私は人知を越えるモノに『異世界戻りの既婚TSおっさんがその妻から緑色の紙を叩きつけられるRTA』をやらされているに違いない 作:劇団おこめ座
タイラントボアは、軽トラックくらいの大きさのイノシシ型の魔物だ。
ちなみに、軽トラックとは通称軽トラと呼ばれている軽貨物自動車で、長さ約3.4メートル、幅約1.5メートル、高さ約1.8メートルの大きさであり、重さは約1300キログラムある。そんな軽トラが時速60キロメートルでぶち当たって来ただけで、人なら即死間違いないよね。
そんなサイズの猪がタイラントボアだ。ちなみに牙は人間の腕一本分の太さに長さを有する。短い杖を作るなら十分なサイズだ。
タイラントボアなら何度か討伐をすることがあった。エルフの里の討伐隊という名の狩猟を目的にした隊があり、大型の魔物が出ると私は呼び出された。
もちろん肉壁として駆り出され、回避タンクとしての立ち位置を無理やり押し付けられた。
後ろで弓や魔法を使うエルフの攻撃が私にも殺到する。まさに弾幕シューティングゲームだ。
当たれば即死、当たらなくてもへとへとになってタイラントボアの死体の搬送、解体を手伝わされた。でも、解体を手伝っておこぼれでももらえるタイラントボアの肉はまあまあ旨かった。タイラントボアの肉をもってハクラクの家に押しかけて料理してもらうことがよくあったな。
そんなタイラントボアを2人で倒すとか、エメラダたんもなかなか危険なことを平然と言うもんだ、と思っていたが、衛兵のエメラダの魔法攻撃には衛兵長ハクラクからも定評があり、何故討伐隊に入らなかった、と残念そうに呟くぐらい狩猟向きだった。
彼女の魔法はいわゆる、『ザ・魔法』の形をしていなかった。魔力の小さな塊を相手にぶち飛ばす無属性魔法を得意としていて、貫通力が高い。つまり、狩りの対象が綺麗に残りやすいのだ。森の中だから、森が焼けたり、森を凍らせて周囲の植物を死なせたりすることがない。
この世界の人々は、魔法と言えば火が出たり水が湧き出たりするものが普通のものという固定概念を強く持っている。ほら、日本人にコーラと言えば何コーラ、と尋ねたら9割近くが『コカ・コーラ』と答えるやつだ。ペプシだって趣があるんだけれど、日本では昔ほどではないけれど、シェアがあまり伸びてない。
エメラダのような無属性魔法はこの世界ではあまりメジャーではない。魔法は属性があるのが普通だから、という固定概念だから。
エメラダの得意な無属性魔法の、その貫通力の高い魔法の名前を、エメラダが『魔弾』と呼んでいた。
この世界にも銃や大砲とかそういう物があるのかもしれない。
でも、魔法でそれ以上の効果のあるものがあるから、きっと開発も下火なんだろうな、と思う。
私たちはタイラントボアを探してエルフの森の奥まで入っていった。青臭い森林の香りが鼻につく。
濃い草木の匂いを吸い込むとむせるような気分になる。森の中はどんなところもそんな匂いになっていくから、だんだん気にならなくなるけれど、ふと気にした時に気分が悪くなる。
ツルの絡んだ木々の根に足を取られると、エメラダが
「エルフが木の根につまずく。スズキは人間だからわからないか」
と笑い出す。多分、猿も木から落ちる、みたいなことわざだろう。
そんなやりとりをしながら森の奥へ進んでいくと、ミチミチと遠くで大木が倒れる音が聞こえて身構えた。
タイラントボアは茶色がベースの毛皮に白の斑点がある。でも、その動物は真っ黒な毛皮だった。
タイラントボアよりも二回り大きい黒色の猪がこちらを見据えていた。
おいおい、あれはなんだよエメラダさん、聞いてないっすよ、みたいな軽い感じでエメラダの方を振り向いた。
エメラダは息を止めて、その猪を見つめていた。少し間をようやく声を出した。
「ダークネスボア……。あれは二人では手に負えない……」
私の鼻から鼻血が出てくるのを感じた。なんでそういうの、おっさんは引くのですかね。
「ゆっくりと後ずさりながら下がるよ。決して刺激を加えるな」
私は緊張のあまりよく聞き取れなかったので、エメラダに問いかけた。
「え? 何?」
「だからゆっくり後ずされ。小声で話せ」
「だから! よく聞こえないって!」
「うるさい! 声を荒立てるな!」
ダークネスボアの雄たけびが響き、地面が揺れた。
私たちは走り続けた。ダークネスボアの地響きがどんどん近づいてくる。
「ふた…てに! わか……れよう!」
息切れを始めた私はそう言い、続けて
「どっちに……やつが来ても……恨みっこなしだ!」
「ああ、わかった!」
エメラダの声を聞き、目を合わせタイミングを図る。正面の木を通り過ぎるところで、私は右方向へ、エメラダは左方向に分かれて走り続けた。そして、私は足を止めて、地面に転がった石を拾い、ダークネスボアへ投げつけた。当たらなくてもいい、こちらにひきつければそれでいい。
エメラダは私のために貴重な休暇日に狩猟に出てくれた。こんなにもエルフの里で嫌われている私のためにだ。きっと、里の中で、他のエルフから何か嫌なことを言われ気分を害しているはずだ。
そんな人をここで死なせたり大けがさせるわけにはいかない。
仮にそんなことが起きれば、私は今後エルフの里で生きていけないだろう。
元の世界に帰りたい、という気持ちは今もずっとある。でも、誰かを犠牲にして生きるのは私にはできない。そんな生き方をして生き残って妻に会えた時、私は胸を張っていられるとは思えない。
ダークネスボアに石が当たる。ダークネスボアは石が当たったことを無視してエメラダの方へ走り続けた。
すまん、エメラダ。
―――
エルフの里 衛兵 エメラダ
ダークネスボアはタイラントボアの変異種かそれとも元々別の猪なのか、それはわからないが、とにかくダークネスボアはタイラントボアよりも大きく、そして強く、素早さもタイラントボアに劣らない。年に数度しか現れない特殊な猪だ。
タイラントボアの狩りでダークネスボアと遭遇というのは、正に事故だ。
それも、たった二人で討伐なんてありえない。あれは10人以上の集団である程度の準備ができた上で狩るものだ。
私ならば、狙いをつける時間さえあれば一人でも狩れる。しかし、スズキを連れては無理だ。
私はダークネスボアから距離を取りスズキを逃がして、無属性魔法の魔弾を撃ち込もうとした。
あいつ、大声を出したからすべて無駄になった。
仕方ない、あんな強力な魔物が出れば、冷静さを失うことも十分あり得る。私も若い時はそうだった。
※ エルフが言う、私の若いころは=大体本人自身がエルフの中ではずっと若い方
討伐経験のある私がしっかりせねば。
私とスズキは二手に分かれる時、弱い魔弾を数発ダークネスボアに当てた。すると、ダークネスボアは足を止めていたスズキの方には目もくれず私の方へ走って来た。
息が上がっているの知っているんだぞ、スズキ。
私一人になればダークネスボアから離れ、気配を消して木の上に上り、魔力を貯めた魔弾で心臓か背骨を撃ち抜けばいい。
木々がダークネスボアの死角になるように走り続ける。ダークネスボアは私を完全に見失った、と思ったがいつまでダークネスボアはついてくる。
タイラントボアとは違うのだよ、タイラントボアとは、と言っているようだった。
グルグルと森を走り続け、私は徐々に息が切れてきた。空気を吸うのがとても苦しい。
至る所に倒れた木が増え続ける。
倒れた木の陰に隠れても、ダークネスボアはやはり一直線に向かってくる。
しかし、いずれにせよ森の異変はお母様に精霊が教えてくれる。だから、私がダークネスボアを倒さなくても、大丈夫。里のみんなが助けてくれる。
でも、いつまで体が持つものか。そう思いながら走っていると、足、そして体と強い衝撃が当たって、私は地面に転がっていた。
足がもつれて、木の根につまづいた、ただそれだけだ。
スズキが木の根につまづいて笑っていたのに、エルフが木の根につまづくだなんて、なんとも情けない失敗だ。
木の根につまづくなんていつぶりだったかな。
もう、ダークネスボアは直ぐそばまで来ていた。足を止めて私を見据えている。鼻息はとても荒い。
終わったな、と思った。しかし、終わりはいつまでもこない。ダークネスボアは急に雄たけびを上げながら周囲を牙でしゃくりあげていた。
私は目を凝らすと、スズキが息を荒くしながら、両手を組んで魔力をくみ上げていた。
きっと、幻術だ。あいつはそれしか能がないと言われている。
対象一体にのみ有効とした幻術とは、なかなか技巧派だな。前みたいに気味の悪い女子供が敵味方関係なく見える幻術は、味方も混乱してしまう。腕を上げたな。
ちなみにどんな幻術だろうと魔力を目に凝らした。
ねちょねちょした粘液がついたタコのような、腐ったドラゴンのような、クモのような、そんな謎の生き物に囲まれ、さらには地面からは粘液を出した食虫植物のツルがダークネスボアの周りに舞っていた。
見てはいけないものだった。とても心が不安になってくる。目から魔力を切った。
私は混乱しているダークネスボアに向かって魔弾の魔力をくみ上げる。魔弾は大きく、そして硬くなり、回転を始める。ダークネスボアの首から背中につながる骨を私は狙い、凶悪な勢いをつけた魔弾をはじき出す。
ダークネスボアの首から体につながる骨と神経がぶちぎられ、大きい音を立てて倒れこんだ。
スズキが鼻血まみれになって私のところへ駆けつけた。
「大丈夫か!」
スズキ、お前が大丈夫か、と私は悪態をつけてやりたかった。しかし、思った以上に魔力を消費したのと、ダークネスボアとの地獄の追いかけっこで私の体力は限界を迎えていたこともあって、スズキにそんなことは言えなかった。
「ああ、大丈夫だ。スズキの鼻は大丈夫か」
多分、幻覚とはいえ、あの謎の生態を生み出すのに、スズキの心と頭の中に強いダメージを与えたに違いない。
「つっぺ……すれば……大丈夫……だ」
スズキは私の隣に座り、荒くしていた息を整え始めた。
「すまんな、エメラダの方に猪が行ってしまって」
「気にしなくていい。運が悪かっただけだよ」
「あの猪に石を投げたんだ。それがいけなかったのかもしれない」
スズキ、お前、自分がターゲットにされることを何故するんだ。そう言おうとして、私は言葉を飲み込んだ。私がスズキを守ろうとしたように、スズキも私を守ろうとしたのだ。だから、あいつは足を止めていたんだ。
あの、ダークネスボアを相手にしようとして……なかなか見どころがある男だな。
それに、私を追いかけて、鼻血まみれになるまで幻術に集中して……。
「……ははは、そんなことしてもダークネスボアなんて蚊に刺された程度にしか感じない。私が狙われたのはたまたま運が悪かっただけだよ」
いや、私は運が良い。
スズキという人間の本性を垣間見れたのだから。
―――
電車の中で、VR仕様で娘に私の記憶を幻覚として見せたら、娘がやたらと興奮していた。ちょっと他のお客さんの目があるからやめてほしい。
「これ、お父さん格好いいじゃん! エルフの女の子、衛兵さんだけど、一緒に死に物狂いで魔物を倒すとか、こういうのだよ! 異世界ファンタジー!」
「やめてくれ、大声出すの」
「でも、こういうのがいいんだよ。お父さんのエルフの里の残念話は全部カットで見せてよ。あんな鬱展開していたら、なろうとかならすぐにブックマークから外されるよ」
「お父さんの人生をいったい何だと思っているんだよ」
「あー、でも、こんなのお母さんに見せたら絶対嫉妬されるよ。気を付けた方がいい」
「そうだなぁ、よくよく思い出したらエメラダも美少女だったからな。お母さんの敵だ」
「お母さんに黙っていてあげるから、お小遣いちょーだい」
「お父さんは悪いことしているわけではないので、お金はあげませんし、きょーはくに応じません」
電車が自宅周辺にある駅に近づくと揺れが大きくなる。大きく揺れて、ふわりと揺れた自分の髪の毛が視界に入る。ピンク色の髪だ。
今の美少女同士の口論のようなやり取りは、周りから見れば微笑ましいものなんだろうな。
ほら、視線を周りに向けると、温かい目で見られているようだ。
大声だったらきっと生暖かい目で見られているかもしれない。
ちなみに男子中学生に視線を向けたら顔を赤くしてそらされた。そういう反応は娘の方でしてくれ。男からそんな顔されても中身おっさんは反応困るよ。
私は娘に視線を向けた。
「えー。それで、エメラダさんとはいい仲になれたの?」
女子グループで恋バナでもするように楽しそうに話している娘よ、既婚のお父さんが異性といい仲なんてめちゃくちゃ家庭崩壊案件だぞ。
それにエメラダとはそういった関係にはならなかった。むしろ、嫌われたぐらいだ。
「もう酷かったよ。その後はこっ酷く嫌われて、何か手伝ってもらったりする度に、別にスズキのためじゃないんだから、と言われるようになってね」
私がそう言うと由紀の目は、すぅーっと音を立てるように、座った。なんか、軽蔑というより、なんでこの人気付いてあげないの、なんで空気読めないんだろう、みたいな感じだ。
「え、それエメラダさん、お父さんに恋して、うまく気持ちを伝えられなくなってツンデレ化してるじゃん。とりあえず、絶対にお母さんに言わない方がいいよ」
電車の一際大きな揺れで、娘の由紀の声が聞き取れなかった。多分、命の恩人のエメラダに嫌われたことを言わない方がいいということだろう。
そうだな、気をつけなければ。
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