ウマ娘化したトレーナーのお話の、第2話目です。
◆◇◆◇◆◇◆
所は、千葉県船橋市某所。
船橋法典駅が近く、中山レース場へのアクセスがしやすいこの場所に、私の実家がある。
直ぐに持ち出せる荷物だけを持って学園を出た私は、最初こそ自身の現状に帰省する足取りも重く感じられたが、今はそれとは別の意味で憂鬱な気持ちになっている。
というのも……
「えぇー!? アンタ本当に麗なの!?」
「ほほ〜……これはまた、若い頃の母さんに似てるなぁ」
「ちょっと麗!! こっち来なさい!! 尻尾の毛並みがゴワゴワで大変なことになってるじゃない!!」
「ふむ、高校を卒業してからも鍛えてたのか。しっかりとした良いトモをしてるな。母さんに似てるだけある」
……とまあ、こんな感じで、父さんと母さんの2人に揉みくちゃにされているのだ。
ってか父さん。いくら家族相手とはいえ、女子を相手に何の許可もなく脚に触るとか流石にギルティだろ。元男とはいえ、あまり触るようなら蹴るぞ。
あと母さん、それは今ここでやらなくても良いことじゃない? ご近所さんの視線が刺さって辛いから割と本気でやめてくれ。
「……あ、あのさ。2人は、たった一人の息子がこんな事になってるのに、ショックを受けたりしないの?」
想定していた反応との余りの乖離具合に辟易しながらも、私は周りを気にしつつ小声で尋ねる。
「そりゃあ受けてるわよ。でもほら、アンタ昔から『ウマ娘になりたい!』って散々騒いでたじゃない」
「そうだな。高校の頃なんかはバカみたいに走り狂ってたし」
ねーっ。みたいな感じで顔を見合わせてキョトンとする両親。
しかも2人揃って私の過去の黒歴史(白目)を、あろう事か玄関先で、しかも割と結構な声量で解き放ちやがった。
とりあえず父さんへの蹴りは確定だ……喰らえオラッ!!
「あはは!! まぁとりあえず上がんなさいな。アンタのことだから、ろくに休んでないんでしょ?」
私の蹴りを食らって悶絶している父さんをみてひとしきり笑った母さんは、そう言いながら玄関を開いて中に招いてくる。
それに応じて、私はおよそ4ヶ月振りに実家の中へ入った。
……のたうち回っていた父さんが私と母さんに何かを言ってたが、とりあえず無視しといた。ざまみろ。
──────
───
─
夕飯が出来たら呼ぶとのことで、その間やる事も特にない私は、ひとまず持って帰ってきた荷物を置くために昔使っていた自分の部屋へと入った。
家を出る時に『帰省した時に使いたいから、出来ればそのままにしといて欲しい』と頼んだこともあってか、成人して出ていった時のままの光景がそこには広がっていた。
定期的に掃除をしてくれていたのか埃臭くはなく、日中の陽気でほのかに暖められた室内はおひさまの香りで満ちていて、ずっと使い続けてきた古びたベッドにはURAのロゴの入った羽毛布団が掛けられており、壁には歴代の有マ記念の覇者達のポスターが幾つか掛けられている。
数がそれなりにあるため、私基準でチョイスしたもの以外は丸めて筒状にした状態で棚に保管してるが……それらを含め、どれが一番好きかと問われたならば、やはりこれしか無いだろう。
「ガーネット」
彼女───ガーネットが、有マ記念のゴール板を1着で駆け抜けたシーンの切り抜きがポスター化されたものだ。
忘れもしない。小学2年生の冬の中山での、衝撃的な出会い。
幼い頃の私は、よく父さんに中山レース場へ連れて行ってもらい、そこで開かれるレースを見せてもらっていた。
その中でもとりわけ、彼女の走ったレースは凄まじかった。
初めてのGIレースの観戦のせいもあったのだろうが……あの、会場を覆うほどの熱気は、冬の寒気をも容易く吹き飛ばしてしまうほどで。
「凄かったなぁ……今でもハッキリ思い出せるや」
先頭を駆けてきた彼女の鮮烈さたるや、後続を5バ身も突き放しての圧勝だったのだ。
誰もが認める紛うことなき強者。
赤き一等星───それこそが彼女なのだ。
昔の思い出に浸りつつ、右隅の留め具を外して捲り、裏面を見る。
そこには、ガーネットの直筆サインが書かれている。
これは、いわゆる事故の末に偶然賜った『特別』だった。
「あんな、訳の分からないガキンチョのお願いをよく聞いてくれたもんだ。ほんと、彼女は凄いし、優しいし、カッコイイ」
レース後のウイニングライブを観終わった後のこと。
興奮冷めやらぬままによく前も見ずにレース場の前を走り回ってはしゃいでいた私は、丁度帰る所であったガーネットにぶつかって転んでしまったのだ。
直ぐに立ち上がろうとして擦りむいた膝の痛みに思わず蹲ると、彼女は心底心配した様子で手を差し伸べてくれた。
泣きそうになりつつも、見上げた先の相手があのガーネットであると気が付いた私は……それはもう、なんと言うか、すごかった。
憧れの相手との唐突な急接近に胸の中がグチャグチャになったまま、差し伸べられた手すら取らずに立ち上がると、背筋をピンッと伸ばした後に直角90度のお辞儀と共に大声で謝罪したのだ。
『ごめんなさいガーネットさん!!』
『大丈夫だよ。それより君は……あ、膝擦りむいちゃってるね。ちょっと待ってて?』
喋れただけでも大興奮なのに、近場のベンチに座らされて膝に絆創膏を貼ってもらうなんて言う体験をした私は、ものすごく感激していた。
普通であれば声すら掛けられることもないような相手だ。
それが、私が起こした事故が発端とはいえ、ひと目見てファンとなった相手と会話をする権利を意図せずして得てしまったのだ。
今だからわかる。他のファンからしたら、めっちゃ妬ましがられる奴だと。
「そのあと、しどろもどろになりながらファンになったことを伝えたら、たまたま手に持ってたポスターにサインしてくれたんだよなぁ。しかも、独り占めしたいからって言う意味不明なリクエストまで聞いてくれて、裏面にさぁ……」
愛おしさと、過去の自分のおバカさに何だか顔が熱くなる。
サインをそっとひと撫でした後に留め具を戻すと、丁度居間の方から母さんの声が響いてきた。
「麗!! 夕飯出来たわよ!!」
「今行くよ!!」
"自分だけの秘密"を元の状態に戻した私は、まだ少しだけ浸っていたいという気持ちを深呼吸と共に呑み込み、呼び声の元へと向かった。
──────
───
─
実家での久々の食事。特に何かがあるわけでも無く、黙々と食事をすすめる。
最近ずっとコンビニ弁当とかで適当に済ませていたせいもあってか、手作りごはんの温かさとかいう奴を感じて心に沁みた。
折角母さんに叩き込まれたお陰で自炊できるのだし、戻ったら面倒がらずに作るかぁ……なんて考えていると、不意に箸を置いて母さんが口を開いた。
「アンタ、大丈夫かい?」
唐突な発言に要領を得ず、首を傾げる。
その様子に少し呆れた表情を浮かべたまま、母さんは言葉を紡いだ。
「さっきはああ言ったけど、心配してるのは事実よ。こんなのは聞いたことないし、元に戻れるかも分かんないんでしょ?」
母さんの言葉にハッとする。
呑気に構えていた訳では無いが、なんと言うか、自分で言うのもおかしいが『今の状態が妙にしっくり来ていて忘れていた』のだ。
『天春麗』としてのモノの考え方と、現在の『ウマ娘化した自分自身』とをいつの間にか一緒くたにしていたのか、最初から自分はこうであったかのように振舞ってしまっていた。
今こうして話題に挙げられるまで差程気に止めていなかったのがいい証拠だ。
その事実に戦慄した私は、居住まいを正しながら咳払いして母さんの方を向く。
「何が原因かってのは何となく察しがついてるんだけど、どうしてこんな事が起きたのか分からなくて、説明をしようにも不思議なことが起きた……としか言えない」
元に戻れるかも今の所分からない。
しかし、不思議と今は落ち着いていられてる。
その事を話すと、母さんは言った。
「さっきのアンタの様子を見るに、今の状態が馴染んでるって事でしょ。それに今は家に居るから、気を張る必要が無いのもあるんじゃないの?」
言われみて思う。それは、あるかも知れない。
なんて相槌を打ちつつ、味噌汁を啜っていると、今度は父さんから声が掛かった。
「そういやお前は、昔からウマ娘に関連することに触れている間は大人しかったな」
今はウマ娘そのものになっちゃってるけどね。
そんな私の返答に、父さんは苦笑しつつも言葉を続ける。
「これは茶化しでも何でもない、純粋にお前に聞きたい事なんだが……お前、憧れていた『ウマ娘』になれて、今どう思ってるんだ?」
父さんの質問の意図。
それは、私の幼い頃の憧れと、絶対に叶うはずのない願いの事を指していた。
───ウマ娘になりたい。
そう思うようになったのは中学生になった頃の事だ。
体質改善を目指して頑張っていた当時の私は、身体の調子が良くなっていくにつれて、とても強い『衝動』にかられるようになった。
───走りたい。とにかく、走りたい。
最初こそ疲れてクタクタになるまで走り続ければこの気持ちも収まるだろうと考えていた。
だがその考えとは裏腹に、走れば走るほど、その衝動は膨れ上がっていった。
走れど走れど満たされない『衝動』を抑えきれなくなってしまっていた私は、やり場の無い気持ちをとにかく吐き出したくて……気が付けば、両親に対して『ウマ娘になりたい』だなどと、半ば懇願するような形で想いをぶちまけた。
まぁ、当時の父さんも母さんもまともには取り合ってくれなかった訳だが。
そのせいもあったんだろう。
自分が抱えているものは自分で消化する他ないと悟った私は、中学・高校共に陸上部に所属し、唯ひたすらに、がむしゃらに走り続けた。
飢えにも、乾きにも似た……脚を突き動かす程の強い衝動を満たす為に。
「父さんもな、さっきはああ言ったが、高校の頃のお前のあだ名の事もあって心配してたんだよ」
「『走り狂い』だっけ」
「そうだ……そのあだ名を聞いた時にな、お前から言われた『ウマ娘になりたい』っていう言葉を思い出してな。ずっと走り続けてるお前の姿が、必死にもがいてるように見えて、辛くてな……」
だから、今のお前はどうなのか気になったんだ。
そういう父さんの顔は、夕焼けの逆光でよくは分からなかったが、悲哀に歪んでいるように見えた。
そんな姿を見て、私は目を瞑って考える。
「……正直な話、幸せだとか嬉しいかとか、そういうのはまだ分からない。実感が湧いてないせいもあるのかな。未だに、この状況が夢なんじゃないかと思っててさ」
この身に起こった事があまりに不可思議過ぎて、もはや私の理解を大きく超えている。
性別が変わっただけでなく、ウマ娘になったという事が私を殊更混乱させるのだ。
有り得ない事だと分かっているからこそ、その有り得ないことが自分の身に起きている事実を受け止めきれない。
正直どう受け止めればいいかは分からないが……それでも、これからどうすればいいかについては、ある程度答えが出た。
「そうだな……呑気な事を言っていいなら、とりあえず今は一つだけやりたいなって思ってる事があるよ」
食べ終わって空になった茶碗を静かに置く。
そして、心配してくれてる2人には申し訳ないなと思いながらも、純粋な気持ちから湧いた胸の内の思いを口にした。
「今の姿で、走ってみたい」
感想、お待ちしています。m(_ _)m