第33話 夏、海、ホウエン地方。
ホウエンは豊縁と書く。自然も人もポケモンも豊かに生き、様々な
キキョウアカデミーの考古学科では更なる異名がある。
天国である。
生ける化石・ジーランスをはじめ、遥かなる古を研究するための貴重な情報・資料が路傍の石ころの如くザクザク出てくるからだ。こんなに恵まれ、かつ研究のしがいがある土地はホウエンをおいて他にない。
故に。
ホウエンはキンセツ空港に降り立ったとき、胸いっぱいに酸素を吸いこむ俺の目が潤んでいたとしても無理からぬことなのである。
「あぁ〜〜〜〜空気うめぇ〜〜〜〜最高〜〜〜〜」
温暖な気候にからっと晴れた青空が広がっている。季節は夏の盛りだが、ジョウトほど湿度が高くなくて、日陰に入れば思ったよりも過ごしやすい。
開放的な気分に浸りながら意気揚々と《煌めきの石洞》に向かおうとした俺は、思わぬ障害に出鼻をくじかれた。
「なんじゃこの渋滞!」
車、車、車。
空港のタクシー乗り場から見えるのは、びっちりハマった車の波が織り成す渋滞地獄だった。
「いやーお客さんこらアカンわ。進めまへん。お急ぎのところすんませんなあ」
運転手が汗をふきふき頭を下げた。
「ここんとこひどい渋滞やったけど今日は格別やわぁ」
「なんかお祭りでもあんすか?」
「いやいや」
運転手が笑って左手を振った。
「都市開発ですがな。去年の暮れからテッセンさんが『キンセツをもっと便利にー!』ってえろう頑張ってはりますのや。今時は便利と豊かさを両立させなあかん言うてそらもうあっちゃこっちゃ道路掘り返したりビルば建てたりしとるんです。今日は大通り全部で工事やっとるみたいやから、こら暫くは動きそうもないですわ」
「テッセンて、ジムリーダーの?」
「あたりまえでっしゃろ」
他に誰がおりますのんという目で見られ、俺は苦笑いした。
ジムリーダーの権力というのは、地域によってかなり異なる。例えばヤマブキシティなどは、カントー全域の経済を担う土地なだけにジムリと言えどもほとんど干渉できないらしい。
反対に、街の保全や管理、インフラ等一切合切を委ねるところもある。キンセツシティはこちらのタイプらしかった。おおらかなホウエン人らしいというかなんというか。
「なんとか移動手段を見つけねぇと」
このまま空港に留め置かれたら現地の協力者とコンタクトも出来ない。考古学徒の端くれとして、手ぶらで帰る失態だけは避けたかった。
最悪歩いてでも…………とマップを睨んでいると、突然えも言われぬいい匂いが鼻腔をくすぐり、俺の思考を奪い去った。
なんていえばいいんだろう、人の手が入ってないフィトンチッドたっぷりの鮮やかな森に包みこまれているような、爽やかな緑の匂いだった。
「っ!?」
弾かれたように振り返る。芳香の主は俺と同い年くらいのねーちゃんだった。青いぴったりとした服に身を包み、紫の髪を背中半ばまで下ろしている。いつからそこに居たのか、感情の読めない目つきで俺を見つめていた。
彼女はふと俺の耳元に唇を寄せると、蠱惑的な声で囁いてきた。
「困ってる?」
「んぇ?」
「困ってるなら、たすけてあげる」
紫紺の瞳に魅入られて、俺はわけもわからず頷いた。
「きて」
手を引かれ、空港の隣にある空き地に連れていかれる。彼女は腰からハイパーボールを外し、天高く放りあげた。
現れたのはトロピウスである。大判の葉のような翼をひらめかせ、巨体を華麗に操って着地した。
俺の腹に頭を擦り寄せてくる。懐っこい性格らしい。撫でてみたらすべすべした木の幹のような感触で、思いのほか心地良かった。
顎の下にあるバナナのような果実から甘い香りが漂い南国のリゾートに来たような錯覚を覚える。
「つれてってあげる」
「へ? ど、どこに?」
彼女は声を立てずに笑った。
「わたしがいちばん、好きなところ」
トロピウスの背はどっしりして、高速で飛んでいるとは思えないほど快適だった。
激混みのキンセツシティをあっという間に遠ざかり、カイナシティも過ぎて、いまはムロ東海の上空である。空の青と海の蒼がくっきりしたコントラストを描いて、一幅の絵画のなかに生きているようだった。
「どんな気持ち?」
「最っ高!」
俺は拳を突きあげて快哉を叫んだ。
もうほんと最高だった。まわりになにもない
案の定腰のボールが暴れている。出してやりたいが、彼女に見られるのは…………
ちらりと様子を伺うと、前に跨る彼女は天を仰ぎながら目を瞑っていた。全身で風と光を浴びているらしい。
…………いけるかも。
「ちび。出た瞬間
ボールにぼそぼそ声をかけ、後ろ手に開閉スイッチを押した。ルギアは狙い済ましたように気流に乗り、白い翼を悠々と広げた。
気持ちよさそうだ。でも鳴くなよ。絶対鳴くなよ。フリじゃないぞ。
俺の無言の訴えに、ルギアは分かってるよと言わんばかりに頷いて、
「げる────ぅ」
と高らかに歌った。
うんそうだね、たしかに鳴いても騒いでもないね。でもそういうことじゃねンだよなあ!?
長く細く響いていく声に彼女が振り向いた。間一髪で発動した神秘の布陣がルギアを囲う。
効果が持続するあいだはルギアの姿が見えなくなっているはずだ。俺はほーっと息を吐いた。
「間に合った…………」
「なにが?」
「っ、いやいや、こっちの話。それよりどーしたんです、振り向いて」
「…………いま、とってもすてきな歌が聞こえてきたの。
きっとポケモンだわ。なんの声か分かる?」
「い、いやあ? なんだろうなあ。ぺリッパーとかじゃないっすかね?」
「わたしぺリッパー育ててるからわかるわ。彼らはあんな声で歌わない」
「Oh」
ウソ、即バレ。
仕方ないのでお姉さんベタ褒め作戦に切り替える。
「それにしてもおねーさんめちゃくちゃ綺麗ですよね。モテるでしょ?」
「そうおもう?」
「思う思う。もしおねーさんと付き合えたら1秒たりとも離さないね」
「ほんと?」
「ホントホント」
これは本当である。
キレイめのお姉さんに目がないのだ俺は。
「…………、ふふ」
彼女はクスリと笑って、また目を閉じた。
「そういうことに、しといてあげる」
その物言いに、俺はふと鮮烈な既視感を覚えた。
目的地のムロタウンには小一時間ほどで着いた。
小さな島だ。ちょっとした洞窟以外にとりたてて見るものもない寂れたところだが、発掘調査員にとっては好都合である。
ポケモンセンターの前に降り立つと、水あさぎ色の髪の青年が駆け寄ってきた。
「アシタバさん! お待ちしてました」
「よーダイゴくん。おつ。今日もよろしくおなしゃす」
にこやかに握手を交わす。
このダイゴという青年、俺より3つ年下の15歳という若さながら、鉱物と化石に尋常でない知識を持つ凄腕の発掘士なのだ。
彼が目星をつけたところには必ずお宝が眠っていると言われるほどで、地質学科のあらゆるゼミが彼を引き入れようと画策している。
「ずいぶん早いお着きだと思ったら、ナギさんが送ってくれたんですね?」
「ナギさん?」
ダイゴがトロピウスにポロックを与えている女性を示す。思えば自己紹介もしてなかったな。
「あー、あのひとナギさんっつーのか」
礼を言おうと近づきかけた足が、ぴたりと止まった。
…………待てよ?
ナギさん?
ナギって、まさか。
俺の脳裏にガキの頃の苦い記憶が甦る。
────入学最初のオリエンテーションバトル。好き勝手に空を飛ぶキャモメを繰り出して、命令することもなくぼうっと突っ立っていた女が確か…………。
トロピウスを仕舞ったナギが、目を細めて笑った。
「やっと思い出してくれた?
泣き虫茹でエビのアシタバくん」
「…………っ!!」
俺はほとばしりそうになる悲鳴をすんでのところで飲み込んだ。
というわけで33話。
若かりしダイゴくんとナギさん登場。
ナギさんて割と登場作品少ないし媒体によってキャラ違うので好き勝手にデザインしてみました。
拙作では飛ぶのが好きな不思議ちゃんです。
同級生と知らずぐいぐいいってた主人公恥ずか死にしそう。
よければ感想高評価おなしゃす!