薬指の約束 作:もずく
バウ、ワウ、と猟犬の吼える声。それに連なるように静かに鳴る雪を踏む音は、一定の間隔を保ち獲物を囲む。音を聞き分けた獲物はと言えば、怯む事もなく辺りを見回している。
ゴウ、とまた違った音を鳴らしたのは、雪を踏む足の持ち主でも、吼え続けていた猟犬でもなかった。ゴウ、ともう一度鳴る音は、たった今まで獲物であったはずのものから響く。
「動くぞ」
「……うん」
今日の獲物とされた『ディノス』を見るのは、狩人や猟犬だけではなかった。その集団の後方に、二つの人影が屈んで身を潜めている。片や筋骨隆々、背には槍と弓を背負った大きな男。片や低背に細身、まだ二桁にもなっていない子供。
アリアとその父は、ダイケホーンが白銀の槍と呼ばれる所以でもある、日々を食い繋ぐための狩りを観察していた。
「あの動き方だ。ほら、空気を吸ってる」
父が指差すそれを見るアリアの瞳に、口を大きく広げて息を吸うディノスの姿が映る。力強い呼吸によって吸い混んだ空気を、体内の冷却機関によって冷気へと変え、今まさに氷の息を吐こうと、再び大口を開くその姿。
アリアが頭に浮かべていた『見た事のある干し肉とは違う』という緩い思考は、この時を境に小さな恐怖へと変わった。
心に湧いた恐れに負けて父の服をきゅうと掴むアリアを、父は抱き寄せながら背中をさすり、優しく励ましてやる。背に添えられた手に寄り掛かるアリアを父が抱え上げれば、正面に見える狩りはいつの間にやら大きく状況を変えていた。
「オォォォォオオッ!!」
どうやら氷の息を吐き終えたディノスが、音が聞こえなくなった事で外敵を払ったと勘違いしたらしい。故に生まれた隙こそを、狩人達は鋭く狙う。
初めに飛んだ矢が、その末端に括り付けられたロープを引いて木に突き刺さる。もう片端を咥えた犬がディノスの後方を横切るように走れば、ロープはディノスの体へと近付き、鱗の生えた体表へと触れた。
その体格故に多少の接触程度なら気にも留めない亜竜に、狩人達は着々と罠を張る。やがて全ての準備を終えると、一人の狩人の合図により、付き従っていた猟犬が力強く吼えた。
「合図だ。父さんの弓、しっかり見とけよ」
「うんっ」
遠吼えの合図を受け、アリアの父が背負った弓を左手に構える。矢を番え二呼吸できりきりと弦を引くその姿を、アリアがじぃと見つめようと、獲物を狙う集中力は欠片も崩れない。
「……ふっ!」
ほんの一瞬の脱力によって手放された矢が弦に押され、風を切ってディノスの顔へと吸い込まれていく。頭から尾の先まで硬質な鱗を纏うディノスの肉体で、最も狙いやすい弱点と言われるのが腹。しかし最も効果的だと言われているのは────
「左眼は貰ったぞ」
嗅覚の次に鋭敏に発達している感覚器官である眼球を、少量の鋼で造られた鏃が貫く。叫び暴れるディノスだが、その動きは鈍い。過酷な地で積み重ねられた技術の粋の一つである罠は、ただ首を振り回すだけで抜けられる程、ヤワなものではなかった。
片側の眼球を潰され怒り狂うディノスに、しかし狩人達は怯まない。潰れた左側の視界はどうやっても補えるものではなく、狩人達も事前に決めた通りにディノスの左側を位置取る。
「こうなったら後は氷の息に気を付けながら、関節に近い鱗を砕くんだ。ディノスの鱗は斬撃に強いが、衝撃への耐性はそこまで高くないからな」
「ふんふん……」
先程まで父に縋り付く程の恐怖を覚えていたアリアも、今は狩りの内容に夢中になっている。狩人への憧れだとか、狩猟の迫力だとかではなく、アリアは狩人の国が今まで生き延びて来た理由をその両眼に焼き付けるべきだと、幼いながらに感じ取っていた。
そうして食い入るようにディノスの狩りを見るアリアの頭に、弓を背負い直した父が片手を置く。ぽす、とやや重めに置かれた手にぐしゃぐしゃと髪を撫でられて、体重も体幹も足りないアリアの体は振り回されるように揺れる。
「アリア、お前は魔法が好きだろう」
「うん!」
「……なら、国の外に出たいと思う日が来るかもしれない。ここじゃ魔法なんて学べないしな」
寂しそうに呟く父に何を言えるでもなく、アリアは首から提げたチェーンに通している指輪を、服の上からぎゅうと掴む。
アリアは魔法が好きだ。愛してくれる父と母、そしてミアが好きだ。ダイケホーンという国も、そこに住まう人々も好きだ。
だが、しかし、今も自身の内で燻る好奇心を鎮める手段をアリアは知らない。知識欲と呼ばれるそれを、一時的でも満足出来るくらいに埋める方法を、魔法の探究以外に知らない。
「……わかんない」
だから、そう答えるしかなかった。ダイケホーンを離れるなど、今まで考えた事もなかったのだ。膨れ上がる知識欲以外には、恐ろしく寒い以外にそう不満もない。満足にこそ苦労するが、魔導書のお陰もあって知識欲も何とか出来ている。
それに、もし魔法を学べなくなるような事があったとしても、今のアリアにはミアがいる。最も古い記憶の時点で隣にいたミアは、少し前まで最も大事な友人だったが、今では半身のような存在だ。
ダイケホーンから出る機会があっても、隣にミアがいないのなら、アリアは留まる事を選ぶだろう。父と母からの親離れすら出来ていないのだ。心に深く刻み込まれた傷に住み着いている最愛を手放すなど、幼子に出来る決断ではない。
「そうか、そうだな。まだ九歳だもんな」
「もう少しで十歳だよ!」
「ぐっ……ちょっとお父さん信じられないな。もう十歳になっちゃうのか?ほんの少し前に生まれたばっかりなのに……」
ずずんと鳴って倒れ込んだディノスを横目に、父もまたその場に膝を着く。「俺にマギテックの才能があったら、余す事なく記録出来たものを……」と呟く親バカの頭を意味もわからず撫でながら、アリアはこちらに手を振る狩人に手を振り返す。
両脚と首、それから尾の鱗を砕かれたディノスは、その下にある筋を斬られ倒れ伏していた。無駄に苦しませる事もないとして、何人かの狩人がトドメを刺すために首と胸に刃を突き立てている。
「お父さん、もう終わっちゃったよ」
「……あぁ、そうだな。せっかくだから、剥ぎ取りも見て行こう」
季節は既に冬に差し掛かり、最早ディノスですら珍しい時期。四ヶ月と経たず十歳の誕生日を迎えるものの、なかなか弓の扱いを覚えられないアリアのためにと父が提案した狩りの見学だったが、得られたのは弓矢の経験とはまた別のものだった。
純粋に狩りを見るだけでなく、合間の問答によって抱くべき迷いを抱いたアリア。その問答の最中にて、愛娘に迷うだけの経験がある事を喜ぶ父。ダイケホーンでは一般的な親子の姿がそこにあった。
「おっ、なかなか上手いじゃねぇか!」
「だろう?ウチのアリアは天才だからな」
「出たなこの親バカめ」
「ハハハ!まだ弓はからっきしだろうがよー!」
「今日見たから弓も上手くなるもんっ!」
結局弓の不得手は変わらなかったが。
『ディノスの狩り』
捏造。コア部位が頭部、弱点が衝撃ダメージなため、鱗を砕いてから筋を斬ってトドメという流れに。