脳を沸騰させるデータストーム。
全身に襲いかかる耐え難い不快感。
その全てに興奮しながら、ソフィ・プロネは叫ぶ。
「聞こえる……感じる! あの時のトキメキ!」
求めているものはここにあった。
もう少しだけ進めば、きっと届く。
「私を殺そうとする綺麗な声!」
乗っ取られたガンヴォルヴァからのビームの雨をかわし、青い光に包まれたエアリアルに突進する。
「スレッタ…あんたじゃない!」
世界が広がっていく。いや、白く書き換えられていく。
エアリアルの向こうに少女の姿が見えた。
ヘルメットの中で血を吐きながら、ソフィは自らの手を伸ばす。
「私が、欲しかったのは……!」
お腹いっぱいのご飯。
ふかふかの寝床。
温かいシャワー。
ガンダムに乗って戦えば手に入った。ほんの数回分だけ、だったとしても。
でも結局、本当に欲しいものは手に入らなかった。
私を好きでいてくれる家族。
相棒はいた。戦友と呼べる連中もいた。慕ってくれる難民の子どもたちは大勢いた。
でも、私をずっと見てくれて、話を聞いてくれて、甘やかしてくれて、愛してくれる人はいなかった。
戦っても殺しても奪っても、何をしても手に入らなかった。
なら、もういい。
家族が手に入らない、というなら。
私のことを純粋にみてくれる、ひとが、いればいい。
ただ純粋に殺そうとしてくれる、ひとが、いればいい。
赤い髪の少女が見える、
白く広がっていく世界で、純粋な殺意に満ちた声が反響する。
ひび割れた視界の中で、ソフィは前へ前へと手を伸ばし、そして、
「待ってよ……消えてしまえ……!」
もう一つの声が、
「みんな死んでしまえ……ひとりぼっちにしないで……!」
背後から響くのを聞いた。
……あ?
フットペダルから足が離れる。
スラスターの噴射が止まる。自動操縦機能が働き、ガンダムが減速する。
脳を焼き続けていたデータストームが、緩んだ。
……あれ?
脳が痛い。全身が痛い。口からはまだ血が流れている。
間違いなくこのまま自分は死ぬ。死ぬはずだ。こうやって、届かぬ手を伸ばしながら。
でも。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……!」
泣き声が聞こえた。
無線からではない。データストームが直接届ける声だ。
よく知った声が、押し殺すようにうめき声を上げている。
このまま自分は死ぬはずだった。死ぬつもりだった。
否、いつ死んでもいいと、普段からそう思っていた。
だから怖いもの知らずに生きていけた。どこにいても自分勝手に振る舞うことができた。
でも。
「死ぬのは怖いよ……もういやだ、殺してよ……」
懇願するような声が、全身にまとわりつく。
データストームの不快感にも耐えて操縦桿を握り続けた腕が、今は動かない。
前に進むことができない。白い世界へと向かうことができない。
……なんで?
愕然とする。
待ち望んだものが目の前にあるというのに、どうして自分はこんなところで足踏みしている。
進めない理由が、よくわからない。自分の行動が理解できない。
そうしているうちに、赤い髪の少女の声は聞こえなくなってしまった。
代わりに世界を満たすのは、無数の感情がごちゃごちゃに混ざった、混沌そのものの泣き声。
何が言いたいのかわからない。何を自分に訴えようとしているのか、理解できない。
ちがう。
私が欲しかったのは、これじゃない。
きれいで、純粋で、真っ白で、何もなくて、完全で、完璧な否定だ。
こんなよくわからないごちゃごちゃじゃない。混沌じゃない。
もうそんなのはうんざりなんだ。だからもう、私を、
「怖いよ……」
鬱陶しい声がまとわりつく。
それを振り切ろうとして、振り切ることができない。
「置いていかないで……ひとりぼっちにしないで……」
ガンダムは完全に停止していた。
少女はもう、一歩も動けない。
「死ぬのは、怖いよぉ……!」
白い世界が、遠ざかっていく。
もうそこへ行くことはできないことを悟って、少女は、ため息を付いた。
――ああもう。わかったよ。ったく、仕方ないなぁ。
意識が戻り、目を開ける。
見たことのない天井が視界いっぱいに広がる。
「……?」
頭を巡らせようとして、全身が鉛のように重いことに気づく。不快感こそ無いが、ひどく動きづらい。
それでもどうにか首を動かし、周囲を見回す。
広い部屋――雑然と隅に荷物が積まれた――の中に、自分はいた。部屋の端付近に置かれたベッドの上に寝かされた状態だ。布団は白く清潔で、嫌な匂いもしなくて心地よい。
このまま目を閉じて二度寝してみたい誘惑に駆られるが、我慢して状況把握を続ける。
自分のベッドのすぐ左隣で、ノレアがソファに座って、うつらうつらと船を漕いでいた。
どうやら疲れ切っているようだ。相棒に声をかけて起こすよりも先に、ソフィは逆側に視線を向ける。
ベッドの右手、部屋の中央には、ノレアが座るのと同じ種類のソファに、緑色の髪の青年が腰掛けていた。
確かあれは――エラン・ケレス。あのねっとりとした気持ち悪い声でスレッタに迫っていた彼が、なぜここに?
そしてそのエランの更に奥には、体育座りのニカ・ナナウラ。右腕を三角巾で吊った少女は、部屋の隅に身を隠すようにひっそりとうつむいていた。
……なに? このよくわかんない組み合わせ。
所属も目的も異なる三人組が、一つの部屋の中で距離を置きつつ、それぞれの姿勢でくつろいでいる。
このわけの分からない状況にソフィが首を傾げていると、唐突に視界の中に人影が飛び込んできた。
こちらがびっくりするより早く、その人影は唸り声を上げる。
「やっと目が覚めたの」
否、唸り声ではなく、怒りまみれの心配の声だった。
今まで見たことがないほど感情的になっているノレアを見上げ、ソフィは直前の記憶を思い出す。エアリアル相手に特攻を仕掛けた自分に、背後から聞こえてきた声。
『死ぬのは、怖いよぉ……!』
あれは……ノレアの声、だったはずだ。
データストームを伝って遠方の声が聞こえるという現象も、ごく稀にだが起こりえると、昔聞いたことがある。
けれど、いつも冷静で寡黙な我が相棒が、あんな怯えきった声で泣くなんてことがあるのだろうか。
今となっては疑わしい。幻聴というやつだったのかも知れない。
いまいち自分の記憶に自身が持てないまま、ソフィは真偽を確かめようと口を開き、
「やあやあ、無事に目が覚めてよかったよ。僕も心配してたからねぇ」
声を発する前に、右側から割り込まれた。
いつの間にかベッドの隣にまで接近していたエラン・ケレスが、ねっとりとした笑顔を浮かべている。
たちまちノレアが豹変した。ベッドの上に身を乗り出し、威嚇するように低い声で告げる。
「ソフィに近寄らないでください。刺しますよ?」
「ええー? 僕は君の友達を心配してるだけだよ? 変質者みたいな扱いは心外だなあ」
「変質者でしょう貴方は。おまけに臆病で軽薄で優柔不断でいい加減。
いいからあっちに行ってください。ソフィに変質者がうつる」
「おいおい、ひどい言い草だなあ。僕だって君の看病をさんざん手伝ってあげたのに。椅子をそっちに運んであげたり、点滴を毎回準備したり、汚物を片付けたり――」
「そのデリカシーのなさが変質者だって言っているんです」
ぽんぽんと罵声を投げつけるノレアを見上げ、ソフィは唖然とする。寡黙な相棒がこんなに言葉を連ねるのを見たのは初めてだ。よほどエランを敵視しているのか。
……いや、嫌いな相手は無視してかかるのが、我が相棒の常だったはずだが。
ふと横を見やれば、部屋の隅で体育座りするニカも居心地が悪そうな表情だ。ノレアとエランのこんなやり取りを何回も経験しているのだろう。
「…………」
なんだかよくわからない。
よくわからないが――なんというか、こう、面倒くさい。
もう好きにやってろ。そんな気分になった。
ソフィはノレアに視線を戻すと、今度こそ口を開く。
「ノレア。私はもうちょっと寝るよ」
「え? ……ちょっと待ってソフィ、今の状況の説明くらいは」
「それは次に目が覚めたときにね。じゃ、おやすみ」
相手の困惑を無視して、ソフィはさっさと目を閉じた。
もう少しだけ、このふかふかの布団の心地を味わおう。それと嫌な匂いのしないシーツも。
今はまだ、その程度の余裕はあるみたいだったから。