薬指の約束 作:もずく
雪の積もった林の中心。ただ枯れ木ばかりが立ち並ぶそこに、一つの小さな人影がぽつりと立っている。
「すぅ……ふぅ」
一つ、人影は深呼吸をする。右手には分厚い本を開いた状態で抱え、左手は緩く力を込め、前へ。ざわりと人影の外套が揺れて、左手に備えた銀が鈍く光る。
「
鈴を転がしたような可憐な声が、荘厳にすら聞こえる威風を放つ。大気が僅かに揺れ、人影が立つ積雪が波紋を描くように散る。今ここで『何か』が行われようとしている事実を、自然の者共は悟っていた。
「
大気の揺れが一瞬止み、静寂が訪れる。が、たった一瞬のそれを人影が打ち破った。
「『エネルギー・ボルト』!」
緩やかに前に構えていた左手を鋭く振るい、その指先はしなりながらも真正面に立つ枯れ木を指す。
弾くようにして構えられた指先が、ひゅんと小さく風切り音を放つとほぼ同時か、一瞬遅れて、爪の先程にある空間が歪んだ。
瞬間、空気を無理やり引き裂くような音が辺りに響いた。雷とも光とも取れる黄色い線が、人影の指先から枯れ木へと真っ直ぐに飛んで行く。
光は瞬きの間すらなく枯れ木へと命中、着弾し、根腐れを起こし充分な水を吸い上げられていない乾いた幹が、紙でも散らすように破裂する。
鮮烈で、しかしたった一瞬にして過ぎ去った、正しく『魔法』のような時間。その後に待っていた静寂を打ち破ったのは、他でもない小さな人影だった。
「やったぁ!」
人影は嬉々とした声色でそう叫ぶ。羽織っていた外套は風圧でフードが外れ、雪と見紛う白髪が晒されていた。たった今その小さな体で到底成し得ない事を成したアリアは、ぴょんこぴょんこと跳ね回りながら顔を喜色満面に染めて大喜びしている。
それを歓迎する柏手でも打つように、ばち、ばち、と焦げた枯れ木が爆ぜる。幹に穴を開けられた事で、そう太くも高くもない木は、しかしそれなりの音を立てながら地面に倒れた。
それを成したのは何を隠そう、今諸手を挙げて成功を喜んでいるアリアだ。
「やっと一つ目……!」
そう言ってアリアが覗くのは、手元にある一冊の魔導書。『真語魔法・基礎』というタイトルが表紙に記されたその本の、アリアが開いている中盤辺りの頁には、魔法文明語で『初級魔法:エネルギー・ボルト』の理論が載っていた。
齢九歳。魔法どころか文字書きすら習っていなくともおかしくはない幼年にして、アリアは一つの魔法を習得した事になる。『天才』と、そう呼ぶ他はない偉業。しかしアリアはそれを誇らなかった。
そんな事をするよりも、今は次の魔法を覚える方が楽しいから。故にアリアは次に移る前に、その感覚を体に染み込ませるべく、倒木を狙って再び魔力を練り上げ始める。
左手の薬指に着けたサイズの合わない指輪の宝石が淡く光り、そして────
「アリアー!」
また雪を散らし始めたアリアの魔力を乱したのは、背後から掛けられた愛らしい声だった。
「────…ミアちゃん!!」
しかし、魔力と集中を乱された怒りや苛立ちなど、アリアの中にはてんでなかった。魔法を覚えるのは確かに楽しく、アリアが内に持つ天賦の才が渇望する時間ではあるが、ミアとの時間に敵うものではない。
束ねた魔力はすっかり霧散し、だがそれを悔やむような事もなく、アリアは左手の薬指からサイズの合わない指輪を外すと、懐から取り出したチェーンを通し首に提げる。
ミアからアリアに向けたプロポーズ。それにアリアが応え、頷いてから三ヶ月が経過した。今までも友人と名乗るには近過ぎた距離感が、これによって更に縮まり、だが婚約という大き過ぎる大義名分が出来たために、ミアは躊躇も遠慮も捨てていた。
「そろそろお昼にしましょう?」
「うん、今行くね」
だが、変化が訪れたのはミアだけではない。アリアもまた婚約によってミアに向ける視線は少しばかり変化し、愛という形の好意を学習している。
何より、アリアに訪れた最も大きな変化である魔法の習得には、この婚約が関わっていた。
「指輪の調子はどう?」
「魔力を流す感覚はだいぶ掴んだよ!あとはぼくが魔法を覚えて、ちゃんと使えるようになるだけ!」
そう言ってアリアが首に提げたチェーンを持ち上げれば、指輪の宝石が光を反射して輝く。
ミアがアリアに贈った指輪は、ただ関係を結ぶためだけのものではなかった。常にアリアを思うが故に迷走を起こすような彼女が、指輪という重要な役割を持った装飾品を、ただの指輪として贈る訳もない。
フォルトゥーナ家が懇意にしている魔法技師に注文した特注品。それがこの『マナリング』だった。本来腕輪であるはずのそれを指輪に、しかも機能を損なわせずという注文に技師達は相当気と頭を揉んだようだが、それでも形にする辺りが懇意の理由なのだろう。
そして一切の機能を損なわず指輪となったマナリングは、当然『魔法の発動体』としての側面を持つ。身に着けた者の精神力を魔力へと変換し、その具象化を補助する性質を持つ発動体がなければ、人間は魔法を扱う事が出来ない。
が、それを持つからと言って簡単に魔法が扱える訳ではない。発動体はあくまで機能補助に過ぎず、それを成すには本人の才能が必要だ。アリアが指輪を手にしてから三ヶ月。歳が二桁にも乗らない幼子の成長というには、あまりにも早過ぎる成果だった。
「ふふ……本当に、魔法の事となると楽しそうね」
「もちろんミアちゃんの方が大事だよっ!?」
「わかってるわ。今更疑うまでもないもの」
持ち上げたチェーンを下ろさず、アリアはそのまましばらく指輪を見つめる。その瞳に映る情に見蕩れて頬を赤らめるミアに、アリアは軽く微笑みかけながら歩調を合わせる。
「ミアちゃんからの貰い物ってだけでも嬉しいのに、ずぅっと続く約束が出来て、魔法も使えるようになるなんて……貰いすぎちゃった」
「……あの日約束を手に入れたのはあなただけじゃないもの。私なんて、あなたを貰ってしまったのよ?」
「えへへっ」
仲睦まじく笑い合う二人は、段々とその距離を近付け、やがて手を重ねる。互いが互いに持つ重い感情を、しかし互いが飲み込む事が出来ているのだから、歪んでいてもそれは幸せなのだろう。
「あぁ、そういえば新しい魔導書を書庫で見付けたのだけど、アリアは興味────…ありそうね」
「ぅぐっ……その……うん」
「ふふっ、責めてなんかいないわ。きっとたくさんの魔法を覚えて、私に見せてくれるんでしょう?」
「────…うんっ!!」
子供が結ぶには重苦しい関係だが、どこまで行ってもまだ子供。二人の関係はまだまだ初々しかった。
『マナリング(指輪)』
捏造。値段にして一万ガメルという、蘇生費用一回分を賄えてしまう高級品。指輪に至っては特注であり、更に幾らか値が張った事だろう。足りる事に罪悪感を抱えていたミアは、それすら手札に使い始めた。