兄が異世界に迷い込んでから数年後、魔王になって帰ってきました 作:まるげりーたぴざ
八年前、春木場遠矢は異世界に迷い込んだ。
異世界に迷い込んだあの日。春木場遠矢は塾から帰る途中だった。
春木場遠矢の将来の夢は公務員だった。できれば、色んな国家資格を取りたいと考えていた。
あまり派手な夢ではないため、真剣な表情で話をすると大抵苦笑された。
だが国家資格や公務員というのは手堅い収入が得られるものだ。
公務員は、国が続いて行く限り必要な人材だ。不必要になる事がない職に、遠矢は就きたかった。
高い望みを持つのではなく、それ相応の幸福を遠矢は求めていた。
手が抜けるところならば手を抜いて、楽ができるところで楽をしたい人間だった。
呑気でまったりとした、ちょっと腑抜けながらも真面目な生き方。
そんな生き方を望んだのは、遠矢自身が自分の力量を正確に測れていたからだ。
春木場遠矢は自身に、世界を変える力がないと分かっていた。
学業は努力しているため、優秀な評価をもらっている。
だが遠矢は自分の頭脳が天才には遠く及ばないと気が付いていた。
何故なら、遠矢の幼馴染には天才肌の少女がいた。
彼女の身近にいれば、自分が秀才の域を出ないと嫌でも気が付く。
運動神経も、悪くはない。だが世界的な新記録を出せるほどの能力もない。良くても、上の中。
決して上の上にはなれないポテンシャル。
春木場遠矢は短い人生経験ながらも、自分に世界を変えるような力がないと分かっていた。
そもそも日本は平和だ。命が脅かされることがない。
だから遠矢は、自分がそれほど頑張らなくてもいいんだなと悟っていた。
自分の力量をきちんと把握していた春木場遠矢は、だからこそ小説の主人公に憧れがあった。
世界を変える力がある主人公。逆境でも立ち向かって、多くを救うことができる主人公。
春木場遠矢はライトノベルと呼ばれる小説や、ネット小説が好きだった。もちろん文学作品も好きだが、キャラが立っている小説が好きだった。
大きなことを為さなくても良い。自分にできることをすれば良い。
そうやって少しずつ積み重ねて、多くを救えば良い。
多くの小説の主人公が細やかな救いを目指して、次第に大きなことを成し遂げていた。
だから春木場遠矢は自分にできることをしようと決めた。
穏やかな日本で、自分の手の届く人々を堅実に守って、生きていけば良いと思っていた。
季節は冬。後数か月もすれば、遠矢も高校三年生。
堅実さを求めた遠矢は、大学受験のために両親の頼み込んで塾に通い始めた。
幸い、春木場家はそれなりに裕福だった。
父が会社員で母がパートに出ているが、別に母が働かなくても父の給料だけで生きていけた。
両親の働きに感謝しながら、遠矢は塾に通っていた。
いつもと同じ帰り道。それでも少し遅い時間。
自習室で分からなかった問題を講師に聞いていたため、少し遅くなってしまったのだ。
何も変わらない日常だったのに、春木場遠矢は気が付けば異世界に迷い込んでいた。
どうして迷い込んだのかは分からない。
だがふと周りを見渡せば、異世界クラルスに迷い込んでいた。
遠矢が迷い込んだ世界は、数日前に布団の中で読んだ小説の中の世界だった。
投稿サイトでは中堅的な立ち位置で、時折ふとした瞬間にランキングに上がる小説。
『腐り落ちた神聖国を最速で更生させる、俺による俺のための華麗なる復讐劇』。
作中の主人公は神聖国に迷い込み、とある神官に保護された少年だった。
その神官は、強い力を持った少年を意のままに操ろうとした。
少年は薬物で神官に無理を強いられた。だがある時能力が完璧に開花。そして少年は服従する姿勢を見せながらも、自らを貶める神官と神聖国に復讐するために秘密裏に動き出す。
普通ならば、復讐というのは美しくないものだ。
だが少年の復讐は真っ当であり、復讐相手を不当に傷つけるものではなかった。
復讐という後ろ暗いものであるはずなのに、少年の復讐は輝いていた。
神聖国と呼ばれるリルミナール皇国。神教と女神リルミナ。
遠矢はすぐに、自分がネット小説の中に迷い込んだと知った。
そして自分が魔法の力を使えると知った。
クラルスでは、五大属性の魔法にそれぞれ適性が存在する。
そして時々、固有魔法を持つ逸材も存在する。
遠矢は五大属性の全てに最上級の適性があった。そして固有魔法を一つ持っていた。
加速。シンプルだが、応用性の高い固有魔法だ。
自分自身を加速させれば大抵の人間はついてこられない。
戦闘中に思考だけを加速させれば、すぐに対抗策を練ることができる。
その他にも、様々な使い道がある。
チート級の能力だ。だがそれでも、できないことが多々あった。
例えばひとの命が喪われれば、二度と戻ることはない。
クラルスの世界は、魂という概念が存在した。
魂により、ひとは魔力を生成することができる。魂を解放する洗礼を受ければ、人々は全員魔法を使えるようになる。
その魂は、命が喪われれば世界に還るシステムだ。
世界に還った魂は一つの塊に溶け合って、新たな魂を産む苗床となる。
そのシステムに反逆するという行為。
喪われたひとを蘇らせるという行為は、世界の理に背く行為だ。
決して侵してはならない禁忌。誰であろうと、禁忌を侵すことは擁護できない。
だから、正当な技術で喪われた人間の命を蘇生することはできない。
それは作中でも言及されていることだ。
そして遠矢は、命が喪われるところに直面してしまった。
クラルスでは、というか神聖国では、人身売買が行われている。
そして獣人やエルフといった、亜人種たちは神聖国の人々に虐げられている。
奴隷として売られている少女を、遠矢は助けたことがある。
その少女を売っていた奴隷商は、商品である亜人の子供たちの幾人かを殺していた。
全ての敬虔なる信徒の
だが亜人は
神教の神官たちが、人々を導いてくれる女神を物も言わぬ操り人形にしているからだ。
神を貶めた神教に、救いはない。
神聖国を更生させるだけでは、多くの人々を救うことができない。
だから遠矢は虐げられている人々を救うことにした。
異世界に迷い込んだ遠矢には、人々を救う力があった。
小説内で語られている情報の裏付けをして、遠矢は救済を始めた。
そして、遠矢は誓った。
この世界の全ての悪意を自分に向けさせる。
自分が人々の盾になり、人々が望んだ時に死を迎える。
人々を救うためには、自分の命も担保に懸けなければならない。
これまで遠矢が触れてきた物語の主人公のように。
力を得た春木場遠矢は、人々のために命を懸けることを決めた。
そして──魔王となり果てた。
────────…………。
詩歌は兄を連れて、三階の自室に向かっていた。
「原作者に辿り着くには、もちろん情報収集からだね」
軽い足取りで階段を上がると、詩歌はすぐ近くの扉を開いた。そこが詩歌の自室だ。
詩歌の部屋はシンプルだが、女の子らしい部屋だ。
広さは八畳と、少し広め。
シングルベッドに、丸いローテーブル。大きな勉強机に、ゲーミングチェア。それと本棚が置いてある。クローゼットももちろん完備だ。
白を主体として、水色を基調としたテイストに整えられている。詩歌の部屋。
春木場詩歌は現在、二〇歳。市内の国立大学に通う学生だ。
今時の学生である詩歌はノートパソコンを持っている。そのパソコンが置かれている机へと、詩歌は近づく。
「……お前の部屋、久しぶりに入った」
遠矢は記憶と違い、すっかり女の子らしくなった詩歌の部屋を見回す。
春木場遠矢は数週間前、突如として姿を現した。
早朝。路地で眠っていた遠矢を、警察が見つけたのだ。
病院に運び込まれて目覚めた遠矢は、冷静だった。
異世界で一国を築き上げた男だ。そのため病院の人間に異世界クラルスのことを話したら、一発で精神病棟行きだと冷静に判断した。だから、遠矢はここ数年の記憶がないと医者に伝えた。
だがもちろん記憶はある。そして密かに、魔法が使えることを確認していた。
「……本当に、実家は久しぶりだな」
遠矢はしみじみと呟く。
春木場遠矢は警察の取り調べやもろもろを終えて、三日前に数年ぶりに実家へ帰宅した。
そして先程、詩歌に異世界へと迷い込んだことを初めて話したのだ。
「ちょっと座ってて、兄さん」
遠矢は詩歌に声を掛けられて、近くにあるクッションに座る。
「おわ。何だこれ。長時間座ったてたらダメになる気がする」
「おー知らない兄さんも分かるんだね。それはひとをダメにするクッションだよ」
遠矢はパソコンを立ち上げる詩歌の後ろ姿を見つつ、自分が座っている四角いビーズクッションに触れる。そして詩歌の部屋を見回すと、難しそうな大学の参考書がいくつかあった。
「大学は楽しいか?」
「それなりにね。理系は大変らしいけど、文学部は余裕があるから」
「そういうものなのか?」
大学生になったことがない遠矢は、現役の大学生である詩歌を見て首を傾げる。
「理系は実験の単位が大変らしいよ。課題もたくさんなんだって。理系じゃないから詳しくは分からないけど」
詩歌はパソコンが立ち上がって、ログイン画面でパスコードを入れる。
遠矢は慣れた様子の詩歌を見て、ぼんやりと考える。
「父さんは大学の出席を母さんに代行してもらって遊び惚けてたらしいけど、お前は父さんと違って真面目だからな」
「そうだね。あと今の大学は出席日数がシステムで管理されてるから。出席したら、学生証を教室の壁にピッてするの。普通にサボると単位貰えないし目を付けられるよ」
「へーハイテクだな」
遠矢は電子化が進んでいる大学の制度を知って、感心する。
「大学の夏季休暇はいまも変わらずに長いのか? いま、夏休みだろ?」
遠矢の言った通り、いまは八月。世間の学生たちは夏休みまっ盛りだ。
「夏季休暇の長さは変わってないよ。少し変わったところと言えば、就職活動が前倒しになったことかな。大学三年生から頑張らなくちゃいけないんだ」
「三年生から? 早くないか? ……お前ももう就職活動してるのか?」
「ううん。私は二年生だから。でも来年から頑張らなくちゃね」
「……そうか。色々進化してるんだなあ」
遠矢は自身の妹である詩歌を、眩しいものを見るかのように見つめる。
八年前で、遠矢の常識は止まっている。そんな遠矢からしてみれば、いまの日常はSF小説──近未来の科学技術が発達した世界のようなものだ。
病院内でWi-Fi使えるし。聞いたところによると飛行機乗る時も電源を切らなくて良いらしいし。というか携帯電話もガラパゴスケータイではなく、スマートフォンが主流になってる。
「時代に追いつける気がしないなあ」
「おじいちゃんみたいなこと言わないで」
詩歌は笑うと、小説投稿サイトに辿り着く。
そして、兄が迷い込んだという異世界の小説を表示する。
『腐り落ちた神聖国を最速で更生させる、俺による俺のための華麗なる復讐劇』
作者──奈々氏の権化。
詩歌はマウスを操作して、作者のプロフィール画面へと飛ぶ。
そして数分後。詩歌は部屋の本棚の前で興味深そうにしている兄に声を掛けた。
「奈々氏の権化さん、この人SNSやってるみたい」
「え? 本当か?」
遠矢はパソコンの前に座っている詩歌へと近付く。
詩歌のパソコンには、とあるSNSサイトのユーザープロフィールが映し出されていた。
奈々氏の権化──ではなく、月山竹という名前だ。
「このひとが奈々氏の権化なのか?」
「奈々氏の権化さん、別名義で違うサイトに小説投稿してたんだ。そこにSNSのアカウントが乗ってた」
「……別名義で違うサイトに小説投稿していたなんて、どうやって調べたんだ?」
「奈々氏の権化さんが投稿してる小説をG〇〇gle検索して、マルチ投稿されてるか調べた。ここ数年で小説投稿サイト増えたからね、他サイトで別名義活動してるひとって割といるよ」
「そうなのか。……現代っ子だなあ」
遠矢はインターネットから数年離れていた。対して、妹は今を時めく大学生だ。
現代っ子らしく、インターネットに適応している妹。
遠矢が異世界に迷い込む前、詩歌は小学六年生だった。
少し年の離れている兄妹であったため、遠矢は詩歌がかわいくて仕方なかった。
遠矢はSNSを真剣に見ている妹の頭を撫でる。
「な、なに兄さん」
詩歌は兄に突然頭を撫でられて、びくっと震える。
遠矢は戸惑っている妹を見つめて、表情を柔らかくする。
「……大きくなったなあ」
「な、なんかこっぱずかしい……っ!」
詩歌はなんだか恥ずかして、頬を赤くする。
詩歌は久しぶりに兄に頭を撫でられて小さく震えると、思わず声を大きくする。
「私の頭は撫でないで良いからっ! そんなことより! このひとSNS廃人みたいで、毎日SNSで呟いて情報垂れ流してるみたい。ちょっとフォローして、数日間観察してみる」
「観察? コンタクト取ったらダメなのか?」
「突然連絡したら警戒されるに決まってるじゃない。『あなたの小説の主人公のように、異世界に迷い込んだ者です』なんて連絡したら、妄想が強い変質者だと思われるわよ。ブロックされて終わりよ、終わり」
「……文面の内容は嘘じゃなくて真実だけど、確かにそんなDMが突然送られてきたらブロック一択だな」
つくづく自分の身に起きたことは奇妙なことこの上ないと、遠矢は思う。
まさか異世界に迷い込むなんて、遠矢は思いもしなかった。
確かに何かの拍子で異世界に迷い込んで大冒険が始まる、というのは心が躍る。
だが現実にそんなことは起きないと、誰もが知っている。
それでも人々は夢を見られずにはいられない。何故なら突然異世界に飛ばされるなんて、ロマンが溢れすぎている。非情な現実だからこそ、誰もがそこから抜け出したいと考える。
だが現実から逃れることはできないのだ。
異世界は、もう一つの世界である。その世界に生きる者たちにとっては、現実である。
世界を渡り歩いても、現実は現実だ。そして現実とは非情なのだ。
むしろ魔法がある分、異世界クラルスの方が残酷性が高い。
物理的な攻撃性以外に、魔法的な攻撃ができるようになるのだ。
それは暴力の数が増えたということで、人を害する手段が増えたということに他ならない。
だからこそ春木場遠矢は絶望し、決意した。
元の世界に戻れる保障なんてない。だからこそ、この世界で生きる人たちの助けになろうと。
そのためなら自分の命を懸けてもいいと。それで多くの人々が救われるのであれば、それで良いと遠矢は考えた。
いまなら分かる。固い決意をしなければならないほど、自分は追い詰められていたのだ。
「兄さん、大丈夫?」
パソコンの前に座っていた詩歌は、立っている遠矢を見上げる。
小さかった妹は、大きくなった。立派に大学生として、現代を生きている。
自分が行方不明だった八年間、妹は寂しい思いをしたはずだ。父と母もすごく心配していて、息子の身に何が起こったか今も不安に思っている。
「大丈夫だ、詩歌」
遠矢は詩歌の頭を再び撫でる。
「俺はここにいるから」
「うん? ……うん、それなら良いけど」
詩歌はちょっと眉をひそめながら、兄を見上げる。
遠矢は戸惑っている詩歌の前で、唐突に重たい真実に行き着いた。
「あー……でもなあ、そうか」
「どうしたの?」
「おれ、バイトしようかなあ……」
詩歌は突然呟いた兄の前で、目を瞬かせる。
「お金が欲しいの? お母さんとお父さんに言ったらなんでも揃えてくれるよ。ほら、言っちゃなんだけど子煩悩だから。それに兄さんは二人から、病院でゆっくり社会復帰をできたらすればいいって言われたでしょ?」
「そりゃそうかもしれないけどさ。両親のスネかじって生きるのはヤバいだろ」
遠矢は現在二五歳。つまり普通なら、すでに働いている年齢だ。
だが八年前異世界に迷い込んだ遠矢は、高校すらも卒業していない。
大変な思いをしていても、世間的にはニート。住所はあるが、無職である。
「あっちの世界では国を統治してた魔王だったが、現実世界で俺のレッテルはニートだ。……調べてみたところ、この身体は丈夫そうだからな。肉体的な労働はあっちの世界でもやってたし、できると思う」
詩歌は堅実な兄を見上げて、肩をすくめる。
小さい頃から、遠矢は詩歌の誇りだった。
危ないことをしないで、家族のためにも。自分のためにも頑張る。堅実で、石橋を叩いて渡ってこつこつと力を積み重ねていく実直さを持っていた。
そんな兄が社会復帰を望めば、すぐとはいかなくても評価されるようになるだろう。
だが異世界で自分の命を懸けて戦ったのだ。兄には、少し休んでもらいたい。
「社会復帰も必要だけど、兄さんはまず社会常識を学ばないとね」
「む。……そりゃそうだ。スマホの使い方も分からないもんなあ。パソコンもバージョンが上がったのか? 見たことのないデザインだ」
遠矢は情報化社会に追いつけるか不安で、思案顔をする。
詩歌はそんな遠矢を見て、くすくすと笑う。
現代社会で生きていけるか不安な兄のためにできることをしよう。
そのために何か良い教材を探すべきかと思いながら、詩歌は小説の作者のSNSアカウントをフォローした。