薬指の約束   作:もずく

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魔法です。


操霊魔法

 九歳になってから九ヶ月。つまりマナリングを手にしてから九ヶ月が経った頃、アリアはようやく一つの壁にぶつかった。

 

 上手く行き過ぎていた真語魔法に────…なら、良いのだが。この天才はあろう事か全く別の理論に手を出していたのだ。

 

「操霊魔法……やっぱり難しいなぁ」

 

 真語魔法と双璧を成すと言われる魔法体系、それが操霊魔法だ。どちらも『呪文の詠唱』と『中空に描く魔法文字』によってマナを操り、それを具象化させる事で様々な効果を発動させるという、全く以て似通った原理をしている。

 

 で、あるというのに、その理論はがらりと変わる。詠唱は勿論の事だが、そもそも効果と用途、方向性の違いというものが違うのだ。直接的な攻撃力、戦闘に於ける火力に長けた真語魔法と、術者以外の増強や敵への妨害、戦闘に於ける補助に長けた操霊魔法。

 

 ダイケホーンの外では、どちらも広く多様な魔法体系の中心に据えられる二つであり、学問としてだけでなく冒険者としても有用な力と扱われている。

 

 しかし、同じなのは原理と、そして発動体くらいのもの。詠唱式も別、魔法文字も別、扱う魔力の流れも別。今まで真語魔法ばかりに傾倒していたアリアにとっては、否、誰であろうと別分野の魔法に手を出す事は難題であった。

 

「あら、アリア。あなたが行き詰まるなんて珍しい事もあるのね」

「ミアちゃぁん……」

「はいはい、ほら、おいでなさいな」

 

 そんなアリアに抱き着かれ、それを抱き留めるミアには、てんでわからない本の内容。

 

 ただ真語魔法の魔導書と同じような言語が使われているといった程度の事しかわからないが、ミアはアリアの才をよく知っている。

 

「あなたの事だからすぐに出来るようになるわ。私が知っているアリアはそうなのだから、きっとそうよ」

「……ぅん」

 

 すっかり甘えたがりになったアリアに、しかしミアの瞳は深く淀む。その手で心に刻んでやった傷を曝す姿を、瞳と心に焼き付けるように。

 

「さ、一緒に読みましょう?人に読み聞かせている内に気付く事もあるかもしれないわ」

 

 ここ数年で広がった体格差を使い、ミアはアリアを後ろから抱き竦める。ミアは歳頃らしく順調に背丈を伸ばしたが、アリアはそうではなかったのだ。

 

 それを理由にアリアを揶揄う事をミアはしないが、やはりこうして行動に出る程度には、その差に愛らしさを覚えていた。

 

「ん……うん、確かに!」

 

 そうして始まったアリアによる魔導書の読み聞かせは、ミアにとっては徹頭徹尾が未知の世界であり、だが理解出来ない無形のものではなかった。そこには確かな理論があり、先人が残した応用がある。

 

 で、あるならば。それをアリアが理解出来ない事などないと、ミアは全幅の信頼を置いていた。

 

 重い期待とも言えるその心に、応えようとした訳ではないのだろう。ミアはその信頼を口には出さず、アリアは読心など出来ないのだから。

 

「────…あっ」

 

 故に、この小さな成功体験は、ただアリアが自身の実力を発揮したに過ぎない。

 

「何かわかった?」

「……うん、これなら今までの魔法と同じように使えるかもしれない」

 

 また魔導書を食い入るように見つめ始めたアリアを抱きながら、ミアはその背に体重を預ける。拗ねるまでは行かなくとも、嫉妬が消える訳ではない。今も魔導書に向けられている夜空のように輝く好奇の瞳が、自分へと向けられる事を何度となく夢に見てしまう。

 

 否、向けられる事自体はある。熱に浮かされたようにじっとりとした、愛だけに彩られた瞳を。ただ、そこには好奇心などない。アリアが知るミアを、アリアが今までそうして来たように愛する時にこそ、その瞳は垣間見える。

 

 故にミアは嫉妬する。自分に向く事がない色を向けられている、魔法という概念そのものに。

 

「……みんながあなたみたいに素直なら、もう少し生きやすいのだろうけど」

 

 アリアのうなじに鼻を埋め、そう呟くミアの瞳は、大きな憂いを抱えるような色をしていた。アリアが魔導書に夢中になり始めてようやくそれを曝け出したのは、心配させまいとする純愛故か、はたまた隠している事すら気付いて欲しいという偏愛故か。

 

 冬の食糧難がどうだとか、大国との流通の便がどうだとか、盆地の蛮族の動きがどうだとか、ミアにとってはどれも心底どうでも良いもので。だがその一つ一つに心を痛めてしまうのが、自身の心の面倒な部分だと知るミアを、アリアもまた知っていた。

 

「ミアちゃん、疲れてる?」

「────…そんな事、ないわ」

「嘘」

 

 短くそう呟いたアリアは魔導書を傍らに置くと、ミアの膝から降りて体勢を変える。小さく強かな温もりが懐から離れた事に、恐らく本人も気付いていない程に小さな、吐息と間違えるような落胆の声がミアの口から漏れる。

 

「ほら、今度はミアちゃんの番だよ」

 

 それを聞き逃さなかったからか、それとも聞かずともそうする事こそを望んでいたのか。

 

「おいで」

「……えぇ」

 

 アリアは脚を揃えてその場に座り、その膝を二度ぽすぽすと叩くと、もう片手でミアを抱き寄せてそこに寝かせた。

 

 懐から離れた温もりを、今度は頭で感じ取る。あまり肉の付いていない、お世辞にも寝心地が良いとは言えない枕。しかしミアからすれば、普段使っている無駄に柔らかい枕よりずっと心地好いもので。

 

「毎晩この膝で眠れないかしら……」

「お膝痺れちゃうよぉ」

 

 薄茶色の髪を優しく撫で付けながらころころと笑うアリアに、ミアも段々と心の凝りを解されていく。取り除き切れていなかった睡魔が刺激されてしまう程度には、その枕は心に合ったらしい。

 

 やがてミアの瞼が落ち始めても、アリアの瞳は深海のような優しさを湛えた青をして、眠気に耐える横顔を見つめていた。

 

「おやすみ、ミアちゃん」

 

 聞こえているのかいないのか、どちらにせよミアは幸せな微睡みに身を委ねた。もうすぐそこに迫った自分の、そしてその次に待っているアリアの誕生日も、きっと幸せなのだろうと、そう信じながら。




『操霊魔法の魔導書』
アリアが今熱中している魔導書の一冊であり、今は操霊魔法の教科書として使用しているらしい。本来は操霊魔法を学ぶためのものではないようだが……?
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