アデクさんと俺は、観劇を終えた人の波に紛れるようにしてミュージックホールを後にした。
周囲の人々は今見た芝居の感想を言い合うのに夢中で、すぐそばをチャンピオンが歩いていても全く気づく素振りがない。こんな偉丈夫そうそう居ないと思うのだが、イッシュ人がおおらかなのか、アデクさんが気配を殺すのが上手いのか、ちょっと判断がつかなかった。
「……あれ、シキミが居ない」
てっきり外で待っているかと思ったがひとしきり見回しても見つからなかった。
どうやら俺が四天王の席を断ったことがよほど腹に据えかねたらしい。
「なに、一晩寝れば機嫌も戻ろう。
切り替えの早いのがシキミの美徳だ。
ところでアシタバ、お前さん明日の予定は?」
「予定……ですか? いえ、特には」
「ならこの老いぼれの散歩にちと付き合ってくれんかの」
「いいですよ、お安い御用です」
むしろチャンピオンに同行させてもらえるなんでこの上ない幸運だ。マスタードさんも、ただ一緒にいるだけで学ぶところの多い人だった。
快諾する俺に微笑を送り、「ライモンステーションに明朝6時! 遅れるなよ!」と言って去っていった。
6時て。はっや。
イッシュ鐵道に揺られること1時間半。気がつくと、俺はサザナミ湾を走る高速艇に乗っていた。
「あれえ!?」
「どうしたアシタバ、素っ頓狂な声を出してからに」
舵を握るアデクさんがとぼけた顔で言う。
「いやあの、散歩っていうからてっきりライモン周辺を巡るのかなって思ってたんですけど! ここどこですか!」
「サザナミタウンの北東に広がる小海、サザナミ湾よ。
美しかろう? というか、儂が初手で電車に乗ってる時点でおかしいと思わんかったんかお前さんは」
「いや俺もおかしいなー変だなーとは思いましたけどね? チャンピオンの散歩ってこんなスケールなのかなって思って突っ込まなかったんですよ!
やっぱ散歩じゃねえなコレ!」
「はっはっは」
アデクさんはすっと視線を逸らすや、唇を尖らせ口笛を吹き始めた。しかしその音はカッスカスである。
いや吹けないんかい!
「誤魔化し方ヘタっ!」
「いやいや、何を言う。
これはれっきとした散歩だとも。ちと海の上を歩くのは難しいでな、船を使っておるまでだ」
「…………俺に何させようってんです?」
さすがにここまで来れば、アデクさんに腹案があることくらいは察しがつく。それがなんなのか、まるで想像できないのが気持ち悪いのだ。
アデクさんは笑みをひっこめ、ごく真面目な顔で言った。
「これから、儂とお前さんとで洞窟探検をしたくての」
「洞窟?」
「左様。この地方の根幹をなす物語が綴られし秘境へ、な」
アデクさんの太い腕が舵を切る。舳先がぐうんと回転し、ぽつんとそびえる岩山へと進路を変えた。
読者諸君はイッシュの建国神話をご存知だろうか。
イッシュでは誰知らぬ者とてない有名な話だが、ざっとかいつまんで説明しよう。
遥かな昔。賢き兄と優しき弟がともに王位を継いだ。彼らは歳も近く、互いを尊敬しあい、慈しみあっていた。しかし、政の不可解さと難しさに翻弄され、少しずつ、彼らが目指す国の在り方が異なっていく。
兄は大勢のために少々の犠牲はやむを得ないとする"真実"を唱え、弟は1人も取りこぼすことなく繁栄すべしという"理想"を訴えた。2人の議論はどこまでも平行線を辿り、やがて臣下や国を巻きこんでの大騒動に発展した。
あわや戦争になりかけたとき、二王を支えていた龍が悲しみのあまり二つに裂け、息絶えた。
兄弟は嘆き悲しんだ。聡く優しい龍を死なせてしまったことを心から悔いた。
死骸を弔おうと触れた瞬間、ふたつの骸に新たな命が宿った。それが白き炎龍・レシラムと、黒き雷龍・ゼクロムであった。
レシラム、ゼクロムの説得により、兄弟は互いの非を悟った。真実も理想も、分けて考えられるものではなかったのだ。
兄が詫びると弟も詫びた。
そして国は、また1つになった。
────しかし、人の業はどこまでも深く度し難きもの。数百年後、またも真実と理想を求めて人が相争ったとき、レシラムたちはほとほと人間に愛想が尽きた。
彼らの業火と落雷は国中に降り注ぎ、イッシュを草も生えぬ焦土となさしめた。
その後、レシラムたちは石となって永き眠りにつき、正しい心を持った人物が現れるのを待っている…………。
「…………ってのが、おおまかなあらすじですよね?」
「よく勉強しておるな、その通りだ」
アデクさんは言いながら、船のエンジンを切った。
周囲には果てしなく広がる海のほか、特筆すべきものは何もない。
「あの、洞窟は?」
「この下だ」
太い指が船を指す。俺は一瞬言葉に詰まり、その後理解した。
「────海の底、ってことっすか」
「左様」
アデクさんは、重々しく頷いた。
というわけで93話。
ぎりぎり今日更新できました……! あぶね……!
アデクさんは何させる気なんでしょーか。
良ければ感想高評価おなしゃす!