俺は言葉もなく、洞窟──いや、神殿の入口に立ち尽くした。
こんなに見事な遺跡は初めて見た。
柱も壁もすべて、真四角の灰青石によって造られている。一つ一つ正確に加工され、ミリ単位のズレなく精緻に積み上げられており、何万何千年の時を経てなお揺るがない磐石さが俺を圧倒した。
ウルガモスの発する灯火が、壁の紋様を浮かび上がらせる。模様は全て等しく、意味のある言葉というより何かの象徴らしかった。
なるほど、神殿。
神を崇め祈りを捧げる建築物として、こんなに相応しい構えもない。
1歩踏み出す。入口からは見えなかった奥の壁を見た瞬間、おもわず息を呑んだ。
奥の壁だけは、文字通りの一枚岩で出来ていた。高さはおよそ3メートルほどもあるだろうか。表面が滑らかに削られ、天井から床までびっちりと、見たこともない文字が刻まれている。
一見、アルフの遺跡のアンノーン文字にも似ているが、細部が違う。
全く未知の言語だった。
「なんだ、この文字……」
アデクさんが静かに言葉を添えた。
「未だ誰も解読に成功しておらん古代語よ。
学者が年代測定器で調べたところ、イッシュ建国よりも前だと言うておった」
「建国より!?」
俺は目を見開いた。
イッシュの歴史は古い。
遡れる最古の文献には、数千年前の歴史が神話の形で書き記されている。
それより前というのはいったいどれほど昔なのか、ちょっと想像もつかなかった。
「一説によると、イッシュは余所から流れてきた人々が築いた土地らしい。学者の中には、現在のジョウト方面から来たのではないかと言う者もおる」
「ジョウト……」
いきなり故郷の名前が出て、心臓が小さく跳ねた。
────読者諸君は、世界ドーナツ仮説というのを聞いたことがあるだろうか。
ざっくり言えば、この世界は元々ひとつなぎのリング状だったとする説である。
長い時の中で隕石や地震、津波等の自然災害によって分断され、現在の
地質学のなかではわりあいポピュラーな仮説だが、裏付ける根拠に乏しく、本気で提唱する学者は少ない。
だが俺は、安寧の地を求めて旅したディアンシーの話を知っている。
ディアンシーもメレシーも岩タイプのポケモンだ。空を飛ぶすべを持たない。しかし、世界中が地続きだったならば、歩いて移動することもできただろう。
同じように、平和な国を求めてジョウトからイッシュに向かった人々が居たとしても不思議ではあるまい。
ふらふらと壁に近づき、文字にそっと手を触れる。
その途端、頭の上に座る
頭の中に言葉が流れ出す。
ダイビング中に聞こえた声だ。
「なん……?」
それがどういう意味か尋くより先に、俺の意識がぶつんと切れた。
俺は横たわっていた。
上もなく下もなく、ただ果てなく広がる白い空間に寝そべっていた。
床やベッドなんて上等なものがあるわけではない。虚ろな場所で、ふわふわと漂っているのだ。
目を閉じているのに、なぜかそれが理解できた。
『アシタバ』
声がする。
低く、豊かな声だった。
『そなたはルギアが持つ役割を、識っているか』
勿論知らない。
声の主は『さもあろう』と頷いた──気がした。
『ルギアはホウオウと共に魂を循環させる者。
千年ごとに片方が眠り、もう片方が務めを果たす』
『いまはホウオウの時代。
本来ならば、ルギアはあと700年は眠る筈だった』
『だがその均衡が破られた』
声はあくまで淡々としている。
それが事の重大さを表しているようで、俺は背筋が冷えるのを感じた。
『ホウオウはいま睡っている。
心無き者に痛めつけられたが故に』
『このままでは、魂が行き場をなくし、循環が途切れるだろう』
『そうなればヒトも、そなたらがポケモンと呼ぶ生き物も、いずれ滅ぶ』
『そうならないためにルギアが目覚めた』
『だがその者はまだ幼い。己の成すべきことを知らぬ』
『導き手が要る』
『アシタバ』
『そなたが導くのだ』
────無茶だ。
俺は激しく頭を振った。
寝たままだからそうイメージしただけだったが。
導く? 伝説のポケモンを?
ただの一般人である俺が?
無茶苦茶だ!
声は俺の反論など聞こえない体で断言した。
『だが他ならぬルギアがそなたを選んだ』
『幼く無知ではあるが、見る目は確かだ』
嘘だ。
こいつは、たまたま俺のアパートの窓にぶつかったに過ぎない。選ばれたなんてあるわけないんだ。
『例えそうだとしても、そなたの役割は変わらぬ』
『なんとなれば、もはやそなたはヒトでなくなりつつあるからだ』
俺は絶句した。
俺が…………なんだって?
『そなたはルギアに二度、その身を癒してもらったな』
『神の力に触れた者は、ヒトの領域から外れる。
半神半人の身となるのだ』
『老いず、病まず、衰えぬ肉体に成っている』
『ゆえにそなたらが伝説と呼ぶポケモンたちは、滅多に人前に姿を現さぬ。
無闇に力を振るったりもせぬ。
ヒトの生を狂わせるが為に』
そんな。
口の中がカラカラに渇く。
なにか考えたくても、頭が痺れて動かない。
じゃあなにか。
俺はいつの間にか、歳も取らないし死ぬこともないバケモノになってたってのか?
────ツツジ。
ふとその名が浮かび、全身総毛立った。
彼女もルギアの神通力に触れている。
声の言うことが正しければ、ツツジもまた不老不死になっているということか。
『本来ならば、そうだ』
『だが、ひとつの時代に半神半人が増えるのは好ましくない。故にあの娘が背負う筈だった業はそなたに被せた』
『時間が惜しい』
『ルギアを育てよ』
『魂を巡らせる務めを果たせ』
声が遠ざかって行く。
俺は必死に取りすがった。
待て。
待ってくれ。
俺には無理だ、そんな。
そもそも、あんたは誰なんだ!
声は一言告げた。
『我は始まり、全ての始祖』
それきり、世界が一瞬で黒に染まった。
「……タバ! アシタバ!」
アデクさんが呼びかける声に、俺の意識は唐突に浮上した。
重い瞼をこじ開けると、アデクさんと
上体を起こすと、頭がやけに重かった。
「う……」
「大丈夫か? 壁の文字に触った途端気を失ったぞ。
覚えておるか?」
「お、覚えてます……」
「酷くうなされておったぞ。
なんぞ悪夢でも見ているような……何があった?」
「…………」
額に手を当てる。
白い世界。
姿なき声。
ルギアと俺の役割。
悪夢であればどんなにいいか。
俺は懐に手を突っ込み、小型のナイフを取り出した。
徐に手首を切りつける。
「なにを────!」
アデクさんが息を呑んだ。
切り傷は血が流れるより早く塞がっていく。
「こ、これは」
「────アデクさん」
俺の声は、我ながら笑えるぐらい虚ろな響きを帯びていた。
「おれ、なんか、もう人間じゃないみたいです」
というわけで96話。
当初予定していた話よりも随分スケールのでかい話になってきました。
アシタバくんいつの間にかめちゃくちゃ過酷な運命を背負わされておりました。
ここからどうするんでしょうね、作者は←
前話でモザイク貫通する手段がいっぱいある事を知ったので開き直っていちばん薄いモザイクで書きました笑
目がいいひとなら目を凝らせば読めるかな?
よければ感想高評価おなしゃす。