「おきて。おーきーて」
優しくて甘い声が聞こえてくる。
「起きてよー。翼君」
さらに、ゆさゆさと身体を揺り動かされて、俺は目を開ける。
「……どうして、ましろがここに?」
約束は九時のはず……。枕元に置いたスマホを手に取る。時刻はまだ、七時を過ぎたところだった。
「えへへ……。待ちきれなくって。来ちゃったんだ」
目を細めて照れくさそうに笑った俺の彼女は、そう言って体を起こした俺にもたれかかってくる。寝起きで頭がぼーっとしていたはずなのに、笑ったましろの可愛さですっかり目が冴えた。今日もましろは可愛い……。思わず抱きしめて頭をなでてしまうのは、もう仕方のないことだと思う。
「翼君……。ちょっと苦しい」
「あ……ごめん」
ましろに背中をトントンと叩かれる。あまりに愛おしくて強く抱き締め過ぎてしまった。でも離れると、ましろは毎回のように名残惜しそうな顔をする。ずるいよなぁ……。
「もうちょっと……ギューッとして欲しい……」
小声でそんなことを言ってくるものだから、もう一回抱きしめざるを得ない。というか抱きしめたい。愛おしすぎる。もちろん今度は、強く抱きしめすぎないように注意して。
「えへへ……」
そう言って胸の中に顔を
俺はましろと一旦離れて、洗面所で着替えて顔を洗う。髪もきちんと整えて洗面所を出ると、味噌汁のいい匂いが漂ってきた。キッチンを見ると、エプロン姿のましろが朝食を用意してくれている。
「ましろ。ありがとう」
ましろは俺の家に来ると、必ず俺のご飯を作ってくれる。俺はちゃんと自炊できるし、ましろが怪我でもしたら大変だから、「作らなくても大丈夫だよ」と言ったことがある。けれど、「私の料理、食べたくないの……?」と言って目をウルウルされると、とても「作らなくても大丈夫」なんて言えない。それに、一人暮らしを始めてから作るのが面倒で、コンビニ飯で済ませたり欠食したりしがちだったから嬉しいというのもある。だから結局、ましろの厚意に甘えさせてもらっている。俺はいつも通り、ベッド前に置いてある座卓前でましろを待つ。
「おまたせ!」
お盆の上に、湯気の立った朝食を持って、ましろがやってくる。今日のメニューは、ご飯、味噌汁、玉子焼きに、茄子の漬物だ。
「いただきます」
まず、よく出汁の効いた味噌汁を啜る。
「うま……」
自分が作った味噌汁の、数百倍美味い。思わず声が出てしまうほどだ。一人暮らしを始めてから、他人が作ってくれる飯が有難く感じられるようになった。ましろ。ありがとう。俺は今幸せの絶頂にいるよ。俺はましろに向かってサムズアップする。ましろは、嬉しそうに目を細めた。玉子焼きは、俺の大好きな甘めのもの。ましろが最初作ってくれた時は、甘い玉子焼きが好きと言っていなかったから驚いた。後で聞くと、どうやらうちの母親に作り方ともども教えてもらったらしい。今じゃ、ましろがここで朝食を作ってくれる時、必ず並ぶ定番メニューとなっている。母親にも、グレートサンクス! さらに、ご飯を食べて、茄子の漬物をパクリ。相変わらず美味い。これは、漬物づくりが趣味の父親が作ったものだ。時々実家から大量に送られてくる。ただ理由は、父親が高血圧で母親に控えろと厳命されている故、父親が作って食えなかった大量の漬物がこちらに流れてくるというものだが。よって、俺の部屋の冷蔵庫には漬物が常備されている。父親に感謝。そして父親、ドンマイ……。
「翼君……。毎回おいしそうに食べるよね……。それ」
若干引き気味に、ましろがそう言ってくる。ましろは、茄子が嫌いなのだ。
「漬物の中でも、これが一番好きだから」
ましろは好き嫌いが多い。いやそもそも、小さな子どもが嫌いな野菜は、大抵嫌いだ。
「ましろにはまだ早いのかもなー」
何気ない風にそう言うと、ぷくーっと頬っぺたを膨らませてましろが反論する。
「子ども扱いしないでよぉ……。私ももう高校生だよ……」
「ごめんごめん」
俺はましろを宥める。でも、ぷりぷりと怒るましろの様子が子どもっぽくてかわいいから、ちょくちょく弄って怒らせてしまいたくなるんだよなぁ。
「わ、私だって! 茄子くらい食べれるもん!」
ましろはそう宣言して、漬物の小皿と、俺の箸を奪い取った。ごくりと唾を飲み込み、意を決して茄子の漬物を口に放り込む。すぐにましろは、顔をしかめて「気持ち悪い……」と小声を漏らした。……言わんこっちゃない。どうにかして飲み込もうと、百面相させながら悪戦苦闘している。全く……仕方ないなぁ。
ううっ……。見栄を張ってあんなこと言うんじゃなかった……。私は、茄子の漬物を口にしたことを後悔していた。茄子を噛むと感じるグジョっとした食感が、すごく気持ち悪い。でも、翼君の前で吐き出すなんて汚いことはしたくない。どうにかして、飲み込むしかない……。……でも、気持ち悪い。あまりの気持ち悪さに目を閉じると、頬をツーっと涙が伝う。
でも、永遠に続きそうなこの苦しみは、突如として終わりを告げた。
目を閉じた瞬間、後頭部に手が差し伸べられた。翼君の大きくて温かい手だ。吐き出さないようにキュっと結んでいた唇はこじ開けられて、口内に温かい感覚がビリビリと走る。ビックリして目を開けると、翼君の閉じられた目が、まさに目と鼻の先だった。パニックになって体をビクッとさせると、翼君はゆっくりと目を開いて、私からゆっくりと離れた。目の前の翼君はゴクリと嚥下する。私は、さっきまで口の中にいた気持ち悪さの元凶がきれいさっぱりなくなっていることを自覚した。
「え……なんで……」
私は、顔がかあっと火照るのを感じながら、何とかその言葉を捻り出した。
「辛そう、だったから……」
翼君は私から顔を背けて、ぼそぼそとそう言う。背けたときに見えた翼君の耳が、真っ赤に染まっていた。
「取られ……ちゃった……」