今回のお話は、トレセン学園へ帰ってきたトレーナーが送る新しい日々の始まりのお話です。
◆◇◆◇◆◇◆
次の日の朝。
アラームで目が覚めた私は、寝起きでうまく開かない目に目薬を差し、枕元に据え付けたテーブルの上に置いたペットボトルの水を飲んでから伸びをした。
霞んだ視界がスッと鮮明になった辺りで、ゆっくりと部屋の中を見渡す。
「……うーん、やっぱり私の部屋のようには思えないな」
差し込んでくる朝の日差しが、未だに薄暗さを残しながらも、見渡す先に広がる薄桃色に統一された室内を淡く照らし出す。
URAと家具メーカーとのコラボ製品や、アクリルスタンドやぱかプチ等のウマ娘系プライズ品類が主となったレイアウトは、脳内で描いた女子部屋を再現するためにチョイスしたものだ。
家具や小物類なんかも女子部屋を意識して、主観ながらも可愛さを重視して選んだ訳なのだが……今更ながら、これは少々やりすぎたかも知れない。
その証拠と言ってはアレだが、自分の部屋の筈なのに他所の女の子の部屋に上がり込んだ時の様な落ち着かなさを覚えるのだ。
「んー……まぁいいや。ジョギングに行こう」
その内この部屋の雰囲気にも慣れるだろう。そう思考を打ち切った私は、ここ3ヶ月ですっかり着慣れたトレーニングウェアに身を包み、作り置きのスポーツドリンクを冷蔵庫から取り出して外に出た。
トレーナーとしての活動、およびそれに伴う引き継ぎ作業は、今日の午後からとなっている。
そのため、午前中は割と時間があるのだ。
「あれぇ? アマガスちゃんだぁ〜」
「ん?」
トレーナー寮の階段をトントンと子気味良い音を立てながら降る途中、下の方から声が聞こえた。
見るとトレーニングウェア姿のガーネットがそこにあった。
どうやら、準備体操をしている最中の様子だった。
「おはようございます。朝は早いんですね」
「おはよぉ〜。そういうアマガスちゃんも早いんだねぇ」
「ええ。日課のジョギングをする為に、いつものこの位の時間には起きてるんですよ」
「はぇ〜……私とおんなじだぁ。現役を引退しても、なんだかこの日課だけは抜けなくて、ずっと続けてるんだぁ〜」
全体的にふにゃふにゃしているガーネットの隣で準備体操をこなし、身体を解しながら小さめの声で雑談を交わす。
すると、寮の方からガラガラと何かが開く音が聞こえてきた。
2人してそちらの方を見ると、目の下に濃い隈をこさえた女性の姿が窓枠の向こう側に見えた。
「あー……ウマ娘? 生徒がなんでこんな所に……悪いけどもう少しだけ声を抑えてくれ。ようやく寝入った所だったんよ」
頭をガシガシと掻きむしる女性は、そう言うと再びガラガラと窓を閉めた。
目を見合せた私とガーネットは、ササッと準備体操を済ませてから出来るだけ静かにその場を後にした。
「声は抑えていたつもりでしたが、迷惑をかけてしまいましたね」
「うん……次からは気を付けよっか。にしても、私たち生徒と間違われちゃってたね」
反省もそこそこに、何やら少しだけ嬉しそうにしているガーネット。
これは、アレだろうか。若く見られて嬉しい!とかいうやつだろうか?
「生徒ですか……案外、制服を着て在校生達に混ざり込んだら分からなかったりするんでしょうか」
「うーん、どうだろうね。あっでも、知り合いにはバレちゃうかも?」
「それはそうでしょうね」
他愛のない会話をしながら学園の外に向けて歩いている最中、私達とは別の方向から話し声と共にふたつの人影が近づいているのが見えた。
誰だろう? と思い目を凝らす……までもなく、片方は誰なのかすぐに分かった。
「あれぇ? トレーナー!?」
私を見つけて直ぐに駆け寄ってきたウマ娘───ハルウララは、一直線に私に突っ込んできて……また胸に埋まった。
「んむむぅ〜!」
「元気なのはいいけど、少しは落ち着きを持とうねウララ。それと君は、確か……キングヘイローだったかな?」
「ええ、私がキングヘイローよ。あなたとは初対面よね? どこの寮の方かしら?」
緑色が印象的なウマ娘、キングヘイローは私のことを見て生徒と勘違いしたのか、訝しむような表情でしげしげと見つめてくる。
「ぷはっ! 違うよキングちゃん! このひと……ヒト? が、わたしのトレーナーなんだよっ!」
「ウララさんのトレーナー? ……ああ、成程ね」
こちらが何かを言う前に、これまた何かを察したのか納得した様な顔をする。
「話には聞いていたけれど……にわかには信じ難いわね。本当に元ヒトなのかしら?」
「えっちょ、ちょっと待って!? なんでその事を知ってるの!?」
「なんでって……ウララさんから聞いたからよ」
私のあわて様にやれやれと言った感じで、腕を組みながらそう告げたキングヘイローは、何の話?と首を傾げているガーネットをチラ見すると、私の元まで寄ってから小声で喋り始めた。
「安心なさいな。この事を知っているのは、この子の周りだと今の所私だけの筈よ。それと、表沙汰になったら面倒な事になるかも知れないと思ったから、ウララさんにはしっかりと言い含めてあるわ」
それを聞いて少し安心した。
正式な声明はまだ出していないものの、既に学園の他の関係者達には『天春麗は身体を壊して入院&引退し、代わりにその妹がウララのトレーナーを引き継いだ』という体で話が通っているので、このタイミングで変な噂が立つのは避けたかった。
……まぁ、真実を知っているのはウララとキングヘイロー以外だと、私自ら打ち明けたライスシャワーが居るし、私が今の姿になった際に対処に当たってくれたシンボリルドルフとエアグルーヴ、秋川理事長にたづなさんが居るのだが、とりあえずそれは置いておく。
「ありがとう。手間をかけてしまったね」
「大したことでは無いわ。ただ、そこら辺はちゃんと示し合わせておきなさいな。表に出てしまっては不味い情報はきちんと秘匿する。当たり前の事でしょう?」
「うっ……ごめんなさい」
普通にキングヘイローに怒られてしまった。
事実、ウララには私がウマ娘になった事を他の人に話さないようにと伝えていなかった。
もしかしたら……私が把握しているよりももっと多方面にこの事がバレてしまっている可能性があるかもしれない。
内部ならまだどうとでもなるかもしれないが、外部に知られると面倒なことになりかねないから、ちゃんとしなければならない。
「アマガスちゃ〜ん? 私を除け者にしてコソコソ話とは感心しないね〜?」
「ちょ、ちょっと大事な話があったんですっ。除け者にはしていませんので、許してくださいっ」
「あっはは♪ そんなに慌てなくてもだいじょぶだいじょぶ! 怒ってはいないから! ただ、なんのお話をしてたんだろーって気になっただけ! それで……そこの桃色の髪の子が、アマガスちゃんが担当してるウマ娘?」
ステイしていたガーネットが会話に参戦してきた辺りで、ウララとキングヘイローを交えての自己紹介タイムに入った。
10年以上も前の有マ覇者と聞いて2人とも驚いた顔をしていたが、ウララの人当たりの良さとキングヘイローの品行方正さが手助けして、言葉を交わす度に打ち解けていった。
「そういえば、2人はこんな朝早くに何を?」
「んっ! あされんをしようと思ってたの!」
「私は、そんなウララさんの付き添いよ。ウララさん、4月辺りから自主的に早朝トレーニングをするようになったのだけど、朝は弱いからこうして何時も一緒にジョギングをしてるのよ」
「えへへ……ウララ、頑張って起きようとしてるんだけど、どうしても起きられないの。だから、キングちゃんに起こしてもらってるんだ〜」
少しだけしょんぼりしながらも、やる気に燃えた様子で近況を語るウララ。
朝練という事は、私が学園を出る前にやり取りした際に伝えた、私が不在の時でも出来るメニューを自主的にこなしていると言うことなのだろう。
朝は起こしてもらっているという話自体は以前から聞いてはいたが……最近は、朝練の為にこの時間に起こして貰っているようだ。
トレーナーたる私が居なくても自主性を持つようになったのはとても大きな一歩だとは思ったが、朝起きられないのは相変わらずの様子で、なんだかホッコリした。
「最近は、自力で起きられるようにって頑張っているのよ? 今日だって、セットしたアラームでちゃんと起きられたんだから」
「えっへへ〜♪ 今日のウララはひと味違うよっ! ううん、に、さん……う〜んっ!たくさん味違うっ!!」
他人の力を借りず、自力で早朝に起床出来たことが余程嬉しかったのか、朝からテンションが高めなウララ。
ドヤっとした表情にブイサインが可愛らしい。
「あっそうだ! アマガスちゃんアマガスちゃん、2人もジョギングに誘おうよ! ね、いいよね? 2人とも?」
「いいよぉ! わたしたちも、ちょうどジョギングする所だったんだ〜♪」
「御一緒させて貰えるなら、そうしようかしら?」
ガーネットがウララとキングヘイローを誘い、2人がそれを快諾する。
私もそれに対して二つ返事で了承すると、4人で朝の河川敷へと繰り出していった。
─────
───
─
朝のジョギングを済ませた後、ウララからの提案によりトレーニングの成果を見る事になった私とガーネットは、キングヘイローと別れた後に3人で最寄りの河川敷に足を運んだ。
もうすっかり通い慣れたこの場所で、ウララがこの3ヶ月の間に積み重ねてきたモノを確認すべくバインダーを片手に所定の位置に着き、それに少し遅れる形でガーネットも私の横に立った。
これまでの練習メニューを確認しながら色々と思考を回していると、心底不思議そうな様子で私を見つめるガーネットの視線に気がついた。
「どうかしましたか?」
「ううん、どうもしないよ。ただ、こうして見てもやっぱり不思議だなぁって思って」
イマイチ要領を得ない物言いをする彼女に視線を移すと、不意に目が合い、少しドキッとしてしまう。
「アマガスちゃんの境遇は、せんぱ……たづなさんと秋川理事長から聞いたよ。お兄さんから色々教えて貰っていたから、トレーナーの業務に付いて色々知ってたんだね」
川面に浮かぶ朝日を眩しそうに眺めながら、ガーネットは言葉を続ける。
「その話を聞いてさ、私がアマガスちゃんに感じてた不思議な感覚がなんなのか、ようやく解ったんだ。トレーナーだったお兄さんから教えて貰ってたんだもん、そりゃあトレーナーにもなってないハズなのに場数踏んだような雰囲気を感じるわけだよ」
妬ましそうな表情でコチラをジト目で見つめてくるガーネット。
でもまぁ……と、さらにガーネットは言葉を続ける。
「同時に、そりゃそうかって思ったりもした。だって、スタート位置からしてそもそも違ってたんだもん。そりゃあ余裕そうな雰囲気も出るわけだよ」
嫉妬混じりのガーネットの言葉に少し思う所があった私は、反論……というか、弁明?というか……兎に角何か言うべきだろうと思って口を開いた。
「確かに、兄の助力は大きいです。兄はトレーナーとしては新人でしたが、ウマ娘に対する情熱と信念は並々ならぬものを持ったヒトでしたから。それに、兄だけではなく……私のお父さんも昔はトレーナーをしていたそうでして、その頃の話を色々と聞く機会があったんですよ」
天春麗の経歴を、一部だけサクラアマガスが経てきた事として話をする。
私はトレーナーになるにあたり、教本から得られる基礎的な知識はもとより、父さんから現役時代の話を聞いたり、地方の学園に直接足を運んではトレーニング風景を見学をさせてもらったりと、その時点において自分に出来ることは全てこなしてきた。
役に立つかは兎も角として、高校の頃に所属していた陸上部での体験なんかも引き合いに出したりと……使えそうな物には何にでも手を出し、吸収を試みてきたのだ。
そうやってがむしゃらに努力を重ねていく過程で色んな方々との繋がりができ、その繋がり経由でさらに知識を得てを繰り返してきた。
そうして今の私が居るのだ。
これらの経緯をそのまま語ることは出来ないため多少でっち上げた感はあるものの……最後は、私自身の本音の部分を知ってもらう為に、ある思いを口にした。
「知識は自分自身だけじゃなく、担当するウマ娘をも守る盾となり、そして武器となる……父はいつもそう言っていました。そんな父の言葉に共感したからこそ、私もトレーナーを目指してみたいと思ったんです。今は受け売りでしかなくとも……いつかは、私自身の信念へと昇華してみせる」
半ば自分自身に言い聞かせるようにそう締めくくると、ガーネットは深く理解した様子で、腕を組みながらしきりに頷いた。
「アマガスちゃんって、凛としてて冷静沈着な様に見えるけど、割と熱血なトコがあるよね」
「よく言われます」
苦笑いを浮かべながら言葉を返す。
私自身、割とアツくなりやすい気性をしてる自覚はあるのだ。
ひとたび気持ちが昂ると言葉も汚く崩れてしまいがちなため、あまり上手くいってないが普段からそれを抑える努力もしていたりする。
親しくなった相手に対して何時までも敬語なのは、己を律する為でもあるのだ。
そんなこんなで、雑談を交わしつつメニューの確認を済ませた私は、離れた位置にスタンバイしているウララに少し声を張って合図を出した。
それを受けたウララは、元気いっぱいに手を振ったあとにスターティングポーズを取る。
ポーズを取った瞬間、ウララの纏っていた朗らかな雰囲気が一変して張り詰めたようなモノへと変わった。
その変化にはガーネットも気付いたようで、ストップウォッチ片手にかたずを飲んで見守る姿勢を取る。
本気のウララ───どんな練習やレースの時であっても無邪気な様子で取り組む彼女が、時折見せる鋭さ。
それを久しぶりに目の当たりにし、ウララの思いを察した。
「……位置について!! よーいっ!!」
パァン───スターターピストルの代わりに私が両掌を打ち鳴らし、ガーネットはストップウォッチを起動する。
音と共にスタートダッシュを決めたウララが私たちとの距離を縮めてゆく。
しばらくしてコチラまで到達したウララが私達の横を走り抜けたのに合わせ、ガーネットがストップウォッチのボタンを押した。
直ぐに計測したタイムを見せてもらうと……
「……自己ベスト、ジャスト1秒更新!!」
「うぇぇっ!? やったぁ!! やったぁ〜っ!! 自己ベスト更新だぁ〜!!」
……今までのベスト記録を1秒も更新していたのだった。
ウマ娘とはこうも短い期間中に大きく成長出来るものなのかと、内心驚きを隠せないまま、嬉しそうに駆け寄ってきたウララの頭を撫でてあげた。
擽ったそうにしながらも、これまでの努力が実を結び、より早くなれたことに対して強い喜びを身体いっぱいに表すウララを見て、コチラも嬉しくなってきてしまう。
いけない。感極まって涙が出てきてしまった。くそぅ。
「ほんとに……立派になっちゃって……」
「ととっトレーナー!? なんで泣いてるのっ!?」
「アマガスちゃんって、涙脆くもあるんだね……なんか、普段の様子とは違っててギャップがやばいというか、凄い新鮮だなぁ」
ちょっとだけ困惑した様子のガーネットが私を見ているのに気が付き、恥ずかしい所を思いっきり見られたことで別の意味で涙が出そうになったのは、私の中の秘密にしておこう。
その後もウララの成長を一通り見てはまた涙を流しそうになりつつ、良い時間になった頃合いに一度解散した私達は、各々やるべき事の準備をするために学園へと戻ったのであった。
感想・評価等、お待ちしています。m(_ _)m