企画と採算が取れてるのか心配になるくらいの充実したレンタル設備が合わさって、この箱は利用するバンドからかなりの信頼を得ているらしい。その店員である彼女も、比較的に女性客が多いのもあって顔が利く。お陰でかなりやりやすくなって、今は煙たがられるどころか他の人から差し入れをもらえることがあったり。
ああ、それと。
「どっかの誰かが広めてくれた『孤高の天才ギタリスト』とかいう肩書も利いてるかもね」
「あはは……まあ、褒められてるんだってことで見逃してくんない……?」
「別にー? 裏で言われる分には困んないからどうでもいいよ」
実のところ、遠巻きにされてるのはそんなに変わっていなかった。軽んじられるよりは怖がられる方が百倍マシだからいいんだけどね。
メトロノームにとことんタイトに合わせて16分音符を刻み続けながら、あたしはギターに目を落としたまま言う。
「で、ほんとは何の用事?」
「……鋭いなぁ。うーん……その、断ってもいいよ? 断ってもいいんだけど……」
「サポートね。メンバー抜けちゃったとか?」
頬をかいて、彼女はカウンターから個包装されたクッキーを一枚取り出した。「食べる?」「後でもらうよ」ワンクッション挟むのなんか時間の無駄だしさっさと本題に入ってほしい。じろりと睨みつけると、観念したように溜息を吐いた。
「そうなんだよね……その、ギターの子が音信不通になっちゃったらしいんだけど、バンドの雰囲気自体もなーんかピリついてるっぽくて。正直、日菜ちゃん行かせたくはないんだ」
「まりなさんのそーゆーとこ、あたし好きだよ」
過保護だ。バンドなんか人間の集まりなんだから衝突くらい日常茶飯事だろうに、この人はいつも心配してくれる。
それがちょっぴり、癪に障る。
優しさは居心地が悪い。
今のおねーちゃんみたいで、大っ嫌い。
「いつ? 土日ならとりあえずいけるし、押さえとくよ」
「……ほんとにいいの?」
「しつこいよ」
「……ごめん。曲はたぶん、日菜ちゃんなら今日中にでもできちゃうと思う。詳しい日程と譜面もらったらそっちに転送するから」
「はーい」
意図はわかる。あたしなら当日にいきなり渡されたって弾けるけどそれを理由に押し切られないように、難易度とか日程の確認に彼女が挟まることで断る口実を作りやすくしてるんだろうね。ホントに過保護。
そんなに弱く見えるのかな。
上手くなっても、ひとりであちこち渡り歩くようになっても、信頼も恐怖も向けてもらえないような、取るに足らないこどもに見えるのかな。
「……絶対受けるから。話通しといて」
返事を待たずにギターをしまって、メトロノームを止めながら外へ出る。
カラカラに喉が渇いた。クーラーの除湿のせいに違いない。
受かってしまった。スタジオミュージシャンに。
いくつかの課題曲をセッション形式で演奏するというオーディションだった。私より総合的に上手いと感じる人はどうしてかいなかったけれど、メロディにかける細かな装飾から感じる歌心の美しい人や、高速の速弾きや音価の短いフレーズでも潰れずにきちんと弾きこなす正確さを備えた人など、局所的には私より素晴らしい音を持っている人たちばかりだった。話してみれば練習の仕方から心構えまでしっかりと芯が通っていて人間的にも尊敬できる。単にギターが好きで弾き倒しているだけの私ひとりだけが受かったことは、少々釈然としないところがあったけれど。
「いやいや、紗夜ちゃんみたいな『弾いてるだけで幸せ!』ってくらいの情熱はそれだけで宝だって。ギター好きだけど、そこまで熱量保ってらんなかったなぁ」
「そんだけ純粋なモチベあったら大成するってきっと。私らも次頑張るからさ、紗夜ちゃんもファイト!」
「わ……はい、ありがとうございます」
つい話が弾んで連絡先まで頂いてしまった。ギターがくれた縁だ、大切にしていきたい。
さて、一応はアルバイトということになる。契約書の類は持ち帰って確認してもいいと言われたし実際に持ち帰ったけれど、不審な点はなし。両親の見立てでもいざ何か起きたときに私に不当に責任を負わせることはできないだろうと太鼓判を押してもらえたので、私としては特段文句もなかった。あまりにあっさり受かったので登録させるだけさせて必要な時だけ呼び出す派遣のような形式なのかと思いきや、シフト割りを作る必要があるくらいにはそこそこ頻繁に音を録る機会もあるらしい。
というか、今まさに録っていた。
「はい、ありがとうございまーす!」
広々とした録音ブースの片隅、天井のミニスピーカーからエンジニアさんの声が聞こえた。汗を拭って、それから膝に敷いていたクロスで何度目かギターも拭き取る。シールドの伸びる先は壁の配線。アンプはその向こうの小さな部屋に収められていてここからは見えないけれど、ヘッドホンから聞こえるモニター音で確認する限り最高に格好良い音だった。あとで音作りを教えてもらえないだろうか。
パワーコードやオクターブのパートは簡単なオカズも入れながらワンテイクでOK。ソロはいくつかのパターンを提出するために最後に回して、今七つ目のパターンを録り終えたところだった。ピックを握っていない指でタッピングも織り交ぜたワイドレンジなフレーズだが、これが通るのか。さっきのスラップを主体にしたものといい、実際に採用されるかはともかく考慮には入るあたり最近のアイドルソングは凝っている。
「……マジで上手いですね氷川さん。本当にギター歴半年? 信じらんないけど」
「テクニカル系の教則本を何周もしたり、クラシックの全パートをギターでコピーしたり、週一で丸一日ギターに触り続ける日を作ったりしていたらいつの間にかこのくらいになっていました」
「ごめん前言撤回、それ半年もやってりゃ上手くなるわ。運指とかめちゃくちゃ滑らかだしピッキングもニュアンス出し凝ってるし」
「ふふ、ありがとうございます」
誉め言葉は素直に受け取るものだろうと気を付けるようになったのもあるけれど、それ以上に好きなことを褒められるのは嬉しいものなのだと最近気づいた。妹の影に怯えて逃げ場を探すようにもがいていた頃にはわからなかった感覚。日々増すばかりのギターに触れるたび感じるときめきとはまた別の高揚感。誇らしさ、という気持ちを初めて知った。
「じゃあ、今日のところはこんなもんですね。歩合と月で賃金決める契約で良かったですよ、まさかこんな作業早いなんて……」
「……そこまで早いでしょうか。この……『しゅわ☆しゅわ☆Dreamin’!』でしたか。そこまで難しいものでもないと思うのですが」
詳しくは聞かされていない(所詮アルバイトなのだから当然でしょうね)のだが、五人組のアイドルグループに渡す想定の曲らしい。デモをもらったとき、アイドルソングらしいシンセを散りばめた華やかな曲だな、と思ったらギターとドラムの音が存外重くて驚いたものだ。間奏でも目立つリードパートやソロがあって美味しい役どころ。ギターが弾きたくてこんなアルバイトを始めたのだし、これからもこんな感じだったら嬉しいのだけれど。
とはいえあくまでも歌が主役。今は作家さん本人の仮歌だが、もっと愛らしい……丸山さんあたりの声をイメージしながら弾いた。自然と意識されるリズムキープ。仮想の彼女に前を譲るだけじゃなく前ノリにしてスピード感でも、とやっていたら一発OKが出て、少し拍子抜けしている。日菜はせいぜい半年程度の歴しかない初心者を取るようなところは信用できないと言っていたけれど、確かに、と思わないではなかった。
不完全燃焼感とは裏腹に、エンジニアさんは「かっちりリズムキープしながら普通のコード弾いてるだけでノれるギターなんかそうそう弾けませんよ……こりゃ天才だな……」などと感心しきりだ。
「過分な評価を頂いている気がしてきましたね……調子に乗らないよう気を引き締めねば」
「ストイックですねぇ」
大好きなことを好き放題やっているだけなので褒められすぎも据わりが悪かった。これも受け止められる日が来るのだろうか。……なっていけたらいい。
今日はもう上がりで良いそうなので、ギターを手にコントロールルームに戻った。大きなミキシングコンソールの上に小さなスピーカー。壁にも映画館でしか見たことのないような大型のものが埋まっている。適当な椅子に腰掛けギターの手入れを始めた私に「お疲れ様です、さっきのやつ聞いてみますか」と言いながら側に備えられたPCを操作するエンジニアさん。断る理由もないので「是非」と返した。自分のギターをこんなに大きなスピーカーで聴く機会もそうないだろう。
「……氷川さん、ほんとにギター大好きなんですね」
「え……?」
「スタジオ入ってきたときはもっとクールというか、落ち着いた子だなって思ったんですよ。でもギター出した瞬間から口元が緩んでて、演奏前なんかもう満面の笑みだったし」
今も優しげな顔で手入れしてるじゃないですか、と言われて自分の顔をペタペタ触ってしまった。間抜けなことをする私にエンジニアさんがくすくす笑う。そんなに表情に出ていただろうか。昔は気持ちが顔に出ないから分かりにくいとよく言われていたっけ。
「そんだけ頑張るからには、やっぱ夢とかあるんですか? ギターで世界一に! とか?」
「ふふ、そんなに大それたものではありませんが……ありますよ、夢」
初めて握った瞬間から心の声に寄り添ってくれる相棒を大切に抱え、晴れやかなスカイブルーのボディをひと撫で。
「聞いた瞬間に私の音だとわかるような……どころか、こめた意図や感情までつぶさに伝わって居ても立っても居られなくなるような。世界の誰よりも色鮮やかなギターを弾けるようになりたいです」
こんなに素敵な楽器だ。私の生涯をかけても魅力の全てを引き出せるかはわからない。もしかしたら長い道のりを前に嫌気が差すときだってあるかもしれない。
「だって、弾いてるだけでこんなにドキドキするんですから。この喜びに応えるには、たくさんの経験を積んで人生を豊かにして、そのすべてを注ぎ込むくらいしなければ、ギターに不義理でしょう」
だから頑張っているんです、と締め括りながら親指でストロークするCコード。柔らかい音に感じ入る私にエンジニアさんは深く頷くと、「あの、こんなの、お節介かもしれませんけど」と切り出した。
「ここのアイドルのレッスン風景、見て行きませんか」
「……はい、お邪魔でなければ」
誰かの努力に、夢の熱量に触れるのもきっと、私の糧になる。
丸山さんの顔が思い浮かぶ。彼女もいるのだろうか。