薬指の約束 作:もずく
また少しの時が経ち、二月二週の末日。この日はミアの誕生日であり、その家格の事もあり、ミアとアリアが住む地区は祭りのような騒ぎとなる日でもある。
これが理由でミアはこの日があまり好きではない。否、『なかった』の方が適切だろう。格に擦り寄って来る下賎の者や、利権狙いに跡目を狙う凡夫の視線。それらに晒される苦痛をミアは嫌う。
ミアはフォルトゥーナ家の一人娘であり、故に家の者全てが彼女を愛している。何より両親はミアが人の欲に触れる事を良く思っていない事を知っていた。
しかし、家としては出さない訳にもいかない。一人娘だからこそ立場を誇示し、次にフォルトゥーナを背負う者として売り出さねばならないのだから。
誕生日という祝うべき日を喜べなかったミアは、だがこの日を喜び、楽しめるだけの理由を既に見付けている。それこそが────
「ミアちゃーん!」
屋敷から投げ掛けられる、目一杯に張り上げた声。暖炉に火を焚べて暖まっていただろう体で窓を開け、大声を出すものだから、外の冷たい空気を吸って咳き込んでいる小さな姿。
ミアの誕生日を祝うべく一足先にフォルトゥーナ邸で待っていたアリアが、その姿を認めて我慢出来ずに窓から出迎えてしまったのだ。
屋敷を出てから仏頂面を貫いていたミアが、この日初めて外で笑みを浮かべた。くすくすと幾つか笑いを零すと、ミアもまたアリアに向けて声を張り上げる。
「アリアー!今行くから、中で待っていてー!」
「はーいっ!」
元気良く返事をしたアリアがとんぼ返りする様子を見て、ミアが再びふわりと笑う。厳格で堂々としたミアの父も、そんな父に付き従い時には意見する強さを持つミアの母も、こうして歳相応に柔らかな表情を見せる娘には弱いもので。
「……あの子が好きか、ミア」
「えぇ、とっても」
「あなた、もうよろしいのではなくて?」
「わかっている」
懐に手を入れ「子供の内からこれを渡すのも、俺は反対なんだがな」と呟く父を肘で小突いて、母はその懐から取り出されたものをミアの前へ持っていく。
その顔は至って真剣で、ゆっくりと開かれる口から放たれるであろう言葉を、ミアは普段以上に真剣に受け止めようと姿勢を正した。
「よく覚えておきなさい、ミア。あなたがあの子を本当に愛しているのなら、きっとこれから数多くの障害が待っています。時には望まない生活を強いられる事もあるでしょう」
「……はい。この家に産まれて、あの子を愛した時点で、理解しています」
聞き分け良くそう答えるミアの肩に手を置く父も、語り掛ける母もどこか辛そうで、それが愛故のものと気付けてしまうミアは、少し目を伏して、しかし僅かな時の逡巡すらせず顔を上げる。
「それでも、ミアは負けません」
「……そうね。あなたは強い子で、あの子だってきっと……わかりました。これを渡してあげなさい。技師はあなたの注文通りにしてくれたわ」
つい先程父が取り出したそれを、母はミアに手渡した。藍色の小箱は子供の手にも持て余さない程度の大きさで、それでもしっかりとした重みがあった。
その重みがただの重量ではない事を、ミアという聡明な才女は理解している。
今日使う訳ではない。今日渡す訳ではない。だがそれが渡されたのは、今日という日だからだ。まだ歳も二桁に乗る前だが、ミアはそれを渡す相手を選べるだけの分別があるとして、その上でミアの両親はそれを自由に使うようにと渡したのだ。
「……これは、アリアに渡します。後悔はしません」
「そうか……お前はそれを、調和の剣と始祖なる神に誓えるのだな?」
「はい、必ず」
ミアの答えに重く頷き、それからミアの父は何を言う事もなかった。黙りこくって屋敷へ歩く父の背に、母も、ミアも続いて歩く。
そうして妻と娘を伴って自身の屋敷へと踏み入り、彼はまず両手いっぱいにプレゼントであろう包みを抱えたアリアへと声を掛けた。
「ミアちゃ────」
「アリア・ベガ・フュメーベラ」
「────…?はい!なんですか?」
周囲の大人から「この人にはそうしろ」と言われて覚えた敬語を使って、アリアは突然自分の名前を呼んだミアの父にそう返答する。
周りはと言えば、娘の友人の名前を家名まで含めて呼ぶとは何かあるのかと戦々恐々としていたが、当人らはそう重くは捉えていないようで。
「娘は……ミアの事は、好きか」
「大好きです!」
「……そうか、そうか。それでは、これからも末永く仲良くしてやって欲しい」
「はい!」
「もうっ!お父様っ!?」
二人にとっては嬉しい言葉であるはずのそれに対して声を荒らげる事にきょとんとするアリアと、そんなアリアを庇うように父との間に割って入るミア。
そんな様子を見守る二人の両親達は、どこまでも優しげな瞳で二人を祝福する。地位も名誉も関係なく、きっとこの場にいる者は、アリアとミアをただ愛だけが込もった瞳で見る事が出来るのだろう。
それを理解しているミアは、だからこそこの日、この場だけでは心の底から笑う事が出来た。
『ミア父』
魔晶石の採掘権で家を興した実業家。元はマナタイト採掘場の地権と採掘権も有していたのだが、彼はそれを更に大規模な採掘場として発展させ、生活に困窮する者を労働者として雇う事で救い上げた経歴を持つ。
『ミア母』
元は良家ですらない、市井の家から産まれた女性。ミアの父もたった一代で家を興した訳ではなく、故に結ばれた際には家柄がどうのと様々な苦難を強いられたらしい。
『藍色の小箱』
手触りの良い小さな箱で、上下に開くようになっている。子供の手でも持て余さない程に小さなそれには、子供の夢では収まらないものが収められている。それでも彼女を見守る親は『子供の約束事』と見ていたのだろうか。