青春100%   作:完結の陽炎

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第38話「ヒロシのスカウトと内場の向き不向き」

 淳平には付き合う彼女がいる。

 手を繋ぐのが照れくさくて気恥ずかしい。

 でも親密な関係になりたい。

 抱きしめたい、キスしたい、その先も……。

 しかし現実と空想は違う。

 想像をするだけでも罪悪感が湧く。

 穢してしまいそうで申し訳なく思う。

 もし知られたら嫌われてしまうかもしれない。

 毎日が理性の天使と欲望の悪魔との戦いである。

 

 ――小宮山は毎日よくやるよな。

 

 別のクラスになったこずえに毎回会いに行く。

 休み時間のたびに顔を出してギリギリまで粘る。

 離れた時のテンション下がりはいつ見てもうっとおしい。

 逆にそこまで出来ることが呆れを通り越して尊敬に値する。

 

「浮かない顔してるね真中」

「外村……別に」

 

 何でもないように装うとするもヒロシにはお見通し。

 素直になれない男心が微笑ましい。

 ヒロシの表情は前髪に隠れて口元で笑うだけだ。

 

「小宮山みたいに会いに行かないのかい?」

「たびたび行ったら迷惑だろ? それに綾だって友達付き合いがあるだろうから邪魔したくねえし」

「へえー、優しいね真中は」

「なんか皮肉っぽく聞こえたのは気のせいかな?」

「気のせいだよ」

 

 会いに行くにしてもきっかけがない。

 映研のことで相談があると言えばいいのかもしれない。

 恋愛のことで何をしたら彼女が喜ぶのか?

 それを教えてもらうのもいいのかもしれない。

 そんな悶々とした迷いを抱えて時が過ぎていく。

 

 一方、その頃の綾はつかさと雑談中だ。

 本当はこずえと三人になるが、休み時間中は力也が来るので実質は二人である。

 羨ましそうに見つめる綾につかさが言った。

 

「綾から会いに行けばいいじゃん。真中くん奥手だし、あたしたちに遠慮して来れないんじゃない?」

「で、でも迷惑するかもしれないから」

「付き合ってるんだから遠慮しないの。もっと積極的にいかないとダメだよ」

「そ、そういうもの?」

「そういうものだよ。ほら行った行った」

 

 つかさの後押しで淳平がいる教室へ向かう。

 ヒロシが真っ先に気付いて淳平を押し出す。

 お互いに気遣いができる友達を持っている。

 人目を気にして階段の踊り場へ移動をすることにした。

 

「ごめんなさい。迷惑だったよね?」

「全然。オレも本当は行こうと思ってたけど、綾が迷惑かなって思って」

 

 首をブンブンと振って迷惑ではないことをアピール。

 言葉だけでは足りないから。

 分かってほしいという意思を強く見せたかった。

 

 ――綾が可愛すぎてメチャクチャ抱きしめたい。

 

 理性の壁が今にも崩れそうである。

 すでに綾の両肩を掴んでしまった。

 綾がビクッとしながら戸惑いつつも淳平を見つめる。

 

 ――オレなんで綾の肩を掴んでんだよ? マジ無意識でやっちまってるよ。

 

 言い訳をしようとしても何も思い浮かばない。

 互いに見つめ合ってその場から動けない。

 淳平が少しだけ顔を近付けると綾が後ろへ下がる。

 逆に淳平が少し下がると綾が前に出る。

 見つめるのに適した距離感があるのかもしれない。

 

 ――ここは学校の中だ。変なことなんてできないって。

 

 それでも相手を望んでしまうのは若さ故か。

 お互いに探り合いをしての硬直状態。

 ずっと見られるのが恥ずかしくて綾が目を逸らす。

 それでもチラチラと視線を向けて気にする。

 淳平のガン見に堪りかねたのだろう。

 綾が目を瞑ってしまった。

 淳平は衝動に駆られるままに顔を寄せていく。

 どちらともなく鼓動が跳ね上がり、緊張の余りに手が震えた。

 ところが休み時間終了のチャイムが鳴り響く。

 現実は無情。

 綾は下がり淳平も手を離した。

 

「……戻ろうか」

「う、うん」

 

 もっと一緒にいたい。

 でも授業があるので仕方がない。

 クラスに戻る綾を見送り、淳平も自分の教室へ戻る。

 

 ――もしチャイムが鳴らなかったらオレは……。

 

 あの場の雰囲気に流されていたに違いない。

 悶えそうな恥じらいを感じてもグッと耐える。

 さすがに授業中は静かにするしかないから。

 気を取り直して授業を受ける。

 もっとも先生が何を言っているのかよく分からない。

 まともに受けたら催眠術になって眠くなってしまう。

 黒板に書かれたことをノートに書き写すのが精一杯だ。

 こんな調子だから指名をされても。

 

「わ、わかりません」

 

 まともに答えられない。

 抜き打ちや確認のテストが出されても点数が芳しくない。

 頭の悪いバカ認定で先生の手を煩わせた。

 そのお仲間となるのはさつきであり、授業が終わると話しかけられる。

 

「あーかったるい。真中、教科書を盾にして構えてくれ。あたしの正拳突きで打ち破ってやる」

「やめろって。そんなことしたら教科書が使い物にならなくなるだろ」

「こんなつまらない事をやるぐらいなら、ゲーセンで遊んだり、カラオケで歌ったり、トレーニングルームで鍛えたりするほうがスッキリするよ」

「気持ちは分かるけど、教科書を拳で破ろうとしないでくれ」

「ま、次の次は体育だ。それまでは我慢してやるか」

「北大路って体育の時だけは嬉しそうだな」

「んー、何かそれしか取り柄がないような言い方に聞こえたよ?」

「き、気のせいだって」

 

 淳平の席は窓際の一番後ろで、その隣がさつきである。

 ヒロシは窓際の一番前で、力也は出入り口側の一番後ろだ。

 次の授業は数学担当の黒川先生だ。

 難しい講義に気疲れをしてしまう淳平。

 窓越しにグラウンドを眺めての息抜き。

 そこには速く走って周りを圧倒する正太郎の姿があった。

 

 ――あんなハイペースで長距離走って大丈夫か?

 

 淳平でも心配になるほどの勢いである。

 距離があるので正太郎の表情までは分からない。

 それでも時折コケそうになっているのが気になった。

 同じ窓際の列にいるヒロシが手を挙げての発言。

 

「すみません黒川先生、ちょっとトイレ行ってもいいですか? 我慢しましたが限界を迎えそうなんです」

「早く行って来い。そして用が済んだら戻れ」

「もちろんです」

 

 黒川先生の承諾を得て教室を出て行く。

 ヒロシが中座をしたのは今回が初めてだ。

 向かう先はトイレではなく一番下の階の廊下。

 そこからグラウンドが見える位置を探してみると。

 

 ――おやおや、僕と同じ考えを持った後輩が三人もいるね。

 

 遠巻きからグラウンドを眺める内場・ちなみ・唯を発見。

 ヒロシは見つからないように隠れて三人の様子を観察した。

 その動きに合わせてヒロシも上手くやり過ごす。

 正太郎が怪我人と思われる茶髪男子に肩をかして移動している。

 その場面を目撃したヒロシは思う。

 

 ――自分の限界へ挑戦するよりも、クラスメイトの救助を優先。実に正太郎くんらしい判断だよ。

 

 後輩が見張っているので任せても大丈夫。

 そう判断したヒロシは自分の教室へ戻った。

 黒川先生が一睨みしたが何も言わずに授業を進める。

 

 ――ああ、これはトイレが嘘だってバレてるね。さすが黒川先生。

 

 あとで職員室に呼び出されて問い詰められた。

 ごまかすには相手が悪い。

 他の先生がいるので場所を変えてもらってから正直に話す。

 

「お前が懸念していた通りになったという訳か?」

「そんなことはないですよ。僕の予想では、正太郎くんは無茶をして病院送りになる未来でしたから。最悪の場合、彼の命はなくなっていたかもしれません」

「……止めようと思わなかったのか?」

「僕ら高校生に何ができると? 腕時計をつけて手加減モードでやらせて下さいで体育教師から許可が出るとは思えませんね。そこに至るまでの過程すら聞かないでしょうし理解もできないでしょう。だからといって全力しか出せない不器用な正太郎くんに、走るペースを加減しろと無理難題を押し付けても無駄ですよ。そろそろ体育の根性論みたいな風潮は、時代の流れと共に変えたほうがいいと思いますがね」

 

 ヒロシは正太郎の手加減モードを熟知している。

 美鈴や内場から聞いていたり、正太郎自身が言っていたりで把握をしていた。

 理解者の立ち位置なおかつ適切な距離で静かに見守っている。

 

「頭の固い教頭や他の教師には通じないことだな」

「大人のお堅い事情に、未来のある若者を巻き込まないでほしいです。犠牲が出てからでは遅いというのに」

「お前がそこまでキレるとは珍しいな」

「小さい頃から可愛がっている弟分ですから。その命に危険が及ぶとあれば怒りもしますよ。それこそネットを使って泉坂高校をどうにかしてもいいぐらいにはね」

 

 インターネットは全世界が対象である。

 情報の拡散を舐めてはいけない。

 ヒロシがその気になれば、泉坂高校の評判を落とすぐらいは容易にできる。

 いつもは冷静な黒川先生もこの時ばかりは流石に焦った。

 

「冗談ですよ黒川先生。正太郎くんは無事でしたから何もしません」

「……まったくネットというのは恐ろしいものだ。これも時代の流れか」

「今後の為にも、指導方法の見直しは検討してもらいたいですね」

「私だけではどうにもならんぞ。味方を増やして多数決に持っていくには時間が掛かる」

「不可能と言わない黒川先生が素敵です。結婚を前提にお付き合いして下さい」

「酒が吞める歳になってから出直して来い」

「そうさせてもらいます。話は以上でよろしいですか?」

「ああ。時間を取らせたな」

「いいですよ。黒川先生との充実した時間を過ごせて僕は幸せです」

「たわけ。教師を口説くな」

 

 その後のヒロシは何事もなかったように振る舞う。

 あとで確認したところ、昼休みには正太郎が復活をしたとの事だ。

 彼女のちなみが傍にいるのならば何も問題はない。

 

 ――そろそろちなみ様のご褒美がほしいなぁ。ぐふふっ。

 

 先ほどまでのシリアスはどこへ行ったのか?

 ちなみからの相談があるだろうと予測をしている。

 天地に秘書として雇われる正太郎。

 嫉妬深いちなみがこのまま放っておく訳がない。

 雇い主の天地と親交があるヒロシに干渉をして来るはずだ。

 案の定、休み時間中にメールで相談するための時間を要求される。

 

 ――計算通り。むふふっ。

 

 ニヤリと笑うヒロシ。

 それを見た淳平はドン引きをした。

 変態はどこまでいっても変態である。

 映研の活動がない日でヒロシの部屋を指定した。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 女王様を演じたちなみは見事の一言に尽きる。

 正太郎の全てを独占するためなら平然とやりこなす。

 実に刺激的な時間だったと感極まるヒロシであった。

 

「美鈴のお兄さん、切り替えはOK?」

「OKだよ」

「天地先輩からしょーくんを奪い返す方法を知りたいの」

「それなら僕の夢に乗ってくれたら可能だよ」

「どんな夢?」

「芸能プロダクションを立ち上げることさ。タレントを育成をする事務所だと思ってくれたらいいよ」

「それに乗るってことは、わたしがタレントになるってことだよね?」

「ちなみ様――ちなみちゃんならこの上なく適任だよ。迫真の演技力と天使のような可憐さを僕は買いたいんだ」

 

 ちなみをスカウトすることがヒロシの狙い。

 夢の実現にはどうしても欠かせない相手だ。

 それに向けての仕込みは済ませてある。

 

「それがしょーくんを奪い返す事とどう繋がるの?」

「ちなみちゃん、タレントを支えるにはマネージャーがつきものだよ」

「っ!! そ、それって……」

「正太郎くんには選択肢のひとつとして受け止めると返事はもらっている。裏付けは取れているよ」

「選択肢のひとつってことは……そうしない可能性もあるってことだよね?」

 

 普通であれば心が舞い上がり疑いもなく飛びつくだろう。

 しかしちなみは普通とは違う。

 慎重かつ冷静に立ち止まって正太郎の分析をしている。

 こういう所があればこそ正太郎と付き合っていけるから。

 

「さすがだね。正太郎くんが一途になる訳だよ」

「おだてても何も出ないから。それでどうなの?」

「その通り。だが考えてみてほしい。正太郎くんは天地の秘書をやっていく。その経験を活かしてマネージャーの仕事をすることは不自然なことではない。仕事にも流れはあるのだよ」

「流れ?」

「正太郎くんは秘書を通じて、主人を支えることの苦労や喜びを味わうはずさ。いや既に美鈴を通じて忠誠を尽くしているから、より実践的に感じるだろうね。こういう仕事が自分に合っていると彼が気付いて、その道を検討する流れは自然だと思わないかい?」

 

 ヒロシの弁舌でちなみを唸らせる。

 正太郎のことをよく分かっているつもりだが、ヒロシの理解力も負けていない。

 むしろ同じ男として気持ちがわかる分、女のちなみは不利である。

 

「タレントになるために必要なことってある?」

「ステージに立つなら歌とダンスのスキルが必須だね。ちなみちゃんは姿勢がいいからモデルの適性は問題ないよ。空手をやってるって聞いたけど?」

「うん。しょーくんと一緒に稽古してるよ。今も定期的に身体を動かして、重心のバランスを保つ訓練をしているから」

「なるほど。それでどうかな? 僕の夢に乗ってみるかい?」

「その芸能プロダクションって本当に作れるの? すっごくお金が掛かりそうだけど?」

「問題ないよ。支援先のアテもあるし、僕なら成功させる自信もある」

「ふーん、美鈴のお兄さんは変な人だけど頭はすっごくいいもんね。進学するの?」

「するよ。東大を目指して卒業はしておきたいと思っているからね」

「じゃあ立ち上げの時期は大学を卒業してから?」

「卒業の単位を取ってヒマができるなら、その時期に立ち上げるかもしれないね」

 

 計画的なヒロシに感心しながら考える。

 自分も進学をするべきなのか?

 それとも……。

 

「ちなみちゃんは大学に行かないのかい?」

「うーん、しょーくんと同じ大学だったら行ってもいいかなって程度だよ。まだ分かんない」

「これからゆっくり考えたらいいよ。今は映研との対決に集中すればいいんじゃないかな?」

「そうする。とりあえずお兄さんの夢に賭けてみるよ。もし裏切ったら……ワカッテルヨネ?」

「は、はひぃちなみ様!!」

 

 発情した犬のように荒い息遣いをするヒロシ。

 脅しをかけるちなみのサドっぷりは心の栄養源である。

 こんな調子で大丈夫かとちなみは不安になってしまうが他に方法もない。

 奪い返すだけの才能を磨くしかないと決意を新たにした。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 映像研究部の紹介動画を作るため、撮影を行なう場所が問題だ。

 さすがに豪華な洋館でするには非現実的である。

 食堂で話し合った結果、できるだけ建物が見えない位置で撮ることにした。

 広い庭は大きな公園のように見立ててしまえばいい。

 撮影の場を仕切っているのは去年と同様につかさだ。

 

「さつき、カチカチよろしく」

「あいよ」

「外村くんのカメラ回している所は、鏡を使ってやるしかないよね?」

「そうだね。予備のカメラがあればそっちで回せるけど無いものねだりさ」

「ほら真中くん、監督らしく帽子被って台本握って。デーンと構えて」

「わ、わかった」

「つかさちゃん、俺の荷物持ちはこんな感じでいい?」

「うん、小宮山くんはそれでOK。あとは設営のシーンでよろしく」

「えっと……あたしと綾さんは、台本の打ち合わせするシーンでいいの?」

「そうだよ。お互いに意見を出し合う感じでお願いね」

「こずえさん、あくまでフリだから。気持ちを切り替えて一緒にがんばろ」

 

 OKかNGかは監督の淳平に判断をしてもらう。

 淳平自身が撮られている場合はつかさに一任された。

 撮影がされた映像の編集はヒロシの担当である。

 

 ――なんか本当に映画作ってる感じがあっていいな。

 

 淳平はそう思いながら綾と笑顔を向け合う。

 一緒に夢を歩く実感を得て良い雰囲気だ。

 ふと気になる点が浮かんだのでつかさに問う。

 

「西野、演技のシーンは撮らないのか?」

「脚本のネタバレはどうかなって思って」

「バレない程度に演技ならどう? 全く撮らないってのもどうかなって思うし」

「うん確かに。映画といえば役者があったほうがいいか」

「じゃあ西野、頼むよ」

「それなら真中くんにも出てもらないとね。最低二人いないと演技してる感じが出ないし」

「……な、なんか凄く緊張するんだけど?」

「ほらほらリラックスしなよ。これは紹介動画なんだから気楽にね」

 

 ネタバレをしない程度の演技をする。

 拙い振る舞いかもしれないがそれらしく形にはなった。

 じっくりと時間を掛けて紹介動画が作られていく。

 部活が終わって一緒に帰り道を歩く淳平と綾。

 手を繋いで綾の家まで送る途中。

 まだぎこちなく初々しさのある関係だ。

 

 ――帰る時ってどっちから話をするんだろう? そもそも黙ったほうがいいのか?

 

 色々と考えながら綾の顔色を伺う。

 目が合うと優しく微笑んでくれてドキッと胸が高鳴る。

 

「あ、明日は西野と北大路がバイトで部活なしだな」

「うん。でも淳平くん、勉強のほうは大丈夫? テストが近付いてきているけど」

「ぐっ……あ、あんまり勉強してないからヤバいかも」

「それなら明日、一緒に勉強しない?」

「うん。なんかいつも教えてもらってごめん」

「ううん、テストで赤点になって、それで補習になったら部活に支障出ちゃうから」

「そうだよな。補習を避けるためにも勉強しないと。あ、どこでやる?」

「えっと……も、もし迷惑でなければ淳平くんの部屋で」

「いいよ。むさくるしいオレの部屋で良ければ」

 

 あまり彼氏の部屋に行く機会がない。

 そのためか綾としては行ける時に行ってみたいようだ。

 淳平はあとで部屋を片付けておこうと心に決める。

 散らかってる状態で彼女に悪い印象を与えたくないから。

 

 ――部屋に来るってことはやっぱアレだよな。いやいや、変な想像するんじゃない!!

 

 妄想は封印をしなければと抑え込む。

 ベッドに押し倒したり、抱きしめたり、キスしようとしたりなど想像してはならない。

 そう思っている時点で既に手遅れだ。

 欲望という悪魔は囁く。

 付き合ってるんだから別にしてもいいじゃないかと。

 彼氏の部屋に来るのだから、綾も覚悟を決めているだろうと。

 

 ――待て落ち着けオレ。早まるな。

 

 そもそも綾がそういう事に興味を持っているのか?

 嫌がってしまうのではないか?

 どこまで許されるのか?

 皆目見当がつかずに立ち止まりの精神。

 一向に進展がしないのは彼女に嫌われることを恐れているから。

 それだけは何としても避けたい。

 

 ――とにかく勉強だ勉強!! テスト勉強を優先だ!!

 

 家まで送って手を離すと綾が名残惜しそうにする。

 その切なそうな顔に心を痛める淳平。

 気の利いたことでも言えたらいいが上手く言えない。

 また明日と手を軽く振って別れるだけだ。

 先延ばしをしている気分になるが実際の所はそうする以外にない。

 もっと一緒にいたい。

 そんなワガママを言って綾に迷惑を掛けたくはない。

 ところが――。

 

「えっ?」

 

 制服の袖を掴まれて引き留められる。

 俯いて前髪が垂れたことで目元が見えない。

 淳平は戸惑いながらも待ち続ける。

 

「あ、あの淳平くん」

「は、はい」

「……わ、私のこと……す、好き?」

「えっ? な、なんでそんな急に?」

「そ、そうだよね。急に言われても困るよね。ごめんなさい淳平くん」

「いやそんなこと。気にしてないから大丈夫だよ綾」

 

 掴まれていた袖が離れた。

 笑顔を向けられたのでそれでいいかと淳平は思ってしまう。

 だが別の感情も湧いてくる。

 理屈抜きで今の綾を抱きしめたい衝動に駆られた。

 なぜか分からない。

 ただ今そうしないといけない気がする。

 上手く言葉に出来ないなら態度で示すしかないと。

 

「あっ……」

 

 綾からそっと声が漏れる。

 淳平のぬくもりと息遣いを感じる。

 腕を回されて身体の燃え盛るように熱い。

 くっついて想いが溢れていく心地よさ。

 飢えていた相手への愛情が満たされていく。

 そんな時だった。

 玄関のドアを正太郎が開けた。

 ビクッと反応して気まずく離れる淳平と綾。

 

「……」

 

 正太郎は無言のままポストの新聞とチラシを回収。

 二人を見なかった事にしてドアをそっと閉じた。

 

「ちょっと待って正太郎!! 違うから!!」

 

 弟の態度がよほど精神的に堪えたのか。

 感情的になって家の中へ戻ってしまう。

 置き去りにされた淳平は一人寂しく帰っていった。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 天地レストランで新入りを迎える。

 内場と唯、そしてちなみだ。

 ヒロシの助言に乗って今は映制の活動に専念をする。

 映研に勝利をするためには、バイトで部費を稼がないといけないから。

 

「僕、バイト未経験ですけど、精一杯やりますんでよろしくお願いします」

「唯も一生懸命に仕事覚えて頑張る!! ファイトオー!!」

「ご指導よろしくお願いします。北大路先輩、つかさ先輩」

「おう、元気のいい後輩が入ってくれていいね。安心して先輩を頼るがいいさ」

「そんなこと言って、どうせあたしが教えることになるんだけどね」

 

 さつきの場合は見て覚えろ、体で覚えろという感覚的な説明になってしまう。

 そのため、新人の教育はつかさが率先した。

 店内を動き回る接客として思った以上にスタミナを消費する。

 最も体力が低い内場が序盤で疲労困憊、唯は終盤でクタクタ状態。

 最後まで疲れを見せずにやり遂げたのはちなみだ。

 さつきに空手で鍛えてもらった成果が出ている。

 そして1日の研修が終わって控室のミーティングだ。

 

「す、すんません。僕、運動オンチで迷惑かけてしまいまして」

「唯も後半でへとへとになって、ちなみに助けられちゃったよ」

「わたしのことは気にしないで。それより北大路先輩とつかさ先輩の意見を聞こうよ」

「ハッキリ言って内場が貧弱だね。南戸は最初飛ばし過ぎ、端本は問題なし」

「さつき、言い方がキツイってば。唯ちゃんはペースを少し加減すれば大丈夫だよ。最初だから張り切っちゃう気持ちもよく分かるから。あたしも初日はそんな感じだったよ」

 

 つかさが唯のフォローをしてくれる。

 スタミナ切れを除けば全体的に唯の接客は悪くない。

 愛嬌があって元気いっぱいの明るいムードメーカーだ。

 研修期間を過ぎれば一人前になれる見込みはある。

 ちなみは特に問題がないので即戦力だ。

 正太郎の影響を受けているのか異様に吞み込みが早い。

 問題となってしまったのは内場。

 体力がなく運動神経も芳しくない頭脳派。

 上手くできたのはレジ接客。

 お釣りの渡し方も申し分なく接客スマイルも良かった。

 初日ゆえにさせていないが電話対応もできると思われる。

 それ以外が厳しい。

 店内を行ったり来たりを繰り返すことでバテる。

 倉庫整理の力仕事もクタクタになりやすい。

 

「僕、この仕事やっていけるやろうか?」

「うーんそうだね。内場くんは続けたいって思う?」

 

 つかさが先輩として内場に問う。

 大事なことは本人の意思だから。

 内場は偽りなく本心を打ち明ける。

 

「僕に合った仕事が他にもあるんかなって頭によぎってます。せやけど力仕事は何とかせんとアカンやろうなっと。仮に他の仕事を選んだとしても要求される気がするんです」

「内場くんが向いてる仕事か……うーん、あまり動かなくて頭を使う仕事かな? あくまであたしが勝手に思ったことだけどね」

「唯はね、内場は賢いから本屋が向いてるんじゃないかなって思う」

「でも唯、本を運んだりすると思うから、力仕事は欠かせないんじゃない?」

「あ、そっか。でも中学の時は図書委員で上手くやれたんだよね? それなら何とかなるんじゃないの?」

「うーん、そうかも――って飲食バイトしている中で言うことじゃないよね。すみません、つかさ先輩、北大路先輩」

「そ、そうだね。ごめんなさい」

 

 ちなみと唯がお詫びをする。

 それに対してつかさが笑顔で応じた。

 

「あたしは全然OK。合う合わないってホント大事だから。逆に無理して続けて辛い思いしちゃうぐらいなら、思い切って辞めちゃっていいと思うよ」

「つかさはハッキリと言うね。あたしたちは新人を教える先輩の立場なのにさ」

「たったひとつ歳が上ってだけじゃん。あたし、別にそれで偉そうにするつもりなんてないよ。弟くん風に言わせてもらうなら、同じ人間だから差別しないって感じのニュアンスだね」

「つかさのそういう所いいね。あたしが男だったらマジ惚れで告白してるよ」

「あははっ。それは女として自信もっていいのかな?」

「ファンクラブで男子から人気があるくせに、それで自信がないなんてどの口が言うのさ。逆に嫌味でしかないよ」

 

 二人が仲良く会話している中。

 内場の携帯に正太郎からの着信があって出る。

 高校生になってから映制メンバーは全員携帯持ちだ。

 

「お疲れ内場、飲食バイトでボロ負けしてないか?」

「一番に言うことがそれかい」

「だって内場は根っからの頭脳タイプで運動とかダメじゃん。体力だって唯より劣るし」

「ホンマ容赦ないな東城。で、わざわざ僕の欠点を言うためだけに電話したんちゃうやろ?」

「ああ。弟子の中間からの情報でな。中間古書店の店員がぎっくり腰でしばらく復帰できなくなって、代わりのバイトを急募することになった。それで内場に向いてるかと思ったから電話した」

「なんちゅータイミングやねん。すでに天地レストランでバイトしとるんやで」

「今の仕事でイケるなら流してくれ。でも無理そうなら、こっちへ行くのも選択肢としてありかと思ってな。本を扱うから多少はパワーがないとキツイかもしれん。中学時代の図書委員でやった経験で出来るかは正直分からん」

「南戸と端本からも、本屋のこと言われて心が揺らいどるのに」

「揺らぐなら既に答えが出てるじゃないか。中間にお前を紹介するか否かの瀬戸際だから、なるべく早めに返事を聞かせてくれ」

 

 内場がつかさを見る。

 つかさは頷く。

 今度は唯とちなみを見る。

 どちらも頷く。

 最後にさつきを見る。

 好きにしろと目が語っていた。

 

「これも何かの縁やろうな。天地レストランには申し訳ないけど、中間古書店に乗り換えさせてもらうで」

「わかった。中間に話を通しておくから、履歴書を作って中間古書店とやり取りしてくれ」

「ええで」

 

 天地レストランの初日でも得られるものはあった。

 出来る部分と出来ていない部分を知れた。

 これは実際にやってみないと分からないことだ。

 責任者の店長に内場が丁寧に願い出る。

 今日一日働いて合わないと感じたこと。

 体力的にも続けていけそうにないこと。

 申し訳ないですが辞めさせて下さいと言った。

 店長は了承。

 よくある事だから気にすることもない。

 一日分の給料は指定の口座に振り込みをされる。

 制服はクリーニングをして、直接渡すか郵送をしてもらえばいい。

 双方が合意ということで内場は飲食バイトを辞めた。

 後日、中間古書店に面接を受けて採用される。

 復帰するまでの臨時バイトだから短期契約。

 部活をしている内場としては都合が良かった。

 

 ーーこっちはマイペースに働けてええ感じや。

 

 天地レストランと比べて激しく動き回らなくて済む。

 店内の規模が小さいので、移動もそんなに辛くない。

 本を大量に運ぶ時に台車が使えるのもありがたい。

 買取の査定に多少苦労するも、指導の店員に教わって覚えていく。

 店内および店先の掃除を済ませて、電話対応も上手くやってのける。

 

 ーー漫画家がアカンかったら、こういう所で働くのもありやな。

 

 結論から言えば内場に本屋のバイトは合っている。

 もっと大規模な書店なら勝手が違って来るので何とも言えない。

 でも個人経営の小さい店で対応ができている。

 そんな内場に興味を持ったのが正太郎の弟子である中間。

 実際にそれで交流はあったが、それはまた別の話である。 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 腕時計が使えない本気状態のハンデはウエイトベスト。

 服の中に隠せる重りの付いた天地財閥の特注品。

 どれだけ精神が暴走しようとも、物理的な重りで肉体がストッパーとなってくれる。

 重さ調整での検証に苦労はしたが、その結果として持久走は無事に凌いだ。

 この恩義は秘書の忠義でお返しをするつもりだ。

 天地家の応接室にあるソファに座って対面をする天地と正太郎。

 そこで秘書に関しての話をしていた。

 

「やはり、あの部室の案内をした女性の秘書はプロだったか。只者ではないと感じたけど」

「ああ、その秘書から君のことは聞いているよ。実に礼儀作法が上手かったとね」

「執事モードで対抗してみたけど、プロの秘書には敵わなかったよ。あの後、少しは技術を盗めたらいいなとは思ったけどさ」

「その秘書が研修の指導者を名乗り出てくれてね。君ならその秘書からノウハウを学び取っていくだろうと思う」

「それで忠義モードを作っていくからな。主となる天さんのことは色々教えてもらうよ。主を知らないまま仕えるなんてあり得ないから」

「もちろんだ。期待しているよ東城」

 

 支給されたスーツを着用して中学のブレザー制服が懐かしくなった。

 伊達メガネを装着しての執事モード改め忠義モードの形成を開始。

 天地に付き添う秘書を実際に見て学び、聞いて学び、やってみた。

 

 ――天さんのクセを見ている? 行動のパターンも状況次第で変わるのか。

 

 主の先回りをするような察知能力に目を見張る。

 当然ながら主のスケジュールは全て把握済みだろう。

 電話の応対もゆっくりの時もあれば早口になる時もある。

 早口は相手先が急いでいる場合に用いていた。

 

 ――なるほど。主を汲み取って仕事の処理が正確だ。

 

 家業の手伝いをする天地は大人の社会人と何ら変わらない。

 さつきのおかげでドジ体質が改善されて、任される手伝いの範囲が広がった。

 学生気分でいると痛い目を見る事は明らかだ。

 学校の中だけでは知られない別の天地を見ることができる。

 

 ――天さんも色々な顔があるんだ。忠義モードの必要性を目の当たりにしたよ。

 

 執事のいい所を活かしながら秘書の立ち居振る舞いを馴染ませていく。

 お手本を模倣して、言葉遣いも相手に合わせた形で応用が広がる。

 まだ研修中にも関わらず取引先の現場に同行もあった。

 

 ――取引先の相手も貫禄がスゴイな。こんな打ち合わせの現場まで天さんがやるのか?

 

 仕事の話が終わると余った時間での雑談タイム。

 何気にここが重要だと感じ取った。

 ふと取引相手から正太郎へ話を振ってきた。

 この場の感想を求められたので、真っ先に目についた靴のことを伝える。

 双方の靴はデザインが違うという興味は勿論のこと、足で稼ぐという習いがあるため、靴を大切にされている皆様を見習っていきたい。

 そのための手入れや管理の方法を指導者の秘書に教わって覚えようと思ったことを付け加える。

 今の自分は土台作りをしており、足元の基礎固めをして頑張るという意思表示を兼ねた。

 その素直さが新米の若き頃を思い出させて取引相手は懐かしむ。

 名前を問われたのでフルネームで丁寧に答える。

 顔と名前を覚えてもらえたようで、天地の秘書として頑張るようエールを送られた。

 

「フフッ、今回は実に楽しい時間だったよ」

「そうですね」

 

 現場を離れた天地と指導者の秘書が嬉しそうだ。

 秘書にとって大切な要素となるのが素直であること。

 思ったことを正直に伝えて、その上でひたむきに頑張ろうとする。

 そんな人柄は取引相手から見ても好まれるものだ。

 なお、靴の指導はちゃんとしてもらったので次に活かすことにした。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 入部届は既に出してある。

 正式に動画部の下として映画制作部が設立された。

 映像研究部のライバルとして今後対決となるだろう。

 和館の入口に映画制作部の札が付けられた。

 隣の洋館の入口には映像研究部の札がついている。

 休日に和館の書斎にあるパソコンでスキル磨きをする美鈴。

 本人の想像以上にデスクワークにのめり込んだ。

 美鈴の潜在能力がパソコンを通じて目覚めたのかもしれない。

 これには兄のヒロシも遠くから見守ってニッコリだ。

 なぜヒロシがいるかは言うだけ野暮である。

 

 ――へえー、パンフレットの作成ってこうすればいいのね。

 

 インターネットはとても便利だ。

 情報の取捨選択は求められるが分からない所を検索しやすい。

 美鈴のような秀才が学べばアッという間に使いこなす。

 キーボードやマウスの扱いにも自然と慣れていく。

 

 ――印刷もこうすればいいのね。なによ簡単じゃない。

 

 難しそうなイメージだったが操作自体は難しくない。

 ちょうどいい感じに微調整をするのが多少面倒だっただけだ。

 

 ――あまり長くやると目に悪いわね。肩もこってくるし。

 

 デスクワークにありがちなことだ。

 適度な休憩は必要である。

 そこにコーヒーの差し入れをしてくれたのが内場だ。

 

「今日はバイト休み?」

「定休日や。端本と唯はレストランの接客、東城は天地先輩の秘書で働いとるけどな」

「ちなみと唯は別にいいけど、アイツに秘書なんて本当にやっていけると思う?」

「僕がメールで調子を尋ねたところ、靴の基礎固め話で取引相手に覚えられたって返信があったで」

「……要約しすぎよ。ニュアンスは伝わるけど」

 

 少しばかり長考をしたが正太郎のやったことを理解する。

 イメージも大体は合っているだろう。

 

「なんや気に入られとるようやから問題ないやろ。この調子なら大人嫌い敬語嫌いもどうにかするんとちゃう?」

「だといいけどね……ふぅー、美味しいわねコレ」

「支給されとるコーヒー豆がメッチャええ感じやったで。コレ絶対高いやろ」

「そんな人を友達にして操る兄貴が恐ろしいわ」

「それはそうと、パンフレット出来たんか?」

「表紙とか最低限の所は済ませたわよ。経過のページに貴方が撮影した写真を取り込むつもりだから頑張って」

「テーマ教えてくれたらそれに合わせて撮るで」

「それならメモを渡しておくからお願い」

「了解や」

 

 飲み終わると内場が気遣って肩を揉む。

 それが気持ちよくてうっとり顔の美鈴。

 こうして二人だけの部活タイムをまったりと過ごしていった。

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