目が覚めたとき、俺は病院のベッドに寝かされていた。窓の向こう、高いところを流れる雲は橙色に染っている。どうやら8時間近く眠っていたらしい。
薬と消毒液の匂いのなかで深呼吸する。まだ体は怠いものの、吐き気は止んでいた。
『…………起きたか』
反対側の枕元に、クチートが座っていた。
物言いたげな表情で俺を見つめている。
「くちーと…………? おれ…………」
舌が縺れてうまく喋れない。
だけど聞きたいことは伝わったようで、クチートが淡々と教えてくれた。
『覚えてるか? 貴様、いきなり倒れたんだぞ。医者の話では毒に冒されていたらしい。恐らく、ゴーストにやられたんだろうな』
ああ、そういうことか。
クチートを庇ったあの時、ゴーストの体に掠っちまってたんだ。
触れたものの生気を吸い、代わりに毒を注ぐと言われるポケモンに不用意に近づいたのがまずかった。
得心する俺にクチートは、
『貴様、どうして』
そこまで言って絶句した。
どうして私を助けた────か?
どうしてだろうな。
わかんねえ。
強いて言うなら、
「…………なんとなく、かな?」
俺の答えに、クチートは感情を爆発させた。怒りと驚きと戸惑いがぐちゃぐちゃに混ざった顔をしながら。
『馬鹿! 私に毒は効かないんだ! あんなやつの攻撃なんて痛くも痒くもない! そもそもお前のポケモンでもない私なんて、庇ったりせず放っておけばよかったのだ!』
たしかにクチートは鋼・フェアリータイプのポケモンだから、大抵の毒は無効化できる。
まったくもって彼女の言うとおりだ。
だけど正しいのは前半だけ。
後半は────大間違いもいいとこだった。
俺は時間をかけて半身を起こすと、クチートに向かってうっすら微笑んだ。
「たとえおれのポケモンじゃなくたって、ピンチのときはたすけちまうんだよ。ポケモントレーナーってのは、そういういきものなんだ」
『…………!?』
クチートが頬をひきつらせた。
『り、理解できない。なんて不条理な生き物なんだ、ニンゲンってやつは!』
「かもなあ」
はははと笑った俺はずるずると上体を崩した。たったこれっぽっち喋っただけで、死ぬほど疲れていた。
ああもう。
はやく治ってくれよ。
じゃないと、カブルーのところに行けないじゃないか。
狼狽するクチートの声を遠くに聞きながら、俺の意識は再び闇に落ちていった。
誰かが俺の頭を撫でていた。
優しい手つきが心地いい。
花のようないい香りがする。
手がふっと離れていきそうだったから、粘っこい舌を無理やり顎の上からひっぺがして、「やめないで」と懇願した。
自分のものとは思えないぐらいガサガサした声だった。
誰かの手がぴたりと止まり、また上から下へと撫でてくれる。
よかった。
安堵の息が漏れる。
こんなふうに甘やかしてもらえるのは、果たして何年ぶりだろう。誰が撫でてくれてるんだろう。
接着剤でくっついてるのかと思うぐらい固い瞼をこじ開けると、知らない女性が俺を覗きこんでいた。
垂れ目がちの柔らかい眼差し。
耳の下で切り揃えられた深紫の髪。
どこか人間離れした空気を纏うひとだった。
「起きたわね」
囁く声はごく小さいのにはっきり聞こえる。彼女はおっとりと微笑み、音もなく立ち上がった。踊るように軽やかで優雅な所作だった。
「看護師さんを呼んでくるわ。お熱を測ってもらいましょうね」
「……あなた、は」
振り向く彼女の胸元に、金色のネームプレートがきらりと光った。
「ゴジカよ。あなたの担当医」
白衣の裾を翻し、ゴジカ先生は扉の奥に消えていった。
「若いって凄いわねえ。もう熱が下がってるわ」
体温計をしまいながら、年嵩の看護師がにっこりした。
「食欲はある? 吐き気はない? もうすぐ夕食の時間だから、しっかり食べなさいね」
「あの」
「なあに」
「おれ、いつ退院できますか」
さっきからそれが気になって仕方なかった。毒を食らっちまったのは俺の落ち度だが、ちんたら入院してる暇は無い。叶うなら今日にでも石の洞窟に出発したかった。
看護師は「心配ないわよ」と請け負った。
「若い子をいつまでも閉じこめたりしないわ。明日1日検査して、異常がなければ明後日には退院できるわよ」
「それじゃ遅すぎる!」
おもわず叫ぶと、看護師は目を丸くした。
ベッドの柵に縋りつき、力を振り絞って慈悲を願った。
「今日退院しなきゃダメなんだ、あそこで友達が、カブルーが待ってるっ。だから、っ、退院、させてください」
肩で息をしても酸素が足りなくて、立て続けに咳をした。看護師が背中をさすってくれる。
「ほらほら、興奮しないの。そんな身体じゃどこにも行けないでしょうに。命がとられるわけでなし、お友達とはまた約束すればいいでしょ」
こともなげに言われ、眦に涙が浮かんだ。
ダメなんだ、それじゃ。
これを破ったら「また」は来ない。
二度と大好きな相棒に逢えなくなる!
諦めきれなくてもう一度懇願しようとした時、あの花の香りが鼻腔をくすぐった。
「────どうしたの」
ゴジカと名乗ったドクターが、いつの間にか部屋に戻ってきていた。看護師が口早に説明する。
「ゴジカ
ドクターが俺を振り返った。
「出ていきたいの?」
「は、い」
胸をぜいぜい言わせながらも、俺ははっきり頷いた。
ここで引き下がる訳にはいかなかった。
今日、それがダメなら明日の昼までには出ていきたい旨を必死に訴えた。
最後まで聞いて、ゴジカ先生が看護師を退出させた。
2人きりになると、彼女はおもむろに白衣のポケットからペンライトを取り出し、俺の口の中や瞳孔をチェックした。
「…………点滴で少しはマシになってるけど、まだ体の中の毒は消え去ってない。無理に動けば、今度こそ命を落とすわ。医師として、退院の許可は出せません」
にべもなく断られ、俺はがっくり項垂れた。
─────ここまで、なのか。
カブルーと過ごした10年間が脳裏をよぎる。涙が後からあとから湧いて出て、止めようにも止められなかった。
ゴジカ先生は来た時と同様、ごく静かに出ていった。
扉から出る直前、彼女が振り向きもせずに言った一言がなければ、俺は絶望で死んでいたかもしれない。
「可哀想だけど諦めなさい。
扉が閉まる。
誰もいない病室で、俺の目は自然とベッドサイドのボールに吸い寄せられていた。
神通力。
この世ならざるものと繋がり、奇跡を起こす技。
ルギアの神通力で、毒に苦しむツツジがあっという間に治ったんじゃなかったか?
「なあ…………お前なら、できるよな?」
俺は震える手でフレンドボールを掴んだ。
というわけで45話。
ゴジカさん登場。途中までミモザさんで書いてたんですがどーにもしっくりこなくて予定変更しました。
彼女の全てを見通すような眼差しはXYキャラの中でも屈指の瞳だと思ってます。
さあ、ルギアの奇跡を頼みにする主人公。
果たしてどーなるんでしょうか。
よければ感想高評価おなしゃす!