遥かな昔。
ニンゲンが栄えるよりも、もっとずっと昔のこと。
メレシーたちを引き連れたディアンシーが、安寧の地を求めて彷徨っていた。
メレシーは弱かった。
長い手足を持たず、鋭い牙も爪も持たず、岩にしては脆くて、あまりに天敵が多かった。
だからディアンシーは、敵が少ない土地を求めた。
そうして気の遠くなるほど歩き続けた末に、彼女らは恐ろしく寒い平原に辿り着いた。
見渡す限り吹雪が吹き荒れている。
大地は分厚い氷に覆われ、あらゆる生命の息吹が絶えていた。
寂しいところだ。
だが敵もいない。
「おあつらえ向きだの」
ディアンシーたちは、ここで生きていくことを決めた。
洞窟を造り、一族みんなで奥深くに籠った。
それから幾日経ったろう。
洞窟の入口に、見慣れない生き物が現れた。
太い脚、長い首、透き通った白藍の瞳を持ち、興味深そうに洞窟を眺めやっている。
雪のように白い膚をしたアマルスであった。
メレシーたちは戦々恐々とした。
せっかく造った棲家をまた追われることになるのか。
臆病なものは逃げ惑い、血気盛んなものは追い払おうとした。
するとそこへ、アマルルガがやってきた。
白いアマルスの親らしい。
アマルルガはごく優しく語りかけてきた。
「こちらの主と話がしたい」
その声色に、洞窟の奥で成り行きを見守っていたディアンシーは、強い興味をそそられた。
なんと優しい話し方をする御仁だろう。
なんと豊かな声音を発する御方だろうか。
メレシーたちが止めるのも構わず、アマルルガの前に歩み出た。
「わらわが主のディアンシーじゃ。そちは何者か?」
アマルルガはゆっくりと長い首を垂らし、敬意を示した。
「初めまして、煌めく姫よ。わたしはアマルルガ。
この凍てつく大地を統べるもの。
あなた方に挨拶したく、末の子とともに参りました」
アマルスがもじもじしながら「まいりましたあ」と復唱する。それがあまりに稚くて可愛くて、ディアンシーは思わず頬が緩んだ。
それ以来、ディアンシーとアマルルガは毎日のように交流した。
アマルルガを洞窟に招くこともあれば、ディアンシーがあちらの棲家に出向くこともあった。
姿形こそ違うけれど、争いを憎み、遠ざける心根はよく似ていた。互いに惹かれあうのに、大して時間はかからなかった。
アマルルガ一族とディアンシー一族が交流を始めてから百と数十年が経った頃。
氷雪の王が、この地を離れると言いだした。
宝玉の姫は驚き問うた。
「なにゆえか」
王は静かに答えた。
最初に出会った頃よりも、ずいぶん目尻のヒビが増えていた。
「近頃、この辺りが暑くなってきたからです」
王は己の技によって極寒の土地を生み出し、維持してきた。しかし年々、それが難しくなっているという。
「ゆるやかにではありますが、気温が少しずつ上がっているのです。わたしの力ではもう抑えきれない。
一族の中にも身体を壊すものが出始めました。
我々の生活を脅かす敵も増えるでしょう」
ディアンシーは俯いた。
暖かい土地は多くの生き物を呼び寄せる。
そうなればまた、逃げ惑う毎日がやってくるだろう。
仲間を喪い、傷つき嘆く日々が。
姫は、産まれたばかりの娘を抱き締めた。
可愛い、可愛い、我が娘。
醜い争いなど、一度だって見せたくはないのに。
「愛しきあなた」
アマルルガの王が囁く。
「わたしたちと一緒に行きましょう。
なにがあっても、わたしがあなたを護ります」
王の誘いに、姫は心が揺れた。彼に護ってもらえるならば、こんなに頼もしいことはない。
────だが、ディアンシーは首を振った。
「わらわの一族には年老いたものが大勢おる。
とても長旅には耐えられまい。
わらわには、姫として彼らを看取る義務がある。
…………じゃが」
姫は自らの娘を差し出した。
「この子と若いメレシーたちならば、長い旅にもついていけるじゃろう。
そなたの隊列に、加えてやってはいただけまいか」
アマルルガは目を瞠った。
「よろしいのですか。
あなたは一生、娘さんと逢えなくなるのですよ」
「よいのだ」
ディアンシーは娘の頬に唇を落とし、永き友であり、愛しき恋人でもあるアマルルガを見返した。
「この子さえ居れば一族は命を繋いでいける。
一時の情よりも優先すべきことじゃ」
アマルルガはじっとディアンシーを見つめ、伏し目がちに頷いた。
「姫のお覚悟に、心からの敬意と賛辞を贈ります」
────翌日。
アマルルガの群れが、新天地を目指して大移動を開始した。あのなかに娘と若きメレシーたちが混じっている。
無数の足音が地響きを立てて離れていくなか、2頭だけが洞窟に向かって歩いてきた。
その内の1頭は末王子であった。
白い膚はそのままに、立派なアマルルガに成長している。彼は同い年ぐらいの雌のアマルルガを連れていた。
「こんにちはディアンシー様。
僕は妻と一緒にここに残り、皆さんをお守りします」
ディアンシーは驚いた。
そんなことをすれば、この王子は父母の死に目にも会えなくなる。
今すぐ戻れと説得した。
しかし王子の決意は固かった。
「父からの伝言です。
あなたの娘は我が命に替えても護ろう。
凛とした眼差しに、ディアンシーは王の面影を見た。
「ありがとう。感謝するぞ、末の王子よ」
ディアンシーは洞窟を広げ、若きアマルルガ夫妻を歓迎した。
氷雪の王が予言したとおり、凍える大地はどんどん暖かくなっていった。
氷は融け、吹雪も収まり、豊かな地面が現れると、長き忍耐が解き放たれたが如く、一斉に若芽が生えてきた。
草木が林になり、森になる頃には、数え切れないぐらいの生き物たちが集うようになった。
予想に反して、しばらくは平和だった。
歳を重ねた末王子──いまでは森林の王と呼ばれる──が穏やかに治めていたからだ。
王は子を成した。
父親と同じ、白い膚をした子供であった。
「可愛らしい。きっと素敵な王になるのう」
「どうか名付け親になってください」
請われ、ディアンシーは七日七晩考えた。
ようやく思いついた名を伝えようとした時。
天から降り注いだ隕石が、世界を変えた。
隕石の衝突は火山を噴火させ、大量の火砕流と噴煙で天地を塗りつぶした。
川は汚れ、土は焼け、生き物たちは為す術なく息絶えていく。森林の王たるアマルルガは懸命に駆け回ったが、出来ることは何も無かった。
ディアンシーは力を尽くして洞窟を広げ、住処を追われた生き物たちを受け入れたが、すぐに一杯になってしまった。
「姫様! これ以上はとても入りません!」
「何を言う! まだ王の一族が外におるではないか!」
時を置かずしてアマルルガたちがやって来たが、傷つき弱った生き物たちで溢れているのを見ると、黙って踵を返した。
「わたしたちは、そこに入るには大きすぎる」
「なんとか逃げてみます」
ディアンシーは必死に呼び止めた。
ここで見送ることなどできない。
一体どこに逃げ場があるというのか。
すると森林の王は、幼い我が子を押しやった。
「この子を頼みます、姫様。どうか、どうかお元気で」
そう言って笑う顔は、初めて逢ったとき、「まいりましたあ」と含羞んだときと同じ表情をしていた。
父を追いかけようとする小さな子供を、メレシーたちが押しとどめる。
ディアンシーは涙を堪え、全員を洞窟の奥に避難させた。
泣きじゃくる白いアマルスを抱きしめる。
折れそうなほど細い首を優しく撫ぜた。
ディアンシーにはある予感があった。
きっと隕石はまたやってくる。
もう一度、前より大きなものが。
そうなれば、ここにいる者たちは皆、押し潰されてしまうだろう。
────それならば、いっそ。
ディアンシーに強い力が漲っていく。
姿が変わり、神々しい光が洞窟を満たした。
疲れきった生き物たちが、縋るように見上げてくる。
ディアンシーはひとりひとりの顔を見つめ、春の陽射しのように微笑んだ。
「しばらく睡ろうぞ。天に太陽が甦る、その時まで」
姫────いや、女王の掌から産まれた大量の桃色のダイヤが、全員に寄り添っていく。
ダイヤから発せられる波動に、みな平静を取り戻した。
近くのものと抱き合いながら、ひとり、またひとり深い眠りに落ちていく。
「さあ、そなたもお眠り、ゴーシェナイト」
「ごー、しぇ?」
アマルスが不思議そうに瞬いた。
ディアンシーが微笑む。
ああ、叶うことなら。
そなたのご両親にも伝えたかった。
勇敢で、優しくて、偉大な王がこの名を呼ぶのを聞きたかった。
「そう。そちの名前じゃ、ゴーシェナイト。
目が覚めたら、そちの素晴らしいお父様とおじい様の話を聞かせてやろうな」
微睡む幼子を胸に抱き寄せ、女王ディアンシーは歌を歌った。
いつかきっとやってくる、目覚めの日を歌った。
洞窟のなかの全ての生き物が眠ったとき。
2度目の隕石が衝突し、ディアンシーたちはみな、地中深くに沈んでいった。
というわけで38話。
ラブストーリー生まれて初めて書きました。
若きディアンシーの口調は悩んだ末にのじゃロリにしてみました。
やけに似合うなあ。
日刊ランキング10位に入りました!
感想高評価くださるみなさんのおかげです本当にありがとうございます!
良ければこれからも感想高評価おなしゃす!