薬指の約束 作:もずく
アルフレイム大陸南西、ブルライト地方。その北部から南部にかけて伸びる険しい山脈の盆地にある、小規模な都市国家『ダイケホーン』。
かつてのこの世界に降り掛かった『大破局』という災害によって引き起こされた大規模なマナタイト浮遊によって出来た窪みは、蛮族や魔物の住処となっており、必然それらに囲まれたダイケホーンはブルライト地方でも危険区域として扱われている。
その上一年を通して雪に覆われる事もあり不作が常な農作、稀に迷い込む数少ない哺乳類程度しか獲物のいない狩猟、安定した輸送路の構築が困難な地形……と非常に厳しい土地だが、故にこの国は『白銀の槍』と呼ばれる程に研ぎ澄まされていた。
ここはそんな国の中心部に建つ、とある屋敷の一部屋。小さな窓、高い本棚、カビの生えた古本。何もかもが古びたその部屋の一角で、小さな影がひょこりと頭を上げた。
「よ、い……しょっ!」
小鳥のようなソプラノボイスで気合いを入れたその影は、幼い体躯に目一杯の力を込め、本棚から一冊の本を引き抜いた。
シンプルな装丁がされた大判のそれには、魔法文明語であろうタイトルが小さく書かれているのみ。他の要素からその本の内容を予想する事は難しいだろう。
「えへへ……」
本を引き抜いた拍子によろけ、ようやく窓から射し込む光に当たった『少女』は、埃を被った明るい茶髪を揺らしながら、今し方手にした本を愛おしげに細めた金眼で見詰める。
「これなら喜んでくれるかしら?」
しかしその愛が向けられているのは古びた本などでは無く、それを受け取る事になる人物なのだろう。
恋に恋する乙女────…とすら呼べない幼少の彼女の名は『ミア・カメリア・フォルトゥーナ』。この先の人生で二度と得られないであろう唯一無二の友人に、良家秘蔵の魔導書を贈ろうと画策している、ちょっぴり危うげな女の子だ。
「……ううん、絶対喜んでくれるわ。あの子は私の事が────…ついでに魔法の事も大好きだもの!」
更に言うなら、少々愛が重い子でもあった。
「これ、ミア」
そんな少女に掛けられた重く太い声は、怒りよりも呆れの強いもの。ミアがギギギと魔動機のような音を立てながら首を回せば、そこには少女の父親が、書庫を出入りする扉を塞ぐように立っていた。
魔晶石採掘場の地権と採掘権を持ち、ダイケホーンでも有数の権力者である彼は、しかし古くから伝わる『槍を持て、冬を越せ。』の教えを自らが忠実に守る勇士でもあったため、国民からの支持も厚い。
が、彼もまた子の親。強き父と言うには甘過ぎる彼に、ミアは渾身のお強請りを何度も敢行し、そして成功させている。
「これだけ!この本だけだから!ね?」
「……まったく。良いのかミア、あの子にアレを渡すんだろう?」
「もちろん渡すけど!でもアレは九歳の誕生日で渡すんだもの。まだあと一年もあるし、それまで何もあげちゃいけないなんて酷いわ」
きゅう、と拗ねるように本を抱き締めるミアは、唇を尖らせながら父を糾弾する。
「そうじゃない。あの子だって、お前に貰ってばかりなのを気に病んでいるんだ」
その物言いに対してミアが想いを寄せる相手を話題に上げる事で反省を促すのは、確かに教えや導きとしては正しいのだろう。
ただ、子供とは得てして合理よりも不合理を選びたがる時もある。道理より我儘を通したがる。それを理解していない訳では無いにしろ、彼は父として、止められなくとも教えなくてはならない。
止めるどころか跳ね除けられる事になるとは、父もまた予想だにしていなかったのだろうが。
「いーえ!『アリア』なら喜んでくれます!あの子は私を愛しているもの!!」
袂を分かつのではという勢いでそう叫んだミアは、父の横をすり抜けて本を持ち出してしまった。
親の心子知らず。父とて娘の心を溶かした幼子に、そう小さくは無い恩を抱えているというのに。
「まだ八つとはいえ……少し甘やかし過ぎたのだろうか……」
溜息混じりに呟く背中は、妙に哀愁が漂っていた。
『ダイケホーン』
年中降雪の寒冷地帯。景色は良い。
『フォルトゥーナ家』
オリジナル、或いは捏造。ダイケホーンでもかなりの権力を持つ家だが、元の国が貧しいため、他の地域と比べれば雀の涙。