薬指の約束 作:もずく
アリアにマフラーを巻いてやって、その様子から愛おしい過去を思い出していたミアの手を、今度はアリアの方から握る。
「行こ、ミアちゃん。急がないともっと寒いよ」
「ふふっ、そうね」
雪崩事件以降、ミアはアリアから離れなくなった。
ミアにとってのアリアは幼い頃から共に育った姉妹同然の親友であり、自分を欲目で見る事のない純粋な人間であり、他の友人と自分を比較も贔屓もしない平等な人間であり、何より『突き放したにも関わらず見限る事なく好いてくれた存在』だ。
そんな相手が自分の手の届かない場所で失われる所だったのだから、少しばかり束縛が強くなる事もあるのだろう。失いかけた時点で気付き、結果として失う事はなかったのだから、幸運だったと言える。
「アリア」
「うん?なぁに?」
「いいえ、呼んでみただけよ」
仲睦まじい恋人にするように、ミアはアリアの存在を確かめる。活発な性格の割にあまり体は強くない子だ。元がそうなのだから、以前のような災いに呑まれて連れて行かれてしまわないように、と。
そんな二人に向けられる視線は、何も全てが微笑ましく見守るものだけではない。ミアが持つ思考程に極端ではないにしろ、人とはやはり欲で生きるもの。
「おや、フォルトゥーナさんの。実はお父様に言伝があるんですが……」
「今は用事があって歩いているから、それが済んだ後にしてくださる?」
「あ、あぁ……これは申し訳ない」
このようにあからさまなものは、既にミア一人で跳ね除けてしまえるようになった。
ミアの他者への懐疑的な目は未だ健在だが、その分アリアへ注ぐ愛情のみが膨れ上がっている。きっとアリアのように多くの人へ向けていたであろう愛が、たった一人に一極化してしまったのだ。
しかし、それによる不都合は起きない。ミアは元よりアリアを大切に思っており、かつ他からの印象など既に気にも留めておらず、その愛を受け取っているアリアもまた、ミアの愛がどれだけ過激になろうと受け止めきってしまう。
「ミアちゃんっ」
「どうかした?」
「んふふ、呼んでみただけー!」
「……ふふ」
相思相愛というには片方の愛が重く歪んでいる気もするが、二人ともがその関係を幸せに思っているのなら、それもまた一つのスパイス程度のものだろう。
少なくとも、その歪んだ恋心をミアは自覚している。
今二人の目の前に見え始めた家にいるであろうアリアの両親を味方につけようなどと画策してしまう程度には、このミアという少女は聡明で、打算的で、何よりアリアを愛していた。
「ただいまぁ」
「おかえり────…って、あら?」
繋いだ手の温度に夢中だったミアをよそに、アリアは帰り着いた家の扉を開く。娘の帰宅を声だけで迎えたのはアリアの母だが、その声は一瞬怪訝そうな音を含んでおり、しかし二人の姿を見ると納得したように一つ頷いた。
「お邪魔します」
「早いと思ったらミアちゃんが一緒だったのね。マフラーまで借りて……ごめんなさいね?」
「いえ、好きでしている事ですので」
アリアの母は慣れた手付きでアリアが着けている二枚のマフラーとポンチョを外すと、青いマフラーをミアに返し、アリアの額に手の甲を添える。
体調を崩しやすいアリアの体温を確かめるのは、両親とミアの三人が日頃から行っている事だが、あの雪崩が起きた日からはいっそうこまめになった。
「この子ったら体が弱いのもそっちのけで遊ぶから、しっかり者のミアちゃんが見てくれて助かるわ」
「それも可愛い所ですから」
「あらあら、お熱いのねぇ」
そう言いながらアリアの母はくすくすと笑い、「くつろいで行ってね」とミアに言い残すと、再びキッチンの方へと戻って行く。彼女に手渡されたマフラーに仄暗い視線を向けるミアの手を、アリアが催促でもするかのように強く握った。
「ね、ぼくのお部屋行こうよ」
アリアが自分よりほんの少しだけ上背のあるミアの顔を覗き込んでそう言えば、ミアもほんのりと笑ってそれに応える。誰かの視線を受ける事も、他人が関わって来る事もない、一つの部屋で二人きりの時間。
ミアにとってのそれは何より優先すべき至福の時間であり、この時間を多く取るためにこそ、今日はわざわざ屋敷の書庫から古本を引っ張り出したのだ。
「はい、どーぞ!」
自室の扉を開いて招くアリアに、ミアは抱えて来た麻袋の準備をしながら苦笑する。
「私がここに入るのなんて今更でしょうに」
「えへへ……」
一歩部屋に踏み入ったミアが、はにかむアリアに愛情を擽られながら取り出したのは、古びた大判本。つい先程書庫から持ち出したばかりのそれを一目見ただけで、アリアはそれが一体何なのかを看破した。
「魔導書!?」
明らかに目を輝かせ始めたアリアに、ミアは今度は呆れたように苦笑する。
元よりアリアは読書が好きだ。友人に誘われ外へは出るが、それがなければ本の虫になっているだろうという程に。
娯楽が少ないこの国は、その上輸入品もそう多くはない。少ない内の殆どが食料品等であり、娯楽品など雀の涙程もない。
故に、たとえ解読が難解な魔導書であっても嗜好品となる────…などという事はなく、読めない本など楽しめる訳もないため、この手のものを好む者は限られている。
「これ、高かったんじゃ……」
「いいえ、家の書庫で埃を被っていたの」
「よ、読んで良いの?」
「もちろん。この本だって、棚を埋めるピースの一つでいるより、あなたに読んで貰う方がきっと幸せよ」
言いつつミアが差し出す本を、アリアは恐る恐る、だがただでさえ眩い瞳をそれ自体が発光しているのではという程に爛々と輝かせ、好奇心の赴くままに受け取った。
そして逸る気持ちのままに魔導書を開き────…はせず、アリアは片手で魔導書を抱き、もう片手でミアの手を取った。
「いっしょに読も!」
「……一緒に?私も?」
「うんっ」
きらきらと喜色を振り撒くアリアに「読めないから良い」だとか「あなたが楽しんでいる所を見たいだけだから」とは言い出せず、結局ミアもアリアの隣で魔導書に書かれたミミズがのたくったような字を眺める事になった。
勿論その時間が退屈だなどと、ミアが言うはずもない。紙面とにらめっこを始めたアリアの横顔を見る表情は、乙女の恋心と姉の慈愛の両方を、満面に広げているのだから。
『娯楽品』
飲み水さえ雪解け水を溜めて遣り繰りする程に苦労しているダイケホーンは、娯楽の品など用意している余裕がない。故に魔導書ですら貴重な暇潰しとなるのだが、魔法とは才能が物を言う分野だ。その手の才がなければ楽しめるものではなく、あったとしても何が書いてあるかわからない本を解読する気になどならないだろう。