洞窟を出、暮れなずむムロタウンに向かって歩いていくと、桟橋で煙草をふかしていた老人に呼び止められた。
「おっおまえ! 生きてたのか!?」
「っ、ハギさん!?」
まさしくハギ船長だった。お互い幽霊を見るような目でまじまじと見つめあう。
「「よく生きてたな…………」」
咄嗟に出た一言が完璧にハモり、俺たちは同時に噴き出した。
「そりゃこっちのセリフだ! あんなどえれえ波に浚われてよくもまあ生き残ったもんだぜ。どうやってここに?」
「それが俺にもよく分かんないンすよね。どーも波が運んでくれたみたいで」
我ながら下手なごまかし方だったが、ハギさんは納得してくれたみたいだった。
「そうか。まあ、海じゃ何が起こっても不思議じゃねえ。船乗りとして60年生きてきたが、未だに分からないことだらけだからな」
「ハギさんはどうやってムロに?」
「おお?」
歴戦の船乗りは自分の右腕をパァンと叩いた。無駄な脂肪など1グラムもない、見事な豪腕である。
「決まってんだろ、
「流石! 人間じゃねえ!」
惜しみない拍手を送る。いやまじであの嵐を乗り越えるとか只者じゃない。人間辞めてるレベルである。
俺たちはすっかり意気投合して、ムロに1件しかない居酒屋に飛びこんだ。
店は大時化で仕事に行けなかった男たちでごった返していて、海を渡ってきた俺たちはたちまち輪の中心になった。
次から次へと酒を振る舞われ、地元の魚をご馳走になり、食いきれないと
「生き延びた小僧に乾杯!」
「「「「カンパーイ!」」」」
「いきのびらはぎさんりかんふぁい!」
「「「「カンパーイ!」」」」
もう何度目か数えるのも馬鹿らしいほどの乾杯を交わす。飲み干した途端意識が飛んだ。
玉座の間はひっそりとしていた。女王陛下が人払いをしたためである。この場にいるのは陛下と私のみであった。
『ヘリオドールや』
『はい』
跪いたまま面を上げる。陛下は穏やかな眼差しで私を見やった。
『そちの一族とは、随分長い付き合いになりますね』
『左様でござりますね。先祖代々陛下にお仕えして、わたしで303代目になりますから』
『もうそんなになりますか』
陛下は遠い目で虚空を見つめられた。
『どの子もみな、本当によく尽くしてくれました。とりわけそちの忠誠心は見事でした。得がたい侍女を持てたと、何度も思ったものです』
『勿体ないお言葉にございます』
私は平伏した。
陛下がいなければ、かつてホウエンに降り注いだ隕石によって一族郎党悉く滅ぼされていただろう。いわば我が一族はみな、産まれる前からディアンシー様に大恩ある身なのだ。お仕えすることは無上の使命であり、当然の義務であった。
それだけに、昼間の話はショックだった。陛下のお命がもう長くないなんて、何度聞いても実感がわかない。
不意に陛下が訊ねられた。
『わらわが死んだあと、そちはどうしますか?』
『────!』
いまの自分には最も辛い質問であった。
ぎゅう、と胸が苦しくなる。まるで心の臓が握り潰されそうな、恐ろしい痛みだった。
私は震えながら
『そ、そのようなご質問はなにとぞご容赦ください。私には、私にはとても考えられませぬ!』
だが陛下は許してはくださらなかった。
『…………そうね。酷なことを聞いているという自覚はあるの。でも考えねばならないことですよ。死は遍く訪れるものなのだから』
『…………わかっては、いるのです』
私は力なく項垂れた。
振り返ってみれば、私は己について考えることなどした試しがない。陛下のために働き、陛下のために生きる。それが私の全てだった。
けれど陛下亡き後は、あらゆる行動を己自身で決めねばならない。ひとはそれを自由と呼ぶのだろうが、私にとって自由ほど不自由なものはなかった。
なにをすればいいかも、どこに行けばいいかも分からないなら、いっそ────
『ヘリオドール』
陛下は厳しい声で私を呼ばれた。
『わらわの後を追おうだなんて考えてはなりませんよ。
それだけは断じて許しません』
『…………は』
口の中が干上がる思いがした。
陛下は全てを見通しておられる。私の浅はかな考えも、みっともない依存心も、取り繕うことすら叶わない。
私はすごすごと御前を下がり、あてどもなく彷徨った。
波の音にふと顔を上げると、いつのまにか砂浜に着いていた。
浜にはニンゲンがひとり、大の字になって寝転んでいる。悩みも苦しみも何も知らなそうな顔で、へらへら笑いながら星を見ていた。
『……………………』
私は、何となくそいつに近づいていった。
ムロの星空はよく見える。人戸が少ない上に街灯もほとんどないから、都会とは比べ物にならない鮮やかさで輝いているのだ。
いい気分で鼻歌しながら眺めていたら、クチートの顔が逆さまに映った。
『こんなところで何をしている』
「ごろごろしてる〜。お前もどうだ?」
ぽんぽんと隣を叩くと、案外素直に腰を下ろした。
真夏でも夜になるとけっこう涼しくて、頬を撫でる潮風が火照った肌に心地いい。
「いい島だな、ここは。飯は美味いし海も綺麗だ」
返事はなかった。クチートは心ここにあらずといった様子で、ぼんやり海を見つめている。
真っ暗い大洋は昼間の嵐が嘘のようにどこまでも凪いでいた。
唐突に、クチートが口を開いた。
『…………おまえは』
「ん?」
『おまえは、これからどうするんだ』
「どうするって、まあ腹も膨れたしシャワー浴びて寝ようかな」
『そうじゃない』
もどかしそうに手を振った。
『そうじゃなくて、なんというかこう…………人生、そう、人生の話だ』
「じんせい?」
『おまえはこれから、何を目指し、どう生きるんだ』
「う〜〜〜〜ん?」
思わず腕組みをする。アルコールでぐだぐだの脳ミソにはちょっと重たい問題だ。ろくな答えが思いつかないので、とりあえずはぐらかしてみよう。
「まー、まずは卒業だな」
『ソツギョウとはなんだ』
「あー、えーと。巣立ち的な?」
『巣立ったらどうする。
どこに行く。
何を成す。
目標はなんだ』
「おぉん」
めっちゃ畳み掛けてきますやん。誤魔化せないなこれ。仕方ないから、も少し本腰入れて考えてみるか。
卒業したら、か。マツバは次こそジムリーダーになれると言ってくれたし、ボール作りの腕は色んな人が褒めてくれる。
だけど、じゃあ俺自身はどうしたいのかといえば、正直全然定まっていなかった。
ジムリーダーにもなってみたいしボール製作も極めてみたい。それは確かに思っている。
ところが、絶対やりたい! と言えるほどの熱意が、まだ俺の中に芽生えていないのだ。
じゃあ何がしたいんだ俺は?
考えて、考えて、考えて。
「旅に出ようかな」
ぽろりとそんな言葉が漏れたとき、目の前が急に開けた気がした。
完全な思いつきのはずが、すとんと腑に落ちたのだ。
────そうか。
俺、旅に出てみたかったんだ。
『どこに行くんだ』
「どこにでも。行きてえって思ったとこに行って、やりてえって思ったことをするよ」
『…………それは目標と言えるのか?』
胡乱な眼差しを向けるクチートに、俺は「わかんねえ!」と笑った。
「わかんねえけどさ。別にいますぐ決めなきゃいけないことでもないだろ。時間はたっぷりあるんだしさ」
『…………そうか、そうだよな』
クチートがにわかに気色ばむ。
砂を蹴って立ち上がり、悲痛な声で叫んだ。
『羨ましいことだ!
私には無いんだよ! そんな時間も、猶予も!』
俺は目を丸くし、一拍置いて、彼女が意味しているものを察した。
半身を起こし、握りしめられた拳にそっと触れる。
「────悪い。無神経だった」
クチートは肩で息をしながら、憎々しげに俺を睨めつけた。
「大好きなひとが死ぬのは怖いし、辛いよな」
『知った口を聞くな! お前に何が』
「わかるよ。俺も両親を亡くしたから」
拳がぴくりと震えた。
固く締まった指を1本ずつ開いていく。
「俺、親とすげー喧嘩してさ。謝ることもできないうちに死なれちゃったんだ。二度と立てないんじゃないかってぐらい泣いたよ。正直、そんときの事はいまでも後悔してる。たぶん、死ぬまで後悔するんだろうな」
『…………』
「────だけどさ」
ようやく開いた掌に、自分の手を重ね合わせた。
「いつまでもくよくよめそめそしてたって、母さんたちが生き返るわけじゃない。それよりも、いまこの時を生きることが大切なんだって教えてくれたひとがいたんだ」
泣いて命を絶とうとする俺を工房に入れ、
「仲間と数え切れないぐらい想い出を作って、うんと楽しめ。俺が死んだあと、あの世の母さんたちに語り尽くせないぐらい人生を謳歌しろ。それが最高の親孝行なんだって言われたよ。
……まあ、俺も意味がわかったのはここ最近だから、あんま偉そーなこと言えねえけどさ」
『…………最高の、親孝行』
クチートはぽつりと呟いた。
『陛下も、そう思ってくださるだろうか』
「思うさ、きっと」
重ねた手の甲に、雫が落ちる。
俺は気づかない振りをして、クチートをそっと抱き寄せた。
いじっぱりな彼女は『子供扱いするな』と怒ったけれど、俺の腕を振りほどいたりはしなかった。
というわけで51話。
ハギさんは絶対酒豪。おら詳しいんだ。
このディアンシー編すごく感想をいただけて、ほんとうに嬉しいです。
これからも頑張ります。
次話からジョウトに戻りますが、さてどんな展開にしようかな。
よければ感想高評価おなしゃす!