月の海   作:水里露草

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バックドラフト

 

 

 

「あーあーあーはいはいはい、練習でもリハでも間違えてたとこ本番でも間違えたね。弾けないのわかってたでしょ? なんでやんなかったの? 上手くなる気ないのはいいけど足引っ張られると迷惑だしもうバンド組むの辞めなよ」

 

 客のいないステージで一息に吐き捨てる。相手は一応バンドマン。ギター歴一年のあたしよりヘタクソな分際でそう名乗るやつがいっぱいいたから、この人種自体が嫌いになりつつある。

 あたしは気を使わなくなった。ゴミにゴミって言ってなにが悪いのさ。

 

 高校二年生になってもあたしの毎日にはなんの変化もない。寝てても満点を取れる授業を聞き流して、ときどきサボって時間を空けながらギターの練習。放課後と休日はCiRCLEで補欠待機しながらあちこちでサポート、ときどきソロギターでステージに立つ。そして、大好きなおねーちゃんの幻像を追い掛けて、今のおねーちゃんとは言い訳を付けて接触を避け続けている。

 あの後、あたしはおねーちゃんに謝った。おねーちゃんがギターを買ってきて全部がおかしくなっちゃった日を再現するみたいに、軽い調子で。

 おねーちゃんはあたしの謝罪を鵜呑みにはせず、でも次の瞬間には「まあ、そう言うならいいわ」と流してしまった。あたしなんかどうでもいいらしい。

 思い出して溜息が漏れた。都内ライブハウスツアーに付き合ってくれー、とかいう長丁場の依頼を出してきたゴミみたいなバンドのリーダーにどう見えたのか「……な、なにを偉そうに……!」なんて怒り出す。

 

「みんな一生懸命やってんじゃない! アンタひとりだけ上手いからって調子乗らないでよ!」

「あなたと違って練習してるんだからそこそこ弾けるに決まってんじゃん。第一、あたしひとりだけ上手いんじゃなくて、なんにもしてないあなた達がなんにもしてない分だけ順当に下手なだけ。怠惰のツケをあたしに押し付けないでよね」

 

 バッカじゃないの。

 ろくに使いこなしてもらえなかった可哀想なエフェクターボードを広げっぱなしのリーダーがまだキャンキャン吠えてるのを欠伸交じりに聞き流しながら、あたしは時計ばかり気にしていた。用事があるわけじゃない。時間の無駄だから帰って練習したいだけ。

 今日のライブはお気に入りのアンプじゃなくて備え付けのマーシャル直で弾いてたから、足下なんかの片付けはない。ギターを丁寧に拭いてギグバッグにしまえばバラシは終わりだから、こんな戯言に付き合う理由なんか特にないんだよね。……いーやもう。ライブは成功させたしお金は先払いだし、勝手に帰っちゃお。

 

「……もういい、アンタなんかとはもうこれっきりだよ! 顔も見たくない!」

「そ、バイバーイ」

 

 振り返りもせず手をひらひら。夜道に気を付けないとなぁ。

 ロビーにまだ残ってる熱心なお客さんたち、どっかの追っかけかな。あたしと同じくらいの女の子なんかもいて少し意外だったけど、もうこの箱には来ないだろうから客層を気にしたってしょうがないや。

 彼女たちの横を足早にすり抜けながら外に出たらまだ夕方だった。喫煙所から漂う副流煙と、飲食店の並びからごった返す仕込み中の匂いが氾濫して酷い気分。CiRCLEと違って喫茶店が併設されてるわけでもないから休んでいく気にもなれない。あたしは駅に向かってさっさと歩きだした。

 

「もう辞めちゃおっかなー、サポート」

 

 まりなさんへの義理でやってるようなもんだし。そろそろどっかに腰を落ち着けたいとこなんだけど、困ったことに初心者応援系のアットホームな箱に居座る自称熟練者なんか大抵腐りかけの蜜柑なのだった。

 巣立ちのときかも。やだなー、まりなさん以上の大当たりがいるとは思えない。

 とかくに人の世は住みにくい。どんな悟りを得たって、そこにおねーちゃんはいないのに。

 

 

 

 

 

 最近あだ名が増えた。バンドクラッシャーだ。頼まれた仕事してるだけで勝手に壊れるくせに失敬だよねまったく。そういうのはもっと、どんなに追いすがっても追いすがっても届かない歌心を持ってるのにあなたは自分よりすごいとか平気でぬかす様な、残酷な人に言うべきだと思う。

 広まっちゃったものは仕方ないし訂正して回るのもめんどくさいからバンドじゃなくてソロでステージに立つことが多くなったけど、それがまた噂に拍車をかけたみたいで益々周りから人が減る。目障りなバンドを潰し終えたんじゃないかって客席からあたしの耳にまで届いたときは流石に笑いそうになった。この間のゴミバンドはまだ続いてるらしいから潰し終わってはないよ、って教えてあげたい。

 

 おねーちゃんなら、こんな状況でもギターだけを楽しめるのかな。

 

 今日もソロでステージに立つ。あたしに付いた妙な肩書は段々と奇異の目を集めるようになっていったけど、それでもあたしはギターを辞めなかった。

 深い夜の色をしたギターを抱き締めて、ネックに額をこつんと触れた。甘えるみたいに。

 

 大好きなおねーちゃんの面影は、もうこれだけだもん。

 あたしと遊んでくれるおねーちゃんは、これだけ。

 

 貯めたお金でCiRCLEから買い上げたお気に入り、ハイゲインの黒い4チャンネルアンプにギターを繋いだ。セッティングもいつも通り。スイッチャーでエフェクトもろともプリセット管理、あとは手許で勝負。

 照明が落ちる。目を閉じる。弦を爪弾いた。

 ワープするみたいに素早く正確なコードチェンジを。ピックで、指先で、美しさを突き詰めた旋律を。おねーちゃんのように色彩豊かな演奏ができないなら、もう機械になるしかなかった。繊細な挙動が即興でできる以外は打ち込みと大して変わらない無感情のギター。瞼に焼き付いて離れない月明かりが心臓まで届く前に押し殺して、技巧の制御に全神経をつぎ込む。

 第三宇宙速度まで乗せられない、鋭くも飛びきれないもどかしいロングトーンロケット。最後のセッションでおねーちゃんに音を伝えきれなかったことが、今もあたしの中に重くのしかかって穴をあけている。

 前のおねーちゃんが好きそうな服装をするようになった。黒いインナーとスキニー、前を止めて胸元と腕で引っかかる程度に肩を落とすシャツワンピース。

 前のおねーちゃんがしそうな弾き方をするようになった。作りこんだ美しいメロディと、テンポにタイトなリズム感で、コードを淡々と研ぎ澄ませる。

 前のおねーちゃんみたいな顔になってきた。ちょっと腫れぼったい二重瞼で睨むような目つき。今更双子らしくなったって、もう遅いのに。

 

 手の中のおねーちゃんと踊る一人芝居は十五分と少しで終わっちゃった。ぶっ通しで弾き終えて、最初から最後までまともにMCもせずステージを下りる。鬱憤晴らしどころか一層募るばかりで、最近はライブもあまり楽しくない。

 そう、楽しくない。おねーちゃんに手を伸ばしても伸ばしても届かなくて技術だけを磨き続ける日々に、ちょっぴり疲れているのも事実だった。

 まりなさんに挨拶だけしたら今日はもう帰ろう……いや、たまには歌でも歌ってみようかな。弾き語りとか、そういえばやったことないし。

 ギターを背負い直して、アンプヘッドを収めたラックケースと小さなペダルボードを積んだキャリーを引く。楽屋からロビーまで戻ってきたあたしが「まりなさーん? 部屋どっか空いてない?」とカウンターを覗き見ると、彼女の隣に銀髪の女の子が立っていた。

 

「……あれ?」

 

 あたしはこれでも、記憶力には自信のある方だ。記号の認知能力がちょっと甘いから地図は苦手だけど、テキストや人の顔は一瞬で覚えられる。

 海馬が訴えた。こないだのゴミバンドの帰り、ロビーですれ違った子だ。

 

「誰? その子」

「あっ日菜ちゃん! ちょうどよかった!」

 

 珍しくめちゃくちゃ嬉しそうなまりなさんがその子の後ろに回ってぐいぐい背中を押す。綺麗な顔をちょっと迷惑そうに歪めたその子は、凛としたネコ科を思わせる切れ長の瞳をあたしに合わせた。

 

「やっと見つけたんだよ、日菜ちゃんと張り合えるボーカル!」

「ボーカル……あぁ」

 

 まりなさん、あたしがバンド組みたいって言ってたの覚えてたんだ。ほぼほぼ諦めてて思案の外だった。

 銀髪ちゃんは一歩進み出ると「氷川日菜ね、羽丘の」と切り出した。

 

「知ってるんだ、あたしのこと」

「有名人じゃないの。……私は湊友希那、羽丘の二年生よ。今はソロのボーカルとしてステージを回っているわ」

「……まあいちおー、氷川日菜。ギター弾き」

 

 手を差し出して握手を交わしながら堂々と品定めする。上品なブラウスとロングスカートに包まれた体躯、どう見ても華奢だけど……首周りには薄く筋肉が付いているのが見て取れる。握手で少し引っ張るように握ったけどふらつく様子は少しもない。体幹もしっかりしてそうだ。……ちょっとだけ、期待していいかもね。

 向こうもあたしの手からなんか感じ取ったのかな。少し驚いたように目を見開いた彼女は、握手を解くと自信たっぷりに腕を組む。

 

「今日と、それから先日のライブも見ていたわ。学生離れした超絶技巧、マスロックやプログレの畑を思わせるような正確性……なにより、ギター以外のなにも見ていないような執念のある弾き方。よっぽど……人生の全部をかけていそうな姿勢が素晴らしい」

「そりゃどーも。前説はいいよ、バンドの勧誘?」

「ええ。まだ私一人だけれど」

「……は?」

 

 とうとうまりなさんにまで裏切られたのかと思って勢いよく振り返るけど、当の本人が自信満々の顔をしている。根拠があるのか、まりなさんが騙されてるのか、どっちだ。

 銀髪ちゃんは「成し遂げたいことがあって、メンバーを厳選している最中なのよ」と続けた。

 

「『FUTURE WORLD FES.』、知ってる?」

「……あーごめん。あたし上手くなりたいだけだから、賞とかコンテストはわかんないや。すごいの?」

「通称FWF、若手ミュージシャンの登竜門でもある大規模な音楽フェスよ。出られた時点で一廉のミュージシャンの仲間入りね」

「ふーん……」

「FWFに出て、私の音楽を世に証明する。そのために、あなたのギターが欲しいのよ」

「証明ねー……」

 

 目の奥に暗いものが見える。鏡で毎朝同じものを見てるから、あたしにはよくわかる。ただ音楽で頂点に立ちたいとかじゃないんだろうけど……まあいいか。大きなフェスを目指すなら努力だってするだろうし、一緒に弾くのも許せないような体たらくにはならないでしょ。

 ただ、これだけは確認しとかなきゃいけない。

 

「あたしがなんて言われてるかはわかってる?」

「『孤高の天才ギタリスト』でしょう? 乞われればどんなバンドにも参加して、レベルを数段引き上げたライブにする代わりに腑抜けた姿勢ならそのまま食いつぶすバンド殺し……望むところよ」

 

 儚げな見た目に反して好戦的な言葉が返ってきた。ぎらぎらした瞳の銀髪ちゃんは「この後、ステージをリセットする前に使わせてもらう約束なのよ」と言いながら踵を返して、あたしがさっき出てきたドアへ歩いていく。

 

「……練習の鬼、極度の技巧主義とも聞いているわ。そんな貴女を口説くのにただの言葉では役者不足でしょう──」

 

 明かりに映える真っ白な指をすらりとあたしに向けて。

 

「──私の歌を聞きなさい。跪かせてみせるわ」

 

 

 

 

 

 さっきまで退屈と寂寞で立っていたステージに初対面の女の子が立っている。見慣れないはずの景色がどうしてかしっくりくる。舞台でマイクを構える姿が様になる子だった。

 

「──『BLACK SHOUT』」

 

 曲名の宣言と同時にバックから流れてくるのは打ち込みのチェンバロとチャイム、しっかりと作りこまれたゴシックロックだ。荘厳な空気の中で歌いだす銀髪ちゃんは、分厚いバックコーラスの中でも浮かない正確なピッチと押し負けないパワーを秘めていた。重いディストーションギターが入ってからガラリと空気が変わってハードテイストになると声も一層太く芯が通る。最初の儚げなイメージがウソみたいに霧散した。

 サビに入って一層決然と弾ける声。独特の粘り、ロングトーンがよくよく映える堂々としたパフォーマンスで──その隣に、おねーちゃんが見えた気がした。

 全部打ち込みで音が軽いからこそ、入念に作りこんでも彼女の歌に追いつかないバックトラックを埋める想像が抑えられない。おねーちゃんならどう支えるかな。この音源をそのままなぞる? それとも鍵盤によるコードワークの荘厳さを引き立てるために音量を抑えて飾り付け? どうするにしても、おねーちゃんならきっと銀髪ちゃんの歌を完璧に引き立てられる。声の熱量に応えて、一層引き出して、叫びに込められた万色一体の黒を深く際立たせるだろう。

 

 ──あたしなら、どうする?

 

 ベースが結構アグレッシブだ。鍵盤も二台使ってる想定なのか、シンフォニック系の音色で空間を埋めながらピアノが踊っている。

 なら……あたしの仕事は、こうだ。

 ギターを取り出してペグを回す。ドロップDチューニング、ラウドミュージック向けの重い調弦に変えながらステージに割り込んだあたしは、眠りかけのアンプを叩き起こして機材の調子なんかお構いなしにギターをぶち鳴らす。

 一番だけ聞いて曲の構成は予想できた。突発的な曲調の変化には……おねーちゃんとのセッションで、経験値がある。

 シンプルな白玉のコードトーンで重低音の補強、地ならしのような音像作り。幻想的に広がる曲世界に重力をもたらすのが、求められる仕事!

 二番の終わりから低音のリズムが偶然ハマって、そのままソロパートにもつれ込んだ。六弦を開放で鳴らしっぱなしにしながらピアノのお株を奪うタッピングアルペジオ。スウィープの高速移動も合わせて、駆け上がるストリングも華やかなピアノソロも、本来のギターソロも食らいつくして……ああ。

 銀髪ちゃんは不敵な笑みだった。

 歌の伸びしろは長く残っている。曲だってもっとよくできるし、そもそも人数が揃ってない。

 だけど、初めて、少し、跳ねる気持ちが。

 なんていうか──るん、ってする。

 

「あたし、まだ、上手くなれる」

 

 ラスサビに入って、あたしは銀髪ちゃんの──友希那ちゃんの歌に、恭順した。

 彼女の歌は十分すぎるほどに鮮やかだ。バックトラックもチープな音色なりに彩り豊か。それらを縁取るようにあたしのギターで陰影をつける。無色無彩無感情、だからこそ。

 

 おねーちゃんを取り戻せなかった残り滓の情熱が熾火から蘇るのを感じる。

 友希那ちゃんとなら、おねーちゃんを刺す音楽ができるかもしれない。

 

 アウトロのロングトーンを勢いのまま合わせて、その残響音も立ち消えた頃。あたしは汗を拭うのも忘れて友希那ちゃんに手を差し出した。

 

「……今の曲の音源、ちょーだい。覚えてくるから」

「交渉成立ね」

 

 彼女はあたしの手を握った。……そーじゃないんだけど。

 ぶーたれるあたしに、友希那ちゃんは怪訝そうな顔をした。

 

「今この瞬間に持ってるわけないじゃない。PAさんに渡してあるから、後で受け取って頂戴」

「……それもそっか」

「それより、貴女の目標はないのかしら? 上手くなりたいだけと言っていたけれど、目指すラインくらいは決めているでしょう?」

「あたしのおねーちゃん」

 

 ものを考える間も置かず即答した。

 

「誰より綺麗で、誰より音楽に真摯で、誰よりギターが大好きな、たったひとりのおねーちゃんを──殺されちゃうくらい悔しがらせてみたい」

 

 月って、狂気の象徴なんだって。

 横顔を見続けたあたしに刻み込まれていたそれが揺り起こされた。

 

 ──あの日、音が届かなかったおねーちゃんを、刺したい。

 

 悪い神様(ギター)に取られたままなんて、許せない。

 

「だから、世界一上手くなるよ」

「……期待しているわ」

 

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