突然だが、俺達の通っている高校について説明しよう。
陽東高校は日本でも珍しい芸能科を持つ高校だ。
芸能科という名の通り、そのコースに通う学生は特別な事情がない限りはどこかしらの事務所に所属する芸能人である。
その特性上、芸能科には学校に通えない日がある事を前提にした体制が整っている。
だが勘違いしてはいけないが、仕事をしていれば全く学校に通わなくていいということにはならないのだ。
土日にも補講が用意されていたり、受けられなかった授業時間をリカバリするための手段が柔軟に用意されているというだけで、どんなに仕事の忙しい学生でも授業を受ける時間自体は普通の高校生と同じといっていいだろう。
授業内容も一般科と同じだし、学期ごとにテストがあるのも同様だ。
当然、テストで赤点を取れば補講を受けなければならないし、補講の結果如何では留年だって起こりうる。
つまり何を言いたいかというとだ。
「サイン、コサイン、タンジェントってなんなの! サインはBでしょ!?」
「sinはy÷rだ。上手い事言ったつもりか」
現在ルビーは、絶賛試験対策中なのである。
俺達はB小町のメンバーが集まるまでの空き時間に事務所のテーブルに教科書とノートを広げていた。
隣に座るルビーは先ほどから唸っているが、様子を見るに勉強の程は芳しくないようだ。
というか三角関数の基礎の基礎じゃないか、それ。
「授業中寝てないよな?」
「ここのところレッスンとかライブでクタクタで、その……えへへ」
図星なのだろう。ルビーは舌を出して笑って誤魔化そうとする。
可愛さに免じて許してやるか、なんて考えが頭を過るが、この調子だとテストで赤点を取るのは必至だろう。
わざわざルビーを心配して同じ高校に入ったのだ。これで留年させようものならミヤコさんにもアイにも顔向けができない。
前世で病室から動くことのできなかったルビーに前世持ちの勉学面でのアドバンテージを求めるのは酷というものだろう。
ここは俺が、ルビーのためにも心を鬼にしてでも勉強を教えなければなるまい。
「とりあえず今回の出題範囲の基礎から始める」
「ぶー! もっとテストの内容の予想とか、簡単に点取れそうなヤツにしてよ!」
「ルビーのためなんだよ。それにウチのテストなら基礎さえできていれば赤点以上は余裕でとれる。応用までやらなければ覚えることはそう多くないから、頑張れ」
実際、陽東高校は偏差値40の高校なのだ。
テストの内容も教科書の例題の数値を変えただけだったりと、前世の時の俺でも苦労しなさそうな内容だ。
偏差値40の高校だとテストの設問って簡単なんだな。驚いたよ。
「むむむ……じゃあテスト終わったらデートして!」
今すぐではなくテスト後というだけの自重はあるらしい。
デートといっても、ルビーが言っているのは買い物に着いていくぐらいのものだろう。そのぐらいでやる気を出してくれるなら安いものか。
「はぁ、しょうがないな。けど赤点取ったらナシだぞ」
取らせるつもりはないけどな。
「やた! お兄ちゃん大好き!」
そんなに嬉しいのか、ルビーが喜色満面の笑みを浮かべて腕に抱き着いてくる。
はいはい、教科書捲れないからちょっと離れてね。ミヤコさんもなんとも言い辛そうな目でこっち見てるから。
「おはようございまーす」
空いている手で教科書を開き、いざ三角比の3兄弟の関係を解説しようとしたタイミングだ。
挨拶の声と共にメムが現れた。
室内を見渡して俺達の様子に気づいたらしい。
「相変わらず仲いいねえ。美男美女の双子カプって絵になる……って二人とも勉強中? なんで?」
「期末試験だよ」
「ああ期末テスト! あったねぇそんなイベント! いやぁ懐かしい!」
「それでよくJK名乗ってるな……」
休学中の学生であることは間違いないのだろうが、その他人事感はどうなんだ?
いや、メムのチャンネルの登録者も薄々察しているのかもしれないが。
……この感じだと、もしメムが復学することになったのなら勉強を見てやった方がいいのかもしれないな。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、アクたん。昨日あかねと一緒にママとご飯食べに行ったみたいだけど変な事なかったよね?」
昨日メムの家に泊まると言っていたし、彼女に聞いたのか。変な事というのは前世云々のことをボカした聞き方なのだろう。
俺とルビーが勉強をしていることを踏まえても聞いてくるあたり、かなり気に悩んでいたのだろうか。
俺の事を心配してくれているのか?
「いや、特にないが……そういえば、メムがサバ読んでいるのがあかねにバレたな」
「なんで!?」
「メムの弟達とも会ったからな。あんなの不可抗力だろ」
いやだって。弟君達の見た目は年齢相応じゃん。
あの状況を切り抜けられる方法があるなら教えて欲しいよ俺は。
「お兄ちゃん、MEMちょの家族と会ったの?」
「ライブの帰り道でばったりな。飯行ったのはメムの母親とだけだったけど」
「むむむ……」
なにか言いたげだったが、部屋にミヤコさんが居ること思い出したのかルビーは言葉を飲み込んだ。
代わりに腕に抱き着く力が強くなったが。
「どうして3人でご飯行くことになったの?」
「あかねが今ガチの件で感謝を伝えたかったみたいでな」
「あかねは真面目だねえ……ああ、だからかあ」
合点がいったといった様子で頷いている。
「褒められたか?」
「あかねを見つけたのはアクたんなのにね。まぁ嬉しかったけど?」
そういうメムは恥ずかしそうに後頭部に手を遣っていた。
……どうやら、メムを褒めてやってくれとは言った昨日の約束を彼女は守ってくれたらしい。
母親である彼女が伝えたのだ。ならば父親をやらせてもらっている俺からも伝えるべきだろう。
よくやったな、メム。
☆☆☆☆
「ミヤコさん、MVの再生数どんな感じですか?」
あれからしばらくルビーに勉強を教えていると、メムはミヤコさんと話を始めた。
話に出ていたMVというのは昨日の新曲お披露目ライブ後にB小町の公式チャンネルに投稿した、宮崎で撮影したMVのことだろう。
気になったので俺も聞き耳を立てることにする。
「地下アイドルの初速としては順調といった感じかしらね。ウチの所属タレントにも宣伝して貰っているところよ」
「私の方でもいろいろツテあたって広めてもらってます」
「アイドル業務以外に宣伝までやってもらって悪いわね。助かるけど無理はしないで頂戴ね」
「あはは、やりたくてやってますから。任せてください!」
メムはアイドルとしての活動の他に自分のチャンネルでの配信もやっているんだ。
そのうえでB小町の宣伝までやってもらうのは負担は大きいだろう。
「体調には気を付けてくれよ。無理ができるのは今のうちだけなんだから」
「ぐふっ……そうです私はアラサーですぅ! 二人にいじめられたー!」
つい口を挟んでしまったが、そこまでは言ってないだろう。純粋な心配なんだが?
メムは俺の隣に座っているルビーに縋りつく。
「よしよし。MEMちょは若い、お兄ちゃんよりずっと若いよ!」
「これがバブ味……! 疲れた心に沁みわたるんだよぉ」
それは精神年齢の話だよな?
あとメムはルビー相手に変な扉を開こうとするんじゃない。
「私はいじめてないじゃない。……あら、さっき確認した時から再生数跳ね上がってるわね」
「おっと早速バズったかな? いやー流石私。なんたってバズらせのプロですから? 私達のMVもネットの海を飛翔しちゃいましたかなぁ!」
ルビーに泣きついていたさっきまでの様子はどこへやら。
ミヤコさんの言葉を聞いたメムは渾身のドヤ顔を披露した。
元気じゃねぇか。
ルビーも自分達のMVの再生数が気になったのだろう。ミヤコさんのノートPCをメムと一緒に覗き込みに行った。
……バズったのは良いことだけど、突然じゃないか? 何かあったのか?
そんなことを考えていると外から慌ただしい足音が聞こえ、大きな音とともにドアが開けられた。
部屋にいる全員の目線がそちらに集中する。
「なにやってんのよアクアぁ!」
そこには息切れした様子の有馬が居た。
「あ、先輩おはよー」
「ぜぇ、はぁ……おはよう! ……じゃないわよ、アクアあんたどうしてくれんの?!」
「俺がどうかしたのか?」
有馬の様子からただ事ではないことはわかるが、本当に心当たりがないんだが。
「あんたが黒川あかねとオタ芸やってんのがSNSでバズってんのよ!」
「は?」
ポケットからスマホを取り出しエゴサする。
そして出てきたSNSの投稿を見て自分の目を疑った。
『地下アイドルのライブでイケメンカップルがキレッキレのオタ芸やってた件』
そんなタイトルで投稿された書き込みには、昨日のライブで一心不乱にサイリウムを振る俺とあかねが映った動画が添付されていた。
すぐ下に表示されるリプライ欄も嫌でも目に入ってくる。
『ホントにキレッキレじゃん。なんか年季を感じるわ』
『二人とも顔が良いのに動きとのギャップがシュール過ぎる』
『現地勢だけど男の方はJIFのステージでも見たな』
『このカップル今ガチの星野アクアと黒川あかねじゃね?』
『これ新生B小町のライブじゃん。MEMちょの応援かな』
『黒川あかねピッカピカで草』
『↑両手のサイリウムMEMちょのカラーじゃないじゃん草』
『うわ懐かしい、B小町の歌じゃん。復活したんだ』
なんだ、これは。
いや、俺がやったことではあるんだが。動画を撮られていたなんて気付かなかった。
あかねから、ライブに参加するなら折角だからオタ芸もやってみたいと言われやり方を教えたんだったな。
というか俺よりあかねの方が目立ってないか、この動画。
投稿に寄せられたコメントを眺めている間にもRT数はドンドン増えていた。
「リプライにMVのリンクが張られて、そこから人が来ているみたいね」
ミヤコさんの言葉にルビーと顔を見合わせる
こんなこと、昔もあった気がする。
「勝手にライブ観賞……オタ芸でバズリ……説教……うっ、嫌な記憶を思い出したわ。アクア、あなたって本当にどうしてこう……」
「…………つい本能で」
JIFの時に大丈夫だったから今回も問題ないと高を括ってしまった。
……いやでも、冷静になって考えてみれば悪いことはしていないよな俺達。
ただの推し活だよなコレ?
「アクア、今度からはもう少し……、いえ、こうなってしまったら下手に隠す方が悪手ね。炎上じゃないんだからこの際ポジティブに考えるのよ」
いつぞやのメムの言葉を借りれば今の状況はインプレッションが高まっている状態とみなせるのだろう。
額に手を当てて苦い顔をしていたミヤコさんだったが、気持ちを切り替えてチャンスだと思ったのか、矢継ぎ早に今後の対応を話し始めた。
「アクア……はSNSやってないから論外。B小町のアカウントで取り扱うのもアレな話題だから、悪いけれどMEMの方でそれとなく今回の件を話しておいてくれるかしら」
「まぁ、大丈夫ですけど。今ガチの縁で応援に来てくれたーとかで話題にしておけばいいですか?」
「そうね、それで頼むわ。負担ばかりかけて申し訳ないわね」
「このぐらいならむしろトークデッキが増えてありがたいぐらいですけどね」
「あとは念のため黒川あかねの事務所とも情報共有をしなきゃいけないかしら。アクア、彼女への連絡は任せていいわよね?」
「ああ。今から連絡するよ」
あかねとのトーク欄を開き文字を打ち込む。
すぐに既読が付き返信が返ってきた。
| この前のライブの俺たちの様子がSNSでバズってる |
| こっちも連絡しようと思ってたところだよ |
| マネージャーに相談したけど特に問題じゃないから静観で大丈夫だって |
| 手間をかけさせて悪かった |
| お互い様だよ! |
| こっちも基本スルーだけど 今ガチの縁で俺達が応援に来たって形でメムに説明してもらうことになった |
| それならメムちゃんと写真撮ってインスタに載せていいかな? 仲良い事をアピールできれば私もライブに行きやすくなると思うから |
こちらの事情を説明すると、少しの間を置いて返信が届いた。
どうやらあかねは今後もB小町のライブを見に行きたいようだ。
確かに、それなら変な勘繰りで注目をされるぐらいなら堂々と行けた方がいいもんな。
「向こうは静観してくれるってさ」
「これでひとまずの問題は解決かしらね」
「それからメムと写真撮ってインスタにあげていいかって」
「念には念を入れる、という形なら都合が良いわね。今日中で大丈夫なら事務所に呼んであげなさい。……菓子折りあったかしら?」
ミヤコさんの了承も取れたのであかねに返事を送る。
| 今日時間あるか?ウチの事務所に来て欲しい |
| 大丈夫、近場に居るから今から向かうね! |
どうも直ぐに来られるみたいだ。
ミヤコさんにその旨を伝えてスマホを仕舞う。
やれやれ、一時はどうなるものかと焦ったが丸く収まりそうで良かった。
……これでB小町の名前が少しでも広まるなら結果としても悪くはないしな。
アイの時といい、何が良い方に転ぶかわからないもんだ。
「そういえばMEMちょさ。さっきバズらせのプロって言ってたけど、結局バズったのはお兄ちゃんだったね。あのドヤ顔はなんだったのかなぁ?」
「うぐ、黙ってれば流されると思ったのに! アクたん、ルビーがいじめるよお!」
よしよし。
メムは頑張ってるぞ。