姓名判断師の家を辞去した俺は、ついでにカイナ市場をぶらつくことにした。
日曜の昼間ということもあって観光客と地元民が行き交い、大変な賑わいだ。
通りには様々な出店が並び、歩くだけでも楽しかった。食べ物の屋台は勿論、技マシンを売っている店もあればお香を売る店なんてのもある。持ってるだけで金運アップするという触れこみのお香に主婦っぽいおばさんが食いついていて、切羽詰まった様子がちょっと怖かった。
隣の広場ではフリーマーケットが開催されていた。みんな思い思いの品を持ち寄って、物々交換をしたりちょっとした金額でやり取りしている。
手作りクッキーでも買おうかと財布を取りだしたとき、
「おにいさん、ちょっとちょっと」
腰の曲がった老婆から声をかけられた。道の脇でちょいちょいと手を振っている。どうも俺を呼んでいるらしい。
「どったの、ばあちゃん」
「あなた、ポケモントレーナーでしょう?」
「そうだけど」
「良かったらこれを貰ってくださらない?」
そう言って、ポケモンのお手入れセット一式が入ったバケツを差し出してきた。ブラシに爪切り、磨き布など、年季が入ってはいるもののまだまだ使える品ばかりである。
「いいんすか?」
「いいのよ。道具は使ってこそだもの。私がこれを使う相手は、先に天国に行っちゃってね」
寂しそうに笑う様子に、俺ははっと背を正した。
────ポケモンの寿命は種族によって千差万別である。たった4、5年で別れを経験する個体もいれば、何十年何百年と生き続ける個体もいる。
しかし、近年の研究によって、短命の種族であっても人間が世話をすることで寿命が飛躍的に伸びることが発見された。
野生下では1年しか生きないといわれるキャタピーが15年かけて羽化した、というニュースを聞いたことがある。
この道具を見れば、彼女がどれだけそのポケモンを愛し、大事にしてきたか察しがついた。ひょっとしたら人生の半分以上を共に過ごしたかもしれない。
使う機会がなくなり、でも捨てるには忍びなくてここまで持ってきたのだろう。
俺は両手で受け取ると、深く頭を下げた。
「大事に使います。ありがとう、おばあちゃん」
「こちらこそありがとうね。言わでものことだとは思うけど、あなたのポケモン、大事にしてあげてね」
「はい!」
老婆はにっこりして、ゆっくりゆっくり去っていった。
「…………そういや、
岩タイプのポケモンは、時々磨いてやらないと、何かの拍子に付着した塩分やカルシウムが関節の隙間を埋め、動作を阻害することがある。とくにカブルーはヒトに近い体型をしているから関節部分が多く、その危険性が他の岩タイプより高いのだ。
「思い立ったが吉日、だな!」
ついでに
フリーマーケットを足早に抜け、カイナシティのそばを流れる川辺に急いだ。
川べりは水遊びをする親子連れや楽しそうにはしゃぐカップルでいっぱいだったが、上流に向かって歩いていくと少しずつ人の数が減り、やがてぱったりと見なくなった。
ここいらは水深も深く、平地じゃないから遊びづらいのだろう。
「よーし、出てこいっ」
フレンドボールを2個とスノウボールを1個放りあげる。俺の愛する家族たちが現れた。
「今日はブラッシングするぞー。まずはレヴィ、お前からな」
手招きすると、ルギア(満腹ぺリッパーの姿)が不思議そうに瞬いた。そうか、こいつ名付けの瞬間寝てたんだっけ。ちょうどいい機会なのでみんなにお披露目しよう。
「今日からこいつの呼び名が変わる。いままではちびすけって呼んでたけど、レヴィアタンに改名した。
カブルー、ゴーシェ、そのつもりでな。
レヴィ、ちゃんと覚えとけよ」
「ぎしゅい」
「りん」
「げ?」
「げ? じゃなくて。お前の新しい名前なの」
「げー」
へー、みたいなイントネーションで相槌うちやがった。……ま、覚えてくれたんならいいか。
「
「げるる」
俺たちの周りに虹色の靄みたいなヴェールが広がる。これで不意に人が来ても見られる心配はなくなった。
硬めのブラシを濡らして全身に滑らしていく。鳥は元来綺麗好きが多いが、ルギアはもともと海底で暮らすためか毛繕いの習慣がないらしい。水辺に連れてってやらなかったのもあって、結構薄汚れていた。
長いのど首を優しくブラッシングすると、目を閉じて「げるー……」と鳴いた。相当気持ちいいらしい。良くも悪くも感情をあらわにする性格だとこういう時にやりがいがある。俺もいい気分になってきた。
背中、両翼、足の裏までケアしてやると、もう気持ちよすぎるらしくて完全に溶けた。だるーんと河原に突っ伏してゴロゴロ喉を鳴らしている。猫かおまえは。
如意の玉衣を着せ直し、アマルスを呼んだ。
「ほい。次はゴーシェな」
岩・氷タイプは磨くのにコツがいる。身体の表面に常に薄い氷の膜が張ってあるので、普通に磨いたんじゃ全くケアにならないのだ。
だからまずは氷を溶かす。冷たい川の水をバケツに入れ、
あまり同じ箇所に濡れたタオルを当てすぎると岩肌に水分が浸透して体調を崩す恐れがある。決して気が抜けない作業だ。
素肌が露出したらいよいよ磨きの時間だ。目の粗いヤスリで不純物のついてる箇所を取り除く。そこから少しずつ目の細かいヤスリに取り替えて、全身をくまなくピカピカにしていくのだ。
アマルスは本当に賢い子で、磨いてる間じっと大人しく待っていてくれた。
小一時間も磨き続けると汗びっしょりになった。
「ホイ、終わり。レヴィと遊んできな」
アマルスが素直に頷き、ルギアのとこに駆けていった。すぐにはしゃぐ声が聞こえてくる。
バケツの水を入れ直して、最愛の相棒に振り向いた。
「お待たせ」
「ぎしゅ」
カブルーは嬉しそうに含羞んだ。
幼い頃から何百回と繰り返した作業だけにカブルーも慣れたもので、俺がいちいち言わなくとも体勢を変えたり腕や脚を上げ下げしてくれる。俺は何も考えず、ただ磨くだけでよかった。
「最近やれてなくてごめんな」
カブルーはふるふる首を振った。謙虚で、優しくて、奥ゆかしい自慢の相棒は、いつだって俺を責めたりしない。
両親を亡くして塞ぎこんだときも、ジムリーダー試験に落ちて自信をなくし逃げるようにジョウトに戻った時も、ただ黙って傍にいてくれた。
たとえヒトの言葉が喋れたとしても、たぶん、何も言わなかっただろう。
それがどれだけ有難かったことか。
こいつが居てくれたから、俺は今日まで生きてこれた。
「いつも、ありがとうな」
「……ぎしゅ」
ありったけの気持ちを込めて囁くと、額を俺の胸に擦りつけてきた。進化してから滅多にやらなくなった甘える仕草に、魂がきゅうんと歓喜する。
砥石を握り、両手の鎌の研ぎにかかった。
ここ数日バトルが続いていたせいで、あちこちに刃こぼれがある。人間で言うなら爪が欠けたり割れたりしているようなものだからさぞ気になっただろう。詫びながら丁寧に研いでいくと、すぐに以前の鋭さと輝きを取り戻した。
刃を陽に透かして惚れ惚れと眺めるカブルーに、思い切って言ってみた。
「あ、のさ。俺、旅に出たいと思ってるんだよね」
カブルーが目を丸くした。
驚くのも無理はない。なにせ、幼い頃は毎日のように卒業したら旅に出ると言い張っていた癖に、急にジムリーダーを目指したりアカデミーでだらだらゼミ通いするざまを見てきたのだ。どういう風の吹き回しかと思うだろう。
だけど、ムロの砂浜でおまえは何がしたいのかとクチートに問われた時、真っ先に思いついたのが旅に出ることだったのだ。
とっくに忘れていると思っていた夢が、ずっと身の内に燻っていたと気づいてしまった。気づいたからにはもう、止められないほど大きな炎になっている。
「先輩や教授はなんとか説得するし、アカデミーは休学届を出す。1年、いや、半年でもいい、世界をこの目で見たいんだ! …………でも、そうするとこうやってブラッシングしてやる機会も減っちゃうんだけど、カブルーは、それでもいいか?」
相棒の返事は、早かった。
「ぎしゅ!」
まっすぐな瞳で俺の目を見返してくる。
全身が「行こう!」と叫んでくれていた。
「──! ありがとう、カブルー!
そうと決まったら早速キキョウに帰って荷造りしなきゃな! おーいお前ら、帰るぞ!」
ばたばたげるげる大騒ぎする2匹を呼び戻す。この短い時間ですっかり仲良くなったみたいで、ルギアがアマルスのうなじに甘噛みしていた。
全員をボールに戻し、カイナへの街道を歩き出す。
全身が心地いい疲労に包まれている。
今日はよく眠れそうだ。
というわけで55話。
みんなのブラッシング回です。
手持ちが多いトレーナーはブラッシングだけで1日終わっちゃうのでトリマーにお願いすることも多いんだとか。
いつかポケモン周りの職業についても書いてみたいですね。
次回からやっとジョウトに戻りますが、すぐに別地方に旅立ちます。
さあて、どこに行こうかな。
よければ感想高評価おなしゃす!