『アクアくんは、私が居ない方が良いんだよね?』
私は彼にとって、知りたくない秘密まで暴いてしまう女だから。
胸が張り裂けそうになりながら伝えた別れの言葉は、しかし優しく否定された。
考えれば考えるほど、私は彼の隣に居ない方がいいとわかってしまう。
けれど、なのに。
『あかねが嫌じゃなければ、もう少しこの曖昧な関係を続けないか?』
私は、その甘い優しさで出来た言葉を断れなかった。
──そんな、ついこの前の出来事を思い出す。
宮崎への旅行で別れを切り出されると思っていたし、彼のことを想うなら別れなければいけないという覚悟もしていた。
別れてからのことを考えると絶望してしまいそうだったけれど、アクアくんを心配させないようにせめて笑顔だけでも作らなきゃ、なんて決意もしていたっけ。
だけど、そんな決意はアクアくんの曖昧な優しい言葉の前で脆く崩れ去った。
絶望からの希望。あの時の事を思い出すと、どうしても頬が緩んでしまう。
私ってそんなに簡単な女なのかな、と軽く自己嫌悪になる。
あの日、ルビーちゃんと雨宮吾郎の遺体を見つけた翌日。
メムちゃんを連れてどこかから戻ってきたアクアくんは、なんというか、かなり明るい雰囲気になっていた。
元々復讐を終えて前を向こうとしているのは知っていたけれど、突然の変化というか。
そこまで前向きになるような何かがメムちゃんとの間に起きたのだと思う。
そうなるとどうしても気になってしまう。
アクアくんと雨宮吾郎の関係ってなんだろう。
そう思った私は自分の部屋で集めた資料を広げていた。
雨宮吾郎。15年程前に失踪した産科医。メムちゃんの血縁上のお父さん。
アクアくんは相当親しくないと知らないぐらい彼の事情に詳しい。幼い時に一緒にあの家で暮らしていた?
教育レベルが低めな母親に対してアクアくんの教養が高いのは医者である彼の影響かな。
アクアくんはペットの亡骸を探していると言っていたけれど、行方不明の彼が宮崎で死亡していることを確信していた?
なぜ父親が見つかった今のタイミングで探したの? 上原清十郎が父親でない可能性に気づいたとするなら、遺体を探してDNAを確認するため?
メムちゃんの父親が雨宮吾郎なのは偶然? そのこともアクアくんは知っていたのかな?
アクアくんたちは宮崎病院で産まれて、雨宮吾郎も宮崎病院の産科医。アイさんの診察を担当をした? それはスキャンダルの回避のため?
あの一件以来、アクアくんの雰囲気が変わったのとメムちゃんに対しての距離感が近くなったのはなぜ?
そこまで考えて、一つの可能性に思い至る。
──つまり雨宮吾郎がアクアくんの本当の父親……!
『──えっセンセが? センセなら……まぁ、いっかも?』
私のなかのアイさんがざわめいた気がする。
ともすれば、ルビーちゃんの語っていた初恋の人すらこの男の可能性が高い。
……光源氏でも実の子にまでは手を出さないでしょ。
ルビーちゃんにあれだけ好かれているということは、子供には父親であるということを隠して接していた?
DNA。異母兄弟。結婚。無理心中。クズ男。
以前に上原清十郎をプロファイルしていたときの言葉が頭に浮かんでくる。
……メムちゃんのご家庭の話も考えると、無理心中以外は雨宮吾郎の所業も大差ない気がする。
あれ、でもそう仮定すると姫川さんの父親も雨宮吾郎になるんだ。
ちょっと……うん、控えめに言ってクズ男だ。
この調子だとまだほかにもアクアくんの兄弟がいるんじゃ……?
どちらにせよ、上原清十郎と同じく雨宮吾郎の死亡推定時期からするとアイさん殺害の教唆犯としてはありえない。
アクアくんは父親以外の線で真犯人につながるなにか別の手がかりを見つけたのかな?
ううん。それならアクアくんが復讐に戻っている様子がないのはおかしい。
アクアくんは最初から雨宮吾郎が犯人ではないと確信している?
──雨宮吾郎が何者かに殺害され、その犯人とアイさん殺害の犯人に関係があることをアクアくんが知っているとしたら?
「うーん、わかんないよ……」
ピースが足りない。
雨宮吾郎はあくまで一般人。
捜索願は職場から出ていたようだけれど、失踪届は出ていなかったみたいでネットで調べても特に情報が集まらない。
経歴でなくとも本人の映像でもあればその線からいろいろと推測できるものがあるけれど、勿論それもない。
写真だって、せいぜいが病院のスタッフ紹介ページのアーカイブを探して出てきた両手でピースをしている陽キャっぽい男性の写真*1が1枚見つかったぐらいだ。
……この人、割と顔は整っているし、そうと思って見てみれば姫川さんに似ている気がする。やっぱり父親じゃないのかなぁ。
「アクアくんの隠し事に近づけるとおもったんだけどなぁ……」
これ以上は堂々巡り。
なんとなくだけれど、アクアくんに聞いても誤魔化されそうなんだよね……。
集めた資料をベッドに放り投げ天井を見つめる。
そのまま目を瞑ると、優しくていじわるな、今のところビジネス彼氏な関係の彼の顔が思い浮かんだ。
──ひとまず、今はアクアくんが復讐の道に戻っていないことを喜ぼう。
だから、これから私がするべきことは。
彼に私を好きになってもらう。
冷静になった今なら分かる。
アクアくんが私と別れなかったのだって罪悪感や同情心から来るところが大きいのだろう。
けれど、あの日突き放されなかったのだからきっとまだチャンスはある。
ライバルはとっても眩い女の子。
だけど、負けない。
恋も、演者としても。負けてなんかあげるもんか。
「負けないぞ……有馬かな……!」
☆☆☆☆
「と思うんだけど、どうかなアクアくん?」
休日の昼下がり。
あかねとのアリバイデートで所謂『映え』のする、クレープで有名な店に来ている最中でのこと。
俺と雨宮吾郎の関係についてどう考えてるか、それとなく聞いてみた答えがそれだった。
──アクアくんのお父さんだよね?
なるほど、俺はアイに手を出していたらしい。
まったく、ファンの風上にも置けないやつだな。
コ●してやるぞ、雨宮吾郎。
『──冤罪!?』
なにか聞こえた気がする。
しかし、雨宮吾郎が星野アクアの父親か……。
流石のあかねでも転生なんてオカルト現象にはたどり着かなかったらしい。
……俺の父親だと勘違いしてくれているのなら都合がいいのではないか?
──何かが引っ掛かったような気がした。でも俺はそれが何なのか考えないことにした。
しかし、どうしたものか。
復讐とか父親だとか、そういう話とはまったく関係ない奴なのだが。
メムの父親だということで妙な話になってしまった。
バカ正直に前世の話をして変な目で見られるのも癪だしな。
適当に話を合わせておこう。
……決して、俺に娘が居たとバレたらあかねにどうされるかわからないから、なんて考えはない。
「まぁ、血縁じゃないけどな。概ねそんな感じだよ」
「むー、やっぱり誤魔化すんだね……」
この返答は予想されていたらしい。
父親捜しのために利用しようとした推理能力だが、いざその矛先が自分に向くとなると末恐ろしいものがある。
……これ以上は話すことはないな。
あかねから視線を逸らして、手元のクレープをスプーンで崩すことに集中する。
……美味い。クリームがウリという話だが、その看板に恥じず濃厚なコクを感じられ、舌触りも良い。
やはり若い身体っていうのは最高だ。甘いものも無限に食べられる。
そういえば持ち帰り用のミニクレープも売っていたな。
帰りにメムやルビーのお土産に買って行ってやろう。
「アクアくん、変わったね」
「そうか?」
「今、自然に笑っているよ」
そう言われると、気付かなかった。
改めて自分の状況を振り返ってみる。
復讐が終わってから、メムが前世の娘だったと知り、ルビーの前世がさりなちゃんだと判明し、今の家族として和解した。
たった1週間程度の間に随分沢山の事が起きた。
……その中でもやはり、メムとの一件が大きかったんだろうか。
あの件は衝撃的だったし、なにより星野アクアと雨宮吾郎という二人分の人生にどう折り合いをつけるか色々考えさせられたから。
星野アクアはあくまでも星野アクアだが、雨宮吾郎であったことも否定はしない。
星野アクアであっても、雨宮吾郎にとって取り返しのつかない事だったハズだった、メムの父親をやってもいいんだと。
あの許しは間違いなく僕自身の救いになったのだから。
そんなことを考えているとあかねがジト目で俺を見ていることに気づいた。
「……ねぇアクアくん。最近メムちゃんと仲良いみたいだけれど、信じていいんだよね?」
「当たり前だろ。俺がそんなことするような奴に見えるか?」
「…………そうだね」
「信用ねぇな」
役者だろ。もうちょい隠せよ。
知りようはないだろうが、そもそもメムは娘だ。そういう目では全く見ていない。
あかねを不安にさせている自覚が全くないわけでもないが、面と向かって言われると結構傷つくからな。
──少し、仕返しをしてやろう。
クレープを食べようとスプーンを持ち上げているあかねに、肩を寄せる。
「えっ、アクアくん……!?」
急に近づかれて驚いたのだろう。
スプーンを持つ手が止まり、あかねの顔に朱がさす。
それに構わず、彼女に顔を近づける。
そして──
「あーっ、私のイチゴ!」
──スプーンに乗っている苺を食べる。
うん、美味い。
これでさっきのは手打ちにしてやろう。
「もーっ!」
空いている手で腕をぽかぽか叩いてくる。
あんまり暴れるとクレープ落とすぞ。
「ムムム……イチゴ、楽しみにしてたのに! これは許されることじゃないよ!」
食いしん坊か?
頬を膨らませて、じぃーっと睨んでくるので自分のクレープを差し出してみる。
「……あーんして」
「いいけど、恥ずかしくねぇの?」
「……恥ずかしい」
あーんを要求したあかねの頬は朱くなったままだ。
自分で言い出しておいてか。まったく、可愛らしいことで。
自分のクレープからイチゴを掬って差し出してやる。
ほら、あーん。
どうだ?
「……美味しい。けど、アクアくんが全然恥ずかしそうじゃない……それになんか手慣れてる気がする……」
「そんなことねぇよ?」
望みを叶えたというのに、疑惑の目線が深まった気がする。
確かに昔はこんなことをしてドキドキしていた日々もあったような気がするが、星野アクアとしては初めての経験だ。
これは嘘じゃない。信じて欲しい。
「……どうしたら機嫌を直してくれるんだ?」
「……じゃあ、次のデートはアクアくんが決めてよ」
まさか不機嫌は演技で、これが狙いか?
なんて考えが頭をよぎるが、口にはしない。
そんなことを言えばさらに拗れるだけであると俺は知っているんだ。
ふむ。デート、か。
今回のクレープ屋でのお出かけデートもあかねの提案によるところが大きい。
ここらで毛色の違うところに行くべきだろうか。
……そういえば、と元々一人で参加する予定だった自分の休日のスケジュールを思い出す。
メムと、本人は否定するかもしれないが有馬のこともある。もしかしたらあかねも気になっているかもしれない。
──折角だ、誘ってみるか。
「再来週の土曜の夜、空いてるか?」
「ちょっと待ってね……うん、大丈夫そう。どうしたの?」
「前にあかねには舞台の楽しみ方を教えてもらったからな。今度は俺がアイドルのライブの楽しみ方を教える、なんてのはどうだ?」
店員「ブラックコーヒーが飲みたい」