ヌメラはとんでもないやつだった。
全身がぬめぬめなのはまあしゃあない。しょっちゅう抱きつきたがるのも幼児ゆえのことだろう。
それらはまだ我慢出来る。
問題は、度外れた嫉妬深さにあった。
こいつは自分以外のポケモンが俺に近づくのをとにかく嫌がった。頭上を定位置にしている
その都度注意するのだが、この世の終わりのように泣きじゃくるので話にならなかった。
カブルーは「まだちっちゃい子だもんね」とゆとりある態度でいてくれるが、レヴィとゴーシェは歳が近いこともあって顔を合わせるたびに衝突する。
いまでは手持ち全員で飯も食えなくなり、いちいち時間を決めて食事させていた。
当然、仲間たちのフラストレーションは溜まりに溜まっている。このまま放っておいたらチームが崩壊するのも時間の問題だろう。
現在の時刻は昼2時。たっぷり食べてたっぷり遊んだヌメラを寝かしつけ、道場近くの川べりに腰を下ろした。
静かに流れていく水面を見るともなしに見ながら溜息をつく。
せっかくマスタード師匠に修行をつけてもらえるのに、1日の大半をちびのご機嫌取りに費やしている始末だ。
ガルーラから託されてまだ3日だが、限界だった。
「ボックス送りにしちまおうかな」
呟く声音は我ながら本気の色が濃い。
ヌメラのために夜なべして作ったボールを手に取る。体表が乾いてしまうと死んでしまうと聞いて、高湿度環境を再現したオリジナルボールだ。濃霧の夜をイメージして、瑠璃紺に銀のスプレーをあしらってある。
しかし今ではもう、これをプレゼントする気が完全に失くなっていた。
「悩んでいるねえ」
マスタード師匠がやってき、隣に腰を落ち着けた。手製の釣竿を握っている。日課の釣りにきたらしい。
「新入りのお嬢さんに手こずってるみたいじゃない?」
「おじょーさんなんて可愛いもんじゃないっすよ、まるで怪物だ」
師匠が大笑した。
「ポケット
たった200年前は、ポケモンは怖い生き物だと恐れられてたらしいよ?」
その話は聞いたことがある。シンオウ地方──当時はヒスイ地方といったらしい──でポケモンの生態研究に生涯を捧げたラベン博士の自叙伝は、ボロボロになるまで読み込んだ。
村を囲む塀の高さと、それでも防ぐことの出来ない野生の脅威が淡々とした筆致で描かれた名著で、コリンクやパラスといった小動物が殺意剥き出しで襲ってくる描写は、いまの彼らからは想像もできない獰猛さである。
初めて読んだ時、俺は心底現代科学の進歩に感謝した。
ミオ図書館には彼が記した図鑑も収蔵されているらしい。機会があれば是非とも閲覧してみたいものである。
それはともかく。
「笑いこっちゃないですよ……。チームの危機です。このままじゃガチの殺し合いが起きちまう」
「おやおや、それは困ったねえ」
「師匠は、そういうポケモンいませんでした?」
マスタード師匠はふっと笑って、「何度もあるよん」と竿を振った。
「何度も?」
「格闘タイプは負けん気が強い子が多いからすぐに喧嘩しちゃうんだよね。
ヒートアップすると骨が折れるほどの乱闘になるよ」
「ひぇ……どうやって治めるんです?」
「そりゃもう、気概さ」
「気概?」
「そう」
師匠が竿を引く。獲物はかかっていない。彼は釣果よりも、釣る過程を楽しむタイプの釣り人らしかった。
餌玉を括りつけ、再びしならせる。
波紋を広げながら川の中ほどに沈んでいった。
「喧嘩をする子っていうのはね、力に物を言わせようとしてるんだよね。怒ったり泣いたりする子も同じだ。不機嫌な態度を見せつけて相手を思い通りにしようとする。
そういうときにトレーナーがやるべきことは1つ。
そんな相手の言うことなんて聞かないことさ」
釣り糸が静かに揺れる。
風が吹くまま、水の流れゆくままゆるゆる流されていくが、竿を握る師匠の手は揺るがない。
「暴れたりわがままを言うだけ損だと分からせるんだ。みんなを思いやり、慈しむことが結局1番いい結果を産むんだと教えるんだよ」
「…………」
「アシタバちゃんは優しい。なるべくみんなの想いに応えようと頑張れる子だ。だけどね」
師匠が振り向く。凪いだ海のように静かな瞳だった。
「それでアシタバちゃんが振り回されてちゃダメよ。
独楽の軸がブレてたら廻るものも廻らないでしょ?
ちみだけはどっしり構えていなくちゃね」
ブレない、気概。
師匠の言葉が、胸の真ん中にすとんと落ちた。
「────ありがとうございます!」
俺は頭を下げ、急ぎ道場に戻った。
昼寝から目覚めたヌメラがめぇめぇ鳴きながら飛びついてくる。いつもなら抱き上げてやるところだが、俺はわざと反応しなかった。
「ヌメラ。話がある」
「めぇ……?」
抱っこしてくれないの……? と涙目で鳴かれて決心が揺らぎかけたが慌てて耐えた。
膝を折り、正座の姿勢で相対する。
「お前が仲間に来て3日経った。ドラゴンのことを知らない未熟な俺の指導で、お前も苦労してるよな。だけどいまから厳しいことを言う。頼むから最後まで聞いてくれ」
笑わず茶化さず、真剣な眼差しで語りかけると、普段とは違う雰囲気であることを察したらしいヌメラが戸惑いながらこっくりした。
「よし。まず、俺たちはチームだ。支えあい認めあう大切な仲間を、威嚇したり挑発したりするな」
「めぅ」
ヌメラの口がキュッと窄まった。不満な時にやる仕草だ。俺は構わず話を続けた。
「お前が人一倍甘えたがりで構って欲しがりなのはよく分かった。だけどな、いつも甘やかしてやるわけにはいかない。なぜなら俺たちはチームで、チームは誰かを贔屓したら成り立たないからだ。…………わかるか」
ヌメラの顔がどんどん俯いていく。
こいつが群れでどんなふうに過ごしていたかは分からない。だけどあの優しいガルーラのことだ、きっと毎日手厚い加護を与えていたんだろう。
いきなりそこから引き離されて、みんなと仲良くしろ、わがままを言うなと言われて素直に受け入れられるわけがない。俺の注文自体が無茶なんだ。
それでも、ここは譲れない。
俺たちがチームであるために。
ヌメラを仲間と呼ぶために。
「これからは、時間を決めてお前を甘やかす。その時間はいくらでも抱っこするし、美味いものもなるべく食べさせてやる。だけどそれ以外の時間は他のみんなの時間だ。我儘は許さない。どうしても言うことがきけないようなら、お前とはこの島でさよならだ」
「!」
ヌメラは鳴いた。怒ったように鳴いて、縋るように鳴いて、媚びるように鳴いたが、俺はその全てを黙殺した。
やがて鳴き疲れたヌメラは、ようやくこちらの決心が固いことを悟ったんだろう。触角をしおしおと垂らしながら、観念したように「……めぇ」と頷いた。
「うん。分かってくれてありがとうな」
小さな丸い躰をそっと抱き寄せる。今日ばかりは服がどろどろになっても仕方ない。
仲間たちを呼び、あらためてヌメラに詫びさせる。俺もみんなに我慢させ続けたことを謝った。
カブルーはにっこりと、レヴィとゴーシェは渋々ながら受け入れてくれた。
さあ、今日から仕切り直しだ。
もういちどここから頑張ろう。
「このチームに入ってよかったと思って貰えるように努力するからさ。これからよろしくな、ヌメラ」
「めぇう」
ヌメラは俺にぎゅーっとくっつき、甘えた声で鳴いた。
というわけで74話。
育てる者の難しさに焦点を当ててみました。
ルギアは食い意地が張ってるだけで案外素直ですし、ゴーシェは利発な子なので手こずることがなかった模様。
ヌメラちゃんの名前どーしよっかな。
なんかいい案あったら感想ついでに教えてください。
よければ感想高評価おなしゃす!